最近のセツナは明るくなった。元から暗かったわけではない。可愛らしい笑顔をよく咲かせていたし、毎日を楽しんでいるのも見てわかる。最近は、それに輪をかけて明るくなった。その変化はシイナくらいしか気づけないもので、その理由もシイナしか察せない。
「ゆーくんは明日、何食べたい?」
「セツナの料理はどれも美味しいから難しいな」
「えへへ、ありがとう。リクエストもほしい」
「すぐには思いつかない。時間をくれ」
「いいよ。じゃ、明日教えて」
そう、ユウジの存在だ。ユウジとの生活も慣れてきて、お互いになんとなく距離感を掴めてきた。心地よい距離感がわかり、付き合い方もわかっている。
数日前からは、どうやら甘えるようにもなってきたらしい。セツナが子供らしいことをできているのは、シイナにとっても嬉しいことだ。だが、同時に寂しさもある。ある意味、自分1人の限界を見せられたようだ。
「明日は海に行くんだから、そろそろ寝たらどうだ?」
「……もう少しだけ」
こういったわがままも、以前までのセツナなら言っていなかった。
「じゃあ布団に入りながら話そっか」
就寝を促していたユウジのフォローに入る。シイナは椅子から立ち、セツナにも寝室への移動を促す。セツナは聞き分けのいい子だ。抵抗はしない。
2人が寝室に入るのを見送ろうとするも、部屋に入る寸前にセツナがユウジを見つめる。「来てほしい」とその目で語られ、ユウジは一度シイナに目を向けた。身内になったとはいえ、異性の寝室だ。シイナもユウジも年頃の少年少女でもある。いくらセツナのお願いでも、おいそれと応じられない案件だ。
「ユウジも来て」
驚きの指示内容だ。今日まで一度も足を踏み入れていない。なんなら部屋の外から室内を見たこともない。そんな場所に入れと言われ、ユウジは一度固まる。
「ゆーくん」
再度セツナに促され、ようやくユウジは足を動かした。中に入った頃にはシイナもセツナも布団を敷き始めており、それが終わるとセツナは布団の中に入った。シイナは布団の上に座り、まだ寝ないのだと示す。
「明日は海で何がしたい?」
「しーちゃんとゆーくんと一緒なら、なんでも楽しい」
「前は何をしたんだ?」
「うーん、泳いだり砂浜で遊んだりかな」
「定番だな。なら、明日はスイカ割りもやるか」
「買わないとないから、買い出ししてから海になるね」
スイカを割るための道具は用意する必要もない。フォルドを使えば安全かつ綺麗に割ることが可能だ。割るというよりも、正確には”裂ける”かもしれない。
「明日の細かい予定も決めるか。朝から海に行くのか、それとも昼から海に行くのか」
「セツナの希望は?」
「うーん。希望は特には……」
3人で過ごせたらそれでいい。みんなで楽しめたらなおよし。それがセツナの希望だが、シイナが聞き出したいことはそれじゃない。セツナの希望、言い換えればわがまま。それをシイナは聞き出したい。
だが、これまでわがままらしいわがままがなかったセツナだ。3人で遊ぶ。その提案が、今のセツナの最大級のわがまま。そこからさらに踏み込むような細かな要望までは、今のセツナではなかなか思いつかない。
「なんでも言ってみて?」
「……ちなみにシイナは何かあるか?」
姉の優しさへの感謝と、要望を叶えたいと思う姉の気持ちに応えられない自身に苛まれていた。そんなセツナの内情を察したわけじゃないが、ユウジはシイナにも話を振る。ユウジはユウジで、2人の要望を叶えたいと思っていた。
急に話を振られてきょとんとするシイナ。自分の欲求はまったく考えていなかったようで、腕を組みながら考え込む。
「あたしは……安全にみんなで遊べたらいいかな。セツナとユウジを楽しませたい」
「それはわたしも同じだよ、しーちゃん。わたしも、しーちゃんに楽しんでほしい」
「ありがとうシイナ。……あ、そうだ」
「どうした?」
「どうせ買い出しには行くんだし、お店を回りながら決めよう。3人で見て回って、話し合いながらみんなで考えよう」
「賛成。しーちゃんナイスアイデア」
「となると、午前中は買い出し。お昼を食べて、午後から海だな」
「そうだね」
具体的に決まったわけではないが、明日の方向性は決まった。することが明確になり、楽しみが増したセツナはそれを表情に出しながら目を閉じる。明日に備えて寝るためだ。
「おやすみ」と声をかけ、シイナはセツナの頭をそっと撫でる。数回撫でると手を離し、ユウジを連れて部屋を出た。部屋の電気は消し、セツナが就寝しやすいようにする。静かに部屋のドアを閉め、一度リビングに戻る、
「ユウジもちょっと座って」
「わかった。真面目な話のようだから、フォルドは先に部屋に行け」
《おいおい。まるでオレが不真面目な塊みてぇに言うじゃねぇか》
「そこまでは言ってないが、一対一のほうが良さそうだ」
《しゃーねぇな》
ひとりでに浮いてフラフラと離れていくフォルドを見送り、ユウジはシイナと向き合うように正面に座る。
「それで、改まってどうしたんだ?」
「話したいことが何個かあるんだけど……、何から話そうか……」
「順番は、シイナが一番話したいことからでいいんじゃないか?」
「一番だと……これかな。えっと、どうやってセツナからわがままを引き出したの?」
「シイナは本当にセツナが好きだな」
「もちろん。大切な妹だから」
大切な妹だからこそ、幸せにするのが姉である自分の夢。いや、姉としてではなく、久瀬シイナとして、セツナの幸せを願っている。
そのためには、セツナのことをもっと理解したい。どうすればよりセツナが幸せになるのか、その1つが、本人の
「特別なことは何もしてないぞ」
「そんなわけない。だって、あのセツナから希望を引き出してるじゃん。あたしには全然言ってくれなかったのに」
「……シイナのことを大切にしてるからじゃないか?」
シイナもセツナもしっかり者だ。この時代で、大人もいないのに2人だけで生活してきた。しかも害獣駆除まで行い、周りに迷惑をかけないどころか周りを助ける行いまでしている。
とことん頑張る姉の姿を間近で見ているのだから、シイナに負担をかけまいとセツナが考えるのもセツナらしいことだ。まだ小学生のセツナにできることは、シイナよりもずっと少ない。贅沢なわがままを言わない。それがセツナにできることだったのだろう。
「セツナのことだから、そうかもしれないけど……。ユウジに甘えてるのを見たら、あたしにもって思っちゃう」
「あ、シイナが甘えたいって話か」
「うん。…………ん? 違う! あたしもセツナに甘えられたいって話!」
「それなら時間の問題だろうな。俺が家事を手伝っているから、セツナの家事の時間が減る。余暇ができてきたから、気持ちの面でも余裕ができる。それでセツナがわがままも口にできるようになったんだろ」
「ユウジにだけね」
「それは今だけだろ。これまで贅沢をしなかった分、それを共有してきたシイナにはまだ言いづらい。そういう心境なんじゃないか? 俺の場合、比較的付き合いが短い」
「うーん。だといいな。あたしもセツナを甘やかしたいけど、現実問題、時間以外は余裕が出てるわけでもないし」
食費は2人分から3人分。生活用品も消費ペースは変わっている。家計を賄っているのはシイナだ。収入と支出も把握している。
ユウジが来たことで、家事の時間は減っている。シイナも時間に余裕を持てるようになったが、気を引き締めないといけないことも全部わかっている。聡明なセツナもそれをわかっている。だから、まだシイナにはわがままを口にできない。
「俺がもう少し稼げたらいいんだろうが、手続きとかいろいろあるんだろ?」
「まあ……、経験はあるから手間取ることはないけど。セツナから聞いたんだよね?」
「ああ。セツナがどれだけシイナを慕っているか、よくわかったよ」
「あはは……、そう言われるとちょっと恥ずかしいな。それで、セツナの時に1回してるから、2回目はすんなりできると思う」
「……ん? それってつまり?」
「もちろん、ユウジがよかったらって前提だよ」
セツナの時と同じ。つまり、久瀬家の一員になるということ。久瀬家の長男として、共に生きていく。
そうしないと、害獣駆除関係の手続きも難しいだろうとシイナは予想している。今のユウジは、名前しかわかっていない謎の人物。ちゃんと機能しているか怪しいと言いたくなるような行政だろうと、行政は行政。手続きの工程はどこもしっかり審査される。
そこを考慮した提案だ。もちろん、そのためだけにこの提案をするのではない。もしユウジが単独で稼げたら、そう考えたこともあったから、今もすらすら提案できている。
「……ユウジはさ。ずっとはここにいないつもりでしょ?」
「よそ者だからな。お金と恩を返したら、どこへなりと行くさ」
「記憶が戻っても戻らなくても、だよね」
「そうだな。あと、セツナが中学卒業になったら」
「そこで考えたら4年弱。身分がある方が動きやすいと思う。今すぐじゃなくていいから、ちょっと考えてみて」
「わかった」
たしかな身分があった方がいい。それはユウジだって理解している。有耶無耶にできているのは、侵略種の脅威があって行政が後手後手になる世界で、かつ人が少ない離島だからだ。シイナがこの島で顔が広いのもある。
「それで、他の話は?」
「あ、うん。今の話もちょっと重めだと思ったけど、休憩しなくて大丈夫?」
「大丈夫だ。シイナと話してて疲れを感じたことがない」
「あはは。それは嬉しいことを言ってくれるね。あたしも、ユウジと話してるときは、肩の力が抜けて落ち着けるよ」
真面目な話をしたが、シイナの表情は柔らかさを取り戻している。リラックスできているのは事実のようだ。
「2個目の話は、さっきの話と繋がってるんだけど。……あたしは今17歳で、セツナは11歳。どっちもあと一学年を過ごしたら卒業になる」
「言われてみたらそうか。話は進路関係だな?」
「うん。ユウジも知ってる通り、セツナは賢いじゃん。テストだって常に満点」
「そうだな」
「だから、島の学校じゃなくて、本土にあるもっといい学校のほうが合うんじゃないかなって」
シイナの言い分は理解できる。本人の能力に適した場所にいる方が、将来性も広がるという話だ。シイナはセツナの幸せを強く願っている。それは目先の幸せじゃない。何年も先、将来を見据えての願いだ。そのためにシイナ日々精一杯生きている。
「セツナ本人が望むのなら、それもいいだろうな。今世話をしている菜園に関しては……、種を回収すれば本土でも土次第で継続できそうだな」
「思ってはいたけど、ユウジならそう言うよね。同意してもらえたら、説得にも協力してもらおうかと思ってた」
「……シイナの意思は固そうだな」
「セツナが反対したら考え直すよ。あの子の気持ちを無視してどうこうするつもりはない」
「それを聞けて安心した。もし本土で生活をするようになるなら、今以上に協力もできるはずだ。本土の方が侵略種も多いらしいしな」
「ありがとう。あ、でも本土の方だと、立ち入り禁止区域もあるから、無闇に入って駆除はだめだよ」
「そういう区域のほうが侵略種も多いんじゃないのか?」
「それは合ってる。でも、そういうところはたしか”巣”があるから、禁止にされてる」
「忍び込めば……」
「善行する犯罪者の出来上がりかな?」
巣を壊滅させられたとしても、禁止区域に勝手に入れば処罰される対象にもなる。法とはそういうものだ。
シイナとセツナの迷惑になるようなことはしない。ユウジが犯罪者になる未来が、たった今未然に防がれた。
「そうか。ここもさっきの話と繋がるわけか」
「一応そうなるね。本格的に単独行動をするなら、ハンターの資格も取ってほしいかな。資格の方はあたしが教えられるから合格間違いなし!」
「それは心強い限りだ。……シイナ。俺からもいいか?」
「うん? なに?」
シイナがユウジに話したかったことは、だいたい話せた。大事なことならすべてだ。
それと入れ替わって、今度はユウジからシイナへの話だ。これは用意していたことじゃない。たった今シイナと話していて、伝えておくべきだと感じたことを話す。
「シイナにとってセツナが特別なのはよく知っているつもりだ。セツナの幸せのために生活して、将来まで考えてることもわかった。俺はそんなシイナも幸せにしたい」
「……へ? あたしは、セツナの幸せがあたしの幸せだよ」
「それはたぶん、セツナも思っていることだ」
姉妹仲はとても深い。互いに互いのことを大切にし、相手の幸せを願う。人の幸せを願うことは良いことだ。美しくもある。だが、自身の幸せを他人に依存するのは違う。ユウジの価値観ではそうなる。
この姉妹の場合、互いが互いを大切にするあまり、自身から生まれる個人の望みが薄い。最近になってようやく、セツナが小さなわがままを口にするようになったくらいだ。つまり、無欲が癖になって染み付いている。
ユウジの予想では、シイナがセツナに望むような幸せを、セツナは自分からは選ばない。ほどほどの生活をする。それに合わせるように、シイナも程よく抑えた生活になる。
「シイナが個人の幸せを追いかけて掴めたら、セツナもそれに続くはずだ。鏡合わせみたいなものだな」
「個人の幸せって……あたしにとってはそれがセツナだし。……両親も、祖父も亡くなったあたしと家族になってくれた特別な子。それがセツナなの。だから、あたし個人の幸せって言われても……」
「……わかった。幸せの価値観は人それぞれだし、俺がとやかく言うのも違ったな。ごめん」
「いやいや謝られることじゃないから……!」
頭を下げたユウジに、慌てて頭を上げさせる。ユウジはユウジで、姉妹のことを考えての発言。それを汲み取れる懐をシイナは持っていた。
「シイナのことも幸せにしたいのは、ただの思いつきで言ったわけじゃない。本心だ」
「ストレートに言われるとちょっとこそばゆい、かな」
「シイナもわがままを言ってみたらどうだ? 俺にできることはやるぞ」
「気持ちだけ受け取っとく。弟分に甘やかされるのは、あたしの性分に合わなさそう」
年上だった場合は違うのか。それを口にしようとするも、ユウジは喉元で留めた。口にしたところで、年齢はどうしようもない。誰が何を言おうと、シイナの方がユウジより年上。その事実は覆らない。
「真面目な話をいろいろしたけど、ひとまず明日は目一杯楽しもう」
「そうするとしようか」
2人は椅子から立ち、リビングの電気を消してそれぞれの寝室へと向かう。寝室に入る前、暗がりの中でシイナはユウジの方を見る。視線を感じたユウジは、シイナの方を見る。
「いろいろありがとうユウジ」
「なにもできてないぞ」
「そんなことない。こういう話をできる相手がいるのは、本当にありがたい」
「役に立ててるなら何よりだ」
「ユウジはさ、自分のことを部外者って言ってたけど、あたしとセツナは全然そう思ってないから」
「……」
「おやすみ」
寝室に入り、静かに寝ているセツナの隣に敷いた布団に寝転ぶ。
布団の中でシイナは、少しだけ想像してみた。もし自分がユウジに甘えるとしたら。そんな不慣れなことを考え、頭に思い浮かんだ情景に恥ずかしさのあまり1人悶絶した。