乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜 作:龍座
王都を未曾有のパニックに陥れた、あのブラキオサウルスによる大騒動から数日後。
緊急事態宣言によるドタバタもようやく落ち着きを見せ、延期されていた魔法学園の入学式が無事に執り行われた。
こうして、いよいよカタリナ・クラエスの、期待と不安(主に破滅フラグ的な意味で)に満ちた学園生活が幕を開けたのである。
春のうららかな陽射しが降り注ぐ、学園の中庭。
授業の合間の自由時間を利用して、カタリナたちは優雅なお茶会を開いていた。
テーブルの上には香り高い紅茶と、見るからに美味しそうな焼き菓子が並べられ、周囲には公爵家や伯爵家の美しい令嬢、そして可憐な平民の少女が談笑する、まるで絵画のような空間が広がっている。
ただ一つ、決定的な違和感を除いては。
マリ「ところで、カタリナ様。あれから、あの大きなブラキオサウルスはどうなりましたか?」
マリア不思議そうな小首を傾げながらカタリナに尋ねた。
その視線の先にいる当のカタリナは、令嬢らしいドレスや制服ではなく、なぜか『土に塗れた簡素な作業着』に、頭には手ぬぐいのような布を巻いた『頬かむり』という、この場に全く似つかわしくない農婦のような出で立ちで紅茶を啜っていた。
カタ「あの子たちなら、今は学園の敷地外に急造した仮の飼育場にいるわ。魔法省の人たちに手伝ってもらって、とりあえずご飯だけは山のように用意してあるの」
カタリナは作業着の袖で口元を拭いながら、誇らしげに答える。
カタ「でも、いずれはパークに移動させる予定よ。同じ時代の他の竜脚類(ディプロドクスやカマラサウルスなど)も今後保護するかもしれないから、混合展示を見据えて展示場はすごく広く作っているの。完成するまでには、まだまだ時間は掛かりそうね……」
カタリナが遠い目をしながらそんな壮大な計画を語る中、周囲の生徒たちはチラチラと彼女の奇抜な格好を見てはヒソヒソと囁き合っていた。
しかし、同席しているメンバーは誰一人としてその格好にツッコミを入れない。
なぜなら、カタリナがこのような姿でお茶会に参加しているのには、海よりも深い(?)理由があったからだ。
――事の発端は、数日前に遡る。
学園生活が始まって間もないある日の放課後。
授業を終えたカタリナは、ほとんど人が来ないであろう学園の敷地の隅っこ、鬱蒼と木々が茂る目立たない場所で、一人せっせと土を掘り返していた。
アン「……お嬢様。これは、花壇なのですよね?」
背後から、呆れ果てたような、そしてどこか怪訝な響きを含んだアンの声が降ってきた。
カタ「ええ、花壇よ。だって、アンとキースが『学園で畑を作るのは絶対にダメだ』って言うから、花壇にしたんじゃない」
そうなのだ。カタリナは当初、学園の敷地内でも当然のように畑を作る気満々だった。
しかし、さすがに「公爵家の令嬢が、自分の家の敷地内ならまだしも、由緒正しき魔法学園内で農作業をするなど言語道断」と、キースとアンから猛反対を受けてしまったのだ。
そこでカタリナは「じゃあ花壇で」と妥協案を出し、学園側にも「花壇を作ります」と正式に届け出を提出した。貴族の趣味としての園芸は意外と一般的であるため、学園側からはあっさりと許可が下りたのである。
だから、カタリナはこうして『花壇』を作っている。何も間違ったことはしていないはずだ。
しかし、アンはさらに眉間に皺を寄せ、怪訝そうな顔を向けてくる。
アン「……しかしお嬢様。私には、そこに並べてある苗が、どうしても『花』には見えないのですが……」
アンの鋭い視線が、カタリナの足元に綺麗に並べられた緑色の苗たちを射抜いた。
カタ「アンったら、何を言っているのよ。これはちゃんと『花』よ。こっちの苗は黄色くて可愛らしいきゅうりの花が咲くし、こっちの苗は薄紫色の上品なナスの花が咲くのよ!」
アン「……お嬢様。……つまりは私の見間違いではなく、間違いなくそれは『野菜の苗』なのですね……?」
カタ「そうね、確かに最終的には野菜が実るけれど……その前にはちゃんと綺麗な花が咲くわ!」
言い切ったカタリナを見て、アンは本日何度目か分からない深いため息をついた。
アン「……どうりですぐに納得されたと思いましたよ……」
カタ「もう、こうして苗も実家から取り寄せちゃったし、いいでしょう? 土に触れるのは私の魔力訓練にもなるし……それに、収穫できたら古生物たちの餌の足しにもなるわ!」
カタリナは上目遣いで、必死にアンを見つめた。
魔法の特訓、そして古生物たちへの愛。この二つを盾にすれば、アンも無下にはできないはずだ。
案の定、アンは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、再び長く深いため息をついた。
アン「……わかりました。ただ、他の生徒の方々や、学園の教師陣には絶対にばれないようにしてくださいね。公爵令嬢が土に塗れて野菜を育てているなどと知れたら、クラエス家の名折れですから」
カタ「ありがとう、アン!!」
やったー! とカタリナは心の中で歓喜のステップを踏んだ。
アンに許してもらえたのなら、最大の障壁はクリアしたも同然だ。あとは義弟のキースさえ言いくるめれば、もう文句を言う人はいないはずである。
アン「……それにしても、お嬢様」
アンがジト目でカタリナの全身を舐め回すように見た。
アン「その手に持っている使い込まれた『鍬』と、お召しになっている『作業着』に、どうも見覚えがある気がして仕方ないのですが……」
カタ「ああ、これ? 見覚えがあって当然よ。だって、ずっと家で愛用していたものだもの」
カタリナが屈託なく笑ってそう言うと、アンはひどくげっそりとした顔つきになった。
アン「……やっぱり……。しかし、お嬢様。私の記憶が正しければ、その作業着と鍬は、荷造りの際に確実にクラエスのお屋敷に置いてきたはずなのですが……」
カタ「そうなのよ! せっかく私がちゃんと荷物の奥底に詰めたのに、アンったら気を利かせて荷物から抜いて置いてきてしまうんだもの! だから仕方なく、わざわざ家から庭師のトム爺ちゃんに頼んで、こっそり学園まで届けてもらったのよ!」
胸を張ってドヤ顔を決めるカタリナに対し、アンは完全に虚無の表情になった。
アン「……トムさん、まさかの裏切り……」
そう呟いたきり、静かに天を仰いだアンを横目に、カタリナは意気揚々とせっせと鍬を振り下ろし始めた。
実家の広大な畑に比べれば、こぢんまりとしたささやかな『花壇(という名の畑)』だが、学園生活は授業が忙しく、あまり農作業にばかり時間を割くことはできない。だからこそ、限られた時間で最大限の効率を出すために頑張らなくてはならないのだ。
その後、花壇の存在を知ったキースからは一時間以上にも及ぶお小言をもらう羽目になったが、「これは恐竜たちの食糧問題解決のための立派な研究の一環よ!」と強引に押し切り、なんとか説得(という名の妥協)に成功した。
ちなみに、『他の生徒にはバレないように』というアンの切実な願いも虚しく、友人たちにはあっという間に畑の存在がバレてしまった。
学園の隅で頬かむりをして鍬を振り回すカタリナを発見した時、アランは「まさか、こんなお上品な所に来てまでこんなことするなんて!」と腹を抱えて爆笑し、ジオルドはその横で顔を隠し、ひたすらプルプルと肩を震わせて笑いを堪えていた。
一方、メアリ、ソフィア、ニコルの三人は最初は目を丸くして驚いていたものの、すぐに「カタリナ様が必要とあらば、私たちもお手伝いしますわ(手伝う)」と、信じられないほど好意的に受け入れてくれたのである。
――回想終わり。
かくして、カタリナが学園の隅でコソコソと農作業をしていることは、いつものメンバーには完全に筒抜けとなっていた。
令嬢が土に塗れるなど本来は社交界のタブー中のタブーなのだが、メアリたちは「カタリナ様がカタリナ様らしくて、なんだかとても安心いたしますわ」と、全肯定の構えを見せている。
だからこそカタリナは、作業の合間の休憩時間には、そのままの格好でお茶会に混ざるという凶行(?)に及んでいたのだ。
カタ「それにしても、マリアちゃんが焼いてくれたこのお菓子、やっぱり最高に美味しいわ!」
カタリナは頬かむりを直しながら、嬉しそうにクッキーを頬張った。
口の中に広がる上品な甘さとサクサクの食感が、農作業で疲れた体に染み渡っていく。
メア「はい! 本当に絶品ですわ」
メアリも優雅に紅茶を傾けながら同意する。
ソフィ「ええ、カタリナ様の言う通りですわ。マリアさんの作るお菓子は、どうしてこんなにも優しいお味がするのかしら」
ソフィアもふんわりと微笑みながら、マリアを称賛した。
貴族令嬢たちからの手放しの絶賛に、マリアの頬がほんのりと桜色に染まる。
マリ「あ、有難うございます……! カタリナ様たちにそう言っていただけて、私、とても嬉しいです」
マリアは、はにかむような、それでいて心の底から安堵したような嬉しそうな微笑みを浮かべた。
魔法学園という新しい舞台。そして、未知なる古代生物たちがもたらす非日常。
波乱万丈の予感に満ちた新生活であったが、こうして気の置けない友人たちと囲むお茶会の時間は、カタリナにとってかけがえのない、温かく平和なひとときであった。
ーーー
ー翌日ー
魔法学園の広大な敷地内にそびえ立つ、重厚な石造りの大講堂。
本来ならば、国家規模の式典や高等魔術の特別講義などにのみ使用される格式高いその場所の前に、カタリナ・クラエスはポツンと立っていた。
手には、サポート役のアンが徹夜でまとめてくれた講義用のメモ書きが握られている。
カタ(ううう……足が重いわ。帰りたい……今すぐクラエス家に帰って、トムじぃちゃんと畑を耕したい……)
内心で泣きごとを言いながらも、逃げ出すわけにもいかず、カタリナは「すぅ……はぁ……」と深呼吸を一つ挟むと、意を決して観音開きの重い扉を「ギィ……」と押し開けた。
すると――。
「「「「「おぉぉぉぉぉっ……!!!」」」」」
扉を開けた瞬間にカタリナを襲ったのは、地鳴りのような熱気と、押し寄せる無数の視線だった。
すり鉢状になった大講堂の観覧席は、隙間なく人でぎっしりと埋め尽くされていた。
魔法学園の新入生や在校生はもちろんのこと、普段は威厳を保っている教師陣、さらには噂を聞きつけて駆けつけたと思われる魔法省の職員たちまで押し寄せていたのだ。
特に最前列の特等席には、魔法省生物研究室の部署長ヘクター・デーリアスをはじめとする生き物オタクたちが、目を血走らせて紙と羽ペンを構えている。
魔法学園で原作ではありえないのに予想外な出来事が起こった……。
カタリナが扉を開くとそこには沢山の人達が。
予想外の出来事。それは――。
カタリナは特別講師として古生物について生徒達や教師、そして生物研究室の面々等に教授することになったのだ!
カタ(ど、どうしてこうなった……!?)
あまりの光景に固まるカタリナの脳裏に、昨日の出来事が鮮明にフラッシュバックした。
ー回想ー
カタ『わ、私が古生物について教えるんですか!?』
生徒会室で、カタリナはひっくり返りそうな声を上げた。
目の前に立つ婚約者、第三王子ジオルド・スティアートは、極上の爽やかな笑顔を浮かべたまま優しく頷いた。
ジオ『うん。あの王都の一件で更に古生物に対して警戒が増したからね。上は今のうちに知識を深めようと判断したのさ』
カタ『で、ですが、私にも他に適役が……! 魔法省の研究員の方とか、学園の優秀な先生方がいらっしゃるじゃないですか!』
ジオ『何を言ってるんだい?君はプレヒストリック・パークの運営者で古生物について詳しい説明唯一の存在だよ。君以外、出来ない』
カタ『で、でも私なんて、ただのしがない公爵令嬢で……知識だってその、本で読んだだけで……!』
ジオ『謙遜しなくていいよ、カタリナ。あんな巨大なブラキオサウルスたちの生態を正確に見抜き、超低周波音での誘導を提案して王都を救ったのは君だ。学園長も王家も、君以上の適任者はいないと満場一致で決定したんだ』
完璧すぎる理屈と、眩しすぎる絶対防御の笑顔。
カタリナがどれだけ反論しようと巧みに逃げ道を塞がれ、結果、流される形でカタリナは特別講師にされたのだった。
ー回想終わりー
カタ(あんな笑顔で言われたら断れるわけがないじゃないのよーーー!!)
心の中で血の涙を流しながら、カタリナはトボトボと壇上の教壇へと歩みを進めた。
教壇のすぐ脇には、サポートに入っているアンが黒のメイド服をきっちりと着こなし、マイク代わりの音響魔道具や図解用の大きなパネルを準備して待機してくれていた。
アンの存在は非常に心強いが、それでも三千人を超えそうな大観衆からの熱狂的な視線に晒され、カタリナの不安と緊張は拭えなかった。
教壇から客席を見渡せば、中央の良席にはいつものメンバーが一斉に座っていた。
カタリナを見たジオルドが笑顔で手を振っている。
ジオ「ふふ、頑張ってね、カタリナ」
その隣ではキースが頭を抱えながらも心配そうに見つめ、アランは腕を組みながらニヤリと笑っている。
キー「はぁ……姉さん、落ち着いて……」
アラ「おいおい、カタリナの奴、顔がガチガチじゃないか。大丈夫かよ」
ニコ「カタリナならきっと大丈夫だよ。彼女の言葉には人を惹きつける力があるからね」
メア「カタリナ様! どこからどう見ても素晴らしいお姿ですわ!」
ソフィ「カタリナ様の講義……しっかりと心に刻みつけますわ」
マリ「カタリナ様、頑張ってください……!」
みんなの応援の視線は非常にありがたいのだが、カタリナのプレッシャーはさらに跳ね上がるばかりだ。
さらに最前列では、生物研究室のヘクターが丸眼鏡をキラリと光らせ、今か今かと待ち構えている。
ヘク「さあ! 王都を揺るがした超巨大竜脚類の未知なる真実を、ぜひ我らにご教授ください、カタリナ様!!」
カタ(うう……逃げ出したい……! でも、ここで無様なところを見せたら、クラエス家の名前に傷がつくわ! それに、もし間違った知識のせいで古代生物たちがただの『恐ろしいバケモノ』として討伐対象にされたら大変なことになる……!)
カタリナはすーっと大きく息を吸い込んだ。
カタ(ええい!ままよ!!)
バンッ!!
カタリナは思い切り両手で自分の両頬を叩いた。
「痛っ!」と心の中で泣きそうになりながらも、紅潮した顔を持ち上げ、覚悟を決めた強い眼差しで魔道具のマイクの前に立った。
カタ「み、みなさん、お集まりいただきありがとうございます! 本日は……古生物、特に先日王都にあらわれた『ブラキオサウルス』をはじめとする古代生物たちの本当の姿について、お話しさせていただきます!」
大講堂の静寂の中、カタリナの声がスピーカー型の音響魔道具を通して朗々と響き渡った。
教壇の脇に立ったカタリナは、アンから受け取った大きなチョークを手に取ると、背後の巨大な黒板に向き直った。
カタリナが板書を始めるや否や、最前列に陣取る生物研究室のヘクターをはじめとする研究員たちが、身を乗り出すようにして羊皮紙に羽ペンを走らせ始める。
カタ「ではまずは、ブラキオサウルスの事を更に知るために古生物について教えます」
カタリナはカツカツと音を立てながら、黒板に滑らかな字で大きな年表と幾つかの名称を書き込んでいく。
実家の畑で培われた(?)力強い腕力により、黒板にはハッキリと読みやすい文字が並んでいく。
彼女がまず語ったのは、彼らが決して「闇の魔力で作られたモンスター」や「おとぎ話に登場する幻獣」ではないという、極めて現実的かつ生物学的な事実だった。
はるか昔(前世の地球)から彼らは確かにこの世界で呼吸をし、血を通わせ、食事をし、子孫を残してきた「生きた動物」であること。
彼らの巨大さや特異な姿は、魔法陣から召喚されたから奇抜なわけではなく、それぞれの環境を生き抜くために気の遠くなるような時間をかけて『適応』した結果であること。 古生物学とは、土の奥深くに眠る彼らの骨や歯、あるいは足跡やフンといった『化石』と呼ばれる痕跡から、地球の壮大な気候変動と命の繋がりを紐解く学問なのだと。
魔法という神秘の力に慣れ親しんでいるソルシエ王国の人間にとって、「魔法が一切関与しない、純粋な命の歴史と環境への適応」という概念は非常に新鮮で、かつ衝撃的であった。 最前列のヘクターなどは「おお……なんという究極のロマン……!」と身を乗り出し、凄まじい勢いで紙にペンを走らせている。
カタ「現在、判明してる種を時代別に分けると古い順から「三畳紀」、「ジュラ紀」、「白亜紀」、「古第三紀」、「第四紀」と分けられます」
チョークを置き、振り向いたカタリナは黒板に書かれた文字を指し示した。
カタ「「三畳紀」、「ジュラ紀」、「白亜紀」は中生代。これは恐竜が住んでいた時代で「古第三紀」、「第四紀」は新生代と言われています」
その言葉が講堂に響いた瞬間、会場のあちこちからざわめきが起こった。
生徒たちは顔を見合わせ、首を傾げている。中には必死にメモを取りつつも、混乱した表情を浮かべる教師たちの姿もあった。
本来、この『FORTUNE・LOVER』の世界には、「中生代」や「新生代」といった数千万年、数億年単位の地質年代の概念や、化石から紐解かれる古生物の学問体系そのものが存在しない。
この世界の人々にとって、世界は神や魔法によって創られたものであり、見たこともない巨大な生き物は単なる「未知の魔獣」や「古代の怪異」として一括りにされてきたからだ。
そのため、学園の最高峰の知識人である教師たちにとっても、カタリナが当然のように口にした「数多の時代区分」はあまりにも未知で衝撃的な概念であった。
だが、客席の中央に座るジオルドやキース、そしてメアリたち生徒会メンバーやアンは、極めて落ち着いた様子でカタリナを見つめていた。
彼らは幼少期、カタリナがガリミムスの保護施設や展示場を作ろうとした際、熱弁を振るう彼女から嫌というほどこの「古代の地球の歴史」を聞かされていたからだ。
そんな中、講堂の中段に座っていた一人の年配の教師が、静かに手を挙げた。
「あの、カタリナ様……不躾な質問をお許しください」
カタ「あ、はい! 何でしょうか?」
「今おっしゃられた『三畳紀』や『ジュラ紀』といった時代なのですが……要するに、それらの時代によって住んでいた生き物の『種類』や『姿』が何か違うのですか? 先日王都にあらわれたあの巨獣たちも、すべての時代に当たり前に存在していたわけではない……ということでしょうか?」
その鋭い質問に、カタリナは我が意を得たりと力強く頷いた。
カタ「はい。全種が同じ時代に住んでたわけではありません。これは進化の歴史なのです」
カタリナは再び黒板に向かい、三畳紀から白亜紀までの矢印を付け足した。
カタ「例えば、先日王都にやってきた『ブラキオサウルス』は、この中の『ジュラ紀後期』と呼ばれる、今から約一億五千万年ほど前の時代に生きていた生き物です。しかし、みなさんがよく絵本や伝説でイメージするような二足歩行の巨大な肉食恐竜――例えば現在飼育してるガリミムスは、もっと後の『白亜紀後期』という時代に登場します。つまり、ブラキオサウルスとティラノサウルスは、生きていた時代が何千万年も離れており、野生下で出会うことすらなかったのです」
「な、何千万年……!?」
講堂のあちこちで息をのむ音が聞こえた。
人間の歴史すら数百年、数千年の単位で捉えている彼らにとって、「何千万年」という膨大な時間の流れは到底想像のつかない領域だった。
カタ「恐竜たちは、三畳紀という時代にそれほど大きくない姿で地球上に現れました。当時の彼らは爬虫類の一種から分岐した存在でしたが、他の生物とは決定的に異なる体の構造を持っていました。それは『脚が体の真下から垂直に伸びている』という点です。トカゲやワニのように体を這わせて歩くのではなく、足を開かずに直立して歩くことで、彼らはより効率的に、そして素早く移動することができるようになったのです」
カタリナは分かりやすいように、自分の足で直立歩行の姿勢を実演してみせた。最前列のヘクターが「なるほど! 直立歩行による運動効率の向上……!」と狂気じみた勢いでペンを走らせる。
カタ「そしてジュラ紀に入ると、地球上の気候が温暖化し、豊かな森林が広がりました。その環境に適応する形で、植物を食べる恐竜たちは敵から身を守り、高い木の葉を食べるためにどんどん大型化していったのです。その頂点に位置するのが、あのブラキオサウルスに代表される『竜脚類』です」
カタリナはアンに合図を送り、準備していた大きな図解のパネルを掲げさせた。そこには、最新の解剖学的知見に基づいて描かれたブラキオサウルスの精密な骨格と内臓のイラストが載っている。
カタ「見てください。ブラキオサウルスは前足が後ろ足よりも長く、背中が斜め上に向かって傾斜しています。
そのため、首を無理に直角へ持ち上げずとも、斜め前方の高い位置にある針葉樹などの葉に楽に口が届く構造になっていたのです。
さらに、彼らの骨の中は空洞が多く、鳥類と同じ『気嚢』と呼ばれる空気の袋が全身に張り巡らされていました。これにより、三十トンを超える巨体でありながら骨格自体を軽量化し、同時に体内に効率よく酸素を取り込む優れた呼吸システムを持っていたのです」
「骨が空洞……! だからこそ、あの質量でありながら自身の重みで骨折することなく活動できるのか……!」
ヘクターをはじめとする生物研究室の面々から、感嘆の呻きが漏れた。単なる「魔法的なバケモノ」ではなく、すべてが解剖学的・生理学的に理にかなった「生物としての進化の結晶」であることを、カタリナの説明は完璧に証明していた。
カタ「また、彼らの声帯については、ライオンや怪獣のように『ガオー!』と吼えるようなものではありません。声帯を持たない彼らは、口を閉じたまま喉の気嚢を膨らませて低周波の重低音を鳴らしたり、息を吐く音で仲間と意思疎通をとっていました。先日、魔法省の方々と協力して使った『超低周波音』の魔道具は、まさに彼らのこの生態を利用したものなのです」
講堂内は、もはや静寂を通り越してカタリナの講義に完全に呑み込まれていた。
最初は「公爵令嬢の気まぐれな講義」程度に思っていた教師たちも、目からウロコが落ちたような表情でメモを取っている。
カタ「三畳紀に誕生した小さな命が、ジュラ紀に巨大化し、白亜紀には多様な姿へと枝分かれしていく……。古生物を知るということは、ただ珍しい生き物を見るということではなく、この世界で命がどのように繋がり、環境に合わせて変化してきたかという『進化の歴史』を知ることなのです!」
一息にそこまで語りきると、カタリナは「ふぅ」と小さく息を吐き、客席を見渡した。
最初にあれほどガチガチだった緊張はどこへやら、大好きな古生物について語っているうちに完全に自分の世界に入り込んでいたカタリナは、講堂全体が静まり返っていることに気づき、「やばい、語りすぎたかしら……!?」と急に不安になった。
しかし――。
パチ……パチパチパチパチパチッ!!
静寂を破ったのは、ジオルドの優雅な拍手だった。
それを皮切りに、キース、アラン、ニコル、メアリ、ソフィア、マリアが弾け出されたように立ち上がり、拍手を送る。
「「「「「おおおぉぉぉぉぉっーーーーー!!!」」」」」
次の瞬間、大講堂全体が割れんばかりの万雷の拍手と歓声に包まれた。
生物研究室の職員たちは涙を流しながら拍手を送り、質問をした教師も深くお辞儀をしている。
ジオ「素晴らしい講義だったよ、カタリナ」
教壇のすぐ下から聞こえた婚約者の賞賛の声に、カタリナは両頬を真っ赤に染めながら、照れくさそうに頭をかくのだった。
その後も、カタリナによる『第一回・古代生物学特別講義』の熱気は冷めることなく続いた。
竜脚類の生態についての解説から始まり、彼らがどのような環境下で生活し、どのようにしてあの巨体を維持していたのか。そして、むやみに攻撃魔法を放つことがいかに危険であり、彼らの生態を理解して適切な距離を保つことがどれほど重要か――。
前世で培ったオタク知識と、プレヒストリック・パークでの経験をフル稼働させ、カタリナは喉がカラカラになるまで語り尽くした。
やがて、予定されていた講義時間が終了を告げる。
カタリナが深く一礼をして締めくくると、大講堂は再び割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「素晴らしい講義だった!」
「なるほど、あの巨獣たちは『進化』の賜物だったのか……魔法とは違う理が存在するとは……!」
生徒たちや教師たちは、未知なる学問の扉を開かれた興奮に頬を紅潮させながら、互いに熱心に語り合い、大満足の様子で次々と大講堂を後にしていった。
一先ず、この前代未聞の講義は大成功を収めたと言っていいだろう。
しかし、観衆が完全に撤退し、講堂に静けさが戻り始めたその瞬間――。
カタ「…………終わっ、た…………」
カタリナの全身からプツリと糸が切れたように力が抜け、彼女は教壇の上にスライムのようにぐったりと突っ伏した。
極度の緊張と、大勢の前で絶対に失敗できないというプレッシャーから解放され、どっと重い疲労感が襲いかかってきたのだ。
そこへ、一番に歩み寄ってきたのは婚約者のジオルドだった。
ジオ「お疲れ様♪ 予想以上に見事な講義だったよ、カタリナ」
爽やかな王子様スマイルを全開にして労うジオルドに対し、カタリナは教壇に突っ伏したまま、恨めしそうに顔を半分だけ持ち上げた。
カタ「き、緊張したぁ〜……プレッシャー半端ないわよ、これ……。途中で頭が真っ白になるかと思ったわ……」
アン「よく頑張りましたね、お嬢様。お召し物の乱れもなく、堂々とした素晴らしい立ち振る舞いでしたよ」
カタリナの背中を優しくさすりながら、アンがまるで我が子の成長を喜ぶ母親のような温かい声をかける。アンの言葉には、カタリナもホッと心が安らいだ。
すると、教壇の周りにはジオルドとアンだけでなく、いつものメンバーも続々と集まってきた。
メア「カタリナ様! とっても素敵でした! あの巨大生物について語る時の知性に溢れた眼差し、そして何よりも堂々たるお姿……私、メアリ・ハント、改めてカタリナ様に惚れ直してしまいましたわ!!」
ソフィ「はい! まるで古代の歴史を紐解く賢者のようで、本当に胸が熱くなりました……! カタリナ様が描かれたあの黒板の図、私、一言一句漏らさずに書き写しましたわ!」
メアリは両手を組んでうっとりと熱い視線を送り、ソフィアは目をキラキラと輝かせながら分厚いノートを胸に抱きしめている。
キー「はぁ……最初はあの人数を見てどうなることかと思ったけど、姉さん、やればできるじゃないか。誇らしかったよ」
アラ「ああ、全くだ。普段は畑仕事ばっかりでどうしようもない奴だと思ってたが、今日ばかりは見直したぜ。あの『気嚢』ってやつ、すげぇ理にかなってるんだな」
ニコ「……ああ。カタリナの言葉には、皆を引き込む不思議な魔力がある。今日も、とても魅力的だったよ」
キースは安堵の混じった優しい笑みを浮かべ、アランは腕を組みながらも感心したように頷き、ニコルは相変わらずの魔性の微笑みでストレートな褒め言葉を口にする。
マリ「カタリナ様、本当にお疲れ様でした。あの……講義で頭を使われてお疲れだと思いまして、糖分補給のためにクッキーを焼いてきたのですが、いかがですか……?」
そしてマリアが、ふんわりと甘い香りのするバスケットを差し出しながら、天使のような微笑みを向けてくれた。
カタ「マリアちゃん……! ありがとう、生き返るわ!!」
みんなからの労いの言葉と、マリアの手作りお菓子という極上のご褒美に、カタリナの疲労も一気に吹き飛んだ。
(色々あったけど、無事に終わってよかったわ。これでようやく、平穏な学園生活に戻れる……)
そう思い、マリアのクッキーに手を伸ばそうとした、まさにその時だった。
「カタリナ様ァァァァァァッ!!!」
大講堂の通路を地響きを立てて突進してくる集団があった。
それは、魔法省・生物研究室の部署長ヘクター・デーリアス率いる、白衣姿の研究員たちであった。彼らの目は血走り、手にはびっしりと文字が書き込まれた羊皮紙の束が握られている。
ヘク「素晴らしい! 素晴らしすぎますカタリナ様!! 先ほどの『気嚢システムによる呼吸循環』についてですが、吸気時と呼気時における肺への空気の流れは、現代の鳥類と完全に一致する構造だったという解釈でよろしいのでしょうか!? また、あの三十トンの巨体を維持するための消化器官の構造について、胃石を活用していたという仮説を立てたのですが、それについてのご見解をぜひ!!」
研究員A「前肢の骨格構造における、尺骨と橈骨の可動域についても詳細なデータが欲しいです!!」
研究員B「三畳紀の初期の直立歩行へ至るまでの骨盤の進化過程について、もっと! もっと詳しく教えてください!!」
彼らはカタリナを囲い込み、息もつかせぬ勢いで専門用語の嵐を浴びせかけてきた。
普段は魔法省の奥底に引きこもっている彼らにとって、カタリナがもたらした「古代生物学」という未知の学問は、彼らの探求心という名のガソリンに火をつけてしまったのだ。
カタ「えっ!? あ、いや、その、胃石についてはパークの図書室の資料に……じゃなくて、ちょっと待って、一斉に話しかけられても……!」
カタリナは完全に圧倒され、手元のクッキーを宙に浮かせたまま目を白黒させる。
ヘク「さあ! 語り明かしましょうカタリナ様! 疑問は尽きません! なんならこの後、魔法省の我々の研究室で朝まで徹底的に議論を交わしましょう!!」
カタ「あ、朝までぇ!?」
あまりの生物研究室からの熱狂的な質問攻めに、完全に困惑し、後ずさりするカタリナ。
(ど、どうしてこうなったのーーー!? 私はただ、安全対策のために基礎知識を教えただけなのに!!)
王都の危機を救い、見事な講義で拍手喝采を浴びたものの、その結果として「魔法省の変人研究者たちから神の如く崇められ、付きまとわれる」という新たなフラグを立ててしまった公爵令嬢カタリナ・クラエス。
彼女が望む「破滅フラグの無い平穏無事な農民(?)ライフ」への道のりはあまりにも遠い。
カタリナの前途多難な魔法学園生活は、まだ始まったばかりであった。