乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜 作:龍座
重く苦しい、あまりにも長かった夜が明け、クラエス公爵家の広大な敷地に白々とした朝の光が差し込み始めた。
本来であれば、小鳥が囀り、美しい花々が朝露に濡れて輝く穏やかな時間である。しかし、今日ばかりはその陽光すらもが残酷だった。朝日が照らし出したのは、緑の芝生が赤黒く染まり、抉られ、引き裂かれた鋼鉄の鎧が散乱する、凄惨極まりない地獄の痕跡であった。あの太古の化け物たちが残した巨大な足跡には、どす黒い血溜まりができている。
屋敷の一階、重苦しい沈黙が支配する応接室には、一睡もせずに夜を明かしたジオルドたちの姿があった。
誰もが疲労困憊し、目の下には濃い隈を作っている。王族であるジオルドやアラン、宰相の息子であるニコル、そして義弟のキース。彼らは皆、豪華なソファに身を沈めながらも、誰一人として言葉を発することができずにいた。メアリとソフィアも互いに身を寄せ合い、ただじっと祈るように手を組んでいる。
そこへ、重い木製の扉が静かに開かれ、目を真っ赤に腫らした専属メイドのアンが入ってきた。
アン「……皆様。カタリナ様が、先ほどお目覚めになられました」
その一言が室内に響いた瞬間、張り詰めていた空気が僅かに揺らいだ。
アラ「本当か!?」
キー「義姉さんが……!」
アランが身を乗り出し、キースの顔に微かな安堵の光が宿る。愛するカタリナが、死の淵から遂に意識を取り戻したのだ。本来であれば、全員で歓喜の声を上げ、真っ先に彼女のベッドへと駆け寄ってその無事を抱きしめて喜び合うべき瞬間である。
だが。
誰一人として、立ち上がって彼女の部屋へ向かおうとする者はいなかった。
彼らの顔には、カタリナが目覚めたという喜ばしい報告を受けたにもかかわらず、深い絶望と悲痛な影が色濃く落ちていたのだ。
ジオルドはソファの肘掛けを強く握りしめ、その美しい金糸の髪を俯かせていた。
ジオ「……それで、カタリナの様子は?」
絞り出すようなジオルドの問いかけに、アンは痛ましげに顔を歪め、新しい涙をポロポロとこぼしながら首を横に振った。
アン「お目覚めになられた直後は、生きて帰れたことに安堵して泣いておられました。ですが……一階から聞こえてくる、あの声に気づかれてしまって……」
アンの言葉に、その場にいる全員が唇を噛み締めた。
屋敷の一階にある大広間からは、今この瞬間も、タルボサウルスの圧倒的な暴力によって手足を失い、身体を砕かれた兵士たちの、地獄のような呻き声が絶え間なく響いてきているのだ。
アン「全てをご自身のせいだと……カタリナ様は、ご自分の髪を掻きむしって、ただ『私の所為だ』と……声を枯らして、泣き続けておられます。お怪我の痛みなど忘れたかのように、ただ、ただ絶望されて……」
カタリナの現状を知り、応接室の空気はさらに冷たく、鉛のように重くなった。
あの太陽のように明るく、どんな困難や常識の壁も笑い飛ばして、周囲の人間を惹きつけてきたカタリナ・クラエス。少しおてんばで、畑仕事に夢中で、食いしん坊で。彼女がそこにいるだけで、どんな暗い場所にも光が差すような、彼らにとっての絶対的な希望の象徴だった。
その彼女が今、二階の薄暗いベッドの上で、左脚に重傷を負って身動きも取れないまま、己の罪の意識に押し潰されて完全に心を壊している。
メア「カタリナ様……っ、そんな……カタリナ様のせいではありませんわ……!」
メアリが両手で顔を覆い、堪えきれずに嗚咽を漏らした。ソフィアもまた、親友の心が砕けてしまった悲しみに耐えきれず、メアリの肩にすがりついて声を上げて泣き崩れた。
キースは、自らの太ももに爪が食い込むほど強く両拳を握りしめ、ボロボロと涙を流していた。
もし、自分が昨日あの地下室を見つけなければ。もし、姉が一人で畑にいるのを放置せず、ずっと傍についていれば。そうすれば、彼女があの地獄のような森へ迷い込むことも、無惨に肉を裂かれることも、そしてこれほどまでに心を殺されることもなかったのではないか。後悔が刃となってキースの胸を何度も何度も突き刺す。
ニコルは壁に背を預けたまま、その魔性の瞳を伏せ、ただ深い悲哀の溜息を吐き出した。アランもまた、自分の無力さに苛立ち、壁をドンッと強く殴りつけた。
ジオ「……カタリナ」
ジオルドは、誰にも聞こえないほどの小さな声で、愛しい婚約者の名前を呟いた。
彼女を助け出したい。今すぐあの部屋へ行き、君は悪くないと、どうか泣かないでくれと、その身体をきつく抱きしめたい。
だが、今のカタリナにかけてやれる言葉など、どこにも存在しなかった。慰めなど、今の彼女の耳には届かない。実際に外で数十名もの命が奪われ、大勢の兵士たちが一生消えない傷を負い、苦しんでいるのは事実なのだから。
カタリナが絶望の淵に沈めば、彼女を愛する彼らの心もまた、同じように深い絶望の闇へと引きずり込まれていく。
窓の外でどれほど眩しい朝日が輝こうとも、クラエス邸を包み込む深い悲しみと喪失感は、決して晴れることはなかった。
ーーー
薄暗い自室のベッドの上で、カタリナはシーツを強く握りしめ、ガチガチと歯を鳴らして震えていた。
一階から微かに、しかし確実に響いてくる負傷兵たちの呻き声。それが耳に入るたびに、自らの愚かな行動が引き起こした凄惨な光景が脳裏にフラッシュバックする。
あの巨大な肉食恐竜を引き入れてしまったのは、他の誰でもない自分だ。自分の身勝手な生存本能と好奇心が、国を守る大勢の兵士たちの未来と命を無惨に踏みにじった。
カタ「私の所為だ……全部、私が……」
うわ言のように繰り返すカタリナの瞳から、光が完全に失われていく。
そして、極限の罪悪感に押し潰された彼女の脳髄に、ある極端な思考が支配し始めた。
カタ(私が責任を取らなきゃ。あの門を、私が何とかして壊さなきゃ……これ以上、誰かが傷つく前に……!)
アン「カタリナ様……? いけません、動いては!」
傍らで泣き崩れていたアンが弾かれたように顔を上げた時には、すでにカタリナは激痛の走る左脚を無理やりベッドから下ろしていた。
肉を深く抉られ、縫合されたばかりの傷口に全体重がかかる。
カタ「ぐっ……あぁぁっ!」
目の前が真っ白になるほどの激痛が走り、包帯にドクンと新しい赤黒い血が滲み出した。それでもカタリナは、アンの制止を振り払い、壁にすがりつくようにして立ち上がろうとする。
カタ「行かせて、アン! 私が蒔いた種なのよ! 私が何とかしないと、みんなが……っ!」
アン「ダメです! そのお怪我で動けば、今度こそ命に関わります!」
アンが必死にカタリナの腰にすがりつくが、半狂乱になったカタリナの火事場の馬鹿力は、小柄なメイド一人では到底抑えきれなかった。
その騒ぎは、扉の外で重い空気に沈んでいた者たちの耳にも届いた。
キー「義姉さん!?」
バンッ!と大きな音を立てて扉が開け放たれ、血相を変えたキースが飛び込んできた。それに続くように、ジオルド、アラン、ニコル、そしてメアリとソフィアが雪崩れ込んでくる。
彼らの目に飛び込んできたのは、包帯から大量の血を流し、今にも倒れそうな身体を引きずって部屋を出ようとするカタリナと、それを必死に止めるアンの姿だった。
ジオ「カタリナ! 何をしているんですか!」
真っ先に動いたジオルドが、床に崩れ落ちそうになったカタリナの身体を力強く抱き留めた。キースも反対側から彼女の肩を支え、ベッドへ戻そうとする。
カタ「離して! 離してよぉっ! 私が行かなきゃ、私が責任を取らないと!」
ジオ「正気ですか! その足で何ができると言うんです! お願いですから大人しく……」
カタ「大人しくなんてしていられないわよ! 私のせいで大勢の人が死んだの! 私がいなければ……私が、あんな門を見つけて入ったりしなければ!」
カタリナは、自分を案じてくれるジオルドの胸をドンドンと力なく叩きながら、ついに心の奥底に封じ込めていた最も暗い感情を爆発させた。
「私なんて、生まれてこなければ良かったのよ! 私がいなければ、誰も傷つかなかった! あの恐竜に、私が食べられて死んでいれば……!」
バシィィィンッ!!!
カタリナの悲痛な叫びを遮ったのは、部屋の中に響き渡った、乾いた破裂音だった。
カタ「……え」
顔を横に弾かれ、頬に熱い痛みを感じたカタリナは、呆然と目の前の人物を見上げた。
いつの間にか部屋に入ってきていたのはカタリナの母、ミリディアナ・クラエスだった。
彼女は、王子のジオルドたちを押しのけるようにしてカタリナの前に立ち、振り抜いた右手を震わせていた。
カタ「お母、様……」
ミリディアナの顔は、夜叉のように険しかった。しかし、その瞳には、今にも溢れ出しそうなほどの涙が限界まで溜まっている。
カタ「……クラエス家の人間が、自らの命を、そのように軽く扱うのではありません!!」
ミリディアナの腹の底から絞り出すような叱責が、部屋の空気をビリビリと震わせた。
カタ「自分が死ねば解決するとでも思っているのですか! 命を投げ出して逃げるなど、断じて許しません! 自分が原因だと思うのなら、生きて、生きてその責任を全うしなさい! それが、公爵家の娘としての……っ」
そこまで一気に怒鳴りつけた後、ミリディアナの肩がガクンと崩れた。
険しかった母親の顔が、たった一人の娘を喪う恐怖に怯え続けた、一人の弱い女性の顔へと変わる。
ミリ「……それが、私の……娘としての、義務でしょう……っ!」
ミリディアナは、血を流してふらつくカタリナの身体を、骨が折れるのではないかと思うほど力強く、きつく抱きしめた。
ミリ「生きて……生きて帰ってきてくれて、本当に良かった……! 貴女がいなくなってしまったら、お母様はどうやって生きていけばいいのですか……っ!」
気丈な公爵夫人が、子供のように声を上げて泣き崩れた。ルイジも優しく二人を抱きしめる。
その温かく、狂おしいほどの家族の愛情に触れた瞬間。カタリナの中で、これまで頑なに張り詰めていた緊張の糸が、プツンと音を立てて切れた。
ジオ「君は一人ではありません、カタリナ」
ミリディアナに抱きしめられるカタリナの背中に、ジオルドがそっと両腕を回した。
キースが、カタリナの手を両手で包み込み、額を押し当てて涙をこぼす。
キー「義姉さん一人に、そんな重い荷物を背負わせたりしない。僕たちも一緒に背負うから……だから、もう二度と、自分の命を投げ出すようなことだけは言わないで……!」
メア「そうですわカタリナ様! 私たちがついております!」
ソフィ「絶対に、カタリナ様を一人にはしません!」
アランも、ニコルも、メアリも、ソフィアも。
カタリナを囲むようにして集まり、誰もが泣きながら、彼女の存在を繋ぎ止めるようにその身体に触れていた。
どんなに罪深くても。どんなに恐ろしい結果を招いてしまっても。
自分を愛し、生きていてほしいと心から願ってくれる人たちが、こんなにもたくさんいる。
「お父様……っ、お母様ぁ……! ジオルド様、キース……みんな……っ!」
カタリナの目から、堰を切ったように大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
痛い。怖い。申し訳ない。そして、嬉しい。
あらゆる感情がごちゃ混ぜになり、カタリナは母親の肩に顔を埋め、子供のように声の限りに泣きじゃくった。
カタ「ごめんなさい……ごめんなさいぃっ……私……怖かった、死にたくなかったよぉ……っ!」
あの太古の森で、たった一人で恐竜に怯え、死の恐怖と戦い続けていた孤独な少女は、ようやく本当の意味で、自分の帰るべきあたたかい場所へと帰還を果たしたのだった。
カタリナの枯れることのない号泣と、彼女を優しく包み込む家族や仲間たちの涙声が、いつまでも夜の部屋に響き続けていた。
ーーー
それから暫くして……。
母であるミリディアナの温かい胸の中で思い切り泣きじゃくっていたカタリナは、やがて徐々に落ち着きを取り戻していった。激しかった嗚咽は小さなしゃくり上げに変わり、涙と泥でぐしゃぐしゃになった顔を、アンが差し出した清潔なタオルで丁寧に拭う。
瞳の赤みは引かないものの、その表情からは先程までの暗く沈み切った絶望の色がわずかに薄れていた。代わりに宿っていたのは、クラエス家の令嬢としての、そしてカタリナ自身が本来持っている、ある種の無鉄砲なまでの決意の光だった。
カタリナは、ベッドを囲むようにして立ち、心配そうに見守ってくれている家族や友人たちの顔を一人一人順番に見つめ直した。
カタ「皆…」
掠れた、しかし芯のある声だった。
カタリナの言葉に、部屋にいる全員が姿勢を正し、固唾を呑んで耳を傾ける。
自分の身勝手な行動が、取り返しのつかない悲劇を生んでしまった。多くの兵士たちが二度と戦えないほどの重傷を負い、痛みに苦しんでいる。その罪は一生消えることはない。
それでも、ただ泣いて命を投げ出そうとするのは逃げでしかないのだと、母の叱責と仲間たちの涙が教えてくれた。
ならば、自分にできることは何か。自分が責任を持って、この手で最後までやり遂げなければならないことは何なのか。
ベッドの上で必死に考えを巡らせたカタリナは、ひとつの途方もない結論へと辿り着いていた。
カタ「私、決めたわ…でも、これは私一人じゃ無理……。貴方達の力が必要なの。お願い」
カタリナはベッドの上で深く頭を下げた。
ジオルドも、キースも、アランも、ニコルも。そしてメアリやソフィアたちも、彼女が何を言おうとも全てを受け入れ、全力で助ける覚悟を決めていた。彼らは一切の迷いなく、力強く頷いた。
慰謝料の支払いだろうと、危険な魔獣討伐の矢面に立つことであろうと、カタリナが前を向いてくれるのならどんな苦労も背負うつもりだった。
だが、この後にカタリナの口から紡がれた決意の内容は、彼らの予想を遥かに、それこそ次元を飛び越えるほどに大きく裏切る、余りにも予想外すぎるものだったのだ。
ーーー
ー昼頃ー
クラエス公爵家の領地内にある、普段は使われていない広大な土地。
そこに、けたたましい足音と土煙が巻き上がっていた。
キー「ジオルド様!そっちにいきました!」
キースが声を張り上げながら、両手を地面に向けて魔力を練り上げる。
キースの高度な土魔法によって生み出された巨大な土人形たちが、ドスドスと重い足音を立てて荒れ地を走り回り、巨大なダチョウのような生き物――ガリミムスの進行方向を塞ぐように立ち塞がった。
さらに、ガリミムスが土人形を避けて横へ逃げようとしたその先には、あらかじめキースが地中から隆起させておいた強固な土の壁が、巨大なバリケードとなってそびえ立っている。
ジオ「任せてくださいキース!」
ガリミムスの退路が限定された瞬間、先回りしていたジオルドが優雅に腕を振るった。
彼の指先から放たれた炎魔法が、ガリミムスを傷つけない絶妙な距離と空中で、パンッ、パンッと威嚇用の花火のように炸裂する。
「ギェェアアァァァッ!」
炎と破裂音に驚いたガリミムスはパニックを起こし、唯一開かれていた道へと慌てて軌道を修正する。しかし、そこは完全に彼らによって計算し尽くされた袋小路だった。
逃げ場を失い、高い土の壁と土人形に囲まれたガリミムスは、ついに諦めたようにその長い脚を折りたたみ、地面に座り込んで大人しくなった。すぐさま待機していた騎士たちが特殊な魔術具の網をかけ、安全に捕獲を完了させる。
アラ「これで全部だな」
額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、アランが安堵の息を吐き出した。
あの日、カタリナを乗せて地下室から飛び出し、クラエス家の敷地や王都の郊外へと逃げ出していた数頭のガリミムスたち。彼らは驚異的な逃げ足を持っていたが、数日がかりの包囲網によって、ついにこの世界に来てしまった個体を全て捕獲することに成功したのだ。
アラ「しかし、カタリナの奴とんでもない事を言ってきたよな」
アランは呆れたように肩を竦め、愚痴をこぼした。しかし、その口調には怒りや疲れはなく、むしろどこか楽しげな笑顔が浮かんでいた。
あの日、カタリナが皆に頭を下げて提案したこと。
それは、大怪我をした兵士たちへの生涯にわたる補償や支援をクラエス家として全力で行うこと。
そしてもう一つが、このソルシエ王国に迷い込んでしまった恐竜たちを『保護し、飼育する』というものだった。
要は、広大な敷地を用意して『恐竜園』を作るという、前代未聞のとんでもない計画であった。
あの地獄のような事件の直後、原因となった地下室のゲートは、魔力が尽きたのか完全に閉じてしまい、空間の歪みは消滅してしまったのだ。
つまり、あの二頭の凶悪なタルボサウルスも、臆病なガリミムスたちも、中生代へ帰る道が永遠に失われてしまった。
カタリナは考えたのだ。
人を襲い、大勢の兵士を傷つけたタルボサウルスは恐ろしい。自分も殺されかけた。
けれど、彼らもまた、自分の身勝手な行動によって見知らぬ世界に引きずり込まれてしまった『被害者』なのではないかと。彼らはただ、元の世界と同じように狩りをして、お腹を満たそうとしただけなのだ。帰る場所を失い、言葉も通じないこの世界で、ただ殺処分されるためだけに彼らを呼び寄せてしまったのだとしたら、自分の罪はさらに深くなる。
『私のせいで呼び寄せてしまった責任として、帰れなくなったあの子たちを保護したいの。もう二度と、彼らが人を傷つけないように。そして、彼らがこの世界で生きていけるように』
それが、罪悪感に押し潰されそうになりながらも、カタリナが必死に考え抜いた『責任の取り方』だった。
当然ながら、王宮内はこの前代未聞のふざけた提案に大荒れとなった。国軍の精鋭を壊滅させた巨大な化け物を生かしておくなど言語道断、直ちに国を挙げて討伐隊を編成すべきだと猛反対が巻き起こった。
しかし、そこに待ったをかけたのが、王族であるジオルドとアランだった。
彼らはカタリナの悲痛な決意を汲み取り、父である国王や大臣たちを相手に粘り強い交渉を行った。さらに、普段は彼らと距離を置いているはずの第一王子ジェフリーと第二王子イアンという二人の兄までもが、彼らの熱意に押される形で、あるいはクラエス公爵家への恩を売る政治的判断からか、この異例の保護計画に賛同し、強力な後盾となってくれたのだ。
結果として、厳重な管理体制と隔離を条件に、この恐竜保護計画は王宮に受理されることとなったのである。
ーーー
恐竜保護計画が王宮に受理されてから数日後。
カタリナの左脚の傷も順調に塞がりはじめ、杖をつきながらであれば、屋敷の中を少しずつ歩き回れる程度には回復の兆しを見せていた。
そんなある日の午後。
クラエス公爵家の広々とした応接室に、カタリナは家族と友人たちを全員招集していた。
ジオルド、アラン、ニコル、キース、メアリ、ソフィア、そして両親のミリディアナとルイジ。皆、カタリナから大事な話があると聞いて、真剣な面持ちでソファに腰を下ろしている。
全員の視線が集中する中、カタリナは深く息を吸い込み、意を決したように口を開いた。
カタ「みんな、集まってくれてありがとう。今日は、これからの私のことについて、きちんと伝えておきたくて」
ジオ「これからのこと、ですか?」
カタ「ええ」
カタリナは自らの膝の上で両手をぎゅっと握り締め、真っ直ぐに前を見据えた。
カタ「私、魔法学園には行かないわ」
その一言が落ちた瞬間、応接室の空気がピタリと凍りついた。
誰もが自分の耳を疑い、瞬きを忘れてカタリナを見つめている。
キー「……え? 義姉さん、今、なんて……?」
カタ「だから、学園には通わないと決めたの。王宮には無理を言って、恐竜たちの保護と飼育の許可をもらったわ。でも、あの子たちはこの世界の生き物じゃない。何を食べるのか、どんな環境ならストレスなく過ごせるのか、一から調べて尽力しなければならないの」
カタリナの表情は真剣そのものだった。
カタ「私のせいで、大勢の兵士たちが傷つき、あの子たちも元の世界に帰れなくなった。その責任を取るためには、学園生活なんて送っている場合じゃないわ。私のこれからの時間はすべて、恐竜の保護と、少しでも彼らが快適に過ごせる環境作りのために捧げるべきなのよ」
カタリナなりに、何日もベッドの上で悩み抜き、行き着いた覚悟だった。これこそが、自分が背負うべき十字架なのだと。
しかし。
ジオ「却下します」
カタリナの悲壮な決意は、ジオルドの氷のように冷たく、しかし有無を言わさぬ一言によって一刀両断された。
カタ「えっ……でも、ジオルド様、私は……」
メア「断固、反対いたしますわ!!」
ジオルドに続き、メアリが勢いよく立ち上がり、バンッ!とテーブルを両手で叩いた。その瞳には怒りと、そして強い悲しみが入り混じっている。
メア「カタリナ様のお気持ちは痛いほどわかります! ですが、ご自身の青春や学園での生活をすべて投げ打って、恐竜のお世話だけに没頭するなんて……そんなの、責任を取るという言葉を盾にした『自己犠牲』ですわ!」
キー「メアリ様の言う通りだよ。義姉さんは、またそうやって自分一人で全部背負い込もうとする」
キースが深く溜息を吐きながら、カタリナを咎めるような、けれどひどく心配そうな視線を向けた。
アラ「カタリナ、お前が責任を感じるのはわかる。だがな、お前が学園を辞めて泥だらけになって働いたところで、傷ついた兵士たちの怪我が治るわけじゃないし、事態が好転するわけでもないんだぞ。それに……」
アランは一度言葉を切り、カタリナの目を真っ直ぐに見た。
アラ「俺たちは、お前が笑って学園に通う姿を見たいんだ。こんな形で、お前が俺たちの前からいなくなるなんて、絶対に認めない」
ソフィ「お兄様の言う通りですわ、カタリナ様……っ。カタリナ様が学園からいなくなってしまったら、私は、私たちはどうすればいいのですか……」
ソフィアが目に涙を浮かべながらニコルの袖を握りしめ、ニコルもまた、静かに、しかし絶対の意志を持って頷いた。
両親であるミリディアナとルイジも子供たちの言葉に同意するように深く頷いている。
カタリナの気持ちは彼らにも痛いほどわかっていた。だが、大怪我を負い、心に深い傷を負ったカタリナをこれ以上孤独な環境に置くわけにはいかない。学園という同世代の友人たちがいるあたたかい場所からカタリナを引き離すことは、愛する彼女の心をさらに追い詰めるだけだと、彼らは直感的に理解していたのだ。少しでもカタリナの負担を和らげ、普通の令嬢としての幸せな時間を守りたかった。
全員からの猛烈な反対を受け、カタリナは戸惑いながらも食い下がった。
カタ「で、でもね! あの恐竜たちの生態や、どんな環境が適切なのかを理解しているのは、この世界で私しかいないのよ! だから私が現場に立って、一から指揮を執らないと……!」
その言葉に、応接室にいた全員が不思議そうな顔を見合わせた。
ジオ「……奇妙ですね。カタリナ、君はどうしてあの未知の生物の『生態』や『適切な環境』を知っているのですか?」
メア「そうですわ。カタリナ様も、あの化け物……いえ、恐竜を見るのは初めてだったはずですのに」
痛いところを突かれ、カタリナはビクッと肩を震わせた。
カタ (しまったぁぁぁっ!!)
カタリナの心の中で、盛大な警鐘が鳴り響いた。
恐竜の知識。それは当然、前世に図鑑やドキュメンタリー番組、映画などで得た知識である。タルボサウルスのアジアでの生息環境や、ガリミムスが何を食べるのかなど、現代日本で得た史実と最新研究に基づく知識だ。
しかし、そんな前世の記憶があるなどと、ここで馬鹿正直に言えるはずがない。
カタ (ど、どうしよう!図鑑で読みましたなんて言ったら、頭がおかしくなったと思われるわ!ええい、こうなったら……!)
カタリナは冷や汗をかきながら、咄嗟に思いついた『言い訳』を口走った。
カタ「あ、あのね!あの光るゲートを通って元の世界に帰ってくる時、ものすごい光に包まれたの!その時にね、頭の中に直接、あの子たちの名前や生態、必要な知識がドバーッと流れ込んできたのよ! ほ、本当よ!?」
目が泳ぎまくり、声はずるずると上擦っている。誰がどう見ても怪しさ満点の言い訳だった。
しかし、ここは魔法が存在し、実際に異世界へ繋がる古代の魔道具(ゲート)が起動したという超常現象を目の当たりにした世界である。
キー「……なるほど。古代の遺物であるあの門には、向こうの世界の情報を対象者の脳内に直接伝達する機能があったということか」
ニコ「……あり得ない話ではないな。実際にカタリナは、我々が名前も知らないあの生物の生態を熟知しているようだから」
(えっ、信じちゃったの!?)と、カタリナは内心で大いに焦ったが、彼らは真剣な顔でその『嘘』を考察し、あっさりと納得してしまった。
すると、これまで静かに事の成り行きを見守っていたジオルドが、ポンッと手を打って優雅な笑みを浮かべた。
ジオ「素晴らしい。謎は解けましたし、これで全て丸く収まりましたね」
カタ「えっ? 丸く収まるって、どういう……?」
ジオ「簡単なことです。カタリナの頭の中にしかないその貴重な知識を、君自身が現場で泥まみれになって実践する必要はありません。君の役割は、その知識を王国の学者や飼育員、騎士たちに『教授』することです」
ジオルドの提案に、アランやキースたちの顔がパッと明るくなった。
ジオ「カタリナは予定通り学園に通い、令嬢としての生活を続けてください。そして、放課後や休日の時間を使って、保護施設の責任者たちに向けた講義や、飼育マニュアルの作成を行うのです。君は現場の労働者ではなく、恐竜保護計画の『最高顧問』であり『特別教授』として尽力する。これならば、君の責任も果たせますし、学園を辞める必要もありません。いかがですか?」
カタリナの退路を完全に塞ぐ、完璧な折衷案であった。
肉体労働ではなく、知識の提供者としての責任。これならば、家族や友人たちもカタリナの身を案じることなく、彼女を支えることができる。
メア「素晴らしい案ですわ、ジオルド様! カタリナ様、それならば私も、講義の資料作りや視察など、喜んでお手伝いさせていただきますわ!」
キー「僕も手伝うよ、義姉さん。土魔法で環境を整える指示なら、僕がいくらでも動くから」
次々と賛同の声が上がり、誰もカタリナの退学を許す気はないという強い意志の壁が築かれた。
カタ「うぅ……みんながそこまで言うなら……わかったわ。学園に通いながら、特別教授としてあの子たちの環境づくりを頑張るわ」
カタリナが観念したように肩を落として頷くと、応接室を包んでいた重苦しい空気は一気に晴れ渡り、安堵の笑顔が広がった。
こうして、自責の念から孤立しようとしたカタリナの暴走は、彼女を愛する者たちの温かい包囲網によって阻止された。
前世のオタク知識を「ゲートから得た神秘の知識」として誤魔化すことにはなってしまったが、カタリナは魔法学園の生徒でありながら、未知の古代生物の生態を説く『恐竜の特別教授』という、前代未聞の新たな肩書きを背負うこととなったのである。