正義は六週間後に届く   作:何もない一般人

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独断専行 —— アルタイ強襲

 集計には二時間かかった。直近一年の特別行動部出動のうち、事後承認は四十一・三パーセント。人質、爆発物、進行中の銃撃事件が大半だった。越境案件はなかった。

 

 四十一・三パーセントという数字は、一枚の表では高く見えた。事案ごとに開くと、人質の首に刃物が当たっていた、商業施設で発砲が続いていた、爆発物の時計が動いていたという理由が並んでいた。承認を待てなかったことは、どの案件でも現場映像によって説明できた。

 

 アルタイの工場には現場映像がなかった。あるのは、押収箱の外面残留物、輸送書類、電力使用量の一致だけだった。映像を得るには、まず越境しなければならない。

 

 ミナは越境に近い事例を一件見つけた。逃走車両が学園境界を越え、追跡中の隊員二名が三百メートルだけ他自治区へ入った事件だった。処分は訓告。理由書には《追跡の連続性》と《侵害の軽微性》が挙げられていた。

 

 アルタイは境界から百八十キロ、計画段階から越境を前提にし、航空機と武器を用意する。連続追跡ではない。侵害も軽微ではない。似た事例を探す作業は、違いを列挙する作業になった。

 

「前例にはなりません」ミナが言った。

 

「分かっている」

 

「訓告では済みません」

 

「それも分かっている」

 

「分かっていて、行くんですね」

 

 シキは地図の施設を拡大した。衛星画像の撮影時刻は三日前。屋根の横に大型車両が二台写っていた。次の画像が撮られるのは一週間後だった。

 

「今ある情報で決める」

 

「緊急出動の例外であって、自治区境界の例外ではありません」ミナが言った。

 

「承知している」

 

 シキはアルタイ地区の衛星画像を机へ表示した。谷底に屋根が三棟、燃料タンクが一基、道路は一本。押収書類にあった冷却設備の消費電力と、地域配電網の負荷記録が一致する施設はそこだけだった。

 

「正規許可は間に合わない。輸送後は施設を空にできる。今夜入って、製造能力と出荷記録を確認する」

 

「隊長」ミナは言った。「これは事後承認の対象外です」

 

「報告には書く」

 

「書けば合法になるわけではない」

 

「ならない」

 

 シキは否定しなかった。

 

 参加の意思は一人ずつ確認された。命令扱いにしないという配慮には、法的な意味がなかった。小隊長の前で、装具が並び、作戦図が開かれている。部下が自由に拒否できる状況とは評価されない。それでもシキは聞いた。

 

 サキとハルには知らせなかった。二人は正規の倉庫突入に参加しただけで、アルタイへ連れていく理由はなかった。知らせれば、報告するか黙るかを選ばせることになる。知らない者は共犯にならない。シキはその判断を保護だと考えた。

 

 ノエは通信計画を二系統作った。海警局機との短距離回線と、四人だけの暗号化回線。公安局の中継局は使わない。中継局を使わなければ記録は残らないが、谷の地形で電波が遮られれば互いの声も届かない。便利さと痕跡は同じ設備から生じていた。

 

 ミナは救急資材を通常の二倍にした。止血帯、胸腔シール、輸液、保温シート。神秘場の薄い地域で生徒がどの程度出血するか、信頼できる統計はなかった。海警局の山岳救助記録を読み、基底世界の外傷基準に近い量を持った。

 

 リンは海警局の軽輸送ヘリを一機手配できると言った。整備飛行の計画を変更し、飛行記録には航法機器点検と記載する。パイロット一名は事情を知らされない。着陸地点まで飛び、エンジンを切らずに待機する。

 

 ミナは最後まで賛成と言わなかった。

 

「同行します。賛成ではありません」

 

「記録しておく」

 

「この作戦の記録自体が残らない可能性があります」

 

「私が覚える」

 

 その返答で、話は終わった。

 

---

 

 午前一時十三分、ヘリは谷の北側へ着陸した。気温九度。風は毎秒六メートル。ローターの吹き下ろしで乾いた土が舞い、暗視装置の像が数秒白くなった。

 

 パイロットは飛行前、航法装置の点検に地上要員が四人必要な理由を聞かなかった。リンが作った整備票には《山岳地形下の測位誤差測定》と記載されていた。測定機材のケースには、破城工具と弾薬が入っていた。

 

 着陸後、パイロットは規程どおり燃料残量と離陸可能時刻を伝えた。待機限界は六十七分。超えれば代替飛行場へ移動する。命令では延ばせない。燃料は意志で増えなかった。

 

 シキ、ミナ、ノエ、リンの四人は工場まで八百メートル歩いた。外周警備は二人。交代時刻の記録から、午前一時半に監視が途切れることをノエが端末ログで確認していた。

 

 一人を背後から拘束したとき、相手の前歯が銃床へ当たって欠けた。もう一人は警報ボタンを押した。警報は鳴らなかった。前日にノエが通信回線へ保守信号を送り、異常表示を埋めていた。

 

 欠けた歯は土の上に落ちた。ミナは回収して小袋へ入れ、拘束した警備員の胸ポケットへ入れた。再植できる時間は短いが、ここで治療はできなかった。男の口から出る血が顎を伝い、防寒着の襟へ染みた。

 

 警報ボタンを押した警備員は、音が鳴らないと分かると二度目を押した。三度目は押さなかった。両手を頭の後ろへ置き、膝をついた。ノエは手を縛る前に、警報盤の時刻と表示を撮影した。妨害の痕跡は、後で自分たちの侵入を証明する資料にもなった。

 

 施設内にいたのは夜勤作業員四名と警備員三名だった。警備員一名が拳銃を抜き、ミナが脚へ二発撃った。着弾は大腿外側と膝上。止血帯を巻いた時刻は午前一時三十九分だった。神秘場濃度が市街地平均の三割しかないため、出血は通常より長く続いた。

 

 製造区画には、ステンレス製混合槽、凍結乾燥機、粒径選別器、負圧充填ブースが並んでいた。床の排水溝に白い粉が固着していた。棚には出荷前コンテナが四十八個あった。

 

 施設は実験室ではなく、小規模な量産工場だった。壁に作業手順書が貼られ、交代勤務表があり、洗眼器には月例点検の札が下がっていた。作業員はMFIを特別な兵器として扱っていなかった。粉体を吸わない、皮膚へ付けない、規定量を充填する。危険は日常作業の項目へ分解されていた。

 

 冷蔵庫には作業員の弁当が六つ入っていた。上段に試薬、下段に食料を置かないという注意書きがあったが、守られていなかった。ミナは冷蔵庫の扉を閉めた。証拠として必要なものではなかった。

 

 ノエは試験端末を複製した。映像ファイルの一つに、番号だけで呼ばれる生徒が映っていた。前腕に直径八ミリの擦過傷があり、散布開始から九十七秒後、ヘイローが不規則に明滅した。百三十四秒後、傷口からの滲出液が増えた。百六十二秒後、ヘイローは消えた。生徒は呼吸数を上げ、カメラの外へ向かって何か言った。音声は記録されていなかった。

 

 映像の右下には室温、湿度、神秘場密度が表示されていた。被験者が口を動かすたびに、記録担当者が画面外で何かを書いている。途中で白衣の袖だけが映り、傷口へ金属製の定規を当てた。被験者は腕を引いた。白衣は手首を押さえ、定規を戻した。

 

 別のファイルには清掃手順が記録されていた。試験室を陰圧にし、床と壁を三回洗浄し、使用済みフィルターを二重袋へ入れる。被験者をどこへ移したかは、どの記録にもなかった。

 

 ファイルはそこで終わった。死亡記録はなかった。救命記録もなかった。

 

 誰も感想を言わなかった。ミナは映像のハッシュ値を取り、リンは出荷台帳を撮影した。シキは完成品の数とロットを読み上げた。

 

 出荷済みは七ロット。そのうち一つの中継先がゲヘナ自治区境界だった。

 

 ノエは充填装置の制御盤を開け、主回路の基板を外した。混合槽の排出弁を開き、中間原料を中和槽へ流した。工場は破壊しなかった。翌日には修理を始められる。ただし、同じロットを予定日に出すことはできない。

 

 中和槽の容量は混合槽より小さかった。全量を一度に流せば溢れる。ノエは流量計を見ながら三回に分けた。最初の排出で配管継手から液が漏れ、床へ白い泡が広がった。四人はマスクを着け、粉体用の吸着マットを敷いた。待機限界は残り二十一分になった。

 

「全部は無理だ」ノエが言った。「半分を無効化して、基板を持っていく。残りは充填できない」

 

 シキは棚の四十八箱を見た。運べるのはサンプル二箱だけだった。破壊すれば施設全体へ飛散する。置いていけば回収される。選択肢はどちらも、工場を完全には止めなかった。

 

「二箱。端末。台帳。残りは封印番号を撮る」

 

 四人は命令どおりに動いた。正義という言葉は使われなかった。重量と時間で決めた。

 

 撤収時、撃った薬莢は七個回収した。八個目は排水溝の格子の下に落ちていた。ノエが磁石で拾うのに二分四十秒かかった。その間、撃たれた警備員の呼吸数は毎分二十八まで上がった。止血帯の下で脈は触れなかった。

 

 午前二時二十一分、ヘリは離陸した。

 

 待機限界を五分超えていた。パイロットは理由を聞かず、飛行記録に《地上測定遅延》と書いた。帰路の燃料余裕は規程値を下回り、代替飛行場への進路変更能力を失った。事故が起きれば、パイロットも虚偽記載の当事者になる。

 

 ミナは機内で撃たれた警備員の処置記録を作った。止血帯を巻いた時刻、末梢脈拍、意識状態、残置した医療資材。匿名通報で救急を呼ぶ案は却下された。通報位置から侵入が判明する。代わりに、拘束を解く工具を警備員の手の届く位置へ置いた。救命措置として十分かは分からなかった。

 

 機内でシキは事後報告書を作った。出動理由、押収物、負傷者、武器使用、越境地点。空欄は作らなかった。違法性は、記載の正確さでは減らなかった。

 

 送信は午前三時五十八分。規程の二十四時間以内だった。

 

 報告は当直責任者の端末へ届き、緊急指定によってカンナの端末へ転送された。カンナは庁舎の仮眠室にいた。通知音で起き、最初に負傷者欄を読んだ。次に位置情報を開いた。

 

「アルタイ……?」

 

 地図上の境界線は、報告された座標より百八十キロ手前にあった。事後承認の欄には《緊急性により事前取得不能》と記載されている。越境許可の欄は《未取得》。隠されてはいなかった。

 

 カンナは当直責任者へ電話した。

 

「第三小隊は戻っているか」

 

『帰投中です』

 

「帰投後、全員を医療検査へ。押収物は最高危険区分で保管。本官の許可が出るまで、次の出動は――」

 

 カンナはそこで止まった。報告書の添付台帳に、出荷済み七ロットとあった。

 

「……待て。出動権限の停止は保留する。だが、勝手に動かすな。所在を一時間ごとに報告させろ」

 

 命令は矛盾していた。動く能力は残すが、動かせない。危険が続いている以上、能力を奪う決断もできなかった。

 

 午前四時四十一分、ヘリは海警局の格納庫へ戻った。燃料計は規程上の最低値を下回っていた。整備員が記録へ異議を付け、リンは航法試験中に予定外の向かい風を受けたと説明した。実際、向かい風はあった。説明のために作った事実ではなかった。

 

 四人は別々の車で公安局へ戻った。装具は化学処理室へ運ばれ、その場で下着まで脱いだ。除染シャワーの温度は一定せず、途中で冷水になった。ノエの右手の薬品焼けに水が当たり、皮膚が白くなった。

 

 医療検査が終わったとき、待機室の時計は午前七時を回っていた。サキとハルが通常勤務のため入ってきた。二人は四人の濡れた髪と空の装具ラックを見たが、何があったか聞かなかった。聞けば、答えるか拒むかを相手に選ばせることになる。

 

 出荷台帳のゲヘナ行きロットは、すでに工場を出て三日経っていた。

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