乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜 作:龍座
あれから数週間。
カタリナが学園で始めた「古代生物学・特別講義」は、アンの献身的なサポートと本人の情熱も相まって、大好評のうちに回を重ねていた。
そして今日、座学での基礎知識を十分に学んだ生徒たちを連れて、プレヒストリック・パークでの『実技観察』が行われることになった。
広大なパークの中央、長らく巨大な工事用の柵に覆われていたエリアの前に、カタリナ、アランをはじめとする生徒会メンバー、そして目を血走らせて興奮するヘクター率いる生物研究室の面々や数十人の生徒たちが集まっていた。
カタ「みなさん、お待たせいたしました! 本日の実技観察のメインとなる、パーク最大の展示場がとうとう完成しました!」
カタリナが合図をすると、作業員たちが巨大な幕を落とした。
その瞬間、集まった見学者たちから「おおぉっ……!」と感嘆の声が漏れた。
目の前に広がっていたのは、ジュラ紀後期の豊かな大自然をそのまま切り取ってきたかのような、広大な針葉樹林とシダの平原だった。
しかし、特筆すべきはその「境界」である。
カタ「ここは『空堀構造』を採用しています。みなさんが立っている観覧通路のすぐ先は、深さ約10メートルの切り立った崖になっており、展示場自体が一段低い場所に作られています」
アランが崖下を覗き込み、感心したように口笛を吹いた。
アラ「なるほどな。鉄格子や魔法障壁で視界を遮らなくても、この高低差と堀の幅があれば、あんな巨大な生き物でも人間側には絶対に入ってこれないってわけか」
カタ「その通りアラン! 動物を檻に閉じ込めるのではなく、私たち人間が彼らの環境にお邪魔しているような没入感を作り出す工夫なの」
さらに、広大な展示場の中でひと際目を引く巨大な人工物があった。
丈夫な丸太と鉄骨で組まれた巨大な櫓から、太い鎖で吊るされた奇妙な装置である。
カタ「そして、あれは『草食動物用高フィーダー』です。目の粗い鉄の籠を鎖で団子のように三つ繋げたもので、中にたっぷりの干し草や新鮮な木の葉が入っています」
カタリナは持っていた指示棒でフィーダーを指し示した。
カタ「ブラキオサウルスは前足が長いため、首が自然と斜め上に向かって伸びる構造をしています。しかし、それでも首を垂直に高く持ち上げ続けるのは血圧の観点から負担がかかるのです。あのフィーダーは、彼らが最も楽な姿勢(約45〜60度の角度)で食べられる高さに設定されています」
アン「それに、あの籠は食べる時に適度に揺れるようになっています」
アンがカタリナの言葉を補足する。
カタ「そう! 揺れる籠から葉を引き抜く動作が、野生下で生きた木の枝から葉をむしり取る感覚に似ていて、彼らの退屈を防ぐ良いエンリッチメントになるの。揺れすぎて怪我をしないように、一番下の籠は地面に固定してあるから安全性もバッチリよ。給餌作業の時は滑車で降ろせるから、私たち飼育員の手間も大幅に省ける優れものなのよ!」
生徒たちが熱心にメモを取る中、突如として大地が「ズシン……ズシン……」と重い律動を刻み始めた。
展示場の奥底にあるバックヤードの巨大なゲートが開き、主たちが姿を現したのだ。
ヘク「き、来ましたぞおおおぉぉぉっ!!」
木々の間から悠然と現れたのは、四頭のブラキオサウルスの群れだった。
体長20メートル以上、体重30トンを超える圧倒的な質量の移動。一歩踏み出すたびに地鳴りが響き、足元のシダ植物が踏みしめられる。
観客の生徒たちは思わず後ずさるが、堀の存在があるため安全性は担保されていた。
現世の植物を使いながらも、ジュラ紀の植生に極力似せて構成された森の中を歩くその姿は、まさに太古のロマンそのものだった。
ゆっくりとフィーダーに近づいた一頭のブラキオサウルスが、スッと首を伸ばした。
ちょうど良い高さに吊るされた一番上の籠に鼻先を近づけ、太い釘のような形状をした歯(ペグ状歯)を使って、干し草と木の葉を挟み込む。
ガサッ、メリメリッ!
首を引く力に合わせて、鉄の籠がガシャンと揺れた。
ブラキオサウルスは咀嚼することなく、むしり取った植物をそのまま丸呑みにしていく。籠が揺れるたびに彼らはわずかに立ち位置を変え、器用に次の葉をむしり取っていく。
アラ「すげぇ……。あのバカでかい体が、ただの的当てじゃなくて、ちゃんと生きて活動してるのを間近で見ると圧倒されるな」
メア「ええ、本当に……。あの籠が揺れるおかげで、彼らも楽しそうに食事をしているように見えますわ」
ソフィ「あの巨体を維持するために、どれほどの量のご飯を食べるのかしら……」
友人たちが感嘆の声を漏らす中、カタリナは教鞭を振るい続ける。
カタ「ブラキオサウルスは咀嚼が苦手なので、葉を丸呑みします。そして、強力な胃酸と、お腹の中に飲み込んだ『胃石(いせき)』と呼ばれる石をこすり合わせて、植物の繊維をすり潰して消化していると考えられているのよ」
「おおぉぉ……!」
「なんと合理的な……!」
生徒たちや生物研究室の面々は、その見事な生態と、それを安全に観察できる展示場の完璧な設計にすっかり魅了されていた。
カタ「この展示場は、今後別の竜脚類のように、首を水平に保って低い植物を食べる恐竜を保護した際にも、あのフィーダーの下の段を使えば同じ空間で暮らせる『混合展示』を見越して作ってあるの。これが、プレヒストリック・パークが目指す『自然の再現』です!」
青空の下、カタリナの誇らしげな声と、ブラキオサウルスたちが干し草を食む心地よい音が、パークの新しいエリアに響き渡っていた。
ブラキオサウルスの展示場での実技観察を終えた後、カタリナを先頭とする一団はパーク内の見学ツアーを続けていた。
これまでプレヒストリック・パークは、最初に保護されたガリミムス、始祖鳥、スミロドン、ティタノボアの四種が、環境の差異はあれど一つの大きなエリア内にまとめられていた。
しかし、来園者の安全と動物たちのQOL(生活の質)、そして学術的な見地からの大規模な改修工事が行われ、現在は「時代別」のエリアへとそれぞれの展示場が移送・再構築されていた。
カタリナたちは順路に沿って、白亜紀エリアのガリミムスの保護区、ジュラ紀エリアの始祖鳥の森、そして新生代エリアのスミロドンの荒野を巡り、それぞれの動物が見せる生態行動について解説を行った。
ちなみに、新生代エリアのティタノボアの熱帯館について解説が行われた際、極度の蛇嫌いであるジオルドは「急ぎの公務を思い出した」と引きつった笑顔を浮かべ、展示場から遥か遠くの安全地帯へと逃亡を図っていたのは言うまでもない。
既存の四種の観察と解説を終え、一行は再びジュラ紀エリアへと戻ってきた。
カタ「さて、皆様。ここからはパークに新しく仲間入りした古生物についてご説明いたします!」
カタリナが声を張り上げると、生徒たちと生物研究室の面々の目の色が再び変わった。
一行が立っているのは、先ほどのブラキオサウルスの展示場のすぐ隣に位置する巨大な空間だった。
しかし、二つの展示場の間には高い石壁や鉄の塀といった「視界を遮る人工物」が存在しない。代わりに、幅が広く底が見えないほど深い『空堀』だけが、二つの空間を明確に隔てていた。
ヘク「カタリナ様、この展示場の間を塀で仕切らず、深い堀だけで隔てているのには何か特別な意図がおありで……?」
ヘクターの鋭い質問に、カタリナは満足げに頷いた。
カタ「その通りです、ヘクターさん。塀をなくすことで、観覧エリアからは『ブラキオサウルスのいる針葉樹林』と『これから紹介する動物がいる平原』の景色が一つに繋がって見えますよね? これは、彼らが【同じジュラ紀後期という時代、同じ北米大陸にあたる地域の生態系を共有していた】という歴史的事実を視覚的にアピールするための設計なのです。堀があるため動物同士が物理的に接触することはありませんが、お互いの姿を見たり、匂いを感じたりすることはできるんですよ」
これは前世の地球での話だが……古生物に興味津々になっていた彼らには関係なかった。
「なるほど……!」
「景観の連続性による時代表現……見事だ……!」
感嘆の声が漏れる中、カタリナは展示場の方へと体を向けた。
カタ「それではご紹介します。ブラキオサウルスや始祖鳥と同じジュラ紀を代表する、最も有名な装盾類(そうじゅんるい)の恐竜……『ステゴサウルス』です!」
カタリナの言葉と同時に、背の低いシダ植物が群生する平原の奥から、数頭の巨大な影がのっそりと姿を現した。
「おお……!!」
「なんと奇妙な姿……!」
ステゴサウルス―――全長約7メートルから9メートル、体重は3トンほど。現代のゾウにも匹敵する体格だが、最大の特徴はその背中であった。
首から尾の付け根にかけて、巨大な菱形の『骨板(こつばん)』が、互い違いに二列に連なってびっしりと並んでいるのだ。さらに、太く力強い尾の先端には、長さ数十センチにも及ぶ鋭い四本の『スパイク(棘)』が上を向いて生え揃っている。
カタ「ステゴサウルスの最も目を引くこの背中の骨板ですが、これは骨格に直接くっついているわけではなく、皮膚の中に埋め込まれた皮骨と呼ばれるものです。昔は肉食恐竜から身を守るための『装甲』だと思われていましたが、実はこの骨板、中には無数の血管が通っていて、非常に脆いのです。噛みつかれれば簡単に砕けてしまいます」
「防具ではない……? では、一体何のためにあんなに目立つものを?」
一人の生徒が不思議そうに尋ねる。
カタ「最新の有力な説は二つあります。一つは『体温調節』。この大きな板を太陽の光に当てて体を温めたり、風に当てて熱を逃がしたりするラジエーターの役割ですね。そしてもう一つは『ディスプレイ(誇示)』です。仲間同士で見せ合って大きさを競ったり、血液を送り込んで板の色を赤く変えることで、敵を威嚇したり異性にアピールしていたと考えられています」
ステゴサウルスの一頭が、短い前足と長い後ろ足による独特の「前傾姿勢」でゆっくりと歩みを進める。その頭部は体に対して驚くほど小さく、細長い。
カタ「彼らはブラキオサウルスのように首を高く持ち上げることはできません。地面の近くに生えているシダ類などの低い植物を、クチバシのような口で摘み取って食べます。頭が小さいため、脳の大きさはクルミ程度しかありませんでしたが……」
ここでカタリナは悪戯っぽく笑い、持っていた指示棒でステゴサウルスの強靭な尾を指した。
カタ「決して侮ってはいけません。彼らの真の武器は、あの尾の先にある四本の『サゴマイザー(スパイク)』です! 普段は大人しい草食恐竜ですが、肉食恐竜に襲われた際には、あの強力な尾を鞭のように振り回して応戦しました。実際に、ジュラ紀の大型肉食恐竜であるアロサウルスの化石の中には、このステゴサウルスのスパイクが骨を貫通して致命傷になったと思われる痕跡が見つかっているんですよ」
その説明を聞き、生徒たちはあのノソノソと歩く温厚そうな恐竜が、肉食の巨獣を返り討ちにするほどの物理攻撃力を持っていることに戦慄を覚えた。
『ブシュゥゥゥ……!』
ステゴサウルスの一頭が鼻から大きく息を吐き出し、背中の骨板の表面が、充血したようにうっすらと赤みをおびて模様を浮かび上がらせた。仲間同士のコミュニケーションなのか、それとも体温調節を行っているのか。
その美しくも異形の姿を、生徒たちは瞬きも忘れて食い入るように見つめている。
カタ(ふふふ、みんな完璧に惹きつけられてるわね! この調子で、私の『古生物保護&啓蒙大作戦』を進めていくわよ!)
カタリナは心の中でガッツポーズを決めながら、ジュラ紀の風が吹き抜けるパークで、次の解説への意気込みを新たにしていた。
ーーー
ステゴサウルスの展示場を後にしたカタリナ一行は、ジュラ紀エリアをさらに奥へと進んでいった。
順路を進むにつれて、周囲の景色が少しずつ、しかし確実に変化していく。鬱蒼と茂る巨大なシダ植物、空に向かって真っ直ぐに伸びる古代の針葉樹、そして足元に広がるソテツの群生。土と緑の湿った香りが鼻腔をくすぐり、聞こえるのは風の音と葉の擦れる音だけだ。
ただ道を歩いているだけなのに、まるで数千万年の時を遡り、太古の地球に迷い込んでしまったかのような圧倒的な没入感。それこそが、プレヒストリック・パークが目指した環境展示の極致であった。
やがて、木々のアーチを抜けた先に、新たな展示場が見えてきた。
カタ「さて、次にご紹介するのは、ジュラ紀初期の北米大陸に生息していた肉食恐竜です」
展示場の基本構造は、ガリミムスたちの保護区と同じだった。通路側には広くて深い空堀が設けられている。
しかし、カタリナはそこにとどまらず、「こちらへどうぞ」と一行を展示場の右手へと誘導した。
そこには、半分地下に潜るような形で造られた薄暗い観察シェルターがあった。
シェルターの壁の一面には、これまでの展示場にはなかった巨大な透明の板がはめ込まれている。
ヘク「カ、カタリナ様! これは……ガラスですか!? 肉食獣の展示に、こんな割れやすそうなものを!?」
カタ「ただのガラスじゃありませんよ。魔法省の技術部に依頼して特別に作ってもらった、何重もの魔法障壁を練り込んだ『特製強化ガラス』です! 大型の古生物が本気で体当たりしても、傷一つ付きません」
シェルター内は薄暗く保たれており、来園者の姿がガラスに反射して動物側のストレスにならないよう工夫されている。
ガラスの向こう側には、豊かな水量をたたえた小川と、大きな岩場、そして身を隠すのに十分な茂みが広がっていた。
アラ「……おい、肝心の恐竜がどこにも見当たらないぜ?」
ガラスに張り付いたアランが、目を細めて岩場や茂みを探る。
カタ「ふふふ。プレヒストリック・パークの基本理念は『魅せる動物園』ではなく、『探す動物園』ですからね。彼ら肉食恐竜は、野生では無駄なエネルギーを消費しないよう、狩りの時間以外は茂みや木陰でじっと身を潜めていることが多いんです。……あっ、ほら! あそこのシダの奥!」
カタリナが指差した先。
風に揺れるシダの葉の奥から、低く響く「コッコッ……」という鳥の喉を鳴らすような音と共に、二つの奇妙な影がヌッと姿を現した。
「「「ひっ……!!」」」
ガラス越しとはいえ、数メートル先に現れた肉食恐竜の姿に、生徒たちは息を呑んだ。
カタ「ご紹介します。ジュラ紀初期の頂点捕食者、ディロフォサウルスです!」
ディロフォサウルス―――全長は約6〜7メートル。スマートで引き締まった体躯に、長くて強靭な後脚、そして鋭い爪を備えた発達した前肢。
何よりも特徴的なのは、その頭部だ。鼻先から頭頂部にかけて、半月型の薄い『二枚のトサカ』が平行に並んでそびえ立っている。
かつて、カタリナの前世にあったある有名な映画では「首周りに襟巻きを広げ、毒を吐く小型の恐竜」として描かれていたが、あれは完全なフィクションである。
カタ「ディロフォサウルスは当時の生態系において間違いなく最大級の肉食恐竜でした。頭にある二枚のトサカは非常に薄く脆いため、武器にはなりません。ステゴサウルスの骨板と同じように、異性へのアピールや仲間同士の識別に使われていたと考えられています」
ガラスのすぐ向こう側で、ディロフォサウルスが小川の水を飲もうと首を下げた。
その瞬間、鋭い歯がびっしりと並んだ口元が露わになる。
カタ「昔は『顎の力が弱く、死肉を漁っていた』なんて言われていた時代もありましたが、最新の研究では完全に否定されています。見てください、あの分厚く発達した顎の筋肉を! 彼らは強力な顎と、獲物をガッチリと押さえつける強靭な前肢を使って、生きた獲物を積極的に狩っていたんです。また、この歯の構造から、魚などの水辺の生き物も好んで食べていたと考えられています」
すると突然、展示場の広いため池から「バシャバシャッ!」と音を立てて水しぶきが上がった。
飼育員がディロフォサウルスを放つ前に放っていた魚だ。
『シュァァァッ!!』
ディロフォサウルスが鋭い呼気を吐き出し、ガラスの目の前で水中に向かって凄まじい速度で頭を突っ込んだ。
ガシャンッ!! と水が跳ね、強力な顎が獲物を一瞬で捕らえる。そのまま強靭な前足の爪で獲物を押さえつけ、首の筋肉を使って肉を引きちぎるように飲み込んだ。
メア「きゃっ……! すごい迫力ですわ……!」
マリ「はわわ……ガラスがあると分かっていても、足がすくんでしまいます……」
メアリやマリアが身を寄せ合う中、生物研究室のヘクターたちは大興奮でガラスに張り付き、食い入るようにその捕食行動を観察している。
カタ「このように、お肉をただポンと置くのではなく、わざと水の中を動かす仕掛けを作ることで、彼らの『水辺で狩りをする』という野生本来の行動を引き出しているんです。これが彼らにとっての遊びや刺激であり、同時に運動不足の解消にも繋がります」
あえて全体をガラス張りにせず、「水場」という特定のポイントにだけ特製ガラスを設置することで、動物が水を飲んだり狩りをしたりする瞬間だけ、人間と極限まで接近できる空間を作り出す。
広大な縄張りを自由に動き回る彼らの姿を「探す」楽しみと、時折訪れる「間近での息呑む遭遇」。
カタ(これよ、これ! この世界の人たちに、作り物の怪獣じゃない、本物の命が放つ圧倒的なリアリティを感じてもらうのよ!)
口周りを血で汚し、満足そうに喉を鳴らして再び森の奥へと消えていくディロフォサウルスを見送りながら、カタリナは自分の作り上げた最高の展示場に、密かに胸を張るのだった。
ーーー
ディロフォサウルスの展示場を後にしたカタリナ一行は、ジュラ紀エリアの境界を抜け、さらにパークの最古の歴史を刻むエリアへと足を踏み入れた。
そこは『三畳紀エリア』。
地球上に初めて恐竜たちが姿を現した、太古の荒涼とした大地を再現した空間である。
周囲の植生はジュラ紀の鬱蒼とした森とは異なり、乾燥に強い針葉樹の祖先や、ゴツゴツとした岩肌、シダやトクサの仲間がまばらに広がる原始的な風景が広がっていた。
横浜動物園ズーラシアやサンディエゴ動物園といった世界最高峰の動物園が持つ「生息環境展示」の技法を取り入れ、通路側には人工的な柵の代わりに広くて深い崖(モート)が巡らされており、来園者はまるで三畳紀の荒野に放り出されたかのような臨場感を味わうことができる。
一行がそのエリアの観察スポットに差し掛かった時だった。
メア「……あの、みなさん、見てくださいまし」
ふと足元の景色に目を留めたメアリが、ガラス越し、あるいは崖沿いに流れる澄んだ小川を指さして声を上げた。
メア「この展示場の脇を流れている川……、さっきジュラ紀エリアで見た小川や、さらにその前のエリアにあった水辺の構造と、まるで同じ水源から繋がっているように見えませんか?」
メアリの鋭い指摘に、カタリナは「おっ、さすがメアリちゃん、目の付け所が素晴らしいわ!」とパッと顔を輝かせた。
カタ「そうなんです! このパークの水路や池は、ただバラバラに配置されているわけではありません。パークの最も高い位置にある『山の溜水』から湧き出た水が、人工の滝となって流れ落ち、川を形作り、そこから枝分かれして各エリアの池や湖を潤し、最終的には海のエリアへとたどり着く……という、一つの大きな『大自然の循環水系』として設計されているんです!」
山から海へと流れる地球本来の hydrological network(水循環)をそのままパーク内に再現した壮大な仕組み。そのこだわりを聞いた生徒たちや生物研究室の面々は、「なんと……! 展示だけでなく、水脈の仕組みまで自然界を模しているとは……!」と舌を巻いた。
その解説を聞きながら、ジオルドはふっと優雅な笑みを浮かべ、面白そうに目を細めた。
ジオ「でも、実際にゆくゆくはつなげてみるのも悪くないかもね」
カタ「え゙!?できるんですか!?」
ジオルドの何気ない、しかしスケールの大きすぎる一言に、カタリナは思わず素っ頓狂な声を上げて聞き返した。
ジオ「可能なんじゃないかな? 王家の予算と魔法省の土魔法技術を総動員すれば、この水路を物理的に一本の壮大な川として完全に繋げることくらい、造作もないことだろ?」
カタ(いやいやいや!? ここはリアルな生態系を模した動物園でああって、テーマパークのアトラクションじゃないのよ!? 下手に全部繋げたら水圧や水質管理が大変なことになるわよ!?)
心の中で激しくツッコミを入れるカタリナをよそに、ジオルドはどこまでも爽やかな笑顔を崩さない。冷や汗を拭いつつ、カタリナは慌てて話題を本題へと引き戻した。
カタ「あ、あはは……。ま、まあ、それは今後の拡張計画のロマンとして取っておきましょう! それよりも皆様、前をご覧ください!」
カタリナが指し示した三畳紀エリアの広大な平原の奥。
「魅せる動物園」ではなく「探す動物園」の理念の通り、あえて視界を遮るように配置された岩陰や、低い低木が茂るエリアの向こう側に、新たな古生物の姿があった。
カタ「こちらが新たに増えた三畳紀の古生物――プラテオサウルスです!」
「おお……!!」
木々の隙間から、のっそりと姿を現したその生き物は、のちに地球を揺るがす巨大竜脚類たちの遠い祖先にあたる、初期の大型草食恐竜「原竜脚類」であった。
プラテオサウルス―――全長は約6〜8メートル。発達した長い首と、比較的小さな頭部、そして樽のように太い胴体を持ち、普段は四足歩行をしながらも、必要に応じて後ろ足だけで立ち上がることができる柔軟な体躯をしている。最大の特徴は、前肢の親指にある大きくて鋭い湾曲した爪だった。
プラテオサウルスの一頭が、エンリッチメント内の野菜やシダの葉、低い木の葉に鼻先を近づけ、器用にちぎって口へと運んでいく。
ヘク「カタリナ様! あのプラテオサウルスの食事についてですが、彼らは草食ですよね? 先ほど資料に『昆虫も食べる』とありましたが、それは本当なのでしょうか!?」
生物研究室のヘクターが、興奮した様子で羽ペンを構えて質問を投げかける。
カタ「はい、その通りです! プラテオサウルスは基本的に植物を食べる草食動物ですが、彼らは非常に日和見的な(オポチュニスティックな)採食行動をとることが分かっています。植物の葉や新芽だけでなく、植物の茎に群がる昆虫や、地面に這う小さな無脊椎動物なども、植物と一緒に意図せず、あるいは栄養補給として積極的に口にしていたと考えられているのです」
カタリナの説明に合わせて、飼育員が展示場のあちこちに仕掛けを施した。
あえて昆虫が好むような朽ち木や、甘い樹液を染み込ませた丸太を配置し、植物の葉の隙間には昆虫の姿に見立てたフィーダーが隠されている。
カタ「そのため、この展示場ではただ草を置くだけではなく、朽ち木を置いて昆虫が集まる環境を作ったり、食事を探す過程で自然と小動物や昆虫の気配を感じ取れるような『探すエンリッチメント』を取り入れています。彼らは長い首をあちこちに伸ばし、地面を嗅ぎ分けながら、植物と小さな栄養源を懸命に探し求めて生活しているのです」
深い崖の向こうで、プラテオサウルスの群れが長い首をゆったりと動かし、岩陰や茂みの奥を熱心に探索している。その姿は、単に飼育されている動物というよりも、何千万年も昔の太古の地球で、自らの本能に従って生きる野生の息吹そのものだった。
メアリーやソフィアは、その生命力溢れる美しい光景をノートに夢中で書き留め、アランやキースも深く感心したように頷いている。
カタ(ふふ……順調、順調! この調子で、パークの魅力を全員に叩き込んでみせるわ!)
カタリナは、三畳紀の荒野に吹き抜ける風を受けながら、自分が作り上げたこの世界で古生物たちが生き生きと暮らす姿に、胸の奥からこみ上げるような達成感を覚えていた。
ーーー
プラテオサウルスの展示場での興奮冷めやらぬまま、一行は三畳紀エリアの順路をさらに奥へと進んでいった。
カタリナの案内で広大な敷地を歩いていると、やがて乾燥した赤茶色の土と、ゴツゴツとした岩肌が目立つ、少し荒涼とした雰囲気の展示場へとたどり着いた。
広すぎず、かといって狭すぎもしない。将来的な保護活動の拡大を見据え、群れで生活する中型の古生物が走り回るのに「ちょうど良い」絶妙な広さに計算された空間だ。
カタ「さて、皆様。実は先ほどのプラテオサウルスと全く同じタイミングで、魔法省によって保護された古生物がもう一種いるのです。それがこの展示場にいる子たちです」
カタリナが指し示した展示場は、ディロフォサウルスの時と同じく、通路側が深く切り立った崖になっており、物理的な距離と高低差によって来園者の安全が完全に確保されていた。彼らが『肉食恐竜』であるためだ。
カタリナは少しだけ肩を落とし、心の中でため息をついた。
(本当はここも、ディロフォサウルスの展示場みたいに、横の通路側に特製の防弾ガラスと頑丈な金網を設置して、同じ目線で彼らの素早い動きを間近に体感できる観察シェルターを作りたかったのよね……)
しかし、その計画が図面段階で実家のクラエス家に知られた時のことは、今でもカタリナのトラウマになっている。
『肉食の恐ろしい獣と、いくら魔法のガラスとはいえ一枚隔てただけの距離で向かい合うなど……令嬢として、いや、クラエス家の人間として絶対に許しません!!』と母からの凄まじい大目玉を食らい、父までもが青ざめて猛反対したのだ。結果として、計画は泣く泣く断念せざるを得ず、ベーシックな深い堀の構造に落ち着いたという経緯があった。
キー「……姉さん? どうかしたの? 急に遠い目をして」
カタ「あ、ううん! なんでもないわ、キース! さあ皆さん、あの中を探してみてください!」
気を取り直したカタリナが声を張ると、生徒たちは崖下の荒涼とした景色に目を凝らした。
しかし、枯れ木や岩場、背の低いシダが点在するばかりで、最初は何も見えない。ここでも「魅せる動物園」ではなく、来園者自身に観察と発見を促す「探す動物園」の理念が貫かれている。
アラ「……ん? おい、あそこの岩陰……何かが動いたぞ」
視力の良いアランが目を細めたその直後。
カサカサッ! という乾いた音と共に、岩の隙間から数頭の小柄な影が弾かれたように飛び出してきた。
「「「わっ!」」」
カタ「見つけましたね! 彼らが三畳紀の素早きハンター、『コエロフェシス』です!」
姿を現したのは、全長3メートルほどのしなやかな体つきをした恐竜の群れだった。
コエロフェシス―――3メートルと聞くと大きく感じるかもしれないが、その大半は細長い首と尻尾が占めており、体重はなんと20キログラムにも満たない。現代の大型犬よりも軽いほどの超軽量級ボディだ。
羽毛ではなく細かな鱗に覆われた皮膚を持ち、細長く伸びた吻部には、ノコギリのようなギザギザのある鋭い歯がびっしりと並んでいる。
メア「まあ……! 肉食恐竜と聞いてディロフォサウルスのような巨体を想像していましたが、とてもスリムでしなやかですわね」
ソフィ「動きがまるで、俊敏な鳥のようですわ……!」
ソフィアが感嘆の声を漏らした通り、コエロフェシスの動きは爬虫類というより、完全に動きの素早い鳥類のそれだった。
彼らの骨は名前の由来(コエロフェシス=空っぽの形)にもなっている通り、中が空洞になっていて極限まで軽量化されている。これにより、当時の生態系においてトップクラスのスピードとスタミナを獲得していたのだ。
『チチッ!』
『キュルルッ!』
鳥のさえずりと爬虫類の威嚇を混ぜたような、甲高く短い鳴き声を交わしながら、数頭のコエロフェシスたちが連携するように岩場を駆け回る。
ヘク「おおおっ! なんという軽快な身のこなし! カタリナ様、彼らは主にどのような獲物を狩っていたのですか!?」
ヘクターが崖の柵から身を乗り出さんばかりの勢いで問いかける。
カタ「彼らは群れで行動し、小型の爬虫類や、現代の哺乳類の遠い祖先にあたる小さな動物などを捕食していました。しかし、彼らのメニューはお肉だけではありません。昆虫も大好物なんです!」
すると、自然の朽ち木に偽装されたフィーダーからブブブブッ……という羽音が、あの中には繁殖用に育てられたゴキブリやコオロギ等の昆虫が入っており、時々、岩場や枯れ草の中へと隠れることが多い。
もう一つの丸太の隙間からは一口大に切られた小さな肉片がポロポロとこぼれ落ちる仕組みだ。
ただ餌を置くのではなく、あえて不規則に動く虫や、隙間に隠れた肉片を探させることで、彼らが持つ「狩猟本能」と「探索行動」を強烈に刺激する設計である。
『シュァッ!!』
コエロフェシスたちは瞬時に反応した。
強靭な後脚でバネのように跳躍し、空を飛ぶ昆虫を細長い口で見事に空中でキャッチしたかと思えば、別の個体は前肢の鋭い爪を使って枯れ草を器用に掘り返し、隠れていた肉片を引きずり出して丸呑みにする。
そのあまりにも見事な狩りの手際と、無駄のない野生の動きに、生徒たちは息を呑んで見入っていた。
カタ「彼らは非常に目が良く、素早い動きの獲物を的確に捉えることができます。それに、集団で生活するためコミュニケーション能力も高く、あの鳴き声や、尻尾の動きで仲間と連携をとっているんですよ」
ガラス張りのシェルターを通した「同じ目線での息呑む体験」こそ両親の反対で叶わなかったものの、高い崖の上から広大な展示場を見下ろし、群れが一体となって躍動する様を観察できるこの構造も、彼らの「生態系の網の目の中で生きる姿」を学ぶには最高の環境だった。
カタ(お母様たちに反対された時は悔しかったけど……結果的に、彼らが広々と狩りをする姿をパノラマで見られるこの設計も悪くないわね!)
カタリナはそう前向きに考えた。
すると、隣に立つ義弟から声がかけられた。
キー「そう言えば姉さん」
キースが手元のパークの全体マップと解説メモが挟まれているバインダーに視線を落としながら、純粋な疑問といった様子で首を傾げた。
キー「確か、恐竜たちの時代って『三畳紀』から始まって、『ジュラ紀』、そして『白亜紀』へと続いていったんだよね? それだったら、何で一番古い三畳紀のエリアからツアーを始めなかったの? 順番通りに回った方が、時代ごとに恐竜がどう進化していったのか、歴史を知る事が出来たと思ったんだけど……」
その極めて真っ当で、理路整然とした指摘に。
カタ「……あ」
カタリナは、ピシリと石像のように固まった。
カタ(や、やっちまったぁぁぁーーっ!!)
心の中で、カタリナの盛大な絶叫が木霊した。
キースの言う通りである。生態系の歴史や進化の系譜を学ぶ『実技講義』であるならば、最古の三畳紀からスタートし、ジュラ紀、白亜紀と順を追って巡るのが教育的セオリー中のセオリーだ。
しかし、カタリナの頭の中は…。
「早く新しく完成した超巨大なブラキオサウルスの展示場をみんなに見せたい!」。
「新しく仲間入りしたステゴサウルスやディロフォサウルスの驚きの生態を自慢したい!」
という、古生物オタク特有の『推しを早く見てほしい欲』で完全に埋め尽くされていたのだ。
その結果、ジュラ紀(ブラキオサウルス等)→ ジュラ紀初期(ディロフォサウルス)→ 三畳紀(プラテオサウルス等)という、時代を反復横跳びするようなメチャクチャなルートを無意識に構築し、ドヤ顔で案内してしまっていた。
心配そうに覗き込んでくるキースとアランに対し、カタリナは「あ、あはははは!」と盛大に、そして極めて不自然な笑い声を上げた。
カタ「そ、それはですね! あえて時間を遡ったり進めたりすることで、各時代の環境の違いによるギャップをより鮮烈に脳裏に焼き付けてもらうための……そう! 高度な教育的配慮に基づく計算ですわ! ええ、間違いありませんことよ!」
メア「まあ、さすがカタリナ様ですわ!(慌てて言い訳するカタリナ様も可愛らしいですわ♥)」
ソフィ「そこまで深く考えてルート設定をされていたなんて……!(今気づいたときのカタリナ様の顔も素敵ですわ♪)」
ジオ「……なるほどね?(絶対、今気づいただけで何も考えていなかったね)」
付き合いの長いジオルドやキース達はカタリナのあからさまに泳ぐ視線を見て全てを察したが、ここで掘り下げて彼女をいじめるのも可哀想だと思い、あえてこれ以上の追及は避けるという大人の対応を見せた。
カタ「き、気を取り直して! 次のエリアへ向かいますわよ皆様!」
これ以上ボロが出る前にと、カタリナはパンパンと手を叩いて強引にツアーの進行を再開した。
カタ「三畳紀の初期恐竜たちを観察した後は、一気に時代を進めます! 次は恐竜たちが最も多様な進化を遂げ、そして彼らの最後の時代となった『白亜紀エリア』へと参りますわよ!」
逃げるように早足で歩き出すカタリナの背中を、一行は苦笑いしながら追いかける。
赤茶けた土と乾燥した荒野、そしてゴツゴツとした岩肌が目立っていた三畳紀エリアから、遊歩道を歩いていくにつれて、景色は再び劇的な変化を見せ始めた。
ジュラ紀の巨大な針葉樹林やシダ植物の森ともまた違う、より現代の森に近い鮮やかな緑が増えていく。それもそのはず、白亜紀は地球上に初めて『被子植物(花を咲かせる植物)』が登場し、爆発的に繁殖し始めた時代だからだ。
沿道には広葉樹に似た木々が木漏れ日を作り、足元には名もなき古代の花々を模した植物が彩りを添え、風がふわりと華やかな香りを運んでくる。
時代から時代へ。ただ歩いているだけなのに、まるでタイムマシンで地球の歴史を歩いているかのような壮大な環境変化。カタリナのうっかりミスによる「時系列が入り乱れたツアー」ではあったが、その圧倒的なランドスケープ・イマージョンの連続に、生徒たちのワクワクとした高揚感が冷めることは決してなかった。
やがて一行の目の前に、ガリミムスたちが暮らす大草原のさらに奥――白亜紀エリアの新たな拡張区画の入り口が見えてきたのだった。
カタリナは、虫を追いかけて素早く駆け回るコエロフェシスたちを満足げに見つめながら、次なる展示へと一行を先導していくのだった。