乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜 作:龍座
猛烈な風がカタリナの顔を打ち据えた。
パニックに陥ったガリミムスの群れはけたたましい鳴き声を上げながら太古の森を爆発的なスピードで駆け抜けていく。時速50キロを超える猛ダッシュは、まるで暴走する馬車の屋根にしがみついているかのような激しい縦揺れを生み出していた。
カタ(落ちる…! 振り落とされる……!)
カタリナは泥と血にまみれた両手でガリミムスの首の付け根にある分厚い羽毛を死に物狂いで掴んでいた。
ヴェロキラプトルにえぐられた左太ももの傷が、上下に揺れるたびに引き裂かれるような激痛を放ち、何度も意識が飛びそうになる。しかし、ここで手を離せば群れの足に踏み潰されて確実な死が待っている。
しかも、ただ背中にしがみついているだけでは駄目だった。臆病なガリミムスは、少しでも障害物や怪しい気配があると無秩序に進行方向を変えようとする。
もし元の世界へ繋がるゲートから遠ざかるような素振りを見せれば、カタリナは自身の体重を強引に傾けて、進路を無理やり修正しなければならなかった。
カタ(そっちじゃない! 右! 右に行きなさいよぉぉっ!!)
巨大なダチョウ恐竜の首に全体重をかけ、手綱もない状態で強引に方向を捻じ曲げる。カタリナの必死の抵抗が功を奏したのか、あるいは群れの先頭に押し出される形になったのか、今のところ進路はゲートのある方角へと順調に向かっていた。
だが、その時だった。
ドスゥゥゥンッ!!
突然、群れの横手にある巨大なシダの茂みが吹き飛び、圧倒的な質量の肉塊が横入りしてきた。アジアの覇者、タルボサウルスだ。
地響きを立てて疾走するガリミムスの群れが放つ凄まじい騒音と匂いに、腹を空かせた捕食者が引き寄せられてきたのである。
カタ(嘘でしょ!?)
巨大な顎が、カタリナを乗せたガリミムスめがけて真横から襲いかかってきた。鋭い牙が空気を切り裂く音が耳元で響く。
しかし、カタリナが絶望に目を閉じた瞬間、横を並走していた別の不運なガリミムスが、タルボサウルスの強靭な顎に無残にも捕らえられた。バキィッという骨の砕ける鈍い音と、断末魔の悲鳴が森に響き渡る。
タルボサウルスがその巨大な獲物を仕留めるために足を止めたことで、カタリナを乗せたガリミムスは奇跡的にその横をすり抜け、捕食者の追撃から逃れることに成功したのだ。
さらに走り続けると、うっそうとした木々の隙間から、ついに見覚えのある不自然な光の揺らめきが目に飛び込んできた。
カタ(見えた! ゲート!!)
あの光の向こうには、クラエス家の地下室がある。安全な家が、アンの淹れる紅茶が待っている。希望の光にカタリナの顔がパッと明るくなった。
だが、運命はそう簡単に彼女を逃がしてはくれなかった。
ゲートの真正面に、小山のような影が立ち塞がっていた。
もう一頭のタルボサウルスが
「シュゴオォォォッ!!」
大気を震わせる恐ろしい咆哮。
それを見たガリミムスは、本能の底から湧き上がる恐怖に支配され、強烈なブレーキをかけながらゲートとは真逆の方向へ急旋回しようとした。
このままではゲートから引き離され、再び太古の森を当てもなく逃げ惑うことになる。今のカタリナの体力では、もう二度とゲートに戻ってくることは不可能だ。
カタ(止まってる余裕はない!!)
カタリナは最大の賭けに出た。
旋回しようとするガリミムスの首の羽毛を両手で限界まで強く引き絞り、痛む左脚の激痛を完全に無視して、自分の身体を真正面のゲートの方向へ思い切り投げ出すように体重をかけた。
「ギャアァァァッ!?」
首を強引に捻られたガリミムスが悲鳴を上げる。カタリナは生物が持つ本能的な死への恐怖を、自らの生への執念で強引にねじ伏せたのだ。
カタ(真っ直ぐ! そのまま突っ込みなさい!!)
カタリナの常軌を逸した抵抗により、バランスを崩したガリミムスは旋回を諦め、弾かれたように真正面のタルボサウルスめがけて真っ直ぐに突進していった。
獲物が自ら飛び込んできたことに、タルボサウルスは黄色い瞳を細め、巨大な口を大きく開けた。
幾千もの鋭い牙が並ぶ絶対的な死の門が目の前に迫る。カタリナは、牙の奥にある暗い食道までハッキリと視認できる距離にまで近づいていた。
だが、ここから先はガリミムス本来の生存本能の領域だった。
ガァァン!!
タルボサウルスの巨大な顎が、カタリナたちを噛み砕こうと凄まじい速度で閉じた。
しかしその寸前。カタリナの狂気じみた操縦によってギリギリまで距離を詰めていたガリミムスは、持ち前の驚異的な敏捷性を爆発させ、弾むようなステップで軌道を右にずらしたのだ。
ガチィィンッ!という空振りの凄まじい噛み合わせの音がカタリナの真横で響く。
タルボサウルスの牙が、ガリミムスの風に舞う尾の羽毛を数本だけ切り裂いた。
紙一重で最強の捕食者の死角をすり抜けたガリミムスは、ブレーキをかけることなく、カタリナを乗せたまま猛スピードで前方へと突っ込んでいく。
その先にあるのは、淡く輝く時空の歪み。
カタ「あぁぁぁぁぁぁっ!!」
カタリナの絶叫と共に、小さな少女と巨大なダチョウ恐竜の姿は、輝くゲートの光の中へと勢いよく吸い込まれ、中生代の森から完全に姿を消したのだった。
ー『FORTUNE・LOVER』sideー
時刻は昼頃。
太陽が中天に差し掛かり、クラエス公爵家の庭園を明るく照らし出していたが、その場を支配する空気はどこまでも重く、張り詰めていた。
ぽっかりと口を開けた巨大な地下室の入り口。
その前には、王宮から緊急で派遣された王国軍の兵士たちと、精鋭である騎士団が何重にも列をなし、厳戒態勢を敷いて陳列していた。槍の穂先が陽光を反射し、いつ中から未知の脅威が現れても迎撃できるよう、全員が武器を構えている。
その物々しい陣形のすぐ側、急遽設置された安全な天幕の下では、カタリナの家族と、報せを聞いて駆けつけた友人たちが、祈るような面持ちで待機していた。
カタリナの帰還を待つことしかできない現状に、ジオルド、アラン、ニコル、そしてキースの四人は、己の無力さを噛み締めるようにギリッと唇を噛み、顔をひどく歪めている。
メアリとソフィアに至っては、不安と恐怖で手を取り合いながら、その美しい瞳から今にも溢れ落ちそうなほど大粒の涙をにじませていた。
「これより、地下空間への突入を開始する! 各員、油断するな!」
騎士団長が剣を抜き放ち、号令をかけた。
重武装の兵士たちが隊列を組み直し、暗く不気味な石階段へと足を踏み入れようとした、まさにその時だった。
「あぁぁぁぁぁぁっ!!」
地下の奥底から、突如として女性の絶叫のような声が響き渡った。
キー「義姉さん!?」
カタ「カタリナ!」
天幕の下にいた全員が、弾かれたように顔を上げた。あの破天荒で、しかし誰よりも明るい声。
間違いない、カタリナの声だ。
刹那。
地下室の暗がりの中から、凄まじい足音と土煙と共に、ソルシエ王国の人間が誰一人として見たことのない、異形の生き物が飛び出してきた。
「な、なんだあの魔獣は!?」
「巨大な鳥!? いや、しっぽがあるぞ!」
兵士たちがパニックに陥り、悲鳴を上げる。
太陽の下に姿を現したのは、馬を遥かに凌駕する巨体を持ち、全身を細かな羽毛に覆われた二足歩行の巨大な獣だった。細長い首に、大きな眼球。それはカタリナを乗せて死の門をくぐり抜けてきた、太古の恐竜ガリミムスである。
しかし、未知の怪物の出現に恐れおののく兵士たちの目に、さらに信じられない光景が飛び込んできた。
「見ろ! あの獣の背中に誰か乗っているぞ!」
泥と血にまみれ、振り落とされまいと必死に羽毛にしがみついている小さな影。カタリナだ。
突如として眩しい陽光と大勢の人間に囲まれたガリミムスは、完全にパニック状態に陥った。甲高い悲鳴を上げながら暴れ狂う巨大な獣を前に、訓練されたはずの兵士たちも圧倒され、完全に道を空けてしまう。
激しく身をよじるガリミムスの動きに、限界を迎えていたカタリナの腕力はついに耐えきれなくなった。
手がすっぽ抜け、カタリナの身体は空中に放り出されると、そのまま柔らかな庭園の芝生の上へとドサリと激しく振り落とされてしまった。
だが、混乱はそれだけでは終わらなかった。
「う、うわぁぁっ!! まだ来るぞ!!」
カタリナを乗せていた個体に続くようにして、何と五〜六体もの同じ生き物が、巨大な足音を立てて地下室の入り口から次々と飛び出してきたのだ。
パニック状態の巨大生物の群れは、剣や槍を構える兵士たちを蹴散らす勢いで庭園を横切り、凄まじい土煙を巻き上げながら、逃げるようにして足早にこの場から離れていった。
嵐のような数十秒が過ぎ去り、巨大な足音が遠ざかると、後には信じられないほどの静寂が空間を包み込んだ。
兵士たちも騎士団も、あまりの出来事に呆然と立ち尽くしている。
その静まり返った空間で、誰よりも早く動いた者がいた。
ジオ「カタリナ!!」
王子の矜持も何もかも投げ捨てた悲痛な叫びと共に、ジオルドが飛び出していた。それに続くようにして、アラン、ニコル、キース、メアリ、ソフィア、そして両親たちが、芝生の上で仰向けに倒れ伏しているカタリナの元へと一斉に駆け寄った。
ジオ「カタリナ! しっかりしてください、カタリナ!」
ジオルドが泥だらけのカタリナの上半身を抱き起こす。いつもなら艶やかな茶髪は土と葉っぱにまみれ、顔は酷く青ざめていた。
メア「カタリナ様! ああ、神様……その脚の傷…!」
一番近くに膝をついたメアリが、カタリナの左脚を見た瞬間、悲鳴のような声を上げた。
抹茶色のつなぎは太ももから無残に引き裂かれ、血止めのためにキツく縛られた布の周辺は、ドス黒い血と泥でべっとりと覆われている。小型肉食恐竜の鉤爪によって深くえぐられたその傷跡は、見る者すべての血の気を引かせるほどに痛々しく、重傷であることは誰の目にも明らかだった。
キー「義姉さん! 死なないで、義姉さん!!」
ミリ「すぐに、すぐに医者の使い手を! 早く!!」
普段の冷静さを完全に失い、泣き叫ぶキース。悲痛な声で怒鳴るように指示を飛ばす母・ミリディアナ。アランとニコルも顔面を蒼白にさせ、ソフィアはあまりのショックに口を覆って震えている。
家族と友人たちが半狂乱になって心配し、涙を流しているその中心で。
重い瞼を微かに開けたカタリナの瞳に、澄み切った青空と、自分を心から心配して覗き込む、愛しい人たちの顔が映り込んだ。
肉をえぐるような痛みも、極限の疲労も、確かにそこにある。
それでも、大怪我をして死にかけているはずのカタリナの頬は、ふわりと緩み、泥だらけの顔に微かな笑みが浮かんだ。
カタ(ああ……帰ってきたんだ……)
今はただ、その思いだけで胸がいっぱいだった。太古の地獄から、大好きなみんながいる、あたたかい私の居場所へ。
カタリナは安心したように小さく息を吐き出すと、ジオルドの腕の中で、今度こそ静かに意識を手放した。
直前!!
ズズン!ズズン!!
大砲でも撃ち込まれたかのような、内臓を直接揺さぶる規格外の地響きがクラエス公爵家の庭園を襲った。
ジオルドの腕の中で完全に電源が落ちかけていたカタリナの意識は、その本能に刻み込まれた死の足音によって、無理やり現実へと叩き起こされた。
カタ「あ…あぁ……」
微かに緩んでいたカタリナの顔から、再び全ての血の気が消え失せ、死人のような土気色に染まる。極限の恐怖で瞳孔が開き、ガチガチと歯の根が合わずに震え始めた。
異常な地鳴りに、周囲を固めていた騎士団や兵士たちも一斉に地下室の入り口へと武器を構え直す。
アラ「な、なんだ一体……!?」
アランが顔を強張らせ、腰の剣に手をかけながら叫んだ。
地下へ続く石造りの階段の奥から、先ほどのダチョウに似た生き物の群れとは全く違う、圧倒的で暴力的な質量が這い上がってくる気配があった。むせ返るような生臭い血と腐肉の匂いが、地下から噴き出す風に乗って地上へと溢れ出してくる。
その時、ジオルドの腕の中でガクガクと震えるカタリナが、絶望に染まった瞳でポツリとこぼした。
カタ「私の所為だ」
あのガリミムスの群れを誘導して、強引にゲートへ突っ込んだ。
そのパニックと騒音、そして何より逃げ惑う獲物たちの匂いがあの巨大な門の前で眠っていた絶対的な捕食者たちの闘争本能と食欲を完全に目覚めさせてしまったのだ。
彼らにとって、あの光の門は獲物が逃げ込んだ単なる「新しい狩り場」への入り口に過ぎなかった。
直後、地下室の入り口を覆っていた石造りの枠が、内側からの凄まじい力によって飴細工のように粉砕された。
瓦礫が吹き飛び、もうもうと舞い上がる土煙の中から、巨大な存在が遂に現代のソルシエ王国へとその姿を現した。
「シュゴオォォォッ……!!」
大気を震わせる排気音と共に現れたのは、巨大なV字型の頭骨を持つ、圧倒的な暴力の化身であった。
鋭く研ぎ澄まされた嗅覚で、逃げた獲物の匂いを追って次元を超えてきたのだ。
分厚いウロコと、まばらに生えた棘のような羽毛の残骸。強靭すぎる後肢に比べ、極端に短い前肢が、かえってその巨大な顎の異常性を際立たせている。獲物の骨を砕くために強固にロックされる下顎の構造は、一度噛み付かれれば何者も逃れられない死のトラップそのものだ。
そう、奴も来てしまった……!
「ひ、ひぃぃっ! なんだこの化け物は!?」
「槍を構えろ! 退がったら殺されるぞ!!」
王国軍の精鋭であるはずの兵士たちが、本能的な恐怖で腰を抜かし、陣形を崩す。
現代の動物や魔獣とは次元が違う。白亜紀という過酷な生存競争を勝ち抜くためだけに最適化された、純粋な殺戮のフォルム。
「――ゴロロロロロルッ!!」
胸の空洞から響き渡る、内臓を直接かき回すような超低周波の威嚇音「クローズドマウス・ボーカリゼーション」が放たれた。それは耳で聞く音ではなく、空気を伝わって直接人間の骨を震わせる死の宣告であった。
しかし、絶望はそれだけでは終わらなかった。
粉砕された地下室の入り口から、さらに別の重い足音が響き、もう一つの巨大な顎がぬっと姿を現したのだ。
「ゴロロロロルルルル!!!」
今度は口を大きく開けた、鼓膜をんつんざくような凄まじい咆哮が庭園に轟いた。
空気を切り裂く幾千もの鋭利な牙の奥から、生暖かい死の匂いが撒き散らされる。
一頭でも軍隊を壊滅させかねない太古の頂点捕食者、タルボサウルス。
その恐るべき巨大な肉食恐竜が、二頭。
あのゲートの前で眠っていた2対のタルボサウルスが、血肉を求めて現代の空の下に完全に解き放たれてしまったのである。