乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜   作:龍座

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早すぎた出会い

ガリミムスの群れが、安全なバックヤードから広大な展示場へと無事に足を踏み入れたその瞬間。本来であれば、これまでの苦労が実を結んだ最高の歓喜に包まれるはずであった。

しかし、カタリナが突如として激痛に顔を歪め、糸が切れたように倒れ込んだことで、事態は一転して悪夢へと叩き落とされた。

 

ジオ「カタリナ!!」

 

ジオルドたちの悲痛な叫び声が響き渡る。

 

すぐさまカタリナはクラエス公爵家へと運び込まれ、実家にある彼女の自室のベッドに寝かされた。高熱にうなされ、苦しげな呼吸を繰り返すカタリナの周りを、屋敷のメイドたちが青ざめた顔で慌ただしく動き回っている。

 

一方、カタリナの部屋から少し離れた応接室では、重く息苦しい沈黙が支配していた。

 

報せを受けて駆けつけたルイジとミリディアナ。そしてキースとジオルド等カタリナの友達。誰もが血の気を失った暗い顔で、床の一点を見つめたり、両手を固く組んで祈ったりしていた。

 

やがて、重い木製の扉が開かれ、カタリナの診察に当たっていた王都でも随一の腕を持つ老医者が、重い足取りで部屋に入ってきた。

 

ルイジ「先生! 娘の具合は……っ、カタリナはどうなったのですか!」

 

たまらずルイジが立ち上がり、すがりつくように尋ねた。しかし、医者の顔にはこれまでにないほどの深い苦悩と、絶望の色が濃く刻まれていた。

 

医者「……公爵閣下。大変申し上げにくいことですが……お嬢様の左脚の傷が、急速に悪化しております。包帯を解いたところ、縫合したはずの傷口周辺が赤黒く……いや、どす黒く変色し、ひどい化膿を起こしていました」

ミリディアナ「化膿……? でも、傷は順調に塞がってきていると、先生も仰っていたではありませんか!」

医者「ええ。表面上は塞がりかけていました。しかし、傷の奥深く、筋肉と血管のさらに奥で、恐ろしいほどの速度で組織の壊死が進行していたのです」

 

医者の言葉に、部屋の温度が急激に下がったように感じられた。

 

医者「おそらくですが……お嬢様が、あの世界で怪物に襲われた時のことです。お嬢様は、獣の嗅覚から逃れるため、自らの血の匂いを消そうと必死だったのでしょう。雑菌の感染など二の次に、その辺りに生えていた葉や、湿った泥をすりつぶして、直接傷口に塗り込んだ……」

 

キース「っ……!」

 

医者「我々も念入りに洗浄は行いましたが、組織の奥深くに微小な異物が入り込み、取り除ききれていなかった。いや、問題はそこではないのです」

 

医者は額の汗をハンカチで拭い、信じられないものを見たというように首を横に振った。

 

医者「あれから幾日が経過しています。通常の破傷風や化膿であれば、もっと早くに症状が出ていたはず。しかし、傷の奥から検出されたのは、現在のソルシエ王国の医学では全く見たことのない、未知の性質を持った極めて凶悪な菌でした。……おそらく、お嬢様が迷い込んだというあの未知の時代から、恐るべき古代とやらの病原菌をもらってきてしまったとしか考えられません」

 

未知の病原菌。数千万年という途方もない時間を隔てた中生代の細菌に対し、現代のソルシエ王国の人間であるカタリナの免疫は、何の対抗手段も持っていなかったのだ。

 

ジオ「……先生。それで、カタリナの治療法は……。どうすれば、彼女を救えるのですか」

 

ジオルドが、感情を完全に押し殺したような、ひどく冷たく平坦な声で尋ねた。しかし、その膝の上で握りしめられた両手は、爪が皮膚に食い込んで血が滲むほどに震えていた。

 

医者「……このままでは、未知の菌が血流に乗って全身に回り、数日のうちに確実にお命を落とされるでしょう。毒素の進行を食い止めるには……」

 

医者は一度言葉を切り、苦渋の決断を口にした。

 

医者「……お嬢様の、左脚を……切断するしか、方法はありません」

 

「っっ!!」

 

ミリディアナが短い悲鳴を上げ、その場に泣き崩れた。ルイジが慌てて妻の身体を支えるが、彼自身の顔も絶望に染まり、呆然と虚空を見つめている。

 

メア「そ、そんな……嘘ですわよね……!? カタリナ様が、片足を失うだなんて……!」

ソフィ「嫌……嫌です……っ!」

アラ「ふざけるな! あいつが何をしたって言うんだ! 自分の足で歩けなくなるなんて、あいつがどれだけ……っ!」

 

アランが激昂して壁を殴りつけ、キースは両手で顔を覆い隠して深い嗚咽を漏らした。ニコルもまた、痛ましげに目を閉じ、唇を強く噛み締めている。

 

あの活発で、木登りや畑仕事が大好きで、誰よりも自由に走り回っていたカタリナが、その脚を失う。それは、彼女の輝かしい未来と尊厳を半分殺してしまうのと同じことだった。

絶望が、冷たい泥のように彼らの心を飲み込んでいく。

 

だが、部屋中が重い悲しみと絶望に沈む中、医者がふと、思い出したように顔を上げた。

 

医者「……そう言えば」

 

皆の泣き声と嗚咽の中、医者のぽつりとした呟きが落ちた。

 

医者「……まだ確証はありませんが。最近、王宮の魔術師団や医療ギルドの間で、ある噂が囁かれているのです。絶対に治癒不可能な怪我や病すらも完全に治すことができる、伝説の魔法……」

ジオ「……伝説の、魔法?」

医者「はい。平民の少女の中に、『光の魔法』を使える者が現れた……と」

 

光の魔法。

 

それは、ソルシエ王国の建国神話にすら登場する、あらゆる邪悪を退け、どんな致命傷をも跡形もなく癒やしてしまうという、奇跡の力。もしその噂が真実であり、その少女の力を借りることができたならば、中生代の未知の菌であろうと浄化し、カタリナの脚を切断せずに救うことができるかもしれない。

 

その一言は、絶望の暗闇に沈んでいた彼らにとって、天から差し込んだ一筋の眩い希望の光であった。

 

ジオ「……その少女は、どこにいるのですか」

 

ジオルド達がバッと顔を上げ、その蒼い瞳に再び強い意志の炎を宿した。

カタリナを救うことができるかもしれないというたったひとつの可能性に、全員の顔が同時に跳ね上がった。

愛するカタリナの脚を、そして彼女の命を救うための、反撃のチャンスが現れたのだ。

 

ーーー

 

王都から遠く離れた、のどかな村外れにあるキャンベル家の小さな一軒家。

 

かつては温かな笑い声に包まれていたその家は、今や分厚い暗雲が立ち込めたように重く、冷え切った空気に支配されていた。

 

家の中では、マリアの母が憔悴しきった顔で、薄暗い部屋の隅に座り込んでいた。

 

数年前までは、マリアと両親の三人で慎ましくも幸せに暮らしていた。しかし、マリアに『光の魔力』が発現したあの日から、全てが狂ってしまった。

魔力を持つのは、高貴な血を引く貴族が殆どである。平民の娘であるマリアに強大な魔力が宿ったことで、村の者たちは「あの娘は貴族との不義の子に違いない」と心無い噂を立て始めた。

 

夫は妻の潔白を頑なに信じていた。だが、行く先々で耳に入る村人たちの好奇と蔑みの視線、そしてヒソヒソ話に、次第に精神をすり減らしていった。そしてついに限界を迎えた夫は、逃げるように家を出ていってしまったのだ。

 

かつては親しくしていた隣人も、今ではキャンベル家を避けるように遠巻きにしている。

 

原因はマリアに宿った光の魔力だが、マリアが悪いわけではない。むしろ、彼女こそが一番の被害者であった。

 

マリアは、昔の平穏な生活を取り戻そうと、必死に「いい子」であり続けようと努力した。家の手伝いをし、誰にでも優しく接し、勉強も頑張った。

 

でも、無駄だった。

 

何をしても、村の子供たちからは「特別な子だから」と一線を引かれ、敬遠され続けた。彼女の頑張りは、誰にも届かなかったのだ。

 

乙女ゲーム『FORTUNE・LOVER』の物語の中であれば、彼女はその希少な魔力ゆえに『奇跡の子』としてもてはやされ、やがて学園で王子たちと運命の出会いを果たす輝かしいヒロインとなるはずだった。

 

しかし、これは現実だ。光の魔法という過ぎた力は、幼い少女から家族の絆も、友人の温もりも、全てを無残に奪い去ってしまった。

 

今日もまた、どんよりとした沈黙が家の中を支配していた。

マリアが台所で夕食の準備をしようと、小さくため息をついたその時だった。

 

ダンダンダンッ!!

 

突如として、木製の玄関ドアが激しく、しかしどこか必死さを孕んだ切羽詰まった音で叩かれた。

 

「ひっ……!」

 

マリアの母がビクッと肩を震わせる。また心無い嫌がらせだろうか…。

 

恐る恐る、母が重い足取りで玄関に向かい、鍵を外してドアを僅かに開けた。

 

そこには、村の人間ではない、見知らぬ大人の男女が立っていた。

 

上質な生地で仕立てられた衣服、洗練された身のこなし。一目で高位の貴族だとわかる身なりであったが、彼らの顔は青ざめ、滝のような汗を流し、今にも泣き出しそうなほど深い焦燥で染まりきっていた。

 

ルイジ「突然の訪問、誠に申し訳ありません……っ! こちらは、キャンベルさんのお宅で間違いないでしょうか!?」

 

ドアの隙間から顔を覗かせたマリアの母に対し、男は震える声で尋ねた。

 

あまりの剣幕と異様な雰囲気に圧倒され、母は声も出せずにコクコクと不安そうに頷いた。

 

それを確認した瞬間、信じられないことが起きた。

 

ルイジ「頼む!! 娘を……っ、どうか、私たちの娘を助けてくれ!!」

ミリ「お願いします……っ! あの子を、カタリナを助けて……!!」

 

身分が高く、普段であれば平民と直接口を利くことすらないであろう公爵位の貴族、ルイジ・クラエスとミリディアナ・クラエス。

 

その二人が、平民の粗末な家の玄関先で、ボロボロと涙を流しながら床に膝をつき、地面に額が擦り切れるほどの土下座をして深く頭を下げたのだ。

 

「え……? あ、あの、貴族の旦那様、奥様……? 何かの間違いでは……」

 

マリアの母は完全に戸惑い、パニックに陥っていた。

 

そんな母の後ろから、騒ぎを聞きつけた幼いマリアが、不安げに金色の瞳を揺らしながら顔を覗かせた。

 

ルイジ「間違いではありません……! そちらの娘さん、マリア・キャンベル嬢に『光の魔法』の力が宿っているというのは、本当ですね!?」

「え、あ、はい……っ」

ルイジ「どうか、その力で……私たちの娘の命を救ってほしいのです!」

 

ミリディアナが泣き崩れながら、必死に言葉を紡いだ。

 

ミリディアナ「娘は……未知のバケモノに襲われ、脚にひどい傷を負いました……! 傷の奥から恐ろしい毒が全身に回り……王都の医者にも、もう治せないと言われたのです! 脚を切り落とすか、さもなくば……数日のうちに命を落とすと……っ!」

 

マリアは息を呑んだ。

 

脚を切り落とす。命を落とす。幼い彼女にとっても、それがどれほど恐ろしく、悲しいことかは痛いほど理解できた。

 

ルイジ「我々にはもう、伝説の『光の魔法』しか……娘を救う手立てが残されていないのです! どんな見返りでも構いません。我々クラエス公爵家の財産の半分を差し出してもいい! ですから、どうか……どうか力を貸してください!!」

 

父親の、血を吐くような悲痛な叫び。

 

それは、娘を愛する一人の親としての、なりふり構わぬ哀願であった。

 

村中から忌み嫌われ、家族を壊す原因となった忌まわしい『光の魔法』。

 

マリア自身も、この力さえなければと何度も泣いた。

 

けれど今、目の前で泣き崩れている偉い大人は、その忌まわしい力を「希望」だと呼び、娘の命を救ってくれと縋り付いている。

 

マリアは、自分の小さな両手を見つめた。

もし、この自分が忌み嫌ってきた力で、誰かの命を……見知らぬ「カタリナ」という女の子の未来を救えるのなら。

 

マリアは、戸惑う母の前にそっと進み出た。

 

そして、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたルイジとミリディアナを真っ直ぐに見つめ返し、幼いながらも、はっきりと澄んだ声で答えたのだった。

 

ーーー

 

王都の郊外からクラエス公爵領へと続く街道。

 

空にはいつの間にか分厚い鉛色の雲が立ち込め、ポツポツと降り始めた雨はやがて本降りとなり、周囲の視界を白く霞ませていた。

 

公爵家の豪奢な馬車の中には、幼いマリアと彼女の母、そして深い焦燥に駆られたルイジとミリディアナが乗っていた。マリアは母親に手を握られながら、これから自分の身に降りかかる途方もない使命に、小さな胸を高鳴らせると同時に震えていた。

 

どうか間に合ってほしい。見知らぬ「カタリナ」という少女の命の灯火が消える前に。

 

馬車は泥濘み始めた道を、水飛沫を上げながら猛スピードで駆けていく。

 

その道中だった。

 

ガタンッ!!

 

「ひっ!」

 

突如として馬車が大きく揺れ、急ブレーキをかけたように前のめりに停止した。

同時に、外から馬たちの狂乱したような甲高い嘶きと、御者の悲鳴が響き渡る。

 

ルイジ「なんだ!? どうしたというのだ!」

 

何事かとルイジが窓を開け、身を乗り出して前方を凝視した。

 

雨で白く霞む視界の先。御者が恐怖に顔を引き攣らせ、ガクガクと震える指で指し示した街道の向こう側から、到底この世のものとは思えない『巨大な影』がこちらに向かってゆっくりと歩みを進めてきていた。

 

それも、一体だけではない。複数頭の群れだ。

 

あれは……パラケラテリウム。

 

パラケラテリウム―――新生代漸新世に生息していた、地球の歴史上において最大級の陸生哺乳類である。サイの仲間「奇蹄目」でありながら頭部に角は持たず、代わりにキリンのように長い首と、建物の柱のように太く強靭な四肢を備えている。肩までの高さは約5メートル、頭頂部までの高さは7メートル近くに達し、体重は最大で20トンにも及ぶとされる超大型の生物だ。

 

毛が薄く分厚い皮膚に覆われたその巨大な体躯に反して、その性質は基本的には温厚で大人しい草食動物である。筋肉質でよく動く上唇を持ち、高い樹木の枝葉を絡め取るようにして食べる生態を持つ。

 

しかし、パラケラテリウムという古代生物の知識を持たない彼らにとって、その姿は恐怖と絶望の象徴でしかなかった。

見上げるほどの巨大な肉の塊が、のっしのっしと地響きを立てて迫ってくるのである。馬たちが本能的な恐怖からパニックを起こし、どれだけ手綱を引かれても大人しくならないのも当然であった。

 

「旦那様ぁっ! ば、化け物です! このままでは踏み潰されてしまいます!」

ルイジ「端へ寄せるんだ! 早く!! どんな手を使ってでも馬を動かせ!」

 

ルイジの血を吐くような怒号を受け、御者は必死に鞭を振るい、暴れる馬の鼻先を無理やり捻るようにして、馬車を街道の端のぬかるみへと強引に退避させた。

 

車輪が泥に沈み込み、馬車が大きく傾く。車内ではマリアと母が身を寄せ合い、ミリディアナが悲鳴を押し殺して両手で顔を覆った。

 

ズシン……ズシン……ズシン……。

 

パラケラテリウムの群れが、道の端で固まる馬車の真横を通過していく。

 

その一歩ごとに、馬車の下の地面がまるで地震でも起きたかのように激しく上下に揺れた。

 

間近で見上げるその巨体は、まさに歩く城壁であった。

 

彼らの喉の奥からは、肉食獣のような威嚇の咆哮ではなく、空気を低く震わせる「グルルルゥ……」という、ゾウやサイに似た重低音が微かに漏れ出ている。 

 

彼らは道端で震える小さな馬車や人間たちには目もくれなかった。

ただ、雨に濡れた街道沿いの高い樹木に顔を近づけ、器用な上唇で青々とした葉をむしり取ってモシャモシャと咀嚼しながら、何事もなかったかのように悠然と通り過ぎていく。

 

馬車の面々は、呼吸をすることすら忘れ、巨大な柱のような脚がすぐ横を通り抜けていくたびに響く振動に、ただただ身を縮めて震えることしかできなかった。

 

やがて、重々しい足音と地鳴りが遠ざかり、パラケラテリウムの群れは、薄暗い雨のカーテンの向こう側へと静かに消えていった。

 

「あぁ……っ」

 

張り詰めていた緊張の糸が切れ、ルイジは座席に深くへたり込んだ。ミリディアナもマリアの母も、安堵から涙ぐみながら荒い息を吐き出している。

 

圧倒的な非日常の生物との遭遇。しかし、ここで立ち止まっている暇はない。

 

ルイジ「……御者よ! 馬車を出せ! 一刻も早く、カタリナの元へ!」

「は、はいっ!!」

 

未だ恐怖の余韻が冷めやらぬ中、御者は泥濘から車輪を引き抜き、再び馬車を走らせた。

 

未知の古代生物たちが闊歩する危険な世界へと変貌しつつある現実を突きつけられながらも、馬車は雨を切り裂き、未だ高熱と激痛の中で苦しんでいるであろうカタリナを救うため、クラエス公爵家へと死に物狂いで駆けていくのであった。

 

ーーー

 

ークラエス家ー

 

バタンッ!!

 

豪雨の音を掻き消すほどに激しく、クラエス公爵家の重厚な玄関の扉が大きな音を立てて開かれた。

 

応接室で居ても立っても居られず待機していたジオルド、アラン、キース、ニコルの四人が、弾かれたようにエントランスへと駆けつける。

 

そこに立っていたのは、雨に濡れることも厭わず、息を切らして駆け込んできたルイジの姿だった。

 

ルイジ「連れてきた! 彼女が……光の魔法の使い手だ!」

 

ルイジの背後から、同じくずぶ濡れになったミリディアナに手を引かれ、おずおずと姿を現したのは、怯えた様子のマリアの母親と、今回の最大の希望である一人の幼い少女マリアであった。

 

ジオ「マリア・キャンベル嬢……! よくぞ、よくぞ来てくださいました!」

キー「早く! 義姉さんの部屋へ!」

 

挨拶もそこそこに、彼らは濡れた靴のまま、一刻を争う事態に屋敷の廊下を駆け抜けた。

 

急いで向かった先は、カタリナが寝かされている自室である。

 

扉を勢いよく開けると、ベッドのそばにはメアリとソフィアが付きっきりで看病にあたっていた。二人の目元は赤く腫れ上がり、絶え間なくカタリナの額の汗を拭っている。

 

ベッドに横たわるカタリナは、もはや自力で目を開けることすらできず、死の淵を彷徨うように浅く苦しげな呼吸を繰り返していた。

 

ミリ「カタリナ……っ!」

 

ミリディアナが悲鳴のような声を上げて娘の枕元へ駆け寄る。

 

部屋に入ってきたマリアは、初めて見る立派な貴族の部屋に圧倒される暇もなく、ベッドの上に横たわる同年代の少女の惨状に目を奪われた。

 

高熱で苦悶に歪む顔。そして何より、掛布団から出されていた彼女の左脚に巻かれた、分厚い包帯。

 

医者が症状を確認するために包帯の一部を解いていたその隙間から、マリアの目にもはっきりと『それ』が見えてしまった。

 

マリア「ひっ……!」

 

マリアは思わず両手で口を覆い、短い悲鳴を上げた。

 

それは、ただの切り傷や動物に噛まれた怪我などという生易しいものではなかった。赤黒く、あるいはどす黒く変色し、周囲の皮膚から生気が完全に失われている…。

傷口からは腐敗したような異臭すら微かに漂い、中生代の未知のバクテリアが彼女の左脚の組織を無残に食い荒らしていることが、幼いマリアにも直感的に理解できた。

 

あまりにも凄惨な光景に、マリアの足が恐怖ですくむ。

 

メア「お願いですわ、マリアさん! カタリナ様を……私の大切なカタリナ様を救ってくださいませ!」

ソフィ「私たちには、もうあなたの光の魔法しか頼るものがないのです……っ」

アラ「頼む! あいつの脚を、命を助けてくれ!!」

 

大国の王子であるジオルドやアラン、そして高位貴族の令嬢や子息たちが、平民の少女であるマリアを取り囲むようにして、涙ながらに必死に頭を下げている。

 

彼らの瞳にあるのは、身分も何もない。ただ純粋に、ベッドで苦しむ『カタリナ』という少女を心から愛し、失いたくないという痛切な願いだけだった。

 

村の誰からも気味悪がられ、敬遠されてきた自分の魔法。

けれど、この人たちは違う。この魔法を必要とし、心の底から救いを求めている。

 

マリア(……怖い。でも、私がやらなきゃ。この魔法で、この女の人を助けるのよ!)

 

マリアは震える膝に力を込め、強く首を横に振って恐怖を振り払った。

 

そして、覚悟を決めた強い眼差しでベッドへと歩み寄り、カタリナの無残に変色した左脚の真上に、自らの小さな両手を翳した。

 

マリア「……っ、光よ!!」

 

マリアが祈るように目を閉じ、魔力を解放したその瞬間。

彼女の小さな両手から、まるで太陽の欠片をすくい取ったかのような、神々しく、そしてどこまでも温かい純白の光が溢れ出した。

 

部屋の中を真昼のように照らす強烈な光の渦が、カタリナの左脚を優しく包み込む。

 

光は患部に浸透していくと同時に、恐るべき古代の病原菌を浄化し始めた。どす黒く壊死しかけていた皮膚が、まるで早送りの映像を見ているかのように本来の血色を取り戻していく。抉られていた筋肉や血管が光の粒子とともに編み込まれるように繋がり、瞬く間に新しい皮膚が形成されていく。

 

「おお……っ」

「なんという、奇跡……!」

 

息を呑んで見守っていた周囲の大人たち、そしてジオルドたちから感嘆の声が漏れる。

 

やがて、強烈な光が静かに収束し、マリアがゆっくりと両手を下ろした。

 

ベッドの上には、先程までの苦悶の表情が嘘のように、穏やかな寝息を立てるカタリナの姿があった。土気色だった顔色は明るく健康的な桜色へと戻り、額の脂汗も引いている。

 

そして何より、医者が包帯を完全に取り除いて確認した彼女の左脚にはあの無残に抉られ、腐りかけていた大怪我の痕跡は跡形もなく完全に消え去っていた。

傷跡はおろか、ほんの僅かなシミすら残っていない真っ白で滑らかな元の脚に戻っていたのである。

 

医者「……信じられん。未知の毒素も、筋肉の欠損も……すべて完全に治癒している。もう大丈夫です。お嬢様の命に別状はありません!」

 

医者のその震えるような宣言を聞いた瞬間、部屋中が爆発したような歓喜の涙と声に包まれた。

 

ミリディアナ「ああ……っ、カタリナ! よかった、本当によかった……!」

ルイジ「キャンベル嬢、ありがとう! 娘を、我々の命を救ってくれて本当にありがとう!」

 

泣き崩れる両親。メアリとソフィアはお互いを抱きしめて号泣し、アランやキースも涙を拭おうともせずに破顔した。ジオルドは深く息を吐き出し、天を仰いで目を閉じた。

 

マリアは、皆が喜び合い、愛おしそうにカタリナを囲む温かい光景を見つめていた。

 

ーーー

 

心地よい静寂の中で、カタリナはゆっくりと意識の泥から浮上していった。

 

(あれ……私、どうしちゃったのかしら……)

 

重い瞼をうっすらと開けると視界に飛び込んできたのは見慣れた自分の部屋の天井だった。

 

窓の外からは雨上がりの柔らかな陽光が差し込み、部屋を暖かく照らしている。

 

驚くべきことに、意識を失う直前までカタリナの全身を苛んでいた、あの焼き付くような高熱は綺麗さっぱり消え去っていた。それどころか、ヴェロキラプトルの傷と擦り付けた事による未知の菌によって腐りかけていたはずの左脚には、鈍痛すら残っていない。まるで重い鎖から解き放たれたかのように、身体が信じられないほど軽かった。

 

アン「――お嬢様!? お嬢様、気がつかれましたか!」

 

枕元から、涙に濡れた聞き覚えのある声が響いた。視線を向けると、カタリナの専属メイドであるアンが、いつも崩さない冷静さをどこへやら、ボロボロと涙を流してカタリナの手を握りしめていた。

 

カタ「アン……。私、どれくらい眠っていたのかしら……」

ジオ「カタリナ!」

 

アンの声に応じるように、部屋のカーテンの隙間から、こちらも酷く青ざめた顔をしたジオルドが勢いよく駆け寄ってきた。その後ろからは、アラン、キース、メアリ、ソフィア、ニコル、そして両親であるルイジとミリディアナが、一斉にベッドを囲むようにして詰め寄ってくる。

 

キー「義姉さん……! よかった、本当によかった……!」

ミリ「ああ、カタリナ……! 神様、ありがとうございます……っ」

 

全員が今にも泣き出しそうな、しかし心の底から安堵した表情でカタリナを見つめている。カタリナはベッドの上に上半身を起こし、不思議そうに自分の首を傾げた。

 

カタ「みんな、そんなに泣いてどうしたの? 私はただ、展示場で脚が痛くなって……。あれ? 私の脚、切断しなきゃいけないんじゃなかったかしら?」

 

カタリナの脳裏に、倒れる直前の凄惨な激痛が蘇る。あの時、確かに自分の脚の組織が死に死にかけているのを野生の勘で察知していたのだ。しかし、布団をめくって確認した自身の左脚は、傷跡ひとつない、滑らかで真っ白な元の状態に戻っていた。

 

ルイジ「カタリナ、落ち着いて聞きなさい。君の脚は、いや、君の命は奇跡によって救われたんだ。我々の力ではどうすることもできなかった未知の病を、この方がその身に宿る高貴な魔法で、跡形もなく癒やしてくれたんだよ」

 

父ルイジが優しく微笑みながら、ベッドから少し離れた、部屋の入り口近くに佇んでいた一人の少女を振り返った。

 

ルイジ「彼女が、君を治してくれた恩人だ」

 

皆がモーセの海割りのように左右に道をあける。その視線の先に、母親の陰に隠れるようにして、おずおずと一歩前に踏み出した少女の姿があった。

 

カタリナはその少女の姿を見た瞬間、全身に電流が走ったかのような、凄まじい衝撃に襲われた。

 

カタ(……え?)

 

眩いばかりの、絹糸のように美しい金髪。

 

晴れ渡った白亜紀の空を思わせる、澄み切った気品ある碧眼。

 

まだ幼く、質素な平民の服を身にまとってはいるものの、隠しきれない圧倒的な可憐さと、周囲の空気を清めるような清廉なオーラ。

 

カタリナの脳内で、前世に擦り切れるほどプレイした、あの乙女ゲームのパッケージが鮮烈にフラッシュバックした。

 

カタ(う、嘘でしょ……!? あの金髪碧眼……。間違いないわ、画面の向こうで悪役令嬢()が虐げてきたあの『FORTUNE・LOVER』の正真正銘の主人公(ヒロイン)――!!!)

 

脳内が大パニックに陥るカタリナの目の前で、少女は緊張に小さな身体を震わせながら、ぺこりと丁寧に頭を下げた。

 

マリア「はじめまして、貴族のお嬢様……。お身体の具合は、もう大丈夫ですか? 私、マリア・キャンベルと申します」

 

マリア・キャンベル。

 

その名前が紡がれた瞬間、カタリナの脳内会議は大荒れの大爆発を起こしていた。

 

カタ(ひえええええええ!! 本物だわ! 本物のマリア・キャンベルが目の前にいるわぁぁぁっ!! ちょっと待って、ゲームのシナリオなら、私たちが最初に出会うのは数年後の『魔法学園の入学式』のはずでしょ!? どうしてこんな幼少期に、しかも私の命の恩人として出会っちゃってるのよー!?)

 

カタリナの心臓はバックバクに跳ね上がっていた。

 

本来なら、悪役令嬢としてマリアをいじめ抜き、最後には国外追放か死亡という破滅フラグを迎えるはずの相手。その『最大の天敵』に、まさか学園に入る前、それも自分の命と脚を救われるという、特大の貸しを作られた状態で遭遇してしまったのだ。

 

しかし、激しく混乱するカタリナの視線の先で、マリアはただただ心配そうに、潤んだ碧い瞳でカタリナを見つめている。その純真無垢な姿には、悪意も敵意も、何一つとして存在しなかった。

 

カタリナは深く息を吸い込み、高鳴る胸をどうにか抑えつけた。

 

破滅フラグへの恐怖は確かにある。だが、それ以上に、この幼い少女が、誰も治せなかった自分を救うために、わざわざこんな遠くまで足を運んで力を尽くしてくれたという厳然たる事実に、カタリナの心は動かされていた。

 

カタ「……マリア、ちゃん」

マリア「はいっ」

 

カタリナはベッドの上で、杖もつかずに、自分の両足でしっかりと布団の上に跪いた。そして、驚くマリアの目を真っ直ぐに見つめ、満面の、心からの感謝を込めて微笑みかけた。

 

カタ「私の脚を、命を救ってくれて……本当に、本当にありがとう!」

 

この出会いが、本来のゲームの歴史を完全に崩壊させ、マリア・キャンベルの運命をも『破滅フラグまみれの悪役令嬢』の重力へと強烈に引きずり込むことになるなど、この時のカタリナはまだ、知る由もなかったのである。

 

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