明け方までアリサとの散歩に勤しんだユウは、家に帰って早々に学校を休むことに決めた。
目覚まし時計など目にも入らず、為せば成るの精神で惰眠を貪っていたユウだったが、人の気配を感じて目が覚める。
枕元になのはが正座していた。
「おはよう、ゆうくん」
「……」
時計を探して腕を動かす。察したなのはが自らのスマートフォンを掲げて見せた。まだ朝の8時をいくらか過ぎたばかりだった。
「はやいよ……」
「ごめんね。学校に行くって出てきたから、この時間になっちゃったの」
ユウの頭になのはの父母の顔が浮かぶ。
途端に目が冴えてきた。
「……学校はどうするつもりだ?」
「サボるつもり」
「そんなの俺が許さない。学校に行きなさい」
「ゆうくんが行くなら私も行こうかな」
ゆっくりと身体を起こしたユウは、同じように正座してなのはと向かい合う。
何かを言わねばならなかったが、睡眠不足でぼうっとした頭では何も浮かばない。
「寝ぐせついてるよ」
「……うん」
「昨日は遅かったんでしょ? 寝てれば?」
「……うん」
この状態で学校に行くのは流石に無茶がある。
魔力を使えば出来ないこともないが、そんなことをしてまで行く必要があるかは甚だ疑問で、仮に行ったところで噂の渦中だ。
「休むなら、せめて桃子さんに許可取って……」
「……じゃあ、ゆうくんの携帯貸してくれる?」
許可を取るのにどうしてユウの携帯が必要なのか、意味が分からなかったが、それで許可を取れるなら是非もなく、ユウは床に転がしていた携帯電話をなのはに渡した。
ぱかりと開いた携帯に光が灯る。
ポチポチとボタンを押す音が聞こえ、「不在着信30件だって」となのはが告げた。
「アリサとは昨日会ったから無視していい」
「あとはすずかちゃんとフェイトちゃんだね。あ、フェイトちゃんが謝ってたよ。大変なことになっちゃったって」
「昨日、はやてのスマホに来てたの見たから知ってる」
「そうなんだ」
ポチポチと音がし続け、何かをし終えたなのはが「これでよし」と呟く。
なにがよし?とユウが尋ねた。
「ゆうくん、お返事するつもりなかったんでしょ? 代わりに送っておいたよ」
「なんて?」
「ゆうくんは元気です。なのはよりって」
「眠たすぎて死にそうですも追加しておいてくれ」
「うん。夜更かししたから学校休むって送っておくね」
ポチポチと音がする。
「一斉送信しちゃお」となのはが呟き、ユウも特に止めようとはしなかった。どうせ、ユウの携帯電話に登録されている人間は幼馴染五人以外にはいない。
用事を済ませたなのはが電話をかける。実家である翠屋。出たのは母である桃子だった。
「もしもしお母さん? なのはです。……うん。ゆうくんの携帯からかけてるの。……ちょっとお願いがあるんだけど……。今日ゆうくんと大事なお話があるから、学校休んでもいい? ……ゆうくんもここにいるよ? 凄く眠そうにしてる。昨日、アリサちゃんと夜更かししたんだって。……うん、大丈夫。……大丈夫だよ。ゆうくんだもん。……もう子供じゃないから。自分のことは自分でするよ。……うーん……わかった。あとで電話するね。……はい。それじゃあ」
通話の後、携帯電話は電源が落とされ、ユウに返された。
「お母さんいいって」
「いいのか……」
「ゆうくんのこと信用してるんだよ」
「信用……?」
一体何が何なのか、頭の働いていないユウにはまるで分からなかったが、しかし許可は取れたので、不安の種はなくなった。
「ゆうくんはもう少し寝てれば?」
「そうする……なのはは?」
「私は……どうしようかな……」
殺風景な部屋を見渡して、なのはは困り顔になった。暇をつぶせるようなものは何一つない。本の一冊もないのはどうかと思うと内心でぼやいた。
「充電器は持ってきてるから……」
その言葉を遮るようにスマートフォンが震える。
なのははその内容を確認し、画面を伏せて床に置いた。
「好きに待ってるね。昼前には起きてほしいかも」
「……そうか」
なら10時だなと目覚まし時計をセットする。
「飲み物は好きに飲んでいいから」
「うん」
「お菓子もあるもの食べていいから」
「うん」
「コンセントも好きに使っていいから」
「うん」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ。ゆうくん」
枕に突っ伏したユウから寝息が聞こえ始める。
本当に疲れてたんだなと思いながら、なのははスマートフォンの電源を落とした。
手癖でユウの頭を撫でながら欠伸をする。
することもないし、私も寝ちゃおうかなと考えていた。
◇ ◇ ◇
ユウが目を覚ました時、一緒の布団でなのはも眠っていた。
なんの冗談かと思ったユウだったが、振り返ればこんなこともなくはなかった。小学生の頃の話だが。
眠気など一瞬で消え去ったユウは、そのまま布団を抜け出して掛け布団をなのはにかける。
そしてシャワーを浴びに浴室に向かった。
シャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かしている途中でなのはがひょこりと顔を見せる。
「ゆうくん、この後出かけたいんだけど、いいかな」
「いいよ。どこ行くの?」
「近くの公園」
鏡に映る自分の顔が怪訝そうになる。祭りか何かあったかなと考え、それらしき記憶は思い当たらない。
「なにかあったっけ?」
「ゆうくんが考えてるようなことは何もないよ。ただ、行きたいの」
「わかった」
理由は分からないが、なのはが行きたいと言うなら行く以外の選択肢はない。
ドライヤーを置いて鏡越しになのはを見る。
じっとユウのことを見ているなのはに、いつもと違うところは見受けられない。
それでも、ある程度の覚悟は必要だと思った。
「お待たせ。行こうか」
なのはが頷き、家を出る。
そうして向かったのは、歩いて10分もかからないところにある公園だった。
丁度、ユウの家となのはの家の中間にある公園で、子供の頃の記憶ではそれなりに賑わっていたはずだが、今は人の姿は見当たらない。
ベンチに腰掛ける二人。
かつて、この公園を駆け回った記憶が蘇り、何とも言えない気持ちになったユウは横目になのはを伺う。
なのはもじっと公園を見つめながら考え事をしていた。
「ゆうくんは、初めて私と会った時のことを覚えてる?」
「全然覚えてない」
「そうなんだ」
会話が途切れる。
何か間違ったことを言ってしまった気がして、ユウは少し焦ったが、覚えていないものは仕方ないと開き直るしかなかった。
「ゆうくんはどうだか知らないけど、私はゆうくんと会えてよかったと思ってるの。初めて出来たお友達で、ずっと仲良くしてくれて感謝してるんだ。……はやてちゃんの時にちょっと避けられてたのは納得いかないけど」
「いや、あの時は……色々あったんだよ……」
六年も前のことを言うためにここに来たのだろうか。
少しだけ罪悪感がないでもないユウとしては、それを考えると途端に逃げ腰になる。
「俺もなのはには感謝してるよ。色々相談に乗ってもらえたし。一番付き合いの長い友達だし」
「知りもしない女の子から恋愛相談受けるのだけはもうやめてね」
「大丈夫。全部アリサに任せることにしたから」
ほとんど面識のない女の子から受ける恋愛相談は、高確率で泥沼にハマる。それを経験で知ってしまったから、二人の口調は決意で固められていた。
長い沈黙が漂う。
何か用件があると察してはいるものの、その内容までは察することのできないユウとしては、なのはの言葉を待つ他ない。
緊張しながら横目に伺っていると、なのはは自分の手に息を吹きかけていた。
いつもしている手袋を、今日に限ってしていないことに気がついたユウは、その手をそっと握って温める。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
なのはの小さな手を包み込んで温めた。
最初は冷たかったその手もすぐに気にならない程度に温かくなる。
「ゆうくん」
「うん?」
「アリサちゃんに告白されたんだよね?」
「……あー……」
なぜ知っているのか。それを問おうとしたが言葉が続かない。
「今朝、アリサちゃんから電話があったんだ。はやてちゃんもすずかちゃんも告白したって。あと告白してないのは私だけなんだって」
「……なのはだけ?」
「私だけ」
必死にその意味を考える。
なのはの言わんとしているところ。何を伝えようとしているのか。その真意を。
「どっちがいいかな?」
「……なにが」
「私がゆうくんに告白するのと、告白しないのと。ゆうくんはどっちがいい?」
全ての思考を奪う問いかけ。
意味が分からないと言う内心をそのまま言葉に出す。
「それは俺が決めることじゃないだろ。なのはの気持ち次第なんだから」
「うん。それはそうなんだけど、ゆうくんはどうなのかなって。ゆうくんが告白してほしくないならしないし、してほしいならしようかなって。ゆうくんに決めてほしくて」
手に力を込める。なのはの手を痛くしないように注意しながら、内心の葛藤を表現する。
そんなユウの様子を、なのはは微笑みながら見ていた。どこか切な気な様子を湛えるその表情に、ユウは気持ちが抑え切れなくなっていく。
「やっぱり、それは俺が決めることじゃないよ」
「でも、ゆうくん受験あるし」
「俺のことなんか気にしないでいい」
「ゆうくんは、ゆうくんなんかじゃないよ」
「俺は自分よりなのはの方が大切なんだ」
「私も私よりゆうくんの方が大切だよ」
互いに譲らない姿勢で、会話は平行線を辿る。
手を握り、見つめ合いながら言葉を重ねる。妥協できる点を探しながら。
「なのははどうしたい? どっちの方が君は幸せになれる?」
「私の幸せはゆうくんの幸せだから、ゆうくんに選んでほしいの」
「俺は選べないよ。なのはの気持ちが分からない」
「私もゆうくんの気持ちが分からないと選べない」
同じことを言い合う二人。言い負かそうとは考えない。その言葉の意味を考える。
「仮になのはが俺に告白したとして、俺はどう答えると思う?」
「分からないよ。ゆうくんのことなのに全然分からない」
「俺も自分のことなのに分からないんだ」
手の中の温かさを意識する。
とっくに離していいのに離さなかった。その小さな手を。
「でも、一つだけはっきりしてることがある」
「なに?」
「いつか、なのはが誰かを救おうとして死にかけた時、その時は俺も一緒に死ぬよ」
なのはの手がピクリと動いた。
「ゆうくんが私と一緒に死ぬの?」
「そうしようと思ってる」
「……それは嫌。ゆうくんに死んでほしくない」
「俺もなのはには死んでほしくない。でも、今のままだったらいつか死んじゃうだろ? だから、その時は俺が隣にいる。そうすればきっと怖くないと思うから」
「……そっか」
なのはは困った顔をした。そして苦笑を浮かべる。
「じゃあ、気を付けないといけないね。間違ってもゆうくんを死なせないように」
「言っとくけど、俺に死ぬつもりはないから。もし一緒に死ぬことになったらお前のせいだから」
「はいはい」
分かってますと言って、なのはは手を離した。
ユウは自分の手の中にあった熱が消え、名残惜しさを覚える。
「でも、それじゃあ、ゆうくんも勝手にどこかで死んじゃダメだよ?」
「善処する」
「約束して」
「不慮の事故まではどうにもできないだろ」
「魔法使いが何を言ってるの?」
言われてみればその通りなのだが、ユウとしては確約出来ない約束はしない主義だった。いつでも、どこでも、誰のためにでも死ぬ覚悟があるがために、将来のことなんて分からないのだから。
「ひとまず、俺の気持ちは分かってくれたか?」
「うん。あんまり聞きたくなかったけど」
「人の心の中なんて、暴いたところでいい気はしないものさ」
闇の書を思い出す。
自分自身でさえよく分かっていないことを詳らかにされるのは、これ以上ないほど不愉快だった。
「で、どうするの? 告白するの? 俺は正直どっちでもいいよ」
「……その言い方は凄く腹が立つけど。ま、いっか」
ベンチから立ち上がったなのはがユウの手を握る。
その手を自らの両手で包み込み、胸に抱き、綺麗な笑みを浮かべながら告げた。
「私、高町なのはは、ゆうくんのことが好きです。世界で一番、これからもずっと、貴方のことが好きです」
「……」
ユウは俯いて顔を見せまいとした。
その様子を見て、なのはは両手に力を込めた。絶対に離さないとその意思を伝えるように。
「私の気持ち、分かってくれた?」
「……ああ」
「よかった」
なのはは恥ずかしそうに笑う。
「それとね、ゆうくんにもう一つ伝えておかないといけないことがあるの」
「……なに?」
「ゆうくんは私の好きにしろって言ってくれるけど、私は、自分がちょっと面倒くさい女だって自覚しているので」
言いながら、なのははポケットからユウの携帯電話を取り出した。
ユウとしては家に置いてきたつもりのそれを、なぜなのはが持っているのか不思議に思う。
「これからもゆうくんのことを第一に考えるのが丁度いいと思うの」
「……俺としては自分を大切にしてほしいって思うけど……」
携帯電話を受け取りながら、それには賛成しかねると、そう告げる。
ユウ自身は、なのはのことを面倒くさい女だと思ったことは一度もなく、何を言っているのだろうと首を傾げるばかりだった。
「この後、暇なら家に来てほしいな。シュークリームご馳走するから」
「……いいけど、なんで?」
「どうせ家に帰っても勉強するんでしょ? 甘いもので応援しようと思って。お母さんも、久しぶりにゆうくんに会いたがってると思うから」
「この前会ったばかりだが」
「今会いたいんだと思うよ」
どこまでも不思議そうな顔のユウの手を握って、なのはが先導する。
ユウはなのはに連れられながら考える。
告白の返事を催促されなかったけど、フェイトと同じ時にすればいいのかなと。
それにしても、もう受験は近い。すでに二月だ。いい加減、何かしらの答えを出しておかなければいけない。
一人で考えて分からないことは他人に相談するしかない。身近な人間で相談できる人。それを考えて、一人だけ心当たりがあった。
「なのは。一つお願いがあるんだけど」
こういうことは会って相談するべきだ。
思い立ったが吉日とばかり、ユウはなのはに頼み込む。ミッドチルダに行きたいと。