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桃乃は行きつけのラーメン屋に足を運んでいた。
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ここに来るのは、今週で四回目である。しかも、本日は火曜日。それが意味するのは、桃乃は週一どころか、日曜日は昼夜で二回も通っているということである。
それすなわち、桃乃はラーメン店〈珍道獸〉に週八で通う常連客という事実に他ならなかった。
店の前に着いた。
入り口の前には〈珍道獸〉と書かれた暖簾があるため、右手の甲で上げ、左手がその引き戸を横にずらす。
寂れた雰囲気の店内が視界に広がった。
カウンター越しの厨房に大将の背中を見て、視線を一周させる。大将と桃乃以外、店内には誰も居なかった。まあ、ここは人通りが少ないし、特別有名な店でもなかったので、それ自体は別に珍しいことでもなかった。
小洒落た椅子なんて一つもない、まさに骨董品というべき椅子が並ぶカウンターに桃乃は座った。
「大将、濃厚豚骨珍道獸ラーメン」
「あいよ」
このゆったりとした時間、桃乃は一人で愉しんだ。
桃乃が初めてこの店に訪れたときも、お客は誰もいなかった。とある事情から甘いものばかりを食べていたため、脂っこいものが恋しくなっていた。一番早く目についたラーメン屋がここで、砂漠で渇死に瀕する彷徨者がオアシスを見つけたように、桃乃は店に飛び入り、スタンダードな珍道獸ラーメンを頼んだ。
こってりとしたスープには色とりどりの具材が浮かび、黄色い麺が底にたまっていた。
その美味しさは今も覚えていた。箸が止まらず、食べるのに夢中でかなり意地汚い食べ方になっていたことに完食後気づき、少し恥ずかしい思いもした。
今ではいい思い出だと、美化している自分が少し怖いものの、桃乃は今日もこの店に来たのだ。
ラーメンを待っていると、がらがら、と引き戸が引かれた音が聞こえた。
私以外にお客さんなんて珍しいな、と思いながらそのほうに振りかえる。
赤い髪のショートヘアが最初に目に入り、次に全体を見ようとしたが、長身すぎて全体が収まらない。そして顔、もうわかった。
紅野、という名前が頭に浮かんだ。
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驚きのあまり、言葉にならないうめき声を上げ、椅子ごと後ろに倒れた。
そう思ったのだが、転ばなかった。
変な姿勢で、背中から何かに支えられていた。
この状態で、首と目を動かす。
紅野が、身を挺してその肉体で桃乃を支えていた。
「大丈夫ですか?」
「紅野さん、な、ななな、なんでここに!?」
椅子ごと後ろに仰け反った格好で桃乃は言った。
「い、いや」
冷静になって、紅野を見た。
青くなるほどやつれていた。
「どうしたんですか、顔色悪いですよ」
「いや、まあ、色々あって」
とりあえず、傾いた体は地に足をつけ、静かな時間が流れて、「話聞きますよ」と桃乃の口が言った。
二人が並んで、カウンターの前の椅子に座った。
沈黙という時間、二人は微妙な空気を漂わせていた。それもそのはず、桃乃と紅野はこれが初めての出会いではない。
桃乃はひどい詐欺に遭った。
いいバイトがあると黒服の人にホイホイ着いていき、路地に入った辺りで背後にいたであろうもう一人に眠らされ、気づけばデスゲームの会場へと移動していた。
〈ゴーストハウス〉と呼ばれるゲームに、桃乃は強制参加させられたのだ。
我ながら、おおばか野郎だと言わざるおえない。当時の桃乃には、そういう知識がなかったのだ。生まれたてのヒヨコのように、親から離れたら何もわからない。桃乃はそういう人間だった。
わんわん泣いた。ほかの参加者もいたというのに、そんなの気にせず泣いた。
今振り返っても、本当に恥ずかしい。何をやっているんだ、と桃乃は過去の自分に言い聞かせた。
そんな恥ずかしい女に、一人は桃乃が落ち着くまでたくさん励ましてくれた。
それが彼女、紅野だった。
ショートヘアの長身で、まるで王子様のようなかっこいい顔立ちが彼女の魅力である。
桃乃はそんな彼女と、参加者が六人から三人に減るまで、長くて短いような、そんな苦楽を共にした。
けれども、それから連絡などとれなかった。当然である。桃乃と紅野はその場でたまたま会っただけの他人であり、ゲームが終われば名も知らないどこかの二人になるだけだ。しかし、それだけではなかった。〈ゴーストハウス〉というゲームにおいて、最終盤の話だ。本来は四人でクリアするつもりであった。他の二人には申し訳ないが、生還率は七割ほどなため、これは仕方ないことだと桃乃のなかで割り切っていた。
今生きている人たちで帰ろう、そんな団結力が四人にはあった。
しかし、現実は非常。
ゴール前の上にある、三つのバッテンがついた、人の形をしたマークが二つ点灯していた。桃乃は察したため、現実逃避に必死だった。合計三人死ぬ必要があったのだ。その生きいる四人のプレイヤーのなかから、一人間引きしなければいけない。
現実逃避するだけで、時間は過ぎる。
もう、やるしかないのか? 桃乃と紅野の視線が合った。紅野の目は肉を求める野獣のようにギラついていた。おそらく、桃乃自身も同じ目をしていたのだろう。少しでも気を抜けば醜い争いが始まるような、そんな一触即発の空気感。最初に行動を起こしたのは、この二人ではなかった。
生き残ったプレイヤーの一人、このようなデスゲームを二十七回クリアし、〈ゴーストハウス〉で二十八回クリアとなったベテランプレイヤー、幽鬼。
残すこと最後となったプレイヤー、金子。
このゲームで歩けない状態となった金子は、幽鬼におぶられて出口まで来た。
そのため、金子は抵抗などできるはずもなく、そのまとわりつくようなか細い腕を、幽鬼はひっぱった。
仰向けになった金子は、幽鬼の体を支えてきた杖によって、首を折られた。
彼女は、幽鬼は、金子を手にかけたのだ。仕方がなかった、とはいえ、彼女は笑うことも、泣くことも、怒ることも、何もなく、ただ無表情に〈悪いね〉とだけ言って、ゴールしたのだ。
幽鬼のそんな常軌を逸した行動を前に、唖然とするばかりで、二人は何もできなかった。幽鬼がゴールした後も、そのまま気まずい時間が続き、桃乃が先にゴールした。紅野もすぐゴール。
それからの記憶は、二人にはなく。それぞれ車の中かベッドで眠っていた。
つまり、二人は殺し合いギリギリまでいきそうになった関係である。
友達の友達と二人きりとか、喧嘩別れした元恋人とたまたま出会ったとか、そんなのが生易しくみえてしまうほど、空気は悪かった。
気まずいなんてものではない。桃乃と紅野、さっきまでは勢いもあり話せたものの、どちらも口を閉ざし、なかなか話し出さない。本来なら「話聞きますよ」と言った桃乃がきりだすべきなのだろうか、それとも「話聞きますよ」という桃乃の言葉を聞いておいて何も話さない紅野が悪いのか、そんな思考を巡らせる桃乃である。
この空気に耐えられなくなったのか「あの」と紅野が口を開いた。
桃乃は受け身気味に「はい」とだけ返した。
「びっくりですよね、まさかこんなところで再会だなんて」
「そうですね」
少し一緒に居ただけの相手といえど、なんともよそよそしい会話だなと、二人は心で思う。
桃乃は、意を決して聞いてみる。
「紅野さんは、まだゲームやってるんですよね」
「⋯なぜそれを?」
「前、言ってたじゃないですか。借金返済にはまだ足りない、次のゲームに生き残るために勉強すると」
紅野は片手で頭を押さえ、はははと苦笑のような声を出す。
「そうでしたね、あなたとご一緒したゲームで、そう言ってました。」
桃乃は、その会話が途切れないように言葉を出す。「今は何回クリアしたんですか?」
「まだ三回クリアです。」
「三回⋯⋯」
桃乃が〈ゴーストハウス〉をクリアしてから、まだ一ヶほどであった。にも関わらず、桃乃の見ぬ間に増えたクリア回数は二回。
当然だった。桃乃もいたゲーム〈ゴーストハウス〉にて、ベテランの幽鬼は二週間のインターバルを空けてゲームに参加していると言っていた。つまり、紅野はその幽鬼の助言を信じ、二週間に一度だけゲームに参加しているのだろう。
「もしかして、三回目のゲームクリア帰りですか?」
「⋯⋯まあ、そうなりますかね」
「それで、なんでここに?」
「いや、私についてくれたエージェントの方が、結構大雑把な方でして⋯⋯中途半端な場所で降ろされました」
「は、はあ⋯⋯」
エージェントというと、桃乃を送り迎えしてくれたあの黒服の人のことだろうか。だとしたら、なんとも運の悪い人なんだ、と今にもその赤いショートヘアを撫でてやりたいと桃乃は思った。
「自業自得ですよね⋯⋯」
顔を手で覆い隠し、くぐもった声が桃乃に届いた。
「仲間に裏切られたのも、ゲームに参加したのも、借金を抱えたのも、全部全部全部全部⋯⋯」
次の言葉を発する前に、桃乃は行動を起こした。
紅野を前に抱えた。背中に手をやり、優しく撫でた。長身なのもあり、背中全体を撫でるのはなかなか難しかったが、腕が引きちぎれる覚悟で背中全体を撫でた。
「すみません、桃乃さん」
「謝らないでください。むしろ、私が紅野さんに謝りたいくらいです」
「⋯⋯⋯そうなんですか?」
「⋯⋯はい」
彼女の背中をさすり続ける間、静かな時間が続いた。
しかし、その空気は決して悪いものではなく、それは二人の表情が物語っていた。
落ち着いた様子の紅野は、また桃乃と横並びになった。
「さきほどはすみません。取り乱してしまって」
「いえいえ、私こそ、紅野さんには〈ゴーストハウス〉でたくさんお世話になりましたから」
「いや、あの程度のこと⋯⋯」
沈黙に、一拍おいて、桃乃は言った。
「どれほど参加されるおつもりで?」
「⋯⋯わかりません。ですが、まだ続けなければなりません。」
「⋯⋯まだお金が足りないのですか?」
「はい、それもありますが⋯⋯」
「⋯⋯ありますが?」
「まだ、幽鬼さんにお礼が言えてませんので」
桃乃は目をかっぴらいた。「幽鬼さんに?え、なんでですか?」
「それは⋯」と紅野はごにょごにょ口を動かしてから、はっきり言葉にした。
「金子さんを殺してくれた、お礼です」
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「⋯⋯はい?」目がまんまるになる。予想だにしない答えに桃乃の思考はフリーズした。
「⋯⋯理由を聞いてもいいですか?」
「簡単な話ですよ」と紅野が続け「幽鬼さんは金子さんと親しげに接していて、それは桃乃さんに対してもでした」
「確かに、そうでしたね⋯⋯」と桃乃は幽鬼にされたいかがわしい行為の数々を思い返しながら口にする。
「となると、必然的に、幽鬼さんの標的は私になるはずです」
「え、紅野さん長身ですよね?」
その言葉の意図は、力の強さのことである。体がデカければデカいほど、肉体的な戦いでは物理的にも精神的にもかなり有利である。そんな相手を、ベテランである幽鬼が狙うのか?
「確かに私は長身ではありますが、これは見かけ騙しです。いくらスタイルが良くても、当時のゲームスキルは無でしたから、幽鬼さんが本気を出せばあっという間に冥界送りですよ。言っていたでしょう? 私はあのゲームが一回目の初心者でしたから。」
「ああ」桃乃は納得した。
「ところで」と紅野が言ってきた。
「なんですか?」桃乃が言った。
「それ、食べなくて大丈夫なんですか?」
紅野が指さす方に顔を向ける。
「あ」と声が出た。
盛り盛りに具材が積まれた、濃厚豚骨珍道獸ラーメンが、桃乃のカウンターの前に置いてあった。彼女と話し込んでいて、気づかなかった。というか忘れていた。やってしまった。あわあわしている桃乃は急いで立ち上がり「すみません!」と厨房に向かって大声で叫んでしまった。なにがすみませんなのか、これでは大将には伝わらない。
やってしまった。やってしまった。と脳内がその言葉を繰り返すばかりだったが、奥から「ええよ」と返ってきて、ふう、と一息ついた。
隣から忍び笑いが聞こえてきた。
隣に顔を向けると、紅野が口元を腕で隠していたものの、緩みきった笑みまでも隠せていなかった。
それにつられてか、桃乃も「ふふ」と失笑をこぼした。
二人の表情がほころんでいた。
「紅野さんも食べますか? 私の少しわけましょうか?」
「いえ、流石に頼まなければ失礼でしょう。⋯⋯ただでさえ失礼を働いてるというのに⋯⋯」そう言ってから桃乃の器を指差して「大将、これと同じのをお願いします」
厨房に立つ大将が、紅野に一瞥をくれて、「あいよ」と厨房に向き直ってから言ってくれた。
紅野は。隣に視線を戻す。
紅野は唖然とした。
モリモリに積まれていた濃厚豚骨珍道獸ラーメンが、目を離した隙に具材も麺も半数以上が減っていた。
桃乃は。手をいっぱい動かして、「違います」とぶんぶん両手を振るってよく元気さが表れていた。
紅野はにっこりとした笑顔で「桃乃さん、かわいいですね」と言った。
静かな桃乃は、ぽこん、と紅野を叩いた。
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紅野も食事を終え、二人は店を出た。
「⋯⋯紅野さん」
「なんでしょうか?」
「⋯⋯まだ、生きててくださいね」
「⋯⋯」
「ふふ、またクリアしたら、土産話をもってきますよ」
にっこり笑って「ええ、待ってますね。この店で」
そのほころびを覚えたまま、己の道を踏みしめて、桃乃は帰路についた。
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