夢想は甘き鎧となる~ダンジョン世界でおカシな仮面ライダー!?~ 作:妄想めっちゃ代理人
「うーん……」
奏だけは、少し困ったような表情で大盾を見つめていた。悠斗も隣から覗き込む。
盾の表面には、アーマーベアの爪痕が深く刻まれている。何度も衝撃を受けたのだろう。表面だけではなく、縁の金具にもわずかな歪みが見て取れた。
「結構傷んでますね……」
「うん」
奏は静かに頷く。
「今日はかなり無理をさせちゃったから」
そう言うと、棚から一本の細長いスプレー缶を取り出した。
缶には、
《ミミックスライム補修剤》
と書かれている。
「それは?」
悠斗が尋ねると、詩織が説明してくれた。
「ミミックスライムという魔物がいます。擬態能力を持つスライムで、体表を周囲の素材に合わせて変化させる性質がありまして。その特性を応用した補修材なんです」
奏は盾の傷口へ軽くスプレーを吹き付ける。
しゅうう……。
半透明だった液体が、まるで生き物のように金属表面へ広がり、爪痕を埋めるように形を変えていく。
「おぉ……」
悠斗は思わず声を漏らした。見る見るうちに傷が塞がり、削れていた表面が滑らかさを取り戻していく。
「すごい」
「小さい傷なら、これで十分なんだけど……」
奏は指先で補修箇所を軽く叩く。見た目は整っている。しかし、その表情は晴れなかった。
「今回は、さすがに厳しいかな」
悠斗も改めて盾を見る。表面の爪痕こそ目立たなくなっていたが、よく見ると縁の歪みまでは直っていない。
「内部まで変形してますね」
詩織も盾の縁を確認し、静かに告げる。
「補修剤は表面の修復や保護には優秀ですが、芯材や構造自体が歪んだ装備までは元に戻せません」
奏は苦笑した。
「応急処置はできたけど、実戦で使うのはもう危ないかな」
その判断に、悠斗はわずかに目を見開いた。
「もう使わないんですか?」
「うん。盾は壊れた時に私だけが怪我をする装備じゃないから」
奏は大盾の表面をそっと撫でる。
「私の後ろには陽奈ちゃんや詩織ちゃんがいるでしょう? 受け止められるはずの攻撃を受け止められなかったら、みんなまで危険に晒しちゃう」
穏やかな声だった。しかし、その言葉には盾役としての揺るぎない責任が滲んでいた。
「だから、まだ持てるからって無理に使うことはできないかな」
「……なるほど」
悠斗は深く頷いた。装備を大切にすることと、寿命を迎えた装備へ固執することは違う。奏はその境界をきちんと理解しているのだろう。
「だったらさ!」
陽奈が何か思い付いたように人差し指を立てる。
「今度は新発売の軽量モデルにしなよ! 最近話題になってるじゃん。あのミスリル合金のやつ! あれなら絶対動きやすいって!」
しかし奏は、少し考えるように首を傾げた。
「うーん……私は今の重さくらいが好きなんだよね」
「えー?」
陽奈が目を丸くする。
「軽い方が絶対いいじゃん!」
「確かに疲れにくくはなるけど……」
奏は大盾の持ち手を握り直す。
「軽すぎると、大型の魔物に押された時に体ごと流されちゃうかもしれないから」
そう言って、ゆっくりと盾を構える。
「盾って受け止めるだけじゃなくて、踏ん張るための重さも大事なの」
「なるほど……」
悠斗は感心したように呟く。確かにアーマーベアとの戦いでも、奏は巨大な突進を真正面から受け止めていた。もし盾が軽すぎれば、そのまま吹き飛ばされていた可能性もある。
「それに」
奏は少し照れくさそうに笑う。
「軽すぎると、なんだか物足りなくて」
「もう職業病じゃん、それ」
陽奈が思わず吹き出した。
「普通は軽い方が嬉しいんだから!」
「そうかな?」
「そうだよ!」
二人のやり取りに、詩織もくすりと笑う。
「奏さんは探索者高校の頃から、重装備を好んでいましたからね。先生にも『その盾、本当に高校生が選ぶ重量か?』と驚かれていました」
「あはは……」
奏は苦笑いを浮かべるしかない。
「でも、おかげで今の戦い方が身についたから、自分に合った装備を選ぶのも大切ですよ」
詩織の言葉に、悠斗も深く頷いた。武器や防具には、流行や性能だけではない、自分との相性がある。それもまた、探索者として学ぶべきことなのだろう。
「じゃあ」
陽奈が、ぱん、と手を叩く。
「今度みんなで装備ショップ寄ろうよ! ちょうど悠斗さんも探索者登録を済ませたら、自分の装備を見ることになりますし」
詩織も賛成する。
「盾だけでなく、探索用品も一通り見ておくと参考になります」
「うん」
奏も柔らかく頷いた。
「せっかくだし、みんなで見に行こうか。新しい盾も、実際に持ち比べてみたいしね」
その言葉に陽奈は嬉しそうに笑う。
「決まり! 久しぶりの装備ショップだー!」
悠斗も自然と笑みを浮かべた。探索者の世界には、まだ知らないものがたくさんある。武器や防具を実際に見て回るだけでも、この世界をもっと知るいい機会になりそうだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
装備の点検を終えると、それぞれが武具を丁寧にラックへ戻していく。奏は大盾を静かに収納し、最後にもう一度だけ持ち手へ触れた。
「今までありがとう」
小さく呟く。
「次は、あなたに負けないくらい頼れる相棒を探さないとね」
その声音には寂しさがあった。それでも、決断を迷う様子はない。奏は大盾から手を離すと、ドレッサーを閉じた。淡い光とともに装備ラックは元の姿へ戻り、再びカードケースほどの大きさになる。陽奈も大剣を収納すると、満足そうに伸びをした。
「よーし! 今日の仕事おしまい!」
「メンテナンスも探索の一部ですよ」
詩織が穏やかに言う。
「分かってるってばー」
そんなやり取りを交わしながら、四人は《ロッカー》を後にした。扉が静かに閉まり、認証ランプが消える。戦いのための空間から一歩出ると、そこはもう日常の家だった。リビングへ戻ると、奏は壁掛け時計へ目を向ける。
「……そろそろだね」
時計の針は、事前に予告していた配信時間を指そうとしていた。
「あ、そうだった!」
陽奈がソファの上に置いていたスマートフォンを手に取る。
「『無事です! 夜に報告配信します!』って告知してたんだ!」
「かなりコメントが来ていますよ」
詩織もスマートフォンを確認する。
「心配してくださっている方が多いですね」
アーマーベアとの遭遇、命懸けの激戦、そして、突如現れた悠斗の参戦。
視聴者からすれば、聞きたいことは山ほどあるだろう。
「まずは、無事を伝えないと」
奏が頷く。
「うん!」
陽奈は手際よく配信用の魔導ドローンを起動する。球体状のドローンがふわりと宙へ浮かび、リビング全体を映せる位置まで静かに移動した。
「照明オッケー、音声もオッケー」
「コメント欄も開きました」
詩織がスマートコンタクトに表示された配信画面を確認する。
「協会から届いた確認文へのリンクも、概要欄に追加しておきますね」
「あ、そうだね、お願い」
奏が頷いた。
悠斗はその言葉に、少しだけ緊張した面持ちになる。配信で自分のことを公表する。その方針自体は、協会での事情聴取や検査を終えたあと、奏たちと担当職員を交えて話し合っていた。
もっとも、今日一日だけですべての調査が終わったわけではない。現時点で悠斗に下されたのは、あくまで異邦人としての暫定認定だった。
この世界に戸籍が存在しない。魔力波長の登録もない。既知の国家や地域の出身者として該当する記録も見つからず、身につけていた品々の技術体系も既存のものと一致しない。何より、本人が語る世界にはダンジョンも魔法も存在しないという。そうした数々の状況証拠から、探索者協会は悠斗を通常の身元不明者ではなく、異世界から転移した可能性のある人物として扱うことを決めたのだ。
正式な認定には、さらに詳しい検査と審査が必要になる。それでも今夜のうちに公表することを選んだのは、配信中に悠斗の姿がすでに大勢の視聴者へ映っていたからだった。憶測や不確かな噂が広がる前に、自分の言葉で話したい。悠斗のその希望を、協会も尊重してくれた。
「配信タイトルは……」
陽奈が入力していく。
【ご心配おかけしました! アーマーベア戦の報告と今後について話します!】
「これでよし!」
「じゃあ始めようか」
奏がソファへ腰掛ける。
いつもの定位置なのだろう。
左に詩織、中央に奏。その右に陽奈。
自然と三人が並ぶ。悠斗は少し離れたところで、その様子を見守っていた。
「悠斗さん」
奏が振り返る。
「一緒に映りませんか?」
「えっ、俺も?」
突然の誘いに目を丸くする。
「もちろん。今日の主役の一人ですから」
「そうそう!」
陽奈も大きく頷く。
「むしろ悠斗さんがいないと説明できないし! コメント欄も絶対『助けてくれた人は!?』ってなるよ!」
確かにそうだ。今日の戦闘を見ていた視聴者なら、自分の存在は気になって当然だろう。
「でも……」
悠斗は少しだけ戸惑う。異世界へ来てまだ一日。まさかその日のうちに、大勢の人間が見る配信へ出演することになるとは思ってもいなかった。
その様子を見た奏が、安心させるように微笑む。
「無理に話さなくても大丈夫。今日は私たちから説明するから、悠斗さんは隣にいてくれるだけでも」
その一言で、肩の力が少し抜けた。
「……分かりました。よろしくお願いします」
「うん!」
陽奈が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、配信デビューだね!」
「まだデビューってほどじゃ……」
悠斗が苦笑すると、三人もつられて笑った。その穏やかな空気のまま、奏は正面のドローンへ視線を向ける。
「それじゃあ」
陽奈が配信開始ボタンへ指を伸ばす。
「アルカディア生存報告配信! スタート!」
軽快な電子音が鳴り、配信開始を知らせるランプが淡く点灯した。ドローンのレンズ越しに、四人の姿が夜のリビングから全国の視聴者へ届けられていく。待機画面が終わり、配信開始を知らせるジングルが流れる。画面が切り替わるとリビングのソファへ並んだ四人の姿が映し出された。
奏がカメラへ向かって柔らかく微笑む。
「皆さん、こんばんは。今日はご心配をおかけしました」
一拍置いて、いつものように自己紹介から始める。
「アルカディアのシールダー、奏です」
隣で陽奈が元気よく片手を振る。
「アルカディアのアタッカー! 陽奈だよ!」
最後に詩織が上品に一礼した。
「アルカディアのソーサラー、詩織です。皆様、こんばんは」
配信開始から数秒で、コメント欄が勢いよく流れ始める。
『おかえりー!』
『無事で本当に良かった!』
『今日は心臓止まるかと思った……』
『アーマーベア戦やばすぎた』
『奏ちゃん盾ボロボロだったじゃん』
『陽奈ちゃん最後まで立ってたの泣いた』
『詩織ちゃんの魔力も限界だったよね』
『救援隊来た時、本当に安心した』
『最後まで見てたけど涙出た』
奏はコメント欄を見て、ほっとしたように笑う。
「たくさん心配してくださって、本当にありがとうございます。皆さんも最後まで見届けてくださっていましたね。おかげさまで私たちは全員無事です」
陽奈も苦笑しながら頷く。
「最後なんてもうボロボロだったけどねー。救援隊のみなさんが来てくれた時、本気で『助かったぁ……』って思ったもん」
『あの安堵した顔忘れられない』
『みんな泣きそうだった』
『救援隊GJ』
『でも一番衝撃だったのはあの人』
『あのお兄さん何者?』
『チョコの人!』
『新しい探索者!?』
『最後まで無双してた人』
詩織がコメント欄へ視線を向ける。
「やはり、その話題になりますね」
奏も頷いた。
「はい。今日は、そのことについても皆さんへご報告があります」
陽奈が、絶妙に画面へ入らない位置で立っていた悠斗を見て、にやりと笑った。
「はい! せっかくだし、自己紹介しちゃって!」
「えっ」
突然話を振られた悠斗は目を丸くする。
「い、今ですか?」
「今今! みんな気になってるから!」
奏も優しく微笑む。
「大丈夫。無理に長く話さなくても構わないから」
「は、はい……」
悠斗は背筋を伸ばし、深呼吸を一つ。
緊張しながら画面へ入る。
(シールダー、アタッカー、ソーサラー……)
三人はそれぞれ役割で名乗っていた。なら、自分も何か言った方がいいのだろう。しかし、自分の役割とは何だ。まだ探索者ですらない。剣士でもなければ、盾役でも魔法使いでもない。頭の中が真っ白になり口が勝手に動いた。
「しばらく神崎さんたちのお世話になることになりました。ええと……アルカディアの、ライダー! 相沢悠斗です!」
最後に、ぺこりと深く頭を下げる。
数秒。
リビングが、しん、と静まり返った。
「…………」
悠斗が恐る恐る顔を上げる。三人とも、不思議そうな顔をしていた。
「……ライダー?」
最初に首を傾げたのは陽奈だった。詩織も不思議そうな表情を浮かべる。
「その役割は初めて聞きました」
「えっ」
悠斗も顔を上げて固まる。
(しまった──!)
反射的に出てしまった。
「えっと……」
慌てて言葉を探す悠斗より先に、陽奈が口を開く。
「ライダーって……バイクに乗る人?」
「……英語由来であれば、その意味になりますね」
詩織も真面目に頷く。
「乗り手、という意味だったはずです」
「乗り手?」
奏も首を傾げる。
「悠斗さんはバイクが好きなの?」
「いや、そういうわけじゃなくて……!」
悠斗は慌てて両手を振った。
「えっと、その……」
どう説明したものか。
『仮面ライダー』という作品も文化も、この世界には存在しない。
説明しようにも、前提が共有されていないのだ。
(完全にやらかした……!)
その様子を見た陽奈が吹き出した。
「あははっ! なんか勢いで言っちゃった感じ?」
「……はい」
悠斗が肩を落とす。
「役割を言わなきゃって思ったら、咄嗟に……」
「ふふっ」
奏も思わず笑みをこぼした。
「悠斗さんらしいね。でも……」
少し考えるように首を傾げる。
「確かに、悠斗さんの戦い方を一言で表す呼び方は難しいよね。剣士でもありませんし、魔法使いでもありません」
詩織も腕を組む。
「盾役でも、一般的な前衛でも少し違います」
「変身するしねー」
陽奈が笑いながら言う。
「『変身士』とか?」
「なんだか強そうですね」
三人はすっかり「ライダー」という謎の肩書きより、「悠斗の役割を何と呼ぶか」という話題で盛り上がってしまう。その様子に、悠斗は苦笑するしかなかった。
コメント欄も同じように盛り上がっていた。
『ライダー?』
『何それ?』
『新しいロール?』
『初めて聞いた』
『乗り物関係?』
『バイク乗るからライダー?』
『そういうユニークスキル名?』
『本人も説明困ってるw』
『絶対勢いで言っただろ今w』
『かわいいw』
『謎の自己紹介で草』
『あんだけ強かったから何でもいいよ』
『アルカディアの新戦力だ!』
悠斗は流れ続けるコメントを見て、頭を掻いた。
「……すみません。自分でも、何て名乗るのが正解なのか分からなくて」
その一言に、陽奈はまた笑ってしまう。
「じゃあ今日のところはライダーで! 意味はよく分かんないけど!」
「インパクトはありますね」
詩織もくすりと笑う。奏も優しく頷いた。
「呼び方は、これからゆっくり考えましょう。でも、皆さん」
そう言って、改めてカメラへ向き直る。
「悠斗さんは、今日私たちの命を救ってくださった大切な方です。今はまだ正式な探索者ではありませんが、探索者登録を終えた後は、アルカディアの仮メンバーとして一緒に活動していく予定です」
コメント欄には、すぐに歓迎の言葉が流れ始めた。
『よろしく!』
『悠斗さん歓迎!』
『応援します!』
『これから探索者になるのか!』
『アルカディアに男メンバーきた!』
『次の配信も楽しみ!』
『ライダーさんよろしく!』
最後のコメントを見つけた陽奈が吹き出す。
「あっ、もう定着しかけてる! ライダーさんって呼ばれてるよ!」
悠斗は照れくさそうに苦笑しながら、小さく頭を下げた。笑い声が少しずつ落ち着いたところで、奏は一度コメント欄へ目を向ける。
「それと、皆さんから多くいただいている質問があります」
画面の端には、同じようなコメントがいくつも流れている。
『一緒に活動って?』
『新メンバーなの?』
『なんでアルカディアにいるの?』
『どこから来た人?』
『あの装備どこのメーカー?』
『未登録なのにどうしてダンジョンにいたの?』
「そうですよね」
奏は静かに頷いた。
「そこは、きちんとご説明しないといけません」
先ほどまでの柔らかな空気が、わずかに引き締まる。悠斗も無意識に背筋を伸ばした。奏は一度カメラへ向き直り、穏やかな口調で語り始める。
「改めてご紹介します」
そして、一拍置いた。
「悠斗さんは現在、探索者協会から暫定的に『異邦人』として認定されている方です」
コメント欄が、一瞬止まった。
『……え?』
『異邦人?』
『どういう意味?』
『異国人じゃなくて?』
『比喩じゃなくて?』
「はい」
奏は驚く視聴者へ向け、落ち着いた表情で続ける。
「文字どおり、私たちとは異なる世界から来た可能性が高い方として、協会の保護を受けています」
数秒遅れて、コメント欄が爆発した。
『別世界!?』
『待って待って』
『そんなことあるの!?』
『異邦人って本当にいたの!?』
『都市伝説じゃなかったのか……』
『配信の設定じゃないよね?』
『さすがに話がデカすぎる』
疑問と困惑が濁流のように流れていく。悠斗はその反応を見つめ、唇を軽く結んだ。予想していたことだった。自分のいた世界で誰かが同じ話をすれば、きっと自分だって簡単には信じなかった。
「……はい。自分でも、急なお話で驚かせてしまうことは分かっています」
悠斗はゆっくりと口を開く。
「ですが、自分はこの世界の人間ではありません」
そう言って、深く頭を下げた。
「改めまして、相沢悠斗です。異世界から来ました」
カメラへ向き直る。
「どうしてこちらへ来たのかは、自分にも分かっていません。気付いた時にはダンジョンの中にいて……そこで神崎さんたちと出会いました」
奏たちも静かに頷く。あの出来事は、三人にとっても忘れられない一日だった。
「その後、探索者協会で保護していただいて、今日一日、いろいろな検査や聞き取りを受けました」
悠斗は少しだけ言葉を選ぶ。
「ただ、まだ調査が全部終わったわけではありません。今は、異邦人として暫定的に認定されている状態です」
『暫定認定?』
『まだ調査中なのか』
『そりゃ一日じゃ終わらんよな』
『というか今日来たばっかりなの!?』
『情報量が多い』
そこで、詩織が説明を引き継いだ。
「ダンジョンでは、ごく稀に転移事故が発生します」
視聴者へ語りかけるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「いた場所とは異なる場所へ飛ばされる空間転移。遠く離れた地域や国外へ移動してしまう長距離転移。さらに極端な例では、数年前に行方不明となった方が本人の感覚では数時間後に別のダンジョンから発見された事例もあります」
『時間まで飛ぶの?』
『神隠しみたいなやつか』
『昔ニュースになった探索者いたな』
『十年前に消えて去年帰ってきた人?』
『あれ転移事故だったのか』
詩織は静かに頷いた。
「そうした方々は、まずダンジョン転移事故の被災者として緊急保護を受けます。ですが、調査を行っても戸籍や出生記録が存在せず、既知の国や地域との繋がりも確認できない場合には、異邦人である可能性も含めた特別な調査へ移行します」
奏も言葉を添える。
「悠斗さんには現在、転移事故被災者向けの緊急保護制度と、特別異邦人保護制度の暫定措置が適用されています」
『そんな制度あるんだ』
『初めて聞いた』
『ダンジョン関係の法律複雑すぎる』
『俺は知ってたけど適用事例はごく少数って聞いたぞ』
『制度を舐め回すように見てないと知らんよな普通』
『じゃあ普通の身元不明者とは扱いが違うのか』
「はい」
奏は頷く。
「まずは通常の転移事故や身元不明者として調査を行い、それでも出身を確認できない場合に、異邦人認定の審査へ進みます」
詩織が補足する。
「悠斗さんの場合、この世界に戸籍も魔力登録も存在しませんでした。所持品の技術体系や、ご本人が語る社会の様子にも、現在知られている国家や地域とは一致しない点が多数あります。ただし、それだけで即座に正式認定されるわけではありません。今後も専門機関による検査や面談を行い、その結果をもとに正式な審査が進められます」
コメント欄の反応も、最初の混乱から少しずつ変わり始める。
『説明は分かったけど本当なの?』
『アルカディアが嘘つくとは思わんけど……』
『協会の発表待ちかな』
『確認できるものある?』
『さすがに配信だけじゃ判断できん』
その疑問を待っていたかのように、奏が静かに頷く。
「そう思われるのも当然です。今回の件は、探索者協会とも事前に相談を重ねました。本日の配信で悠斗さんご本人からお話しすることについても、協会の理解と協力をいただいています」
詩織がコメント欄を確認する。
「配信概要欄に、探索者協会が公開した確認文へのリンクを掲載しています。現時点で公表できる情報は限られていますが、相沢悠斗さんが協会の保護下にあり、異邦人認定に関する正式な調査を受けていることは、そちらでも確認できます」
直後。
それまで高速で流れていたコメント欄に、別の種類の言葉が混じり始める。
『概要欄にマジでリンクある』
『探索者協会の公式ページだ』
『認証済みアカウントでも告知出てるぞ』
『「保護および調査中」って書いてある』
『アルカディアの配信ネタじゃなかった』
『少なくとも本人が協会の保護対象なのは本当か』
『ガチじゃんね』
悠斗も、コメント欄を見て少しだけ息を吐いた。協会の確認文は、ごく短いものだった。
《相沢悠斗氏が当協会の保護対象者であり、異邦人認定に関する調査を受けていることは事実です。ご本人の意思を尊重し、本配信での公表を了承しています。詳細については、後日行われる正式発表にてお知らせいたします》
異世界人であると断定する内容ではない。だが少なくとも、奏たちがその場で作り上げた話ではないことは証明できる。
奏は改めてカメラへ向き直った。
「今回、探索者協会から私たちアルカディアは『第一接触パーティ』として認定されました」
『第一接触パーティ?』
『そんなのあるんだ』
『へぇー』
『協会公認なんだ』
『じゃあ勝手に連れて帰ったわけじゃないのね』
『そんな捨て犬拾った扱いなわけ無いだろ!』
「第一接触パーティというのは、異邦人と思われる方と最初に接触し、安全を確保した探索者に与えられる一時的な役割です」
詩織が説明する。
「ご本人が保護先や意思疎通の相手を選べない状況では、最初に信頼関係を築いた探索者が、協会との橋渡しを担当する場合があります。悠斗さんの場合は、私たちと一緒にいた方が落ち着いて過ごせるということもありまして……」
奏は悠斗へ視線を向け、柔らかく微笑んだ。
「協会の監督と支援を受けながら、しばらく私たちと一緒に暮らすことになりました」
悠斗は少し照れくさそうに頭を下げる。
「右も左も分からない自分を受け入れていただいて、本当に感謝しています。皆さんには、心配をおかけすることもあるかもしれません。でも、この世界のことを少しずつ勉強しながらまずは探索者としてやっていけるように頑張りたいと思っています」
そこで一度、言葉を切る。
「そして、登録を終えた後は、アルカディアの仮メンバーとして皆さんと一緒に活動する予定です」
『なるほど』
『今すぐ正式加入じゃないのね』
『まずは登録からか』
『制度に沿って動いてるなら安心』
『本人もちゃんと説明してくれてるな』
奏は、わずかに和らぎ始めたコメント欄を見つめる。
「異邦人保護制度では、ご本人の尊厳や意思が何より大切にされています。ですので、ニュースなどで一方的に公表されるのではなく、まずはご本人の言葉でお伝えしたいという悠斗さんの希望を協会も尊重してくださいました」
「協会からは、調査の進行に合わせて、改めて正式な発表が行われる予定です」
詩織も言葉を次いで補足する
コメント欄の流れが、再び変わった。最初の困惑、次に疑いと確認。
そして今、ようやく目の前の青年を受け入れようとする言葉が流れ始める。
『本当なんだ……』
『歴史的な配信を見てる?』
『ニュースになる前に本人から聞けた』
『協会の正式発表も待つわ』
『緊張してるの伝わる』
『本人の口から話してくれてありがとう』
『異世界人とか人生で初めて見た』
『いや普通は一生見ないんだよ』
『配信見に来てよかった』
『異世界から来たとかまだ信じられないけど、少なくとも協会が保護してるのは本当なんだな』
『まぁダンジョンもあるぐらいだし異世界人がいたって不思議じゃ……いややっぱ不思議だわ』
『新しい世界で頑張れ!』
『応援してます!』
『ライダーさんファイト!』
温かな言葉に、悠斗はわずかに目を見開いた。
もっと疑われると思っていた。嘘つきだと責められるかもしれないと、覚悟もしていた。
もちろん、今もすべての視聴者が信じたわけではないだろう。れでも、少なくとも話を聞こうとしてくれている。自分の言葉を受け止めようとしてくれている。
そのことが、胸の奥にじんわりと沁みた。
「こんな自分ですが、よろしくお願いします」
悠斗は、もう一度深く頭を下げる。
「まだ分からないことばかりですが、頑張ります!」
『応援する!』
『大変だったんだな……』
『頑張れ悠斗さん!』
『無理せずこの世界に慣れてくれ』
『アルカディアと一緒なら大丈夫だ』
『ライダーさんよろしく!』
最後のコメントを見つけた陽奈が、また吹き出す。
「あっ、またライダーさんって呼ばれてる! もう完全に定着しちゃうんじゃない?」
「うぅ……」
悠斗は頭を抱えながら苦笑する。
「できれば、そのうちもっとちゃんとした呼び方を考えたいです……」
その控えめなお願いに、コメント欄は笑いを含んだ温かな反応で埋め尽くされていった。温かな応援コメントが流れる中、不意に別の流れが生まれ始める。
『でもライダーは分かりにくいな』
『もっと特徴ある呼び方ない?』
『チョコ好きなんでしょ?』
『じゃあチョコの人』
『チョコマン』
『チョコ戦士』
『なんか機械音声でチョコドンって言ってなかった?』
『じゃあチョコドンじゃないの?』
『チョコドンさんw』
『チョコドンかわいい』
「チョコドン……?」
陽奈が思わずコメントを読み上げる。
「新しい候補出てきたよ!」
「いやいや!」
悠斗は慌てて手を振る。
「それはさすがに──」
その時だった。
「チョコ!」
元気な鳴き声と共に、悠斗の胸ポケットがぴょこんと膨らむ。
「えっ?」
次の瞬間。
ぴょーん!
小さな影が勢いよく飛び出した。
「チョコ!」
チョコドンゴチゾウだった。
「わっ」
悠斗の肩へ着地すると、そのまま器用によじ登り、ちょこんと頭の上に乗る。そしてカメラへ向かって、小さな両手をぶんぶん振った。
「チョワ! チョコワ!」
元気いっぱいの挨拶だった。一瞬の静寂。
その直後──
『きたあああああ!!』
『かわいいいいいい!!』
『動いてる!!』
『挨拶した!?』
『手振った!!』
『なんだこの生き物!?』
『かわいすぎる!!!』
『チョコきたwww』
『チョコドンって呼ばれて反応した!?』
『自分のことだと思ったの!?』
コメント欄が一気に加速する。
「わぁ……!」
陽奈も思わず身を乗り出した。
「今、自分から出てきた!」
「しかもタイミングが完璧ですね」
詩織も思わず笑みを浮かべる。
「コメントを理解しているのでしょうか……」
奏も優しく目を細めた。
「ふふ、本当に愛嬌があるよね」
当のチョコドンゴチゾウは、自分が注目を集めていることが嬉しいのか、えへんと胸を張る。
「チョッコ!」
そして、ぽすぽすと自分の胸を叩いてから、悠斗を指差した。
「チョコ!」
「あっ……」
悠斗は苦笑しながら頭をかく。
「たぶん、『悠斗は仲間だよ』って紹介してくれてるんだと思います」
『賢い!』
『ちゃんと紹介してる!』
『マスコットじゃなくて相棒じゃん』
『かわいすぎる』
『もう人気者だ』
『アルカディアに新しい癒やし担当が来た』
『チョコドン推しになります』
『配信映えしすぎw』
するとゴチゾウは満足そうに何度もうなずき、今度は画面いっぱいに顔を近づけた。
「チョワーー!」
どアップになった顔に、コメント欄は歓声で埋め尽くされる。
『近い近いwww』
『サービス精神旺盛w』
『尊い』
『かわいい』
『スクショした』
『これは反則』
『今日の主役こっちじゃんw』
「もう、完全に人気を持っていかれちゃいましたね」
奏がくすりと笑うと、悠斗も困ったように笑みを浮かべた。
「そうかもしれませんね」
そう言いながら頭の上の小さな相棒を見上げると、ゴチゾウは得意げに胸を張り、小さくガッツポーズを決めるのだった。
『なんか反応してたけど名前チョコドンなの?』
『チョコドンで合ってる?』
『お名前知りたい!』
次々と流れてくるコメントを見て、悠斗は「あっ」と小さく声を漏らした。
「そういえば、この子のことをちゃんと紹介していませんでしたね」
そう言うと、頭の上で得意げに胸を張っていたチョコドンゴチゾウを、そっと両手で抱き上げる。
「チョコ!」
ひょいっと手のひらへ乗せられても嫌がる様子はなく、むしろ自慢げに胸を張っている。悠斗はその小さな体を落とさないよう優しく支えながら、カメラへ向けた。
「さっき『チョコドン』って呼ばれていましたけど、半分正解です」
『半分?』
『どういうこと?』
「この子たちは『ゴチゾウ』っていう種族なんです。その中でも、この子の名前が『チョコドン』です」
「チョワニャ!」
まるで「その通り!」と言わんばかりに元気よく返事をする。その姿に、悠斗は思わず笑みを浮かべた。
「はい。返事しましたね」
『かわいいw』
『ちゃんと返事した!』
『種族名ゴチゾウだったのか!』
『なるほど理解』
『チョコドンは個人名なんだ』
『ゴチゾウかわいい』
『チョコドンかわいい』
『めちゃくちゃ賢くない?』
『ちゃんと会話してる』
コメント欄は、すっかりチョコドン……いや、ゴチゾウの話題で持ちきりになっていた。陽奈も興味津々で手のひらを覗き込む。
「へぇ~、ゴチゾウっていう種族なんだ! 名前までちゃんとあるなんて、ますます可愛い!」
「チョコ♪」
褒められたことが分かったのか、チョコドンは照れくさそうに体を揺らす。詩織も目を輝かせながら観察していた。
「意思疎通もできますし、知能もかなり高そうですね。魔物とも使い魔とも違うようですし、本当に興味深い存在です」
奏は、そんな二人と一匹を見て、ふっと穏やかに微笑んだ。
「これから配信にも登場する機会が増えると思いますので、皆さんもぜひ覚えてあげてくださいね」
「チョリッス!」
チョコドンは元気よく片手を挙げる。
その一声だけで、コメント欄は再び笑顔と歓声で埋め尽くされた。
『よろしくチョコドン!』
『ゴチゾウ覚えた!』
『今日から推します!』
『かわいすぎる』
『配信の癒やし担当確定』
『アルカディアにマスコット増えた!』
『かわいいね♡食べちゃいたい♡』
コメント欄がすっかり和やかな空気になった、その時だった。
『そういえばよぉ……気になることあるよなぁ?』
『男一人で女三人と暮らすの!?』
『うらやましい』
『勝ち組じゃん』
『俺と代われ!』
『奏さんたち狙ってるんじゃないだろうな? あ?』
『アルカディアに男メンバーかぁ』
『ちょっと複雑』
『変なことしたら許さないぞ』
『奏さんたち泣かせたら全国の視聴者が敵だからな』
そのコメントが目に入った瞬間、悠斗の表情がぴしりと固まった。
「……!」
「悠斗さん?」
奏が不思議そうに声を掛ける。悠斗は一度深呼吸すると、カメラへ向き直り、真剣な表情で頭を下げた。
「皆さん」
いつになく真面目な声だった。
「その点については、ご安心ください」
コメント欄の流れが少しだけ緩やかになる。
「自分は、神崎さんたちにはいろんな意味で救われました。右も左も分からない自分を受け入れてくださって、住む場所まで用意していただいて……感謝してもしきれません」
悠斗は拳をぎゅっと握る。
「だから、自分は絶対に、皆さんの厚意につけ込むようなことはしません」
一瞬言葉に詰まり、耳を赤くしながらも続ける。
「嫌がることをしたり、信頼を裏切ったりするつもりも、絶対にありません」
そして、悲壮な覚悟を決めたような顔で言い切った。
「もし、恩を仇で返すようなことをしたなら……」
一拍置いて。
「腹を切ります」
「「「重い!?」」」
三人の声が、ぴたりと重なった。
「そこまでしなくていいから!」
陽奈が思わずツッコミを入れる。
「発想が物騒すぎます!」
詩織も珍しく慌てている。
「悠斗さん、もっと普通の誓い方で十分だよ……?」
奏も苦笑しながら両手を振った。
「そんな覚悟をしなくても、悠斗さんのお人柄はもう十分伝わっているから」
「で、でも……」
悠斗は困ったように視線を泳がせる。
「こういうのは、きちんと覚悟を示した方がいいかと……」
「方向性が違います!」
再び詩織が即座にツッコむ。
コメント欄も一瞬静まり返ったあと、一気に流れ始めた。
『腹切るなwww』
『重すぎるw』
『侍じゃねーんだぞwww』
『なんでそこで切腹!?』
『顔が迫真すぎるだろマジで自刃するぞコイツ!』
『信頼は伝わったから落ち着けステイ』
『悪い人じゃないのは分かった』
『奏さんたちも総ツッコミで草』
『ド天然かてめー』
『むしろ好感度上がった』
『そこまで言うなら信じたるわ』
悠斗はようやく自分の発言が大げさだったことに気付いたらしく、恥ずかしそうに肩をすくめた。
「……すみません」
「ちょっと気合いが入りすぎました」
その素直な一言に、リビングは笑い声に包まれる。コメント欄にも「頑張れ」「応援してるよ」といった温かな言葉が、次々と流れていくのだった。