久瀬姉妹は仲良し姉妹だ。島内の誰もが知っているほど仲の良さは有名で、家の中でもそれは変わらない。入浴は姉妹揃って行い、寝るときも同じ部屋に布団を並べて寝る。髪の手入れに手を抜きがちな姉のために、代わって手入れをしてあげるのはセツナの楽しみの1つ。
「おはよう。しーちゃん」
「おはよ、セツナ」
誤差はあれど、だいたい同じ時間に姉妹は起きる。協力して生きてきたから、体内時計も似たようなものになる。
起きたら布団を畳み、部屋の隅に置く。そのあと顔を洗い、朝食の準備にかかる。これまではそうだった。
「おはようセツナ。もうすぐできるから、飲み物を用意しておいてくれ」
「うん。ゆーくんいつも早いね」
「世話になってる身だからな。こういうことからやらないと。それに、ようやく2人に出せるくらいには腕も上がった。セツナのおかげだ」
「そんなことない。ゆーくんは1人のときに勉強してるから、上達も早い」
「それを言うと、先生がいいからやる気も自ずと出てるだけだ。ところでそのことをどうして知ってる?」
「フォルドが言ってた」
「こういうことは口が軽いよなお前」
《うっかり口を滑らせることもあるさ。なぁお嬢?》
「のりのりだったよ」
《お嬢?》
あっさりと情報が流された。因果応報である。
そうこうしている間に、セツナのあとに顔を洗っていたシイナもリビングに来た。セツナは言われた通り飲み物を用意し、シイナはユウジを手伝って朝食を3人分に分けながら盛り付ける。
「ん? どうかしたセツナ?」
「ううん。なんでもないよ」
「そう? なんだか嬉しそうに見えるけど」
「内緒」
「えー」
気にはなるも、無理やり言わせたりはしない。大切なことなら必ず話してくれる。セツナを信頼しているからこそ、シイナは追及しない。
(しーちゃんとゆーくん。ちょっとずつだけど、すごく仲良くなってる)
シイナの人の良さもあるだろうが、ユウジの誠意もあるのだろう。出会ってからひと月以上。今ではユウジは身内も同然。3人での生活も良いものだと、セツナは心から思えた。そのことが嬉しいのだ。
「あ、シイナ。そっちのはシイナの弁当用だから置いておいてくれ」
「え? うん。あたしのお弁当まで作ってくれてたんだ」
「セツナにも、これなら大丈夫だって認めてもらったからな。味も問題ないはずだ」
「いつの間に……」
2人でそんなことをしていたとは、シイナはまったく気づけていなかった。だが、秘密にされていたことよりも、サプライズの喜びと2人の仲の良さが嬉しい。まだこれから朝食だというのに、もう今日のお昼が楽しみになった。
「しーちゃん、ゆーくん。食べよ」
「そうだね。食べて学校の支度もしなきゃ」
揃って席に着くと、「いただきます」と欠かさず挨拶をして朝食をとる。朝から手のこんだものを作ってはいないが、簡素な食事ということもない。パンとサラダ、食べやすいおかずを用意。自宅学習で栄養バランスも少しは身につけたユウジなのだった。
「ゆーくん」
「どうしたセツナ?」
「今日の放課後、時間を作ってくれる?」
「時間を作るも何も。俺は予定を作るほうが難しいぞ」
ユウジとしてはどんな用件でもいいが、確認のためにシイナへと視線を向けた。両親がいない以上、セツナの保護者はシイナだ。シイナが溺愛する妹のお願いをどこまで聞いていいのか。その線引きはまだ、ユウジには判断できない。
「危ないことじゃなかったらいいよ。ユウジがいたら変な目に合うこともないだろうし」
「だそうだ。内容次第で付き合おう」
「一緒に遊ぼうと思って。いつも家と庭を守ってくれてるから」
「そういうことか。セツナは優しいな。シイナはどうする?」
「んー。今回は2人でいいんじゃないかな。休日になったら3人で出かけよ」
「お出かけ! 楽しみが2倍になった」
喜びながらも内心で姉に感謝する。意図を察して、気を使ってくれたようだ。
「よかったなセツナ。今日の待ち合わせはどうする?」
「家で待ってて。学校のカバンを置いてからがいい」
「了解」
□
「ただいまー」
「おかえりセツナ」
「行こ、ゆーくん」
「早いな。少し休んでからでもいいんじゃないか?」
「わたしは大丈夫。時間も有限だから」
「わかった。行こうか」
セツナの強い誘いに乗り、ユウジは素早く身支度を整えた。戸締まりや電気の確認はセツナと分担して行い、確認が終われば玄関の鍵を閉めて外に出る。
「今日の予定は?」
「ゆっくりできるところに行きたい。お気に入りのところがあるから、そこにするつもり」
「セツナのお気に入りの場所か。それは楽しみだな」
「きっとゆーくんも気に入る」
移動はいつも徒歩。久瀬家に車はない。運転できる者がいない。そんなわけでいつも歩く。学校へ行ったり、買い物したり、何をするのも自分の足で行く。
家から歩いて海の方へ。そこからは海岸沿いを歩いていく。セツナと並んで歩きながら、ユウジは途中の浜辺にある看板を見た。
「この島って一応海水浴場あるんだな。侵略種に襲われるだろ」
「頻繁に出るわけじゃないから。でも、入る人はあんまりいないかも」
「それはそうだ」
「この島、若い人も少ないから」
「そっちもか。なるほどな」
物が少ない島よりも、職のあてがあるなら本土にいた方がいい。安全と生活水準。どちらも海女鳥島より断然上だ。実際、移住する人も少なくない。残っているのは家業を継いだり、好きで島に残っている家庭くらいだ。
「セツナたちは海で遊ぶのか?」
「遊ぶときもあるよ。しーちゃんはライフセーバーの資格もある」
「……救助系の資格を制覇する気か?」
「しーちゃんなら、気づいたらそうしてそう」
人を守り、助けられるなら迷わずそうする。シイナはそういう性格だ。目の前の人を助けるために知識と資格がいるなら、迷わずそれも取るだろう。
「ゆーくんは泳げる?」
「さあ? 泳げそうな気がする。セツナは?」
「しーちゃんほどじゃないけど、泳げるよ」
「比較対象をライフセーバーにしたら、誰でもそれ以下になるだろ」
「だね。でも、わたしとゆーくんの共通の知ってる人がしーちゃんだから」
「それもそうか」
セツナ曰く、シイナは25mプールなら息継ぎなしで泳ぎ切れるらしい。驚愕の肺活量だが、ライフセーバーはそれくらいは要求されるのかもしれない。
「3人で海で遊びたいね」
「夏になったら、それもいいな」
「一応まだ入れる」
「それならシイナと話して、今週末にでも行くか」
「うん! あ、ゆーくんの水着も買わないと」
「水着か。フォルドがどうにかするだろ」
《それくらい朝飯前だぜ》
受け入れてはいるが、フォルドがどういう存在なのかはシイナもセツナも理解していない。何ができて、何ができないのか。害をなさず、ユウジの相棒ということしか知らない。だが、それでもよかった。日常を壊さないのならそれでいい。少なくともセツナはそう思っている。
「あそこ見える?」
「あそこと言われても」
セツナが指で示したところは、目印らしい目印もない。なんの変哲もない場所を目を凝らしてみても、セツナが何を指して言っているのかわからない。
「なにも無いように見えるが」
「うん。だからゆっくりできるところ。しーちゃんとよく行ってた」
セツナに案内されたのは、なんら特別なものはない。ただの防波堤の一角だ。強いて言うなら、町が少しばかり見えるのと、穏やかな海が見えるくらいか。
この海も、侵略種の脅威がなければ警戒の必要もない海だった。しかし、セツナはその話をしたいわけじゃないだろう。ユウジはそう思い、防波堤に座って足をぶらぶらと揺らしているセツナの隣に座る。
「ゆーくんはこの海好き?」
「どうだろうな。今のところ特に思い入れもないから、好きでも嫌いでもない。印象としては、侵略種の侵入経路」
「あ、はは……。ゆーくん目線だとそうだよね」
ユウジの言葉にセツナは苦笑してから、慈しむように海と町を優しい目で見つめる。
「わたしはこの海が好き。たしかに危ないときもあるけど、わたしにとってしーちゃんとの思い出がある海だから」
海で遊んだだけじゃない。海の向こうで出会い、そしてこの海を渡って海女鳥島で暮らしている。
「……わたしは、しーちゃんの本当の妹じゃない」
「……」
「本土でしーちゃんに助けられて、身内もいなかったわたしを、しーちゃんが引き取ってくれた。血が繋がってないのに、妹にしてくれた」
「なんで、この話を俺に?」
「話したかったから。ゆーくんに、知ってほしいって思った。もちろんしーちゃんには相談済み」
「それは……光栄なことだが、俺が返せるものがない。セツナが打ち明けてくれたも、俺は自分の秘密すらわからない」
「気にしないで。わたしが話したかっただけ。……最近、ゆーくんのことも家族に感じてる」
薄桃の髪を揺らし、琥珀の瞳をわずかに細める。やわらかな微笑みは、やはり実年齢以上の雰囲気を感じる。
この話をしようと思ったのは、境遇がいくつか似ているのもあるだろう。セツナも、シイナに拾われる前の記憶はない。身内のこともわからない。家に招かれているのも、ユウジと同じだ。
ユウジが言葉を探している間に、セツナはわがままを口にした。これはシイナにも言っていないこと。そもそも、セツナはシイナにわがままらしいわがままを言ったこともない。ユウジは、なんとも言いやすい距離感の関係になったらしい。
「ゆーくん。あのね。……これからもいてほしい。記憶が戻ったあとでも、一緒にいたい」
「……難しいな。約束はできない」
「……うん。わかってる。本当はわかってる。だから、わがままを言っただけ」
「ずっとは難しいが、数年は約束できる。シイナにも言ったことだが、例えばシイナに彼氏ができたら、俺の存在は邪魔だろうし」
「うーん。そうなるのかな?」
できたあとよりも、できるまでの過程で
「セツナも好きな人ができたら言ってくれ。邪魔にならないように住処を探す」
「そこまでしなくても。それに、好きな人ができるとか、全然想像もできない」
久瀬姉妹は互いのことを自分よりも大切にしている。互いが互いに、自分の中の優先順位第一位が、相手のことだ。その姉妹仲も、”血が繋がっていなくとも、互いが唯一の家族だから”と聞けば腑に落ちる部分がある。
シイナもセツナも、男からのアプローチはたいへん難しそうだ。その壁を突破する人は現れるのか。その根性がある者を見てみたいと、ユウジは密かに思っている。
「数年はなんで?」
「それか。それはセツナの中学卒業を想定しているからだ。その頃ならシイナも今以上に安定してそうだし、しっかり者のセツナならある程度自立できそうな頃だと思ってな」
(もし、しっかり者じゃなかったら、もっと一緒にいられる。そう思うのは、ずるいかな)
「うまくいかなそうだったら、延長もあるかもな。先のことは、その時にならないとわからない」
「そう、だね」
ユウジのことを身内と思えるようになってきた。いくら家族とはいえ、いずれ別れが来るのは自然なこと。死別じゃなくても、ひとり暮らしによる別居も広いくくりでは別れだ。
しかし、セツナはそこまでは考えていない。幸せを感じられる時間を、この先も長く過ごしたい。そう思うのは、大人びていようとも年相応の子供らしい感性だ。
「とりあえず、セツナの気持ちはわかった。話してくれてありがとう」
「ううん。わたしも、話せてよかった」
「セツナの気持ちを極力裏切りたくはない。できることはするから、些細なことでもわがままを言っていい」
「うん。全然言ったことがないから、下手かも」
「素直に話せばいいんだ。シイナに頼めないこととかな」
「ちょっとしーちゃんに悪い気もする」
苦笑するセツナを、ユウジは穏やかに見つめてから海を眺める。穏やかな波と心地よい波音。先のことを話しているが、この島は体感時間が緩やかだ。急がず、一日一日を大切にすればいい。ユウジは最近になって、ようやくそう思えるようになった。
「毎日を楽しんで、充実させればいいんだ。先のことは心配しなくていい」
「ありがとう、ゆーくん」
わがままを言っていい。甘えていい。それはシイナがセツナを思い、伝えたこともある内容だ。それをユウジにも言われたのだから、2人から見てセツナはおとなし過ぎる子だった。
それが少しずつ変わっていく。シイナに頼みにくいことはユウジに。ユウジに甘えにくいことはシイナに。そうできれば2人にとっても嬉しいことだろう。
「…………うーん。やっぱりすぐには思いつかない」
「だろうな。それなら1つ提案。肩車とかどうだ?」
「ちょっと恥ずかしい」
「そうか。まあ、11歳だしな」
恥ずかしいことだが、少し惹かれる提案でもあった。シイナと6歳差とはいえ、同性同士だ。シイナの身体能力が高くても、肩車はこれまでない。おんぶしてもらったことはある。
どうしようかと揺れる中、セツナはある種の勇気を1歩踏み出す。
「ゆーくん」
「どうした?」
「恥ずかしい、けど、お願い……してもいい?」
珍しく目を合わせることなく、視線を泳がせながらの頼みだった。それだけ不慣れなことで、セツナの顔もほんのり赤くなっている。
それを聞き届けたユウジは、もちろん二つ返事で了承。もともとユウジからの提案だ。断るはずがない。
「わっ。高い」
早速ユウジはセツナを肩車する。ユウジはシイナよりも背があり、かつ肩車となるとセツナの視点は一気に高くなる。初めての肩車の高揚と楽しさ、それと同時に慣れない視点の高さによる怖さもある。
ユウジはセツナが落ちないようにセツナの膝の上を抑え、セツナも戸惑いながらユウジの頭に手を置く。そうするとさっきより安定して、怖さが薄れていく。
いつもと違う視界。心なしか、風も違うものに感じる。
「きれい」
ぽつりと自然に言葉が漏れた。それは誰の耳にも入らず、風に乗って流れていく。
「ゆーくん。ありがとう」
今度は意識的に発した。
「どういたしまして」
短く返す。その声に乗っていた優しさを、セツナはしっかりと感じ取る。
しばらくはそのまま、言葉を交わすことなく歩いていく。気まずさはなく、2人の間にあるのは心地よさだけ。
「やっぱりちょっと恥ずかしいから、誰かに見られる前には下ろして」
すぐに、というわけではないのは、セツナが今を楽しめているから。周辺の探知をフォルドに任せることで、肩車は島民に会う寸前まで続いた。