ビルを出たのが14時過ぎ。
午前中で終わると言う話だったが、昼に誘われてそのままランチに赴いたせいで数時間押した。
マスメディアと仲良くしておいて損はない、と誰かに聞いた言葉を思い出す。
いざと言う時、スキャンダルが記事になった時にはすぐに教えてくれる。それを握りつぶすも良し、放っておくも良し。
たかだか一管理局員の私生活をアイドル並みに追いかけまわす行儀のなっていない人間には、管理局の権限で取り調べからの拘留が望ましい。なのは自身は、今のところそういう人間には会っていないが。
高町なのは。18歳。いつの間にか、地球では成人とされる年齢になっていた。
ミッドチルダでは、エース・オブ・エースなどと呼ばれ始めている。
ヴィジュアルが良く、明るくて愛嬌がある。笑顔が可愛いなんて評判。管理局の広告塔に最適だった。
局からの猛プッシュと、流行に聡いマスメディアの合わせ技でもって、つい最近、雑誌の表紙まで飾ってしまった。
今日に至っては、特集記事を書きたいと言うから、せっかくの休みを返上して取材を受けた。
インタビュアーの一人にかつて助けた人間がいたらしく、お礼を兼ねて食事に誘われた。ついでに記事に書けることを増やそうと言う魂胆だった。
なのはは出来る限り明るく対応した。数週間ぶりの休みを返上したことはおくびにも出さず、夕方までには帰れるかなと内心で思っていた。
そうして解放されたのが14時過ぎである。
早い方かと納得するしかない。この後に予定はないし、少し短い半休と言うところだった。
明日からはまた仕事が待っている。早く帰って英気を養わなければならない。
道中、買い物に寄り、いくつか食材を購入して家に着く。
家に入って靴を脱いだ。ただいまは言わなかった。誰もいないことは知っていたから。
ミッドチルダに移住した当初、幼馴染のフェイト・T・ハラオウンと同居していたが、それも一年前に解消している。
お互いに一人の時間を大切にしようと言う建前であり、結局のところ、愛している人とは二人っきりが良いと言う合意がなされたからだった。
食材を冷蔵庫にしまいながら、中の食品を物色する。久しぶりに何か作ろうと思ったのだが、消費期限切れの食材が多い。普段料理などせず、仕事の忙しさにかまけていたせいで、買ったはいいが無駄になってしまったものが多い。もったいないなと思いながら、ゴミ袋に纏めておく。
着替えを済ませ、コップにジュースを注いで部屋に行く。
住んでいるのはそれなりの立地のマンションで、間取りは1LDK。室内はピンク色で統一されている。自身の魔力光が桃色のため、それに合わせた形だった。
テレビをつけてジュースを飲む。
ミッドチルダのどこかで事件が起こっていた。反射的にデバイスを確認したが連絡はない。現地の人間で対応しているのだろう。そもそも自分は海の人間で、陸から協力を要請されることは早々ない。陸には陸のプライドがあり、その矜持を踏みにじるのは可能な限り避けるべきだった。余計な不和は望ましくない。
「あ~……」
声が漏れる。
ダイニングテーブルに突っ伏した。
「仕事ばっかりだなあ……」
仕方ないことだった。一年後に設立を予定している新設部隊。
そのために行わなければならない仕事量は膨大で、大半が幼馴染の八神はやてが担っているものの、なのはが行わなければならない業務も多数ある。
隊舎はどこにするのか。部隊数はどうなるか。どれだけの人員を引き抜けるか。指揮命令系統の構築。必要な設備・機器の確保。
一度考え出せば切りがない課題の数々を、あと一年足らずで片づけなければならない。
はっきり言って、休んでいる暇などなかった。数週間ぶりの休日も、いい加減休めと言われたから休んだだけで、本来なら通常業務のはずだった。
今日行うはずだった業務は明日以降に持ち越される。その内容をツラツラと考え、大雑把な予定を組み立てた。教導隊の一員として、仕事に手は抜けない。抜けば最後、それは誰かの命取りとなる。人に教え、導かなければならない。生きて戻って来れるように。
「もう寝ちゃおっかな……」
15時間近。昼食を済ませた後で眠気はピークに達する頃合い。
今寝れば妙な時間に起きることになるだろうが、そうなれば出勤すればいいだけだ。どうせ仕事は山ほどある。
よっこいしょと立ち上がり、寝室へ向かう。
胸元のレイジングハートがピカピカと光っていた。何かを知らせている。それが何なのか考える間もなく、なのはは眠りへと落ちて行った。
◇ ◇ ◇
『どうして……?』
自身の声は震えていた。
それを認識できたのは、これが夢の世界だから。
たまに見る夢。またこの夢かと正直呆れる。
『私たち、お友達じゃなかったの?』
『友達だよ』
冷たく、無感情に告げられる言葉。
あの頃の彼はこんな感じだった。抑揚がなく、言葉の一つ一つに感情が籠っていない。本当にそう思っているのか。嘘をついているのか。分かりづらかった。
『大切な友達だ』
『じゃあ……』
『でも、ダメなんだ』
彼は言う。泣きそうだなと今のなのはは思う。力がないと辛いよねと記憶の彼に同情する。手の届かない辛さは身に染みて知っている。
『守りたいんだ。助けたいんだよ。他の何を捨ててでも。じゃないと、また助けられないから』
『……』
記憶のなのはは言葉が出ない。
彼が何を言っているのか、誰を指しているのか知っている。助けられなかった命が、まだその心に残っていた。
『俺ははやてを助ける。他の誰を犠牲にしてでも』
『……できないよ、ゆうくんには』
ようやく、記憶の中のなのはは決意した。戦う覚悟が整った。
遅いよと今のなのはは思う。彼が変なことを言い出したら、その瞬間に捕まえるべきだよ、とかつての自分に教えたい。
『私が、止めるから』
止めるんじゃなくて、協力すべきだったねと思い返す。
そうしたら、もう少し上手くできたかも。全ては過ぎたことではあるけど。
まあ、無理かと思い直す。あの頃は幼かった。世界は小さかった。実際はこんなに大きかったのに。
◇ ◇ ◇
目が覚める。窓から夕陽が差している。
腕を動かし自分の手を見た。見飽きた掌。子供ではない、大人の手。
夢の内容は覚えている。時折見る夢。不安になった時に見る夢だった。ユウが遠くに行ってしまうのではないか。それがなのはのトラウマになっていた。
もう随分と昔のことなのに、まだ引き摺っている。自分ではなくはやてを選びかけていたあの頃のことを。
これはもうダメだと思って、ユウの予定を確認する。
たしか今日ははやてのところにいるはずだった。ルール違反ではあるけれど、はやてだって久しぶりの蜜月ではあるけれど、今日を逃したら暫く会えないから、一目見るだけでいいから会いたかった。
そうしてはやてに連絡しようとしたところで、レイジングハートに声をかけられた。客人がいらっしゃっていますと。
恐る恐るリビングへと足を運ぶ。鼓動が早鐘を打っていた。
ドアを開け、隙間から中を見る。キッチンから肉を焼く匂いが漂っていた。
「……ゆうくん?」
「ん。起きた?」
フライパンから目を離さず、ゆうは背中越しに答える。
「今日、はやてちゃんのところじゃなかったっけ?」
「はやては午前中だけ。午後はなのは。そうしようと思ってね」
「……はやてちゃんはそれでいいって言ったの?」
「ああ。どうせみんな忙しいから、持ちつ持たれつでね。なのはとも随分会ってなかったから」
火を止めて、ユウは振り返る。手を差し出して、その言葉を口にする。
「おかえり、なのは」
「……ただいま。ゆうくん」
ただそれだけの会話が嬉しかった。愛している人に会えて、その手に触れて、心から安らいだ。
「何作ってるの?」
「ステーキ」
「豪勢だね。何かあったっけ?」
「何もないよ。ただ、最近はみんな忙しくしてて、アルバイトをたくさん入れられたから。奮発しちゃった」
「アルバイトをたくさん……?」
なのはの中で、嫌な予感が鎌首をもたげた。
「……ゆうくん、何かトラブルに遭わなかった? 事件に巻き込まれたり……」
「……巻き込まれてはいないなあ。いつも通りだった」
「あ、そう……」
ミッドチルダは治安が悪い。その悪さは日本などとは比べるべくもない。
出歩くだけで命の危険に曝されることは早々ないが、毎日のニュースが賑やかになる程度の事件は起こっている。
ユウは事件に巻き込まれることはなくても、事件に首を突っ込むタイプの人間である。
そんな人間が、アルバイトをたくさん入れられるぐらい暇を持て余していたと言う。もう一つ重要なことがある。ユウは、それなりに嘘を吐く。
「怒らないから、正直に言って。何をしたの?」
「……さ、少し早いけど夕食にしますか」
「やっぱり、何かしたんだね……」
「何もしてない何もしてない。なんか困ってそうな人がいたから助けただけ」
「もっと具体的に言ってほしいな。いつ、どこで、どういう状況で、どんな人を助けたの?」
「……さ、お皿に盛りつけて……」
「ゆうくん?」
「いくら天下の時空管理局だろうと、人助けして怒られる筋合いはない。断固として抗議する。これは権力の濫用だ」
「怒ってるんじゃないの。濫用してるわけでもないの。ただ、ゆうくんがおかしなことをしていないかチェックしてるだけなの」
「おかしなことは何もしてないよ。人助けをしただけ。こうやってポイントを貯めておけば、いつか俺も管理局の採用試験に受かるかもしれないだろ?」
「ゆうくんはもう絶対に受からないよ」
「悲しいこと言わないでくれよ……」
すでに三度も落ちているくせに、未だに希望を捨てていない幼馴染を哀れに思う。
仕方ないから、一つ救いの手を差し伸べることにした。
「ゆうくんに一つ紹介できそうなお仕事があるんだけど」
「まじで!? 正規雇用!?」
「ううん。短期」
「短期かあ……」
がくりと肩を落としたユウになのはは微笑みかける。この件については、はやてとフェイトとも合意は取れている。まだまだ先の話になるが、折角だから今了承を取っておこうと思った。
「清掃員のお仕事なんだけど」
「清掃員?」
「一年後ぐらいに新しい部隊を作るから、その隊舎の清掃員を……」
高町なのは。18歳。ミッドチルダに移住して二年。
愛しい少年は、まだ選べていない。