無冠転生〜もう一人のグレイラットも本気出す〜 作:omugut
双子が生まれて半年。
ゼディウス様もルーデウス様も、ずいぶんと大きくなられた。
寝返りはもちろん、腹這いで家中を這い回るようになり、目を離すとすぐにどこかへ行ってしまう。
そのせいで、私も奥様も以前より慌ただしい毎日を送っていた。
「ゼディ、そっちはだめよ」
「きゃっ!」
奥様が笑いながらゼディウス様を抱き上げる。
窓へ向かって一直線に這っていこうとしていたのだ。
この子は、本当に外が好きだった。
窓を開ければ嬉しそうに手を伸ばし、風が吹けば声を上げて笑う。
鳥が飛べば追いかけるように身体を乗り出し、木々が揺れれば飽きることなく眺めている。
まだ外へ出したことはない。
それでも、まるでずっと外を知っているかのようだった。
「元気ですねぇ」
「ええ。本当に」
奥様も微笑む。
その笑顔を見て、ゼディウス様も嬉しそうに笑った。
普通の赤ちゃん。
そう、この子は普通なのだ。
お腹が空けば泣く。
眠ければぐずる。
抱っこをすれば笑う。
転べば泣く。
褒めれば嬉しそうに笑う。
赤ちゃんらしい赤ちゃん。
少し泣く回数は少ないような気もするが、それでも十分に普通だった。
……少なくとも、隣にいる兄と比べれば。
◇
「……」
ルーデウス様が、今日も本棚を見ていた。
まだ文字など読めるはずもない。
それなのに、じっと眺めている。
見つめる。
考える。
そんな目だった。
「ルディ?」
奥様が呼びかけても、返事をしない。
そのまま本棚へ向かって這い始める。
速い。
とにかく速い。
「危ないですよ」
抱き上げる。
すると暴れる。
必死にもがく。
目だけは本棚から離さない。
……何度見ても。
あの目だけは慣れなかった。
まるで大人が赤ちゃんの身体へ閉じ込められているような。
そんな錯覚さえ覚える。
初めてそう思った日から、私はルーデウス様に少しだけ恐怖を覚えていた。
もちろん証拠はない。
悪魔憑きなど、本当にいるのかも知らない。
それでも。
そう思ってしまうほど、この子は赤ちゃんらしくなかった。
◇
一方で、ゼディウス様は違う。
「ゼディウス坊ちゃま」
私が呼ぶと、こちらを見る。
「んー?」
嬉しそうに笑う。
そのままこちらへ向かって這ってくる。
抱き上げれば、服を掴んで甘えてくる。
眠くなれば肩へ顔を預ける。
普通だ。
どこまでも普通の赤ちゃんだった。
だから、私は安心して抱けた。
……安心していた。
最初のうちは。
◇
ある日。
奥様が買い物へ行き、旦那様も仕事へ出ていた。
家には私と双子だけ。
「少し待っていてくださいね」
昼食の支度を始める。
双子は居間で遊んでいた。
少し目を離した。
本当に少しだけだった。
「……?」
静かだ。
静かすぎる。
嫌な予感がして居間へ戻る。
「!」
ルーデウス様は予想通り本棚の前だった。
だが、まだ届かない。
棚へ手を伸ばしているだけ。
問題は、ゼディウス様だった。
「……あ」
椅子。
食卓用の椅子を、小さな手で押していた。
もちろん動くはずもない。
それでも何度も押し、少しずつ位置を変えている。
窓の近くへ。
少しずつ。
少しずつ。
私は思わず立ち尽くいた。
偶然だろうか。
赤ちゃんが遊んでいるだけ。
そう思おうとした。
だが、ゼディウス様は一度椅子を見て、窓を見て、もう一度椅子を見る。
そしてまた押した。
まるで、どうすれば窓へ近付けるか考えているようだった。
「ゼディウス坊ちゃま」
声を掛ける。
すると、こちらを向き、にこっと笑った。
「きゃ!」
その笑顔は、いつもの赤ちゃんだった。
無邪気で。
可愛らしくて。
つられて私も笑ってしまう。
抱き上げると嬉しそうに腕をぱたぱた動かした。
……考えすぎだ。
そう、きっと偶然。
偶然なのだ。
◇
だが、偶然は続く。
その日の夕方、旦那様が剣の手入れを始めた。
ルーデウス様は興味を示さない。
本棚の方ばかり見ている。
対してゼディウス様は──
「きゃあ!」
剣を見た瞬間、声を上げた。
嬉しそうに笑いながら、旦那様の方へ一直線に這っていく。
「お?」
旦那様が笑う。
「ゼディ、お前これが好きか?」
剣を鞘ごと見せる。
ゼディウス様は手を伸ばした。
触れる。
冷たい鉄。
小さな指で何度も撫でる。
そして、じっと見つめた。
光る刃。
柄。
鞘。
一つ一つを観察するように。
「ははっ!男だなぁ!」
旦那様は大笑いしていた。
奥様も危ないだろうと注意しながらも、どこか嬉しそうに微笑んでいる。
誰も気にしていない。
けれど私は違った。
ゼディウス様の目、あの目はおもちゃを見つめる赤ちゃんの目ではない。
“理解しようとしている目”だった。
もちろん、まだ赤ちゃんだ。
何も分かるはずがない。
それでも、私は何となく思ってしまう。
この子はきっと、とても賢い子になる。
◇
夜。
二人を寝かしつける。
ルーデウス様は天井を見つめていた。
ゼディウス様は眠そうに目を擦っている。
やがて、私の指をぎゅっと握った。
「……」
見下ろす。
安心しきった顔で眠り始める。
その寝顔は、本当に可愛らしかった。
悪魔憑き。
そんな言葉は、この子には似合わない。
けれど、普通とも少し違う。
赤ちゃんらしい笑顔。
赤ちゃんらしい泣き顔。
赤ちゃんらしい甘え方。
そのどれもが本物なのに……。
時折だけ、年齢に似合わないほど澄んだ瞳で、この世界を見つめている。
外の景色を。
風を。
鳥を。
剣を。
人を。
まるで、すべてを知りたいと願っているかのように。
私はそんな瞳を見たことがなかった。
少しだけ不思議で。
少しだけ怖くて。
そして──少しだけ、楽しみだった。
双子なのに、こんなにも違う。
片方は、得体の知れない子。
もう片方は、不思議な子。
この二人がどんな風に育っていくのか。
その未来を、私はまだ知らない。
それからというもの。
私は双子を見比べることが多くなった。
もちろん、お世話を怠るわけではない。
ただ、どうしても気になってしまうのだ。
双子なのに、ここまで違うものなのか、と。
◇
「ゼディウス坊ちゃん、こちらへ」
私が両手を広げる。
「きゃっ!」
ゼディウス様は笑顔でこちらへ向かってくる。
途中で転ぶ。
「うぇ……」
泣くか。
そう思った。
しかし。
ゼディウス様は一瞬だけ唇を尖らせると、また立ち上がろうとした。
「頑張りますね」
思わず笑みがこぼれる。
支えてあげると、嬉しそうに私の指へしがみついた。
甘え上手な子だった。
抱っこをすれば肩へ頭を預ける。
眠くなれば服を掴む。
寂しければ泣く。
ご機嫌なら誰にでも笑う。
赤ちゃんらしい。
本当に赤ちゃんらしい。
だからこそ、時折見せる”違い”が際立って見えた。
◇
昼過ぎ。
奥様が洗濯をしている。
私は食器を片付けていた。
双子は部屋の真ん中で遊んでいる。
「……?」
気付くと、ゼディウス様がこちらを見ていた。
じっと。
何かを待つように。
「どうしました?」
声を掛ける。
すると、床へ転がっていた木の積み木を見て、また私を見る。
もう一度積み木を見る。
「……」
私は積み木を拾い、ゼディウス様へ渡した。
「はい」
「きゃ!」
嬉しそうに受け取る。
そのまま遊び始めた。
「……偶然でしょうか」
口に出してから苦笑する。
赤ちゃん相手に何を考えているのだろう。
偶然に決まっている。
そう思った。
だが、数日後も、その次の日も、同じことが続いた。
欲しい物がある時。
泣く前に、まず見る。
欲しい物。
そして私。
その視線だけで伝えようとする。
伝わらなければ、そこで初めて声を上げる。
不思議だった。
普通の赤ちゃんは先に泣く。
ゼディウス様は違う。
まず考える。
それから行動する。
そんな印象を受けた。
◇
一方で。
「……」
ルーデウス様は今日も本棚だった。
「ルーデウス坊ちゃま」
呼んでも気味の悪い笑みを浮かべてしか微笑まない。
本へ。
本へ。
届かないのに、何度も腕を伸ばしている。
「はい」
抱き上げる。
すると暴れる。
目だけは本棚から離れない。
私は内心ため息をついた。
(またですか)
ゼディウス様なら。
届かないと分かれば諦める。
あるいは別の方法を探す。
ルーデウス様は違う。
一直線だった。
本棚と、後おそらく私の胸へ……。
その執着が、どうにも恐ろしく感じる。
◇
ある日。
旦那様が庭で木剣を振っていた。
窓は開いている。
風が部屋へ流れ込む。
「ぱぁ!」
ゼディウス様が歓声を上げた。
嬉しそうに窓へ這っていく。
外で木剣を振る旦那様を、目を輝かせながら見ていた。
振る。
止まる。
また振る。
その一つ一つを見逃すまいとしているようだった。
「旦那様が好きなのですね」
そう思っていた。
ところが──。
旦那様が木剣を置いて家へ戻ると、ゼディウス様は、急に興味を失った。
「……?」
旦那様ではない。
剣でもない。
“振っている動き”を見ていたのだ。
そう気付いた瞬間、背筋がぞくりとした。
赤ちゃんが。
そんな見方をするだろうか。
◇
その夜、私は二人を寝かせながら考えていた。
ルーデウス様は恐ろしい。
正直に言えば、今でも少し怖い。
あの年齢に似つかわしくない笑みも。
視線も。
考え込むような仕草も。
何もかもが異質だった。
けれど、ゼディウス様は違う。
この子はちゃんと笑う。
ちゃんと泣く。
ちゃんと甘える。
赤ちゃんとして育っている。
それでも、何かが違う。
賢い。
それだけでは説明できない。
知恵がある。
それとも違う。
もっと……。
世界を知ろうとしている。
そんな目をしている。
私はまだ若い。
たくさんの子供を育てた経験があるわけでもない。
だから、この感覚が正しいのかは分からない。
ただ一つだけ言えることがある。
私は、この子を怖いとは思わなかった。
むしろ、この不思議な子がどんな大人になるのか。
少しだけ見届けてみたい。
そう思ってしまった。
眠るゼディウス様とルーデウス様の髪を、そっと撫でる。
「おやすみなさい、ゼディウス坊ちゃま、ルーデウス坊ちゃま」
小さな寝息だけが返ってきた。
その穏やかな寝顔を見ながら、私は静かに部屋の灯りを落とした。
◇
それから数日後のことだった。
今日もまた、奥様は村へ買い物へ向かわれ、旦那様は剣術の仕事へ出掛けられた。
グレイラット家では珍しくない昼下がり。
お二人が家を空けるこの時間は、自然と私が双子のお世話を任されることになる。
「少し待っていてくださいね」
二人を居間で遊ばせながら、私は洗濯物を畳み始めた。
本当に少しだけ。
ほんの数分、手元へ意識を向けただけだった。
ふと気付く。
「……?」
静かだった。
静かすぎる。
双子が遊んでいるとは思えないほど、部屋がしんとしている。
嫌な予感が胸をよぎった。
「ルーデウス坊ちゃま?」
居間を見渡す。
予想どおり、ルーデウス様は本棚の前だった。
今日も棚へ手を伸ばし、届かない本をじっと見つめている。
「またですか」
思わず苦笑しながら抱き上げる。
すると、いつものように身体をよじって抵抗し、本棚から目だけは決して逸らそうとしない。
私は小さく息をついた。
そして、もう一人へ視線を向ける。
「……ゼディウス坊ちゃま?」
姿が見えない。
胸がどくりと鳴った。
「ゼディウス坊ちゃま!」
廊下を見る。
台所を見る。
どこにもいない。
まさか外へ──
そう思った、その時だった。
「きゃっ」
小さな笑い声。
窓際から聞こえた。
駆け寄ると、ゼディウス様は窓の下にちょこんと座り込み、閉じられた窓の向こうを夢中で眺めていた。
その傍らには、少しだけ位置の変わった食卓の椅子。
どうやら、小さな身体で懸命に押したらしい。
「……もう」
思わず頬が緩む。
抱き上げると、ゼディウス様は嬉しそうに笑い、窓の外へ向かって小さな手を伸ばした。
やはり、この子は外が好きなのだ。
青い空も。
揺れる木々も。
吹き抜ける風も。
何もかもが珍しくて仕方ないのだろう。
「もう少し大きくなったら、ご家族でお外へ行きましょうね」
言葉が分かるはずもない。
それでもゼディウス様は、まるで意味を理解したかのように満面の笑みを浮かべた。
……本当に、不思議な子だった。
それでも、不思議と会話が成立しているような気さえした。
……ルーデウス様とは違う。
ルーデウス様も普通ではない。
あの年齢とは思えない目。
考え込むような表情。
赤ん坊らしくない笑み。
時折、本当に恐ろしくなる。
けれど──
ゼディウス様は違う。
この子も普通ではない。
時折、大人のように考え、年齢に似合わないほど物事を理解しているように見える。
それでも、怖くはない。
むしろ、安心する。
この子は、人が好きなのだ。
抱き上げれば嬉しそうに笑う。
褒められれば照れたように笑う。
転べば泣く。
寂しければ甘える。
ちゃんと子供で、ちゃんと赤ちゃんで。
その上で、ほんの少しだけ賢い。
私はゼディウス様を見つめ、小さく息を吐いた。
「本当に、不思議な子ですね」
理解はできないだろう。
けれど、この子なら大丈夫。
根拠などない。
ただ、そう思えた。