海女鳥島で生活するようになり、久瀬家での生活にもすっかり慣れた。久瀬家での自分の立ち位置と姉妹に対する距離感。それらを把握できるようになったのもあり、ユウジは余計な肩の荷が完全に下りた。
そうして視野も広がったことで、ユウジはふと気がついたことがある。
「この島はだいぶ綺麗に星が見えるんだな」
人が少ないのもあり、街明かりというものがほとんどない。夜闇を照らす街灯も少ないため、本土よりも多くの星が見える。本土に行ったことがないユウジはそれを知らないが、思い出せない町よりもこの島の方が星がきれいだと感じていた。
「そうなの?」
それに反応したのは、一緒にソファに座っていたセツナだ。水色の寝間着に身を包んでいるセツナは、窓の外を見上げて首を傾げる。
セツナの知る夜空はこの島の夜空だけ。ユウジ同様、シイナに拾われる前の、忘れた空のことは思い出せない。
「人の活動が多い街ほど、夜も明るくて星が見えない。この島はおそらく、きれいに見えている方だ」
「そうなんだ。ゆーくんは星が好き?」
「好きってほどじゃない。……が、なにかしら思うところはあるようだ」
「じゃあてんたいかんそく? しようよ。思えばわたし、したことないかも」
「天体観測か。……夜更かしになりそうだな。シイナはどう思う?」
「週末は学校もないし、害獣がいなければOK」
「やった!」
「屋根の状態でも確認しておくか」
「屋根? まさかユウジ。屋根の上でやるつもり?」
「よくわかったな」と感心していると、シイナが額に手を当てながら大きく息を吐いた。忘れた頃に思い出さされるユウジの非常識な部分。どう叱ろうかと考えるよりも先に、ユウジの方から理由が話された。
「どうせ空を見上げるなら、視界の邪魔になるものが少ない場所の方がいい」
「だからって屋根の上じゃなくてもいいでしょ」
「時間が夜なら、家の敷地外よりも敷地内だ。安全面も考えてな。それで敷地内となると、コンテナの上か屋根の上ぐらいしか選択肢がない」
「コンテナの上がだめな理由は?」
平面が広い分、コンテナの方が安定して安全に空を見上げることができる。この件の候補としての最適な落とし所だとシイナは思っていた。だが、ユウジにとっての最適はあくまで屋根の上である。
「家の屋根の上の方が特別感があるだろ」
悔しいかな。その言葉にシイナは「たしかに」と思ってしまった。納得してしまった。コンテナの上より家の屋根の上の方が特別感が出る。それを理解できてしまった。
それにユウジがすぐ隣にいるのなら、セツナに万が一のことは起きない。
「はぁ。わかった。安全を確保できるならいいよ」
「そこは任せろ」
そんなやり取りがあってから数日。曜日は金曜日となり、時間は夕方。学校から駆け足で帰り、宿題もすぐに終わらせたセツナはわかりやすく上機嫌になっている。
夕飯の準備も片付けも、何をするときも機嫌が良く、かわいらしいその様子にシイナも頬を緩ませていた。それでも注意力が損なわれることはなく、料理のときも手元は普段と何も変わらない。指を切るなどの事態は一切なかった。
「セツナがそんなに楽しみにしてるの、なんか意外。星が好きだったんだ?」
「初めてだから、なのもあるけど、みんなで見るから楽しみなんだよ」
「そっか。外も暗くなってるし、始めちゃう?」
「少し確認してくるから、2人は待っていてくれ」
そう言って外に出たユウジは、難なく屋根の上に飛び乗る。フォルドに索敵させ、上空にいた侵略種を余さず撃ち落とす。日は落ちており、星が夜空を照らしている。いくつかの雲はあるが、雲以外で星を隠す存在はいなくなった。
可能な限りの好環境を確保したユウジは、庭に飛び降りた。室内で待機していた2人に声をかけ、外に出てきてもらう。
「屋根の上には、服が汚れないようにシートを貼り付けてある。今日はそこで見るぞ」
「さすがゆーくん。いつもありがとう」
「それはこっちの台詞だ」
ユウジは姉妹の手を取ると、フォルドにサポートを任せ、3人揃って浮遊する。セッティングしておいた場所に着地すると、シイナとセツナはおそるおそる腰を下ろした。斜めの屋根の上にいるのだ。1歩間違えれば転げ落ちる危険がある。慎重になるのは無理もない。
しかし、今回においてはその心配も無用のもの。フォルドの助けもあって、滑り落ちる心配もない。仮に落ちたとしても、浮遊状態となり本人の思う場所に着地できる。
「せっかくだ。横になった方が楽しめるぞ」
「うん」
まだ硬さがあるが、セツナもシイナもユウジに倣ってシートの上で横になる。セツナを真ん中に、3人で川の字だ。
これまで誰にも迷惑をかけないように、大人しく生活してきた2人だ。屋根の上に登るというお調子者のような行いもしたことがない。その背徳感と高揚感を感じたものの、視界いっぱいに広がる星空によってその気持ちが薄れる。
「すごい……。きれいだねしーちゃん」
「そうだね。……こうやってゆっくり夜空を見るのは、あんまりしてこなかった。ユウジのおかげだね」
「いや、セツナの発案だぞ」
「ううん。わたしは提案したけど、この形にしてくれたのはゆーくんだから」
「……どういたしまして」
何を言っても2人から感謝の言葉を投げかけられる。それがわかるようになったユウジは、早々に2人の感謝を受け取った。
ユウジが気づいた通り、海女鳥島では星がよく見える。さすがに天文所には敵わないが、本土よりは明らかに良い環境だ。その星空を見上げながら、ユウジはぼんやりと考える。
この空は知らない。記憶喪失以前の空はどうなのだろうか。星を見るのは好きだったのだろうか。その可能性はどうにもしっくりこないが、胸のうちに引っかかりがあるのも事実。空に関係することで、なにかがあったのかもしれない。そこに、大切に思っていたであろう人は関わるのか。それもまた不明だ。
考えれば考えるほどわからないことが増え、胸中の靄が晴れることはない。その思考を遮るように、セツナの小さな手が視界に入った。
「あの星見える? 一番大きく見えてる星」
「あれ……かな? たぶん合ってると思う」
満天の空から、特定の星を共有して話すのは難しい。一応セツナはトップレベルでわかりやすい星を指しており、シイナも同じ星を認識できている。ユウジもセツナの指の先を追い、同じ星を見上げた。
「あの星から、えっと……あ、左上! ちょっと他より赤い星があって。そこから下にいったところにある青っぽい星! あの3つで大三角って言うみたい」
「急に難しくなった」
「……あれか。たしかに他より色が目立つ星があるな」
ユウジが先に気づき、シイナも遅れて3つの星に気づいた。気づいたあとなら、たしかに無数の星の中からは見つけやすい星々だとわかる。
目立つその星たちの名前、それぞれを核とした星座などをセツナ先生が教えてくれる。シイナは聞き覚えがあるようだが、ユウジにとっては当然初情報。楽しそうに話すセツナの声色を耳にしながら、聞いたことを頭に入れていく。
「セツナ、すごい詳しいね」
「えへへ。学校の図書館で図鑑とか見て勉強してみたんだ」
「ちゃんと覚えられてるの偉いね。さすがセツナ!」
「今の時期の星座とか星に絞って覚えてみた。しーちゃんは勉強したことだけど、ゆーくんは知らなさそうだったから」
「気を遣わせたか」
「ううん。わたしがゆーくんを楽しませたいって思っただけ」
素でこういうことを言って実行できる子だ。相手が同年代だったら、さぞ惚れられていたことだろう。シイナはそんな可能性に一切気づかず、「ほんとに良い子なんだから」と褒めちぎる。
「それなら、今日の観測のガイドはセツナにお願いしようか」
「任せて。がんばるから」
「今日はって。他に誰か候補いた?」
「シイナか、もしくはフォルドだな。ネットがあればいろいろと調べられるらしい」
「ふーん? ほんとよくわからない機械だよね」
「同感だ。今はセツナの解説を聞こう」
「それもそうだね」
フォルドが何なのか。気にはなるが、どうしても知りたいというほどではない。ならばこの場で聞き出すのは筋違いであり、この時間のために勉強してきたセツナにも失礼だ。2人のやり取りを大人しく待っていたセツナは、譲られたタイミングですぐに話を再開させた。
「三角形は教科書にも書いてたことで、図鑑には他の星のことも書いてた」
「たとえば?」
「三角形よりもっと上の方。あそこ、他より大きい星が5個あって──」
覚える内容を絞ったとはいえ、驚きの記憶力だ。見つけやすい星座のことだけでなく、わかりにくい星座や星のことまでセツナは覚えていた。話すのもうまく、聞いていて頭に入りやすい。
今回は星座を中心に覚えたようだが、星がどういうものなのか、なぜ明るさや色の違いがあるのか。そういったことも多少触れて勉強したらしい。
「自由研究に使えそうだな」
「自由研究なら菜園のことでできるよ」
「それもそうか」
つくづくしっかりしている子である。
「星の光って、何年も前の光を見てるんだよね」
「うん。全然実感できないくらい遠い場所から届いてる。仮に今星が1つ消えても、それがわかるのは何年も先みたい」
何光年も先の光だ。ここに届くのも途方もない時が必要になる。仮に今星が1つ消えようとも、少なくとも3人の人生のうちにそれは観測できない。もしできたとしたら、その光は何光年も昔のものである。
世界は広い。宇宙はその何倍も広い。夜空に輝く星々に思いを馳せれば、並大抵のことが小さく思えてくる。
それでも。いや、だからこそ、人1人の想いというのは、儚くも美しく輝くのだろう。ユウジもシイナもセツナも、それを自覚する日が来るかはわからない。
「今の季節は三角形だけど、四角形の時もあるんだって」
「そうなの? 探すのがまた大変そう」
「大丈夫。わたしが見つけて教えてあげる」
「頼もしいねセツナ」
「えへへ。……あのね、しーちゃん、ゆーくん。わたし、またみんなで天体観測したいな」
「もっちろんいいよ。セツナのおかげであたしも楽しめたし。ユウジはどう?」
「いつでも付き合うぞ。どの季節でもな」
「来年も、再来年も一緒に見てくれる?」
「ああ」
「ありがとう。たくさん見ようね。約束」
「わかった。約束だ」
(将来もずっと……は無理かもしれない。でも、ゆーくんとしーちゃんと一緒に、たくさんの思い出を作りたい)
3人の時間が何年続くかはわからない。ならば、確定している時間を大切にしよう。今のこの時間も、明日も。
「しーちゃん、ゆーくん。わたしたちも星座を作ろう」
「昔の人みたいに? いいね」
「発案者のセツナの星座から作るか」
「うっ、自分の星座を自分で作るのはちょっと恥ずかしい、かも」
「それなら、あたしとユウジで作りますか」
セツナから聞いた既存の星座を避け、他の星から選定する。それでいて見つけやすい星でなければ、決めても今後見つけられない可能性が出てくる。難易度が高いものの、シイナとユウジは話し合いながら星と星を結んでいき、セツナの星座を決める。
「できた! セツナ座!」
「ありがとう。今度は2人の星座を決めるね」
次はシイナの星座だ。セツナが主導しながら、ユウジと共に選定し、形を整え決めていく。それが済めば次はユウジの星座決めだ。姉妹2人で、和気あいあいと話しながら決められた。
「わたしたちの大三角もできた」
「いーね。わりと見つけやすい。ちょっと距離があるのは悲しいけど、他の星座もあるから仕方ないか」
「それはそこまで気にしなくていいだろ。どちらかと言えば、決めた星座が今の季節しか見られないことがネックだが」
「そこは大丈夫だよゆーくん」
「うん?」
「他の季節のときも作ったらいいから」
「あはは、セツナ欲張りさんだね。でも、それもいいね。次の楽しみが増えた」
季節に合わせて、その都度決めてしまえばいい。あと3回決めれば、一年のどの時でも見られる。そして、たとえ星座間の距離があっても、強い絆で結ばれている。
「今日はそろそろお開きにしよっか」
十分に楽しめて、良い時間を過ごせた。セツナの満足した様子でシイナの言葉に頷く。ユウジが再度2人の手を取り、ふわりと3人の体を浮かせて1階へ。家の中に戻ったら、あとはもう就寝するだけだ。
シイナは寝室に入り、ユウジも自分の部屋に入ろうとする。その寸前に、とたとたとセツナが走ってきてユウジに飛びついた。その小さくかわいらしいハグをユウジが受け止めると、花のような笑顔でセツナが見上げる。
「ゆーくん今日はありがとう」
「こちらこそ。セツナのおかげで楽しめた」
「えへへ、よかった。おやすみゆーくん」
「ああ。おやすみセツナ」