海女鳥島から本土への引っ越しを済ませ、新生活が始まった。
シイナは学業をオンラインに切り替え、ほとんどの時間をエクシーズでの活動にあてている。
セツナは転校し、本土にある小学校に通っている。新居は対策本部に近いが、学校までも徒歩で行ける距離にある。
ユウジは島での生活とそこまで変わらないが、セツナが学校に行っている間に、侵略種の巣を叩きに行くようになった。
これが久瀬家の新しい生活だ。セツナとユウジの生活サイクルはそこまで変わらないが、やはり大きいのはシイナの変化だ。シイナは侵略種の対処が増え、やがては原種の駆除も担うことになる。
《相棒。そろそろ戻らないとお嬢が先に家に着くぜ》
「それはよくないな。ここらで切り上げるか」
侵略種の巣は、わかりやすく言えば数多くの侵略種が集まっているポイント。集合団地のようなものだ。「巣を叩く」と言っても、そこに核はない。侵略種が大量に増える”大繁殖”が来る前に、その範囲の全個体を駆除するしかない。
今のところ順調に進んでいる。それどころか、現ポイントはほぼ駆除が終わっている。厄介なのが残存個体の確認だ。ユウジは個人で対応しているため、確認と駆除の並行作業が難しい。フォルドも以前のような広範囲かつ精密な探知はできない。
「倒したやつは記録してるよな?」
《おうよ。たぬき少女に送っとくぜ》
「誰だ」
《八神はやて。たぬきが好きらしいぜ》
「へー。総督は少女じゃないが、とりあえずよろしく。あそこならちゃんと正当に処理して金も払うだろ」
どこからどう見ても大人の女性だ。しかし、フォルドは知っている。あれは魔法で大人に見せているだけで、本当はなのは、フェイトと同じ中学生であると。
それをユウジにはまだ伝えていない。そのせいでユウジは素直に騙されているし、今のフォルドの発言も「フォルドからしたら全員少年少女か」と勝手に納得している。
「急いで帰るか」
ユウジが己に課した使命の1つ、”セツナの帰宅時には必ず家にいる”は守らなければならない。久瀬家に引き取られたばかりの頃、セツナが何気なく言った言葉をユウジは大切にしていた。
──ただいまって言えるのいいね
それを今日も明日も、これからも言わせる。それがユウジが大切にしていることだ。
□
「ただいまー」
「おかえり。おやつ用意するから、手を洗ってこい」
「やったー!」
セツナは今日も元気に帰ってくる。カバンをリビングに置き、洗面所へと向かっていった。戻ってくるまでの間に、ユウジは冷蔵庫から飲み物を取り出し、ドーナツを皿に乗せる。トワから聞いた店で買ったものだ。まず間違いない。
「わあぁ、おいしそ〜! ゆーくん本当にいいの!?」
「いいも何も、もう買って来てるからな。セツナが食べないなら俺が食べる」
「それはだめ」
「じゃあ、食べたいのを選んでくれ」
「どれにしようかな……」
ユウジが買ってきたドーナツは6個。種類も6種類。同じものが1つもないため、セツナは真剣に悩んでいる。これまでなかなか食べてこなかったものだ。しかも本土にある店のドーナツ。島で食べたものとはまた違う。
「そんなに悩まなくてもいいぞ。次買ったときに違う種類を選べばいい」
「お金大丈夫なの?」
「頻繁に買うわけじゃない。それに、金の心配はしなくていい。ちゃんと考えて使ってる」
病院代の返済もあるのだ。その場の思いつきで使っているわけじゃない。今回も先にシイナに確認を取って、了承を得たから買ってきたのだ。ユウジの金銭袋の緒はシイナに握られている。
「ゆーくんはどれが好き?」
「余ったやつでいい」
「いつもそう言う。ゆーくんが買ってきたんだから1つは選んで」
「それなら…………これにするか」
ユウジが選んだのは、この中で一番シンプルなドーナツだった。チョコレートなどが一切なく砂糖を塗られただけのもの。
自分の好みが理由の半分。シイナとセツナが選びたがりそうなものを避けたのがもう半分だ。
「残りはセツナが選んでくれ。最後の1個を俺がもらう」
そう言ったのだが、セツナは真っ先にユウジの分を選んだ。残りの4つのドーナツを、姉妹でどう割り振るか考える。
「セツナが好きなのを選んでいいからな?」
「うん。ちゃんと選ぶ」
セツナはじっくり考えてから選んだ。残ったシイナの分は箱に戻しておいた。
エクシーズの所属になってからというもの、シイナの帰りは以前よりも遅くなった。帰りを待って一緒に食べたい気持ちもあるが、今食べたい気持ちもある。
「1個だけ今食べるのもいいよね?」
「セツナのドーナツだから、好きなタイミングで食べたらいい」
「ゆーくんはあとで一緒に食べない?」
「……そうするか」
「ありがとう」
1つはこの時間にユウジと2人で食べる。もう1つはシイナが帰ってきてから食べる。セツナは自分の気持ちの両方を叶えるためにそうし、ユウジにも付き合ってもらうことにした。家族で時間を共有したい。それがセツナの考えだ。
さて、そうと決まれば次は、今食べるドーナツはどっちなのか。セツナはまたドーナツ選びを始め、ユウジはあっさり決めて1つを箱に戻す。
「早い。ちょっと待ってね」
「急がなくていいぞ」
今食べるものをセツナが決め、2人はドーナツを味わう。一口食べたセツナが目を輝かせた。もう一口食べ、顔が完全に緩む。
「口に合ったようで何よりだ」
「ゆーくんありがとう! すっごくおいしい!」
「それはよかった。買ってきた甲斐があった」
「どうやって知ったの?」
「人から教えてもらった」
「ふーん? もしかして女の人?」
「よくわかったな」
「やっぱりそうなんだ。箱のデザインもかわいいし、女子人気ありそうだと思って」
男子なら「知る人ぞ知る」といった位置づけにありそうな店だと思った。そこをユウジが自力で見つけ出すとは思えなかったため、一番ありそうな可能性を選んだ。
予想が当たったことは少し嬉しいが、新たな可能性がセツナの脳裏によぎる。
「どんな人?」
「性格は間違いなく優しい人だな。前に来た時に道案内をしてくれた人だ」
「その人、たしかゆーくんの荷物とか、お土産を警察に届けてくれてた人?」
「そう。その人」
「そうなんだ」
《きれい子ちゃんだぜ。相棒も目を奪われるくらいにな》
「奪われてはないだろ。たしかにきれいだとは思うがな」
「……そっかー。仲もよくなったんだねー」
「セツナ?」
何か言いたげな声色だ。聞き出そうとしても、セツナが渋って何も言わない。ユウジはお手上げ状態になり、原因となったフォルドに1発デコピンを入れた。
「……セツナ、学校はどうだ? 転校生ともなると、何かと目立つだろ」
「先生も、クラスメイトも良い人ばっかりだよ。授業はちょっとペースが違うけど、わかるから大丈夫だと思う」
「そうか。何かあったら言ってくれ」
《そうだぜお嬢。ちょっかいかけてくるような輩がいたら言っていいんだぜ。相棒が乗り込んで殴り飛ばすからよ》
「余計に目立つからしないで!?」
「そんなことはしないから安心してくれ。やる時は目立たないようにやる」
「そういうことじゃないよ!?」
冗談を言っているだけだとセツナは思ったが、様子を見るからにあながち冗談ではなさそうだ。ユウジは常識がズレているとフォルドが言っていたことを思いだし、セツナは事前にユウジのブレーキをかけることにした。
「学校のことは心配しないで。本当に困ったらゆーくんにも相談するから」
「わかった。だが、もしセツナが傷つけられたら、俺は静止を振り切るぞ」
「そうならないように、友達をいっぱい作るね」
シイナが多忙になった以上、セツナの学業等をユウジが率先して気に掛けないといけない。普段なら「セツナなら大丈夫」と信じて送り出すが、保護者の視点を持つと心配もする。
セツナもそれを受け入れている。踏み込み過ぎず、だが離れすぎない。程よい距離感を意識して、保護者の役割をやろうとしていることを理解している。それに応える1つの形として、セツナは学校での出来事を話していく。
《相棒。連絡が入ったぜ》
「誰からだ?」
《パイ姉だな》
「シイナからか。内容は?」
《今日は延長で帰宅できなくなった、だとよ》
「えっ、しーちゃん帰ってこないの? なんで?」
「……フォルド。繋げ」
《はいよ》
楽しそうな様子から一転。暗くなったセツナを見かねてユウジは詳細を聞き出すことにした。エクシーズという特殊な部隊にいるからか、あるいは加入したばかりだからか、活動内容をどこまで話していいかシイナは掴めていない。今回の連絡も、仕事の延長としか言っていない。
そこを詳しく知るためにも、ユウジは話が早い人間にコンタクトを取ることにした。
『あら、ゆうじさんとセツナさん。こんにちは。今日の用件は、シイナさんのこと?』
「正解だ、八神総督。シイナは大まかにしかこっちに伝えていない。だが、こちらとしては、それでは飲み込みきれない」
『なるほどなるほど。シイナさん、真面目ですね。そういうことなら、私の方から経緯を話しましょう』
部隊員の身内とはいえ、組織単位で見たら部外者は部外者。そう割り切って内容を伏せたシイナは何も間違っていない。はやてはそこを高く評価しながら、”身内になら話していい範囲”を選定する。
『緊急出動が求められる状況になったんです』
「……ニュースでは何も報じられていない。制限区域の方か」
『話が早いですね。半分正解です。今回対応するのは原種の方。極東地域は原種が多くて、その内の1体が活動を見せました』
「? 原種も生きてるんですよね? それなら活動はおかしくないんじゃ……」
『不思議に思えるかもしれませんが、原種は基本的に大人しいんです。活発な行動が少ない。巨大で強大だからか、捕食しようとする動きも全然ありません』
「それなのに動いたから対応か」
「で、でも、しーちゃんが行かないとだめなんですか? 原種は特別区域内にいるだけなんですよね? それなら……」
『区域内を散歩、とかなら出動も必要なかったんです。ですが、今回原種は、区域外に出ようとしている可能性があります。もし出てしまえば、多くの被害が生まれるかもしれません。その阻止が今回の任務なんです』
「そう、ですか」
心配そうにセツナが俯き、胸に手を当てて服を強くつかむ。姉想いの優しいセツナの不安を少しでも減らすため、はやては追加情報を出す。
『我々の全力を持って、シイナさんをサポートします。超優秀な隊員2人も同行してますから、安心してください』
「あの2人か。あの年で国連務めなら、優秀なのは当然か」
「しーちゃん、いつぐらいに帰って来れますか?」
『明日には必ず。お約束します』
「……八神総督。1つ話がある」
なのはとフェイトが同行するなら、シイナに万が一のこともない。明日の帰宅を約束と言うなら、明日に帰ってくる。ユウジはそこで話を区切り、別の話題を差し込む。大事な内容だ。
「多忙だとしても休暇は安定的に与えられるべきだと思うが?」
『うっ。耳の痛い話です……』
「限られた期間で最大の戦果を出す。その具体例が休日返上は頭の痛い話だ。パフォーマンス維持のためにも、休日は確約されるべきだろ」
『はい……。休暇周りの体制を調整します……』
「そっちの苦労もあるだろうが、こちらとしては家族が過労は受け入れ難い。そういう文句ってだけだ。セツナは、なにか言っておきたいことがあるか?」
「え……」
どこかしょんぼりしてそうな総督と、側にいるユウジの顔を交互に見る。この際だから、言いたいことは言っていいようだ。
とはいえ、セツナはクレームが特に思いつかない。無理に出すことでもなく、それよりも先にセツナは1つ思いついた。
「しーちゃんに伝言をお願いしてもいいですか?」
『もちろん構いませんよ』
「しーちゃんの分のドーナツもあるから、早く帰ってきてねって伝えてください」
『任せてください。必ず伝えます』
通信を終える。セツナにとっては久しぶりの、ユウジにとっては初めてのシイナが帰って来ない日となった。
いつもと違う生活。侵略種は極東にこそ多いが、世界中にも存在している。そのすべてを駆除し、原種を余さず倒すことが目的なら、いずれシイナは海外出張も行くだろう。
予想できることだったが、まだ小学生のセツナはそこまで具体的には想像もできていなかった。シイナが不在になって初めて、生活の変化を実感する。今後はこういう日も増えるのだと。
3人分用意していた食事も、今日は2人分。いつもは姉妹で入浴していたのに、今日は1人だけ。
(ひろい、かな)
風呂場は広がっていない。しかし、いつもいる存在がいなくなるだけで、空間が広くなった気がした。気持ちよく浸かる風呂も、なんだか落ち着かない。
セツナは温まるのもそこそこに風呂を出て、寝間着に着替えるとリビングに行った。兄のユウジは、テレビを見ながらフォルドと何か話している。小声なのは、自分に聞かせないためか。
それが寂しくて、胸が締め付けられるのを感じながら、セツナは努めて明るく声をかける。
「ゆーくんお風呂あいたよ」
「いつもより早いな」
「いつもはしーちゃんとおしゃべりしてるから。今日は、話し相手もいないし……」
「……そうだな。セツナ、少しここに座ってろ」
「へ? うん」
新居は可能な限り元の家の内装を再現されている。ここでも、テレビの前にはソファがある。ユウジはそこにセツナを座らせ、一度リビングを出るとドライヤーを持って戻ってきた。
「あ」
それを見てセツナは自覚した。いつもなら自分で髪を乾かしているのに、今日はそれを忘れてしまっていた。
セツナはいつも自分で乾かすし、シイナの髪を乾かすこともある。その反対はあまりない。シイナに引き取られたばかりの頃に、してもらっていたくらいだ。
「乾かすぞ。いいか?」
「うん」
ドライヤーのスイッチを入れ、ユウジはセツナの髪を傷めないようにと丁寧に乾かしていく。
誰かにしてもらう。そんな懐かしい感覚にセツナは目を細めた。
「セツナ。明日の放課後、街に出よう」
「お出かけ? しーちゃんも?」
「ああ。総督に話はついたから問題ない。3人で街に出て、セツナの携帯を買う」
「え? 買ってくれるの? でも、携帯って高いんじゃ……」
「心配しなくていい。さっきフォルドと話してたんだが、セツナも携帯があった方がいいと思ってな」
《お嬢の今のクラスメイトが持ってるかはともかく、中学生の所持率は高え。2年もせずに中学生になるんだから、先に持っててもいいだろ》
「その方が友達も作りやすそうだしな。なにより、シイナと直接やり取りもできる」
「……! 2人ともありがとう!」
「おっと。……どういたしまして」
髪を乾かしている途中なのにセツナが飛びついてきた。ユウジはそれを難なく受け止め、手入れを再開させる。
フォルドと小声で話していたのは、サプライズにしようと思っていたからだ。だが、風呂上がりのセツナの様子を見て、元気づけるために今言った。そのおかげか、セツナは空元気ではなくなったようだ。
「ゆーくん」
「どうした?」
「今日……、一緒に寝てもいい?」
「……」
恥ずかしさにセツナは赤面しているが、それを見せないように顔を伏せている。この頼みは甘えもあるとはいえ、これまでずっとシイナと同室で寝てきた影響もある。1人での入浴ですら寂しさを抱えて早めに出てきたくらいだ。1人での就寝もまだ耐えられないだろう。甘えられる対象がいるならなおさらだ。
いずれはひとり立ちしないといけない。それはわかっている。それでも、今はまだその時ではなかった。
「わかった。セツナが少しでも落ち着けるなら、一緒の部屋で寝よう」
セツナの髪を乾かし終えると、ユウジは風呂を済ませに行く。その間はフォルドがセツナの話し相手になった。
「──フォルド、それはすごく……はずかしい」
《大丈夫だお嬢。お嬢ならやれる》
それが功を奏したのか仇となったのか。それは捉える者次第。
その夜、布団を運び出さずに枕だけを両手で抱え、勇気を振り絞ったセツナが顔のほとんどを隠しながらユウジの部屋に突撃した。