無冠転生〜もう一人のグレイラットも本気出す〜 作:omugut
目を開ける。
……知らない天井だった。
木で出来た、見慣れない天井。
見慣れない……はずなのに、どこか安心する匂いだった。
木の香り。
乾いた空気。
外から鳥の鳴き声。
風が窓を揺らす音。
不思議と嫌ではない。
むしろ、落ち着く。
「……あー」
声を出した。
「……あう」
違った。
思っていたよりずっと高い声だった。
え?
もう一度。
「あー」
やっぱり赤ん坊の声だ。
なんでだろう。
そう思った瞬間、誰かがこちらを覗き込んできた。
綺麗な女性だった。
長い金髪。
優しい青い瞳。
見た瞬間、胸がじんわり暖かくなる。
「ゼディ、おはよう」
柔らかく笑う。
その笑顔を見た瞬間、不思議と安心した。
この人は悪い人じゃない。
いや。
違う。
この人は──
(母さん)
自然にそう思った。
理由は分からない。
けれど、その呼び方が一番しっくりきた。
女性──ゼニスは俺を抱き上げる。
暖かい。
柔らかい。
いい匂いがする。
「ルディも起きたの?」
横を見る。
もう一人。
俺と同じくらい小さい赤ん坊が寝転がっていた。
茶色い髪。
眠そうな目。
俺を見ると、小さく「あう」と声を上げた。
(双子……?)
そうか。
俺には兄弟がいるらしい。
何となく分かった。
そして何となく、
(この子がお兄ちゃんかな)
と思った。
根拠はない。
けれど、そんな気がした。
俺は手を伸ばした。
ぽふ。
小さな手同士が触れる。
すると向こうも握り返してきた。
……温かい。
悪くない。
「まあ、仲良しね」
ゼニスが嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ているだけで、何だか幸せだった。
前にも、こんな笑顔を見た気がする。
誰だったろう。
思い出せない。
霧がかかったように曖昧だった。
家族。
母親。
父親。
誰かがいた。
でも顔が浮かばない。
思い出そうとすると、すぐに霞んでしまう。
夢だったのかもしれない。
夢じゃなかったのかもしれない。
ただ一つだけ。
ここではないどこかで、生きていた気がする。
高い建物。
真っ直ぐな道。
夜になっても明るい街。
空を走る箱みたいな乗り物。
どれもぼんやりしていて、名前すら思い出せない。
不思議な夢だ。
最近は、その夢を見る回数も減ってきた。
忘れていく。
少しずつ。
砂が指の隙間から零れるみたいに。
それでも、不思議と焦りはなかった。
今、ここにいる。
暖かい腕があって。
隣には兄弟がいて。
笑ってくれる母親がいる。
それだけで十分だった。
そこへ勢いよく扉が開く。
「おっ、起きてるか!」
大きな男だった。
茶色い髪。
整った顔。
いかにも元気そうな男。
ゼニスは少し呆れたように笑う。
「もう、あなた。静かにしてください」
「悪い悪い!」
男は豪快に笑いながら近づいてきた。
そして俺と、隣の赤ん坊を見比べる。
「いやぁ、本当にそっくりだな!」
大きな手が俺の頭を撫でる。
ごつごつしている。
でも嫌じゃない。
「どっちが兄貴になるんだ?」
「ルーデウスが先ですよ」
「そうだったか!」
男は笑った。
「じゃあゼディ、お前は弟だ!」
弟。
やはり、俺は弟らしい。
まあ、それでもいい。
弟でも兄でも、そんなことはどうでもよかった。
この家は、温かい。
そのことだけは、生まれたばかりの俺にも分かった。
窓の外では風が草原を揺らしている。
青い空。
見たこともない鳥。
知らない景色。
知らない言葉。
知らない世界。
だけど。
(……たぶん)
たぶん。
(異世界、なんだろうな)
その言葉だけが、胸の奥からふわりと浮かんできた。
“異世界”。
どういう意味だったか、もうよく思い出せない。
それでも、その言葉だけは知っている気がした。
昔、どこかで聞いたような。
読んだような。
そんな曖昧な記憶。
でも、それで十分だった。
俺はもう、ここに生まれた。
なら、この世界で生きていく。
隣でルーデウスが小さく笑う。
俺もつられて笑った。
理由なんてない。
ただ、この家で笑っていたかった。
それが、グレイラット家の次男──ゼディウス・グレイラットとして始まる、最初の記憶だった。
---
あれから、一か月が経った。
……たぶん。
正確な日数なんて分からない。
時計も読めないし、そもそもこの家に時計らしいものがあるのかどうかすら分からない。
ただ、朝が来て、夜が来る。
母さんに抱かれて、乳を飲んで、眠る。
泣けば誰かが来てくれて、また眠る。
その繰り返しを何度も過ごした。
だから、一か月くらい。
たぶん、そのくらいだと思う。
俺は相変わらず赤ん坊だった。
手足は思うように動かない。
首もまだ自由にはならない。
寝返りなんて夢のまた夢だ。
視界もぼんやりしている。
近くにいる人の顔なら分かるけど、少し離れると輪郭が滲む。
匂いと声の方が、ずっと頼りになった。
優しくて、少し甘い匂いがするのが母さん。
汗と革と土の匂いがするのが父さん。
それから、石鹸みたいな清潔な匂いがするのがリーリャだった。
リーリャは、この家で働いている女性だ。
髪は深い色をしていて、いつもきちんとまとめられている。
母さんより笑うことは少ない。
けれど、俺やルディを見る目は冷たくなかった。
「ゼディウス様、おむつを替えますよ」
言葉は分からない。
まだ、ほとんど分からない。
ただ、何度も聞いている音なら少しずつ区別がつくようになっていた。
ゼディウス。
それが俺の名前らしい。
母さんはゼディと呼ぶ。
父さんもゼディ。
リーリャはゼディウス様。
そして、隣にいる赤ん坊はルーデウス。
母さんはルディと呼ぶ。
つまり俺はゼディで、隣はルディ。
それくらいはもう分かった。
「……あぅ」
「はい、もう少しですよ」
リーリャは慣れた手つきで俺の服を替える。
冷たい布が肌に触れて、思わず足が動いた。
蹴ったつもりだった。
実際には、ぷるぷると震えただけだったと思う。
「元気ですね」
そんなことを言われた気がする。
声音が少しだけ柔らかい。
俺はリーリャの顔を見上げた。
相変わらず表情は薄い。
でも、機嫌が悪いわけではなさそうだった。
最初の頃は、この人が少し怖かった。
母さんはいつも笑う。
父さんもよく笑う。
でもリーリャは、必要な時にしか表情を変えない。
だから何を考えているのか分からなかった。
けれど、一か月も世話をされていれば理解できる。
この人はただ、あまり顔に出ないだけだ。
俺たちを雑に扱うことはない。
泣けば来てくれるし、寒くないよう布もかけてくれる。
夜中に何度起こされても、怒鳴ったりしない。
とても真面目な人なのだと思う。
もしかすると、昔にもこんな人を知っていた気がする。
無口で、いつも何かをしてくれた人。
でも、やっぱり顔は思い出せない。
声も。
名前も。
ただの気のせいかもしれなかった。
以前の記憶は、さらに薄くなっていた。
真っ直ぐな道。
大きな建物。
夜でも明るい街。
そういうものがあったことは、まだ覚えている。
けれど、それが本当に自分の記憶なのか分からなくなってきた。
誰かから聞いた話かもしれない。
夢で見ただけかもしれない。
前は、空を走る箱のようなものを覚えていた。
今では、その形さえ曖昧だ。
大きかったのか、小さかったのか。
速かったのか、遅かったのか。
分からない。
忘れていくことが、少しだけ寂しい。
けれど、怖くはなかった。
忘れる度に、この家のことを覚えていくからだ。
母さんの声。
父さんの笑い声。
リーリャの足音。
窓の外から聞こえる鳥の声。
暖炉の薪が爆ぜる音。
それらが、空いた場所に少しずつ入ってくる。
前の何かが消える代わりに、今が俺の中に積み重なっていく。
それでいいのかもしれない。
たぶん。
俺はリーリャに抱き上げられ、寝台へ戻された。
隣にはルディがいる。
今日も目を開けていた。
「……」
俺は、隣の兄を見る。
兄。
ルディは俺より少しだけ先に生まれた。
だから兄らしい。
生まれた順番に、どれほど意味があるのかは知らない。
特に俺たちは双子だ。
大した差はない。
それでも、父さんは時々ルディを兄、俺を弟と呼ぶ。
母さんはあまり気にしていないようだった。
俺も気にしていない。
けれど、ルディを見ていると妙な気分になる。
この赤ん坊は、時々おかしい。
俺と同じように手足もろくに動かない。
泣くし、乳も飲む。
おむつも替えられる。
見た目は普通の赤ん坊だ。
でも、目が違う。
何かをじっと観察している。
母さんを見る時。
父さんを見る時。
リーリャを見る時。
天井や窓や棚を見る時。
ただ眺めているのではなく、考えているように見える。
いや。
そんな風に思う俺も、おかしいのかもしれない。
赤ん坊が赤ん坊を見て、あいつは赤ん坊らしくない、なんて考えること自体おかしい。
けれど、そうとしか思えなかった。
ルディは泣く回数も少ない。
俺よりずっと少ない。
空腹や不快感があれば泣くけれど、それ以外ではほとんど静かだ。
俺は暇になれば声を出す。
何か見えれば手を伸ばしたくなる。
寂しくなれば、誰かを呼びたくなる。
でもルディは、じっとしている。
寝ているのかと思えば、目だけを動かして周囲を見ている。
まるで自分がどこにいるのかを確かめているみたいだった。
「……あー」
俺は声をかけてみた。
ルディの目がこちらを向く。
目が合った。
「うー」
返事のつもりで声を出す。
ルディは少しだけ目を細めた。
笑ったようにも見えた。
俺も笑う。
するとルディの手が動いた。
ゆっくり。
ぎこちなく。
俺の方へ伸びてくる。
俺も手を伸ばした。
二人の指先が触れる。
最初の日と同じだった。
小さな手。
暖かい。
けれど今日は、ルディの方から俺の指を握ってきた。
「……」
強くはない。
そもそも赤ん坊の力だ。
少し動けばすぐに外れてしまう。
それでも、俺は動かなかった。
何となく、離したくなかった。
ルディも同じなのか、握ったままだった。
俺たちはしばらく、そうして天井を眺めていた。
兄弟。
双子。
今は、それ以外のことは何も分からない。
ルディが何を考えているのかも。
俺が何者なのかも。
以前どこにいたのかも。
それでも、こいつとは長い付き合いになるのだろう。
そんな気がした。
俺が目を閉じかけた時、廊下の向こうから大きな声が聞こえてきた。
「ゼニス!今日は少し早く帰れそうだ!」
父さんだ。
扉が開く。
土と汗の匂いが部屋へ入ってきた。
「もう、あなた!声が大きいですよ」
「おっと、悪い」
母さんの声。
パウロ。
それが父さんの名前らしい。
一か月で、俺は家族の名前をほとんど覚えた。
父さんはパウロ。
母さんはゼニス。
働いている女性はリーリャ。
兄がルーデウス。
そして俺がゼディウス。
グレイラット。
時々、父さんがそう口にする。
おそらく家族みんなにつく名前だ。
ゼディウス・グレイラット。
まだ自分では言えない。
けれど、何度も心の中で繰り返した。
俺の名前。
この世界での名前。
父さんが寝台を覗き込んでくる。
「おお、二人とも起きてるな」
大きな顔が近づいた。
ルディがわずかに身を固くする。
父さんは気にせず笑った。
「今日はどっちが先に俺を呼んでくれるかな?」
何を言っているかは分からない。
ただ、期待しているような声だった。
俺は父さんを見上げる。
茶色い髪。
俺とは違う緑色の瞳、瞳の下の黒子。
俺は多分瞳は母さん似なのだろう。
兄とも瞳の色は違う。
母さんとは違う、抱かれた時も硬い。
腕は太くて、ごつごつしている。
でも俺は、父さんの腕も好きだった。
高く持ち上げられるのは少し怖いけれど、胸の辺りに抱えられると安心する。
心臓の音が大きいからだ。
どくん、どくんと聞こえる。
生きている音。
俺は自然と口を開いた。
「……ぱ」
部屋が静かになった。
「……」
父さんが固まる。
母さんも。
リーリャまでこちらを見た。
俺自身も驚いた。
今、何か言えた。
たまたまだ。
口を動かしたら、そういう音になっただけだ。
でも父さんの顔がみるみる変わる。
「今、パパって言ったか?」
「言っていません」
母さんが即座に答える。
「いや、言った!今、確かにパって!」
「ただ声が出ただけです」
「ゼディ!もう一度だ!パパだぞ、パパ!」
父さんが顔を近づけてくる。
近い。
声も大きい。
俺は驚いて顔を歪めた。
「ふぇ……」
「あっ」
「パウロ!」
泣くつもりはなかった。
でも一度声が漏れると止められない。
「ふぇぇ……あぁぁぁ!」
「悪い!悪かった!」
「もう、貸してください!」
母さんが俺を抱き上げる。
胸に抱かれ、背中を優しく撫でられる。
すぐに安心した。
泣き声が小さくなる。
父さんはしょんぼりしていた。
大きな体なのに、母さんに叱られると妙に小さく見える。
少し面白い。
俺が泣き止むと、母さんは父さんを睨んだ。
「まだ生まれて一か月なのですよ」
「分かってるって」
「分かっていません」
「でも今、俺を呼んだよな?」
「呼んでいません」
「リーリャはどう思う?」
父さんが助けを求める。
リーリャは少し考えた後、静かに答えた。
「ゼディウス様の発声が、偶然そのように聞こえたのかと」
「リーリャまで……」
父さんは肩を落とした。
俺は母さんの腕の中から、その様子を眺める。
まだ言葉の意味は分からない。
でも、父さんが残念がっていて、母さんとリーリャが呆れていることは分かった。
何だか笑えてきた。
「きゃ」
声が出る。
母さんが俺を見た。
「まあ、ゼディ。ご機嫌になったの?」
母さんも笑う。
父さんはすぐに立ち直った。
「今度は笑ったぞ!」
「赤ちゃんは笑います」
「俺を見て笑った!」
「あなたを見ていたとは限りません」
「ゼニス、今日ちょっと冷たくないか?」
また何か話している。
俺は母さんに抱かれたまま、部屋を見渡した。
父さん。
母さん。
リーリャ。
寝台の中のルディ。
たぶん、これが俺の家族だ。
まだ一か月しか生きていない。
でも、もう分かることがある。
父さんは少しうるさい。
母さんは優しいけれど、父さんには容赦がない。
リーリャは真面目で、よく周りを見ている。
そしてルディは、やっぱり少し変だ。
俺も変なのかもしれない。
だって、生まれて一か月の赤ん坊がこんなことを考えている。
前に別の場所にいたような気もする。
異世界、という言葉も知っている。
けれど、はっきりしたことは何も分からない。
分からないなら、今は考えなくてもいい。
今の俺にできることは少ない。
乳を飲む。
眠る。
泣く。
手足を動かす。
家族の声を聞く。
そして少しずつ、この世界のことを覚えていく。
それで十分だ。
母さんが俺を寝台へ戻す。
ルディがこちらを見ていた。
さっきまで俺が泣いていたせいか、少し迷惑そうな顔にも見える。
「……う」
文句でもあるのか。
俺は手を動かし、ルディの腕に触れた。
ルディはしばらく俺を見ていたが、やがて目を閉じた。
俺も眠くなってきた。
遠くで父さんと母さんの声が聞こえる。
リーリャが何かを片付けている。
窓の外では風が吹いている。
穏やかな音だった。
眠りに落ちる直前。
また、知らない景色が浮かんだ。
雨に濡れた黒い道。
白い線。
いくつもの光。
誰かの後ろ姿。
けれど、手を伸ばすより先に、全部が霧の向こうへ消えていく。
悲しいと思ったのかもしれない。
でも、その感情さえすぐに薄れた。
代わりに、隣からルディの寝息が聞こえる。
母さんの声がする。
父さんが笑っている。
俺は、それを聞きながら眠った。
以前の世界のことを、一つ忘れて。
この家のことを、また一つ覚えながら。
---
半年が経った…数えていたわけではないのでなんとなくだが、両親の会話的にもそうなのだろう。
暖かな風が窓から吹き込んでくる。
木々の葉がさらさらと揺れ、どこかで小鳥がさえずっていた。
生まれて半年。
季節はすっかり春を越え、初夏の気配を帯び始めていた。
「ゼディ、元気ですねぇ」
母さんが笑う。
その視線の先では、俺が床の上をころころと転がっていた。
「だぁ!」
寝返りはもうお手のものだ。
腹ばいになって腕で身体を支え、目についたものへ向かって進もうとする。
まだ上手くはいかない。
少し進んでは転び、また進んでは転ぶ。
それでも楽しかった。
見るもの全てが新しい。
木の床。
椅子の脚。
揺れるカーテン。
窓から差し込む光。
全部が面白い。
「また窓の方へ行こうとしてるわ」
「本当ですね」
母さんとリーリャが笑う。
俺はその声も気にせず窓へ向かった。
外。
俺は外が好きだった。
まだ一度も出たことはない。
それでも窓から見える景色に、どうしようもなく惹かれる。
青い空。
風で揺れる草。
遠くの森。
時折飛んでいく鳥。
何時間眺めても飽きない。
理由は分からない。
ただ、胸が高鳴る。
(……外へ行きたい)
そう思う。
前にもこんな空を見たことがあるような気がする。
違う空。
もっと高い建物が並んでいたような。
道が真っ直ぐ続いていたような。
でも、それはもう思い出せない。
思い出せないのに、外へ出たいという気持ちだけは残っていた。
「ほら、ゼディ」
母さんが抱き上げてくれる。
そのまま窓際まで連れて行ってくれた。
「今日はいい天気ね」
「きゃっ!」
思わず声が出た。
風が頬を撫でる。
草の匂い。
土の匂い。
暖かな日差し。
心地いい。
胸いっぱいに吸い込みたくなる。
俺は手を伸ばした。
もちろん届かない。
それでも必死に空へ向かって腕を伸ばす。
「ふふっ、本当に外が好きなのね」
母さんが優しく笑った。
その様子を、少し離れた場所からルディが見ていた。
兄も同じように腹ばいになれるようになっていた。
腕の力も俺と同じくらい強い。
けれど、動き方が違う。
俺は興味のあるものへ一直線に向かう。
ルディは違った。
部屋の隅。
棚。
本。
人の動き。
一つ一つをじっと観察している。
まるで考えているみたいに。
半年経っても、その違和感は消えなかった。
そして今日も。
母さんが窓際へ向かうと、ルディはそちらを見た。
一瞬だけ。
その表情が曇った。
ほんの少しだけ身体を強張らせ、窓の外から目を逸らす。
そして、そのまま反対側へ這っていく。
「……?」
俺は首を傾げた。
外、嫌なのか?
俺には理解できなかった。
あんなに綺麗なのに。
あんなに気持ちいいのに。
どうして見ないんだろう。
ルディは窓を見る代わりに、本棚を見ていた。
まだ文字なんて読めないはずだ。
なのに、その目だけは真剣だった。
「ルーデウス様も元気ですね」
リーリャが近寄る。
その瞬間だった。
ルディは棚へ向かって一直線に這い始めた。
速い。
俺より少しだけ速い。
勢いよく床を蹴り、本棚へ向かう。
「まあ!」
リーリャが慌てて抱き上げる。
するとルディは暴れた。
じたばた。
じたばた。
赤ん坊らしい力とは思えないほど必死にもがく。
「お、おとなしくしてください」
リーリャは苦笑しながら抱え直す。
だが、ルディは暴れるだけではなかった。
じっと本棚を見る。
その目。
その視線だけが。
どうしても赤ん坊には見えなかった。
「……」
リーリャの表情が少しだけ曇る。
ほんの一瞬。
誰にも気付かれない程度だった。
けれど俺には見えた。
何だろう、この子は。
そんな感情が、ほんの少しだけ浮かんだように思えた。
「リーリャ?」
母さんが首を傾げる。
「……いえ」
リーリャはすぐに首を振る。
「ルーデウス様は、とても活発ですね」
「そうでしょう?」
母さんは嬉しそうに笑う。
「ゼディもルディも、本当に元気」
「ええ……元気です」
リーリャも微笑んだ。
だが、その笑顔は少しだけ固かった。
俺はその理由を知らない。
けれど、何となく分かる。
ルディは、普通の赤ちゃんじゃない。
俺も普通ではないのかもしれない。
でも、違う。
俺は外が見たい。
風を感じたい。
鳥を追いかけたい。
草の上を歩いてみたい。
世界そのものに触れてみたい。
ルディは違う。
世界を見るより、人を見る。
外を見るより、本を見る。
まるで、何かを知っている人みたいに。
俺たちは双子なのに。
似ているようで、どこか決定的に違っていた。
その違いを知る者は、まだ誰もいない。
俺たち自身でさえも。