ユウジが海女取島に流れ着いてから早2週間。つまり久瀬家での生活が始まってからも2週間。異性ということもあり、共同生活は初めお互いにぎこちない部分もあったが、少しずつ慣れ始めている。
「ただいま。ユウジさん」
「おかえりセツナ」
《男子からの告白はどうだったよ》
「されてません。小学生でそういうの全然ないと思うよ。高校生のしーちゃんならあるかもだけど」
《そういうもんか? なら、今度カマかけてみるか》
「ほどほどにしとけよ。また家の外に投げられるぞ。拾いに行くの俺だし」
本当は自律して動けるフォルドだが、ユウジにもシイナたちにも内緒にしている。その方が絵面が面白いからである。
「セツナは手洗いうがいしてこい」
「はーい」
シイナとセツナは日中、当然ながら学校がある。シイナは高校。セツナは小学校。帰宅するのはセツナの方が先で、シイナの帰宅を待つ間に宿題と家庭菜園の世話をする。それがセツナのこれまでの日課。ユウジが来てからは、少しだけ変化がある。
「ユウジさん」
「どうした?」
「ただいまって言えるのいいね。いつもはしーちゃんにおかえりって言うから、あんまりただいまは言ってなくて新鮮」
「喜んでもらえるなら、自宅警備員も捨てたものじゃないな」
「家事もしてくれるから助かってる」
当初の決まりごととしては、シイナの害獣駆除に同行し、協力すること。少なくとも立て替えてもらった病院代を稼いで返すこと。それくらいだ。
しかし「働かざるもの食うべからず」ということで、2人が学校に行っている間に家事をする。掃除やごみ処理が主な仕事。洗濯に関しては、さすがにシイナもセツナも下着を見られるのが恥ずかしく、ユウジの仕事から外されている。
「庭の方も見てくれてるよね」
「セツナに言われたことを守ってるだけだ。水やりと害虫駆除。他のことはわからないから、そこはセツナが見てくれ」
「うん。それだけでも大助かりだよ」
「さてと、なにか飲むか?」
「あ、自分でいれるよ」
「いいよ。セツナは学校の宿題もあるだろ?」
「そうだけど……。ありがとうユウジさん」
「どういたしまして」
セツナの要望を聞き、ユウジはお茶を淹れた。テーブルに教材を広げ、宿題に取りかかるセツナの邪魔にならないように、コップを置く場所にも気をつけた。
シイナ曰く、セツナは非常に賢い子だ。テストでは常に100点。宿題も欠かさない優等生。心優しい子だ。思春期にでもなれば、浮いた話の1つや2つ出てくるだろう。
「そういえばユウジさんは、勉強できる?」
「できない」
「即答……」
「まったくできないわけじゃないが、セツナほどじゃない。小学校レベルはわかるけどな」
「そうなんだ。じゃあ教えてもらおうかな」
「セツナなら全部わかるんじゃないのか?」
「難しくはないけど、せっかくだからそういうのもいいかと思って。しーちゃんにも、たまに見てもらってる」
「ま、やることもないし、それもいいか」
「やった!」
大喜びなセツナは、椅子を横にずらしてユウジのスペースを作る。急かすように視線が送られ、ユウジはそこに椅子を動かした。セツナは今小学校5年生。ユウジにとってはかつて学んだこと。
「今日の宿題ってまず何があるんだ?」
「今日は国語と算数。あと理科のプリント」
「理科はセツナ得意そうだな。全科目不得意ないのかもしれないが」
「うん。理科の勉強は好き。庭の手入れと関係があるし、おもしろい」
前話はこれくらいにして、ユウジは横からセツナの宿題を覗き込む。内容はちゃんと教えられるものだ。
(わかるってことは、俺は本土とやらの出身なのか?)
ユウジの頭の中にある勉学の知識と、セツナの勉強内容に大きなズレはない。この島が田舎であることと、本土にはもっと人がいることはシイナから聞かされている。
この島に既視感は何もないものの、勉強知識に誤差がないのなら、本土から流れ着いたと考えるのが妥当だ。
それを頭の片隅に止め、ユウジはセツナに聞かれた内容を教える。教えるというか、正確には”答える”だ。なにせセツナは授業内でちゃんと理解している。わからない問題はない。
「ユウジさん、わかりやすい」
「いやいや。セツナが元から理解してるから、そう感じるだけだろ」
「ううん。ユウジさんの話は理解しやすいよ。わたしに合わせてくれてる」
やってることは、答えを教えるだけの作業じゃない。問題を解くための前提の確認。もちろんセツナは理解しているので、そこはあっさり終わる。それができたら基礎を問題に当てはめて考えさせるだけ。セツナが優秀なため、応用に繋げたり、もう一歩先のレベルや余談に発展させたり。ユウジがやってることは、それくらいだった。
「セツナみたいに真面目な子がいたら、先生も授業が楽しいだろうな」
「えへへ。そうだったらいいな。でも、みんなも真面目だよ」
「そうか。それなら毎日楽しいんじゃないか?」
「うん! 勉強も、友達と話すのも楽しい」
「あ、よかった。友達はいるのか」
「いるよー」
セツナは授業が終われば即帰宅する。帰宅後も遊びにはいかない。少なくともこの一週間は一度もなかった。それは家庭菜園をしていて、毎日世話をしないといけないからだ。それを知ってはいても、放課後に友達と遊んでいない小学生ともなれば、いらぬ心配もしたくなるというもの。
その心配が嬉しかったのか、ふわりと柔らかくセツナが笑う。それからセツナは、宿題の続きをしながら、今度は学校の話も交える。教員の話、クラスメイトの話。授業や給食のこと。それこそ1から10まで。
その話は、宿題が終わっても続いた。
「学校を楽しめてるなら何よりだ」
「うん。あ、ごめん。わたしの話ばっかり」
「気にするな。こっちも聞いてて楽しかったし、俺からできる身の上話もないし」
「記憶……今も全然?」
「全然。出身もわからないし、手がかりもなし。フォルドは知ってるはずだけどな」
《思い出したきゃ自力で思い出せ》
「この一点張りなんだよな。相棒って呼んでくるくせに」
「そうなんだ」
「気長にやるしかなさそうだ。2人に迷惑じゃなければな」
「ううん。全然迷惑なんかじゃない。しーちゃんもそう言うよ」
「ありがとう。さてと、庭の方を見に行くか」
セツナは宿題を鞄にしまい、その間にユウジがコップを洗う。こういった些細な家事分担も、姉妹にとっては大助かりだ。
互いに片付けが終わると、揃って家の外に出た。久瀬家は敷地の広い家だ。住宅だけでなく、野菜を育てられる広さ。倉庫代わりのいくつものコンテナ。そして敷地を囲う塀と正門。客観的に見て、富豪の家である。と言っても、両親も祖父母も他界しており、この家は残された財産である。
「どうだ? 素人目には、傷んだりはしてないと思うんだが」
「ばっちり。変なところはどこもない」
「それはよかった。そうだ。1つ確認したいことがある」
「なに?」
「たまに空に見かける鳥擬き。あれも侵略種か?」
《こういうやつだ》
言葉だけでは伝わらないだろうと、フォルドが写真を映し出した。そこに映っていたのは、カラスほどのサイズの飛行型侵略種だった。
「これも侵略種。小さいし、人を襲うことは滅多にないって聞いたことはあるけど、害獣には変わりない……と思う」
「野菜を食べることは?」
「うーん。侵略種は基本的に肉食のはずだから、魚とか動物とかを食べるはず。でも、畑を荒らすことはあるかも。しーちゃんも見かけたら駆除してるって言ってたし」
「なるほど。じゃあ、俺も見かけたらそうするとしよう。このサイズでも、小遣い程度の稼ぎにはなるだろ。なるよな?」
「なると思う。ならなくても、駆除してくれるのはみんな助かる」
ユウジは基本的に日中も暇である。家事と菜園の手伝いはあれど、長い時間を潰せるわけじゃない。敷地から出ずにできることがあるなら、それもしたくなる。
シイナと決めていることは、駆除要請が出たときに一緒に赴くこと。単独での行動はせず、仮にシイナの登校中や下校中に要請が出たら、シイナからフォルドへ連絡が入る。たとえ単独で十分駆除できるとしても、必ず揃ってから行う。
(単独行動になるが……これは仕方ないよな)
「しーちゃんには、わたしからも言うね」
「エスパー?」
「へ?」
「いや、いい」
「気になるけど……。そうだ、わたしからも質問」
気になったことの追及はさておき、思い返せば聞いてなかったことがあるなとセツナは話を振る。ユウジ本人に記憶がないせいでもあるが、ユウジのことをほとんど知らない。今日は1つ明らかにする。
「ユウジさんって何才?」
「……俺は何歳だフォルド」
《16だ》
「16歳らしい」
「じゃあしーちゃんの1つ下だ」
「へー。セツナは小学生5年生だったから」
「11歳。来年で12歳。ちょっと離れてるね」
「セツナがしっかり者過ぎて、実感とだいぶ違うけどな」
家事全般ができて、家庭菜園もできる。才色兼備な少女。精神がしっかりしているからか、実年齢よりも高く感じられる。
風でなびく髪を抑え、セツナは少し恥ずかしそうに一度目を泳がせた。それは1つのお願い、いやわがままを言おうとしているためだ。
「ユウジさんの呼び方……変えてもいい?」
「セツナから俺への呼び方か?」
「そう。しーちゃんみたいに。ユウジさんも優しくて、温かい人だと思うから。もっと仲良くなりたい」
「セツナの好きに呼んだらいい。ちなみに候補は?」
「……ゆーくん、って呼んでもいい?」
「もちろん。よかった、変なあだ名じゃない」
「変なあだ名はつけないよ。ゆーくん。しーちゃんのこと、お願い」
「任せろ、と言いたいが少し違うな」
「え?」
ユウジは、驚いているセツナに視線を合わせるように膝を曲げた。小指を眼前に見せ、訂正箇所を教える。
「俺のこのよくわからない力が役立つなら、もちろんシイナの力になる。でも、2人ともが俺の恩人だ。だから、セツナのことも守る。それが俺の恩返しだ」
かっこつけてるところはある。だが、これが本心なのも事実だ。シイナとセツナのためなら、たとえ強敵が現れても守り抜く。約束にして誓い。名前以外ユウジの、核となる宣言だった。
その真っ直ぐな眼差しに目を奪われた。その眼差しを知っている。心の奥まで届けられる熱を知っている。その目で心が暖かくなるのを感じたセツナは、自身の手を小指を絡めた。
「約束?」
「ああ。約束だ」
「……ゆーくん」
「?」
「ありがとう」
花のように笑顔を咲かせたセツナは、足取り軽く家の中に戻っていく。しばらくすればシイナも帰ってくることだろう。夕飯の準備を先に始めるようだ。
シイナが帰宅し、3人での夕食を済ませたら、食器を洗うのも3人で行う。すべてが一通り済むと、シイナはセツナを先に風呂へ行かせた。いつもなら姉妹揃って入るのだが、今日はそうしなかった。ユウジと何か話すのだろうと察し、セツナはリビングから出ていく。
「ねえユウジ」
「どうした改まって」
「セツナに何かした?」
「誓って何もしてない。心当たりもない」
「呼び方変わってたじゃん!」
「あー、そういうことか。そこはセツナに聞いたほうがいいんじゃないか? 俺はセツナの好きにさせてるだけだぞ」
「むぅ……。はぁ、それならあとで聞いてみるとして。よかった。ユウジがセツナに何かしてたら、追い出すのも仕方ないかと思ってたから」
「恩を仇で返すような真似はしない」
その言葉を信じ、シイナはセツナを追いかけるようにリビングから出て行った。
結局、入るタイミングがずれただけで、姉妹揃っての入浴は変わらない。
「セツナはユウジと何を話したの? 呼び方も変わってるし」
「もっと仲良くなれたらなーって思って、お願いしてみた」
「そっか。他に何か話した?」
「それは内緒」
「ええ、あたしにも?」
「だめ?」
「うっ。……だめ、じゃない」
かわいい妹のお願いを、シイナは断れなかった。気にはなるが、知らないといけないことでもない。シイナはセツナの表情を見て、そう判断した。
(ゆーくんの言葉が嬉しかった。だから、あれはしーちゃんにも内緒)