無冠転生〜もう一人のグレイラットも本気出す〜 作:omugut
五歳になった。
この世界では、毎年の誕生日を盛大に祝う習慣はないらしい。
もちろん、生まれた日を家族が覚えていないわけではない。
母様は毎年、俺とルディが生まれた頃のことを話してくれるし、父様も「また一つ大きくなったな」と頭を撫でてくれる。
ただ、家族や親戚を集め、御馳走を並べて、贈り物まで用意するような正式な祝いは、五歳、十歳、十五歳の時だけ。
五歳で幼児から子供へ。
十歳で子供から一人前へ向かう準備。
十五歳で成人。
なにやら、そういう意味があるのだとか。
まあ実際、子供がある程度の自律心を持って、自分で物事を判断できるようになって歩けるようになるのは十歳より上なイメージが多い。
この世界も、成人してようやく立派に一人で歩けるようになるくらいが、ちょうど十五歳なのだろう。
つまり、今回が俺たちにとって初めての正式な誕生日だった。
◇
その日の朝。
いつもより早く目が覚めた。
隣のベッドを見る。
ルディはまだ眠っていた。
……正確には、眠っているふりをしているように見えた。
身体は動かない。
呼吸もゆっくり。
けれど目元が僅かに引きつっている。
「ルディ」
「……」
「起きてる?」
「寝ています」
「起きてる」
「寝言です」
「寝言で返事しないよ」
「この世界には、返事をする寝言もあるかもしれません」
ルディが布団を頭まで被る。
「今日、誕生日だよ」
「知っています」
「楽しみじゃないの?」
「楽しみですよ」
「じゃあ起きよう」
「まだ朝が早いです」
「外、明るい」
「日が出たからといって、すぐ起きる必要はありません」
「父様はもう起きてるみたい」
「父様は老人みたいに朝が早いんです」
寝室の外から、どすどすと大きな足音が近づいてきた。
扉が勢いよく開く。
「誰が老人だ、ルディ!」
「おはようございます、父様」
「おはよう。父様」
ルディは一瞬で起き上がった。
寝起きとは思えないほど綺麗な姿勢だった。
「起きてるじゃん」
「今起きました」
「嘘」
「兄を疑うのはよくありませんよ」
「朝から喧嘩するな」
父様が俺たちの頭を片手ずつで掴み、乱暴に撫でた。
「ルディ、ゼディ!五歳の誕生日、おめでとう!」
「ありがとう、父様!」
「ありがとうございます」
俺は素直に笑った。
ルディも笑ってはいる。
けれど、父様に髪をぐしゃぐしゃにされたことが不満らしく、少しだけ頬が引きつっていた。
「さあ、顔を洗って着替えろ。今日は御馳走だぞ!」
「朝から?」
「朝からだ!」
「母様に怒られない?」
「今日は特別だからいいんだよ」
「あなた」
廊下の向こうから母様の声がした。
「朝からお菓子を食べさせるつもりではありませんよね?」
「……朝食の後だ!」
父様はすぐに言い直した。
◇
楽しみがある日の一日はそれまでが存外長く、楽しみ自体は一瞬の刹那のように終わる。
今日は楽しみで朝早く起きてしまい、ずっと夜の誕生日パーティーを楽しみに過ごしていた。
それは、きっとルディも少し引くほど。
俺は一日のソワソワが抑えきれず、ルディを筆頭に、グレイラット家にいるみんなに対して「夜っていつから?」、「夕食はなに?」、「夜はまだ?」と同じことを延々と言っていたらしい。
そして、待ち望んだその時間はようやく来た。
居間は、普段とはまるで違っていた。
壁には色とりどりの布が飾られ。
机には焼きたてのパンや肉料理、果物が並んでいる。
村やうちの庭の、母様の家庭菜園で採れたものばかりなのだろう。
いつもご飯は美味しいが、普段の食卓より遥かに豪華だった。
部屋の中央には、五本の細い蝋燭が立てられている。
俺とルディのために、五本ずつ。
「すごい」
思わず声が漏れた。
「リーリャと一緒に、昨日から用意したのよ」
母様が嬉しそうに笑う。
「一部はロキシー様にも手伝っていただきました」
リーリャが言う。
「先生も?」
「私は氷を作って、食材を保存したり、食材の上の飾りを並べた程度です」
ロキシー先生はいつも通りの無表情だった。
けれど、少しだけ胸を張っているように見える。
「ありがとう、ロキシー先生」
「ありがとうございます、先生」
「どういたしまして」
俺たちは机の前へ並んで座った。
父様と母様。
リーリャ。
ロキシー先生。
家族全員が揃っている。
俺とルディのためだけに、これほど大勢が準備をしてくれた。
胸の奥がとても温かくなった。
「では」
父様が木杯を持って立ち上がる。
「ルーデウス、ゼディウス!五歳の誕生日、おめでとう!」
「おめでとう」
「おめでとうございます」
朝のように父様はまた祝ってくれる。
「二人とも、よくここまで元気に育ちましたね」
皆が杯を上げる。
俺とルディも果実水の入った杯を掲げた。
「ありがとう!」
「ありがとうございます」
杯を合わせる。
カラン、と木の軽い音が鳴った。
◇
食事が終わると、父様が待ちきれない様子で立ち上がった。
「よし!」
「まだ後片付けが終わっていません」
リーリャが言う。
「プレゼントぐらいいいだろ」
「まずは食器を──」
「リーリャ、今日はいいわ」
母様が笑う。
「二人とも朝からずっと気にしているもの」
「俺は気にしてないよ」
俺が言う。
「ゼディは、食事中に父様の後ろの布包みを十五回見ていました」
ルディが告げ口した。
「数えてたの?」
「ええ」
「ルディも十二回見てたよ」
「数えていたんですか?」
「うん」
「……お互い様ですね」
父様の後ろには、四つの細長い包みが立て掛けられている。
何が入っているか。
形を見れば、大体分かった。
「まずは俺からだ!」
父様が一つずつ包みを手に取る。
「ルディ、ゼディ。前へ出ろ」
俺たちは並んで立った。
父様は少しだけ真面目な顔をする。
「五歳になった今日から、お前たちには本格的に剣術を教える」
渡された包みは、ずしりと重かった。
布を解く。
中から現れたのは、五歳児が持つにしては長く重い実剣と、短めの木剣。
実剣はきちんと職人によって鍛造されたのだろう。刃もついていた。
木剣とは違って、子供が持つようなものではない。
「男は心の中に一本の剣を持っておかねばならん、大切な者を守るには──」
……話がとても長い。
ルディもニコニコして聞いていたからか、父様も機嫌良さそうに話していたが、最終的には母様が「長い」と注意して話は終わった。
父様は苦笑しながら、必要な時以外はしまっておけと締めくくった。
恐らく、父様が与えたかったのは、剣を持つことへの自覚と覚悟なのだろう。
以前から、強くそのことについては聞いていたので今更かもしれないが、重要なことだ。覚えておこう。
練習用の木剣は握りやすいように柄が細く削られ、刃に当たる部分は平らに整えられている。
俺の身体に合った長さだった。
ルディの木剣も、ほとんど同じ。
けれどよく見ると、重さと握りの太さが少し違う。
「二人の身体に合わせて作った」
父様は得意そうに言った。
「ルディの方は少し軽く。ゼディの方は重心を前へ寄せてある」
「どうして違うの?」
「これまでの鍛錬を見て決めた」
父様が俺の木剣を指差す。
「ゼディは腰と足で振れる。少し重い方が、身体全体を使う感覚を掴みやすい」
次にルディのものを見る。
「ルディはまだ腕に頼るところがある。最初は軽い剣で、正しい型を覚えた方がいい」
「俺の方が非力ということですか?」
「五歳にしては十分だ。ただ、ゼディの方が身体を動かしてきた時間が長い」
ルディは少しだけ不満そうだった。
俺は木剣の柄を握る。
手に吸い付くようだった。
「父様が作ったの?」
「削ったのは俺だ。素材を選ぶのはリーリャにも手伝ってもらった」
「旦那様は途中で二本とも同じ形にされそうになりましたので」
「最後にはちゃんと分けただろ!」
「三度ほど削り直しましたが」
「細かいことはいいんだよ」
父様は咳払いをした。
「兎に角、さっきも言ったが剣は大切に使え。手入れを怠るな。剣は使い手の命を預ける相棒だ」
その言葉も重く感じた。
「うん。大切にする」
「ありがとうございます、父様」
父様は満足そうに頷いた。
◇
次は母様からだった。
「私からは、これよ」
母様が本を二冊持ってくる。
「本?」
「ルディはこっち、ゼディはこっちよ」
俺とルディはそれぞれ本を受け取った。
本は高価なのだ。
紙そのものが安くないうえ、文字を書き写すのにも時間がかかる。
家にあった五冊も、父様や母様にとって大切な財産なのだと聞いたことがある。
それを一人一冊。
母様が用意してくれた。
俺は慎重に本を受け取り、まじまじと表紙を見ていた。
濃い紺色の表紙に銀色の文字。装飾まで拘られたものだ。
丸い星と、いくつもの光が描かれている。
「『星々と空の記録』……」
「天体辞典よ」
母様が言った。
「以前、ゼディが空の星には名前があるのかって聞いていたでしょう?」
「覚えてたの?」
「もちろん」
俺は本を開く。
夜空に見える星。
季節によって変わる星座。
月の満ち欠け。
旅人が星を見て方角を知る方法。
昔の人が星につけた名前。
見たことのない図や星の名前、空の記録が、何ページにも渡って載っている。
「すごい……」
指で星図をなぞる。
「海について詳しい本と迷ったのだけれど、星は海を渡る人にも必要なのですって」
「じゃあ、海にも空にも使える?」
「そうね」
「ありがとう、母様!」
母様が俺のことを考えてくれて用意してくれたことを知り、その嬉しさで思わず本を胸へ抱えた。
母様が優しく頭を撫でてくれる。
「ルディの方は?」
ルディは既に本の中を開いていた。
俺の本とはまた違った色の本で、中には草花の絵。
「植物辞典ですね」
「薬草や毒草、それから食べられる植物も載っているそうよ」
ルディはぱらぱらとページを捲る。
「こういうのが欲しかったんです!」
「まぁ!」
母様はルディの満面の笑みにまた喜び、ルディを抱きしめる。
その反応に父様が言う。
「……剣よりも喜んでないか?」
「父様は話が長いのです。まあ、大事な話だったので良いのですが……」
「可愛くない奴だなぁ」
そう言いながら、父様は笑っていた。
「二人とも」
母様が俺たちへ言う。
「自分の本だけではなく、二人で交換して読みなさいね」
「うん」
「分かりました」
「ゼディは植物について学べるし、ルディも星や旅のことを学べるでしょう?」
ルディが俺の本を見る。
「後で貸してください」
「ルディのも貸して」
「汚さないでくださいね」
「ルディも」
「僕は本を汚しません」
「前に魔術教本を水で濡らしてた」
「……あれは事故です」
皆が笑った。
◇
「では、次は私からです」
ロキシー先生が席を立つ。
差し出されたのは、二つの小さめのロッドだった。
父様からの贈り物よりは短い。
俺たちの腕ほどの長さ。
手で持つ部分は木で作られ、先端には赤い魔石が嵌め込まれている。
大人の魔術師が持つ杖より、ずっと小さい。
けれど、玩具には見えなかった。
「先日作成したものです。ルディは最初から魔術が使えて、ゼディも初日から魔術ができたため失念していましたが、師匠は初級魔術が使える弟子に杖を作るものでした。申し訳ありません」
ロキシーは先日、ルディとの会話の流れで自分を師匠と呼ぶことを嫌がっていたように見えたが、そういう習慣とかはしっかりしておきたいのだろう。
真面目なところはしっかり真面目だからね。
「私が持つような本格的な杖よりは小型ですが、魔術を使う際にいろいろと補助してくれるでしょう。今の二人には、こちらが扱いやすいでしょう」
「二人とも同じ?」
「形は同じです。魔石も同程度のものを選びました」
俺は杖を持ち上げた。
軽い。
木剣とは違う。
握ると、手のひらから微かな温かさを感じる。
「赤い魔石」
「火の魔石?」
俺が聞く。
「色と属性は必ずしも一致しません」
「違うの?」
「その魔石は魔力を通しやすくするためのものです。ゼディが火を得意だから赤を選んだわけではありません」
当時の俺は、魔術では火が一番得意だったから、この時少し残念がってしまった。
「ただ」
先生が続ける。
「二本並べた時に、見栄えが良かったので」
「先生、可愛いと思ってない?俺たちのこと」
「実用品としてプレゼントの題材に選びました」
「赤いの可愛いね」
「実用品です」
先生は僅かに目を逸らした。
きっと、少しくらいは可愛さで選んだのだろう……。
多分、双子という可愛いキュートアグレッションだと思ってやがる。
アグレッション……はて。
「ありがとうございます、先生」
ルディが杖を掲げる。
「大切に使います」
「ありがとう、ございます。ロキシー先生」
こういう時くらい、恩師に対しては敬語の方が良いかとなぜかふと思ったので、慣れない言い方をしてみる。
「はい」
先生は小さく頷き、慣れていない言い方をする俺の頭を撫でながら、杖についての説明を続ける。
「杖は魔術師の道具です。しかし、頼りきってはいけません。杖がなくても魔術を使えるようにした上で、杖を使ってより正確に制御する。それが理想です」
「じゃあ、ずっと使わない方が強くなる?」
「そういう意味ではありません」
「難しい」
「道具に使われず、道具を使いこなせということです」
俺は木剣とロッドを見比べた。
右手に剣。
左手に杖。
両方を同時に持ってみる。
「何をしているのですか?」
「剣と魔術、両方使えるかなって」
「五歳のうちから、ずいぶん欲張りですね」
「駄目?」
「まずは一つずつ扱えるようになってください」
「はい」
その時はまだ、剣と杖を一つにする、なんて考えは浮かばなかった。
ただ、どちらかを置かなければならないのは少し不便だとこの時にうっすら思っただけだった。
◇
最後はリーリャだった。
「私からは、こちらを」
渡されたのは、柔らかな布に包まれた二組の手袋。
俺のものは濃い茶色。
ルディのものは黒に近い色だった。
「手袋?」
「魔物の皮を加工したものです」
「魔物?」
父様が得意そうに胸を張る。
「俺が少し前に討伐した、アサルトドッグの皮だ」
「犬なの?」
「普通の犬とは違うぞ。大人の腰ほどもある魔物だ」
「父様が倒したの?」
そういえば以前、数日家を空けるとだけ言って帰りがかなり遅いときがあったな。
あの日は少し遠出してたとだけ言っていたが、おそらくその日に狩ったのだろう。
アサルトドッグはアスラの西辺りに生息すると、以前ロキシー先生に聞いた。
「三匹まとめてな!」
「旦那様」
リーリャが静かに口を挟む。
「二匹です」
「……最後の一匹は、他の奴が仕留めた」
「最初から正しくお話しください」
「細かいことはいいんだよ」
「アサルトドッグの皮は、丈夫で柔軟性があります」
リーリャは説明を続ける。
「剣を握る時にも、杖を扱う時にも使えるよう、手の大きさに合わせて仕立てました」
手袋を嵌める。
柔らかい。
指を曲げても邪魔にならない。
木剣を握ると、素手より滑りにくかった。
「リーリャが作ったの?」
「はい」
「二人分?」
「お二人の手の大きさは、何度も測らせていただきました」
「いつ?」
「眠っている間などに」
まったく気づかなかった。
「ありがとう、リーリャ」
「ありがとうございます」
「大切に使っていただければ幸いです」
リーリャが穏やかに微笑んだ。
俺はもう一度、贈り物を見回す。
父様から木剣。
母様から天体辞典。
ロキシー先生からロッド。
リーリャから手袋。
どれも、俺たちの好きなものや、これから進もうとする道を考えて選んでくれたのだと分かる。
俺たちという人間を、皆が見てくれている。
そのことが何より嬉しかった。
◇
誕生日の翌日。
父様との本格的な剣術稽古が始まった。
「今日からは、遊びじゃないぞ」
父様は庭の中央に立ち、木剣を肩へ担いでいる。
俺とルディも昨日もらった木剣を持って並んだ。
手にはリーリャの手袋をはめている。
「まずは構えからだ」
父様が木剣を下ろす。
「剣術には、大きく分けて三つの流派がある」
以前から何度も聞いた名前だった。
「剣神流。水神流。北神流だ」
父様は一歩前へ出る。
「剣神流は、先に攻めて相手を倒す。速さと威力を重視する流派だ」
木剣を構える。
一瞬。
次の瞬間には、剣先が俺たちの目の前へ止まっていた。
風が遅れて頬へ当たる。
「水神流は、相手の攻撃を受け、流し、反撃する」
父様は自分へ木の棒を投げるよう、ルディに命じた。
ルディが棒を軽く放る。
父様の剣が動く。
棒は弾かれず、剣の表面を滑るように地面へ落ちた。
「北神流は、何でもありだ」
「何でも?」
「剣だけじゃない。罠も、投擲も、地形も使う。なんなら戦闘中に怪我を治すやつだっている。生き残って勝つための剣術だ」
「ずるい剣?」
「そう言う奴もいる。だが、実戦で死んだら終わりだ」
父様は俺たちを見る。
「俺は三つとも使える、が、お前らには剣神流と水神流を教えたいと思っている」
「北神流が一番バランスが良さそうですが……」
「バカ言え。さっきゼディもずるい剣と言っていたろ。あれは聞いただけでそう思わせるくらい、剣を持ってるだけ持ってるなんでもありで戦う別物だ」
父様はなにかと真っ直ぐな部分が多いからだろう。
北神流のようなルールを度外視に戦うものは嫌いなのだという。
「父様が一番よく使うのは剣神流?」
「剣神流だな」
「俺も剣神流がいい」
「まだ決めるな」
「どうして?」
「実際にやってみなけりゃ合う合わないは分からん」
父様は地面へ線を引いた。
「まず、足を肩幅に開けろ。利き足を半歩後ろへ」
言われた通りに立つ。
木剣を両手で持つ。
「柄を握り締めすぎるな。力を入れるのは、当たる瞬間だけだ」
父様が俺の腕へ触れ、角度を直す。
「ゼディ、肘を少し下げろ」
「こう?」
「そうだ」
次にルディを見る。
「ルディは腰が引けてる。前へ」
「この方が攻撃を避けやすいと思いますが」
「構えの段階から逃げることを考えるな」
「合理的な判断です」
「剣神流では不正解だ」
ルディは渋々、腰を前へ出した。
「では、素振りだ」
父様が正面へ立つ。
「クっと踏み込んでザンッ!って感じだ」
急に語彙力が消えた。
「急に言葉が死にましたね」
「死んだね」
俺たちの意見は満場一致だった。
父様、前から精神論とか筋肉で押し倒してたから予想はしてたけど、感覚派すぎる。
ただ、その感覚だけでも剣先は一切ぶれない。
「……お前らもやってみろ」
父様は何か言いたげだったが、説明できないことを自分でも悟り、半ば強制的に俺たちにも素振りをさせ始めた。
俺たちも振る。
ルディの剣は僅かに右へ逸れた。
俺の剣は──。
「……」
父様が黙った。
「父様?」
「もう一度だ」
「はい」
「二!」
振り上げる。
父様の動きを思い出す。
足で地面を踏む。
腰を回す。
肩。
腕。
最後に剣。
木剣は空気を切り、俺の正面で止まった。
「三!」
もう一度。
「四!」
もう一度。
「五!」
父様の声に合わせて振る。
不思議だった。
初めて木剣を持った気がしない。
これまでも剣を持つ真似は何度もしてきた。
父様の動きを見ながら、何も持たずに腕を振った。
枝を拾って真似をしようとして、母様に取り上げられたこともある。
本物の木剣を握るのは今日が初めてだ。
重さがある。
長さがある。
振れば身体が引っ張られる。
それなのに、どこへ力を入れればいいのか、どう動けば剣先が真っ直ぐ進むのか、自然と分かるような気がした。
「十!」
振り下ろす。
父様の眉が上がる。
「ゼディ」
「はい」
「今のを、もう一度やってみろ」
「一人で?」
「ああ」
木剣を構える。
振り上げる。
一歩踏み込む。
身体全体で振り下ろす。
剣先を止める。
先ほど父様が言った、相手の首の高さ。
「……もう一度」
同じ動きを繰り返す。
「今度は、少し速く」
「はい」
踏み込む。
振る。
びゅっ、と小さな音が鳴った。
父様が目を見開いた。
「父様?」
「お前、本当に初めてか?」
「木剣は昨日もらったばかりだよ」
「そうだよな……」
父様は顎へ手を当てる。
「これまで俺の動きを見ていただけか?」
「うん。剣を持ってない時も、真似はしてた」
「どれくらい?」
「毎日」
「毎日?」
「父様が稽古してる日は、だいたい」
父様が頭を抱えた。
「どうしたの?」
「いや……」
やがて、口元が大きく吊り上がる。
「ははっ」
「父様?」
「ははははっ!」
父様が大声で笑い始めた。
「何ですか、急に」
ルディが怪訝な顔をする。
「ゼディ!お前、才能あるぞ!」
「才能?」
「ああ!俺が今まで見た同い年の中じゃ、間違いなく一番だ!」
「父様が見た五歳児は何人いるんです?」
「細かいことを言うな、ルディ!」
父様は俺の肩を強く叩く。
「剣を初めて持って、これだけ身体全体を使える奴は滅多にいない。しかも、剣先がぶれない」
「でも、父様の真似しただけだよ」
「真似ができることがすごいんだ」
父様は自分の木剣を構えた。
「ゼディ、俺の動きを見ろ」
先ほどとは違う振り方。
右斜め上から、左下へ。
足を踏み替え、振った勢いを殺さず、次の構えへ移る。
「やってみろ」
「はい」
一度、頭の中で動きを思い返す。
右足。
腰。
肩。
剣。
振り下ろす。
少しだけ剣先が下がりすぎた。
「惜しい!」
「違った?」
「最後に手首が寝た。だが、初見でそこまでできれば十分だ」
「もう一回」
「ああ!」
二度目。
父様の動きに、さらに近づいた。
三度目。
剣先がほとんど同じ場所を通った。
父様は笑っていた。
これまで見た中でも、特に嬉しそうな顔だった。
「ゼディ」
「なに?」
「お前は俺より強くなるぞ」
「父様より?」
「ああ」
迷いのない答えだった。
胸が大きく跳ねた。
「本当に?」
「努力を続ければな」
父様は俺の頭へ手を置く。
「才能があっても、練習しなけりゃ何にもならない。だが、お前はもう何年も身体を作ってきた。人の動きを見る目もある。何より、できるまで繰り返すことを嫌がらない」
父様の手に少し力が入る。
「だから、俺より強くなれる」
「……うん」
「だが、焦るなよ」
「分かってる。休むのも鍛錬」
「覚えてたか」
父様は満足そうに笑った。
俺も笑った。
ルディを見る。
ルディは少し離れた場所で、俺の動きをじっと見ていた。
「ルディ?」
「何です?」
「一緒にやろう」
「やっていますよ」
「次、どっちが上手くできるか勝負」
「始めたばかりなのに、もう競争ですか?」
「嫌?」
「ルディは魔術が得意だもんな……剣は、嫌か?」
つられて父様も少し寂しそうにルディに聞く。
すると、ルディは木剣を構え直した。
「いいえ!剣術も学びたいです。どちらもそれぞれに活かせる点があるはずなので、どちらも学んで強くなります!」
ルディからの明るい返事はいつもより気持ちが良かった。
外に出るのが好きではなさそうだったけど、剣術は気のせいかもしれないが、負けないぞという意思を感じた。
「魔術ならルディの方が強いから、剣術は負けない」
「そういうことです。僕も、ゼディに負ける気はないですよ」
お互い、少し負けず嫌いな顔だった。
「二人とも、喋ってないで続けるぞ!」
「はい!」
「はい」
父様の号令で、素振りを再開した。
剣を振る。
何度も。
何度も。
昨日もらったばかりの木剣が、もうずっと前から自分の手にあったように感じた。
◇
剣術が本格的になったのと同時に、魔術の授業も変わった。
ロキシー先生が来て、もうかなり経つ。
去年くらいだろうか、俺とルディはその時には上級魔術が使えるように成長していた。
もっとも、俺はその地点で火と風と土は使いこなせるものの、水はまだだったが。
ルディはその時から既に、火、水、風、土の攻撃魔術を上級まで扱える。
しかも無詠唱。
魔術の大きさや速度を変え。
複数の術を組み合わせ。
本に載っていない使い方まで考え出す。
俺は少し遅れていた。
水だけは、どうしてもルディほど滑らかに扱えない。
上級水魔術も使える。
激しい水流を作ったり、氷の塊を生み出すみたいな応用もできるにはできる。
けれど、同じ術を使っても、ルディより僅かに詠唱後の制御に時間がかかる。
先生には、十分早いと言われている。
それでも隣にルディがいると、差はよく分かった。
火なら逆だった。
炎を細く、広く、熱く、弱く……。
形を変えながら動かすことができる。
上級火魔術は、去年の誕生日を迎える少し前に合格をもらった。
土と風も、その後に続いた。
水はもう少し時間がかかったが、後々合格をもらえた。
そして五歳になった今。
「2人は上級魔術を去年修得しましたね。元より応用はルディがやり方に気付いていたこともあるので、ルディがゼディに教え始めたことをきっかけにやっていましたから、私から教えられることは座学と2人がまだ知らない応用くらいです」
ロキシー先生が言った。
庭には、沢山の魔術の跡が残っている。
濡れた地面。
切り裂かれた丸太。
隆起した土。
焦げた岩。
俺は昨日もらったロッドを持っていた。
赤い魔石が、夕日に照らされて光っている。
「なんで急にそんなこというの?」
ロキシーの「くらいです」の言葉は少しマイナスに受け取ることができた。
なぜ急にそんなことを言うのか。
少し、嫌な予感もした。
「上級魔術を修得したことで、私が教えられる基礎は一通り終わりました」
ルディの顔から笑みが消える。
俺も先生を見る。
「終わり?」
「基礎が、です」
先生は訂正する。
「魔術に終わりはありません。上級より上には聖級、王級、帝級、神級があります。複合魔術、治癒魔術、召喚魔術、結界魔術など、私が詳しく教えられない分野もあります」
「じゃあ、まだ先生に教えてもらえる?」
聞くと、先生は少し黙った。
そして、何か決意したように俺たちを見る。
「二人には、明日、卒業試験を受けてもらいます」
「卒業?」
「はい」
「先生、いなくなるの?」
口から先に言葉が出た。
先生の目が僅かに揺れた。
「まだ決まっていません」
「でも、卒業したら終わり?」
「まず試験に合格してから考えてください」
「何をするんです?」
ルディが尋ねる。
先生は俺たちを見比べる。
「実戦的な魔術を一つ使ってもらいます」
「上級魔術?」
「いいえ」
先生は静かに答えた。
「聖級水魔術です」
「聖級……」
上級より一つ上。
先生が得意とする水魔術。
「二人には、わたしの詠唱を聞き、魔術が発動するまでを見てもらいます。そのうえで、術の構造と魔力の流れを理解してもらいます」
「一度見て覚えるの?」
「完全に再現しろとは言いません」
先生は俺を見る。
「特にゼディウスは、水魔術をあまり得意としていません」
「やっぱり俺の方が不利?」
「魔術師は、自分の不得意を理解したうえで、どう補うかを考える必要があります」
「ロッドを使ってもいい?」
「もちろんです。そのための贈り物でもあります」
手の中のロッドを見る。
赤い魔石。
火を使う方が、俺にとっては簡単だ。
けれど試験は水。
先生が一番得意とする魔術。
「合格したら?」
俺が聞く。
「二人を、私の教え子として認めます」
「今までは違ったの?」
「正式には、まだ生徒です」
「教え子と生徒、違う?」
「私の中では違います」
先生の表情は真剣だった。
「合格すれば、二人はもう、子供だから教わるだけの存在ではありません。一人の魔術師として、自分で考え、進む段階へ入ります」
一人の魔術師。
その言葉が胸へ落ちる。
五歳になった。
剣をもらった。
本をもらった。
杖をもらった。
手袋をもらった。
皆から、これから先へ進むための物を受け取った。
そして今度は、先生から、次の世界へ進む資格を試される。
先生に、恩師に報いたいと思うのが生徒というものだと、なんとなく感じるから。
「やる」
俺はロッドを握る。
「卒業試験、受ける」
「僕は……」
ルディは何やら少し悩んでいるようだ。
「では、明日の朝に出発します」
「出発?」
「家の近くでは使えません。聖級魔術は、上級までとは規模が違います」
「どこへ行くの?」
「村から離れた、広い草原です」
外。
まだ行ったことのない場所。
先生とルディと一緒に、家を離れる。
胸が高鳴った。
「遠い?」
「子供の足なら、少し歩きます」
「走ってもいい?」
「試験前に疲れるので、パウロさんに馬を借りて向かいます」
「はい」
「それから今夜は早く眠ること。魔術の自主練習も禁止です」
先生がルディを見る。
やはり少し様子がおかしい。
……震えているのだろうか。
「僕は……外でやるなら行けません」
行きません、ではなく、行けませんと言ったことに妙に引っかかった。
「なんで?」
ずっと外を嫌悪してきたルディを知っているので、これまでは無理やり聞くことはしてこなかったが、俺は流石に言い方とタイミングが気になってしまい、ついにそのことを聞いてしまった。
「……ゼディにはわからないですよ」
わからない、わからないなら
これまで一緒に生きてきた双子だからこそ、あんな言葉で言われると理解したい、そう傲慢ながらにも思ってしまった。
それに、
「ロキシー先生の言ってくれたこと、わからなかったの?」
「ちょ、ゼディ……私は別にそんな難しいことは言ってないですよ。二人が喧嘩をしないでください」
少し意地悪な聞き方をしたと思う。
ロキシーが止めるほどだ。
今日の俺は少しルディに強く言ってしまってるかもしれない。
いや、いつもに比べればだいぶ、か。
これまで言ってこなかった反動もあるからかもしれないが。
「
……泣きそうな声だった。
ルディが珍しく、俺以外の前で感情をむき出しにしかけた。
これまでも、二人きりの時くらいならなかったわけじゃない。
俺たちだって、この五年を一緒に過ごしてきた兄弟だ。
しかも双子。
ロキシー先生が来てからの二年は、同じ部屋で寝起きしている。
以前より日常的に会話が増えた。
魔術の話。
本の話。
父様の愚痴。
母様の料理。
リーリャに叱られたこと。
たまには、頭を使わないただの馬鹿みたいな話もする。
眠りに落ちる直前。
考える余裕がなくなった時。
ルディは時々、素を見せた。
ルディの一人称は、本当は俺だ。
敬語だって使わない。
俺は以前から、ルディが日常的に良い子でいようとしているのを知っていた。
僕と名乗り、丁寧に敬語で話す。
父様と母様の望む、賢くて礼儀正しい子供を演じる。
あくまでも、僕で敬語のルディは仮面を被っている。
今、その仮面が一瞬だけ剥がれた。
「だったら、どうして」
「できないものは、できないんだよ!」
ルディの声が庭へ響いた。
父様も母様もリーリャも家の中だ。ここにはいない。
いるのは、俺とルディとロキシー先生だけ。
それでもルディは、自分が大きな声を出したことにすぐ気付いたらしい。
はっとした顔をする。
それから、俯いた。
「……すみません」
また、敬語に戻った。
仮面を被り直した。
「謝らなくていいよ」
「いえ」
「怒ってるんじゃないでしょ」
「怒ってません」
「じゃあ、怖いの?」
ルディの肩が僅かに震えた。
答えは、それで十分だった。
ずっと外を嫌がっていた。
窓際へ誘っても来ない。
庭へ呼んでも断る。
父様の鍛錬も、家の外で行う時は渋々だった。
それでも俺は、外が嫌いなのだと思っていた。
人混みが嫌い。
風が嫌い。
虫が嫌い。
土で服が汚れるのが嫌い。
そんな理由だと。
でも違う。
嫌いなのではない。
怖いのだ。
「何が怖いの?」
「分からないと言ってるでしょう」
「教えてくれないと、分からない」
「だから、ゼディには分からないんですよ」
「分からないなら、分かるまで聞く」
「しつこいです」
「ルディが言わないから」
「言ったって、どうにもならない!」
もう一度、声が大きくなる。
「外に出たら……」
そこで言葉が止まった。
ルディの両手が、小さく握り締められている。
「外に出たら?」
「……」
「ルディ」
「笑われるかもしれない」
小さな声だった。
静かにしていなければ聞き逃すほどに。
「誰に?」
「知らない人に」
「なんで笑われるの?」
「知りません」
「何もしてないのに?」
「何もしてなくても笑う奴はいるんですよ!」
ルディが顔を上げた。
目が赤くなっていた。
「何もしてなくても、見た目が変なら笑う。動きが変なら笑う。喋り方が変でも笑う。失敗すれば笑う。逃げても笑う。反応したらもっと笑う!」
それは五歳の子供が口にするには、あまりにも具体的だった。
この世界で、ルディはそんな目に遭っていない。
村の人たちは、俺たちをパウロとゼニスの息子として可愛がってくれる。
父様と一緒に庭に出れば、声を掛けられることはあっても、馬鹿にされたことはない。
それなのに、ルディは知っている。
何もしていなくても、人は人を笑うことがあると。
「誰かに、されたの?」
俺が聞くと、ルディは口を閉じた。
まずいことを言ったような顔をする。
「……本の話です」
「どの本?」
「忘れました」
「家にそんな本ないよ」
「昔、読んだんですよ」
「昔って、いつ?」
「……」
ルディは答えなかった。
俺の胸の奥で、何かが引っかかった。
ルディには、俺の知らない昔がある。
そんな気がした。
それは俺にもある。
夜でも明るい街。
真っ直ぐな道。
知らない建物。
今はもうほとんど思い出せない、どこか別の場所。
俺は忘れた。
ルディは、覚えているのだろうか。
けれど、それを今聞いてはいけない気がした。
ルディの顔を見れば分かる。
これ以上踏み込めば、今度こそ本当に扉を閉ざしてしまう。
「笑われたくないの?」
「当たり前でしょう」
「俺が一緒でも?」
「ゼディが一緒だからこそ、嫌なんです」
予想していなかった答えだった。
「なんで?」
「比べられるからです」
ルディは吐き捨てるように言った。
「ゼディは外が好きで、走るのも速くて、父様の剣術もすぐ覚える。人と話すのも平気で、誰とでもすぐ仲良くなる」
「誰とでもではないよ」
「同じです」
「同じじゃない」
「俺から見れば同じなんですよ!」
また、俺と言った。
「俺が外で動けなくなっている横で、ゼディは普通に歩く。俺が怖がっているのに、ゼディは楽しそうに笑う。どうせ皆、同じ双子なのにって思う」
「俺は思わない」
「他の人は思うかもしれない」
「先生も?」
「……」
ルディがロキシー先生を見る。
先生は黙っていた。
いつものようにすぐ答えなかった。
少し考えてから、静かに口を開く。
「比較しない、と言えば嘘になります」
ルディの顔が強張る。
「二人は双子です。同じ年齢で、同じ授業を受けています。どちらが何を得意としているか、教師である以上、見なければなりません」
「ほら」
「ですが」
先生は続けた。
「優劣を決めるために比べているわけではありません」
「同じでしょう」
「違います」
ロキシー先生ははっきり言った。
「ルーデウスは、水魔術の制御と魔術構造の理解に優れています。ゼディウスは火魔術への適性と、身体を通じて感覚を掴むことに優れている」
先生は俺たちを交互に見る。
「違うものを、同じ基準だけで測ることはできません」
「でも、試験は同じです」
「同じ魔術を見るだけです。私は二人に、まったく同じ結果を求めているわけではありません」
「……」
「今回の目的は、聖級魔術を使えるかどうかだけではありません。大規模な魔術を見て、何を感じ、何を理解し、自分ならどう扱うかを考える。その過程を見ます」
先生は杖を地面へ突いた。
「それに」
少し間を置く。
「外へ出られない生徒を、無理やり連れ出して試験をするつもりもありません」
「じゃあ、行かなくていいの?」
「延期します」
ルディが顔を上げる。
「二人とも、です」
「俺も?」
思わず聞いた。
「はい。卒業試験は二人一緒に行うつもりでした」
「俺は行けるよ」
「ですが、今の状態でルーデウスを置いていけば、ゼディウスも試験に集中できないでしょう」
否定できなかった。
たぶん、ずっとルディのことを考える。
俺だけが先生と外へ出たら……。
帰ってきた時、ルディがどんな顔をするか考える。
羨ましいと思うか。
安心するか。
置いていかれたと思うか。
……試験どころではない。
「……うん」
「ですので、今日は中止です」
「すみません」
ルディが言った。
「謝る必要はありません」
「でも、俺のせいで」
「教師が生徒の状態を見誤っただけです」
先生は自分の責任だと言うように、淡々と答えた。
「外で行うと伝えれば、多少嫌がるとは思っていました。ですが、ここまで強く拒むとは考えていませんでした」
「先生は悪くないよ」
俺が言う。
「ルディが何も言わなかったから」
「ゼディ」
「だってそうでしょ」
「だからって──」
「でも俺も悪い」
言葉を重ねる。
「ずっと気付いてたのに、聞かなかった」
ルディは外が嫌い。
そう決めつけていた。
無理に聞かない方が優しいと思っていた。
聞けば困らせる。
触れなければいい。
そうやって、自分が踏み込むのを怖がっていただけかもしれない。
「俺、ルディが話したくないなら、それでいいと思ってた」
「それでよかったんですよ」
「よくない」
「どうして」
「今日みたいになるから」
言葉にしないままだった。
分かったつもりになって、いつか一緒に外へ出られると、勝手に思っていた。
「ルディ」
「何ですか」
「俺、外が好き」
「知っています」
「先生と試験に行きたい」
「……行けばいいでしょう」
「でも、ルディとも行きたい」
「俺は行けません」
「今すぐじゃなくていい」
「いつならいいんですか」
「分からない」
「無責任ですね」
「でも、待てる」
ルディが黙った。
「行けるようになるまで待つ」
「そんなの、いつになるか」
「いつでもいいよ」
「十年後かもしれない」
「十年は長いね」
「だったら」
「でも待つ」
「……どうして」
「双子だから」
口にしてから、少し違うと思った。
「いや、それだけじゃない」
兄だから。
家族だから。
大切だから。
いろんな言葉が浮かぶ。
でも、今の俺が一番言いたいのは、もっと単純なことだった。
「ルディと一緒に行った方が楽しいから」
「……」
「先生と俺だけでも楽しいと思う。でも、ルディがいたらもっと楽しい」
「試験ですよ」
「試験でも」
「遊びじゃないんですよ」
「知ってる」
「なら」
「怖くなったら、俺の服掴んでいいよ」
「は?」
ルディが間の抜けた声を出した。
「手でもいい」
「子供じゃないんですよ」
「五歳だよ」
「ゼディもでしょう」
「俺は外平気だから」
「……馬鹿にしてます?」
「してないよ」
「してるように聞こえます」
「じゃあ、俺がルディの服を掴む」
「どうしてですか」
「一人じゃないって分かるでしょ」
「意味が分かりません」
「分かるまでやってみよう」
「勝手に決めないでください」
ルディの声から、少しだけ力が抜けた。
怒っているような顔。
困っているような顔。
泣きそうな顔。
いろいろ混ざっている。
「ルディ」
「何ですか」
「外に出たら、絶対笑われる?」
「……分かりません」
「誰かが笑ったら?」
「嫌です」
「俺が怒る」
「ゼディが怒っても、笑われた事実は消えません」
「じゃあ、先生も怒る」
「わたしまで巻き込まないでください」
先生が言う。
けれど、すぐに続けた。
「理由なく生徒を嘲笑する者がいれば、注意くらいはします」
「ほら」
「先生は大人だからでしょう」
「俺もいつか大人になる」
「今は子供です」
「ルディも」
「だから何ですか」
「子供なら、怖がってもいいんじゃない?」
ルディの口が止まった。
俺はそう思った。
怖がることを、ルディは恥ずかしいと思っている。
外へ出られない自分は、駄目だと思っている。
俺なんかと比べて、父様が望む子供と比べて、自分を弱いと思っている。
「怖いなら、怖いって言っていいよ」
「言ったところで、何も変わりません」
「俺が分かる」
「ゼディに分かられて、何になるんです」
「次から、勝手に誘わない」
「……」
「でも、一緒に行きたい時は聞く」
「同じでは?」
「違うよ。嫌いだから行かないのか、怖くて行けないのか分かったから」
これまでは、断られれば終わりだった。
でも今は違う。
怖いなら、どうすれば怖くないか、一緒に考えられる。
「試験の場所まで、どれくらいかかるの?」
俺は先生へ聞いた。
「大人の足で一時間ほどです。馬だと、三人乗るので、20分ほどではないでしょうか」
「村の人に会う?」
「時間帯によっては」
「森を通る?」
「街道から少し外れますが、危険な森ではありません」
「家が見えなくなる?」
「途中からは見えなくなります」
ルディの顔が、質問のたびに強張っていく。
どれが怖いのか。
全部なのかもしれない。
「最初は、庭の外だけにする?」
俺が言う。
「庭の外?」
「門のところまで」
「そんなことで何が変わるんです」
「分からない」
「またそれですか」
「でも、家から試験の場所まで一気に行くより短い」
先生が少し考える。
「段階を踏む、ということですか」
「うん」
「明日は門まで。その次は家が見えるところまで。その次は村の道を少し歩く」
「子供の散歩ですね」
ルディは皮肉っぽく言った。
「五歳だからね」
「……」
「嫌なら、やめる」
無理に連れていくつもりはない。
それだけは伝えたかった。
「でも、やってみたいなら一緒に行く」
「ゼディ」
「なに?」
「どうしてそこまで」
ルディは、続きを言わなかった。
どうしてそこまで自分に構うのか。
そう聞きたかったのだろう。
「ルディが兄だから」
「それだけですか?」
「友達でもあるから」
「友達」
「違う?」
ルディはすぐに答えなかった。
俺たちは兄弟。
双子。
家族。
それだけではなく、一緒に本を読み、一緒に魔術や剣術を習う。
ご飯も食べる。
夜にくだらない話をする。
それは友達とも言えるのではないか。
「……分かりません」
「じゃあ、今決めよう」
「何をです」
「友達かどうか」
「そんなもの、決めるものですか?」
「俺は友達だと思ってる」
ルディは困ったように先生を見る。
助けを求めたのだろう。
けれどロキシー先生は、僅かに口元を緩めただけだった。
「兄弟同士で決めてください」
「先生」
「わたしは口を挟みません」
ルディはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……友達でいいです」
「いいの?」
「嫌なら言ってます」
「じゃあ、兄で友達」
「随分と欲張りですね」
「ルディも俺を弟で友達にしていいよ」
「許可されなくても、弟でしょう」
「友達は?」
「……それもです」
聞こえるか聞こえないかの声だった。
俺は笑った。
「じゃあ明日、門まで行こう」
「まだ行くとは言ってません」
「行かない?」
「……」
ルディは門の方を見る。
庭の端。
その向こう。
何度も目にしているはずの場所。
それでも、彼にとっては遠いのだろう。
「ゼディ」
「うん」
「途中で戻ると言ったら、戻りますか」
「戻る」
「笑いませんか」
「笑わない」
「父様たちには」
「俺から言わない」
「先生は?」
「わたしも、必要以上に話しません」
ロキシー先生が答えた。
ルディはもう一度、門を見る。
怖いのだと思う。
それでも。
「……門までなら」
ようやく、そう言った。
「うん」
「試験ではありませんよ」
「分かってる」
「ただの確認です」
「うん」
「駄目だと思ったら、すぐ戻ります」
「戻ろう」
「ゼディ」
「なに?」
「何でも、うんと言えばいいと思っていませんか」
「思ってないよ」
「顔が笑っています」
「嬉しいから」
「まだ門までです」
「でも、ルディが行くって言った」
「……そうですね」
ルディは小さく笑った。
仮面を被った、丁寧な笑い方ではない。
同じ部屋で眠る前、二人きりの時にだけ見せる、少し不器用な笑顔だった。
それを見て、俺は少しだけ安心した。
「ようやく、話がまとまりましたね。二人とも、お互いの意見が尊重できて立派です」
そう言ってロキシー先生は、不器用そうに俺たちの頭を撫でてくれる。
「私は二人に聖級魔術を見せるためだけに、ここで教師をしているわけではありません」
先生はルディへ視線を向ける。
「できないことを、できるようにする方法を一緒に考える。それも教師の役目です」
「……」
「ゼディウスは、あなたが歩き出すまで待つと言いました」
「はい」
「私も待ちます」
その言葉は、ロキシー先生なりに最大限にあたたかかった。
先生らしい。
静かで、逃げ道を残しながら。
それでも、進む方角を示してくれる言葉だった。
「あなたが進めないなら、そこで止まります」
先生は続ける。
「ですが、少しでも進みたいと思っているなら、わたしは背中を押します」
ルディが俯く。
長い沈黙。
風が庭を通り抜ける。
木々の葉が揺れる。
俺は何も言わなかった。
今は待つべきだと思った。
さっきまでの俺なら……。
行こう。
大丈夫。
俺がいる。
そう何度も言っていたかもしれない。
でも、最後に決めるのはルディだ。
俺でも先生でもない。
「……ゼディ」
「うん」
「本当に、一緒に来ますか」
「行くよ」
「ずっと隣に?」
「馬に乗ってる間は、先生の近くになるかも。」
「なんで僕が一番前前提なんですか!……そういうことではありません」
多分ロキシー先生の近くにもいたいだろうから少し冗談を言う。
「分かってるよ」
ルディは安心したような、でも心配なような顔をいったりきたりする。
「途中で、俺がみっともなくなっても」
「笑わない」
「動けなくなっても」
「待つ」
「帰ると言ったら」
「一緒に帰る」
「試験を受けられなくても?」
「また今度やればいい」
ルディは唇を噛んだ。
「ロキシー先生」
「はい」
「先生も、本当に戻ってくれますか」
「もちろんです」
「怒りませんか」
「怒りません」
「呆れませんか」
「呆れません」
「……失望は?」
先生は少し考えた。
「しません」
「すぐ答えなかった」
「軽々しく答えて、信じてもらえなければ意味がありませんから」
先生は膝を曲げ、ルディと同じ高さまで目線を下げた。
「あなたが外へ出られないことと、魔術師としての才能は別です」
「でも、魔術師は外で戦うこともあるでしょう」
「その時までに出られるようになればいい」
「ならなかったら?」
「外へ出ずにできる仕事を探します」
「そんな魔術師、いるんですか」
「いなければ、あなたが最初になればいいでしょう」
ルディが目を見開いた。
「できないことが一つあるだけで、他の全てまで諦める必要はありません」
先生は立ち上がる。
「明日は、まず、門を目指します」
ルディの肩が僅かに強張った。
「その後、どうするかはその時に決めましょう」
「……」
「試験の場所まで進んでもいい。途中で止まってもいい。家へ戻っても構いません」
先生は静かに付け加えた。
「明日すべきことは、門に絶対辿り着くということではありません」
「では、何を」
「あなた自身が、どう進みたいか決めることです」
ルディはしばらく動かなかった。
庭の門を見る。
その先の道を見る。
最後に俺を見た。
「ゼディ」
「なに?」
「手を」
俺は迷わず、すぐに手を差し出した。
ルディは一瞬だけ迷い、俺の手を握った。
強かった。
痛いくらいに。
「明日」
小さな声だった。
けれど、はっきりしていた。
「行きます」
「まずは門まで」
「途中で無理になるかもしれません」
「うん」
「でも」
ルディは息を吸った。
「行けるところまで、行きます」
ロキシー先生が頷いた。
「それで十分です」
「怖くなったら」
先生が続ける。
「馬の上で、わたしのローブを掴んで構いません」
「子供みたいです」
「五歳でしょう」
「ゼディと同じことを言わないでください」
「正しいことは、誰が言っても同じです」
ルディは先生のローブと俺を見た。
明日、その手で掴むことになるのかもしれない。
「ゼディ」
「うん」
「明日、話をしていてください」
「何の?」
「何でもいいです」
「星の話?」
「それでも」
「植物の話もする?」
「それでもいいです」
「父様の変な動きの話は?」
「それは聞きたいです」
ルディが少しだけ笑った。
俺も笑う。
怖さが消えたわけではない。
外を好きになったわけでもない。
それでも、俺と話し合って、先生の言葉に背中を押され、ルディは自分の意思で、翌日進むことを選んだ。
兄を守るということは、無理に前へ引っ張ることではない。
兄の隣に立ち、時には手を握り、時には黙って待ち、それでも進みたいと願った時に、その気持ちを信じることなのだろう。
そして、背中を押す人は一人でなくていい。
俺が隣にいてロキシー先生が前を示す。
父様と母様とリーリャが、帰る場所を守っている。
だからルディは、恐怖を抱えたままでも、進むことを決められた。
卒業試験は、また今度。
聖級魔術を見るための試験。
俺にとっては凄く難しい試験。
ルディにとっては、どうだろうか。
俺からしたらロキシー先生は本当にすごいのに、その先生が五歳児の枠に収まりきらない天才と認めるルディ。
きっと外に出て試験さえ受ければ、簡単にこなしてしまうのだろう。
……けれどルディにとっては、家の外へ踏み出すことそのものが、すでに、どんな魔術よりも難しい試験の始まりだった。