いつもよりまぶたが重い。どうにもスッキリしない頭。睡眠不足だが、頭が回っていなくてそれを自覚できない。
「んーーっ」
体を起こし、ぐっと伸ばしてみる。一瞬ましになっただけで、まだ眠気は残ったまま。
珍しく寝ぼけているシイナは、少しよろけながら部屋を出た。横で寝ていたはずのセツナは、もう起きていたようで布団が片付けられていた。今ごろ朝ごはんを作っているか、もしくは食べているか。
「おはよぅ……」
「あ、しーちゃんおはよう。珍しくお寝坊さんだね」
リビングに行くとソファに座ってテレビを見ていたセツナとユウジがいた。テーブルに目を向けると、そっちには朝食が用意されており、ラップに包まれている。どうやら2人は、もう朝食を食べ終わっていたようだ。
「しばらく待ってはいたんだがな。シイナが起きそうになかったから先に食べた」
「しーちゃん顔を洗ってきたら?」
軽く経緯を話し、ユウジはシイナの朝食を用意していく。シイナの寝ぼけ具合を見ての判断だ。その間に少しでも目を覚ましてもらおうと、セツナが提案。シイナはセツナの言を聞き、洗面所へと向かう。
洗面所で水を流し、冷水を両手で汲んで顔へ。冷たさによる意識の覚醒、寝汗を流したことによる爽快感。眠気が完全には消えていないが、目はぱっちりと開き、意識もはっきりした。タオルで顔を拭いて、鏡を見る。
「……よし」
ひどい寝癖はない。変なところも特にない。前髪が少し気になり、整えながらふと気づく。
「って、あたしなんでこんなことしてるんだろ」
寝起きに顔は洗うも、髪を整えるのはいつも外出前。早くても寝起きのタイミングではなかった。無意識に気にしていたことが妙にむず痒く、シイナは勢い良くタオルを洗濯機に投げ入れてリビングへ。
「おはよう。セツナ、ユウジ」
「おはよう。用意はできてるから食べてくれ」
「ありがとう。いっただっきまーす!」
「寝ぼけてたのに、しーちゃん今度は元気いっぱい」
元気溌剌なのはいつものことだが、朝からこの調子なのは大変珍しい。好きな行事があるときか、セツナの誕生日か。そういった特別な時くらいだ。今日の外出がそれに匹敵する位置づけかもしれないが、セツナは不思議そうに首を傾げる。
「シイナは食べながらでいい。改めて今日の予定を確認するぞ」
「まずは買い物。必要なものを買って、お昼を食べてから海だよね」
「偉いぞセツナ。それで、1つ気になった点がある」
「なに?」
「浜辺はあっても、海水浴場らしい場所でもないだろ? 更衣室はあるのか?」
「あ」
侵略種の駆除は、基本的に浜辺で行われる。この島に来る侵略種のほとんどが、海からの侵入だからだ。シイナの仕事を手伝うユウジも、この島の浜辺をある程度知っている。記憶にある浜辺は、どこも海水浴場らしい設備がなかった。
セツナたちが姉妹で行くときは、服の下に水着を着て行き、現地で服を脱ぐ。遊んだあとはタオルで水気を取り、服を着て帰宅。そんな流れだ。
今日も似たようなものだが、少し違うのは午前中は買い物に行く点だ。いつものように水着の上から私服でもいいが、ほぼ一日中その格好というのもいくらか抵抗感がある。かと言って、現地で着替えるのも論外。屋外生着替えなど痴女同然である。
「しーちゃんどうしよう」
「ん。かばんを持っていくしかないね。着替えを入れといて、あとは買い物のときにトイレを借りる。そこで服の下だけ変えるのでいいんじゃない?」
「家に戻ってきたら、遊ぶ時間も減っちゃうもんね」
「……2人がそれでいいならそうしてくれ」
「ユウジはどう考えてたの?」
「一度家に戻るのが現実的だと思ってた」
「足があればそうできるけどね」
ひとつひとつの所要時間を考えれば、シイナの案が合理的だ。車がないどころか、免許すらない。仮に車を借りられたとしても、誰も運転できない。自転車もなく、3人の移動手段は全員徒歩。いくら大きくない島とはいえ、久瀬家の位置もあって買い物に出かけるだけでも時間がかかる。遊ぶ時間を優先するなら、一度帰宅という選択肢がなくなる。
ユウジは着替えの手間がかからない。フォルドに任せれば変身も自在だ。シイナ曰く、この世にそんな技術はないらしい。ユウジが異世界人であることはほぼ確定していた。
「洗い物は俺がやっておく。シイナは食べ終わったら支度をしてくれ」
「りょーかい。ありがとねユウジ。セツナはもう準備した?」
「わたしもこれから。しーちゃんが寝てたから、起こさないように準備は後回しにしてた」
「起こしてくれてよかったんだけどな……」
シイナが起きたことで、物音に気をつける必要もない。セツナは先に部屋に戻り、今日の準備をし始める。それはたいして時間もかからない。寝間着から私服へ着替えるのと、水着やタオルといった海用の荷物をかばんに入れるだけ。
そう思っているのはユウジだけで、シイナは知っている。セツナの水着は一着ではない。どちらの水着にするか悩むことだろう。そう考えているシイナは、準備がすぐに終わる。こだわりがなく、ライフセーバーの服装にしようとすでに決めているからだ。
「ごちそうさま。本当にお願いしちゃっていいの?」
「気にするな。世話になっている身だ」
「ずるい言い方だなぁ」
そう言われたら任せるしかない。シイナは食器をユウジに渡し、洗い物をお願いしてから部屋に戻る。
部屋の中では、予想通りセツナが頭を悩ませていた。出かける服は決まったようで、着替えも済んでいた。悩んでいるのは水着。上下が一緒になっているタイプか、あるいは上下が別れているセパレートタイプか。色合いはどちらも暖色系。セツナのイメージに合う色だ。
「どっちも似合うよ」
「ありがとう。しーちゃんはどうするの?」
「あたし? あたしはライフセーバーのやつにするよ。水難事故は怖いからね」
「しーちゃん。せっかく遊びに行くんだから、しーちゃんも水着にしようよ」
「ライフセーバーのも一応水着なんだけど……」
「そうじゃなくて。こういう水着らしい水着。しーちゃんも持ってるやつ」
「あるけど」
いわゆるビキニタイプ。アンダーはショーパンタイプも着用するため布面積は多め。だが、トップスは当然少なめ。セツナと2人で遊ぶときには着ることもある。
「ユウジに見られると思うと……なんか、ちょっと恥ずかしい」
「ーー!!」
その時セツナに衝撃が走る。
あのシイナの口から「恥ずかしい」という言葉が出たのである。自分の髪の手入れさえ大雑把で、家庭的なれど所謂女の子らしいというイメージから離れたようなシイナから。自分のプロポーションすら認識していないあのシイナから飛び出たのだ。それも異性の名を出した上で。
そこをせっつきたくなった小学5年生女子セツナだが、姉の幸福を第一とする理性がブレーキをかける。
はたしてその発言の真意は何なのか。浮いた話なのかと持っていきたくなる衝動を抑え、どちらの可能性なのか探る。
ここは焦らず慎重に聞き出したい。
「……しーちゃん、ゆーくんのこと好き?」
「へ?」
目をぱちくりさせるシイナと、自分の言葉を自分で理解できていないセツナ。妙な沈黙が2人の部屋の中で流れる。
「えっと……」
なんとか沈黙を破ったのはシイナだ。
「うん。好きだよ。セツナのことも大切にしてくれるし、害獣駆除とか家事も手伝ってくれるし。言葉はちょっとぶっきらぼうなところあるけど、根本は優しくて律儀な子だからね」
そして可能性の1つを消しに来る発言だった。詰まることなくすらすらと話した。動揺を見せることも、なにかを隠すような素振りもなかった。
これは脈なしだなと、セツナは細く息を吐いた。少し残念なような、けれどわずかに嬉しいような。
(……うれしい?)
「どうしたの急に?」
己に疑問を抱くも、そこをゆっくり考える時間はない。姉からの問いにセツナの思考は割かれた。
「だってしーちゃん、水着をゆーくんに見られるの恥ずかしいって言ったから。だから好きなのかなって」
「あ〜。……いや、まぁ……そこはほら、ね? 一応これでも花の女子高生なわけだし」
「しーちゃん……恥ずかしいって思うことあるんだ」
「あたし恥知らずなわけじゃないよ!?」
半分本音、半分は冗談。
くすくすと笑うセツナを見て、からかわれたとシイナも気づく。一本取られたなと言葉をこぼして、服をカバンに入れようとするもセツナに防がれる。
「セツナ?」
「しーちゃんも水着」
「いや、だからそれは……」
「お揃いにしてくれないの?」
「うっ……」
今日の予定が決まってから、セツナがどれだけ楽しみにしていたかをよく知っている。カレンダーに書き込み、毎朝の登校前と毎晩の就寝前に確認していた。それを見て、自分の楽しみにしていた自覚はある。
シイナは2択に迫られていた。恥ずかしさを優先し、妹の気持ちを損ねてまで露出の少ない服装になるか。それとも妹の気持ちを優先して、恥ずかしい気持ちを抑えるか。
「ぐっ……!」
2択問題。ただし実質1択。シイナの中で、何よりも優先されるのはセツナのこと。
シイナは自分の気持ちを抑え、重々しく水着を手に取った。しばらくそのまま固まり、意を決してからそれをカバンに入れる。
「……」
「セツナ、責任感じなくていいからね? 決めたのはあたしだから」
「……ごめん」
「ごめんじゃない」
「……うん。ありがとう、しーちゃん」
わがままだったと自責するセツナを宥め、やさしく頭を撫でる。これで少しでも気持ちが落ち着いてくれたらいい。
「それで、セツナはユウジのこと好きなの?」
「ぇ?」
「あたしは話したから、今度はセツナの番」
「しーちゃん……怒ってる?」
「ぜーんぜん。これくらいは聞く権利あるでしょ」
にこにこと笑うシイナに、セツナは苦笑いを浮かべた。さっきのやり取りで察したことは、シイナとセツナで「好き」の内容がズレていること。セツナが聞きたかったことは、恋愛の意味での「好き」だ。シイナの回答はその意味とは違うもの。
そこを整理してから、セツナは姉の問いに答える。
「わたしもゆーくんのこと好きだよ。やさしくて、頼りになって、しーちゃんのことも守ってくれる。お兄ちゃんってこんな感じかなって思えて、温かい気持ちになる」
「そっか。ま、お互いそうだよね。じゃないと、家族にならないかって話もしてなかったわけだし」
「それもそうだね。ゆーくん、なってくれるかな?」
「こればっかりはわからない。でも、どっちを選んでも仲は変わらない」
「うん」
セツナのように久瀬家の一員になるか。それはユウジが決めることで、早急に答えを求めることでもない。気長に待てばいいし、何よりシイナの言う通りで、どう選択しようと関係値は変わらない。
「そうだ。好き話ついでに、セツナは気になる子いないの?」
「?」
「子どもは少ないけど、小学校にも男子はいるわけだしさ」
それを言うなら花の女子高生たるシイナはどうなのだ。そう思ったセツナだったが、おそらく一番距離感が近いであろうユウジに対してもあの反応である。姉からは何も出てこないことが伺えた。
「かっこいい子とかいない?」
「ゆーくんよりかっこいい人は学校にいない」
「……なるほど」
(セツナはモテそうだけど、比較対象が強いなぁ)
その比較対象を超えようとも、その先にはシイナによる見極めが待っている。高く頑丈な二重の壁を乗り越えられる勇者は現れるのか。神のみぞ知る案件だ。
「ゆーくんって、どんな人がタイプなんだろ?」
「あたしは知らない。ユウジに直接聞いたら、答えてくれるんじゃないかな」
「じゃあ、あとで一緒に聞いてみよう」
「へ? あたしも!? いーよあたしは別に」
「気にならない?」
「気にならな……くはないけど……。なんか……うん、やっぱりやめとこう」
「2人で聞いたら答えてくれると思う」
ユウジなら答えそうだ。だが、途端にしおらしくなって引き気味な姉を見て、セツナは聞くのをやめておこうと思った。気になるのは気になるが、怖さがあるのも理解できる。もし期待する回答と異なったら。そう思うと踏み出しづらい。
支度を終わらせた2人は、荷物を持って部屋の外に出る。リビングで待っていたユウジに声をかけ、戸締まりを確認したら3人で外に出る。
シイナとセツナが一緒に出るときに手を繋ぐのはいつものこと。それを2歩後ろから見守って歩いていたユウジへ、セツナが振り返った。
「前を向かないと危ないぞ」
「ゆーくんもいい?」
注意をあえて流して、セツナは空いている手をユウジに向けた。その行動と発言から、何を求めているのかは明白だった。
ユウジはシイナへと視線を向ける。初めてというわけではないが、一応の確認だ。シイナは頷いて返した。それを受けてユウジは2人の横に並び、セツナの小さな手と自身の手を繋いだ。やわらかく小さく、やさしい手だ。
「えへへ。ありがとうゆーくん」
セツナも記憶はない。親の顔も名前も知らない。記憶にある限りで、手を繋いだことがある異性はユウジだけ。シイナの手より大きく、ゴツゴツ感のある硬い手。
そんな手に少しドキッとしたのは、姉にも内緒だ。
その姉の手の些細な変化をセツナは感じ取った。他の誰も気づけない。おそらく本人も自覚していない。
(しーちゃんの手、さっきより温かい)
なぜその変化が起きたのか。この方面の知識は乏しいセツナには、明確な理由がわからなかった。