放課後はお勉強会が待っている。
ユウは溜息を吐いて黒塗りのリムジンに乗り込んだ。
フェイトのことが気がかりではあるものの、昼休みが終わって間もなく戻って来たなのはが「元気そうだったよ」と言っていたので、とりあえず心配はないと考えることにしていた。
「お勉強会かぁ~嫌だなぁ~嫌だなぁ~」
「綺麗なビブラートだこと」
「意外と多彩だよね」
魔力を使えば基本的なことは何でもできる。
ユウはそのことをアリサたちに教えていない。言ったところで自慢にしかならないし、自慢なんて人に殴ってもらう時にすれば十分だと思っていた。
「今日はどっちの家~? すずかの家~? そうだよね~?」
「私の家よ」
「逃げていいですか?」
「いい加減、鎖で繋ごうかしら」
「我慢だよ、アリサちゃん」
本当に逃げる気配を見せたのでネタばらしは可及的速やかに行われた。
「今日も猫に癒されるか」と哀愁を漂わせたユウの横で、すずかが「にゃあ~」と鳴く。
「もう一回、もう一回!」とテンションの上がった変態に何度も催促されることになった。
そんなことをしている間に月村邸に到着した。
すずかの家に着いたらすることは決まっている。姉の忍への挨拶である。
「君は本当によく来るねえ」
「今日はすずかの猫真似を見に来ました」
「なにそれ。ちょっとすずか、私にも見せなさいよ!」
にゃあって言って。ほら、と実の姉にすら催促され、ユウと二人でタッグが組まれる。
「にゃ、にゃぁ……」
「かわいいっ!! 見て! あれうちの妹! 凄い可愛いでしょ?」
「忍さんがゴキブリに見えるぐらいかわいい!!」
「は?」
最終的に、「すずかは可愛くて、忍さんは美人です。ゴキブリはクソです」と言うことで場は治まった。
「ユウ君。流石にちょっと見境ないんじゃない? お姉ちゃんにまで踏んでもらおうとするなんて……」
「踏んでほしかったのに殴られちゃった。結構痛かった」
「お姉ちゃんはそう言うところあるから……」
踏んでくれと言ったら逆に殴って来た忍を思う。
ゴキブリと同列にしたのが頭に来たのだろう。あれは本当に怒っていた。
「もういい加減満足したでしょ。あれだけはやてに殴ってもらって、なのはにも蹴られてたんだから」
「まだ俺の心は乾いている」
「そうなんだ……。じゃあ、次は私が……」
「ごめん、すずか。とりあえず勉強するから」
ここに来た目的を果たすため、過去問を解き始めるユウ。
受験日は目前に迫っている。今更慌てたところで何も始まらない。普段やっていることをひたすらやり続けるしかない。
そんなユウを見て、アリサもすずかも口を出すことはなかった。最早教えることはない。各々自分の勉強に集中する。
◇ ◇ ◇
月村邸の夕食はカレーだった。
ご馳走になったユウは、久しぶりに食べたなと思いながら「ごちそうさま」と言う。
「お粗末様でした」と使用人の一人が食器を片付けた。ユウの対面では忍が食後の晩酌を呷っている。
10人ほども座れそうな巨大なダイニングテーブルにはユウとアリサ、すずかと忍の四人しかいない。
部屋の大きさからして、もっと大きなものでも置けそうだが、あまり大きすぎても寂しいだけなのだろうとユウは思った。
各々が食休みに興じている中、ユウは恐る恐る「さ、帰ろうかな」と呟く。
人に聞こえるか聞こえないかは微妙な声音だったが、しっかりとその声が耳に届いていたすずかは、何を言っているの?と首を傾げる。
「ユウ君、今日は泊まっていくんだよ?」
「聞いてないよぉ……」
「あれ、言ってなかったっけ?」
小首を傾げる姿が可愛らしく、ユウは何でも許してしまいそうな気になる。
忍が二人の様子を苦笑して眺めていた。
「今更、その子が泊まろうが泊まるまいが、私は別に気にしないけど。でも、ちゃんと本人に許可はとりなさい」
「ごめんなさい」
すずかが謝る。ユウにも「ごめんね?」と告げた。
ユウは頭を振り、「覚悟はしていた」と言う。
「さて、それじゃあ、そこの君は先にお風呂入っちゃいなさい」
「俺は別に後でもいいですよ」
「私の後に君が入るのが嫌なのよ」
「汚水に興味はありませんが」
「行け」
「はい」
忍の本気の圧力を受け、ユウは真っすぐ風呂に向かう。
足音が聞こえなくなるのを待って、アリサに声をかけた。
「アリサちゃんはどうするの?」
「私も泊めてもらえたら嬉しいのだけど」
「構わないわよ。部屋はたくさんあるから」
いつものことだし、と忍は快諾する。
控えていた使用人の一人がアリサに声をかけ、部屋に案内すると言う。
「準備万端ね……」
「アリサちゃん、またあとでね」
「ええ。またあとで」
その場に残った二人、すずかと忍は、やはりアリサの足音が聞こえなくなるのを待って、話し始めた。
「それで? どうするの?」
「どうするって?」
「とぼけるのはやめなさい」
忍が頬杖をついてすずかを見る。
「あの子にするのかって話よ」
「……それは、高校生になってから決めるって話だったと思うけど」
「そうね。けど、最近ドタバタしてるみたいじゃない。フェイトちゃんだっけ?」
一体どこでそれを知ったのかとすずかは疑問を抱いた。
情報源として一番あり得そうなのは、忍の恋人である高町恭也であるが、だとすると妹のなのはが話したことになる。そんなことをするかと言われると、怪しいところだった。
「前にちょっとだけ話したことあるけど、可愛い子だったわね」
「……そうだね。でも、ユウ君は断ったらしいよ」
「あら、そうなの?」
「そうだよ」
すずかは思う。これで、この話は終わりだ。
触れられたくないところに触れられて、けれども上手く誤魔化せた。そんな安堵が胸中を満たし、しかし続く忍の言葉がそれを消し去った。
「じゃあどうして、すずかはそんなに気を張ってるの?」
「……気なんて張ってないよ」
「そう? 私からすると、戦いに挑むような雰囲気してるわよ」
姉だから分かるのかとすずかは思った。
アリサだって気付いていないはずなのに。
緊張で喉が渇く。姉が何を言おうとしているのか。それ次第で自分の運命が変わる気がした。
「すずか。私はね」
「……」
「あの子のこと、悪くないと思うわ」
息を吐く。深く、長く。
「お姉ちゃん……」
「問題は周りの女の子ね。何人いるの?」
「……アリサちゃんとフェイトちゃん、なのはちゃんと、はやてちゃん……」
「すずかもいれて五人? 多いわねえ」
ケラケラと酔っ払いのごとく笑う忍。
杯を傾けながら戯言を放つ。
「もうみんなで囲っちゃえば? あんたたち五人で」
「……」
手段の一つではあると思う。友情を思えば、あり得ない話ではない。最大の問題はそれで上手くいくのかだ。
「ま、子供たちの話に私が首を突っ込むのも野暮だけどねー」
「もう子供じゃないよ……」
「お酒飲めるようになってから言いなさーい」
グラスの中の氷がカランと音を鳴らす。
琥珀色の液体はアルコール度数の高いお酒だった。
「あんたの好きにしなさい。後悔のないように」
「……うん」
「大人のお節介のついでにもう一つ。さっき、私は悪くないとは言ったけど、良いとも言ってない。分かってるわね?」
すずかは頷く。分かってる。もう何年も付き合いのある男の子のこと。彼の欠点がなんであるか、すずかは全て承知していた。
「それでも、私、ユウ君が良いの」
「あら。素直になったわね。じゃあ頑張りなさい。選んでもらえるように」
あるいは、ユウが選べるようになれるように。
「お姉ちゃん。折角だから、相談してもいい?」
「いいわよ。なに?」
「今日、ユウ君に告白しようかなって思ってたんだけど、しても大丈夫かな?」
「……やめときなさい。受験があるんでしょ。終わってからにしてあげて」
やっぱりそうだよねとすずかは頷いた。
やはり、一歩先んじたフェイトは強かった。失敗に終わったとは言え、間違いなくユウの心には残っている。本人は深く語らなかったが、学校を休むほど落ち込んだフェイトのことをそのまま帰らせたとも思えない。
後のことを考えるなら、すずかもここで一歩踏み出しておきたかった。
しかし、この時期にそれは出来ない。
参ったなあと呟く。
歯がゆい思いが胸中を満たしていく。
◇ ◇ ◇
深夜。
アリサが眠り二人っきりになった部屋で、すずかはユウの横顔を見つめていた。
本当なら、このタイミングで告白しようと思っていた。夜は自分の時間。ずっと前からそう決まっていたから。
「ねえ、ユウ君」
「ん?」
ノートに目を落としたまま、ユウは答える。
「ユウ君は、私のために死ねる?」
「え? ああ……いざとなったら、すずかのために死ねるな」
不意を打たれたユウの返答は数瞬遅れた。
そうなんだとすずかは頷く。
それから窓を見て、お月様を探した。
生憎と満月ではなかったが、月光は確かにそこにある。
「今日は月が綺麗だね」
「……お。良い空だな」
飛んだら気持ちいだろうなとユウは言った。
その横顔に変化はない。そうだろうなとすずかは思う。ユウが読書に耽っている姿は見たことがない。知らないことは知らないのだろう。
いずれにせよ、今日のところはここまでにしておこうとすずかは思い、ユウに寄りかかるようにして目を閉じる。
こんな日がずっと続けばいいのにと思いながら。