乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜   作:龍座

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15歳になりました!

ソルシエ王国において、十五歳という年齢は特別な意味を持っている。

 

貴族であれば華やかな社交界へのデビューを飾る年であり――そして何より、魔力を有する者は身分を問わず、必ず『魔法学園』に入学しなければならないと定められている年なのだ。

 

この夏、十五歳の誕生日を迎えたカタリナ・クラエスもまた、来年の春には魔法学園への入学を控えていた。

 

魔法学園は、どんなに身分が高かろうと低かろうと、生徒全員が学園内の寮で生活することが規則となっている。

もっとも、身分の高い貴族の生徒にはそれなりに広い部屋が与えられ、専属の召使いを連れて行くことも許可されているらしいが……何にせよ、カタリナにとって、これまで公爵家やプレヒストリック・パークで過ごしてきたような、泥だらけになって畑を耕し、自由に野山を駆け回る生活ができなくなるのは間違いなかった。

 

そして何より、カタリナが魔法学園への入学を心底恐れている最大の理由がある。

 

それは、学園に入学するということは、前世の記憶にある乙女ゲーム『FORTUNE LOVER』の物語が、ついに本格的に始まってしまうということを意味していたからだ。

 

平民でありながら『光の魔力』を持つ稀有な存在として、主人公のマリアが貴族ばかりの魔法学園に入学してくる。

 

学園で主人公は、双子の王子、公爵家の子息、そして宰相の息子といった、目を見張るほど美形でハイスペックな学園の人気者たちと出会い、恋に落ちていく。

 

そして――その輝かしい恋路を邪魔する高慢な悪役令嬢である『カタリナ・クラエス』は、最終的に国外追放か、最悪の場合は剣で斬られて命を落とすという『破滅の道』を辿るのだ。

 

八歳の時に石に頭をぶつけて前世の記憶を取り戻してからのこの七年間、カタリナは迫り来る破滅エンドを全力で回避するために、血のにじむような努力を重ねてきた。

 

義弟を一人にしない。

 

剣と魔法の訓練。

 

蛇のおもちゃの改良。

 

プレヒストリック・パークの運営。

 

その甲斐あって、カタリナの剣の腕は「型の美しさはともかく、勢いだけは素晴らしい」と評価されるようになり、義弟のキースも引きこもることなく素直に育ち、ヘビのおもちゃに至っては本物と見間違うほど完璧な芸術品が完成した。

しかし、すべてが上手くいったわけではない。

 

だが、カタリナが最も期待していた『魔力の強化』に関しては、無残な結果に終わっていた。

 

最初は地面の土を一、二センチほど『ボコッ』と持ち上げるだけのものだった。それでも訓練を重ねた結果、一年ほどで十五センチも土が持ち上がるようになった。以上終わり!

 

最初は認めたくなかった真実だが、数年経てば嫌でも認めざるを得なかった。非常に残念なことだが、カタリナには魔力も魔法の才能も、絶望的なまでに無かったのだ。

 

魔法学園に行って本格的な指導を受ければもしかしたら『隠された魔力が開花』なんてご都合主義な展開もあるかもしれないが……カタリナは現実主義だった。そんな奇跡に大きな期待はできない。

 

そうなると、当初カタリナが思い描いていた『国外に身一つで追放された際、他国では珍しい魔法の力を見せびらかして、大道芸人か何かで仕事をもらって生活していく』という作戦は、頓挫する可能性が極めて高くなる。

 

だからこそカタリナは農作業とプレヒストリック・パークの運営に勤しんだ。

 

カタ(昔のように作物をうっかり枯らしたりもしなくなったし、クワの扱いもそこそこ様になってきている。もし国外追放されたら、どこかの大きな農家を探して、雇われ農民として生きていけばいいのよ!いえ、プレヒストリック・パークも順調だから上手くいけば創設者として保護されるかも!)

 

働き口さえあれば、健康な体一つでなんとか生きていけるはずだ。

 

そう決意したカタリナは、微かな希望を捨てずに魔力の訓練も続けつつ、もしもの時に優秀な農民として雇ってもらえるよう、プレヒストリック・パークの園長として認めてもらえるよう、本格的な農業の勉強と実践、古生物の教授にのめり込んでいったのである。

 

こうして、彼女の破滅への対策は、農民、または古生物園園長としてのキャリアプラン変更によって再び『完璧』なものとなった。

 

だが、そうして完璧な対策を講じつつ暮らすカタリナの日々にも、予定外の事態は多々起きていた。

 

それは、なぜか乙女ゲームの攻略対象たちやその関係者が、頻繁にクラエス家に集結するようになり、ゲームの本来の設定とはどうも違う関係性が築き上げられてしまったことだ。

 

まず、国の第三王子であり、カタリナの婚約者である第一の攻略対象、ジオルド・スティアート。

 

ゲームでのジオルドは、『婚約者であるカタリナにまったく興味がなく、接点もほとんどない』という設定だったはずである。しかし現実では、彼は三日と空けずにクラエス家(またはカタリナの畑)へやってくるようになっていた。

 

そして、カタリナの畑で採れた野菜や果物を嬉しそうにおすそ分けされ、そのお礼として高級な茶葉やお菓子を持ってくるなどの交流を重ね、今ではすっかり『気の置けないお友達(?)』のような関係になってしまっていた。接点など、ありまくりである。

 

正直なところ、ここまで仲良くなったジオルドが、将来的に剣で斬りかかってきたり、自分を冷酷に国外へ追放したりする姿は、カタリナにはどうにも想像できなかった。

 

しかし……これからジオルドが光の魔力を持つ主人公と出会い、生まれて初めての『真実の恋』に落ちたならば、邪魔な婚約者であるカタリナへの態度は一変するかもしれない。「恋は人を変えるものだ」と、ソフィアから借りたロマンス小説にもしっかり書いてあった。油断は禁物である。

 

そもそも、カタリナがジオルドと婚約するきっかけとなった『額の傷』は、数年前に綺麗に治って消えていたのだ。

 

それに気づいた数年前のカタリナは、「これ幸い」とばかりにジオルドの元へ駆け寄り、元気よく申し出た。

 

だが…。

 

カタ「傷が消えたのでもう責任を取っていただく必要もありません。婚約を解消して頂いて大丈夫です!」

ジオ「いえ、まだ傷が残っていますよ」

カタ「えっ!? でも、何度も鏡で確認しましたし……アンにだって見てもらったのに……」

ジオ「見間違いです。婚約は絶対に破棄しません」

 

これだ…。

 

傷がなくなって喜んでたアンも「まだ傷がある」と言い張る始末。何故……?

 

その後も、当初は二人の婚約に賛成していたものの、成長するにつれカタリナの奇行(木登りや畑仕事、泥だらけでの帰還、古生物の確保など)に頭を抱えるようになった母ミリディアナや、キース率いる『姉さんに王族の妃は勤まりません派』の面々が何かと婚約解消の口添えをしてくれたのだが……それでも結局、現在に至るまで婚約は解消できていない。

 

やはりジオルドは、ゲームの設定と同じように『他の煩わしい令嬢たちを遠ざけるための防波堤』として、都合のいい婚約者であるカタリナを手放す気はないらしい。

 

かくして、最大の破滅フラグである『ジオルドとの婚約』を切ることができないまま、カタリナは学園へ護身用の剣と、手作りのヘビのおもちゃを携えていくことになりそうだった。近いうちに、いざという時ヘビのおもちゃをスムーズにポケットから取り出す練習も始めなければならない。

いや、最後の手段としてティタノボアをけしかける事も……。

 

他にもカタリナの義弟であるキース・クラエス。

 

七年前、その類まれなる土魔力の高さからクラエス家に引き取られた、カタリナの可愛くて仕方のない義弟にして、二人目の攻略対象だ。

 

ゲームにおけるキースは、義母や義姉(カタリナ)から酷い虐めを受けて孤独な日々を過ごし、その反動から『女性のぬくもりだけを求める女タラシのチャラ男』に育ってしまう。そして学園で主人公に出会い、その孤独な心を癒されて恋に落ちる……という設定だった。

 

キースが主人公と恋に落ちても、カタリナは破滅一直線である。

 

それを防ぐため、カタリナはキースを絶対に孤独にさせまいと、毎日毎日彼の手を引いて畑や野山、プレヒストリック・パークで新たな古生物の展示場へ引っぱり回した。その結果、次第に引っ張り回さなくとも、キースの方からカタリナの後を追ってセットで行動するようになり、現在のキースは『孤独』という言葉とは無縁の、素直で心優しい青年に育った。

 

これなら、学園で孤独を癒されて主人公と恋に落ちる展開は防げるはずだ。

 

しかし、カタリナは一つだけ重大な失敗を犯していた。

 

可愛い義弟が将来チャラ男になるのを未然に防ごうと、幼い頃から「女性には優しく、親切にするのよ」と常々言い聞かせ続けた結果……キースは、誰に対しても優しく微笑みかける『紳士的な女タラシ(無自覚)』へと成長してしまったのである。

 

素直なキースは、大好きな姉の言いつけ通りにすべての女性に親切に接した。それ自体は素晴らしいことだった。しかし、年齢を重ねるにつれ、ただ可愛らしかったキースが、いつ頃からかゲームの設定通りに『只ならぬ大人の色気』を放出し始めたのだ。

 

カタリナは、その事態にまったく気が付かなかった。日頃から四六時中一緒にいすぎたせいで、カタリナのキースに対する認識は幼い頃のままで止まっており、彼の色気を感じ取るセンサーが完全に麻痺してしまっていたのだ。

 

そうしてカタリナが気づいた時には遅かった。社交界の貴族令嬢たちはもちろんのこと、クラエス家のメイドたちまでもが、キースがふと見せる儚げな微笑みや色気によって、次々と顔を赤らめて誑かされていく事態になってしまったのである。

 

キースの孤独を防ぐことには成功したが、女タラシ化(しかも本人は無自覚な分タチが悪い)を防ぐどころか、姉の教えによって手助けしてしまう形となってしまったのだ。

 

さらに、国の第四王子であり、ジオルドの双子の弟であるアラン・スティアート。

 

銀髪碧眼で野性的な風貌の美形王子であるアランは、ゲームの設定では「常に優秀な兄ジオルドと比べられることで激しい劣等感を抱き、兄をひどく嫌っている」はずだった。

 

しかし、現在のアランが劣等感で苦しんでいる様子は微塵も見られないし、ジオルドを嫌っている風でもない。兄弟間でそれなりにからかい合うことはあっても、良好な関係を築いているように見える。

 

しかも、本来のアランルートにおいて、カタリナ・クラエスは悪役(ライバル)として登場すらしない。設定上、二人の接点はほぼゼロのはずなのだが……なぜかアランも頻繁にクラエス家に通ってくるようになり、今やカタリナとはすっかり気安い『お友達』になっていた。

 

加えて、アランはすでに音楽の才能を自力で大きく開花させており、彼の見事なピアノやバイオリンの演奏会にはカタリナも何度も招待され、メアリたちと連れ立って聴きに行っている。 

 

ゲームでのアランは、主人公と出会って初めてその音楽の才能を見出される設定だったはずなのだが、そのあたりも原作のストーリーからだいぶ逸脱してきている気がしてならなかった。

 

そして、そのアランの婚約者であり、彼のルートのライバルキャラであるメアリ・ハント。

 

赤褐色の髪に同色の瞳を持つ、まるでお人形のように愛らしい美少女。ゲームではカタリナをよく思っておらず接点もなかったはずだが、今ではカタリナにとってかけがえのない親友の一人である。

 

出会った当初はオドオドとして自信なげだったメアリだが、この七年で見違えるように成長した。学問に秀で、少し前にデビューした社交界では、その優雅で凛とした佇まいと完璧なダンスによって、貴族たちの話題を独占したという。まさに、ゲームの設定通りの『貴族令嬢の鑑』のような存在へと変貌を遂げたのだ。

 

しかし、不可解な点もあった。

 

ゲームでのメアリは婚約者のアランを心から深く愛していたはずなのだが、現在のメアリは、そこまでアランを慕っているようには見えないのだ。普通に親しく会話はしているものの、カタリナと二人でお茶会をしている時などにアランの話題が出ることは皆無に等しく、二人が仲睦まじく逢瀬を重ねている様子もなかった。

 

(ただ恥ずかしくて、私の前では隠しているだけなのかしら?)と、カタリナは首を傾げるばかりである。

 

さらに奇妙なことに、ゲームのメアリは「誰からも認められる立派な王子の妃になること」を目標に日々努力していたはずなのだが……実際のメアリは、妃になることをまったく望んでいないようだった。

 

数年前から、メアリはカタリナと二人きりになると、ふと溜息をつきながら弱音を吐くようになった。

 

メア「王子の妃などという重い大役は、私のような未熟者には到底勤まりませんわ……」

 

そう言って、王族の義務や妃という立場がいかに窮屈で過酷なものであるかを、事細かにカタリナに語って聞かせるのだ。

 

そんなリアルな苦労話を聞かされると、ただでさえジオルド王子との婚約から逃げ出したいカタリナは、より一層憂鬱な気分になってしまう。こんなに完璧で才色兼備なメアリでさえ「勤まらない」と嘆く役目が、泥まみれで畑を耕している自分に勤まるはずがないのだから。

 

そうしてすっかり不安に陥るカタリナの肩を抱き寄せ、メアリは天使のような微笑みを浮かべて囁くのだ。

 

メア「ですからカタリナ様……いっそ私と二人で一緒に婚約破棄をして、どこか遠い静かな土地へ逃げてしまいましょう。私がお世話いたしますわ」

 

なんと優しく、頼りになる親友だろうか。カタリナはメアリの言葉にいつも深く感動し、「その時はお願いね!」と固く手を握り返すのだった。

 

そして、ニコル・アスカルトと、その妹のソフィア・アスカルト。

 

国の宰相の息子であり、無口で無表情がデフォルトの攻略対象であるニコル。黒い髪と瞳を持つ、人形のように整った顔立ちの彼は、ただそこに立っているだけで女性のみならず男性までも虜にしてしまう『魔性の魅力』を秘めている。

 

妹のソフィアもまたニコルルートのライバルキャラであり、雪のように白い肌を持つ美しい少女だ。ゲームではカタリナと一切関わりを持たないはずだった彼女も、今ではカタリナの立派なロマンス小説仲間であり、メアリと並ぶ大切な親友となっている。

 

幼い頃は容姿を理由に引きこもりがちで本ばかり読んでいたというソフィアの読書量は凄まじく、彼女が勧めてくれる小説に外れはなかった。新作の素晴らしいロマンス小説を発掘する能力にも長けており、カタリナは密かに彼女を『師匠』と呼んで尊敬している。

 

そんなソフィアは兄のニコルを心から慕っており、お茶会の最中にもよくニコルの話を持ち出しては、「お兄様は本当に素晴らしいのですよ。カタリナ様の旦那様にぜひお勧めいたしますわ」などと、謎の熱量で兄を売り込んでくるほどのお兄ちゃん子だった。

 

カタ(もし学園でニコル様に好きな人でもできたら、ソフィアは拗ねてしまうかもしれないわね。その時は、親友として思い切り慰めてあげなくちゃ!)

 

こうして、なぜか全員と仲良くなってしまった攻略対象たちと、そのライバルキャラである親友たち。彼らと共に、カタリナは来年の春、魔法学園へと向かうことになっている。

 

そして忘れてはならないのが、本来の主人公であるマリア・キャンベルだ。

 

あれから、プレヒストリック・パークの一件で令嬢たちから嫌がらせを受けていたところを助けて以来、マリアはカタリナたちにお礼として手作りのお菓子を振る舞ってくれるようになった。その優しく素朴な味わいはジオルドたちにも大好評で、今ではパークに新設されたカフェテラスでもマリアのお菓子が提供され、徐々にファンを増やし始めている。

 

ゲームでは恋のライバルになるはずの主人公とも、カタリナはすでに友好的な関係を築きつつあったのだ。

 

そんな波乱万丈で予測不可能な日々を振り返りながら、カタリナが自室で一息ついていると、控えめなノックの音と共に専属メイドのアンが入ってきた。

 

アン「お嬢様。皆様、もう広間にお集まりですよ。お待ちかねの誕生日パーティーが始まります。そろそろ広間へ向かいましょう」

 

アンの声に、カタリナは弾かれたように顔を上げた。

今日という日は、彼女の十五歳の誕生日を祝う大切な日なのだ。

 

カタ「――わかったわ」

 

カタリナは力強く頷き、立ち上がった。

丁寧に仕立てられた美しい黄色いドレスを着たカタリナが、少しの緊張と大きな期待を胸に、皆の待つ広間へと向かっていった。

 

ーーー

 

盛大な拍手と歓声に迎えられ、黄色いドレスに身を包んだカタリナが足を踏み入れたのは、クラエス公爵邸の最も大きな広間である。

 

そう、本日のカタリナの十五歳の誕生日パーティーは、貴族の令嬢としての華々しい社交界デビューも兼ねた『舞踏会』であった。

 

主役であるカタリナは、次々と祝いの言葉を述べに来てくれる大勢のお客様に対して完璧な淑女の笑みを浮かべて挨拶をこなし、さらには広間の中央で優雅なダンスまで披露しなければならないのだ。

 

カタリナは、木登りや畑仕事、園内の清掃や餌運びで鍛えられているため運動自体は割と得意な方であったが、どういうわけか絶望的にリズム感が備わっていなかった。そのため、優雅にステップを踏む『ダンス』というものは昔からあまり得意ではなかったのである。

 

それでも、この重要な誕生会で公爵令嬢として恥をかかせるわけにはいかないと、母ミリディアナの厳しい監視の下、連日のようにそれはそれは辛く厳しいダンスの特訓を重ねてきた。おかげでなんとか恰好だけはつくようにはなったものの……カタリナの心の中は「本番のどこでボロが出るか」という不安でいっぱいであった。

 

しかも、今回の記念すべきパーティーにおいて、カタリナのエスコート役を務めるのは、よりにもよって第三王子であるジオルド・スティアート殿下その人であった。

 

カタリナとしては、本当は義弟のキースにエスコートをお願いしたかったのだ。キースであれば、もしダンス中にうっかり足を踏んづけてしまっても「痛っ……もう、姉さんは仕方ないですね」と苦笑いしながら許してくれるだろう。

 

しかし、ミリディアナをはじめとする周囲の大人たちから「正式な婚約者であるジオルド殿下がいらっしゃるのに、身内をエスコート役にするなど絶対に駄目です!」とこってり絞られ、あえなく却下されてしまったのである。

 

腹黒でドSなジオルドの足をピンヒールで踏み抜こうものなら、後でどんな笑顔の圧力をかけられるか分かったものではない。そう思うと、ただでさえ憂鬱な舞踏会がさらに嫌になってくるカタリナであった。

 

そもそも、パーティーの開始時刻は夕方からだというのに、カタリナの戦いは今朝早くから始まっていた。

 

「さあお嬢様、本日は気合いを入れますよ!」と意気込むメイドのアンや侍女たちによって、やれお肌の念入りな手入れだ、やれ流行の化粧だ、やれ特注ドレスの最終確認だとあちこち引っ張り回され、コルセットでギュウギュウに締め付けられた結果、夕方のパーティー本番を迎える前に、カタリナの体力はすでに限界近くまで削られクタクタになっていたのだ。

 

しかし、そうして大勢のプロフェッショナルたちの血と汗と涙の努力の甲斐あって、大きな姿見の鏡の前に立たされたカタリナは、自分でも驚くほどそこそこに見られる立派なご令嬢へと仕上がっていた。

 

カタ(まあ、つり上がった目つきの悪役面であることには変わりないのだけれど……)

 

心の中でそっと毒づきながらも、それなりに美しく化けることに成功したカタリナは、きっちりと豪奢な正装に身を包んだ完璧な王子様、ジオルドに優雅にエスコートされながら、煌びやかな会場へと足を踏み入れたのである。

 

ひとしきり、途切れることのないお客様への挨拶を無難にこなすと、今度はジオルドの滑らかな誘導によってダンスホールの中央へと導かれた。

 

もちろん、主役であるカタリナの初めのダンスの相手は、本日のエスコート役であるジオルドである。

 

カタ(絶対に、絶対に足を踏まないように気を付けなくては……っ!)

 

カタリナは内心で冷や汗を流しながら、慎重に足元に注意を払い、ミリディアナとの地獄の特訓を思い出しながら一生懸命にステップを踏んだ。ワルツの三拍子に合わせて、黄色いドレスの裾がふわりふわりと花が咲くように揺れる。

 

ジオ「カタリナ、本日のあなたはとても綺麗ですよ」

ダンスの最中、金髪碧眼の王子様が甘く囁くような声でお世辞を言いつつ極上の微笑みを向けてきた。

 

カタ「ありがとうございます」

 

カタリナが緊張で顔を引き攣らせながらも無難な礼を返すと、視界の端で、周囲を囲む令嬢や女性たちがジオルドの笑顔にうっとりと頬を染め、同時にカタリナに対してギリッとハンカチを噛みちぎらんばかりの嫉妬の視線を向けているのが見えた。

 

ジオルドは中身がどれほど腹黒であっても、その見た目の美しさや王子としての能力は本当に非の打ち所がないほど素晴らしいのだ。そのため、彼の婚約者の座に居座り続けているカタリナは、世の女性たちの激しい嫉妬と羨望を常に一身に浴びる羽目になっている。

 

カタ(正直、そんなにジオルド様が羨ましいのなら、今すぐにでも喜んでこの場所を代わって差し上げたいのだけれど……!)

 

心の底から本気でそう思いつつも、カタリナは優雅に差し出された彼の手をとり、決して笑顔を崩さずにダンスを続けた。

 

やがて、少しだけステップに余裕が出てきたカタリナは、ふと思い出したように口を開いた。

 

カタ「でも、ジオルド様が無事に立ち直ってくれて本当によかったです」

 

その言葉に、ジオルドのステップがほんのわずかに、しかし確実にピタリと硬直した。

 

あの日――プレヒストリック・パークにて、カタリナから『ティタノボアが百匹近く出産した』という恐るべき報告を受けたジオルドは、そのまま王城へと逃げ帰り、完全に自室に引きこもってしまったのだ。

さらに後日、増えすぎた巨大蛇の赤ちゃんたちを大自然の掟の中で管理する『サンクチュアリ計画』の詳細を知り、その地獄のような想像図に耐えきれなくなったのか、さらに深く寝込んでしまったのである。

 

カタ「ジオルド様がパークから逃げ出して、お部屋に引きこもられてから復帰するまで、丸々一ヶ月もかかりましたものね。皆でとても心配していましたのよ? でも、あれからプレヒストリック・パークも順調で、新しい古生物もどんどん増えていますの。マリアのお菓子を楽しめるカフェテラスも大盛況ですし」

 

カタリナは悪気など微塵もない、純粋に明るい笑顔で言葉を続けた。

 

カタ「また今度、皆様と一緒にパークへ遊びに行きましょう?」

 

その誘いを聞いた瞬間。

 

ジオルドは、周囲の貴族たちに向けていた完璧な王子様の微笑みをピタリと顔に貼り付けたまま、瞳の奥底の光だけをスッと消し去った。

 

ジオ「……それは大変楽しみですね。ですがカタリナ、私は絶対にあの『地獄』には行きませんからね」

カタ「え?」

 

ジオルドはカタリナの腰に添えた手に少しだけ力を込め、顔を限界まで近づけると、誰にも聞こえないような低い声で念を押すように言った。

 

ジオ「ティタノボアの展示場と、遠くに作られたあの狂気のサンクチュアリ計画の場所には、未来永劫、絶対に立ち入りませんし、近くを通ることすらお断りします。いいですね? 絶対に、です」

 

有無を言わせぬジオルドの絶対的な拒絶宣言に、カタリナは「は、はい……」と引き攣った笑いを浮かべて頷くしかなかった。

 

カタ(まあ、あれは本当にトラウマものだったから、仕方ないわよね……)

 

カタリナは心の中でジオルドに深く同情しつつ、それでも無事に十五歳の誕生日を迎え、皆とこうして踊り合える穏やかな(?)日々に、小さな幸せを感じていたのだった。

 

ジオルドとの冷や汗もののダンスが無事に終わり、緊張の糸が切れてホッと胸を撫で下ろしたカタリナの元へ、次に歩み寄ってきたのは義弟のキースだった。

 

きっちりとした正装に身を包んだキースは、カタリナの前で洗練された動作で一礼し、優雅に手を差し出した。

 

キー「姉さん、とっても綺麗だね」

カタ「ありがとう、キース」

 

そう言って優しく微笑んだ義弟の姿に、周囲を囲む大勢のご令嬢たちから「まあ……っ」と熱っぽい溜息が漏れ聞こえた。

 

ジオルドに負けず劣らず、キースもまた会場中の女性たちの視線を一身に集めている。まだ婚約者のいないクラエス公爵家の次期当主候補という肩書だけでも食いつく女性が後を絶たないというのに、彼が成長とともに身につけた凄まじい『色気』が、さらに多くの女性たちを虜にしていたのだ。

 

カタ(残念ながら、私にはその色気とやらがさっぱり分からないのだけれど……)

 

カタリナはキースの手を取り、ワルツのステップを踏みながら心の中で首をかしげた。

 

それにしても、これほどまでにモテるというのに、キースには浮いた話がひとつもない。幼い頃からずっと一緒に過ごしてきたカタリナだが、彼が特定の女性に鼻の下を伸ばしている姿など一度も見たことがなかった。

 

カタ(できれば学園に入る前に、素敵な相手を見つけてほしいものだわ。そうすれば、主人公ちゃんと恋に落ちて破滅フラグが立つこともなくなるのに……)

 

そんなカタリナの勝手な親心とも言える懸念を知ってか知らずか、キースは終始穏やかな笑顔で、カタリナの足元に細心の注意を払いながら優しく踊りきってくれた。

 

キースとのダンスを終えると、次はメアリとのダンスを終えたばかりのアランが爽やかに申し込んできた。

 

アラ「お前、今日はいつもよりましだな」

カタ「……ありがとうございます」

 

アランはそっぽを向きながらぶっきらぼうに呟いた。

相変わらず素直ではない言い草だが、彼なりの精一杯の褒め言葉なのだろう。カタリナは苦笑しつつもお礼を言っておくことにした。

 

そんなアランもまた、ジオルドやキースと同じくらい女性たちの視線を釘付けにしていた。

 

いまや『音楽の神の申し子』とまで称される天才的な音楽の才能を開花させたアランは、特に年上の女性たち(通称・お姉様方)から絶大な支持を得ているのだそうだ。彼女たち曰く、「普段の野性的な言動と、演奏中に見せる繊細で情熱的な表情のギャップがたまらない」とのことらしい。

 

カタ(私にはいまいちピンと来ないけれど、アランも立派な王子様なのよね……)

 

ちなみに、アランの婚約者であるメアリは誰からも認められる素晴らしい社交界の華であるため、周囲の人々も二人の婚約を心から祝福している。

 

カタ(ジオルド様と『身分以外はまったく釣り合わない』なんて陰口ばかり叩かれている私とは大違いだわ……)

 

カタ「使用人たちが一日かけて必死に磨いたり整えたりしてくれたので。

髪もドレスも何度もセットされて下着だって―」

アラ「って、おい!」

 

こんな場で何言い出すつもりだ!!

 

そんなこんなで軽快なステップでアランとのダンスを終えた。

 

アランとのダンスが一段落すると、会場の空気が一変した。

女性は元より、男性の視線までも一瞬で惹きつけてしまう『魔性の伯爵』、ニコル・アスカルトの登場である。

 

カタリナよりひとつ年上のニコルは今年からすでに魔法学園に入学し、寮生活を送っているのだが、今日は大切な友人であるカタリナの誕生会のために、わざわざ忙しい合間を縫って駆けつけてくれたのだ。

 

ニ「とても綺麗だ、カタリナ」

カタ「あ、ありがとうございます……!」

 

ニコルは優雅に差し出した手でカタリナの手を取り、吸い込まれそうな漆黒の瞳でじっと見つめながら、甘い魔性の微笑みを浮かべた。

 

その瞬間、周囲の観客たちから「きゃあ……っ!」「ニコル様が微笑まれていらっしゃるわ……!」と悲鳴に似た感嘆が漏れ、中にはあまりの尊さに胸を押さえてよろめく令嬢まで出る始末だった。

 

(魔性の伯爵、本当に恐ろしい存在だわ……!)

 

カタリナはこの数年間の付き合いでだいぶ彼の魔性の微笑みに耐性がついていたが、それでも心臓が跳ね上がるのを感じた。免疫のない普通の人々にとっては、まさに殺傷能力を持つ破壊兵器のような笑みなのだ。

 

(学園でもきっと、大勢のご令嬢を無自覚にタラシ込んでいるに違いないわ……)と、カタリナは内心で戦々恐々とするのだった。

 

カタ「ところで魔法学園で気になる方とかは出来ました?」

 

何気ない質問をするカタリナ。(踊ってる場でそんな事、質問するな)

 

すると、ニコルの口からボソリ……。

 

ニコ「……いる。学園のものではないが」

 

カタ「何と!!一体何処の――」

ニコ「それは言えない。本当は想ってはいけない人だから」

カタ「!!」

 

まさか…これは……。

 

カタ(禁断の恋!?)

 

ニコルのあまりのカミングアウトにカタリナに雷が落ちた!

 

カタ(人妻か……!もしくは男性!?)

 

どっちかわからないけど……。

 

カタ「ニコル様……きっと良い事がありますよ。この事、ソフィアには黙っておくので…」

ニコ「……(汗)」

 

こうして怒涛のダンスラッシュがひと段落すると、カタリナは外で休憩していた。

 

すると、メアリとソフィアが、パッと表情を輝かせて寄ってきてくれた。

 

メア「カタリナ様!おめでとうございます!本当にお綺麗ですわ」

ソ「カタリナ様。おめでとうございます。」

カタ「メアリ、ソフィア……! ありがとう!」

 

大切な友人たちからの言葉にカタリナは照れくさそうに頬を緩めた。

 

メア「私も男だったらカタリナ様と踊ることができますのに…殿方ばかりずるいですわっ」

カタ「私もメアリと踊りたかったわ」

メア「本当ですか!じゃあ、後でこっそり踊っていただけますか!?」

カタ「えっ?」

 

良いけど私、男性パートはおどれないわよ…。

 

メア「大丈夫ですわ!もしもの機会があればと私、男性パートも踊れるように練習してまいりましたの!」

 

それなら問題無いわね。

 

カタ「だったら後でこっそり、踊りましょうか」

 

それにメアリはとても嬉しそうにした。

 

ソフィ「うう…ずるいです……」

カタ「ん?ソフィアもメアリと踊りたかったの?じゃあ、私の後に……」

ソフィ「そうではなくてっカタリナ様と是非!」

カタ「ええー。絶対上手に出来ないけど……まあ良いか!」

 

こうして、大勢の友人や家族に祝福されながら、カタリナ・クラエスの十五歳の誕生日パーティーは、何の問題も起こることなく無事に幕を閉じたのだった。

 

そして遂に…。

 

学園入学のカウントダウンが始まるのだ。

 

ーーー

 

賑やかだった秋が過ぎ去り、冷たい風が吹きすさぶ冬が訪れると、いよいよカタリナの魔法学園入学へのカウントダウンが始まった。

 

魔法学園は二年制であり、その間、生徒たちは皆一律に学園の寮に入って生活することが義務付けられている。そのため、冬の間に寮生活に必要な荷物をしっかりとまとめて準備しておかなければならないのだ。

 

もちろん、カタリナは曲がりなりにも公爵家のご令嬢であるため、荷造りなどの準備はほとんど優秀な召使たちがやってくれる。

 

だが、カタリナにとって「すべてを召使にお任せ」というわけにはいかなかった。なにせ、美意識の高い彼女たちに任せきりにすると、やれ色とりどりのドレスだ、豪奢な髪飾りだ、きらびやかな宝石だと、カタリナの基準では『学園生活にまったく必要ないもの』ばかりを山のようにトランクに詰め込んでしまうのだ。

 

その代わり、カタリナが何よりも大切にしているソフィアお勧めのロマンス小説の新作群や、肌身離さず読んでいる農業関係の実用書。そして何より、この数年間情熱を注ぎ続けてきた『プレヒストリック・パークの古生物飼育マニュアル』や『生態観察ノート』などは、容赦なく荷物から弾き出されてしまう。

 

それでは困るのだ。

 

よって、カタリナは自らの手で、持っていく荷物の厳格な選別を行うことにしたのである。

 

また、学園の寮には、メイドのアンを筆頭に五名の召使が専属としてついてきてくれることになっていた。

 

カタリナ本人は「自分のことは大抵自分でできるし、召使さんはいらないわよ」と母ミリディアナに言ったのだが、「公爵家としてそういう訳にはいきません!」と一蹴されてしまったのだ。

 

結局、妥協案の最低限の人数として、選抜された五名が同行することになった。

 

しかし、この選抜メンバーに関して、カタリナには一つだけ気がかりな心配事があった。

 

それは、カタリナが八歳の頃からずっと専属メイドとして仕えてくれている、アンの『婚期』のことである。

 

記憶を取り戻してからの七年間、カタリナの奇行に付き合い、お世話をしてくれているアンは、カタリナの八つ年上だ。よって今年で二十三歳になる。

 

カタリナの前世の感覚であれば二十三歳などまだまだ若い部類だが、この世界の貴族社会において女性の婚期は非常に短い。二十五歳を過ぎる頃には、世間から「完全な行き遅れ」と囁かれてしまう厳しい現実があるのだ。

 

そもそも、我が家のメイドであるアンだが、平民ではなく、実はれっきとした男爵家のご令嬢である。

 

この世界では、下級貴族のお嬢さんが上級貴族の邸宅へ『行儀見習い』として働きに出るという風習がある。そして、この行儀見習いの令嬢たちは、その家の同年代の令嬢の専属メイドとして仕えることが多いのだ。

 

そのため、カタリナについてくれるメイドにも行儀見習いのご令嬢が多かったのだが……やはりそこは、蝶よ花よと大事に育てられた深窓の令嬢たちである。

 

カタリナがふんぞり返って木に登れば鼓膜が破れんばかりの悲鳴を上げ、畑で満面の笑みでミミズを掘り返したり、茂みからヘビを捕まえてきたりする姿を見れば、白目を剥いてその場に気絶してしまう。

よって、カタリナ付きのメイドが長く続くことはなく、何人もの青ざめたメイドたちをお見送りし、そのたびに母ミリディアナから特大の雷を落とされてきたのだ。

 

そんな過酷な環境の中、呆れて小言こそ言うものの、決して逃げ出さずに変わらず傍にいてくれるアンの存在は、カタリナにとって本当に奇跡のように貴重なものであった。

 

そんなアンに、実家の男爵家から立派な結婚話が舞い込んできたのは、今から数年前のことだ。

 

折しも、新しく入ったばかりのメイドが、カタリナがターザンのように木から木へ飛び移っている様子を見て泡を吹いて気絶し、そのまま辞めてしまった直後のことだった。

そのタイミングでのアンの結婚話に、カタリナはひどく焦った。

 

カタ(今、ここでアンまで失ってしまったら、私の生活は完全に立ち行かなくなるわ……!)

 

焦りに焦りまくったカタリナは、なんとアンを迎えに来たというアンの父親(男爵)の元へ単身で乗り込み、こう叫んだのだ。

 

カタ「お父様! 私にはアンが必要なんです! どうか、どうかアンを私にください!」

 

さながら、愛する娘さんをくださいと頭を下げる婿殿のごとく、公爵令嬢が床に額を擦り付けて必死に頼み込むという前代未聞の光景。アンの父親の顔は、一瞬にしてカチコチに凍りついていた。

 

結果として、公爵令嬢のその必死すぎる頼みこみの甲斐あってか(あるいは権力に屈したか)、なんとかアンをクラエス家に引き留めることには成功した。

 

つまり、カタリナは自分の我儘によって、アンのせっかくの結婚話を豪快に叩き潰してしまったのである。

 

もちろん、この大騒動はすぐにお母様の知るところとなり、カタリナは過去最大級の恐ろしい雷を落とされることになった。

 

しかし、肝心のアン本人は「ふふっ、お嬢様ったらお婿さんみたいでしたよ」と優しく笑って許してくれたのだ。

 

こうして、アンの底なしの好意と優しさに甘え、今日までクラエス家に留まってもらっていたのだが、彼女ももう二十三歳である。これ以上、自分の我儘で彼女の人生を引き止めるわけにはいかない。

 

よって、今回の学園への入学という大きな節目を機に、アンには実家の男爵家へ戻ってもらい、今度こそ良い結婚をしてもらおうとカタリナは固く決心していたのだ。

だが、別れを切り出したカタリナに対し、アンはきっぱりとこう言い放った。

 

アン「私がいなくなったら、一体誰がお嬢様のお世話をするというのですか。……もちろん、学園へも私が一緒にまいります」

 

その言葉を聞いた瞬間、カタリナの目からブワッと涙が溢れ出た。

 

正直なところ、八歳の頃からずっと傍にいてくれたアンから離れ、一人で『破滅フラグ』が待ち受けるかもしれない学園へ乗り込むのは、恐ろしくて不安でたまらなかったのだ。

結局、カタリナはまたしてもアンの優しさに全力で甘え、学園へ一緒に来てもらうこととなった。

 

カタ(アン、本当に、本当にありがとう……!)

 

そんな心温まる主従の絆を再確認してから、数日後のこと。

カタリナの自室では、持っていく荷物の選別を巡って、早くもバチバチとした火花が散っていた。

 

アン「お嬢さま……これは、なんですか?」

 

トランクの中に詰め込まれたカタリナの私物を整理していたアンが、ドレスの間にねじ込まれていた泥汚れの落ちきっていない布の塊を引っ張り出しながら、ジト目で尋ねてきた。

 

カタ「ああ、それは畑用の作業着よ」

 

カタリナが胸を張って答えると、アンの眉間にはくっきりとシワが寄った。

 

アン「畑用って……お嬢様、まさかと思いますが、貴族の通うあの魔法学園で、畑を作るおつもりですか?」

カタ「もちろんよ! だって、寮生活の二年間も畑作業をしないでいたら、せっかく身につけたクワの腕が落ちてしまうじゃない! それじゃあ、将来いざという時に立派な雇われ農民になれないわ!」

 

カタリナが力いっぱい言い切ると、アンはげっそりと頬をこけさせたような表情を浮かべた。

 

アン「いや、ですから……なんで公爵家のご令嬢が農民になるのですか」

カタ「もしもの時のためよ! それにね、学園にいる間もプレヒストリック・パークのことが心配なの! 時々戻るけど二年も現場を離れたら、ガリミムスたちの餌の配合勘も鈍るし、ティタノボアの赤ちゃんたちの成長記録だって気になって夜も眠れないわ! だからせめて、学園の裏庭でパーク用の栄養満点の野菜を育てて、定期的に送ろうと思っているのよ!」

 

プレヒストリック・パークの運営に並々ならぬ情熱を燃やすカタリナは、熱弁を振るいながらさらにトランクの奥へゴソゴソと何かを押し込もうとした。

 

それを見たアンが、ハッと息を呑む。

 

アン「どんなもしもですか!? ……それに、今トランクに入れようとした長い木の棒は……まさか、愛用の鍬まで持っていくおつもりではないですよね!?」

カタ「もちろん、持っていくわよ! 学園の倉庫に私専用の使いやすい鍬があるかどうかなんてわからないからね! 備えあれば憂いなしよ!」

アン「……勘弁してください」

 

深い深い溜息を吐き出しながら、アンはトランクから作業着と鍬を取り出そうと手を伸ばした。

 

しかし、カタリナも負けじとその柄を両手でガッシリと掴む。

 

その後、自室のど真ん中で、愛用の鍬と作業着、そして『古生物の健康管理ノート』をなんとしてでも荷物に入れようとするカタリナと、公爵令嬢としての体裁を守るためにそれを断固として阻止しようとするアンとの間で、果てしない攻防戦が繰り広げられることとなった。

 

賑やかな荷造りの騒音の中、窓の外で吹き荒れていた木枯らしはいつしかその勢いを弱め、柔らかな日差しが差し込み始めていた。

 

冬が終わりを迎え、春が近づいてこようとしていた。

 

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