乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜   作:龍座

15 / 16
一気にドバー!

ギギギギギギ……という重厚な音と共に、プレヒストリック・パークの巨大な正門が完全に開け放たれた。

 

門の向こう側に広がる未知の太古の森を目にして、集まっていた貴族たちも平民たちも、一瞬息を呑んで立ち尽くした。しかし、やがて誰からともなく感嘆のどよめきが上がり、人々は吸い込まれるように、期待に胸を膨らませて園内へと足を踏み入れていった。

 

その様子を演壇の上から見届けたカタリナは、ふらふらとした足取りで舞台袖のバックヤードへと引っ込むなり、壁に手をついて「ふうぅぅぅっ……」と、これ以上ないほど長いため息を吐き出した。

 

極度の緊張から解放され、両足は生まれたての仔馬のようにガクガクと震えている。

 

そこへ、待ってましたとばかりに二人の令嬢が目を輝かせて飛び込んできた。

 

メア「最高でしたわ! カタリナ様!!」

ソフィ「はい! とっても感動しました!」

 

真っ先に駆け寄ってきたメアリは、カタリナの両手をバシッと力強く握りしめ、興奮のあまり頬を上気させていた。ソフィアもまた、ロマンス小説の劇的なワンシーンでも見たかのように両手を胸の前で組み、キラキラとした尊敬の眼差しを向けている。

 

カタ「あ、ありがとう。でも、今振り返ってみたらいろいろと抜かしてたわ……」

 

カタリナは苦笑いを浮かべながら、ペロッと舌を出した。

 

実は彼女の頭の中には、もっと詳細な「施設設備の案内」や「注意事項の復唱」など、びっしりと書かれた見えないカンペが存在していたのだ。しかし、いざ大勢の観衆を前にした途端、頭の中が真っ白になり、用意していた原稿の半分以上が綺麗さっぱり吹き飛んでしまっていたのである。

 

(結局、勢いと情熱だけで乗り切ってしまったわ……。園長として、もっとスマートに説明するはずだったのに!)と、内心で反省会を始めるカタリナ。

 

しかし、そんな彼女の落ち込みを吹き飛ばすように、甘く優雅な声が降ってきた。

 

ジオ「いやいや、婚約者としてこんなにも誇らしいことはないよ」

 

完璧な笑みを浮かべた第三王子ジオルドが、カタリナの震える背中を優しく支えるように歩み寄ってきた。

ジオ「言葉につまることもなく、ご自分の信念を堂々と語るお姿……。本当に美しかったです。君の真っ直ぐな言葉だったからこそ、あれだけ身分の違う者たちの心を一つに束ねることができたのですよ」

カタ「ジ、ジオルド様……」

 

褒めちぎるジオルドの言葉に、カタリナが照れくさそうにしていると、他の仲間たちも次々と彼女の周りに集まってきた。

 

キー「ジオルド様の言う通りですよ、義姉さん。あんな立派な演説、僕にはとても真似できません。クラエス家の誇りです」

ニコ「ああ。……とても、胸を打たれた」

アラ「お前、あんな大勢の前でよくあんな堂々と喋れるよな。正直、見直したぜ」

 

キースは自分のことのように胸を張り、普段は無口なニコルも目元を優しく和ませて頷く。アランに至っては、腕を組みながらも感心したようにカタリナを見つめていた。

 

マリ「カタリナ様……。私、カタリナ様のお言葉を聞いて、涙が止まりませんでした。この素晴らしい場所で働けること、本当に誇りに思います……っ」

 

さらに、今日から晴れて魔法省直属の「特別魔法顧問」という正式な立場を得たマリアまでもが、感動の涙で瞳を潤ませながらカタリナに深く頭を下げた。平民である彼女にとって、「命の前に身分は関係ない」と断言したカタリナの演説は、何よりも心に響く救いの言葉だったのだ。

 

皆が口々に集まってカタリナを褒め称える。

 

その温かい言葉の数々に、カタリナの胸の奥で燻っていた「失敗したかも」という不安は、あっという間に溶けて消え去っていった。前世から引き継いだ持ち前のポジティブさが、完全に復活を果たしたのだ。

 

カタ「みんな……本当にありがとう!」

 

カタリナはバチッと両手で自分の頬を叩き、気合を入れ直した。

 

演説が終わったからといって、園長としての仕事が終わったわけではない。むしろ、ここからがプレオープン本番なのだ。未知の古代生物たちと、初めて彼らを目にする一般客たち。何らかのトラブルが起きないとも限らない。

 

カタリナはドレスの裾をキュッと持ち上げ、園長としての凛々しい表情を浮かべて仲間たちを振り返った。

 

カタ「さ! 気を取り直して、園の確認をしにいくわよ!」

ジオ「ふふ、お供しますよ、我らが園長殿」

メア「カタリナ様の行くところ、地の果てまでついていきますわ!」

 

こうして、カタリナを先頭にした見目麗しい一行は、バックヤードを抜けて一般の観覧ルートへと足を踏み出した。

広大な敷地内は、すでに多くの来園者たちで賑わいを見せていた。

 

最初にカタリナたちが向かったのは、最も面積の広い『ガリミムスの保護区』である。

 

通路の至る所には、来場者が身を隠しながら恐竜を観察できるよう、土壁と擬木で作られたカモフラージュ用の観察小屋や、覗き穴が設置されている。

 

カタ(みんなどうかしら……ちゃんとルールを守ってくれているかな?)

 

カタリナが少しドキドキしながら様子を窺うと、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 

「おい、見ろよ! あの木の陰に何かいるぞ!」

「しーっ! 声が大きいわ、逃げられちゃうじゃないの!」

 

豪華な装飾品のついたドレスを着た貴族の夫人が、泥が跳ねるのも気にせず、平民の子供と一緒になって土壁の覗き穴から一生懸命に森の奥を覗き込んでいたのだ。

 

本来ならばあり得ない、身分を超えた交流。それが「動物を探す」という共通の目的に夢中になるあまり、ごく自然に行われていた。

 

キー「すごいな……。誰も大声を出していないし、魔法を使おうとする者もいない。皆、義姉さんが決めたルールをしっかり守って、真剣に『探して』いる」

アラ「へえ、ただ檻の中の動物を見るより、こうして隠れてる奴を見つける方が、案外ゲームみたいで面白いのかもしれねぇな」

 

アランが感心したように呟きながら、自らも近くの覗き穴からガリミムスのパドックを覗き込む。

 

遠くの草原を、ダチョウのような長い脚を持ったガリミムスの群れが、優雅に土煙を上げて駆け抜けていくのが見えた。その生き生きとした姿に、観察小屋にいた人々から「おおぉっ……!」と静かな、しかし熱を帯びた歓声が上がる。

 

カタ「……よかった。展示のコンセプト、ちゃんと伝わってるみたい!」

 

カタリナはホッと胸を撫で下ろした。

 

人間たちの騒めきが堀とカモフラージュ壁によって遮断されているおかげで、ガリミムスたちもストレスを感じることなく、普段通りに草を食んだり走ったりと、のびのびと過ごしているようだった。

 

カタ「次は、始祖鳥のケージとスミロドンの展示場も確認に行くわよ! マリアちゃん、お母様の飲食ブースの様子も見に行きましょう!」

マリ「はいっ、カタリナ様!」

 

大成功の予感に足取りも軽く、カタリナは仲間たちを引き連れて、太古の息吹が満ちるパークの奥へとさらに歩みを進めていくのであった。

 

ーーー

 

ガリミムスの保護区を後にしたカタリナ一行は、続いて始祖鳥のケージや、最新設備であるスミロドンの展示場へと足を運んだ。

 

プレオープンという初めての試みであり、何が起こるか分からない緊張感があったが、園内の治安は思いのほか保たれていた。

 

それは、イアンとジェフリーが各要所に配置してくれた近衛騎士たちのおかげだった。王国で最も優れた武と規律を持つ彼らが鋭い目を光らせているため、物理的な暴挙に出ようとする者は皆無だった。

 

例えば、始祖鳥のケージの前で、見えにくいからと不用意に風の魔法を使って葉を吹き飛ばそうとした若い貴族がいたが、すぐさま騎士が止めに入り、厳重注意を受けたことで未遂に終わっている。

 

また、極めて希少な存在である光の魔力の使い手・マリアを見世物のようにジロジロと見ようとする不躾な輩もいたが、彼らも近衛騎士の威圧感と、マリアの傍らでニコニコと(しかし目は全く笑っていない)牽制するジオルドたちの圧によって、被害は最小限に抑えられていた。

 

だが、物理的な安全が確保されていても、どうにもならない問題があった。

 

カタ(やっぱり……一筋縄ではいかないわよね)

 

カタリナは、休憩所や観察スペースの様子を見て、小さく息をついた。

 

先ほどのガリミムス展示場のように、探すことに夢中になって身分を忘れる微笑ましい場面もあったのは事実だ。

しかし、園内全体を見渡せば、やはり「貴族と平民の格差」という見えない分厚い壁が、そこかしこで露呈してしまっていた。

 

見晴らしの良い観察小屋の最前列は、着飾った貴族たちが我が物顔で陣取り、平民たちは彼らの機嫌を損ねないよう、遠慮がちに後方の見えにくい場所へ固まっている。

 

マリアの母親が腕を振るう飲食スペースでも、貴族用のテーブルと平民用の立ち食いスペースが自然と分断されてしまっていた。平民の子供が前で見たくてウズウズしていても、貴族の大人に一瞥されただけで、怯えて親の影に隠れてしまう。

 

カタリナが演説で「命の前に身分は関係ない」とどれだけ力強く訴えようとも、この世界に根付いた階級社会の常識が、たった一日で覆るはずもない。

 

実際に開園してみて、誰もが平等に楽しめる場所にするための課題は、決して少なくないと思い知らされた。

 

カタ(時間はかかるかもしれない。でも、少しずつこの壁を壊していく仕組みを作らなくちゃ!)

 

カタリナは現状から目を逸らすことなく、次なる課題としてしっかりと胸に刻み込んだ。

 

太陽が高く昇り、日差しが少しずつ強くなってきた頃。

 

カタリナはふと広場に設置された大きな時計台を見上げると、「あ」と小さく声を上げた。

 

カタ「さてと、そろそろいかなくちゃね」

 

ドレスの裾を軽く持ち上げ、バックヤードの方へ歩き出そうとするカタリナ。

 

その後ろ姿に、キースが不思議そうに声をかけた。

 

キー「義姉さん。どこに行くの? まだ確認していないエリアが残っているけれど」

カタ「ちょっとお着替えしてくるわ。すぐに戻るから、みんなはマリアちゃんのところで美味しいお茶でも飲んで待っていてちょうだい!」

 

カタリナはパタパタと手を振り返し、足早に職員用の控室へと消えていった。

 

「お着替え」という言葉を聞いて、ジオルドや令嬢たちは「なるほど」と納得した顔をした。

 

確かに、朝からずっと歩き回っており、園内は土や埃も多い。公爵令嬢として、来客の前に出るために新しいドレスに召し替えるのは当然の身嗜みだろうと、誰もがそう思っていたのだ。

 

――暫くして。

 

カタ「お待たせ! 準備完了よ!」

 

元気な声と共にバックヤードから戻ってきたカタリナの姿を見た瞬間。

 

その場にいた王子たちも、令嬢たちも、そして近くで警護にあたっていた近衛騎士たちまでもが、全員揃って言葉を失い、石像のように固まった。

 

ジオ「……カタリナ?」

メア「カ、カタリナ様……!? そのお召し物は、いったい……!?」

 

そこにあったのは、美しく着飾った公爵令嬢の姿ではなかった。

 

それは紛れもなく、カタリナがクラエス公爵家の敷地内で、土魔法の特訓と称して「畑を耕す時」に愛用している、あの気合いの入った農作業着であった。

 

キー「義姉さん!? なんでそんな畑仕事の格好に着替えているの!? ここには貴族の来賓もたくさんいるんだよ!?」

 

カタリナがしようとしたこと。

 

 

それは、古生物の解説イベントだ。

 

カタ「だって、ドレスじゃ動きづらいじゃない。これから私が直々に彼らの解説をするんだから、これくらい気合の入った『飼育員』の格好じゃないとダメなのよ!」

キー「い、いやいや義姉さん! ……流石に公爵令嬢がその格好で皆の前に出るのは……!」

 

だが、キースの口が止まった。カタリナの今の服装にはほおかむりでは無くてタオルを首に巻きつけ、代わりに麦わら帽子を被っている…。

 

だが、キースは直ぐに正気に戻った。その理由は……。

 

キー(畑仕事してる時の義姉さんと比べてマシだと思ってしまった……)

 

頭を抱えるキースをよそに、カタリナは麦わら帽子の位置を直し、首に巻いたタオルをビシッと指差した。

 

これから行うのは、ただ遠くから動物を眺めるだけではない、彼らの生態をより深く知ってもらうための『解説イベント』だ。自ら道具を運び、仕掛けを動かすのに、コルセットで締め上げられたフリフリのドレスなど着ていられるわけがない。

 

ジオ「ふふっ、カタリナらしいですね。僕はそのお姿も活動的で愛らしいと思いますよ」

メア「ええ! カタリナ様が身に纏えば、農作業着すら最先端のファッションに見えますわ!」

キー「見えないよ! いや、でも、あぁ……義母さんがこれを知ったら…」

 

嘆くキースの背中をバンバンと叩き、「さあ、行くわよ!」とカタリナは意気揚々と歩き出した。

 

向かった先は、先ほども様子を見に来た『ガリミムスの保護区』である。

 

ここは広大な草原と森林を駆け回る、ダチョウによく似た恐竜「ガリミムス」たちのための巨大な展示場だ。

 

カタリナはモートの人間側の縁、来園者たちからよく見える小高い観察デッキの上に立った。

 

カタ「皆様! これから、あそこにいるガリミムスたちのお食事の時間をご覧いただきます!」

 

カタリナが声を張り上げると、ピープホールを覗いていた平民たちや、VIPルームから見下ろしていた貴族たちが一斉に注目した。

 

カタリナはデッキに備え付けられた滑車のロープを引き始めた。すると、モートを越えた先の恐竜たちの生息エリアの木から、吊るされていた籠が。籠の中には、畑で取れた新鮮な野菜がたっぷりと詰め込まれていた。

 

「クルルゥ……」

「ククッ、ククッ……」

 

籠が降りてきた音と匂いに気づき、森の奥から数頭のガリミムスが小走りで姿を現した。

その姿を見た貴族の一部が、驚きに目を丸くする。

 

「なんてことだ。鱗に覆われたトカゲのような化け物を想像していたが……鳥ではないか!」

 

カタ「皆様、あれがガリミムスです。名前は『鶏モドキ』という意味を持っていますが、鶏よりもずっと大きく、時速六十キロ以上の猛スピードで走ることができるんですよ」

 

彼らは映画に出てくる怪獣のように咆哮を上げることは決してない。喉の奥を鳴らすような低い声や、嘴を打ち鳴らす音を立てながら、警戒しつつも餌の籠へと近づいてきた。

 

ガリミムスたちは長い首を伸ばし、歯の全くない立派な嘴で、籠の隙間から器用に植物を千切り取って食べ始めた。

 

カタ「彼らの口には肉食恐竜のような鋭い歯はありません。その代わりあの立派なくちばしを使って、植物の葉っぱや木の実、種子などを上手につまみ取って食べます。……でも、彼らが食べるのは植物だけではないんですよ」

 

カタリナが指差した先には、朽ち木を模したもう一つのエンリッチメントが設置されていた。

 

そこには特別に用意された生きた虫たちが仕込まれている。ガリミムスの一頭がそれに気づくと、長い脚で器用に朽ち木をひっくり返し、大きな目が顔の横についている広い視野を活かして、逃げ出そうとする虫を嘴で正確に啄(ついば)み、次々と飲み込んでいった。

 

「なんと、虫まで食べるのか……」

「植物も虫も食べるなんて、ずいぶんと器用な生き物ですね」

 

貴族も平民も、身分の違いを忘れてその見事な採食行動に見入っていた。

 

しかし、彼らが一番驚いたのはその次の行動だった。

 

食事がひと段落したのか、一頭のガリミムスが水辺の近くに積み上げられていた「小石」の山へと近づいた。

そして、あろうことかその硬い川原の石を嘴で拾い上げてゴクリ、ゴクリと丸呑みにし始めたのだ。

 

「ヒッ……!? い、石を食べているぞ!?」

「あんな硬いものを飲み込んで、お腹を壊さないのか!?」

 

ざわめく来園者たちに向けて、カタリナは胸を張り、よく通る声で解説を入れた。

 

カタ「ご安心ください、お腹を壊しているわけではありません! ガリミムスには歯はありません。ですので、硬い植物をすり潰すために意図的に小石を飲み込んでいます!」

 

カタリナの説明に、人々はポカンとした顔をした。

 

石でお腹のものをすり潰す、という概念がすぐには結びつかなかったのだ。

 

カタ「鳥を飼育したことがある方ならご存知かもしれませんが、彼らの胃の中には『砂嚢』と呼ばれる筋肉が発達した器官があります。飲み込んだ小石はそこに蓄えられ、胃の筋肉が収縮することで、まるで石臼のように食べた植物や硬い木の実をゴリゴリとすり潰して消化を助けているのです。つまり、あの石は彼らにとっての『歯』の代わりなんですよ!」

 

カタリナの、最新の古生物学と鳥類の解剖学に基づいた理路整然とした解説に、広場は「おおぉ……!」という深い感嘆の声に包まれた。

 

「なるほど、鳥と同じ仕組みを持っているのか!」

「あんなに巨大な生き物が、小鳥と同じように石を飲み込んで消化するとは……命とは不思議なものだな」

 

平民の農夫が呟いた感想に、隣にいた貴族の男が「全く同感だ」と深く頷く。

 

古代の命の神秘の前では、貴族のプライドも平民の遠慮も消え去っていた。ただ純粋な「知る喜び」だけが、その場にいる全員の心を一つに繋いでいたのである。

 

カタ(よしっ、掴みはバッチリね!)

 

麦わら帽子の下で、カタリナは会心の笑みを浮かべた。

単に珍しい動物を見せるだけでなく、生態を知り、命の工夫に驚いてもらう。これこそが彼女の目指した『プレヒストリック・パーク』の本当の姿だった。

 

ーーー

 

ガリミムスの見事な採食行動を披露し、来園者たちの心を鷲掴みにしたカタリナ。

 

彼女の「古生物解説イベント」はまだ終わらない。麦わら帽子のツバをクイッと上げると、カタリナは観衆に向かってニカッと笑った。

 

カタ「さあ皆様! 驚くのはまだ早いですわよ。次はこちら、『始祖鳥(アーケオプテリクス)の森』にご案内いたします!」

 

土汚れのついた農作業着のまま、カタリナは意気揚々と先陣を切って歩き出す。その後ろを、ジオルドやキースたち、そして興味津々の貴族や平民たちが大名行列のようにぞろぞろとついていった。

 

少し歩いた先に現れたのは、頑丈な金属と木材を組み合わせて作られた、巨大な直角形のケージ展示だった。

 

「ほう、見事な造園だ」

「だが……肝心の鳥が見当たらないぞ?」

 

ケージの前に集まった人々は、網越しに目を細めたり、首を傾げたりしていた。

 

カラスほどの大きさしかないという「始祖鳥」。いくら目を凝らしても、緑の茂みや複雑な岩場に紛れて、その姿をすぐに見つけることはできないのだ。

 

カタ「ふふっ、そう簡単には見つかりませんよ。彼らにとって、この高低差があり身を隠せる場所が多い空間は、安全で完璧な森なのですから」

 

カタリナは腰のポーチから双眼鏡を取り出した。ジェフリー王子が魔法省の技術班に作らせた、専用の双眼鏡である。

 

カタリナの指示で、職員たちが来園者たちにいくつかの双眼鏡を貸し出し始めた。

 

カタ「さあ、皆様。葉の揺れや、小さな音を頼りに探してみてください。彼らは『枝や岩と同化』していますからね!」

 

貴族も平民も、渡された道具を目に当てて、真剣な顔でケージの中を探索し始める。

 

(僕も手伝って苦労して作った岩場を皆が真剣に見つめている……)と、キースが後ろで少し誇らしげに胸を張っている中、一人の平民の子供が声を上げた。

 

「ああっ! いた! あの岩のてっぺんの近く!」

 

子供の指差す先、複雑に組まれた岩場の中腹に生えた太い木の枝に、カラスほどの大きさの生物がとまっていた。

 

双眼鏡でその姿を捉えた貴族たちは、一様に息を呑んだ。

 

「なんだあの鳥は……尻尾が、まるでトカゲのように長いぞ!?」

「それに、嘴の中を見てみろ! ギザギザとした細かい『歯』が生えている!」

カタ「その通りです! よく観察できましたね!」

 

カタリナがパンッと手を叩いて解説を始める。

 

カタ「彼ら『アーケオプテリクス』は『古代の翼』と言う意味で、現在の鳥類の祖先、あるいはそのごく近い親戚にあたる生物です。全身に美しい羽毛を持っていますが、皆様が仰った通り、骨のある長い尾や、獲物を捕らえるための細かい歯など、爬虫類(恐竜)の特徴を色濃く残しているのです!」

 

するとその時、枝にとまっていた始祖鳥が、ギヂッ、チチッという、現在の鳥のさえずりとは程遠い、爬虫類にも似たしゃがれた短い鳴き声を上げた。

 

彼らには現生鳥類のような複雑な鳴管が発達していないため、美しい声で鳴くことはないのだ。

 

始祖鳥は枝から身を乗り出すと、ケージの床を這っていた虫(飼育員が事前に放っていた餌)を目掛けて飛び降りた。

 

バサバサバサッ! と羽ばたくものの、その軌道はどう見ても「飛んでいる」というより「落下しながら滑空している」という表現が近かった。

 

「おや……? ずいぶんと飛ぶのが下手だな」

「羽ばたいているのに、すぐに地面に落ちてしまったぞ」

 

見事に虫を捕らえて飲み込んだ始祖鳥を見て、観衆から不思議そうな声が漏れる。

 

カタ「そこも、重要なポイントです! 始祖鳥は立派な風切羽を持っていますが、現在の鳥のように、空を自由自在に飛び回ることはできませんでした!」

 

カタリナは自分の胸のあたりをトントンと叩いてみせた。

 

カタ「現在の鳥が力強く羽ばたけるのは、胸にある骨(胸骨)に『竜骨突起』という大きな出っ張りがあり、そこに強靭な胸の筋肉がついているからです。しかし、始祖鳥の胸骨にはその突起がほとんどなく、空を飛び続けるための筋肉が足りなかったのです。だから彼らは、飛ぶというより『高いところから滑空する』か、せいぜい短い距離を羽ばたく程度しかできなかったと考えられています」

「なるほど、だから飛ぶのが下手なのか」

「では、どうやってあの高い木の上や岩場まで戻るのだ?」

 

疑問を持った来園者たちの前で、始祖鳥は驚くべき行動に出た。

 

虫を食べ終えた始祖鳥は、キースが作った急斜面の岩場へと向かい、そこへ飛びついた。そして、翼の先から突き出た「3本の鋭い爪」と、足の爪を器用に岩の隙間に引っ掛けながら、まるでトカゲやリスのようにガサガサと這い上がり始めたのだ。

 

「おおぉっ!!」

「翼に爪が生えているぞ! あれを使ってよじ登っているのか!」

カタ「大正解です! 飛ぶのが下手な代わりに、彼らは『木登り』や『岩登り』が大の得意なんです! あの翼の爪は、ただの飾りではなく、過酷な古代の森を生き抜くための立派な道具なんですよ!」

 

翼を使って器用に岩を登っていく始祖鳥の姿に、人々は感嘆の声を漏らした。

 

鳥でありながら恐竜。空を飛ぶのではなく、木や岩をよじ登って暮らす古代の翼。

 

その奇妙で愛らしい、しかし過酷な自然を生き抜くための「進化の途中」の姿は、見る者の好奇心を強烈に刺激した。

 

カタ「彼らを見ていると、命というものが長い時間をかけて、環境に合わせて少しずつ姿を変えてきたということがよく分かります。私たち人間も、彼らから学ぶべき『生きるための工夫』がたくさんあると思いませんか?」

 

カタリナの締めくくりの言葉に、双眼鏡を下ろした来園者たちから、今度はより一層温かく、大きな拍手が巻き起こった。

 

身分も年齢も関係なく、同じ命の神秘に胸を躍らせる人々。

泥臭い農作業着姿の公爵令嬢が語る熱を帯びた解説は、どんなに高価なドレスを着て語るよりも、確実に人々の心に届いていた。

 

ーーー

 

始祖鳥の森での興奮も冷めやらぬまま、カタリナは意気揚々と先頭を歩き、来園者たちを次なるエリアへと導いた。

泥臭い農作業着の公爵令嬢に先導され、王子や貴族、そして平民たちが一つの集団となって歩いていく様は、王都では絶対に見られない奇妙で微笑ましい光景だった。

 

カタ「皆様、お次にご覧いただきますのは、このパークが王国の魔法技術と資金を結集して作り上げた、最新の生態的展示です!」

 

カタリナが大きく手を広げた先には、これまでの展示とは全く異なる、息を呑むような大自然のパノラマが広がっていた。

 

そこには、来園者の視界を遮る鉄格子や金網、ガラスといった人工物は一切存在しない。通路から展示場までは四、五メートルの切り立った崖になっており、ゲストはその崖の上から眼下の広大な大地を見下ろす構造(モート構造)になっていた。境界線が風景に溶け込んでいるため、まるで人間のほうが太古の荒野に迷い込んでしまったかのような、完全なる没入感があった。

 

眼下に広がるのは、更新世の北アメリカ大陸を彷彿とさせる環境だ。手前には日向ぼっこに適した乾燥した低木林や荒々しい岩場が連なり、そこから奥に向かって、鬱蒼とした影を作るオークや松の木立、そして深い茂みを持った森林地帯へとシームレスに繋がっている。

 

「おおっ……ここは本当に王国内なのか?」

「どこまでも大地が続いているように見える。だが……肝心の動物はどこにいるのだ?」

 

貴族の男が目を細めて探すが、広大な岩場にも低木林にも、動くものの姿はない。

 

カタ「さあ、皆様。今回も『探す』喜びを味わっていただきますよ。彼らは常に私たちに見える場所で愛想を振りまいているわけではありません。誇り高き太古のハンターの姿を、音と気配を頼りに見つけ出してください!」

 

カタリナの言葉に、人々は一斉に身を乗り出し、静かに耳を澄ませた。

 

すると、奥の深い木立の茂みの方から、微かに風に乗って音が聞こえてきた。

 

『ゴロゴロ……グルルル……』

 

それは、巨大な猫が喉を鳴らすような、低く穏やかな音だった。

一人の平民の少女が、崖から身を乗り出すようにして茂みの奥を指差した。

 

「あっ! いました! あの木の影のところ!」

 

少女の声に皆が視線を向ける。木漏れ日が落ちる茂みの奥で、黄褐色の毛並みがふいに動いた。

 

ぴんと立った丸い耳の先。そして、ゆっくりと木陰から歩み出てきたその姿に、観衆はハッと息を呑んだ。

 

そこにいたのは、大人四頭、子供二頭からなる『スミロドン』の群れであった。

 

太陽の光の下へ姿を現した太古のハンターは、人々の想像していた「虎」とはまるで違っていた。

 

「なんだあの姿は……虎のような縞模様ではないのか!?」

「まるでヒョウのように、全身に斑点があるぞ。それに……尻尾が驚くほど短い!」

 

カタ「皆様、よく観察されていますね! 彼らは『サーベルタイガー』とも呼ばれますが、実はトラの仲間では無く。独自の進化を遂げた猫なのです」

 

スミロドンたちは、崖の上にいる人間たちを気にする素振りも見せない。

 

大人たちはのんびりとあくびをし、二頭の子供のスミロドンは、巨大な泥浴び場の縁で互いに取っ組み合いをしながら泥だらけになってじゃれ合っていた。

 

カタ「彼らは現生のライオンやチーターのように、開けた草原を長距離走って獲物を追いかけるような狩りはしません。だから、走るための長い尻尾は必要なく、あのように短いのです。その代わり……彼らの『腕』を見てください」

 

カタリナに促され、双眼鏡を覗き込んだ貴族の青年が「ヒッ……!」と短い悲鳴を上げた。

 

「な、なんて太さだ……! 丸太のように太く、筋肉が隆起している……!」

カタ「その通りです! 彼らは『筋骨隆々のレスラー』のような体格をしています。茂みの中に息を潜め、獲物が近づいた瞬間に飛び出し、あの強靭な前肢で獲物を力ずくで地面にねじ伏せるのです!」

 

その時、一頭の大人のスミロドンが立ち上がり、エリア内にエンリッチメントとして設置されていた太い朽ち木に向かって歩き出した。そして、その太い前肢を朽ち木にかけ、バリバリッ! バリバリッ! と凄まじい音を立てて爪研ぎとマーキングを始めた。野生本来の力強い行動(行動展示)を目の当たりにし、人々は思わず後ずさる。

 

「あ、あんな腕で押さえつけられ、あの恐ろしい巨大な『牙』で噛み付かれたら、どんな獲物でも一溜まりもないな……」

 

観衆の一人が呟いたその言葉を待っていたかのように、カタリナは麦わら帽子のツバを上げ、ニヤリと笑った。

 

カタ「ふふふ。皆様、映画や絵本の世界では、彼らが走りながら獲物にガブッと噛み付くと思われがちですが……実は、あの立派な牙は『非常に折れやすく脆い』んですのよ!」

「「「ええっ!?」」」

 

身分も何もかも忘れ、貴族も平民も一斉に間の抜けた驚きの声を上げた。

 

カタ「硬い骨などに当たると、あの牙は簡単にポッキリと折れてしまいます。ですから、彼らは絶対に無理な噛み付き方はしません。強靭な前肢で獲物を完全に地面に押さえつけ、相手が抵抗できなくなってから、柔らかい喉元や頸動脈などの急所にピンポイントで牙を突き刺すのです。非常に慎重で、計算高く、そして正確な狩りの達人なんです!」

 

驚愕の事実に広場がざわめく中、泥遊びに飽きた子供のスミロドンたちが、爪研ぎを終えた大人のスミロドンにトコトコと駆け寄り、その太い前肢にすりすりと頭を擦り付けた。

 

大人のスミロドンは怪獣のような大咆哮を上げることはなく、ただ低く「ウゥー……」と優しく鳴き、子供たちの泥だらけの頭を大きな舌でペロペロと舐めてやった。群れの他の大人たちも寄り添い、安心しきったように「ゴロゴロ」と喉を鳴らしている。

 

まるで、平和な昼下がりの大きな飼い猫の家族のような、温かく愛らしい光景だった。

 

カタ「スミロドンはあのように群れを作り、仲間同士で助け合って生きていました。化石の研究からは大怪我をして何年も狩りができなかったはずの個体が生き延びて傷を完治させた痕跡が見つかっています。それはつまり、群れの仲間がその個体を介護し、自分の獲物を分け与えていたという証拠です」

 

カタリナの真摯な声が、静まり返った観覧スペースに響き渡る。

 

カタ「恐ろしい牙を持つ無慈悲な暗殺者。けれどその素顔は、深い森の茂みに身を隠し、仲間を思いやり、家族を愛する、とても愛情深い生き物なのです」

 

崖の下で身を寄せ合い、ゴロゴロと喉を鳴らすスミロドンの家族。

 

その姿を見下ろす来園者たちの顔からは、古代の猛獣への単純な恐怖は消え去っていた。代わりに浮かんでいたのは、厳しい自然界で支え合って生きる「命の気高さ」に対する、深い敬意と感動だった。

 

「……素晴らしい」

「ああ……なんという、美しい獣たちなのだろうか」

 

貴族の婦人がそっと目頭を押さえ、隣にいた平民の青年が深く頷く。

 

鉄格子も境界線もない、太古の森を切り取ったようなこの空間で、カタリナの熱意あふれる解説は、人々の間にあった「身分」という見えない壁すらも、ほんの少しだけ溶かしていくような魔法の力を帯びていた。

 

ーーー

 

スミロドンたちの愛情深い姿に、来園者たちは温かな感動に包まれていた。

 

素晴らしい解説イベントは大成功と言っていいだろう。見学コースをぐるりと回り終え、一息ついたところで、ジオルドがカタリナに優しく微笑みかけた。

 

ジオ「素晴らしい案内でしたよ、カタリナ。これで、全種類と説明が終わりましたね」

 

その言葉に、他の面々も深く頷き、本日の見学会の終了を確信して帰路につこうとした。

 

――だが、カタリナは一人、麦わら帽子の下で不敵な笑みを浮かべていた。

 

カタ「ふふふ……実は皆様。この見学会の準備をしている間に、また新たに古生物がこちらに保護されましたのよ」

 

最近組織されたばかりの特別保護部隊が、早速その手腕を発揮してくれたのだ。

 

カタリナの言葉に、貴族たちや平民たちの間に「まだいるのか!」と期待と興奮のさざ波が広がる。

 

カタ「ですが……ジオルド様には、ほんの少〜しばかり刺激が強すぎる生き物かもしれませんわ」

ジオ「おや? 僕にですか? ……ふふっ、カタリナがそこまで言うのなら、ぜひとも見てみたいですね」

 

普段からカタリナの斜め上の行動を楽しんでいるジオルドは、余裕の笑みを浮かべて誘いに乗った。その王子の勢いにつられ、観衆も歓声を上げてカタリナの案内に続く。

 

少し離れた場所に新設されたというその展示場は、これまでの開放的な景色とは全く異質の、要塞のような厳重な造りをしていた。

 

まず人々の目を引いたのは、前面にはめ込まれた、この時代にはあり得ないほど大きく分厚い透明なガラスだった。

 

カタ「こちらの展示場には、魔法省の最新研究の成果が詰め込まれておりますわ! この巨大な透明の壁――『防弾ガラス』の強度も、魔法省の職人たちが日夜研究して作り上げたものですの」

 

ガラスの向こう側は、一部が水族館の巨大水槽のように広く深く水が張られており、陸地の部分にはシダ植物や熱帯の樹木が生い茂っている。

 

カタ「ここに展示されている生き物は、非常に気温と湿度の高い場所を好みます。そのため、壁面や天井に魔法具を組み込み、常にサウナのように高温多湿な環境を維持し、時々ランダムで天井から暖かい水の霧が降ってくる仕組みになっているんですのよ」

 

カタリナが自慢げに解説する中、ジオルドはその分厚い防弾ガラスの前に立ち、余裕の笑みで水槽の中を覗き込んでいた。

 

その時、水底に沈んでいた巨大な倒木のような暗褐色の塊が、ぬるりと動いた。

 

ザバァッ……!

 

水面が大きく盛り上がり、水の中から「それ」が鎌首をもたげた。

 

泥水に溶け込むような暗緑色と褐色の鱗。大人の人間の胴体よりもはるかに太い、丸太のような巨躯。そして、ガラス越しにジオルドをじっと見つめる、黄色く冷たい爬虫類の眼球。

 

蛇――それも、人間の常識をはるかに凌駕する、圧倒的に巨大な蛇であった。

 

『シュゥゥゥ……』という、風が抜けるような低い噴気音を響かせ、巨大な蛇はゆっくりとガラスにその顔を近づけてくる。

 

ジオ「」

 

ジオルドは目を限界まで見開き、完全に白目を剥いた。

 

そして、端正な顔立ちを青ざめさせ、口からカニのようにブクブクと泡を吹き出しながら――ドサァッ、とその場に卒倒してしまったのだ。

 

「ジ、ジオルド様ーーーッ!?」

 

キースやメアリたちが慌てて駆け寄るが、ジオルドは完全に気を失ってピクピクと痙攣している。

 

無理もない。完璧に見えるこの腹黒王子様は、「蛇」が大の苦手なのだ。手のひらサイズの蛇のおもちゃでさえ悲鳴を上げる男が、目の前で規格外の大蛇とコンニチハしてしまったのである。

 

カタ(や、やっぱり刺激が強すぎたようね……。ごめんなさいジオルド様……)

 

カタリナは口元を引きつかせながらも、ここでイベントを止めるわけにはいかないと気を取り直し、どよめく観衆に向かってパンッと手を叩いた。

 

カタ「み、皆様! 落ち着いてください! この分厚い魔法ガラスは絶対に割れませんから安全ですわ!」

 

カタリナの声に、怯えて後ずさっていた人々が恐る恐るガラスの前に戻ってくる。

 

カタ「ご紹介します! 彼女の名前は『ティタノボア』。暁新世と呼ばれる、恐竜が絶滅した後の時代、非常に温暖だった南アメリカの熱帯雨林や沼地に生息していた、地球の歴史上『最大』の蛇です!」

 

ティタノボア――その姿は、現生のボアやアナコンダによく似ているが、サイズが根底から狂っていた。

 

ガラスの向こうでゆっくりと水に入っていくその体長は、見ただけでも十メートル近くある。体重はゆうに一トンを超えているだろう。

 

「こんな巨大な化け物が……昔の地球にはいたというのか……」

「もしあんなものに巻き付かれたら、どんな猛獣でも骨を砕かれてしまうぞ……!」

 

観衆が震え上がる中、カタリナはチッチッチッと指を振った。

 

カタ「そこが面白いところなんです! 皆様は彼女が、どんな恐ろしい獣でも絞め殺して食べてしまう最強のモンスターだと思われるでしょう? ……ですが、最新の化石研究において、彼女たちの『主食』は全く別のものだったと考えられています」

 

ティタノボアが水面から顔を出し、大きな口をパカリと開けて欠伸のような仕草をした。その瞬間、来園者たちはその口の中に、細かい針のような歯がびっしりと、しかも「内側に向かって」生え揃っているのを見た。

 

カタ「彼女たちの頭骨や歯の形は、暴れる獣の骨を砕く構造にはなっていません。あの細かい歯は、ツルツルと滑るものを逃さずに捕らえるためのもの――そう! 彼女たちの主食は、沼地に住む『巨大な魚』だったんです!」

 

カタリナの言葉を証明するように、飼育員が展示場の上部にある給餌口から、大きな魚を水槽に投げ入れた。

 

バシャァッ! という水しぶきとともに、鈍重に見えたティタノボアが水中で矢のように素早く動き、巨大な魚を丸呑みにしてみせた。

 

水中で抵抗する魚を逃がさないため、彼らは水生生活と魚食に特化した進化を遂げていたのである。

 

「なるほど、だからこんなに水浴び場を広く作ってあるのか」

「獣を襲う凶暴な化け物ではなく、水辺で魚を獲る静かなハンターだったのだな」

 

人々の間にあった理不尽な恐怖が、正しい知識を得たことで「知的な感嘆」へと変わっていく。

 

カタリナは満足げに頷き、そして足元で泡を吹いて倒れているジオルドをチラリと見下ろした。

 

カタ「それにしても、このティタノボアがどうしてここまで巨大化できたかご存知ですか? ヘビは変温動物ですから、外の気温が高くないと体を動かすことも、その巨大な体を維持することもできません」

 

カタリナは展示場の湿度を保つ天井の魔法具を指差した。

 

カタ「彼女たちが生きていた時代、地球の平均気温は今よりもずっと高く、生息地の沼地は最低でも三十度から三十四度の猛烈な暑さでした。その『圧倒的な熱』があったからこそ、彼女たちはここまで大きく成長できたのです」

 

そして、カタリナはニコッと無邪気な笑顔を浮かべ、とどめの一言を放った。

 

カタ「ちなみに、今ここにいるこの子は恐らくまだ『成長段階』ですわ。大人になれば、体長は最大で十三メートルから十四メートルには達するでしょうね! まだまだ大きくなりますのよ!」

「「「じゅうよんメートル!?」」」

 

観衆が驚愕の声を上げる中、足元でわずかに意識を取り戻しかけていたジオルドが、「まだまだ大きくなる」という言葉を聞いた瞬間、ビクンッ! と痙攣し、再び「アバーッ……」と泡を吹いて完全に意識を暗い沼の底へ沈めていった。

 

カタ(あ、また気絶しちゃった……。キース、後でジオルド様を運ぶの手伝ってね……)

 

王子の無残な姿に心の中で合掌しつつ、カタリナの古生物解説イベントは大盛況のうちに幕を閉じたのであった。

 

ーーー

 

ティタノボアの圧倒的な巨体と「まだまだ大きくなる」という事実を前に、ついに許容量を超えて完全に気絶してしまったジオルド。

 

彼は口からカニのように泡を吹いたまま、大慌てで駆けつけた王家の使用人たちによって、仮設の休憩テントへと担ぎ込まれていった。

 

カタ「本当にすみません!ジオルド様!」

 

自分のせいで婚約者を卒倒させてしまったと、カタリナは両手で顔を覆ってオロオロと狼狽えていた。

 

そんな彼女の肩を、メアリが優しく、聖母のような笑みを浮かべて撫でる。

 

メア「カタリナ様、どうかご自分を責めないでくださいませ。ジオルド殿下は少しお疲れだっただけですわ。それに、ご立派な王族なのですから、あの程度の蛇で倒れるなど……いえ、殿下にはゆっくりとお休みいただくのが一番ですわ」

 

メアリは表面上は心から心配しているような、慈愛に満ちた声色を取り繕っていた。

 

しかし、その内心では――。

 

メア(……ふふっ! やりましたわ! これで最大の邪魔者は退場です! 見学会の残りの時間は、私が愛しのカタリナ様を独り占めできる大チャンスが増えましたわ!! でかしたわよ、ティタノボア!!)

 

メアリは心の中で、巨大蛇に向けて盛大なスタンディングオベーションを送るほど、物っ凄い腹黒い歓喜の舞を踊っていたのだった。

 

それから暫くして。

 

見学会の興奮も少し落ち着き、カタリナはメアリたちと少しだけ別行動をとっていた。というのも、平民でありながらこのパークの運営や母の手伝いのために奔走してくれている、マリア・キャンベルの元へ向かうためだ。

 

カタ(マリアちゃん、お母様のお手伝いで出店用の荷物を運んでくれているはずなんだけど……あ、いた!)

 

パークの少し外れた、裏手へと続く小道。

 

そこに愛しのヒロイン・マリアの後ろ姿を見つけ、カタリナが声をかけようとした――その時である。

 

「平民の分際で、ジオルド殿下やニコル様のような高貴なお方たちに気安く近づくなんて、図々しいにも程がありますわ!」

「ええ、本当に! 光の魔力を持っているからって、少し調子に乗っているんじゃありませんこと!?」

 

マリアは、同い年くらいの、いかにも高飛車な貴族の令嬢数人に壁際へと詰め寄られていた。

 

彼女たちの口から飛び出しているのは、完全なる「妬み」だった。才色兼備であり、高位貴族の令息たちとも分け隔てなく接するマリアへの、見苦しい嫉妬の言葉の数々。

 

不幸なことに、この場所は裏道のため警備の目が行き届いていなかった。

 

マリ「そ、そんな……私は決して、そのようなつもりでは……」

 

マリアは困惑し、手にした大きなバスケットを胸に抱え込むようにして後ずさる。

 

その弱々しい態度がさらに令嬢たちの神経を逆撫でしたのか、リーダー格の令嬢が忌々しそうに手を振り上げた。

 

バァンッ!!

 

「きゃあっ!」

 

令嬢の手が、マリアが大切そうに抱えていたバスケットを容赦なくはたき落とした。

 

バスケットは地面に転がり、中に入っていた布の包みが解け、綺麗に焼き上げられた大量の焼き菓子が、無残にも土の上にバラバラと散らばってしまったのだ。

 

「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまいましたわ。……ふんっ、平民の作る安っぽいお菓子なんて、この土まみれの地面がお似合いですわね!」

 

令嬢はそう吐き捨てると、あろうことか、地面に落ちたお菓子をその高価な靴のヒールで踏みつけようと足を振り上げたではないか!

 

――カチンッ。

その瞬間、カタリナの中で何かが激しく弾けた。

 

カタ(な……っ、なっ……!?)

 

マリアをいじめたこと。それも許せない。

 

だが、それ以上に! 丹精込めて作られた、あんなにも美味しそうで、あんなにも良い匂いを漂わせているお菓子を……物理的に踏み躙ろうとするなど!!

 

カタ「やめなさい!!」

 

腹の底から響くような大声とともに、カタリナは猛然とダッシュし、ヒールが振り下ろされる寸前で、令嬢たちとマリアの間に割って入った。

 

「……カ、カタリナ・クラエス様……!?」

 

今まさにお菓子を踏みつけようとしていた令嬢はもちろん、周りを囲んでいた他の令嬢たちも、突如として現れた公爵令嬢の登場に目を丸くして固まった。

 

カタ「あなたたち、一体何をしているの!」

 

マリアがせっかく作ってきてくれた(しかもこれから売り物にするか、皆で食べるはずだった)お菓子に、なんて酷いことをするのだ!

 

お菓子に対する冒涜への怒りで全身を震わせながら、カタリナはゆっくりと振り返り、ギロリと令嬢たちを睨みつけた。

 

「……ひっ!」

 

ご令嬢たちの顔から、一瞬にして血の気が引いた。

 

無理もない。今のカタリナの顔は、前世からの記憶で培った「悪役顔」のポテンシャルを120%引き出した、大魔王のような極悪フェイスだったのだ!

 

カタ(私のお菓子を駄目にしようとしたその罪……万死に値するわ! 絶対に許し難し!!)

 

カタリナは持てる目力を限界まで駆使し、親の仇でも見るかのような、さらに鋭く恐ろしい目つきを令嬢たちに突き刺す。

 

悪役令嬢の凄まじい怒りのオーラを肌で感じ取ったご令嬢たちは、ガクガクと膝を震わせると――。

 

「「「も、申し訳ありませんでしたぁぁぁっ!!」」」

 

と、滝のような冷や汗を流しながら真っ青な顔で頭を下げ、我先にとドレスの裾を捲り上げ、淑女にあるまじき猛ダッシュで去って――いや、脱兎のごとく逃げていった。

 

カタ(……うん。今日も私の悪役面の効果は絶好調ね。便利便利)

 

嵐が去った後、カタリナはすんと冷静さを取り戻し、地面に転がったマリアの手作りお菓子へと目を向けた。

 

カタリナはしゃがみ込むと、一つ一つ丁寧に菓子についた土を払い、バスケットの中へと拾い戻していく。

 

カタ(あぁ……なんてもったいない。でも、乾いた土の上に落ちただけだから、少し払えば全然綺麗ね)

 

すると、カタリナの鼻腔を、甘く香ばしいバターと小麦粉の香りがくすぐった。

 

相変わらず、マリアの作るお菓子は暴力的なまでにいい匂いがする。お昼からずっと歩き回って空腹になっていたカタリナの胃袋が、きゅるると小さく鳴った。

 

カタ(……うん。三秒ルール的にも、まだセーフよね!)

 

我慢の限界を超えたカタリナは、つい、その土を払ったばかりのクッキーに手を伸ばし……パクリと口の中に頬張ってしまった。

 

カタ「……!! 美味しい……っ!!」

 

サクッとした食感の後に、じゅわっと広がる濃厚なバターの風味。

 

なんだ、このまろやかな口触り! そして、甘すぎもせず、かといって物足りなくもない、この絶妙な甘さ加減は!

それは、公爵令嬢としてこれまで食べてきた超高級な数々のお菓子の中でも、間違いなく上位に食い込むほどの凄まじい美味しさだった。

 

カタ(これ、美味しすぎるわ! 止まらない……っ!)

 

あまりの美味しさに完全に思考回路がショートし、お菓子に夢中になったカタリナ。

 

「あむあむ、サクサク、もぐもぐ……」と、ハムスターのように両頬を膨らませて食べ進め――気が付けば、バスケットに拾い集めたお菓子を、ただの一欠片も残さず全て完食してしまっていた。

 

カタ「……ふう、満腹満腹。美味しかったぁ……!」

 

カタリナが幸せそうに顔を上げ、ポンと自分のお腹を叩いた、その時。

 

背後にいたマリアが、絶望的なまでに驚愕した表情で、呆然とカタリナを見つめていることに気がついた。

 

カタ(……し、しまったぁぁぁーーっ!?)

 

カタリナの背筋に、氷のような冷や汗が流れた。

 

つい調子に乗って、マリアちゃんが頑張って作った手作りお菓子(しかも多分、これから出店で売るための商品の物!)を、一つ残らず全部食べてしまったのだ!

 

これはヤバい! 弁償とかそういうレベルじゃない!

 

カタ「あ、あのっ! つ、つい調子にのって全部食べちゃって……っ! ほ、本当にごめんなさい!!」

 

カタリナは大慌てで立ち上がり、勢いよくマリアに向かって九十度の角度で頭を下げた。

 

すると、マリアはハッと我に返り、どこかオドオドとした様子で手を振った。

 

マリ「あ、いえ! そ、それは構わないのですが……! あの、カタリナ様がお食べになったのは、地面に落ちてしまった物でしたので……お腹を壊してしまわないか、と……」

 

カタ(ああ、なるほど! 商品を食べたことじゃなくて、そっちを心配してくれてたのね。よかった~!)

 

マリアの天使のような優しさに安堵しつつ、カタリナは胸を張って答えた。

 

カタ「全然大丈夫よ! ほとんど汚れてなかったから問題ないわ!」

すぐに拾って食べたのだし、三秒ルール的にもセーフである!(※十秒以上は経っていたが、カタリナの辞書では問題ない)。

 

カタリナが自信満々にそう言って胸を張ると、マリアはなんだかちょっぴり困ったように、けれど安堵したようにふわりと笑った。

 

マリ「……そ、そうですか。お腹が痛くなったりしていないなら、よかったです」

 

それにしても――と、マリアは少し恥ずかしそうに目を伏せた。

 

マリ「ですが、それは私が自己流で作ったものでして……お味の方には、あまり自信がなくて……」

カタ「いやいやいや! 何を言っているの! 本当っっっに美味しかったわよ!!」

 

カタリナは思わずマリアの手を両手でガシッと握りしめ、身を乗り出した。

 

カタ「マリアちゃんは本当にお菓子作りが上手なのね! あのまろやかな口当たりに、あの絶妙な甘さ! もうそこら辺のプロの料理人さんに全く劣らない……ううん、それ以上の素晴らしい出来栄えだったわ!!」

 

熱弁を振るうカタリナの瞳は、嘘偽りのない称賛でキラキラと輝いていた。

 

その熱烈な感想を全身で浴びたマリアは――。

 

マリ「……ありがとうございます」

 

と、ほんのりと頬を桜色に染め、心底嬉しそうに、花が咲くように恥ずかしそうに笑ったのだった。

 

カタ(ああ……マリアちゃんの笑顔、やっぱり最高に可愛いわぁ……)

 

尊い百合空間(?)を満喫し、カタリナが幸せな気分に浸っていた、その時である。

 

メア「カタリナ様ッ!! 大変ですわ!!」

 

背後から、ジオルドを除く、メアリ、キース、アラン、ニコル、ソフィアたちが、尋常ではないほど血相を変えて、こちらへ向かって猛ダッシュで走ってきたのだ。

 

カタ「え……? みんな、どうしたの? そんなに慌てて……」

 

皆を代表して、息を切らしたキースが、青ざめた顔でカタリナの肩を掴んだ。

 

そして、彼から「その内容」を聞かされた瞬間――。

カタリナの目は、極限まで見開かれ、驚愕に凍りついたのだった!

 

ーーー

 

王家の紋章が設えられた、清潔でゆったりとした休憩用テントのベッド。 微かな風が天蓋を揺らす中、ジオルドはゆっくりと重い瞼を開けた。

 

ジオ「……ん……」

 

ぼんやりとする頭で上体を起こし、周囲を見渡す。 そこには、婚約者であるカタリナをはじめ、キース、メアリ、アラン、ニコル、ソフィアといったいつもの面々が顔を揃えていた。

 

ジオ(ああ……そうだ。僕はあの、おぞましい巨大な蛇を見て……)

 

記憶が蘇り、ジオルドは微かに身震いをした。だが、すぐに王族としての完璧な笑顔を取り繕おうとして――ふと、室内の異様な空気に気がついた。

 

テントの中にいる全員が、揃いも揃って信じられないほど顔を青ざめさせ、滝のように冷や汗を流していたのだ。しかも、彼らはジオルドと目を合わせようとせず、全員が何やら言いたげに口をもごもごと動かしている。

 

ジオ「えっと……一体……何が……?」

 

ジオルドが首を傾げると、カタリナの後ろでキースやアランたちが小声で押し付け合いを始めた。

 

ー休憩室ー

 

静かで仄暗い天幕の中、ふかふかの長椅子の上で、ジオルドはゆっくりと意識を浮上させた。

 

ジオ「……ん……」

 

重い瞼を開け、ゆっくりと身を起こす。どうやら自分は、あの巨大なガラス張りの展示場の前で気を失い、使用人たちの手によって仮設の休憩室へと運び込まれたらしかった。

ズキズキと痛むこめかみを押さえながら、ジオルドは周りを見渡した。

 

そこには、カタリナをはじめ、キース、メアリ、アラン、ニコル、ソフィア……いつものメンバーが勢揃いしていた。

しかし、彼らの様子がどうにもおかしい。

 

全員が全員、顔面を真っ青に蒼白させ、ひどく引きつった表情でジオルドを取り囲んでいるのだ。しかも、何事かを小声で押し付け合っている。

 

メア「……ですからアラ様から言ってください……っ」

アラ「俺から言えるわけねーだろ!勘弁してくれ!」

 

ただならぬ気配に、ジオルドは眉をひそめた。

 

ジオ「えっと……一体……何が……?」

 

ジオルドが声をかけると、全員がビクゥッ! と肩を揺らした。

 

誰が言うのか、という無言の譲り合いが数秒続いた後……冷や汗を滝のようにダラダラと流しながら、カタリナが意を決したように一歩前に進み出た。

 

カタ「じ……じつは……えっと……その……」

 

普段の能天気な彼女からは想像もつかないほど、言葉を濁し、視線を泳がせている。

 

ジオ「何があったのか教えてくれませんか?」

カタ「でも……これはジオルド様には、あまりにも……」

ジオ「カタリナ」

 

ジオルドは、まだ少し震える手でカタリナの手を優しく握り、いつもの完璧な――しかし今は少しだけ引きつった――王子様の微笑みを浮かべた。

 

ジオ「僕は貴女の婚約者です。君の力になりたいんです……。どうか、何が起きたのか教えてください」

 

それはカタリナの予想外な行動には何時も巻き込まれてるが故の余裕だった。

その言葉に、カタリナはギュッと目を瞑り、そして、思い切って事実を口にした。

 

カタ「……じつは……新しく展示されたティタノボアが……妊娠してまして」

 

ピタッ。

 

ジオルドの全身の時が止まった。

 

カタ「展示していたのはあのメス一頭だけでしたから、私たちも、飼育員たちも一同驚いております……。恐らくは、こちらのパークに保護されてくる前、野生の環境にいた頃に交尾を済ませていたようでして……(汗)」

ジオ「そ……そ……そうですか……それは……喜ばしいですね……」プルプル…

 

ジオルドは必死に笑顔を作った。

頬の筋肉が痙攣し、握りしめたカタリナの手が微かに小刻みに震えているが、それでも王族としての矜持が彼を保たせていた。

 

ジオ「きっと、可愛らしい卵が……」

そうだ、蛇は卵を産む。卵のうちはただの丸い物体だ。それならまだ、心の準備をする時間がある。

 

そう自分に言い聞かせるように呟いたジオルドに対し、カタリナは無情にも「史実に基づく古生物学の真実」を突きつけた。

 

カタ「いえ、ティタノボアを含むボア科の蛇は卵ではなく直接赤ちゃんを産む『卵胎生』なんです」

 

ピキッ。

 

ジオルドの笑顔の仮面に、決定的なヒビが入った。

 

カタ「現生のアナコンダなどの生態研究からも明らかですが、彼女たちは卵をお腹の中で孵化させてから、生きた状態の子供を産み落とします。……それで、つい先ほどなんですが」

 

カタリナの顔が、さらに青ざめていく。

 

カタ「全長約二メートル程の赤ちゃんが、一気にドバーッと数十匹産まれまして……。そもそも全長10メートルを超えたティタノボアのメスは、まさに『出産適齢期のピークを迎えた、最強のベテラン母親』なんです。現生のアナコンダでも一度に数十匹産むのですから、あの巨体のティタノボアなら……なので、このままいけば……

 

最終的に百匹近くに……」

 

百匹。

 

自分よりもはるかに大きい「約2メートルの大蛇」が。

 

一気にドバーッと、百匹。

 

ジオ「」

 

ジオルドは、もうそこにはいなかった。

 

比喩ではない。瞬きをした次の瞬間には、彼の姿は長椅子から完全に消失していた。

 

あまりの恐怖に脳の処理能力が限界を突破し、まるで高度な空間転移魔法(テレポート)でも使ったかのように錯覚するほど、一瞬にして天幕から姿を消したのである。

 

ーーー

 

ジオルドは走っていた。

 

ただひたすらに、己の精神を崩壊させる「信じたくない情報」から逃げていた。

 

ジオ(2メートルの蛇が百匹……! 2メートルの蛇が百匹……!!)

 

自分でも信じられないほどに、その脚は速かった。

 

風を切り裂き、追い越し、彼の蹴り上げた地面からは猛烈な土煙が上がり、一本の軌跡を描いていた。

 

王子としての品格? そんなものはとうの昔に彼方の空へ投げ捨てた。

 

王族のプライド? 今の彼には一文の価値もない。

 

悲鳴を上げることすら忘れ、声帯を震わせるエネルギーのすべてを大腿四頭筋とふくらはぎの筋肉に注ぎ込み、ただ「蛇のいない安全な場所」へと逃げることだけに全力を注いでいた。

 

腕の振りは空気抵抗を最小限に抑え、足の運びは無駄がなく、上体はブレることなく一直線に前方を見据えている。極限の恐怖が、彼の中に眠っていた人類の「逃走本能」を芸術的なレベルにまで引き上げていた。

 

後日、このパークを訪れていたとある貴族は、当時の状況をこう語ることになる。 

 

「殿下の走っておられる時のあの姿は……それは……それはもう、彫刻のように見事なフォームであった」と……。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。