明朝、すずかが起きた時にはユウの姿がどこにもなかった。ついでに姉の忍も家におらず、ユウの身を案じたすずかは家中を探し回る。
キッチンから物置まで余すところなく探し、「あと残ってるのは天井裏しかないけど……」と猫を抱えながら天井を睨んでいたところに、メイドの一人に声をかけられる。
「忍様ならお客様と一緒にお庭ですよ」
早足で行ってみれば、二人は庭先で朝日を浴びながら話をしていた。
ほっと胸を撫で下ろし、さては探し回っているところを見守られていたかと先ほどのメイドに若干の怒りを覚える。
「君ももう十三歳なんだから、誰か気になる子の一人ぐらいいないの?」
「特にそういうのはないです」
「最近の小学生は進んでるって聞いてるわよ。早い子ならもう処女と童貞散らせてるんでしょ?」
「友達いないんで分からないです」
「君の近くに恋人の一人二人侍らせてる子はいない? もしいるなら紹介してちょうだい。初体験について根掘り葉掘り聞くから」
「例えいたとしてもあなたにだけは紹介しないです」
相変わらず、頭の痛くなる話をしている。
正直近寄りたくすらなかったが、学校に行く前に確認しなければいけないことがある。
渋々と、すずかは二人の元に近寄っていく。
「お姉ちゃん……」
「あら、おはようすずか。今日はもうばっちり決まってるわね」
余計な言葉は無視し、「おはよう」と挨拶を返す。次いで、ユウに視線を向けた。ユウは自然と挨拶を口にする。
「おはよう」
「……おはよう」
少しだけこそばゆい感じがした。
何となくユウと目を合わせていられなくて、すずかは視線を忍に戻して話を続ける。
「お姉ちゃん、昨日の話だけど」
「なに? 昨日の話? 何か言ったっけ?」
きょとんとした顔の忍を見て、すずかは一拍考える。もしかして、忘れているのだろうか。
もしそうなら忍の頭は完全に酒に犯されていて、金輪際真面な会話は望めそうにないが、今この瞬間だけは好都合と言えた。利用しない手はない。
「私、ユウ君と一緒に学校行くから、その後は……」
「思い出したわ。今日は彼を苛め抜く予定だったわね。早速お酒を用意しなくちゃ」
浮き浮きとした足取りで家に戻る忍。その背中に対し、すずかは何も言えなかった。
ユウは虚空を見つめている。その膝に、すずかが抱えていた猫がぴょんと飛び乗った。
「すずか。俺、頑張るから……」
「……ごめんね」
本当にごめんと重ねてすずかは謝った。
ユウは首を振りながら、恐る恐る猫に触れている。猫は目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしていた。
その光景に微笑ましさを感じて、すずかはくすりと笑みを浮かべる。
「今日は朝から飲むわよー」と家の中から響いてきた声は聞こえないふりをした。
◇ ◇ ◇
ユウを一人家に残してすずかは登校する。
車の中ですずかは溜め息を吐き続けていた。どうやら、あの姉はユウのことを気に入ったらしい。いじりがいのある玩具だと思われているようだ。
これは大変なことだと思わざるを得ないのだが、すずかに対抗する術がないためにユウの命運は尽きたと言えた。何と言うか、本当にご愁傷さまとしか言えなかった。
内心に諦観を浮かべて登校したすずかの元に、幼馴染のフェイト・T・ハラオウンが話しかけてくる。
「すずか、ユウは大丈夫だったの?」
「うん……」
何を言われるよりも前に、フェイトが何を言いたいのかは分かっていた。
最初、疲れ切った表情をしていたすずかは、気力を振り絞って笑顔を作る。
「ユウ君ならきっと生き残ってくれると思うよ」
「どういうこと?」
訝し気なフェイトに対し、すずかはそれ以上説明することが出来なかった。曖昧に微笑んで言葉を濁す。
「生き残るって……え、ユウ死んじゃうの?」
「ある意味そうなるかも……」
「え?」
「ごめんね。フェイトちゃん」
謝ることしか出来なかった。無力な我が身を呪った。しかし相手が悪すぎた。敵は月村忍である。きっと誰しもが無力だろう。
対抗できるのは同じ酒飲みだけだ。十三歳の飲酒は法律で禁止されている。それは当たり前のことで、だからこそ忍には敵わないのだ。
だから仕方がない。歯が立たないのは当然で、逃げるのがやっとなのだ。逃げられなかったユウは運が悪かった。
そう自分に言い聞かせ、フェイトの追及を躱す。
忍がユウに何をするつもりなのか。その答えは放課後にはっきりするのだから、今の段階で言えることは何もなかった。
◇ ◇ ◇
「彼、良い飲みっぷりだったわよ」
「えぇ……」
夕方に家に帰ったすずかを待っていたのは、法律を犯した姉の姿だった。
なのはとアリサの追及を躱し、やっとの思いで帰宅したらユウが酔い潰れていた。全く持って信じられない光景だったが、何度見ても見間違いではない。現実だった。
「ユウ君……?」
「……」
返事はない。床にうつ伏せで眠ってしまっている。
呼吸の心配をするすずかをよそに、メイドの一人が枕を持ってきてユウの顔の下に置いた。本当に窒息するのではないかと余計に心配になった。
そんなユウの姿を視界の端に捉えながら、すずかは姉を問い質す。
「誰がユウ君にお酒を飲ませたの?」
「私たちは何もしてないわよ。ねえ?」
「はい。私たちは無実です。疑うなら証拠を出してください。ないなら無実です」
白を切る忍とメイド。
物的証拠はない。状況証拠もない。だが心象的には有罪だった。死刑を宣告していいほどに。
「落ち着きなさい。目が赤くなってるわよ」
「……ユウ君に酷いことをしたなら許さないから」
「してないってば。全く、信用ないわねえ」
忍は苦笑してメイドと顔を見合わせて笑い合う。
「彼が自分で勝手に飲んだのよ」
「はい。最初にお茶とウイスキーを間違われて……一気飲みされていました」
本当だろうかとすずかは疑う。仮にそうだったとしても、口に入れた瞬間に吐き出すのではないだろうか。
「……本当に?」
「本当本当。神に誓いまーす」
神など信じていなさそうな人間が神に誓ったところで、その言葉には毛ほどの重みもない。やはり嘘を言っているのではないか。
疑いは深くなり、それは眼差しに現れる。そんなすずかを見て、忍はにやりと笑った。
「でも、酔ってくれたおかげでやっと本性が見えたわよ」
「そんなのどうでもいいよ」
「まあ聞きなさいよ」
愉快で仕方がないと言う素振りの忍に、すずかは顔をしかめる。
「彼、あなた達のことが大好きみたいね」
「……だから?」
「あと多分Mよ」
「……それで?」
「あんたSだっけ?」
「……」
すずかは閉口する。
この状況で矛先が露わになるとは思わなかった。ましてや、それが自分に向けられるなど誰が想像できるだろうか。
「すずかがSならMとSで相性がいいのよねえ。どうなの? そこのところ」
「……私、怒ってるんだけど」
「あらそうなの。で、S?」
すずかは自分に言い聞かせる。
ここで引けば相手のペースに乗せられるだけだ。怒っていると言う態度を貫かねばならない。さもなければ性癖を根掘り葉掘り聞かれるだろう。そんなのは耐えられない。
「あのね、お姉ちゃん。今SとかMとかそんな話はしてなくて、ユウ君がお酒飲んじゃったことについて……」
「面倒ね。お酒持ってきて。飲ませましょう。この子なら大丈夫だから、それが一番手っ取り早いわ」
「かしこまりました」
かしこまるな。
冗談とは思えない主従のやり取りを目の当たりにし、すずかはユウを抱えて自室へと駆け込んだ。
鍵を閉め、誰も入って来れないようにする。
扉を背に、荒い息を落ち着かせる。
ドンドンと扉が叩かれていた。
「Sなの? Mなの? どっちなのー?」
その問いかけを無視し、横抱きに抱えたユウに視線を向ける。穏やかな寝息を立てていた。
「Mなんだ……」
ぼそりと呟かれた言葉を聞いた者はいない。