紐になりたいといったな。あれは冗談だった。   作:紺南

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夜。

勉強机の上に置かれたスマートフォンが震える。画面にはユウの名前が映っていた。アリサはその画面を冷めた表情で見つめている。

 

つい先ほど、留守番電話に繋がるまで放置したはずだったが、間を空けずにかかってきた。

 

しつこくかかってくる着信に苛立って、今度は拒否のボタンを押す。

静かになったスマートフォンが再び震えるのは数秒後。

舌打ちをして応答した。

 

「しつこいわね。なんなのよ」

 

「いや、切るから」

 

「私が今どれだけ機嫌が悪いか教えてあげましょうか?」

 

「つまり、踏んでいただけるのですか?」

 

「殴るわよ」

 

「殴っていただけるのですね?」

 

アリサは聞こえみよがしに溜め息を吐く。

これ以上馬鹿に付き合っていたら自分まで馬鹿になってしまう。

 

「で、何の用?」

 

「アリサに会いたくて」

 

沈黙。

アリサはスピーカーをオンにして、窓縁へと向かった。

カーテン越しに外を見ながら気怠げに問う。

 

「フェイトに告白されたんですって?」

 

「されてないが」

 

力強い否定。

実際のところ、二人の間でどんな会話が交わされたのかについては、フェイト本人に聞いて知っていた。

 

「ごめんなさい。勘違いしてたわ。フェイトをやり捨てたんだったわね」

 

「……それ、俺はともかくフェイトが可哀想だから、何とかならない?」

 

その点はアリサも同意する。

ユウはともかく、フェイトにそのような醜聞が立つのは、アリサとしても看過できない。

 

「もしかして、はやてに振られたのかしら? それで次は私を毒牙にかけようとして? あんたごときが? 私も随分と舐められたものねえ」

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

度重なる嫌味に対して、ユウは率直な疑問を呈した。

普段のアリサと比べても、行き過ぎてると思えるほどの口の悪さだった。

 

その点をユウに指摘されてアリサも自覚する。

バツの悪い顔をしたが、口調には出さずに話を続けた。

 

「連日、女の子と逢い引きしてる男と話すのだから、これぐらいは普通でしょう」

 

「逢い引きはしてないが」

 

「言い訳なんて聞きたくない」

 

意図せず、感情が表に出た。

このまま話を続けたら余計に酷いことを言ってしまうかもしれない。

アリサはそれを自覚して、早めに通話を切ろうとする。

 

「それで、何の用?」

 

「アリサに会いたくて」

 

先ほどと同じ言葉。

用意していた言葉を告げる。

 

「お生憎様。私は忙しいの。誰彼構わず逢い引きに忙しいあんたと違って勉強しないといけないのよ」

 

「俺もちゃんと勉強してるよ」

 

「嘘ばっか」

 

「でも、色々あって手がつかなくなっちゃってさ。気分転換にアリサと会おうと思って」

 

その色々の中身が何なのか、おおよそ見当はつく。

カーテンを開け、見上げた空は灰色に染まっていた。

その空を見上げながら、アリサは口を開く。

 

「……いいわよ。ただし、一つ言うことを聞いて」

 

「なに?」

 

「私を、夜の散歩に連れて行って」

 

返事は早かった。

今から行くと告げられ、切られたスマートフォンを片手に、アリサは空を見上げる。

 

いつか見た星空とは似ても似つかない曇天。

できれば、せめて月だけは出ていてほしかった。

そうすれば、この胸の寂しさも紛らわせたのに。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

窓を叩く音が聞こえ、アリサはカーテンを開ける。

目の前にはユウがいて、その身体は宙に浮いていた。

 

「遅いわよ」

 

「準備に時間が必要かと思ってね」

 

アリサは鼻を鳴らして答えた。実際、本当にそういうつもりだったのかは知らないが、そういった気遣いが出来る人間であることは知っている。

 

素足のまま窓縁に足をかけたアリサに対し、ユウは心配そうに手を伸ばす。

家の二階の高さから落ちれば、当たりどころが悪ければ死に、そうじゃなくても骨折ぐらいはする。

 

そんなことは分かっていて、アリサはユウの胸に飛び込んだ。

 

「おっと」

 

焦ったのか焦っていないのか。

声だけではなんとも判別付きづらい。

 

ユウの首にしがみつくようにしていたアリサは、不意に重力を感じなくなり、気がつけば横抱きに抱え直されていた。

目が合って、ユウは微笑み、アリサはニコリともしなかった。

 

不機嫌だなと口の中で呟いたユウがおもむろに人差し指を窓に向ける。独りでに窓が閉まり、鍵までかかった。

 

アリサはその様子を横目に見ていた。

いつものことながら、これだけ見ると魔法とは思えない。超能力と言われた方が信用できる。

 

「さて、どちらまでお運びすればよろしいですか?」

 

「あんたの好きにしなさい」

 

ふわりと空に昇っていく。

頭上にあるのは灰色の空模様。こんな天気じゃどこに行っても同じだとアリサは行き先に興味を示さなかった。

 

「町並みが綺麗だぞ」

 

「そうね」

 

すっかり身体を預けきったまま、アリサは無感情に夜景を見つめた。

何度も見た景色。今はその全てが寂れて見える。

 

徐々に高度は上がっていき、家は点のように小さくなり、人に見られる心配はなくなった。

高い場所にいるのに寒さは感じない。それが魔法によるものなのか、アリサは知らなかった。

 

暫く景色を眺め、本題に入る。

 

「フェイトに告白されたんでしょう?」

 

「告白は……」

 

「言い訳はいいわ」

 

聞き飽きた言い訳はもう十分。ユウの異論を制止して、黙って聞きなさいと言葉を続けた。

 

「もう、あんたの好きにすれば?」

 

「……」

 

「フェイトと付き合いたいなら、そうすればいいじゃない。紐になって、向こうの世界に行って、そのまま結婚なりなんなりしちゃえばいいわ。私は別に何とも思わないから」

 

だから、好きにしなさいよとアリサは告げる。

告げられた言葉に、ユウは何も言わなかった。その様子を見て、どうせ心は決まっているのだろうと決めつける。

 

フェイトは可愛くて、面倒見が良くて、守ってあげたくなる性格だ。

我が儘で、口も性格も悪い自分とは大違い。どちらの方が男性に人気があるのか、この三年間で嫌というほど理解した。

だからもういいと、アリサは諦める。

 

そもそもからして間違いだったと思う。

もしかしたら、フェイトにとられるんじゃないかと焦った結果がこれだった。

無理やりユウに勉強を教えて、学力に見合わない学校に入れさせようとして、溜まりに溜まった無茶が噴き出している。

こんなことになるのなら、最初からしなければよかったと後悔する。

 

「……今日は天気が悪いな」

 

「そうね。でも、いいのよ。別に」

 

最後の夜に相応しい天気だと思う。今後はこうして家を抜け出すこともなくなるだろう。

思い出は思い出の中にしまっておくのがいい。手を伸ばしたところで、決して届きはしないのだから。

 

「折角だし、良い天気を見に行こうか」

 

「は?」

 

「そうしたら、アリサも機嫌を直してくれるんじゃないかなって」

 

言っている間に高度が上がっていく。

徐々に速度をつけて、頭上に広がる雲へ近づいて行く。

 

「ちょっと」

 

「寒くない?」

 

「寒くはないけど……」

 

「よかった。雲に入るよ」

 

目の前が靄に包まれる。

アリサは思わず目を瞑って息を止めた。身体が濡れる気配はない。段々と速度が上がっているようで、髪を撫でる風に肌寒さを感じた。

 

「あと少しで出るよ」

 

「……早くしなさい」

 

辛うじて出た憎まれ口に、ユウの笑い声が聞こえた。

直後、身体にかかっていた慣性がなくなる。

 

「ほら、よく見える」

 

恐る恐る目を開ける。眼前に広がった光景に、アリサは目を奪われた。

 

足元に広がる雲海。地上の光が遮られ、頭上には星の海が瞬いている。

吸う空気は澄んでいて、静かで穏やか。世界に二人しかいない特別な場所。

そんな光景が、視界一杯に広がっていた。

 

「こういう天気の日は星がよく見える」

 

「……そうね」

 

「これで少しは機嫌直してくれた?」

 

「……どうかしら」

 

こんな時でも、やっぱり素直にはなれない。思っているのと正反対の言葉が口からこぼれる。

 

「私、そこまで安い女じゃないの」

 

「確かに、アリサは高い女だな」

 

「……お金のこと言ってる? 殴っていい?」

 

「殴るのはいつでも構わないけど。俺が言いたいのは存在の話だよ」

 

「なによ、それ」

 

凄いや立派などと言う言葉は聞き飽きている。けれど、高い女と言う言葉は初めてだった。それこそ、陰口ぐらいでしか聞いた事はない。

 

「アリサは自分一人でなんでも出来ちゃうから、きっと、俺の助けもそんなにいらないんだろうなと思ってね。こいつに恩を売るのはよっぽど高くなきゃ無理だなってさ」

 

「馬鹿じゃないの」

 

「うん。俺、馬鹿だから」

 

そうやって開き直られてしまったらつける薬もない。あまり馬鹿にしすぎるのも考えものだった。

 

「借りはたくさんあるから、少しずつでも返したいんだよね」

 

「貸しなんて、そんなにないでしょ。あったら、覚えてるはずだもの」

 

「いや、勉強教えてくれたでしょ」

 

「そんなの、貸しでもなんでもないわ」

 

はあとアリサは溜め息を吐く。

 

「あんたも嫌だったのなら言えばよかったのよ。今更こんなことになるなんて、そっちの方が酷いわ」

 

「別に嫌じゃなかったけど」

 

「嘘ばっかり」

 

「嘘じゃないさ」

 

「じゃあ、私と一緒の学校に行きたかったの?」

 

「学校は別にどうでもよかったかな。でも、折角アリサが誘ってくれたんだから、そりゃあ頑張るでしょ」

 

「あっそ」

 

望んでいたものとは違う答え。そんなんだから馬鹿なのよと愚痴をこぼす。言ったところで伝わらないのは分かっていても、言わずにはいられない。

 

「……フェイトの告白はどうするの?」

 

「告白とは違うけど、まあ、告白予約みたいな感じ」

 

「同じでしょ。何が違うのよ」

 

「全く違う。少なくとも今すぐには答えなくて済む」

 

「……なに、断るの?」

 

「真剣に考えてるところ」

 

真剣に。

アリサは口の中で呟く。

 

「フェイトの何が不満なの? 同性の私から見ても、あんなにいい子はいないわよ。体つきだって……」

 

「不満なんてないよ。でも、よくわからなくなってきた」

 

「何が?」

 

「好きって何だろうって思ってさ」

 

何を子供みたいなことを言っているのかと呆れ果てる。

 

「教えてあげる。そいつを自分の物にしたかったら、それはそいつのことが好きってことなのよ」

 

「それ独占欲だろ」

 

「同じよ。愛の中に独占欲があるの」

 

「とても難しい話だ」

 

何も難しいことなんてないのに。

ユウに抱かれた体勢でアリサは思う。

好きな相手を独占したいなんて、小学生でも知っていることだ。自分がそうだし、フェイトやすずか、はやてもそうで、なのはだってそうなのだから。

それを分からないとほざくユウがおかしい。やっぱりこいつは馬鹿なのだろう。

 

正真正銘の馬鹿を見る目のアリサに気づかず、難しいなあとうそぶいていたユウだったが、やがて溜息を吐いてぼやいた。

 

「受験も近いのに、真剣に考えなきゃいけないことが多くてさ。フェイトもそうだし、はやてとすずかのこともあって……」

 

「……はやてとすずか?」

 

「今のは聞かなかったことにしてくれるか」

 

一瞬でユウは前言を撤回した。

はやてとすずか?とアリサは同じことを繰り返す。

 

「はやてとすずかがどうしたって言うの?」

 

「いや、その件についてはとても深い事情と大いなる誤解があってだな」

 

「まさか告白されたとか言わないでしょうね」

 

「いや……いや……」

 

「私の目を見て答えなさい」

 

「見てごらん。星がきれいだよ。あ、あれは流れ星かな?」

 

「こっち見ろ」

 

アリサの怒気を受け、ユウは頭上に視線を逃した。

チラリとその視線を追ってみたが流れ星は見えない。

 

「へえ? はやてとすずか? はやてとすずかがねえ? へえ?」

 

「折角機嫌直ってたのになあ……」

 

「なに? 別に機嫌悪くなってませんけど? でも、あんた馬鹿のくせに良いご身分じゃない。女の子三人に告白されたんでしょ? へえ?」

 

「いや、それも直接的に言われたわけではなくてだな……」

 

「つまり、言われたも同然なわけね。あんたみたいな馬鹿でも分かる程度に告白されたわけだ。へえ?」

 

「いや、もう、俺もどうしたらいいのか悩んでて……」

 

「一生悩んでなさい。そして死ね」

 

「いやあ、心に染みるなぁ」

 

本当に死んじゃおうかなと逃避行をし始めたユウの胸を一回叩く。アリサにとっての精一杯の抗議は、ユウを現実に引き戻すだけの威力を誇っていた。

 

「なんか、もうどうでもよくなってきたわ。あんたと話してると自分まで馬鹿に思えてくるもの」

 

「すみませんね。俺みたいな馬鹿の話に付き合わせて」

 

「本当に」

 

アリサは視線を巡らす。

星の海を眺めて考える。どうでもよくなってきたと言う言葉に嘘はない。なるようになれと言う良い意味での自暴自棄がアリサの背中を押していた。

そこに逡巡はなく、躊躇もなかった。いつもは素直じゃないその身体も、今この瞬間だけは言うことを聞いてくれた。

 

「この際だから言うけど」

 

「なに?」

 

「私もあんたのこと好きよ」

 

答えはない。

アリサはユウに視線を向けると、ポカンとした間抜け面が自分を見返していた。

 

「なに、その顔?」

 

「……いや、聞き間違いかなと思って」

 

「私、あんたのことが好き」

 

「あの……」

 

「愛してる」

 

「……」

 

三度まで続いた告白で黙らせる。勘違いなんてしないように、自分だけのけ者にしないように。念には念を入れておく。

 

「結婚を前提に付き合ってください」

 

「……」

 

珍しく恥ずかしがっているユウを見て、アリサは勝ち誇った気分になる。

してやったりと、口元がにやけるのを抑えられない。

 

「……どうして」

 

「聞かないでくれる? 私だって分からないから」

 

「もっと良い男はいっぱいいるだろ」

 

「そうね。でも私をここに連れてきてくれるのはあんただけよ」

 

初めて魔法を知ったその夜。

ユウと共に見た景色は今も記憶に残っている。全てはその時から始まったのだろう。

次にどうしてと聞くのなら、あんたが悪いと答えよう。女と言うのはそういうものなのだから。

 

「ねえ、もう夜も遅いし、明日学校休むから、どこかに連れて行きなさいよ」

 

「……どこかってどこ?」

 

「そうね。海がいいわ。下に海。上には星空。そういう景色が見たいの。水平線から昇って来る朝日もいいわね」

 

「……太平洋かな」

 

「どこでもいいから、早く」

 

未だに告白のショックを引き摺っているユウは、鈍い反応のまま速度を上げ始めた。

「……マジかよ」なんて呟きに「マジよ」と答える。

 

「答えはまた今度でいいわ。フェイトに答える時に、私にも答えなさい」

 

「受験のあとになるけど」

 

「それでいいわよ」

 

まだ深夜を回ったばかり。

日の出まで数時間。楽しい散歩になりそうだとアリサは笑って、ユウは笑えなかった。

 

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