部屋に入って早々、家主の許可もなくベッドに突っ伏したユウに一発蹴りを食らわせて、なのはは椅子に座った。
沈黙。
寝ているのかと思うほどの静けさ。
試しに足で突いてみたが反応はない。
蹴り続ければ起きるだろうが、そうなったら妙な方向に会話が流れるのを予感して、ひたすらにユウが起きるのを待つ。
「……」
「……」
いつまでたっても微動だにしないユウ。
待つのに飽きたなのははスマートフォンをいじり始めた。
「……聞いてくれ」
「聞いてるよ」
ようやく息を吹き返したユウの第一声がそれだった。
なのはは手元から目を上げずに答え、ユウは毛布に顔を埋めたまま深呼吸をしている。何度か深呼吸を繰り返し、もう一回蹴ってやろうかとなのはが思い始めた頃に、ようやく口を開いた。
「フェイトに一緒には行けないって言ったんだ……」
「ふーん……」
抱いていた不安とは裏腹に、予想していた通りの言葉だった。
この状況なら、ゆうくんならそうするだろうなと思っていた通り。問題はどうしてそんなに落ち込んでいるのか。
「そうしたら、泣いちゃって……」
「……泣いたの? フェイトちゃんが?」
なのはの問いにユウは無言で頷く。
フェイトが泣くところを想像し、なのはは顔をしかめた。
「泣かせたくなかった……」
どんよりとした声。
それはそうだろうと思う。なのはもそれは嫌だった。
「それで、ゆうくんはどうしたの?」
「何も……。ただ家に送って、他には何もしてあげられなかった」
椅子から立ち上がり、ユウの隣に腰掛けたなのはは、その頭を撫でながら尋ねる。
「ゆうくんはアリサちゃんと学校に行くの?」
「先に約束したから」
「行きたいの?」
おもむろに起き上がったユウは、決してなのはの方を見ず、俯きながら答えた。
「三年間も勉強を教えてくれたんだ。今さら行かないなんて言えないだろ」
「言ってもいいと思うけど」
「……なんで……」
「ゆうくんがそうしたいなら」
ちらりとユウがなのはを見た。
なのはは微笑みを浮かべている。
「……裏切れないよ」
「ふーん」
ユウは再び布団に突っ伏し、くぐもった声で尋ね返す。
「俺、どうしたらよかったんだ?」
「どうしたらよかったんだろうね」
「なのはぁ……」
「はいはい」
「踏み殺してくれぇ……」
「しないよ、そんなこと」
何か物騒なことを言い始めたので、なのはは真面目に答えた。「部屋が汚れちゃう」と理由を足す。
「正解なんて、なかったと思うよ」
「……」
「どっちかを選んだから、どっちかが傷ついちゃうのは、しかたがないと思うよ」
「どっちも傷つかない方がいい」
「我儘だね。そんなこと出来るのかな?」
問い返しながら、内心、出来なくはないと思う。けれども、ユウにそれが出来るとは思わない。出来てほしいとも思わない。
「ゆうくんはまず考え方を変えないとね」
「……なにが」
「ゆうくんは自分で自分を幸せにできない人だから」
寝返りを打ったユウがなのはを見る。
その視線だけで言いたいことが伝わって来た。言いたいことがあるなら言ってみろと尋ねてみる。
「なに?」
「自分を幸せにできないのは、お前の方だろ」
やっぱりそういう話になる。
「今、私のことは関係ないから」
「他人のために頑張りすぎだろお前は」
「ゆうくんに言われたくないんだけど」
「俺は目の前の人にしか興味ないから」
そういうことを言うなら、なのはにだって言い分があった。
「ゆうくん今日遊園地に行ったんだよね」
「……ああ」
「たくさん人いたでしょ?」
「うん」
「その内の誰かが不幸になるって知らされたら何もしないの?」
ユウの視線が逸らされる。明確な答えだった。
「顔しか知らない人でも、一度知っちゃったら助けちゃうよね。向こうがゆうくんのこと何も知らなくても」
「向こうの認識はどうでもいい。助けない理由にはならない。俺が勝手に助けるだけだ」
「そうだね。私もそう思う。それで、私が何? 他人のために頑張りすぎ? ゆうくんに言われたくないなあ」
「……俺は自分から不幸な人を探しにはいかないから」
それをしたら壊れちゃいそうだもんね、となのはは内心で思った。
一人一人にかける熱量が大きすぎて、両手に余るほど抱え込んでしまう。不幸を脱したその後も、異常なほど気にかけ続けるのはユウの悪癖と言えた。
「お前には幸せになってほしい」
物思いに耽っていたら、突然ユウがそんなことを言い出した。
またそんなことを言うのかと、なのはは苦笑する。
「自分のことをもっと気遣ってほしい。誰かのためじゃなくて、たまには自分のために生きてほしい。もっと自分を好きになってほしい」
「それ全部ゆうくんに言いたいんだけど」
ユウが起き上がり、ベッドの上に座り込む。
なのはを正面から見据える。悲し気な表情から懇願するような声が出た。
「みんな、なのはのことが大好きだから、みんなに大切にされてる自分を少しでいいから認めてくれ」
反論しようと開けかけていた口を閉じる。
そんなことを言われるとは思わなかった。用意していた言葉は頭から消えてしまった。代わりに口を衝いて出たのは皮肉交じりの台詞。
「……ゆうくんもみんなに愛されてるよね」
「……フェイトだってはやてだって、みんなに愛されてるのに、自分は普通じゃないからとか、助けられた恩を返すために生きるとか、そんな悲しいことを言わないでほしい。幸せになってほしいから助けたのに、全然、幸せになってないじゃないか」
弱ったユウが本音をさらけ出している。
それも結局は他人のことばかりで、どこまでも他人本位なんだなあとなのはは思う。
「ゆうくんこそ、もっと自分を大切にするべきだよ」
結局、話はそこに戻ってくる。
「十分大切にしてるよ」
「足りないよ。全然足りない」
「自分なんて、この世で一番いい加減に扱える生き物じゃないか」
誰かを助けようとした時、一番最初に犠牲に出来るのは自分自身。その気持ちがなのはにはよくわかる。実際に犠牲にして、それでも助けられなかった時の悲しみも、二人はよく知っている。
「自分とフェイトちゃん、どっちか片方しか助けられないとしたら、ゆうくんはどっちを選ぶの?」
「フェイト」
ユウは即答する。
「ゆうくんとはやてちゃんなら?」
「はやて」
「クロノ君とゆうくん」
「クロノ」
「リンディさんとゆうくん」
「リンディさん」
じゃあ、と言葉を続ける。
「遊園地にいた誰かとゆうくん」
「……遊園地にいた人」
だって、たくさんいたし、と言い訳染みたことを言っているユウに、なのははそういうところだよと指摘した。
「他人を大切にするのと同じくらい、自分を大切にしてあげて。じゃないと……悲しいよ」
ユウは溜息を吐いて仰向けに寝転がった。
天井を見ながら思う。なのはを悲しませたくないと言う気持ちは多分にある。けれども、いざその時が来て、なのはと自分どちらかしか生き残れないのなら、その時はなのはに生き残ってほしいと思っていた。
他人には自分を大切にしろと言うくせに、それを言う自分が出来ていない矛盾。自覚は大いにあって、けれども譲れない一線があった。だから、会話は平行線を辿る。
なのはだってそういう時は自分以外を選ぶはずだ。何よりも自分を犠牲にしてきたのを知っている。だから、もしその時が来たら、その時はなのはと一緒に死のうと思っている。俺より先に死んでほしくないと心から思う。なのはが死ぬなんて考えたくもない。
管理局かと心の中で呟くユウの隣で、なのはがベッドに寝転がる。
「フェイトちゃんのことは私も気にかけておくから、ゆうくんは受験に集中するべきだよ」
「ああ……」
解決策はない。どうすればよかったなんて一概には言えない。向こうを立てればこちらが立たず、向こうを選べばこちらが悲しむ。
分かり切っていた答えに辿り着き、ユウは溜息を吐く。
「もう遅いけど、今日も泊まってく?」
「……いや、帰るよ。ありがとう」
それでも、少しだけ心が軽くなった気がするとユウは思った。
こういう時に話せる人がいるのは心強かった。例え解決したわけではなくとも、人に話すだけで気はまぎれる。
なのはの言う通り、今は受験に集中するべきだった。フェイトのことで悩んだせいで落ちたなんて、そんな未来は絶対に避けるべきだった。
なのはの父母に挨拶をしてから、ユウは高町家を出た。
父母揃って今日は家に泊まっていくと思っていたため、二言三言引き留められたが、明日学校があるんでと固辞し、玄関でなのはの見送りを受ける。
「送っていく?」
「もう暗いから、女の子が出歩くのは危ないぞ」
「大丈夫だよ。私魔法使いだもん」
「それでも、危ないことはしてほしくない」
冗談めかした言葉に、ユウは真剣に答えた。
なのはは少し考え、先ほどはあえて聞かなかったことを聞くことにした。
「ゆうくん。もう一つだけいいかな」
「なに?」
「さっきの話だけど、私とフェイトちゃんならどっちを選ぶの?」
少しの沈黙のあと、ユウは答える。
「どちらかは選べない。だから、どっちも選ぶ」
「……それが自分にも言えるようになるといいね」
「自分のことは別にどうでもいいからなあ」
「そういうところが駄目なんだよ」
「なのはこそ、もっと自分を大切にしろよ」
「私はいいよ。私だもん」
「お前が傷ついたところはもう見たくないよ」
それじゃあ、とユウは去っていく。
その姿が見えなくなってから、なのはは家に戻る。
「選べないかぁ」
一言、そう呟きながら。