俯いたフェイトの姿を見て、ユウは胸が締め付けられるような感覚を覚えていた。
言うべきことは言わなければならない。そう決心してこの場にやって来て、しかし、いざ告げればこんなにも胸が苦しい。
どうしてこんなことになったのだろうと思う。三年前、自分が不用意なことを言ったせいだった。
あの時、きちんと冗談だと伝えていればこんなことにはならなかった。
紐になりたいなんて言ったけど、あれは冗談だったんだよと言っていれば……。
「……ユウは」
ユウの後悔を遮り、フェイトがぽつりと呟く。
「ユウは、私じゃなくて、違う子が好きなの……?」
「それは……」
言葉に迷う。
違うというのは簡単だが、言った先に何が待っているのか。それを思うと容易には口に出来なかった。
「お願い。答えて。もし他に好きな子がいるなら諦めるから……。私のことが嫌いなら離れるから……。だから、教えて。あなたの気持ちを」
顔を上げたフェイトの顔は悲しい色を湛えていた。
もう少しで泣いてしまいそうな、迷子の子供のような雰囲気。
泣かせたくないと思って、当たり障りのない言葉を言おうとする。そんな自分に誠実であれと語り掛ける。もはや、悲しませないことは出来ないのだから、せめて真摯であろうと誓う。
「フェイトのことが嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。大好きだ。でも、俺は……」
赤い瞳がユウを貫く。
その奥に宿る信念。出会った時から変わらずにそこにあるもの。それを見つめながら内心を吐露する。汚い自分を吐き出すように。
「俺は、好きって言うのがよくわからないんだ」
黙って聞くフェイトの顔に変化はない。
何を言っているのかと言う疑問も誤魔化しているのではないかと言う疑念もない。
何も疑うことなく、ユウの言葉を受け入れている。
「フェイトのことは間違いなく好きだ。尊敬してる。辛いことがあっても挫けずに立ち上がれて、あんなに難しい執務官試験にだって合格してる。心が強くて努力家で、可愛くて優しくて、女の子のお手本みたいな子だと思ってる。でも、異性として好きなのかって言われると分からないんだ」
ここにくるまでに何を話すかは考えてきていた。
こう言われたらこう言おう。これを聞かれたらこう返そうといくつものパターンを想定していた。
けれど今、事前に考えていたことは頭から抜け落ち、気持ちの赴くままに言葉を紡いでいる。
「なのはもアリサも、はやてもすずかも、みんな好きだよ。俺とは違って尊敬出来るところがたくさんある。可愛くて美人な女の子だと思ってる。ずっと付き合っていけたら楽しいだろうなって思う。それなのに、分からないんだ」
アリサは言っていた。独占欲も愛の内だと。
クロノも頷いていた。それは間違いではないと。
だから思う。自分に愛は分からないと。
「もし、フェイトが違う男と付き合っても、俺は祝福すると思う。フェイトが幸せでいてくれれば、それが俺にとっての幸せだから」
それは相手が誰だろうと変わらない本音だった。なのはだろうと、アリサだろうと、はやてだろうと、すずかであっても、変わらず、皆に対して抱いている気持ちだった。
彼女たちへの独占欲がないとは言わない。けれども、そんなものよりも幸せであってほしいと心から願っている。必要となれば、命を賭して幸福へと導くだろう。君を幸せにすると神にだって誓うだろう。
けれども、君だけを愛し、君だけを幸せにするとは言えなかった。彼女たちが幸せになれるのであれば、それをするのは自分でなくてもいいのだから。
「もし、俺がみんなに嫌われて、側にいられなくなったとしても、それは別にどうだっていいんだ。ただ幸せでいてほしいんだ。俺が側にいるせいでみんなが不幸になるって言うなら、俺は喜んでみんなの側を離れるよ」
「ユウ……」
何かを堪えるように、フェイトは唇を噛みしめる。
胸の前で握られた手に痛いほどの力が籠っていた。
「だから、ごめん。フェイトとは付き合えない。こんな、愛もよくわかってない男とは付き合わない方がいい。それでフェイトが幸せになるとは思えないから」
自虐の言葉は自嘲と共に吐き出された。
束の間、辺りを静寂が満たす。
ユウはフェイトを直視できなかった。もしかしたら嫌われたかもしれない。そう思うと、なぜだか怖くなる。
沈黙に耐えきれず、全てを誤魔化そうとして、わざと明るく言い放った。
「今言ったことを他の四人にも伝えるよ。アリサには殴られるかもしれないし、なのはにはとびっきり馬鹿にされるかもしれないけど、でも、それが俺の本音だから」
「……」
フェイトは何も言わない。
胸の前で握られた拳は変わらず力が籠っていて、俯いているせいでその表情は伺えない。
「フェイト?」
呼びかけに応じ、ようやくフェイトはその顔を上げた。
爛爛と輝く赤い瞳。頬は僅かに上気している。
溢れ出る何かを堪えた表情に、嫌悪や怒りと言った負の感情は感じられず、その口から紡がれた言葉にすら不愉快な感情は一切籠っていなかった。
「ユウ……私、私ね……」
次から次へと押し寄せてくる感情の波に押され、言葉が上手く纏まらない。
フェイトは、最早冷静であろうとは思っていなかった。胸に溢れるこの感情をそのままぶつけるべきだと、本能のままに飾ることのない言葉を放つ。
「今のユウの話を聞いて、私、ユウのことを幸せにしてあげたいって思ったの」
「……は?」
それを聞いて、ユウは呆気にとられる。
人生で幸せになってほしいとは数えきれないほど語って来たが、幸せにすると言われたことはただの一度もなかった。
「ユウは可哀そうな人なんだって思って、私が幸せにしないと、きっと一生不幸なままなんだって思ったの。だから、私は、ユウと一緒にいたい。一緒にいさせてほしい」
「いや、あの……」
答えを聞きもしないまま、フェイトはユウに近づいていく。手を広げて訊ねた。
「抱きしめてもいい?」
「だ、だめ……」
一歩一歩距離を詰めてくるフェイトから逃げるように、ユウは後ずさる。
少しずつ近づいてくるフェイトの顔は変わらず上気していて、妙な色気をユウに感じた。
「俺の話聞いてたか?」
「聞いてたよ。ユウは可哀そうな人なんだって」
「違うよ。俺は……」
否定の言葉は浮かばない。
少し前になのはに言われた言葉を思い出す。
「ゆうくんは自分で自分を幸せにできない人だから」と。
結局、結論はそれだった。
自分よりも他人。それが極まった結果、あるいは根っこからそうだったのか、ユウは愛が分からなくなってしまった。
元々知らないものは分かりようもないのだろう。だから教えてあげるしかない。フェイトはそう結論した。
ゆっくりとユウは追いつめられた。街灯にぶつかり、それ以上後退できなくなったユウを捕まえ、その頬に手を当てながら、フェイトは語り掛ける。
「私は、ユウが好き。世界で一番、誰よりも。きっと人生で貴方以上の人には出会えない。だから、私は諦めない。ユウに好きって言わせる。言わせて見せる」
かつて、母親の願いを叶えるため、がむしゃらだった頃の片鱗を感じさせる。
ユウは生唾を飲み込み、何も答えられない。
「ミッドチルダに移った後も、出来る限り会いに来るから。暇を見つけて通信するし、何なら地球に戻ってくるかもしれない。……もう少しだけ、私に時間をください。貴方を振り向かせるまでの時間を」
あまりにも真剣なその瞳に貫かれ、はいともいいえとも言えないまま、ユウは溜息を吐いた。
空を見上げて「あーあ」と呟く。観念したようにフェイトに向き直った。
「まずはアリサに言おうと思ってたんだけど……」
どことなく申し訳なさを漂わせながら、まだ誰にも告げていなかった本音を語り始める。
「実は、進学はやめて、俺もミッドチルダに行こうと思ってたんだ」
「え……」
思いもしなかった言葉に、今度はフェイトが呆然となった。
「なのはには少し言ったんだけど、魔法って危ないだろ?」
「それは……否定はできないけど……」
「だからさ。もし俺が地球に残って、俺の知らないところで三人が傷ついて。もしかしたら死んじゃったら、悔やんでも悔やみきれないから」
「……」
フェイトは言葉に困った。
それぞれが優秀な魔導士ではあるものの、死の危険はいつだって付きまとう。どんなに小さな確率でも、決してゼロにはならない。
「高校を卒業してからとも思ったんだけど、なのはとかは特に無茶をするから、三年間も目を離したらその隙に死んじゃいそうで。少なくとも大怪我はすると思うんだ」
「……実際、怪我はしてるもんね」
なのはの無茶は今に始まったことではないものの、それが大怪我に繋がっていないのは、ただ単に幸運だったというだけのこと。
これからミッドチルダに移住し、親の目が行き届かなくなることを思えば、その無茶が加速しても何らおかしなことはない。
「だから、俺もミッドチルダに行く。この前クロノに会って色々話を聞いてきたんだ。少し遅れるけど、問題なく移住できるはず」
「そう、だったんだ……」
つい最近、ユウが突然ミッドチルダに向かった理由を今更ながらに知り、フェイトは心の底から驚いた。
てっきり現実逃避に観光に出向いたとばかり思っていた。地球ではなく文字通り異世界の空気を吸いに行ったのだと、なのはがそのようなことを言っていたから。
「じゃあ、ユウもミッドチルダに来るってことは……離れ離れにはならない、よね?」
「ああ。……アリサとすずかとは離れ離れになっちゃうけど」
言いながら、ユウは苦しそうな顔をした。
アリサとの約束を破ることと、長い付き合いの幼馴染と離れること。この二つが胸を苦しめる。
しかし、フェイトにしてみれば、それは覚悟していたことであって、むしろユウが一緒に来てくれると言う喜びの方が勝っていた。
地球とミッドチルダの往復。
いざとなれば執務官を辞めることすら考えていたフェイトは、突然好転した現実に理解が及ばずに呆けてしまう。
そんなフェイトの裾を引っ張って、今まで沈黙に徹していたアルフが耳打ちした。
ごにょごにょと何かを言って聞かすアルフに、ふんふんと頷くフェイト。
次の瞬間、ぱあっとフェイトの顔が輝き、前のめりでユウに詰め寄る。
「そうだ! どうせミッドチルダに来るんだったら、一緒に住んじゃえばいいんだよ!」
「……は?」
聞き間違いかと思って、ユウは問い返す。
「なんて?」
「家賃は浮くし、寂しくないし、ユウとの時間も出来るし。良いこと尽くしだよ!」
「……はあ?」
「そうしようよ! ね!」
執務官に合格した時のパーティで、ユウを紐に出来ることを喜んだのと全く同じテンションを見せるフェイトは、一年たってもあまり変わっていない。あるいは、一年たってぐるりと戻って来ていた。話すら元に戻った。
「いや、あの……」
「そうと決まったら家を探さなきゃ。物件選びは私に任せて。マンションでいいよね?」
「決まってねえよ」
言うべきことは言わねばならない。
その意思を胸に、ユウは否定すべきことを否定する。
だが、肝心のユウの否定は全く届いておらず、フェイトのテンションはむしろ盛り上がっていた。
「家具は一緒に買いに行こうね。あっちは面白い家具がたくさんあるから、見るだけでも楽しいと思うよ」
「だから決まってないって。……聞けよ、人の話」
「場所はどこが良いかな……買い物とかしやすくて、雰囲気もいい場所……」
「おい、聞けよ……。おい……」
一人で盛り上がるフェイトを見て、こいつは手に負えないと判断したユウはアルフに助けを求める。
しかし忠犬は忠犬のままで、元を正せば余計な入れ知恵をしたのはその狼だった。
「あたしはフェイトが喜んでくれれば何でもいいのさ」
「恋人でもない男女が一つ屋根の下で暮らせるわけねえだろうが」
「どうかな。そこのところはよくわからないけど、行ける気がするよ」
行けるわけがないと呟くユウ。
盛り上がるフェイトを見て、現実的な問題が次から次へと頭に浮かぶ。
その内の最大の課題を思い、どう考えても無理だと言う結論に達する。
「……まあ、リンディさんが反対するだろうから、いいか」
楽観的にそう考えたユウ。
翌日、事態は考えていたよりも複雑になり、事が大きくなる前に治めておけばと後悔することになった。
あと2〜3話で終わるはずです