無冠転生〜もう一人のグレイラットも本気出す〜   作:omugut

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間話『兄から見た弟 1』

俺はルーデウス・グレイラット。

 

どうやら前世で事故に遭い、そのまま亡くなり異世界転生した中身は34歳のおっさんだ。

 

そんな俺には、弟がいる。

双子の弟だ。

 

名前はゼディウス・グレイラット。

家族からはゼディと呼ばれている。

 

俺より少しだけ、ほんの少しだけ後に生まれたらしい。

少しだけ、と言っても双子なので、本当にせいぜい数分か数十分の差だろう。

 

だから同い年だ。

 

それでもこの世界では、先に生まれた俺が兄。

後から生まれたゼディが弟ということになっている。

 

兄……。

 

弟……。

 

その響きには、あまりいい思い出はない。

 

前世の俺には兄弟がいた。

兄兄姉弟だ。俺は5人兄弟の三男で、弟もいた。

 

だが、俺自身良い兄だったかと聞かれれば、答えは決まっている。

最低だった。

 

自分の殻に閉じこもり、家族から逃げ、迷惑を掛け続け、最後には家から叩き出された。

 

今さら兄らしいことをしろと言われても、何をすればいいのか分からない。

 

そもそも俺は、弟なんて欲しくなかった。

弟より妹が良かった。

 

可愛い妹に頼られたり、慕われたりする方が、よほど想像しやすい。

妹なら、俺にも優しくできる気がした。

 

否──。

それも都合のいい妄想だ。

 

女の子なら自分を受け入れてくれる。

男なら競争相手になる。

そんな卑屈な考えが、前世から染みついていただけかもしれない。

 

ただ、やはり男相手には、ろくな思い出がない。

 

笑われる。

馬鹿にされる。

見下される。

 

それなら最初から距離を取った方がいい。

そういう生き方を長く続けてきた。

だから俺は、生まれた直後から隣にいた弟に対しても、どう接すればいいのか分からなかった。

 

 

最初にゼディを見た時の印象は、普通の赤ん坊だった。

 

泣く。

笑う。

手足をばたつかせる。

眠る。

 

母さんに抱かれれば安心した顔をする。

俺の指に触れれば握り返してくる。

 

本当に普通だった。

俺とは違う。

 

俺は赤ん坊の身体に入ってはいたが、中身は三十を過ぎた引きこもりだった。

 

周囲を観察し、状況を判断する。

 

ゼニスやリーリャの胸を見ては、赤ん坊の立場を利用していた。

今思えば最低である。

いや、今思わなくても最低だ。

 

リーリャから気味悪がられるのも当然だった。

対してゼディは、母さんに抱かれて笑うだけ。

リーリャの胸に顔が触れても、妙な笑みを浮かべたりしない。

 

眠ければ目を擦る。

腹が減れば泣く。

寂しければ手を伸ばす。

 

赤ん坊として正しい。

それだけなら、俺も安心できた。

 

こいつは普通の弟。

俺とは違う。

そう思っていた。

 

だが、しばらくして気付いた。

ゼディも、普通ではない。

 

俺ほど露骨ではないだけで、妙に頭が良かった。

 

物をよく見る。

人の顔色を読む。

一度覚えたことを忘れない。

欲しい物がある時にも、すぐ泣かずに視線で伝えようとする。

 

椅子を窓まで運ぼうとしていた時など、さすがに驚いた。

まだ這うことしかできない赤ん坊が、椅子を足場にしようとしていたのだ。

もっとも、椅子は重すぎてほとんど動かなかったが。

 

それでも発想そのものが赤ん坊らしくない。

 

リーリャも気付いていた。

 

俺を見る目とは違う。

俺には警戒。

ゼディには戸惑い。

 

どちらも普通の赤ん坊ではないと感じている。

 

だが、印象には雲泥の差があった。

俺は気味が悪い。

ゼディは不思議。

 

俺は悪魔憑き。

ゼディは賢い子。

 

別にいい。

自業自得だ。

俺は実際、中身がろくでもない大人なのだから。

 

それでも──。

 

少しだけ、面白くなかった。

 

 

ゼディは外が好きだった。

これは赤ん坊の頃から変わらない。

 

窓が開けば喜ぶ。

風が吹けば笑う。

鳥が飛べば手を伸ばす。

草木が揺れるだけでも飽きずに見ている。

 

俺には理解できなかった。

 

外の何がいいのか。

外には人がいる。

他人がいる。

傷つけてくる奴がいる。

笑う奴がいる。

自分を値踏みする奴がいる。

 

この世界の外が、前世と同じだとは限らない。

頭では分かっている。

それでも、身体の奥にこびりついた嫌悪感は消えなかった。

 

窓の向こうを見ると、胸の辺りがざわつく。

 

広い空より、閉じた部屋の方が安心する。

草原より、本棚の方が落ち着く。

 

人間はそう簡単に変われない。

転生したからといって、全部が綺麗になるわけではないらしい。

 

「ルディ、鳥」

 

ゼディは何度も俺を窓へ誘った。

 

「見ません」

 

「青いよ」

 

「鳥は大体、何かしら色がついています」

 

「きれいだよ」

 

「そうですか」

 

「一緒に見よう」

 

「遠慮します」

 

そう言うと、ゼディは少し残念そうな顔をした。

その顔を見ると、わずかに胸が痛んだ。

 

だが、外の話を持ち出される上だと、窓へ近づく気にはならない。

ゼディは外が好きだから。ただ窓に近づくのとは訳が違う。外が好きという前提がある。

 

どうして俺が、弟に合わせなければいけないのか。

 

こいつは外を見ればいい。

俺は本を読む。

それぞれ好きなことをしていればいい……そう思った。

 

「分かった」

 

ゼディはそれ以上誘わなかった。

 

拗ねることもない。

俺を責めることもない。

 

一人で窓辺に立ち、外を見始める。

その背中が、妙に大人びて見えた。

 

俺より子供らしいくせに。

俺よりずっと聞き分けがいい。

 

それも、少し面白くなかった。

 

 

二歳になる頃には、ゼディは言葉を覚えていた。

俺も覚えていた。

 

当然だ。

俺には前世の知識がある。

言語そのものは違っても、文法や物の概念は既に知っている。

言葉と意味を結び付けるだけなら、赤ん坊より早くて当然だ。

 

ゼディにはそれがないはずだった。

それなのに、俺とほとんど変わらない速度で言葉を吸収した。

 

会話もできる。

文字も覚える。

 

パウロの読み聞かせを聞きながら、指でなぞられた文字と音をすぐに結び付けていく。

 

俺が前世の知識を利用して先へ進んでいる横で、ゼディは純粋な学習だけで追いついてくる。

 

正直、焦った。

俺には前世がある。

ゼディにはない。

 

俺の方が圧倒的に有利なはずだ。

なのに、大した差がつかない。

 

むしろ会話に関しては、ゼディの方が自然だった。

俺はどうしても言葉が固くなる。

赤ん坊や幼児らしく話そうとしても、気を抜くと敬語になる。

大人のような言い回しになる。

聞き分けの良い子を演じようとしているからだ。

 

ゼディは違う。

子供らしい言葉を使いながら、必要なことを正確に伝える。

 

ゼニスもパウロも、果てにはリーリャだってゼディとの会話を楽しんでいた。

 

「とり、いたよ」

 

「あら、本当?」

 

「あっち。青いの」

 

「よく見つけたわね」

 

そんな何でもない会話で、ゼニスは嬉しそうに笑う。

 

俺が知識を見せれば驚く。

ゼディが話せば喜ぶ。

 

驚きと喜び。

似ているようで、違う。

 

俺は優秀な子。

ゼディは可愛い子。

 

そういう差に思えた。

 

否、これは被害妄想だ。

 

母さんも父さんも俺を愛してくれている。

それは分かっている。

 

それでも、前世で染みついた卑屈さは、少しの差を勝手に大きくする。

 

ゼディは何も悪くない。

 

分かっている。

分かっているからこそ、自分が余計に嫌になる。

 

 

本を見つけたのは俺だった。

 

リーリャが本棚から本を撤去し、木箱へ片付けたことを覚えていた。

場所も見ていた。

 

歩けるようになってから、俺はすぐに木箱を探した。

 

一人でも開けられると思った。

 

だが、蓋は予想以上に重かった。そこそこ厳重に閉じられているようだった。

恐らく、俺たちのいずれかが見つけても開かないようにするためだろう。

グレイラット家にある本はどれも重そうだったからな。

 

そこでゼディを呼んだ。

 

「ゼディ」

 

「なに?」

 

「こっちです」

 

素直についてくる。

何の用かも聞かずに。

 

箱を見せると、ゼディは首を傾げた。

 

「はこ?」

 

「本です」

 

「なんで分かるの?」

 

「リーリャが入れてました」

 

俺が答えると、ゼディはすぐに納得した。

 

「開けるの?」

 

「そのつもりです」

 

「いっしょにやろう」

 

当たり前のように言った。

 

俺が頼む前に。

 

2人で蓋を持ち上げる。

重かった。

 

やはり、2人いても子供の腕だけではなかなか上がらない。

それでもゼディは途中で諦めなかった。

 

「せーの」

 

掛け声を合わせる。

 

少しずつ蓋が開く。

 

中に本が見えた瞬間、俺は思わず声を上げた。

 

「おお……」

 

魔術。

 

この世界には、本当に魔術がある。

 

俺の人生を変えてくれるかもしれない力。

引きこもっていても手に入らなかったもの。

努力すれば身につくかもしれないもの。

 

それが目の前にある。

 

俺は迷わず魔術教本を選んだ。

ゼディは『世界を歩く』を選んだ。

 

表紙に描かれた地図を見るなり、床へ座って読み始める。

 

俺にはあまり理解できない。

魔術があるのに。

魔法が使えるかもしれないのに。

 

なぜ地理の本を真っ先に選ぶのか。

そんなに外が好きなのか。

 

「それ、面白いですか?」

 

「面白いよ。世界がいっぱいある」

 

「世界は一つですよ」

 

「国がいっぱい。外についてたくさん書かれてる」

 

「そう」

 

俺には、やはり興味がなかった。

国が多かろうが、世界が広かろうが、外へ出なければ関係ない。

 

それより魔術だ。

 

今度こそ──。

この世界では何かを身につけたい。

 

誰にも馬鹿にされないもの。

自分の価値を証明できるもの。

 

ゼディが本を覗き込んできた。

 

「ルディのは?」

 

「魔術についてですね」

 

「面白い?」

 

「面白いです」

 

「魔術って、本当にあるの?」

 

「あります。母さんが使えます」

 

「ルディもやるの?」

 

その質問に、俺は少し迷った。

 

「まだ読んでる途中ですけど、やってみたいですね」

 

「やるなら教えて」

 

「……うん」

 

俺は返事をした。

だが、その時点でもう、一緒にやる気はあまりなかった。

 

理由はいくつかある。

まず、危険だから。

 

本当に魔術が使えるかも分からない。

失敗した時、ゼディを巻き込みたくない。

これは建前ではない。

本当にそう思った。

 

だが、それだけではなかった。

 

俺は一人で試したかった。

もし魔術が使えなかったら、誰にも見られたくない。

ゼディの前で失敗したくない。

 

俺だけが使えたなら、優位に立てる。

そんな考えもあった。

 

純粋に学びたいと言った弟に対して、俺は競争心を抱いていた。

三十年以上生きた記憶を持つ人間が、二歳の弟を相手に。

 

本当に、救いようがない。

 

 

ゼディは『世界を歩く』に夢中になった。

その次は『三剣士と迷宮』。

 

パウロの剣の訓練を見る目も変わった。

以前から剣を見ていたが、二歳になってからは明らかに動きを追っていた。

 

足。

腰。

腕。

剣先。

 

パウロが振るたびに、ゼディの目が動く。

 

「ゼディも剣をやりたいのか?」

 

「やりたい」

 

「そうか!」

 

パウロは嬉しそうだった。

俺が魔術に興味を示した時より、ずっと分かりやすく喜んでいた。

 

当たり前だ。

 

パウロは剣士だ。

自分と同じものに興味を持つ息子が可愛いのだろう。

 

理屈では分かる。

それでも胸の奥に、黒いものが溜まった。

 

パウロはゼディのために、小さな木剣まで作ろうとしていた。

ゼニスに没収されたが。

 

「俺の息子だな!」

 

その言葉が、妙に耳に残った。

俺も息子だ。

 

だが、俺は剣に魔術よりも興味は持てない。

必要とあれば学ぶだろうが、まず優先したいのは魔術だからだ。

パウロも魔術には詳しくない。

そういうものだ。

 

ゼディとパウロの間には、俺にはないものがある。

共通点。

男同士の繋がり。

 

前世でも、俺はそういうものを避けてきた。

 

男同士で何かを共有する。

一緒に身体を動かす。

競い合う。

 

そういう関係が怖かった。

 

負ければ惨めになる。

勝てば妬まれる。

近づけば、いずれ馬鹿にされる。

 

だから最初から、参加しない。

今も同じだった。

 

ゼディと剣を習えばいい。

混ぜてもらえばいい。

だが、俺は窓の内側から見ているだけ。

そして、楽しそうな二人を見て勝手に嫉妬する。

 

本当に馬鹿らしい。

 

 

三歳になった。

俺は魔術教本をほとんど暗記していた。

 

ゼディは何度も俺の部屋へ来た。

 

「何読んでるの?」

 

「魔術教本ですよ」

 

「それは見れば分かるよ」

 

「じゃあ聞かなくていいじゃないですか」

 

「魔術、やらないの?」

 

「まだ」

 

「ずっと読んでる」

 

「先に覚えてるんですよ」

 

「何を?」

 

「いろいろです」

 

俺は本を閉じた。

見られたくなかった。

 

もう既に、魔術を試すつもりでいたからだ。

 

ゼディに教えると言ったことは覚えている。

それでも、一人でやりたかった。

 

ゼディは俺を疑うように見た。

けれど、それ以上追及しなかった。

 

「そっか」

 

それだけ言って部屋を出ていく。

 

怒らない。

責めない。

 

無理に本を奪おうともしない。

俺の秘密を尊重しているつもりなのだろう。

 

その気遣いすら、当時の俺には重かった。

もっと怒ればいい。

約束しただろ、と責めればいい。

 

そうすれば俺も、仕方なく教えたと言い訳できる。

 

だがゼディは、俺が歩み寄るのを待つ。

自分から無理に距離を詰めようとはしない。

まるで、俺が人との距離を怖がっていると知っているように。

 

そんなわけはない。

ゼディは三歳だ。

前世の俺のことなど知るはずがない。

 

それでも、見透かされている気がした。

 

 

初めて魔術を使った日。

俺はゼディに何も言わなかった。

 

自室へ魔術教本を持ち込み、扉を閉めた。

 

最も簡単な初級水魔術。

水弾(ウォーターボール)

 

詠唱を読み上げる。

魔力が右手へ集まる。

水の塊が生まれる。

 

俺は感動した。

使えた!

本当に魔術はある!!

俺にも少しは才能がある!!!

 

この世界では、俺にも何かできるかもしれない。

興奮した。

 

俺は特別なのかもしれない。

 

そんな考えが頭をよぎった。

前世で何度も失敗した考え方だ。

 

自分は他人とは違う。

才能がある。

選ばれている。

そう思い上がって、何度も転んだ。

それでも、甘い高揚感には逆らえなかった。

 

もう一発と、また試そうとした。

 

その結果──。

俺は倒れた。

 

 

目を開けると、家族がいた。

 

ゼニス。

パウロ。

リーリャ。

そして、ゼディ。

 

ゼディはベッドの脇に立っていた。

 

目が赤かった。

 

「ゼディ……?」

 

「起きた」

 

心底、安心したような声だった。

 

「よかった……」

 

そのまま顔を伏せる。

泣いていた。

 

俺が倒れたことで、俺が目を覚まさないかもしれないと思って、泣いたらしい。

 

胸が痛んだ。

魔力切れのせいではない。

もっと別の場所が。

 

「ばか」

 

ゼディが言った。

 

「倒れるなら言ってよ」

 

「いや、倒れる前には言えないですよ」

 

俺は反射的に答えた。

そういうことではないと分かっていた。

だが、他に何と言えばいいのか分からなかった。

 

心配してくれてありがとう。

約束を破ってごめん。

一人でやってごめん。

 

そのどれも口にできない。

 

「何してたの?」

 

「本を読んでました」

 

「嘘」

 

「嘘じゃない」

 

「じゃあ、水は?」

 

ゼディの目が真っ直ぐ俺を見る。

 

責める目ではない。

知りたいだけ。

心配だから聞いている。

 

それが分かった。

だから余計に、答えたくなかった。

 

「ルディ」

 

「眠たいです……」

 

俺は目を閉じた。

 

逃げた。

前世と同じように。

 

都合が悪くなると、相手を遮断する。

 

ゼディはそれ以上聞かなかった。

リーリャに促され、部屋を出ていった。

 

扉が閉まる音を聞きながら、俺は自分が心底嫌になった。

 

 

夜。

ゼディはもう一度俺の部屋へ来た。

 

「今日、魔術使った?」

 

「使ってないですよ」

 

「嘘だ」

 

「使ってないです」

 

「じゃあ、あの水は?」

 

「……漏らした」

 

ゼディ目線から見てはかなり無理のある言い訳だっただろう。

俺からしてもかなり不服であり恥ずかしくもあり尊厳破壊に近い意味でも無理のある言い訳だ。

 

ゼディも当然、信じない。

 

「そんなに出ないよ」

 

「俺は出るんだ!」

 

少し強く言ってしまった。

 

「変なの」

 

「……そういう体質なんだ」

 

馬鹿な会話だった。

 

それでもゼディは、最後まで俺を責めなかった。

強く言ってしまったことも咎めてこない。

 

少し黙った後、聞いてきた。

 

「……もう倒れない?」

 

その声で分かった。

 

ゼディが知りたいのは、魔術のことではない。

俺が隠し事をした理由でもない。

 

もう一度、俺が倒れるのが怖い。

それだけだった。

 

「……たぶん」

 

「たぶんじゃだめ」

 

「気をつけますよ」

 

「本当に?」

 

「本当」

 

「約束」

 

「分かりました。約束です」

 

ゼディが小指を差し出した。

前世にもあった仕草。

 

指切り。

この世界にもあるのか。

それとも、偶然か。

 

俺は何も聞かず、小指を絡めた。

 

小さな指だった。

俺と同じくらい。

 

……温かい。

 

生まれたばかりの頃にも、こうして手を握った気がする。

 

「じゃあ、おやすみ」

 

「おやすみなさい、ゼディ」

 

ゼディは部屋を出ていった。

 

俺は枕元の魔術教本を見る。

 

約束した。

 

もう倒れないように気をつける。

魔術をやめるとは言っていない。

明日も練習する。

 

ただし、限界の一歩手前で止める。

そう考えた。

 

ゼディに教える気は、まだなかった。

 

一緒に練習すればいい。

そうすれば喜ぶだろう。

 

危険なら、俺が先に知ったことを教えればいい。

兄らしく。

 

それが正しい。

分かっている。

 

でも、もしゼディが、俺より早く魔術を覚えたら。

もし剣だけでなく、魔術でも才能を見せたら。

 

パウロにもゼニスにも可愛がられ、リーリャにも信頼され、その上、俺より優秀だったら。

 

俺には何が残る?

 

そんな考えが浮かんだ。

三歳の弟を相手に。

俺は嫉妬していた。

 

ゼディは俺から何も奪っていない。

 

むしろ、いつも俺に手を差し伸べている。

 

窓の外を一緒に見ようと誘ってくれた。

何も言わずとも本の箱を一緒に開けてくれた。

魔術をやるなら教えてと言ってくれた。

俺が倒れれば泣きながら助けを呼んでくれた。

 

歩み寄っているのは、いつもゼディだ。

遠ざけているのは、俺。

 

それでもゼディは怒らない。

離れていかない。

 

俺が一歩近づけば、たぶん二歩分は笑って近づいてくる。

 

分かっている。

なのに、その一歩が踏み出せない。

 

男兄弟だから。

弟だから。

 

自分と比べられるのが怖いから。

負けるのが怖いから。

 

……好かれた後で嫌われるのが怖いから。

 

理由はいくらでもあった。

 

全部、俺の都合だった。

 

 

ゼディウス・グレイラット。

俺の双子の弟。

 

子供らしく笑う。

頭が良い。

外が好き。

剣が好き。

人が好き。

そして、少しお人好しだ。

 

俺のような兄でも、大切にしてくれている。

当時の俺は、それを正面から受け止められなかった。

 

だから秘密を作った。

約束を破った。

 

弟より先へ進もうとした。

兄だから守りたいのではない。

兄として負けたくなかった。

 

そんなくだらない理由で。

 

けれど、倒れている俺を見つけた時の、ゼディの声。

 

「ルディ!」

 

あの声だけは、今も耳に残っている。

 

恐怖に震え。

泣きそうになりながら。

俺を呼び続けていた。

 

前世で俺が部屋に閉じこもっていた頃。

あんな風に俺の名を呼んでくれた人がいただろうか。

 

いたのかもしれない。

 

けれど俺は、耳を塞いでいた。

扉を開けなかった。

 

今も同じだ。

 

ゼディは扉の向こうから、俺を呼んでいる。

俺はまだ、扉を少ししか開けられない。

 

それでも。

今度こそ、完全に閉じてしまわないようにしよう。

 

いつか──。

俺の方から、ゼディの部屋へ行こう。

 

何かを隠すためではなく。

何かを教えるためでもなく。

ただ一緒にいるために。

 

この時の俺は、まだそんなことを考えるだけだった。

 

実際に一歩を踏み出すには、もう少し時間が必要だった。

ゼディはきっと、急かさずに待つのだろう。

そういう弟だった。

 

俺にはもったいないほどの。

 

たった一人の、双子の弟だった。

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