乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜 作:龍座
「隠し子の呪い」……。
そのあまりにも理不尽で残酷な言葉に、カタリナとマリアは雷に打たれたかのようにその場で固まってしまった。
特にマリアの受けた衝撃は計り知れない。
自身の危険も顧みず、故郷を救いたい一心で駆けつけ、瀕死の恐竜たちに懸命な治療を施した直後だというのに。生き残った同郷の人々から向けられたのは、感謝どころか、この凄惨な地獄を引き起こした『元凶』としての底知れぬ殺意だったのだ。
だが、カタリナは違った。
一瞬の硬直の後、大切な友人を、あんなにも優しく健気なマリアを理不尽に傷つける言葉に対して、彼女の中の激しい怒りが爆発した。カタリナは震えるマリアを背中で庇うように、群衆の前に堂々と立ちはだかって叫んだ。
カタ「マリアちゃんが呪いを掛けたって馬鹿言わないで!!」
公爵令嬢としての気迫を込めた一喝。
しかし、家族を目の前で生きたまま引き裂かれ、喰い殺された町民たちの狂乱状態は、カタリナの言葉一つで鎮まるような生易しいものではなかった。彼らはすでに、とめどない怨嗟と絶望の濁流に完全に呑み込まれていた。
『黙れ! 此奴があの魔物をけしかけたのは明白なんだよ!!』
先ほどの壮年の男が、首に青筋を立てながら血まみれの指でマリアを指差す。それに呼応するように、鍬や鉈、血に濡れた瓦礫を握りしめた町民たちが次々と怒号を上げた。
『俺たちは見たんだ。彼奴の家の前に巨大な魔物が二体いたんだからな! 忘れるものか!』
その言葉に、カタリナは眉をひそめた。
カタ「巨大な…魔物……?」
今この広場で土に拘束されている二頭の肉食恐竜のことだろうか? いや、町民たちの口ぶりはどこかおかしい。まるで『あの二頭とは別の何か』を、惨劇の前に目撃していたかのような言い回しだった。
カタリナが背後を振り返ると、マリアは言い返すことすらできず、青ざめた顔でガタガタと震えながら、深く俯いてしまっていた。その様子は、まるで町民たちの言う「巨大な魔物」の存在に心当たりがあるかのようにも見えた。
町民たちの怒りは、マリアのその態度を「肯定」と受け取り、さらに激しく燃え上がった。
かつて光の魔力を持って生まれたがゆえに、この町で「気味の悪い貴族の隠し子」として迫害され、孤立していたマリア。その過去の差別意識が、今回の悲劇と結びつき、最悪の被害妄想を生み出していた。
『大方、俺たち平民を見下してたんだろ? なんせ貴族なんだからな!』
『自分を仲間外れにした私達への復讐のつもり!? そんなの逆恨みだろうが!!!』
若い女子のヒステリックな金切り声が響く。
泥と血にまみれた数十人の町民たちの目は完全に血走り、理性を失っていた。自分たちの町がなぜこんな目に遭ったのか、そのやり場のない巨大な喪失感と恐怖を埋めるための『生贄』を、彼らの心は渇望していたのだ。
『これ以上、呪われてたまるか!』
『奴らを殺せーー!!!』
狂気に呑まれた群衆が、一斉に襲いかかってきた。
石が飛来し、錆びた農具が振り上げられる。魔法省の特務保護部隊の騎士たちが剣の峰を向けて制止しようとするが、数十人規模の暴徒を無傷で止めることなど不可能に近い。このままでは、カタリナたちもろとも、町民との間で凄惨な殺し合いが始まってしまう。
――その絶望的な連鎖を断ち切ったのは、キースだった。
ダンッ!! と、キースが両手で激しく大地を叩きつけた。
彼の中に渦巻く膨大な魔力が一気に地面へと流し込まれる。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!
地鳴りと共に、暴徒と化した町民たちとカタリナたちの間に、厚さ数メートル、高さ十メートルにも及ぶ『土の大壁』が、巨大な城壁のように一瞬にしてせり上がったのだ。
飛んできた投石や農具が鈍い音を立てて土壁に弾かれ、突撃してきた町民たちが次々と壁に激突して足止めを食らう。
キー「今のうちに!!」
キースの切羽詰まった叫びが、広場に響いた。
その声でハッと正気に戻ったカタリナと魔法省の面々は、即座に行動を開始した。
「急げ! 恐竜たちを運ぶぞ!」
「特務保護部隊、浮遊魔法陣を展開! 魔道具研究室は魔力供給を補佐しろ!」
ヘクターの指示の下、魔法省の精鋭たちが連携する。
土魔法で拘束されたままの満身創痍のアロサウルスとトルヴォサウルス。その莫大な質量の塊の下に巨大な魔法陣が敷かれ、光と共に二頭の巨体がわずかに宙へと浮かび上がった。魔法省が誇る、大型魔獣運搬用の特殊魔法だ。
『ふざけるな! 逃がすか、悪魔の手先ども!!』
『壁を壊せ! そいつらを引きずり出せ!!』
土の大壁の向こう側からは、町民たちの狂ったような怒声と、壁をガンガンと叩き壊そうとする鈍い音が絶え間なく響き続けている。キースの魔法とはいえ、これだけの数の暴徒が相手では、壁が突破されるのも時間の問題だった。
カタ「キース、マリアちゃん! 走って!!」
カタリナは、ショックで放心状態になっているマリアの手を強く握りしめ、強引に引っ張って走り出した。
背後で響き渡る故郷の人々の怨嗟の叫び声に、マリアの目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
血の海と化した惨劇の町。
救いに来たはずの故郷から、まるで罪人のように逃げ出さなければならないというあまりにも残酷な現実に打ちひしがれながら。カタリナたちは浮遊する二頭の恐竜を引き連れ、土壁が崩壊する前に、全速力でその町を後にしたのだった。
ーーー
土の大壁の向こうから響く、凄まじい怒声と壁を打ち据える鈍い破壊音を背に、カタリナたちは脇目も振らずに駆け続けた。
背後の町から立ち上る黒煙が遠ざかり、町民たちの怨嗟の声が完全に森の木々に遮られて聞こえなくなるまで、一行はただひたすらに歩みを進めた。
やがて、町から十分に距離を取った街道の開けた場所で、ヘクターの合図とともに運搬部隊がようやく足を止めた。魔法陣から放たれていた淡い光が消え、巨大な土のドームに拘束された二頭の恐竜がズシン、と重い音を立てて地面に下ろされる。
「ふぅ……っ、ここまで来れば、追手も来ないでしょう……」
部隊の誰もが膝に手をついて荒い息を吐き、極限の緊張から解放されて泥の地面にへたり込む。
だが、その安堵の空気の中で、カタリナだけは息を整えるよりも先に、腹の底から湧き上がる怒りを爆発させていた。
カタ「何なのよ彼奴等!マリアちゃんの事を悪く言って!あんまりだわ!」
バンッ! と、傍らにあった手頃な石を蹴り飛ばさんばかりの勢いで、カタリナは激しく地団駄を踏んだ。
その青い瞳には、理不尽な暴力に対する激しい憤りが燃え盛っている。
血に塗れた故郷を救おうと、自身の魔力が枯渇するほどの危険を冒してまで恐竜たちの治療にあたったマリア。
彼女のその尊く優しい献身を、あろうことか「隠し子の呪い」などというおぞましい言葉で踏みにじり、殺意を向けてきた町民たちの狂態が、カタリナにはどうしても許せなかったのだ。
カタ「マリアちゃんがあの町を呪うわけないじゃない! それなのに石を投げて、いわれのない罪を着せて化け物呼ばわりして……絶対に間違ってるわ!!」
肩で息をしながら激昂するカタリナの背中を、キースが痛ましげな表情でそっと宥める。
キー「姉さん、落ち着いて……。僕だって腹が立つけど、彼らのあの状態じゃ、まともな話し合いなんて無理だった。被害は甚大だったんだ……仕方ないよ……」
キースの言葉には、重苦しい実感がこもっていた。
目の前で家族が巨大な顎に噛み砕かれ、日常が一瞬にして血の海に沈むという異常事態。逃げ場のない絶望の中で、人間は耐えきれない恐怖と悲しみを、誰かのせいにしなければ精神を保てないことがある。あの町民たちは、その捌け口として、かつてから忌み嫌っていた『貴族の隠し子』であるマリアを無意識に標的にしたのだ。
理不尽極まりないが、それが集団心理の恐ろしいところでもあった。
キースの冷静な言葉に、カタリナがぐっと唇を噛み締め、それでも納得いかないというように俯いた、その時だった。
マリ「ごめんなさい……!」
唐突に、静まり返った木立の中に、絞り出すような悲痛な声が響いた。
カタリナとキースがハッとして振り向くと、そこには、自身の両腕を強く抱きしめ、ボロボロと大粒の涙をこぼしているマリアの姿があった。
彼女は、故郷から逃げ出してきた道中ずっと、生気を失った人形のように一言も発していなかった。そのマリアが、突然泣き崩れるように謝罪を口にしたのだ。
カタ「マリアちゃん……? どうしてあなたが謝るのよ。あなたは何も悪くないのに……」
突然のことに戸惑い、カタリナは慌ててマリアの側に駆け寄ろうとする。しかし、マリアは一歩後ずさると、青ざめた顔を激しく横に振った。
マリ「違うんです……。町民の人たちが言っていたこと……あながち、間違いじゃないんです。町が崩壊したのは、私のせいかもしれないんです!」
その言葉に、カタリナだけでなく、周囲で休憩していた魔法省の面々も一斉に息を呑み、静まり返った。
マリアのせい? この凄惨な恐竜たちの死闘が?
あまりにも突拍子もない、信じがたい発言だった。
キー「どういう…事……? マリアさん」
キースが、警戒と戸惑いの入り混じった真剣な声で問いかける。
マリアは血の気の引いた唇を震わせ、胸の奥底にずっと封じ込めてきた忌まわしい過去の記憶を呼び起こすように、ギュッと目を閉じた。
町民が叫んでいた『巨大な魔物が二体いた』という言葉。
そして『隠し子の呪い』と呼ばれた、彼女の出生にまつわる悲しい真実。
マリアは重い口を開けた。
彼女は語る。幼い頃に何があったのかを……。
ーーー
ー回想ー
それはマリアがカタリナ達に会う前の話。
その日も、マリアは冷たい視線に晒されながら町の買い出しや用事を済ませ、人里離れた場所にあるポツンと建つ我が家へと、一人寂しく帰路についていた。
うつむき加減で歩く小さな背中には、到底子供が背負いきれないほどの孤独と絶望が重くのしかかっていた。
近寄らなくなった元友達。
音も波もない噂。
父が出ていき崩壊した家庭。
これを全て光の魔力のせいだ……。
どんなに努力しても覆ることはない人生。
村の外れ、鬱蒼とした道に差し掛かる獣道の近くを通りかかった時のことだ。
「おい、なんだよこれ! 気持ちわりぃ!」
「石投げてみろよ! ほら!」
木立の奥から、同年代の少年たちの甲高い声と、無邪気ゆえに残酷な笑い声が聞こえてきた。
何事かとマリアが重い足を止め、木々の隙間からそっと覗き込むと、数人の子供たちが何かを囲んで、小石や木の枝を面白半分に投げつけて囃し立てていた。
彼らの足元、泥だらけの地面にうずくまっていたのは、犬や猫、あるいは家畜などの見慣れた動物ではなかった。
まだ幼く小さな命。震えながら必死に身を丸め、容赦なく飛んでくる石の痛みに耐え、ただ怯えている奇妙な生き物。
それが、彼女と一匹の恐竜に出会いだった。
ヘラヘラと残酷な笑い声を上げながら、彼らは面白半分に小石や折れた木の枝を投げつけている。無抵抗な弱い命が一方的に傷つけられ、嬲られているという明確な事実。
何かがいじめられていることを瞬時に理解したマリアの足は、恐怖よりも先に動いていた。
マリ「止めて!!」
鋭い叫び声と共に、マリアは木立から飛び出し、すかさず悪ガキたちと傷ついた生き物の間に割って入った。両手を広げ、小さな背中で必死に『それ』を庇う。
突然の乱入者に一瞬驚いた子供たちだったが、それが自分たちが日頃から見下し、気味悪がっている『マリア・キャンベル』だと気づくと、すぐにその顔に小馬鹿にしたような嫌悪の表情を浮かべた。
「なんだよ、お前かよ。偉そうに」
「貴族の不義の子のくせに、平民の私たちに指図する気? 汚いゴミを庇うなんて、お似合いね!」
彼らは退くどころか、町に蔓延る『貴族の血を引く気味の悪い娘』という偏見を盾にして、より一層好戦的な態度でじりじりと距離を詰めてきた。手には先ほどよりも大きな石や、太い木の枝が握られている。
このままでは、背後の生き物だけでなく、マリア自身の身にまで危害が及ぶのは明白だった。数の暴力の前では、幼い少女の細腕など何の役にも立たない。
マリ(どうしよう……このままじゃ、殺されちゃう……!)
心臓が早鐘のように鳴り、足の震えが止まらない。だが、後ろで小さく身を縮めている命を見捨てることなど、彼女には絶対にできなかった。
その極限の緊張の中で、マリアの脳裏にある起死回生の『嘘』が閃いた。
マリ「……数日前、お父様から手紙が届いたの。あの平民の男じゃない……私の、本当のお父様から!」
マリアはわざと顎をツンと上げ、ひるむことなく真っ直ぐに悪ガキたちの目を見据えた。
本当の父親。すなわち、彼らが噂している『高位の貴族』のことだ。突然の言葉に、先ほどまで嘲笑っていた子供たちの動きがピタリと止まる。
「は、はぁ!? なんだよそれ! 証拠でもあるのかよ!」
リーダー格の少年が強がって吠えるが、その声には明らかな動揺が混じっていた。
マリ「証拠? たかが家畜ごときに、証拠なんて要るかしら?」
マリアは心の中の恐怖を必死に押し殺し、貴族の令嬢――それも、絵本に出てくるような底意地の悪い『悪役令嬢』になりきって、冷たく見下すような素敵な笑みを浮かべ、言葉を紡ぎ続けた。
マリ「私がこの希少な『光の魔力』を持ったから、お父様が直々に王都から迎えに来てくださるの。
……そこで私は、この町で起きたこと、あなたたちにされたことを『全部』話すつもりよ! そうなったら、あなた達の人生はおしまいね。それどころか連帯責任であなた達の家族、いえ、この町ごと全責任を取らせるつもりよ。
そうなったら……奴隷として一生、泥水すすってこき使ってあげるわ♪」
王族や高位貴族の権力は、平民の子供たちにとっても絶対的な恐怖の象徴である。
もし本当に彼女が貴族の迎えを待つ身であり、自分たちの行いがバレたらどうなるか。マリアの堂々とした態度と、あまりにも冷酷な悪役令嬢としての笑みに圧倒され、五人の悪ガキたちは「ひっ……」と喉の奥で悲鳴を漏らし、青ざめた顔で後ずさりをした。
マリ(よし、このまま引いてくれれば……!)
そう安堵しかけた、次の瞬間だった。
「ふ、ふざけんな!!」
恐怖よりも、同世代の、しかも格下だと思っていた少女に見下された屈辱が上回ったのだろう。一人の男子が顔を怒りで真っ赤に茹で上がらせ、太い木の枝を大きく振り被って、狂ったようにマリアへ襲いかかってきたのだ。
「死ねぇっ!!」
マリ「……っ!」
完全に後先を考えていない予想外の暴挙。マリアは反射的に目を瞑り、その場で固まってしまった。痛みを覚悟した。
だが、その一撃がマリアの体に届くことはなかった。
「やめろぉぉぉっ!! 馬鹿野郎!!」
寸前のところで、近くの農地から飛び出してきた一人の大人の男が、怒り狂う少年の首根っこを力任せに掴み、強引に地面に引き倒したのだ。
男の顔は、死人のように青ざめ、激しく痙攣していた。彼は通りがかりに、マリアの『町ごと奴隷にしてやる』というハッタリを偶然耳にし、それを真実だと完全に信じ込んでしまったのだ。
「このっ、本物の馬鹿野郎が! 貴族様に逆らって、俺たち全員を殺す気か!!」
「はなせ! 離せよ父ちゃん!!」
暴れる男子を必死に宥め(というより恐慌状態で怒鳴りつけ)ながら、男はマリアのほうを一切見ようともせず、まるで恐ろしい悪魔から逃げるように、息子を引きずって一目散に去っていった。
大人すらも怯えて逃げ出すその異常な光景に、残された四人の子供たちも完全に戦意を喪失し、「わぁぁっ!」と泣き叫びながら、慌ててその後を追って逃げ去っていった。
悪ガキたちの足音が完全に遠ざかり、森に再び静寂が戻った後……。
極度の緊張の糸がプツリと切れ、マリアは糸を切られた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
マリ(助かった……)
膝をつき、泥だらけの地面に手をついて、荒い息を何度も吐き出す。
咄嗟に出た出任せの演技だったが、なんとか最悪の事態は免れた。平民を蔑む貴族という、自身が最も忌み嫌っていた虚像を演じきったことで得られた命拾い。
皮肉な話だが、こればかりは、自分を孤独に追いやったあの忌まわしい『不義の子の噂』に感謝するしかなかった。
ふと我に返り、マリアは庇っていた生き物の容態を確かめるために振り返った。
そして、泥だらけになってうずくまるその姿をまじまじと見つめ、大きく目を見開いた。
マリ「……え?」
そこにいたのは、今まで図鑑でも見たことがない、あまりにも奇妙で不可思議な姿をした生き物だった。
体長はまだ大型犬ほどしかないが、その全身は泥にまみれながらも、現代の水鳥やダチョウのようにふさわふさとした豊かな羽毛に覆われている。
胴体に対して不釣り合いなほど長く発達した前脚には、鋭利というよりも熊手のように太く緩やかに湾曲した三本の大きな爪が生えていた。そして何より目を引くのは、その頭部だ。肉食獣のような鋭い牙のある顎ではなく、まるでカモのような、平たく横に広がった大きな嘴を持っていたのである。さらに、背中の中心あたりには、まだ幼いため僅かではあるが、帆のような背骨の隆起が盛り上がり始めていた。
威圧的な咆哮を上げることはなく、ただ痛みに耐えるように、鳥類特有の『シュー……』『クゥ、クゥ……』という低く掠れた呼気を漏らしながら、大きな黒い瞳で怯えたようにマリアを見つめている。
異形の姿。だが、マリアの目にはそれが「化け物」だとは全く映らなかった。ただ、自分と同じように周囲から理不尽な暴力を受け、傷つき、怯える『可哀想な子供』にしか見えなかったのだ。
マリアはそっと両手を差し伸べた。
手のひらから、淡く温かい『光の魔法』が溢れ出し、デイノケイルスの幼体を優しく包み込む。石をぶつけられてできた皮膚の擦過傷や、泥に塗れた打撲の痕が、光の粒子と共にゆっくりと癒えていく。
最初はビクッと身をすくませていた幼体も、その光がもたらす心地よい温もりと痛みの消失に気づいたのか、やがて警戒を解き、マリアの小さな手に自らその平たい嘴をすり寄せてきた。
マリ「アナタも……ひとりぼっちなのね……」
マリアは、回復の光を注ぎ続けながら、自分自身の孤独と目の前の小さな命を重ね合わせるように、ぽつりとそう呟いた。
ーーー
すっかり夕闇が迫り、冷たい風が森の木々を揺らす頃。結局、マリアはその不思議な生き物を自身の家まで連れてきてしまっていた。
人里離れた場所にポツンと建つキャンベル家の小さな敷地に忍び込むと、マリアは家の窓から漏れる微かな明かりを横目で見つめた。家の中には、父が出て行って以来、心労で塞ぎ込みがちになっている母がいる。
マリ(お母さんには、絶対に内緒にしないと……)
ただでさえ『不義の子』という噂で追い詰められている母に、こんな得体の知れない異形の生き物を拾ってきたなどと知られれば、どれほど怯え、悲しませてしまうか分からない。
マリアは迷った末、ひとまず家の裏手にある、使われなくなった古い木箱や農具が置かれた、小さな雨避けの屋根の下にその子を隠すように休ませることにした。
光の魔法で怪我はすっかり完治したものの、その子は明らかに空腹のようだった。細い首を動かし、「シュー……」「クゥ……」と、鳥の鳴き声にも似た低い呼気を漏らしながら、落ち着きなく周囲の匂いを嗅いでいる。
しかし、マリアは困り果ててしまった。
犬や猫、あるいは一般的な家畜が何を食べるかは知っているが、この奇妙な生き物が何を食べるのか、全く見当がつかなかったのだ。ふさふさとした羽毛に覆われた体や、カモのように平たい大きな嘴(くちばし)を見ると温厚そうにも思えるが、その異様に発達した長い前脚には、緩やかに湾曲した三本の巨大な爪がついている。
マリ(もしかして、他のお肉を食べる恐ろしい動物だったらどうしよう……)
マリアの心に一抹の不安がよぎった、その時だった。
生き物は、マリアの横をひょこひょこと二本足で通り過ぎ、足元に置かれていた籠に目を留めた。それはマリアが今日、町からの帰りがけに買ってきた野菜が入った籠だった。
生き物は大きな瞳を瞬かせると、首を器用に伸ばし、籠の中から丸々と太った一つのキャベツに狙いを定めた。
ザクッ、バリッ。
大きな嘴がキャベツの葉を挟み込み、力強く食いちぎる音が響いた。
マリアが驚いて見つめる中、その生き物は鋭い牙など持たない平たい顎を使い、葉を千切っては咀嚼することなく、丸呑みに近い形で大きな喉を波打たせて次々と胃袋へと流し込んでいった。さらには、その長大な腕と太い爪を器用に使ってキャベツ本体を抱え込むように押さえつけ、一心不乱に食べ進めていく。
マリ(よかった……お野菜が好きなのね……)
予想に反して草食であったことに、マリアは心底ホッと胸をなでおろした。大きな爪は獲物を引き裂くためではなく、こうして植物を引き寄せたり、押さえつけたりするために使うものだったのだ。
安心したマリアは、ゆっくりとその子に近づき、しゃがみ込んで微笑みかけた。
マリ「美味しい?」
優しく問いかける声。しかし、その生き物はマリアの言葉に愛想よく応えるような素振りは見せなかった。ただ無心に、ザクザク、バリバリと咀嚼音を立ててキャベツを貪るだけである。人間とのコミュニケーションよりも、今は目の前の食欲を満たすことが最優先のようだった。
やがて、まるまる一つあったキャベツを綺麗に平らげると、その子は満足したように「キュゥ」と短く喉を鳴らし、嘴についた葉の破片を落とすようにブルブルと首を振った。
そして、ふと動きを止め、しゃがみ込んでいるマリアの方へ向き直った。
暗がりの中、鳥類や爬虫類特有の、何を考えているのか読み取りにくい、けれどどこか透き通るような純粋な大きな瞳がマリアをじっと見つめ返してくる。瞬きをするたびに、半透明の瞬膜がスッと眼球を覆い、また開く。
言葉は通じない。表情もない。しかし、その静寂に包まれた数秒間の見つめ合いの中に、敵意や恐怖は一切存在しなかった。
やがて、その生き物はマリアの目の前でゆっくりと地面に腹を下ろした。そして安心しきったようにふっと目を伏せると、ふさふさとした羽毛に包まれた自身の長い前腕に顔をうずめるようにして、静かに眠りについた。
冷たい風が吹く夜の裏庭に、規則正しく穏やかな、小さな寝息だけが響き始めた。
ーー
それからの日々、マリアは母親の目を盗みながら、家の裏手や近くの森の奥で、その不思議な生き物との秘密の共同生活を始めた。
共に時間を過ごすうちに、マリアはあの子が持つ独特な生態や習性を少しずつ理解していくこととなる。
まず驚いたのは、その食性の広さだった。
野菜や植物の葉を好んで食べることは最初の夜に知っていたが、ある日、人目に付かない森の奥の小川へ連れ出した時のことだ。
その子は水を見るなり、ふさふさとした羽毛を揺らして喜ぶように小川へ入り、バシャバシャと豪快に水浴びを始めたのだ。
そして、水面に顔を近づけたかと思うと、平たい大きな嘴を器用に使い、水中を泳ぐ小魚を瞬く間に捕らえ、器用に丸呑みにしてしまったのである。植物だけでなく魚などの肉も食べる雑食性であり、湿地や水辺の環境を好む生き物なのだと、マリアはその時初めて知った。
また、あの子は「掘る」ことも大好きだった。
胴体に不釣り合いなほど太く長く発達した前脚と、そこから伸びる緩やかに湾曲した三本の大きな爪。
最初は恐ろしく見えたその爪だが、決して獲物を引き裂くための凶器ではないことがすぐに分かった。その子は、熊手のようなその大きな爪を使って器用に柔らかい土を掘り返し、地中の植物の根や塊茎を探り当てて食べたり、時にはふかふかの土のベッドを作ってそこに寝転がったりしていたのだ。
だが、マリアが一番度肝を抜かれたのは、あの子が『石を丸呑み』する習性を持っていることだった。
ある朝、マリアがいつものようにあの子の寝床の掃除をしていると、残された糞の中に、なぜか表面がツルツルに磨かれたような丸い小石がいくつも混ざっているのを発見した。
マリ(どうして、こんな所に石が……?)
不思議に思っていた矢先のこと。小川のそばで休んでいたあの子が、地面に落ちていた手頃な大きさの石を嘴で咥え、ゴクリ、と飲み込んでしまったのだ。
マリ「だ、ダメよ!! そんなもの食べたらお腹を壊しちゃうわ!!」
驚いたマリアは血相を変えて飛びつき、慌ててその子の嘴を開けさせようとした。しかし、当の本人は苦しむ様子など微塵も見せず、キョトンとした大きな瞳で瞬きをするだけである。
その後も注意深く観察を続けた結果、マリアはひとつの推測に行き着いた。あの子の平たい嘴には、食べ物をすり潰すための「歯」が生えていない。だからこそ、丸呑みした植物や魚を胃袋の中で細かくすり潰して消化するために、あえて硬い石を飲み込んでいるのだと。
最初こそパニックになったものの、それがこの生き物にとって生きていくために不可欠な、大切な行為なのだと今ではすっかり理解していた。
そうして不思議な生態を観察し、世話を焼く日々は、孤独に苛まれていたマリア自身の心にも大きな変化をもたらしていた。
あの子は、マリアが「貴族の血を引いている」ことなど全く気にしない。町の人々のように気味悪がって石を投げることもなければ、陰口を叩くこともない。
ただ純粋に、餌をくれるマリアにすり寄り、甘えるように短い鳴き声を上げ、温かい体温を預けてくれる。その見返りを求めない無垢な信頼関係が、周囲の悪意に傷つき、凍りついていたマリアの心をどれほど温め、救ってくれたか分からなかった。
辛いことがあっても、あの子のふさふさとした羽毛を撫で、その静かな寝息を聞いているだけで、マリアは心から安心することができた。
誰にも言えない、私だけの『秘密の友達』。
この穏やかで優しい時間が、ずっと続けばいい。マリアは本気でそう願っていた。
だが、そんなささやかな幸せの時間は、長くは続かなかった。
ある夕暮れ時のこと。
マリアは家の裏手に隠れるようにして、あの子にいつものように集めてきた野菜の餌を与えていた。あの子は嬉しそうに喉を鳴らし、ザクザクと大きな嘴で葉を食いちぎっている。マリアは微笑みながら、その子の背中にある小さな帆のような隆起を優しく撫でていた。
ザクッ、……ピタッ。
不意に、背後で微かな足音が止まる気配がした。
マリアの母「マリア……?」
背筋が凍りつくような、震える声だった。
マリアがハッとして振り返ると、そこには、血の気を完全に失い、目を見開いて立ち尽くす母親の姿があった。
マリアの母にバレた。