乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜 作:龍座
厳しい冬が終わりを告げ、柔らかな風が吹き抜ける春を迎え、ついにカタリナ達は『魔法学園』へと入学する。
魔法学園――その名の通り、魔法について学び、訓練をする学園である。
十五歳を迎えた魔力を持つ者を国中から集め、全寮制でみっちりと二年間の教育を行う学び舎だ。
この学園は国により直接運営されており、国内の学び舎では間違いなく一番の規模を誇る。
王都の中心に近い一等地に構えられたその巨大な敷地の中には、壮麗な学舎をはじめ、学生と教師が生活する広大な寮、そして高度な魔法の研究施設など、様々な施設が内包されているのだ。
ちなみに、これほど立派で巨大な施設が、莫大な国家予算を投じて国によって創られているのには明確な理由がある。
それは、魔力を持つ者、そしてその者によって生み出される魔法の力が、この国にとってかけがえのない『大切な財産』であるからだ。
他国では、魔力を持って生まれる者はほとんどいない。ゼロでこそないものの、それはかなりの少数であり、魔法使いという存在自体が非常に稀有なものとされている。
それに比べ、我がソルシエ王国は他国に比べ、群を抜くほど沢山の魔力を持つ者が生まれるという特異な性質を持っていた。そして我が国は歴史上、その魔力を持つ者たちの魔法の力を積極的に使い、国土を開拓し、他国を牽引する形で大きく発展してきたのである。
よって、その魔力を持つ者たちは『国の財産』として手厚く保護され、大切にされる。
そんな大切な財産である魔力を持つ者達が、自身の魔力を立派に、かつ安全に扱えるようになるために。そして国として、より魔力の高く魔法の才能に溢れた優秀な人材を見つけ出すために、この魔法学園は創られたのだ。
この学園でその魔法の実力と才覚を認められた者は、この国で王に次ぐ権力を有しているとも言われる『魔法省』と呼ばれる強大な魔法使いの組織での地位が、将来的に約束されている。貴族の子弟たちにとって、学園での成績は己の人生と一族の栄栄を左右する重要な意味を持っているのである。
そうして毎年、春の訪れと共に十五歳を迎えた魔力を持つ少年少女たちが、国中から期待と緊張を胸に学園に集められる訳なのだが……。
現在、カタリナが乗るクラエス公爵家の馬車は、学園へと続く大通りのど真ん中で完全に足止めされていた。
学園の正門まではあと少しの距離だというのに、馬車はここ数十分、微動だにしていない。
カタリナが不思議に思い、豪奢な馬車の小窓から顔を出して前方を確認すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
町なかの学園へと向かう幅広いメインストリートの通路を、『ブラキオサウルス』が完全に遮っていたからだ。
ブラキオサウルス―――中生代ジュラ紀後期に生息していた、非常に巨大な竜脚類(草食恐竜)の一種である。
「腕のトカゲ」という意味の学名が示す通り、他の竜脚類とは異なり、前肢(前足)が後肢(後ろ足)よりも長く発達しているのが最大の特徴だ。そのため、胴体から肩にかけて背中のラインがなだらかに上へと傾斜しており、そこからさらに長く太い首が斜め上方へと力強く伸びている。
全長はおよそ二十メートルから二十二メートル。体重は三十トンから四十トンにも達すると推定される、文字通りの超巨大生物である。
かつては「頭部の頭頂部付近にある鼻骨の開口部から、シュノーケルのように水中で息をしていた」という説が広く信じられていた時代もあったが、最新の研究では、骨の開口部が上にあっても、実際の肉質の鼻孔は吻部、つまり鼻先の先端近くの低い位置にあったことが判明している。水棲ではなく完全な陸棲であり、その柱のように強靭な四肢――特にゾウのように分厚い肉質のクッションを備えた足で、自らの巨大な体重を支えながら乾燥した大地を踏みしめていた生き物だ。
また、映画などで描かれるような哺乳類じみた大声で咆哮することはなく、声帯を持たない彼らは、鳥類やワニのように口を閉じたまま喉を膨らませて低周波の重低音を響かせたり、シューという息の音を発したりしてコミュニケーションをとっていたと考えられている。
そんな、生きた巨大な山の如き古生物が、なぜか王都のど真ん中、魔法学園へと続く大通りを塞ぐようにして横たわっていた。
しかも、ただ立ち止まっているわけではない。
その巨大なブラキオサウルスは、丸太のように太い四本の脚を器用に体の下に折り曲げた胸臥位と呼ばれる、自らの体重で内臓を圧迫しない竜脚類特有の休息姿勢を取り、長い首を安全な位置に丸め込むようにして……完全に爆睡していたのである。
「ズズゥゥゥン……グルルゥゥゥン……」
ブラキオサウルスの鼻先から漏れる、地鳴りのような極低周波の寝息。それは耳で聞くというより、空気を伝わって内臓を直接震わせるような、深く重い振動だった。
その結果、新入生たちを乗せた馬車は大渋滞を引き起こしていた。
ブラキオサウルスの皮膚は、骨に皮が張り付いたような貧相なものではなく、分厚い筋肉と頑強な鱗に覆われた非常にマッシブなものである。そんな数十トンの肉の壁が道を塞いでいるのだから、馬たちは本能的な恐怖から前に進もうとせず、御者たちがいくら手綱を引いてもパニックを起こすばかり。
徒歩で通っている生徒や町の人々も、万が一この巨大生物が寝返りを打ったり、目を覚まして暴れ出したりしたらひとたまりもないと、遠巻きに立ち往生して震えている状態だった。
カタリナの向かいの席に座っていたアンが、窓の外の光景を見て青ざめ、ガタガタと震えながらカタリナの袖を引いた。
アン「お嬢様……ア、アレって……」
アンの言葉に、カタリナもまた呆然としながら、信じられないものを見る目でその巨大な竜脚類を見つめていた。
カタ「見つからないとは思ってたけど、まさかこんなところで出会うなんて……」
そう、カタリナが驚愕しているのには理由があった。
現在、カタリナが運営に携わっている古生物保護施設『プレヒストリック・パーク』において、ブラキオサウルスという種はまだ一頭も保護されておらず、展示もされていないのだ。
つまり、いま目の前で王都の交通網を麻痺させて爆睡しているこの数十トンの超巨大恐竜は、パークから逃げ出した個体などではなく、完全にどこからか迷い込んできた『保護されていない野生の個体』だったのである。
カタ(あんな目立つ生き物が、どうやって王都の警備網を潜り抜けて、こんな学園の目の前までやってきて爆睡しているのよ……!?)
魔法学園の入学式という、貴族の令息令嬢たちにとって人生の晴れ舞台となるこの日に起きた、前代未聞の古生物による大渋滞。
春の穏やかな陽射しの中、図らずも野生のブラキオサウルスによる巨大な『とおせんぼ』に遭遇してしまったカタリナたちは、ただひたすらにその地鳴りのような寝息を聞きながら、立ち往生するしかなかったのである。
立ち往生してしまった公爵家の豪奢な馬車から、カタリナは意を決して外へと足を踏み出した。
今日のために仕立てられた魔法学園の制服――白を基調に清涼感のあるブルーのラインが入ったセーラー風のジャケットに、胸元で揺れる立体的な大きな青いリボン。優雅に広がるボリュームのある白いロングスカートの上から、ゴールドの縁取りが光るブルーの燕尾状のオーバースカートを重ねた気品ある装いである。
しかし、どれほど可憐に装っていようとも、カタリナの視線の先に横たわっているのは、体長二十メートルを優に超える本物の超巨大恐竜であった。
人だかりと馬車の列をかき分けるようにして前へ進むと、少し離れた歩道で途方に暮れていた金髪の少女の姿が目に飛び込んできた。
カタ「マリアちゃん!」
カタリナが声をかけるとマリア・キャンベルが弾かれたように振り返り、パッと表情を輝かせた。
マリ「カタリナ様!」
カタリナの無事を確認してホッと胸を撫で下ろしたマリアだったが、すぐに表情を曇らせ、街道の真ん中で小山のように丸くなっている巨大な生物へと視線を向けた。
マリ「大変なことになりましたね」
カタ「そうね。にしても一体どこから来たのかしら……?」
カタリナは腕を組み、うーんと首をひねった。
王都の周囲は開けた平野や管理された貴族の領地が広がっている。ブラキオサウルスのごとき三十トンを超える超大型の竜脚類が、人知れず生息し、誰にも見つからずにここまで移動してくるなど、本来であればあり得ない話なのだ。
カタ(いくら何でも、あんな目立つ生きた山みたいな生き物が、急に街の中に生えてくるわけないじゃないの……!)
思案に暮れるカタリナの背後から、馬車から降りて追いかけてきた専属メイドのアンが、青ざめた顔で駆け寄ってきた。
カタ「アン!すぐに前線でオロオロしている衛兵さんたちのところへ行って、『絶対に大声を出したり、槍や魔法で突いたりしてブラキオサウルスを刺激しないように』と伝えてちょうだい。あんなに巨大な子がパニックを起こして暴れたら、このあたりの建物なんて一瞬で踏み潰されてしまうわ」
アン「わかりました! すぐに行ってまいります!」
アンは力強く頷くと、スカートの裾を少し持ち上げ、人ごみを押し分けて現場の指揮をとろうとしている衛兵たちの元へと走っていった。
取り残されたカタリナとマリアは、安全な距離を保ちつつ、爆睡を続けるブラキオサウルスを観察した。
巨大な胴体から斜め上方へと伸びる太い首の先、その小さな頭部からは、「ズズゥゥゥン……」という地鳴りのような重低音の寝息が漏れている。声帯を持たない竜脚類特有の、胸腔や気嚢を共鳴させて発せられるその音は、地面を介してカタリナたちの足裏にまで物理的な振動として伝わってくるほどだ。
鼻先の高い位置ではなく、吻部の先端近くにある肉質な鼻孔が、息を吸い込み、吐き出すたびに微かに伸縮している。
首から背中にかけて走る筋肉の隆起、分厚い皮膚を覆う細かな結節状の鱗、そして四本の脚を器用に折りたたんで内臓を圧迫しないよう配慮されたその休息姿勢は、まさに最新の古生物学の研究成果そのものであった。
カタ「……さて、どうしましょうか、マリアちゃん」
マリ「はい。このまま眠り続けてくれるなら害はありませんが、目を覚ましたときに街中でパニックになられては困りますものね」
マリアは困惑しつつも、冷静に状況を分析して頷いた。
カタ「そうなのよ。それに、この大きさでしょう? 重さが三十トン以上はあるはずだから、強引に引っ張ったり、土魔法で持ち上げたりなんて絶対に不可能だわ。下手に持ち上げようとしたら、重力で彼自身の骨や内臓が押し潰されて大変な怪我をしてしまうもの」
カタリナが真剣な面持ちで語る知識の深さに、マリアは感心したように目を丸くした。
カタ「まずは彼が起きるのを待つしかないけれど……起きた後、どうやって安全な場所まで誘導するかが問題ね。プレヒストリック・パークには、まだブラキオサウルスを受け入れる専用の巨大な高木林のエリアが完成していないのよ。かといって、野生のまま王都を彷徨わせるわけにもいかないし……」
ブラキオサウルスのような高い木の葉を食べる草食動物は、一日に数百キログラムものソテツや針葉樹などの植物を消費する。もし王都の街路樹や貴族の庭園の木々を見つけたら、片っ端からそのチゼル状の頑丈な歯で削ぎ落として食べ尽くしてしまうだろう。
カタ「やっぱり、彼が大好きな高い木の枝や葉を使って、安全な郊外まで誘い出すのが一番かしら……? マリアちゃん、光魔法や植物に関することで何かアイデアはある?」
カタリナが尋ねると、マリアは胸元に手を当て、真摯な瞳でブラキオサウルスを見つめながら考え込み始めた。
学園の入学式という人生の晴れ舞台を目前にして、二人の少女は白とブルーの可憐な制服姿のまま、街のど真ん中に居座る三十トンの巨大恐竜をいかに傷つけず、安全に保護・誘導するかという前代未聞の作戦会議に頭を悩ませるのだった。
カタリナとマリアが、街のど真ん中で爆睡する超巨大な竜脚類を前に、いかにして安全に誘導すべきか頭を悩ませていた、まさにその時であった。
カンカンカンカンカンッ……!!
突如として、王都の静寂を切り裂くように、城壁の監視塔からけたたましい警鐘が打ち鳴らされた。
空気を震わせる金属的な高音が、非常事態を告げて街中に響き渡る。
その鋭い音の連なりに、これまで深い眠りについていたブラキオサウルスの巨大な体が、ビクリと反応を示した。
吻部(鼻先)の肉厚な鼻孔から「シュウゥゥッ」と鋭い息が吐き出され、長い首の先にある小さな頭部のまぶたが、ゆっくりと重々しく開かれる。瞬膜がスライドし、状況を警戒するような爬虫類特有の瞳が姿を現した。
アン「お嬢様、起きます……っ!」
悲鳴のようなアンの声に、カタリナたちは息を呑んで後ずさった。
休むために四肢を折りたたんでいたブラキオサウルスが、ゆっくりと、しかし凄まじい力感をもって起き上がり始めたのだ。
まず、他の竜脚類よりも際立って長い前肢(前足)が踏ん張りを利かせ、数十トンにも及ぶ分厚い胸と肩の筋肉をグワァンと持ち上げる。続いて、太い丸太のような後肢が伸び、強靭な筋肉が軋むような音を立てて巨体を完全に支えきった。
最後に、斜め上方へと伸びる長大な首が、天を衝くように高く持ち上げられる。
完全に四本足で立ち上がったその姿は、まさしく「動く山」であった。
頭頂部の高さは地上から十二メートル以上。周囲にある三階建てのレンガ造りの建物すら見下ろすほどの圧倒的なスケール感である。足元にいるカタリナたちは、人間という生き物がいかにちっぽけで無力な存在であるかを、その質量を前にして改めて思い知らされていた。
立ち上がったブラキオサウルスは、足元の人間たちや馬車には目もくれず、重々しい動作でゆっくりと背後へ振り向いた。
首の動きに合わせて、カウンターウェイト(釣り合い)の役割を果たす太く長い尻尾が、地面に擦れることなくピンと張った状態で宙を薙ぐ。
巨大な竜脚類が視線を向けた先――それは、カタリナたちのいる大通りからずっと遠く離れた、王都をぐるりと囲む巨大な城壁の向こう側だった。
カタ「……えっ?」
カタリナが呆然と声を漏らす。
なんと!はるか遠くの城壁の向こう側から防壁の高さすら優に超える『二本の巨大な首』が、こちらに向かってゆっくりと近づいてくるではないか。
城壁の向こう側に現れたのは、二頭の別のブラキオサウルスだった。
一頭は群れのリーダー格と思われるひときわ巨大な個体、もう一頭はやや小柄な個体である。おそらく、街に迷い込んで寝ていたのは、好奇心から群れを離れてしまった若い個体なのだろう。群れの仲間が、はぐれた一頭を探して王都のすぐそばまで接近してきていたのだ。
これこそが、王都の監視塔がパニックに陥り、非常事態の警鐘を鳴らし続けていた本当の理由であった。
『ズオォォォォォン……ッ』
大通りにいたブラキオサウルスが、口を硬く閉じたまま、喉と巨大な胸腔を大きく膨らませて鳴いた。
人間の耳には地鳴りのように聞こえるその声は、空気を物理的に震わせ、周囲の建物の窓ガラスをガタガタと鳴らし、カタリナたちの内臓を直接揺さぶってくる。
すると、城壁の向こうにいる二頭のブラキオサウルスからも、同じように『ズオォォォォォン……』という腹の底に響く低周波の鳴き声が返ってきた。
強固な石造りの城壁や建物を通り抜け、数キロ先まで届くその重低音によるコミュニケーション。彼らは間違いなく互いの存在を確認し合っていた。
群れの仲間を見つけた大通りのブラキオサウルスは、一切の躊躇なく、その二頭が待つ方向へとゆっくりと歩みを進め始めた。
ズンッ……! ズンッ……!
巨大な足が地面を踏みしめるたび、王都の整備された美しい石畳が、まるで薄いビスケットのようにパキパキと砕け散っていく。
歩幅に合わせて三十トン以上の体重が移動するその運動エネルギーは、まさに災害そのものだった。
前へ進むため、ブラキオサウルスの分厚い太ももが、通りに放置されていた商人の木製荷馬車に軽くぶつかる。
ただ「皮膚が触れた」というだけの感覚。しかし、それだけで荷馬車はマッチ箱のように軽々とひしゃげ、木っ端微塵に粉砕された。
さらに、長く伸びた尻尾が建物の角をかすめると、精巧な彫刻が施された石の街灯やレンガの看板が、飴細工のようにあっけなくへし折られて崩れ落ちる。
だが、当のブラキオサウルスにとっては、それらの破壊行動に一切の悪気も、人間への敵意も存在しなかった。
太古の森で、少し邪魔な枯れ枝を踏み折ったり、シダの茂みを掻き分けたりして進むのと全く同じ感覚。硬い石畳の感触も、彼にとっては「足場が良い平坦な道」程度の認識でしかない。
人間たちが絶叫しながら逃げ惑い、カタリナたちが息を潜めて見送る中、ブラキオサウルスは通った後に残る無残な被害の痕跡など何の関係もないと言わんばかりに、ただただ群れの仲間と合流するためだけに、悠然と歩き去っていく。
ズシン……! ズシン……!
三十トンを超える規格外の質量が、王都のメインストリートを一直線に進んでいく。
ブラキオサウルスの向かう先には、王都を外敵から守るための堅牢な石造りの『防壁』がそびえ立っていた。
本来ならば、強固な防壁は外敵の侵入を防ぐ頼もしい盾である。しかし、あの巨大な竜脚類にとっては「邪魔な岩」程度の認識しかないだろう。
もし、彼が力任せにあの防壁を突破しようとすれば、分厚い石の壁は内側へと崩落し、周囲の建物や避難し遅れた人々に致命的な被害をもたらすことは火を見るより明らかだった。
「このままでは城壁が崩壊するぞ!」
「ええい、構わん! 門を開けている暇はない、壁を一時的に崩せ!」
絶体絶命の危機に瀕し、いち早く動いたのは、魔法学園から駆けつけていた教師陣をはじめとする優秀な魔術師たちだった。
彼らは即座に判断を下すと、一斉に強力な『土の魔法』を発動させた。
ゴゴゴゴゴゴォォォ……ッ!
魔術師たちの放った魔力が城壁の基礎に干渉し、ブラキオサウルスの進行ルート上にある防壁の一部を、敢えて「外側」へと向かって計画的に崩壊させたのだ。
土煙が舞い上がり、瓦礫が崩れ落ちた後には、巨大な恐竜が通るのに十分な幅の『即席の通り道』がぽっかりと開いていた。
ブラキオサウルスは、目の前の壁が崩れたことにも特に驚く様子を見せず、ただ「歩きやすくなった」とでも言わんばかりに、悠然とその開いた穴を通り抜けていった。
土煙の向こう側、城壁の外に広がる平野部で、三頭の巨大な竜脚類がついに合流を果たした。
群れのリーダー格である最大個体と、行動を共にしていたやや小柄な個体。そして、王都で爆睡していた若い個体である。
彼らは長い首を器用に曲げ、互いの首や胴体を優しく擦り合わせるようにしてスキンシップを図っていた。
『ズオォォォン……』『グルルルゥ……』と、空気を震わせる低周波の音が響き渡る。声帯を持たない彼らなりの、無事を確認し合う穏やかなコミュニケーションの音だった。
カタ「……よかった。どうやら、無事に仲間と合流できたみたいね」
遠くからその様子を見守っていたカタリナは、ようやく張り詰めていた息を吐き出した。隣にいたマリアやアンも、へナヘナとその場に座り込みそうになっている。
それにしても、なぜあの若いブラキオサウルスは、わざわざ単独で王都のど真ん中まで入り込んできたのだろうか。
ふと、カタリナが周囲の惨状を見渡して、その答えに気がついた。
カタ(そういうことか……)
大通りに等間隔で植えられていた、美しく背の高い街路樹。その枝葉が、ノミのような形状をした歯で綺麗に削ぎ落とされ、丸裸になっていたのだ。ブラキオサウルスは本来、首を高く持ち上げて高木の葉を主食とする「ハイ・ブラウザー」である。
さらに視線を落とすと、ひしゃげた荷馬車の残骸の中に、王都の市場へ運ばれるはずだった大量の新鮮な野菜が散乱し、その多くが食い荒らされた跡があった。
彼らは高木の葉を好むが、最新の研究では、首を地面まで下げて低い位置の植物を食べることも構造上十分に可能であったことが分かっている。
魔法による品種改良で栄養満点に育った王都の高木や、甘く瑞々しい野菜たち。
おそらく、はぐれた若いブラキオサウルスは、風に乗って漂ってきた王都の『豊潤な餌の匂い』に誘惑され、本能の赴くままに歩みを進めた結果、ここに辿り着いたのだろう。
そして、腹いっぱい食べたところで満腹になり、あの場所でうたた寝を始めてしまったのだ。
カタ「被害は出ちゃったけれど、誰も怪我人が出なくて本当に良かったわ……。これで一先ず、この騒動も終わりね」
カタリナは額の汗を拭い、学園の入学式には遅刻してしまいそうだけれど仕方ないわね、と呑気に考えていた。
だが。
太古の自然の摂理は、カタリナの甘い予想をはるかに超えていた。
『ズオォォォォン……』
城壁の外で、合流したはずの若いブラキオサウルスが、再び低く腹の底に響くような音を鳴らした。
そして、ゆっくりと長い首を反転させ、今しがた自分が出てきたばかりの『魔術師たちが開けた城壁の穴』の向こう――緑豊かな王都の中心部へと視線を向けたのだ。
群れの仲間である二頭のブラキオサウルスも、若い個体に促されるようにして、ゆっくりと王都の方角へ鼻先を向ける。
彼らの優れた嗅球が、壁の穴から漏れ出してくる未知の甘い匂い――栄養価の高い街路樹や、貴族の温室で育てられた極上の植物、市場の野菜の匂いを、はっきりと捉えた瞬間だった。
カタ(……え? まさか……?)
カタリナの顔から、さーっと血の気が引いていく。
動物にとって、安全で豊富な餌場を見つけることは至上命題である。若い個体は仲間に向かってこう伝えたのだ。「こっちに行けば、美味しくて食べやすい葉っぱが山ほどあるぞ」と。
草食恐竜に、人間の領土だの、都市のインフラだのといった概念はない。そこにあるのは「広大で歩きやすい餌場」という事実だけだ。
ズシン……ッ!
若いブラキオサウルスが、再び王都へ向かって足を踏み出した。
そしてそれに続くように、群れのリーダーである最大個体と、もう一頭の個体も、ゆっくりと、しかし確かな足取りで前進を始めたのである。
カタ「う、嘘でしょ……!?」
道を塞いでいた一頭が帰っていったと思ったら。
あろうことか、あの若い個体が、群れの仲間を二頭も引き連れて、美味しいご飯(王都の植物)を食べるためにUターンしてきてしまったのだ!
「ひぃぃぃぃっ! き、来ます! 今度は三頭一気に来ますぅぅぅ!!」
「全魔術師、構えろォォォ! 何としても防衛線を敷くんだ!!」
一台の馬車をも容易く踏み潰す三十トン超級の肉の山が、今度は三つ。
それらが、魔術師たちが自ら親切に開けてしまった城壁の大穴を通って、のっしのっしと王都への再入場を果たそうとしている。
もはや、魔法学園の入学式への遅刻どころの騒ぎではなかった。
前代未聞の超巨大草食恐竜の群れによる「王都食べ放題ツアー」の開幕により、王都中は文字通りの大パニックに陥っていた。
ズシン……ッ!ズシン……ッ!
王都の堅牢な石畳を、合計百トンを超えるであろう三つの巨大な質量が踏み荒らしていく。
先頭を歩くのは、群れのリーダーと思われる体長二十二メートルに達する最大個体。その後ろにやや小柄な成体と、先ほどまで道で爆睡していた若い個体が続く。
現代のゾウと同じように分厚い肉質のクッションが備わった足の裏のお陰で足音が直接鼓膜を劈くようなことはないが、三十トンから四十トンという規格外の体重が地面に降ろされるたび、局地的な地震のような重い振動が王都の建造物を根元から揺さぶった。
陳列棚のガラスが割れ、屋根瓦がバラバラと滑り落ち、悲鳴を上げる市民たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
だが、三頭のブラキオサウルスたちに、人間を襲う意思など微塵も存在しなかった。
彼らの目的はただ一つ、王都に溢れる『美味しくて栄養満点の植物』を腹に収めることである。
リーダーの個体が、王都の大通りに植えられている樹齢数百年の巨大な観賞用の針葉樹に目を留めた。
斜め上方へと伸びる長大な首が、しなやかな筋肉の連動とともにさらに高く持ち上げられる。地上十二メートルを超える高さにある、最も日当たりが良く栄養の詰まった緑の樹冠へと、小さな頭部が難なく到達した。
ブラキオサウルスは、鼻先の先端近くにある肉厚な鼻孔から「シュウゥゥゥ」と空気を吐き出すと、大きく口を開けた。
ズババババババッ!!
巨大な顎が太い枝を咥え込み、首の筋肉を使って手前に力強く引き抜く。それだけで、枝に生い茂っていた大量の葉が、一瞬にして綺麗に削ぎ落とされた。
彼らは咀嚼(そしゃく)をしない。削ぎ落とした数十キログラムもの葉を、そのまま丸呑みにするのだ。膨大な量の植物が、長い喉を通って巨大な胃(あるいは発酵タンクの役割を果たす巨大な腸)へと送り込まれていく様子が、首の動きからありありと見て取れた。
「ひぃぃぃっ! わ、私の丹精込めて育てた庭園がぁぁぁ!!」
大通りの少し奥、貴族の豪奢な屋敷から悲痛な叫び声が上がった。
若い個体が、立派な錬鉄の門扉を「少し硬い茂み」程度の認識でへし折り、綺麗に整えられた庭園に侵入していたのだ。温室を覆うガラスが巨大な前肢に踏み砕かれ、中にあった貴重な異国の植物や、魔法で品種改良された極上のフルーツが、次々と強靭な顎に吸い込まれていく。
「攻撃するな! 絶対に魔法で刺激するんじゃないぞ!!」
現場に駆けつけた魔法省の魔術師たちや、特務保護部隊の隊長が、血相を変えて部下たちに怒号を飛ばしていた。
これほどの巨体となれば、下手の攻撃魔法など分厚い鱗と筋肉に阻まれて痛痒も与えられない。もし、強力な魔法で無理やりダメージを与えたらどうなるか。
痛みと恐怖でパニックを起こした三十トン超えの肉の塊が三つ、時速二十キロから三十キロという速度で王都内を暴走することになるのだ。そうなれば、王都の半分が物理的に更地になってしまう。
さらに、彼らがその場で絶命したとしても大問題だった。三十トンもの巨体が市街地のど真ん中で倒れ込めば、その下敷きになった建物は跡形もなく潰れ、後には処理不可能な巨大な肉の山が残されることになる。
「土の魔法で防壁を作れ! 奴らの進行ルートを逸らすんだ!」
魔術師たちが総出で魔力を振り絞り、ブラキオサウルスたちの行く手に高さ五メートルほどの分厚い土の壁を隆起させた。
しかし、大人のブラキオサウルスは、それを一瞥しただけで、特に気にする素振りも見せなかった。彼らにとっての五メートルは、人間の膝丈ほどの段差に過ぎない。
ズゴォォォンッ!!
丸太のような前肢が持ち上がり、無造作に土の壁へ振り下ろされる。魔術師たちが命がけで作り上げた防壁は、まるで砂上の楼閣のようにあっけなく粉砕され、恐竜たちはそのまま平然と前進を続けた。
歩行のバランスを取るために左右に振られた長大な尻尾が、時計塔の中腹を直撃し、レンガの雨を降らせる。
『ズオォォォォン……ッ』
『グルルルゥゥゥ……』
腹の底に響くような極低周波の音が、三頭の間で交わされる。
「ここの葉っぱ、すごく美味しい」「もっと奥にもあるぞ」とでも言っているかのように、彼らは食事の喜びを共有しながら、王都の中心部――より緑の豊かな王城や魔法学園の敷地の方角へと、ゆっくりと歩みを進めていく。
カタ「……あわわわわわ……」
少し離れた安全圏に避難したカタリナは、アンと抱き合いながら、すっかり変わり果てていく王都のメインストリートを絶望的な面持ちで見つめていた。
隣では、マリアが青ざめた顔で両手を組んで祈っている。
この巨大な生き物たちに悪気はない。彼らはただ、極めて燃費の悪い自身の体を維持するために、本能のままに食事をしているだけなのだ。
だが、その「ただの食事」が、人類の築き上げた文明をこれほどまでに容易く蹂躙してしまう。これが、中生代という時代を支配した超巨大生物の、ありのままの脅威であった。
カタ「……もう、力尽くでどうにかできる相手じゃないわ」
カタリナはゴクリと唾を飲み込んだ。
この大災害を止めるには、武力や魔法の壁ではなく、彼らの「生態」を逆手に取るしかない。つまり、王都の植物以上に彼らを強烈に惹きつける『何か』を使って、彼らを自発的に城壁の外へと誘導するしか道は残されていないのだ。
入学式を知らせるはずだった学園の鐘の音は、パニックを告げる怒号と、恐竜たちが建物を砕く破壊音に完全に掻き消されていた。
ズン……! ズン……!
三頭のブラキオサウルスによる進行は、もはや災害の様相を呈していた。
王都の美しい街路樹は片っ端から削ぎ落とされ、貴族の庭園は無残に踏み荒らされ、彼らが通った後には瓦礫と土煙だけが残されていく。
魔法省の魔術師たちが必死に築き上げる土の防壁や、水や風の魔法による目眩しなどは、百トンを超える規格外の質量と、強靭な皮膚を持つ彼らの前には、まるで児戯に等しかった。
下手に炎や雷の高火力魔法を放てば、パニックを起こした彼らが暴走し、王都が文字通り壊滅してしまう。まさに手も足も出ない、絶体絶命の状況であった。
カタ「あれがあれば…!」
避難誘導の合間、安全な物陰から絶望的な光景を見つめるカタリナの隣で、マリアが必死に励ましの声をかける。しかし、その声も震えていた。
その時である。
ジオ「カタリナ!! 無事か!!」
瓦礫を乗り越え、切羽詰まった声とともに現れたのはジオルドだった。その後ろからはキースやアランたちの姿も見える。
彼らは王城の警備隊や、駆けつけた護衛の騎士たちと共に、避難誘導や救助活動に奔走していたのだ。
カタ「ジオルド様! キース、アラン様も!」
ジオ「怪我はない!? 全く、あの非常識なバケモノたちは一体どこから湧いて出たんだ……!」
ジオルドが忌々しげに、王城の方角へと向かっていく三頭の巨大な背中を睨みつける。
王家の至宝とも言える王城の大庭園まで、あと数百メートルの距離にまで迫っていた。あの場所には、国中から集められた希少な魔法植物や、樹齢千年の大樹が植えられている。もしあそこが餌場になれば、被害は計り知れない。
キー「剣や魔法が通じない相手だなんて……どうすればいいんだ!」
キースが悔しそうに土壁を殴りつける。
どうすることもできないのか。誰もがそう思った、その時だった。
「おーい! 道を開けなさーい! 魔法省のお通りよーっ!!」
けたたましい馬のいななきと共に、信じられないほどのスピードで一台の巨大な馬車が大通りに突っ込んできた。
荷台を覆う幌はなく、代わりに積まれていたのは、カタリナの記憶にある『前世のライブ会場で使われる巨大なスピーカー』のような、奇妙で無骨な箱型の魔道具であった。
手綱を握り、派手な改造制服を翻しながら満面の笑みで馬車を操っているのは、魔法道具研究室のニックス・コーニッシュだ。
そして荷台の上では、無表情のままアライグマのぬいぐるみを抱えたリサ・ノーマンや、白衣姿の魔法道具研究室のメンバー、さらには丸い眼鏡をかけた生物研究室の部署長ヘクター・デーリアスまでもが、身を乗り出して興奮した様子で叫んでいた。
カタ「来た! 来たわよ!!」
カタリナの顔が、パッと明るく輝いた。
実は、カタリナはプレヒストリック・パークでの経験から、「万が一、超大型の恐竜がパニックを起こした際、物理的な壁や攻撃魔法に頼らずに彼らの動きを制御する方法」について、随分前から魔法省に相談を持ちかけていたのだ。
変わり者の集まりである『魔法道具研究室』と、古生物に異常な執着を見せるヘクター率いる『生物研究室』。この二つの部署がタッグを組み、カタリナの突飛なアイデアを元に、日夜(雑用の合間を縫って)極秘裏に開発を進めていた切り札。それが今、到着したのである。
馬車がジオルドたちの前で急ブレーキをかけて止まると、荷台から筋骨隆々のオネエマッチョ、ガイ・アンダースン(自称ローラ)が軽やかに飛び降りてきた。
ローラ「あらんカタリナちゃん、待たせたわねぇん! 試作機だけど、ばっちり間に合ったわよ!」
カタ「ローラさん! ありがとうございます! すぐに起動してください!」
ジオ「ちょっと待って! 一体何をするつもりだ!?」
状況が飲み込めず、目を白黒させるジオルドをよそに、馬車の上の魔道具研究員たちは素早く『巨大なスピーカー型魔道具』のセッティングを始めた。
ヘクター「いいですか、殿下! 古生物学に基づいた生態研究の結果、あのブラキオサウルスという種は、極めて低い周波数の音――つまり『超低周波音』で遠くの仲間とコミュニケーションをとっていることが判明したのです!」
ヘクターが丸眼鏡をくいっと押し上げ、早口で熱弁を振るう。
ヘクター「そして! 魔法道具研究室の技術を結集し、風の魔石の振動を増幅させることで、彼らの鳴き声と同じ周波数の『超低周波音』を人工的に発生させる魔道具が完成しました! 名付けて『指向性・インフラサウンド・エミッター』です!」
アラ「……つまり、どういうことだ?」
アランが顔をしかめて尋ねる。
カタ「簡単なことよ」
カタリナがニヤリと笑った。
カタ「あの子たちは『こっちにご飯があるぞ』っていう仲間の声に釣られて戻ってきちゃったの。だったら、それよりもっと大きな声で、『あっちの方にもっと美味しいご飯があるぞ!!』って教えてあげればいいのよ!」
キー「そうか! 偽の仲間の声で、奴らを城壁の外へ誘導するってわけか!」
キースが納得したように手を打つ。
カタ「その通り! 行くわよ、ローラさん、ニックスさん!」
ローラ「任せなさぁい!!」
ガイ(ローラ)とニックスが、巨大なスピーカー型魔道具に魔力を注ぎ込む。
魔道具内部の特殊な風の魔石が激しく明滅し、目には見えない巨大な空気の振動波が、ブラキオサウルスたちに向かって真っ直ぐに放たれた。
『ズオォォォォォォォォォォォン……ッ!!!』
人間の耳には、かろうじて「空気が震えている」程度の地鳴りにしか聞こえない。しかし、ブラキオサウルスたちの発達した聴覚には、それは「はるか遠く(城壁の外)から仲間が呼んでいる、強烈で魅力的な合図」として正確に届いていた。
ピタリ、と。
王城のすぐ手前で、最大個体のブラキオサウルスの動きが止まった。
長い首をゆっくりと振り返らせ、魔道具から放たれる超低周波音の発生源――つまり、城壁の外の方角へと意識を向ける。
『グルルルゥゥ……?』
カタ「よし! 反応したわ! ヘクターさん、もっと『群れのリーダーの声』っぽく周波数を調整して!」
ヘク「お任せを! いやぁ、素晴らしい生態反応だ! ぜひ捕獲してじっくり研究したいですねぇ!」
カタ「ダメです! さっさと外へ誘導してください!」
マッドサイエンティスト気味なヘクターの暴走をカタリナが窘める中、魔道具からさらに複雑に調整された超低周波音が連続して放たれる。
『あっちに、すっごく美味しい高木林があるぞ!』
『早く来い! こっちの森のほうが安全だぞ!』
(※人間の言葉に翻訳した場合)
そんな偽のメッセージを受信した三頭のブラキオサウルスは、少しの間、目の前にある王城の庭園と、はるか遠くから聞こえる「仲間の声」を天秤にかけるように首を揺らしていた。
やがて、リーダー個体が『ズオォォォン』と短く鳴き声を返すと、彼らはクルリと方向を変えた。
王都の植物も美味しいが、やはり「仲間のいる安全な場所」で食べる方が、彼らにとっては重要なのだ。
ズシン……ッ! ズシン……ッ!
巨大な三つの質量が、魔道具が放つ超低周波音に導かれるようにして、再び城壁に開いた大穴の方角へと、のっしのっしと歩み去っていく。
その後ろ姿は、ただ「ご飯の場所が変わったから移動するだけ」といった風情で、相変わらず人間の被害などどこ吹く風であった。
ジオ「……本当に音だけで帰っていく……」
ジオルドが、信じられないものを見る目でその光景を見送っていた。
こうして、魔法省の変人部署たちの技術と、カタリナの古生物知識が奇跡的な融合を果たし、王都を滅亡の危機から救ったのである。
ーーー
三頭の超巨大恐竜が去り、嵐が過ぎ去った後の王都には、どこか現実味のない静寂と、あまりにも無残な惨状だけが残されていた。
破砕された石畳、崩れ落ちた建物の壁、なぎ倒された街灯や石柱、そして葉を一切合切削ぎ落とされて幹だけになった無残な街路樹――。かつて美しく整えられていた王都のメインストリートは、まるで巨大な地すべりでも起きたかのように荒れ果てていた。
マリ「結局……入学式、延期になりましたね……」
割れたレンガの瓦礫の脇で、マリアがスカートの汚れを払いながら、ぽつりと呟いた。
その瞳には、せっかくの晴れ舞台が思わぬ形で遠のいてしまったことへの困惑と、目の前の被害に対するショックの色が滲んでいた。
カタ「ええ、そうね……。さすがにこの状態じゃ、式どころじゃないものね……」
カタリナは力なく頷いた。
事態を受け、王城と魔法省は即座に緊急事態を宣言。魔法学園の入学式は正式に延期が決定され、現在は王城の近衛騎士団や、魔法省の各部署から駆り出された職員たちが総出で、被害者の救助活動や瓦礫の撤去、崩れた建物の応急修復作業に追われていた。
そこへ、服の袖を捲り上げたキースが、額の汗を拭いながら歩み寄ってきた。彼は土魔法を駆使して、先ほどまで崩れかけた民家の補強作業を手伝っていたのだ。
キー「姉さん、お疲れ様。……それで、その『ぶらきおさうるす』もプレヒストリック・パークで保護するの?」
キースのストレートな問いかけに、カタリナは思わず両手で頭を抱え、深いため息をついた。
カタ「この被害を見たら、そうするしかないわよ……。あんな生きた山みたいな子たちをそのまま野放しにしていたら、今度はどこかの領地や農村が丸ごと更地にされかねないもの……」
カタリナの脳裏には、プレヒストリック・パークの広大な敷地と、そこに重く伸しかかる莫大な予算、そして工事の手間が駆け巡っていた。
カタ「展示場を新設するとしても、今まで通りというわけにはいかないわね……。あの巨体だもの。どうにかブラキオサウルスの展示場も、他の恐竜展示場と同じく幅、深さ共に最低でも溝は10メートルにするとして……エリアは…ううん、念のためにもっと広く作っておいたほうがいいわね」
最新の古生物学の知見に基づけば、三十トンを超える巨大な竜脚類は、骨格や筋肉の構造上、ジャンプしたり深い溝を跳び越えたりすることが物理的に不可能である。そのため、周囲を強固な壁で囲うよりも、十分な幅と深さを持った『乾いた掘削溝』を配置する展示法が最も有効で安全なのだ。
だが、三十トン超級の個体を複数頭収容するとなれば、そのエリアの広さたるや、これまでの肉食恐竜や小型恐竜の展示場の比ではない。
カタ「それに、一番の問題はやっぱりご飯よね……」
カタリナは眩暈を覚えるような心地で、丸裸にされた街路樹を見上げた。
ブラキオサウルスは一頭あたり一日に数百キログラムもの植物を丸呑みにして消費する。それが三頭となれば、一日に一トン以上の葉や野菜が必要になる計算だ。パークの既存の農園や森林だけでは、数日で食糧庫が底をついてしまう。
カタ「前々からあの子たちの高すぎる目線に合わせてご飯をあげられる『草食動物用高フィーダー』の製作と。あぁ、高い位置に設置された巨大な籠や棚のようなものね。地面にご飯を置くと、彼らも首を下げるのに苦労するでしょう? もう一つが彼らが食べるための大量の植物や野菜の成長を魔法で劇的に促進させて、さらに実や葉自体を巨大化させる技術の開発も依頼してるのよ」
魔法省のエキスパートや、新たに設立された農業技術研究のチームであれば、魔力を帯びた巨大な高栄養価の野菜(超巨大キャベツや巨大針葉樹の苗など)を作り出すことも不可能ではないはずだ。雑用部署と揶揄されつつも技術力の高い魔法道具研究室と、生き物オタクのヘクター率いる生物研究室なら、面白がって一気に実用化までこぎつけてくれるだろうというカタリナの計算であった。
キー「……さすが姉さん、こんな状況でもそこまで先のことまで考えているなんて」
キースは呆れ半分、感心半分といった表情で吐息を漏らした。
カタ「ふふん、パークの園長代行(自称)としてはこれくらい当然よ! これでとりあえず、三頭のブラキオサウルスたちの受け入れ態勢と食糧問題の目処は立ったわ!」
カタリナは腰に手を当て、胸を張って満足げに頷いた。
魔法学園の入学式が延期になったのは災難だったが、王都の壊滅は防げたし、パークにはまた新たな素晴らしい巨大恐竜たちが加わることになる。大損害ではあるが、未来への希望が見えた――カタリナは本気でそう思っていたのだ。
そう、この時は。
もちろん、この後、城壁の修復と王都の復興、そして「そもそもあんな魔道具をいつの間に作っていたのか」というお小言を、カタリナがたっぷりとお母様や魔法省の上層部から受けることになるのは、また別のお話で……。
だが、もう一つ。
あの騒動の最中、魔法省の変人たちが放った『超低周波魔道具』の強烈な低音波が、王都の城壁を越え、はるか遠方の鬱蒼とした未開の森林地帯にまで届いていたことを、カタリナはまだ知らなかった。
そして、その「遠くの仲間の声」に導かれるようにして、数日後、森の奥深くからさらにもう一頭の巨大なブラキオサウルスがのっしのっしと王都へ向かって歩き出し、保護対象が「合計四頭」に増えて頭を抱えることになるのだが……。
それは、もう少し先のお話である。