乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜 作:龍座
太陽が西の空へと傾き、赤銅色の夕焼けがプレヒストリック・パークの広大な森を照らし出す頃。
大盛況のうちに幕を閉じた見学会の熱気も静まり、来園者たちは皆、満足げな顔で帰途についていた。
パークの中央に位置する管理棟の大きな会議室では、カタリナをはじめとする運営メンバーが集まり、本日の反省会が開かれていた。
しかし、その大きな円卓に、いつもカタリナの隣を陣取っているはずの金髪碧眼の第三王子の姿はない。代わりに、本日は裏方に徹して見学会の治安維持や貴族たちの対応に当たっていた、第一王子ジェフリーと第二王子イアンが席に着いていた。
会議室に響き渡ったのは、ジェフリーの楽しげで、どこか恍惚とした笑い声だった。
ジェフ「いやあ、それにしても見事な走りだったねぇ! あのジオルドが、王族の作法も何もかも放り出して、土煙を上げて逃げ去っていくなんて。兄として、あんなに可愛らしくて必死な弟の姿が見られて大満足だよ!」
ジェフリーは両手で頬を包み込み、まるで初めてのお使いをやり遂げた弟を褒め称えるような、とろけるような笑顔を浮かべて身悶えしている。彼にとって、普段は隙がなく完璧すぎるジオルドが取り乱す姿は、極上のエンターテインメントであり、兄弟愛をくすぐるご褒美のようなものだった。
しかし、その隣に座る生真面目な第二王子イアンは、眉間を深く揉みほぐしながら深く、重い溜息を吐いた。
イア「ジェフリー兄上、不謹慎です。しかし……大勢の来賓がいる前で、王族としての威厳も品格も投げ捨てて逃亡するなど。まあ、彼が蛇に対して尋常ではない恐怖心を抱いていることは幼い頃から知っていましたが、まさかあれほどとは」
厳格なイアンにとって、王族が民衆の前で泡を吹き、土煙を上げて全速力で逃走するなど前代未聞の不祥事である。とはいえ、彼自身もジオルドのあの常軌を逸した「見事な疾走フォーム」を目の当たりにしてしまったため、酷く叱責する気にもなれず、ただ呆れ果てている様子だった。
円卓の向かい側では、ジオルドの双子の弟であるアランが、腕を組んだまま遠い目をして呟いた。
アラ「俺も、あいつのあんな顔は初めて見たぜ……」
双子として同じ時間を長く過ごしてきたアランにとっても、あの兄の姿はあまりにも衝撃的すぎたらしい。
カタ「本当に申し訳ありません……! 私の説明のせいで……っ!」
会議室の端で、カタリナは農作業着のまま、両手を膝について深く深く頭を下げていた。
まさか「二メートルもするティタノボアの赤ちゃんが百匹産まれる」という事実があれほどまでに婚約者の精神を粉砕し、音速の逃亡劇を引き起こすとは思わなかったのだ。
自分の配慮が足りなかったと、カタリナは猛烈に反省していた。
そんな彼女を庇うように、隣に座るメアリがすかさずカタリナの手を両手で優しく包み込んだ。
メア「カタリナ様は何も悪くありませんわ! 古生物の正しい知識を伝える素晴らしい解説でしたもの。悪いのは、あのような素晴らしい生命の誕生に対して、王族の務めも忘れて逃げ出した殿下の方ですわ!」
メアリは聖母のような慈愛に満ちた表情でカタリナを慰めながら、内心では黒い炎を燃え上がらせてガッツポーズを決めていた。
メア(寧ろティタノボアのお母さん、ナイスですわ! よくぞあのタイミングで産気づいてくれました! あの忌々しい王子には、二度とこのパークに近づけないほどのトラウマを植え付けてやればいいんですのよ!)
腹黒い歓喜に満ちたメアリの内心など露知らず、カタリナは「メアリは本当に優しいわ……」と涙ぐんでいる。
キースはそんな令嬢たちのやり取りを見ながら、胃の辺りを押さえてひっそりと息をついた。
さて、ジオルドの逃亡劇という前代未聞のハプニングはあったものの、見学会そのものは大成功と言ってよかった。
貴族たちは魔法省の最新技術と保護事業の規模に感銘を受け、平民たちは身分を気にせずに命の神秘に触れられる素晴らしい体験を喜んでくれた。問題視していた階級の壁についても、今後の運営方針で少しずつ改善していく糸口は見えた。
本来ならば、この反省会は今後の宣伝方針や人員配置について前向きに話し合う場になるはずだった。
――しかし、カタリナたちの顔は一様に暗く、会議室には重苦しい空気が漂っている。
なぜなら、彼らには今後の運営方針を語る前に、今すぐ、絶対に解決しなければならない『物理的かつ巨大な問題』が立ちはだかっていたからだ。
それは、ジオルドを絶望の淵へと叩き落とした元凶。
ティタノボアの展示場の奥、隔離用のバックヤードでうねりを上げている、『約100匹のティタノボアの赤ちゃん』の存在である。
イア「……さて、ジオルドの件は一旦置いておくとして。問題は、あのガラスの向こう側で増殖した『巨大な赤ん坊』たちです」
イアンが組んでいた手を解き、鋭い視線で卓上を見据えた。
カタ「は、はい……。飼育員からの急報によりますと、やはりあのメスのティタノボアは出産適齢期のピークを迎えており、次々と産み落とされた子供の数は、最終的にきっちり100匹近くに達したとのことです……」
全員の背筋に、冷たい汗が流れた。
赤ちゃん、と呼べば聞こえはいい。しかし、ティタノボアの「赤ちゃん」は、生まれたての時点で既に全長約1.8メートルから2.1メートルにも達しているのだ。現代の基準で言えば、立派な大蛇、あるいは頂点捕食者クラスのサイズである。
それが、100匹。
キースが青ざめた顔で、手元の羊皮紙に書かれた報告書を読み上げた。
キー「現在の展示場は、あくまで『大人のティタノボア一頭』を飼育するための広さと、魔法具による温度管理システムしか備わっていません。2メートルの大蛇が100匹もひしめき合えば、あっという間に過密状態になり、彼ら自身に多大なストレスがかかります」
アラ「それに、餌はどうすんだよ!? 2メートルの蛇100匹が毎日食う『巨大な魚』や『肉』なんて、今の仕入れルートじゃ絶対に足りねぇぞ! 成長期なら尚更だろ!」
アランの指摘に、全員が沈痛な面持ちで頷く。
さらに、彼女たちは気温30度以上の高温多湿な環境でなければ生きていけない変温動物だ。100匹の巨大な蛇を別々の場所に移すにしても、そのすべてを温めるための莫大な「火属性の魔石」や「水属性の魔石(湿度管理用)」のランニングコストは計り知れない。
カタリナが保護事業を立ち上げた以上、彼らを見捨てるという選択肢は当然ない。しかし、このままではパークの資金や飼育環境がパンクするのは火を見るより明らかだった。
どうする、100匹の巨大蛇。
彼らをどこで飼育し、どうやって養っていくのか。
会議室に集まった一同は、この前代未聞の「ベビーブーム」という名の巨大な試練を前に、全員で頭を抱え込むことになったのである。
その時、コンコン、と控えめなノックの音が響き、重厚な木製の扉がゆっくりと開かれた。
「失礼いたします。……おや、皆様お揃いで、随分と深刻なお顔をされていますね」
そこへ姿を現したのは、先ほどまで別室で来賓の貴族たちの見送りや挨拶回りに追われていたルイジとその妻ミリディアナ。そして、カタリナの専属メイドであり、彼女の着替えなどを取りに一旦席を外していたアンの三人だった。
カタ「お、お母様! お父様!」
カタリナはビクゥッ! と肩を揺らし、慌てて背筋を伸ばした。
今、自分が着ているのは泥だらけの農作業着だ。公爵夫人である母ミリディアナに見つかれば、「なんですかそのはしたない格好は!」と雷が落ちるに決まっている。カタリナは冷や汗を流しながら、そろそろと目を逸らした。
ミリ「……カタリナ」
カタ「ひぃっ、はい! 申し訳ありません、これはその、古生物の解説をするための正装(?)と言いますか……!」
言い訳を並べるカタリナに対し、ミリディアナは扇子をパチンと閉じ、小さくため息を吐いた。
ミリ「……本日は大成功だったそうですね。貴族も平民も、皆が貴女の解説に感銘を受けたと、素晴らしい笑顔でお帰りになられましたよ。あの荒々しい獣たちの魅力を伝えるためであれば、その泥汚れも、今日は『名誉の勲章』として目を瞑ってあげます」
カタ「お、お母様……!」
いつものお説教ではなく、まさかの労いの言葉。
カタリナが感動で目を潤ませていると、すかさずアンが小走りで駆け寄り、温かいおしぼりと新しい紅茶をテーブルに置いた。
アン「お疲れ様でございました、お嬢様。ささ、お顔に土がついておりますよ。ジオルド殿下のことなどで……色々と心労がおありでしょうから、温かいお茶で一息ついてくださいませ」
カタ「ありがとう、アン……。やっぱりアンがいれてくれたお茶が一番落ち着くわぁ」
アンの甲斐甲斐しい世話に、カタリナはホッと息をつき、農作業着の泥を軽く払ってもらった。
そんな娘の様子を微笑ましく見守っていたルイジが、円卓の異様な空気に気づいて首を傾げた。
ルイジ「して、ジェフリー殿下、イアン殿下。先ほどから皆様、頭を抱えておられるようですが……見学会も無事に終わったというのに、何か新たな問題でも起きたのでしょうか?」
ルイジの問いかけに、ジェフリーが苦笑しながら「実はね……」と、ティタノボアのメスが約2メートルの巨大な赤ちゃんを『100匹』も産み落としてしまったこと、そしてその飼育スペースと膨大な餌、温度管理の資金問題について説明した。
話を聞き終えたルイジとミリディアナは、驚きのあまり数秒間言葉を失っていた。
ミリ「ひゃ、百匹……!? あの恐ろしい大蛇が……?」
ルイジ「なるほど。それは確かに、このパークの敷地と現在の予算だけでは、すぐに行き詰まってしまいますね。王家の予算をさらに回すにしても、手続きには時間がかかりますし……」
顎に手を当てて考え込むルイジ。
その時、アンがふと何かを思い出したようにポンと手を打った。
アン「餌の問題でしたら……クラエス領の南にある大きな湖の漁師たちが、最近『外来の安い雑魚が大量に繁殖して困っている』と愚痴をこぼしていたのを思い出しました。売り物にならないため、網にかかっても捨てるしかないのだとか……」
そのアンの何気ない一言を聞いた瞬間。
カタリナの脳内に、前世の記憶と今世での経験がバチバチッと音を立てて結びつき、ピコーン! と素晴らしい閃きが舞い降りた。
カタ「それよ!!」
カタリナが勢いよく立ち上がったため、椅子がガタッと音を立てた。全員の視線が彼女に集まる。
カタ「第一の案を発表します! 名付けて、『クラエス領地の活用と、土魔法によるエコシステム構築案』よ!!」
全員がポカンとする中、カタリナは身振り手振りを交えて熱弁を振るい始めた。
カタ「まずは場所と温度管理の問題! ティタノボアは高温多湿な環境が必要です。それなら、王家の予算で高価な魔法具を買い足すのではなく、私たちクラエス家の力を使うのよ! お父様、領地の南にある湖の近くに、日当たりが良くて使っていない荒地がありましたよね?」
ルイジ「あ、ああ。あるが……」
カタ「そこに、私とキースの『土魔法』を使って、巨大な半地下の洞窟を作ります! 土の壁は熱を逃がさない最高の断熱材になるわ。キースの作った土のゴーレムたちに穴を掘らせて、私が土を固めれば、数日で立派な『地下温室』が完成するはずよ!」
カタリナのトンデモ発言に、キースが「ええっ!? また僕が土木作業を!?」と悲鳴を上げたが、カタリナは止まらない。
カタ「そして餌の問題! アンが言った通り、漁師さんたちが捨てている『繁殖しすぎた雑魚』を、クラエス家が安く、大量に買い取るの! それをティタノボアの赤ちゃんたちのご飯にするわ!」
これには、領地経営に明るいルイジとイアンがハッと目を輝かせた。
イア「なるほど……。不要な魚を買い取ることで、領民である漁師たちの生活は潤い、生態系を乱す雑魚の駆除にもなる。そしてパーク側は、格安で大量の餌を確保できるというわけですか」
ルイジ「クラエス家としても、領民の不満を解消できる素晴らしい一手だ。土地の提供と魚の買い上げ程度なら、我が公爵家の権限で今すぐにでも手配できる」
カタ「その通りですわ! 温室の湿度管理は、湖の水を水魔法で引き込めば解決! そして、赤ちゃんたちが成長して数が減ってきたら(自然界の摂理として)、またパークの展示場に少しずつ戻していけばいいのよ!」
カタリナは腰に手を当て、フンスと鼻息を荒くして胸を張った。
カタリナの「土魔法(畑仕事で培った土木知識)」と「キースの魔力(過労枠)」、そして「クラエス公爵家の領地経営」と「アンの実用的な庶民の知恵」。
まさに、はめふらの世界観とクラエス家の強みをフル活用した、完璧で理にかなった『第一の案』であった。
カタ「ふふっ、どうかしら! これでティタノボアの赤ちゃん問題は解決ね!」
カタリナの提案した『クラエス領地の活用と、土魔法によるエコシステム構築案』。
身内であるキースの過労を前提としている点を除けば、迅速かつ実用的な素晴らしいアイデアに思えた。クラエス公爵夫妻も深く頷き、その場で決まりかけた――その時である。
イア「カタリナ嬢。貴女の迅速な決断力と、領地の問題を組み合わせた柔軟な発想には感服します。……しかし、その第一の案には、看過できない『重大な懸念点』が存在します」
冷静沈着な第二王子、イアン・スティアートの鋭い声が会議室に響いた。
カタ「け、懸念点、ですか……?」
カタリナが小首を傾げると、イアンは手元の資料をトントンと指先で叩いた。
イア「ええ。まず一つ目は『成長速度と食糧の枯渇』です。今は2メートルの蛇でも、彼らは脱皮を繰り返し、数年で5メートル、いずれは10メートル級の巨大な捕食者へと成長します。最初は湖の雑魚で賄えたとしても、100匹の巨体が要求するカロリーは天文学的な数字になる。数年後にはクラエス領の湖の魚を根こそぎ食い尽くし……最悪の場合、飢えた大蛇たちが領民の家畜や、人にまで危害を加える恐れがあります」
「「「あっ……!!」」」
カタリナだけでなく、ルイジやミリディアナまでもがハッと息を呑んだ。
確かに、今は「赤ちゃん」でも、いずれはジオルドを卒倒させたあの超巨大サイズになるのだ。100匹のティタノボアが領地で飢えれば、それはもはや災害である。
イア「そして二つ目は『莫大な維持費』です。土魔法で作った地下室の断熱性がいくら優れていても、ソルシエ王国の厳しい冬を越すためには、結局のところ大量の『火の魔石』で空気を温め続ける必要があります。100匹の大蛇が住む広大な空間を常に30度以上に保つための魔石代……いかにクラエス公爵家といえど、数年で財政が傾くレベルの出費になるはずです」
ルイジ「むうぅ……確かに。魔石の消耗を計算に入れていなかった。我が家の財政を蛇に食い潰されるわけにはいかないな……」
父親であるルイジが腕を組んで唸り、カタリナは「お父様ごめんなさい、私そこまで考えてなかったわ……!」と冷や汗を流して項垂れた。
ジェフ「ふふっ、カタリナ嬢の案は緊急避難としては最高だけれど、長期的な飼育計画としては少し危険が伴うね。そこで、イアン。君が温めている『第二の案』を皆に聞かせてあげてくれないか?」
第一王子のジェフリーが楽しげに促すと、イアンは静かに立ち上がり、円卓の中央にソルシエ王国の全体地図を広げた。
イア「では、私から第二の案を提案させていただきます。名付けて、『王家直轄・地熱地帯を利用した完全隔離サンクチュアリ(聖域)計画』です」
カタ「地熱地帯……?」
イア「はい。王都から南西へ馬車で三日ほどの場所に、王家が管理している『カルデラ盆地』があります。そこは活発な地熱活動により、真冬でも凍ることのない巨大な温水湖と、常に蒸気が噴き出す天然の温泉地帯が広がっています」
イアンが地図の一点を指差した。
イア「ここならば、火の魔石を一切使うことなく、一年中ティタノボアが好む『高温多湿な環境』を無料で維持できます。さらに、すり鉢状の険しい岩山に囲まれているため、大蛇が外部へ逃げ出す心配もありません」
「おおっ!」と、アランやキースから感嘆の声が上がる。
魔石代ゼロ、かつ天然の巨大ケージ。これほど完璧な場所はない。
カタ「す、すごいですわイアン殿下! でも……一番の問題である『100匹分の大量のご飯』はどうするんですか? 温水湖に元からいるお魚だけじゃ、すぐに食べ尽くしちゃいますよね?」
カタリナの真っ当な疑問に対し、今度はイアンの隣から、優雅な足取りで一人の令嬢が進み出た。
カタリナをこよなく愛する親友であり、水魔法と植物栽培のエキスパートであるメアリ・ハントだ。
メア「その問題は、私とハント家が解決いたしますわ、カタリナ様」
カタ「メアリ?」
メアリは自信に満ちた、しかしいつもより少しだけ凛々しい笑みを浮かべた。
メア「イアン殿下からこのお話を事前に伺い、少し計算をしてみましたの。温水湖の環境であれば、私の『水魔法』と植物の知識を応用することで、非常に成長が早く栄養価の高い『水生シダ植物』や『藻類』を爆発的に繁殖させることが可能ですわ」
メアリは扇子を広げ、カタリナに向けて分かりやすく解説を続ける。
メア「そして、その増殖した水草を餌とする、繁殖力の高い大型の淡水魚……そうですね、南方の巨大魚などを人為的に放流するのです。一年中暖かい環境と豊富な水草があれば、魚たちは凄まじい勢いで増え続けます。つまり……ティタノボアが食べる以上に増え続ける無限の餌場を、温水湖の中に意図的に作り上げるのですわ!」
カタ(メアリ……なんて賢いの……! 天才よ!!)
イア「メアリ嬢の言う通りです。王家の土地と、ハント家の農業・水産ノウハウ、そして特務保護部隊の監視網。これらを組み合わせることで、ティタノボアの群れを自然に近い形で、かつ安全に養う完全な聖域が完成します」
イアンの理路整然とした説明と、メアリの完璧なサポート体制に、会議室の空気は一気に希望へと塗り替えられた。
ジェフ「成長して立派な大人になった個体から、少しずつこのパークの展示場へ移送してくればいい。これなら、パークの財政を圧迫することなく、ゆっくりと時間をかけて彼らの成長を見守ることができるね!」
カタ「す、素晴らしいですわ! 第二の案、完璧じゃありませんか!!」
カタリナが身を乗り出して拍手喝采を送ると、アランもキースも大きく頷き、ルイジとミリディアナも「流石は王家のお考えだ」と感服の息を漏らした。
イア「ただ、この計画を実行に移すには、大量の植物の種や大型魚の運搬、現地の環境整備など、大規模な人員と資材の移動が必要になります。特務保護部隊だけでは手が足りないかもしれない……」
メア「でしたら、ハント家の私兵と専門家たちも動員いたしますわ。カタリナ様の尊い理念を守るためですもの、出費など惜しくありません
(それに……あの忌々しい大蛇たちを遠くの盆地に隔離してしまえば、ジオルド様が二度と近づけない「絶対不可侵領域」が完成しますわ。カタリナ様があの盆地に視察に行かれる際、ジオルド殿下は絶対にお供できませんものね……! ふふふふっ!)」
メアリが完璧な淑女の笑顔の下で、再びドス黒い歓喜の計略を巡らせていることなど、カタリナは微塵も気がついていない。
カタ「よし! それじゃあ、ティタノボアの赤ちゃん問題は、イアン殿下とメアリの『第二の案』で進めることに決定ね! 皆様、本当にありがとうございます!」
こうして、ジオルドを恐怖のどん底に叩き落とした100匹の巨大赤ちゃん蛇の処遇は、王国を挙げた壮大な「サンクチュアリ計画」として動き出すこととなったのである。
ーーー
イアンとメアリが提示した『王家直轄・地熱地帯を利用した完全隔離サンクチュアリ計画』。
完璧に思えたその第二の案に、会議室の空気が希望に満ちたものへと変わる中、ふとメアリが小首を傾げてカタリナに尋ねた。
メア「でも、一つ気になりますわ。あのティタノボアという巨大な蛇は、一度に百匹近くもの子供を産むのですよね? ということは、彼女たちが生きていた元の時代では、あのような十メートルを超える大蛇が文字通りうじゃうじゃと沢山いたのでしょうか?」
もしそんな世界があったのだとしたら、想像するだけで身の毛がよだつ。ジオルドであれば聞いた瞬間に泡を吹いて三日三晩寝込むレベルの地獄絵図である。
しかし、その疑問に対してカタリナはゆっくりと首を横に振った。
カタ「いえ、そんなことはないわ。確かに一度に産む数は多いけれど、それはあくまで『たくさん産まないと種が存続できないから』なのよ。生まれたばかりの二メートル程度の子供は、あの時代の自然界ではまだまだ弱者だったの。沼地に潜むさらに巨大なワニや、逆に大型の肉食魚等に大半が食べられてしまっていたから、無事にあの十メートル超えの巨大な大人になれたのは、百匹のうち精々一〜二匹位よ」
カタリナの口から語られた「古生物学の真実」にして、「自然界の厳しい摂理」。
現代の感覚からすれば「二メートルの大蛇」は十分に恐ろしい捕食者だが、太古の地球――ティタノボアが生態系の頂点に君臨していた古第三紀の南米の密林においては、幼体など巨大なワニ(アケロンテスクスなどのディロサウルス類)や巨大亀、大型魚類にとっては格好の餌にすぎなかったのだ。
頂点捕食者になるためには、その過酷な生存競争を勝ち抜かなければならない。だからこその「多産」なのだと。
イア「……なるほど。自然というのは、実にシビアで残酷なものですね」
イアンが嘆息するように呟いた、その時だった。
円卓の端で、ずっと黙って腕を組んでいた第四王子アランが、ふと顔を上げて口を開いた。
アラ「なあ、カタリナ。一つ聞きたいんだけど……イアン兄上たちのその計画にも、お前が前によく言っていた『セイタイケイ』? ってやつを入れるのか?」
唐突なアランの問いかけに、カタリナはパチクリと瞬きをした。
カタ「『生態系』……ですか? ええと、メアリが言っていた通り、温水湖に水草を植えて、それを食べる魚を放して、その魚をティタノボアの赤ちゃんが食べる、という食物連鎖のピラミッドは作りますけれど……」
アラ「いや、そうじゃねぇよ。餌の魚を増やすだけなら、結局その百匹の赤ちゃんは『天敵がいない安全な環境』で育つことになるだろ?」
アランは真剣な眼差しで、テーブルに広げられた地図の「カルデラ盆地」を指差した。
アラ「さっきお前、『野生の環境なら大人になれるのは精々一、二匹』って言ったよな。もし、イアン兄上の言う安全な隔離施設で百匹全部が十メートルのバカデカい蛇に育っちまったら、いくら広い湖でも結局パンクするんじゃねぇのか?」
「「「あっ……!!」」」
アランの鋭すぎる指摘に、カタリナはもちろん、メアリ、そしてキースまでもが雷に打たれたように固まった。
そうだ。天敵がいない安全な環境で、潤沢な餌を与え続ければ……自然淘汰は起きず、百匹の赤ちゃんがそのまま百匹の「超巨大蛇」へと成長してしまう! 結局、数年後にはキャパシティオーバーで破綻する未来が待っているのだ。
アラ「お前がやろうとしてる『保護』ってのは、ただ過保護に安全な箱庭で飼い殺しにすることじゃねぇだろ。今の時代の環境じゃ生きていけないから隔離するってのは分かる。だったら、そこの隔離施設に『当時の天敵』に代わる存在……つまり、自然淘汰の『セイタイケイ』を取り入れて、バランスを保てるようにしても問題ないんじゃないか?」
アランの言葉は、会議室に静かだが重い波紋を広げた。
それは、芸術家肌であり、感覚的に物事の「調和(ハーモニー)」を理解するアランだからこそ辿り着いた、真理を突く発想だった。
命を保護する事業において、「あえて捕食される(死ぬ)危険性を取り入れる」というのは、一見すると矛盾しているように思える。残酷に聞こえるかもしれない。
しかし、野生動物を――それも古生物という地球の歴史の一部であった強大な生命を保護するということは、彼らを愛玩動物のように甘やかすことではない。彼らが本来生きていた『命のサイクル』そのものを尊重し、再現することこそが、真の保護なのだ。
キースが震える手で眼鏡を押し上げ、アランを驚愕の目で見つめた。
キー「アラン殿下……それはつまり、サンクチュアリの中に、ティタノボアの子供の『天敵』となり得る大型のワニや、肉食の猛禽類、あるいは巨大な肉食魚などの別の魔獣も意図的に放つ、ということですか?」
アラ「ああ。カタリナが言った通り、百匹のうち生き残れるのが一、二匹ってのが『本来の自然の姿』なんだろ? だったら、その厳しい環境ごと再現してやるのが、あいつらにとっての一番の『保護』なんじゃねぇかと思ってな。……それに、淘汰されて数が減ってくれれば、将来的にパークへの移送や管理も現実的になるだろ」
アランが少しだけバツが悪そうに頭を掻きながらそう締めくくると、会議室は水を打ったような静寂に包まれた。
数秒後。
ルイジ「――皆の者、少々熱くなりすぎているようだな。少し頭を冷やしなさい」
深く、よく通る低い声が会議室に響き渡った。 声の主は、クラエス公爵ルイジである。彼はゆっくりと立ち上がると、卓上の地図を見つめて興奮気味だった若者たちへ向けて、静かに、しかし威厳に満ちた視線を向けた。
その隣では、妻のミリディアナがパチンと扇子を開き、ふうと静かなため息をこぼしている。
ミリ「まったく……若いあなたたちが理想や生命のロマンを語るのは素晴らしいことですが、現実の『管理』というものを少々甘く見すぎていますわ」
ルイジとミリディアナ。 長年、広大なクラエス領を治め、数々の領地問題や政治的判断を下してきた「本物の為政者」たる大人二人の落ち着き払った空気に、カタリナたちはハッとして居住まいを正した。
ルイジはアランに向けて、まずはその着眼点を褒めるように頷いた。
ルイジ「アラン殿下。自然界の本来の姿を尊重し、生態系のバランスを考えるという貴方の視点は、生き物を理解する上で非常に重要であり、素晴らしい着眼点です。……しかし、それを『我々人間の管理下にある隔離施設(サンクチュアリ)』で実行することは、現実的ではありません」
アラ「……現実的じゃない、ですか?」
アランが聞き返すと、ルイジは卓上のカルデラ盆地の地図を指で丸く囲った。
ルイジ「ええ。どれほど巨大なカルデラ盆地であろうと、そこは結局のところ『閉鎖された限られた空間』です。果てしなく広がる大自然とは違います。そこに天敵を意図的に放てば、逃げ場のないティタノボアの幼体は適度に淘汰されるどころか、あっという間に食い尽くされて全滅するか……あるいは、生き残った個体が成長して天敵を根こそぎ食い尽くし、結局は生態系が崩壊するかのどちらかです」
ミリディアナがそれに続けて、扇子でトントンと机を叩く。
ミリ「私たちは莫大な予算と人員を割いて、彼らを『保護』しようとしているのですよ? 危険な野生から命を救い出す事業において、意図的に『他の動物の生きた餌にする』ために天敵を放つなど、本末転倒もいいところです。動物を愛護する倫理の観点からも、決して容認されるものではありません」
二人は若さゆえの熱走を大人の冷静な知見がしっかりと受け止め、軌道修正をしてくれたのだ。
ジェフ「なるほど……。いやはや、さすがはクラエス公爵ご夫妻だ。では、ルイジ殿。この100匹の巨大な赤ん坊たちを、現実的にどう管理していくべきだとお考えで?」
第一王子ジェフリーが真剣な表情で問うと、ルイジは力強く頷き、具体的な『現実的解決策』を提示した。
ルイジ「まず最優先で行うべき第一段階は、『ただちに雌雄を分けること』です。そして、今後の無計画な繁殖を完全に防ぐ体制を構築します」
キー「雌雄の分離……。なるほど、今のうちにオスとメスを別々の環境に隔離してしまえば、これ以上ネズミ算式ならぬ蛇算式に増える事態は絶対に防げますね」
キースが手元の資料に素早くメモを取り始める。
ルイジ「その通り。そして、100匹という数は、一つのパークや一つの領地で抱え込むにはリスクが高すぎます。そこで第二段階として、『魔法省や他の研究施設、あるいは王家の管理する他施設と連携し、個体を分散させること』を提案します」
イア「分散、ですか」
ルイジ「はい。ティタノボアというこれほど巨大で貴重な古代の生命体は、魔法省の生態学者たちにとっても喉から手が出るほど欲しい『生きた研究対象』のはずです。彼らの生態、脱皮の周期、魔力への反応など、研究価値は計り知れない」
ルイジの言葉に、マリアやキースを始めとする魔法省関係者と繋がりの深い面々が「確かに!」と納得の声を上げた。
ルイジ「パークに残すのは、現在の展示場と新しい拡張施設で無理なく飼育できる、オスとメスを分けた数匹のみ。残りの個体は、魔法省の厳重な地下研究施設や、王家が管理する遠方の国立保護区などに、しかるべき『譲渡契約』を結んだ上で移送します。そうして各地で分散飼育を行えば、餌代や温度管理の魔石代といった莫大なコストも、国家全体の研究予算として各機関で分担することができます」
ミリ「それに、万が一パークで未知の病気などが流行した場合でも、別の施設に個体が分かれていれば、種全体が全滅するリスクを回避できますわ。保護活動において、リスクの分散は鉄則です」
大人たちの導き出した結論は、あまりにも見事で、現実的で、隙がなかった。 突飛な魔法や無理な土木工事、倫理的に危うい生態系の実験に頼ることなく、国家の機関と連携し、予算を分担し、確実に命を守りながら研究にも役立てる。これこそが、真の「運営」であり「保護活動」だった。
カタリナは顔を上げ、尊敬の眼差しで両親を見つめた。
カタ「お父様、お母様……素晴らしいです! それなら、可愛い赤ちゃんたちを危険な目に遭わせることもなく、パークの破産も防げて、しかも国の研究にも貢献できますわ!」
メア「ええ、本当に。私としたことが、ついカタリナ様の理想を叶えることばかりを優先して、現実的な管理の視点が欠けておりました。ハント家からも、魔法省との連携や輸送について全力で支援させていただきますわ」
メアリも淑女の礼をとりながら深く同意する。
イア「ルイジ公爵、見事なご手腕です。私からも魔法省へ強く働きかけ、予算の確保と受け入れ態勢の構築を急がせましょう。ジェフリー兄上、よろしいですね?」
ジェフ「もちろんさ。可愛い弟のため……いや、国の未来の古生物研究のためにも、王家として全面的にバックアップしようじゃないか」
方針が決まったことで、会議室に漂っていた重苦しい空気は完全に払拭され、それぞれの役割に向けての建設的な話し合いが始まった。 キースも「これで僕が過労で倒れる未来は回避された……」と、心底安堵したように深く息を吐いている。
こうして、ジオルドを絶望の淵へ追い込んだ『100匹の巨大蛇ベビーブーム事件』は、大人たちの冷静な判断と各機関の連携によって、極めて現実的かつ安全な形で収束へ向かうこととなった。
こうして最大の懸案事項が解決し、会議室全体がホッと安堵の空気に包まれた、その時だった。
キー「……ところで、皆様」
ずっと手元の書類で移送の計算をしていたキースが、ふと顔を上げて辺りを見回した。
キー「肝心の、ジオルド殿下の姿がまだ見えないのですが……。あの方、一体どこまで走って行かれたのでしょうか。いくらなんでも、そろそろお戻りになられても良い頃合いかと」
キースの言葉に、カタリナは「あっ!」と頓狂な声を上げた。
カタ「そ、そうだったわ! ジオルド様、ものすごいスピードで飛んでいってしまわれたままだった! きっとまだパークのどこかで震えていらっしゃるかもしれないわ。私、探しに行ってこないと……!」
ジェフ「可愛い弟なら自室で厳重に扉を閉めて毛布のなかにこもってブルブルと震えてるよああいう弟も中々…」
イア「黙ってください兄上。一生」
それを知ったカタリナは婚約者として、そして事の発端(臨場感溢れすぎる古生物解説)を作ってしまった張本人として、カタリナが慌てて席を立とうとした瞬間。
スッ、と。
隣から伸びてきたしなやかな手が、カタリナの腕を優しく、しかし有無を言わせぬ力強さで引き止めた。
メア「お待ちになって、カタリナ様」
カタ「メ、メアリ?」
振り返ると、そこには聖母のように慈愛に満ちた、非の打ち所のない完璧な淑女の微笑みを浮かべるメアリ・ハントの姿があった。
メアリはカタリナの手を両手で包み込み、まるでひどく傷ついた小鳥を労わるような、優しく切なげな声で語りかける。
メア「ジオルド殿下のことなら、ご心配には及びませんわ。あの方は王族としての誇り高い御方。ご自身のあのようなお姿を皆様に見せてしまったこと、きっと今頃深く深く恥じておられるはずです。……何れご気分が回復して、ひょっこりと戻ってこられますよ」
カタ「で、でも……心配だし……」
メア「それに、ですわ」
メアリは少しだけ声を潜め、いかにもジオルドの心情を深く思いやっているという風を装いながら言葉を続けた。
メア「今のジオルド殿下にこれ以上蛇のことをお話しするのは、あまりにも酷というものです。
今回のサンクチュアリ計画も、蛇に関わる重大な決定。今のお労しい状態の殿下のお耳に入れば、また白目を剥いて卒倒されてしまうかもしれませんわ。……ですから、殿下のお心が完全に癒えるまでは、今回の件は『あえて言わない』でおくのが、殿下への何よりの思いやりではないでしょうか?」
その言葉に、イアンが「……確かに。あの取り乱し方は尋常ではなかった。今は蛇の『へ』の字も聞きたくないだろうな」と深く同意し、ジェフリーも「可愛い弟のトラウマをえぐるのは可哀想だからねぇ。ウンウン」と激しく頷いた。
カタ「なるほど……。メアリの言う通りね。私が下手に探しに行って、また赤ちゃん蛇の今後の話なんかしてしまったら、今度こそジオルド様に止めを刺してしまうかもしれないわ……!」
カタリナはすっかりメアリの言葉を信じ込み、深く反省したようにウンウンと頷いた。
メア「ええ、そうですわ。ですからカタリナ様は、ジオルド殿下のことは気になさらず、今はパークの運営とサンクチュアリ計画に専念してくださいませ。殿下のケアは、イアン殿下やジェフリー殿下にお任せすればよろしいのですわ」
カタ「分かったわ、メアリ。いつも的確なアドバイスをありがとう!」
純真無垢な笑顔で感謝するカタリナを見つめながら。
メアリ・ハントは、その完璧な笑顔の裏側――心の奥底で、ドス黒くも華やかな歓喜の炎を燃え上がらせていた。
メア(ふふふっ……! これで暫くは、カタリナ様に『悪い虫』は付きませんわ♪)
ジオルドが今回の蛇の恐怖から完全に立ち直るまでには、かなりの時間を要するだろう。
そして、立ち直ったとしても、今後のカタリナの周囲には常に「保護された100匹の巨大蛇」の話題と実務がつきまとう。つまり、ジオルドがカタリナの横に安易に近づけない「絶対的な結界」が完成したのだ。
メア(ああ、なんて素晴らしい一日かしら! ティタノボアのお母様、そして百匹の赤ちゃんたち。貴方たちは私の最高のエージェントですわ! このままジオルド殿下が王城の奥深くで、蛇の幻影に怯えながら永遠に引きこもってくだされば最高ですのに!)
腹黒い計略が見事にハマり、メアリの心の中では盛大なファンファーレが鳴り響いていた。
その隣で、キースやアランはメアリの背後から立ち昇る謎の真っ黒なオーラを察知し、ブルッと身を震わせて静かに目を逸らすのだった。
アンが、パンッと柏手を打って会議室の空気を引き締めた。
アン「では、気を取り直して……本日の反省会を行いましょう」
カタ「あ! すっかり忘れてたわ」
カタリナがポンと手を打つと、その隣でキースが深く深く溜息を吐きながら眼鏡のブリッジを押し上げた。
キー「姉さん……元々は、それを行うのがこの会議のメインの目的だったんですよ」
イア「まあ、無理もありません。ティタノボアの『百匹の赤ちゃん』という物理的かつ強烈な事実が、我々の頭から見学会の記憶を吹き飛ばしていましたからね」
イアンが苦笑交じりにフォローを入れると、円卓を囲む面々は改めて居住まいを正し、手元の資料へと視線を落とした。
前代未聞のパニック劇(主にジオルドの逃亡)はあったものの、見学会そのものは大成功を収めていた。しかし、本格的な一般公開に向けて解決すべき課題はまだいくつも残されているのだ。
ジェフ「さて、まずは全体的な評価からいこうか。見学会そのものは大成功だったと言っていいんじゃないかな。僕も裏方として来賓の貴族たちの対応をしていたけれど、彼らの反応は概ね良好だったよ」
ルイジ「ええ、その通りですな。最初は『なぜ平民と同じ空間で』と顔をしかめていた貴族もおりましたが、いざガリミムスの群れやスミロドンの迫力を前にしては、身分の差など忘れて見入っていましたからな」
ルイジが満足げに顎を撫でると、ミリディアナも扇子を口元に当てて優雅に頷いた。
ミリ「カタリナの解説も、とても分かりやすくて惹きつけられるものでしたよ。……時折、熱が入りすぎて身振り手振りが激しくなり、人前で泥だらけになっていたことには目を瞑るとしても、ですが」
カタ「うっ……お母様、お褒めの言葉と同時にチクリと刺すのはご勘弁を……」
しゅんと肩を落とすカタリナを見て、アランがクックッと笑い声を漏らした。
アラ「まあ、あいつの泥まみれは今に始まったことじゃねぇしな。それより、改善点というか……一番の問題だったのは、客同士のトラブルだろ?」
アランの言葉に、会議室の空気が少しだけ真剣なものへと変わる。
メア「そうですわね。特に、マリア様に対する一部の心無い令嬢たちの振る舞い……。カタリナ様がいち早く気づいて、あのように『素晴らしい迫力』で追い払ってくださらなければ、どうなっていたことか」
園の裏手で、マリアが丹精込めて作ったお菓子を令嬢たちが叩き落とし、踏みにじろうとしたあの瞬間。カタリナの顔は、まさに前世の記憶にある『悪役令嬢カタリナ・クラエス』の集大成とも言える凄まじい形相だったのだ。
カタ「あ、あれはちょっと顔の筋肉に力が入ってしまっただけで……! マリアの作った大事なお菓子を踏みにじろうとするなんて、絶対に許せなかったのよ!」
イア「カタリナ嬢の義憤はもっともです。しかし、本来であれば我々運営側の警備スタッフが事前に察知し、止めるべき事案でした。今後の一般公開に向けて、身分による対立や嫉妬から生じるトラブルを防ぐため、園内の警備巡回ルートは見直す必要があります」
イアンが手元の地図にペンでいくつか印を書き込みながら指摘する。
ジェフ「そうだね。魔法省の警備部門だけじゃなく、僕の直属の騎士たちも私服で紛れ込ませておこうか。カタリナ嬢の大切なお友達を泣かせるような真似は、この僕が許さないからね」
アラ「俺の方でも、音楽隊の連中を各広場に配置して、客の注意を散らす工夫をしてみるぜ。明るい音楽が鳴っていれば、ピリピリした空気もいくらか和らぐだろ」
カタ「ジェフリー殿下、アラン殿下……! ありがとうございます! これでマリアも安心して見学できるわ!」
カタリナがパッと表情を輝かせると、今度はアンが一歩前に出て、控えめに手を挙げた。
アン「それから、もう一つ運営面での課題がございます。お客様が歩かれる順路についてですが、始祖鳥の展示エリア付近で少し混雑が起きておりました」
キー「ああ、あそこですね。あのエリアは木陰が多くて涼しいので、来園者が休憩所代わりに立ち止まってしまうんです。結果として、後ろから来る人の流れが詰まってしまっていました」
キースの報告を受け、ルイジが腕を組んで考え込んだ。
ルイジ「ふむ。順路の幅を広げるという手もあるが……いっそ、あそこに正式なカフェテラスのような休憩スペースを設けた方が良いのではないか?」
メア「カフェテラスでしたら、マリア様の手作りお菓子や、カタリナ様が考案された農作物を使った軽食を提供する場にすればよろしいのではなくて? 素晴らしい古生物たちを見ながら美味しいものをいただけるなんて、最高の贅沢ですわ」
メアリのその提案を聞いた瞬間、カタリナの脳内に『美味しいお菓子』『マリアの手作り』という魔法のワードが直撃した。
カタ「それ大賛成! マリアのお菓子がたくさん食べられる場所ができるなんて最高よ! パークの名物になること間違いなしだわ!」
アラ「お前が食うためじゃねぇだろ……。まあでも、客を分散させるための休憩所は必須だな。そこは俺たちの予算と、クラエス家の領地から出る素材でうまく回せそうだ」
アランが呆れ半分でツッコミを入れつつも同意すると、ルイジとミリディアナも力強く頷いた。
ルイジ「うむ。資金面や素材の調達については、我が公爵家も引き続き全面的にバックアップしよう。カタリナ、お前の思い描く理想のパークを作り上げなさい」
カタ「お父様、お母様……! ありがとうございます!」
アン「ふふっ。これで次回のグランドオープンに向けて、ますます素晴らしいパークになりそうですね、お嬢様」
アンが温かい眼差しでカタリナを見つめ、新しく淹れ直した紅茶をそっとテーブルの中央に置いた。
ティタノボアの爆発的繁殖という巨大な試練を乗り越え、さらには見学会の反省点を次々と前向きなアイデアへと昇華させていく仲間たち。
カタ「ええ! 皆のおかげで、最高の『プレヒストリック・パーク』になりそうだわ! グランドオープンに向けて、明日からまた気合いを入れて頑張りましょう!」
カタリナは円卓を囲む皆の頼もしい顔を見渡し、心の底から嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
ーーー
あの反省会から数日後。プレヒストリック・パークの裏側では、王国史上類を見ない過酷な大作戦が決行されていた。
それは、百匹近く産み落とされたティタノボアの幼体たちの『雌雄判別』および『完全隔離移送』である。
カタ「気を付けて! まだ赤ちゃんとはいえ二メートルもある大蛇よ! 絶対に傷つけないように、でも力負けして逃がさないようにしっかり押さえて!」
特務保護部隊の隊員たちや魔法省の職員たちが、分厚い革手袋を装着し、泥と汗に塗れながら巨大な赤ちゃん蛇と格闘する。
蛇の雌雄を判別するには、尾の付け根付近を極めて慎重に確認する必要がある。しかし相手は、現生のアナコンダをも凌ぐ筋肉と力を持つ太古のボアだ。うねり暴れる巨体を大人三人がかりで押さえ込み、専門家が細心の注意を払って雌雄を分け、キースが土魔法で作成した頑丈な特製ケージへと一匹ずつ収納していく。
少しでも扱いを間違えれば大怪我に繋がるし、何より貴重な古生物を傷つけてしまう。全員が神経をすり減らし、フラフラになりながらの作業だった。
キー「姉さん、オス用のケージ、あと三つ追加します……。もう魔力が……」
カタ「キース、頑張って! あと少しよ! イアン殿下、馬車の温度管理用魔石の補充をお願いします!」
ようやく判別と隔離を終えた後は、馬車を連ねて南西のカルデラ盆地への大移送である。道中の温度管理、振動への配慮、途中で餌となる魚の調達など、すべてにおいて細心の注意が払われた。
結果として、雌雄を完全に分けたティタノボアたちは、無事に第二の案である『完全生態系構築サンクチュアリ』へと運ばれ、放たれた。
この一連の作業は、カタリナやキースだけでなく、関わったすべての大人たちにとっても「本当に滅茶苦茶大変だった……」と後々まで深く語り草になるほどの激闘であった。
そして、見学会での反省点を踏まえた大規模な改修工事も無事に完了した。
混雑の起点となっていた始祖鳥の森の近くには、広い順路を確保するとともに、木漏れ日が美しい『木漏れ日カフェテラス』が新設された。そこでは、マリアが腕によりをかけて焼いた絶品のお菓子や、カタリナが自ら畑で育てた野菜をふんだんに使った素朴で美味しい軽食が提供されることになった。
園内の各広場には、アランが手配した王属音楽隊の楽団員たちが陽気な音楽を奏でて客の心を和ませ、ジェフリーの配下である凄腕の騎士たちが私服姿で密かに目を光らせることで、身分差によるトラブルを未然に防ぐ完璧な警備体制が敷かれた。
万全の準備を整え、ついに『プレヒストリック・パーク』はグランドオープンの日を迎えた。
カタ「皆様、ようこそ太古の世界へ! プレヒストリック・パーク、開園ですわ!」
カタリナの高らかな宣言と共に正門が開かれると、待ちわびていた平民や貴族たちが、歓声を上げながら一斉に園内へと足を踏み入れた。
初めて見る太古の獣たちの雄姿に目を輝かせる子供たち。身分を忘れて同じ驚きを共有し、熱心に語り合う大人たち。マリアのカフェテラスからは甘く幸せな香りが漂い、至る所で笑顔の花が咲き誇っていた。
しかし、カタリナたち運営陣は決して警戒を緩めない。命ある古生物たちを相手にしている以上、明日にはまた全く予測不能な新たな問題が起こるかもしれないからだ。
開園後も、カタリナの毎日は飛ぶように過ぎていった。
メアリやソフィア、マリアたちとお茶会を開いて楽しく笑い合う日もあれば、泥だらけの作業着姿でパークのバックヤードを走り回る日もある。
カタ「いいこと? この子は胃の構造が特別だから、お肉をあげる時は必ず細かく切って、消化に良い植物を少し混ぜてあげてちょうだい! 最新の化石の胃の内容物研究から分かったことなのよ!」
飼育員たちを集め、ホワイトボードを使って熱心に古生物の生態や保護の重要性を説くカタリナ。その熱意と知識は誰よりも本物だった。
だが、あまりにもパークの仕事にのめり込みすぎるあまり、自分の身を顧みずに無茶をすることも少なくなかった。
ミリ「カタリナ! 貴女という子は、また公爵令嬢たる作法を忘れて泥だらけになって! 今日という今日は、部屋でおとなしく休んでいなさい!」
キー「そうです姉さん! 目の下に隈ができていますよ。パークの仕事は僕や他の職員で回せますから、少しは自分の体も労ってください!」
母ミリディアナの大目玉を食らい、弟のキースに両脇を抱えられて強制的に自室のベッドへと連行されることもしばしばだった。
怒られ、呆れられ、それでも大好きな古生物たちと、大切な友人たちに囲まれた毎日は、目まぐるしくも本当に楽しく、充実した輝かしい日々だった。
春が過ぎ、夏が訪れ、秋の風が吹き抜け、冬の寒さを越える。
パークでの出会いと別れ、新たな命の誕生を繰り返し、季節は瞬く間に巡っていった。
それから数年後……。
今日。カタリナは15歳になった。