すずかが部屋に籠ってから一時間ほど。
扉の前では酒盛りが開かれていた。
今この時も忍とメイドの笑う声が聞こえてくる。
なぜそこでお酒を飲んでいるのかと言う疑問は当然のものだったが、扉越しにやめるように要求しても、「すずかの性癖は?」だとか「お嬢様が間違って処女を散らさないように監視しているのです」とか、そう言う言葉が返って来て、あまりに言葉が通じないために、すずかは扉の向こうに話しかけるのをやめていた。
「私ねーすずかはSだと思うのよねー」
「その根拠は?」
「勘」
「なるほど」
いつまでも終わる気配のない酒盛りに溜め息が零れる。
学校から帰って来てすぐ部屋に閉じこもったせいで、本来すべきことを何も済ませられていなかった。
ぱっと思いつくもので食事、入浴、トイレである。一食抜く程度なら我慢できるが、丸一晩トイレを我慢できるとは思えないし、お風呂にだって入りたかった。
扉の前を占拠されてしまった現状、勝ち筋はなく、どこかで諦めなければならないが、その結果詳らかにされるのは己の性癖である。
嫌だなあと思いつつ、逃げきれそうにないのは分かっていた。
真剣に自分の性癖を考え続けて一時間。ベッドに寝かせていたユウが寝返りを打つ。
椅子に座りながら頬杖を突いていたすずかは、することもないからユウの寝顔を観察していた。
ずっと見ていたおかげなのか、そろそろ起きそうだと何となく分かってしまい、背筋を伸ばして行儀よくする。
すずかの視線の先でゆっくりと瞼が開く。
窓から差し込む暮れかけの夕日が部屋を夕焼け色に染めていた。
天井を捉えた瞳は焦点が合っていなかった。時間をかけて像を掴み、脳が働き始めた様子が手に取るように分かった。
何度か瞬きを繰り返すユウを見ながら、すずかは自室に招いたのは初めてだと気がついた。
こんな形で招くことになるとはと言う憂鬱感と、異性の男の子が自室にいると言う緊張感。
複雑な感情を持て余しながら、すずかはユウが起きるのを待っていた。
状況が呑み込めずに混乱している様子のユウは、現状の確認のために周囲を見回す。
すぐ横で椅子に座っていたすずかと目が合い、束の間見つめ合う。
「おはよう。ユウ君」
「……おはよう」
理解に時間がかかっている。
すずかは根気強くそれを待った。起きたばかりで緩み切っているユウの姿は、すずかにとっては馴染みが薄い。
無防備だなと思った。少しはだけてしまっている服と言い、僅かに寝ぐせの付いた髪型と言い、警戒心と言うものが欠如している。押せば簡単に倒れてしまいそうだった。多分ろくに抵抗もしないのだろうと、すずかはその光景を想像する。
「ここどこ?」
「私の部屋だよ」
起き上がる素振りも見せず、ユウは天井を見上げている。
扉の向こうから聞こえてくる忍の声に気づき、「うわ……」と声を漏らしていた。
「お酒飲んだって聞いたけど、大丈夫?」
「……ああ、多分」
言葉ではそう言いつつ、やはり起き上がろうとはしない。
しきりに額に触れている様子から、ひょっとして頭痛がしているのではないかとすずかは考えた。
「お姉ちゃんに飲まされたの?」
「いや、自分で飲んだ」
てっきり、姉が飲ませたのだと決めつけていたすずかは、その告白に一瞬言葉を失う。
「……どうして?」
「あれに抵抗するには酒の力を借りるしかないと思って……。でも、今考えたら全然そんなことないな……」
そんなことを考えてしまうほどに追い詰められていたらしい。
すずかはユウのことがとても不憫に感じられ、椅子から立ち上がって膝立ちで顔を覗き込む。
「頭痛い?」
「いや、別に」
「嘘ついちゃだめだよ?」
「……少しだけ」
たった一度の追及ですぐに認めたことから、今のユウはいつもより少しだけ素直になっている。
すずかはユウの額に指を滑らせ、前髪をかきわけた。
体温が少し高い気がすると思いながら、お水を飲ませた方がいいのかなと考える。
「お水飲む?」
「いらない」
言いながら、ユウはすずかの手に自分の手を重ねた。
すずかは驚き、身を固くする。
「手、気持ちいい」
「そう、なんだ」
振り払おうと思えば振り払えたが、そんな考えが浮かばない程度にすずかも動揺していた。
異性との接触と言うのは、肉親を除けばほとんどこれが初めてだった。
「やっぱりお水飲んだ方がいいね」
強張った身体を無理矢理動かし、絞り出すようにその言葉を発する。
扉に向かおうとしたすずかの手をユウが掴んだ。真剣な表情で制止する。
「その先には奴がいる」
「それはそうだけど……」
けれども、いつまでもこうしていられるわけもなく、負けを認めるなら早い方がいい。
すずかはそう考えていたが、ユウとしては奴と再び相対する準備が出来ているわけではなかったので、逃げるべきだと主張した。
扉の前を占拠されてるのにどうやって逃げるのかと問うすずかに、ユウは窓からと答える。
「ここ二階だけど」
「大丈夫」
ユウが指を差した瞬間から、独りでに開き始めた窓を見て、ユウが魔法使いだったことを思い出す。
「じゃあ、抱っこするから。おいで」
「え」
遠慮するすずかの言葉は無視され、横抱きに抱え上げられる。
さっきとは逆だなとすずかは思い、窓から飛び降りることを考えたら、途端に恐怖がにじり寄って来る。
「私を抱えたままでも平気なの?」
「よくアリサを抱えて空を飛んでるから大丈夫」
「……ふーん」
それは知らなかった。
秘密にされていたことに少しの苛立ちを覚えて、そんなすずかの内心を知る由もないユウは、人を抱えているとは思えない軽やかさで窓の外に身を投げ出した。
予想していた浮遊感は訪れない。
二人の身体はゆっくりと下りていき、近場の窓がまたもや独りでに開いて、家の中へと侵入する。
「……気づかれてはなさそうだな」
「……うん。大丈夫そう。……魔法って便利だね」
階上から聞こえる酒盛りの声。二人が部屋から抜け出したことに気づいている気配はない。
ほっと胸を撫で下ろし、とりあえず用を済ませようとすずかは早足でトイレに向かった。
◇ ◇ ◇
宴は彼これ三時間続いている。
その間にユウとすずかは食事と入浴を済ませた。
部屋はたくさんあるのだから、布団さえあれば寝る場所には困らない。
酔っぱらいはこのまま酔いつぶれてくれれば言うことはない。
そんな未来を願いながら、すずかは指定された部屋に赴く。
二組の布団がピッタリと敷かれている光景を目にして、即座に踵を返した。
「どういうことなの?」
「なにがですか?」
何を言われているのかさっぱり分かっていなさそうなメイドに対し、すずかは言葉に詰まる。どうしてうちにいるメイドはこんなのばっかりなのだろうと今更ながらに後悔していた。
「あのね、ユウ君と私はそんな関係じゃないの。だからああ言うことはしなくていいなら」
「ああ言うことと言いますと?」
わざわざそれを言わせようとしているあたり、確信犯じゃなかろうか。
すずかはどのように伝えるか言葉に迷い、結局何も言えなかった。
「……部屋は別にして」
「え、でも……」
「お願い」
きょとんとした表情のメイドは、それでも「かしこまりました」と言って部屋に向かった。
部屋が用意されている間、ユウの姿を探して歩き回る。
洋館などと言われるほどに広い家の中には、酔っ払いの笑い声ばかりが聞こえてくる。
ようやく見つけたユウは猫に囲まれていた。猫じゃらしを片手にフローリングに座っている。
数匹の猫がユウを中心に集まっていた。
猫じゃらしを振って猫たちを翻弄している。その膝の上には一匹の猫がくつろいでいた。
微笑ましい光景を目の当たりにし、すずかはくすりと笑みを零す。
ユウの側に腰を下ろして、膝の上にいた猫を撫でた。
「猫は好き?」
「どうかな。よく分からない」
言いながら、猫じゃらしを振る手は止まらない。
三匹に同時に襲いかかられ手から零れ落ちる。床に転がった猫じゃらしが餌食になった。
手持無沙汰になった手で猫を撫でる。傷つけることを必要以上に恐れている手つきだった。
「多分、ユウ君は猫が好きだと思うよ」
「どうしてそう思う?」
「そう言う顔をしてるから」
一転して不思議そうな表情を浮かべたユウのことを、すずかは慈しむような顔で見つめた。
近くに寄ってきた猫を、たどたどしい手つきで撫でている。膝の上に座ってしまった猫に対しても、どうしていいか分からずに困っているように見えた。
新しいところばかり見つけちゃうなとすずかは思った。
「お嬢様、お部屋の用意ができましたが、本当に同じお部屋でなくていいのですか? 私はお似合いだと思います」
「いいです。ありがとう」
後ろからやって来たメイドが用意の出来たことを伝えてくれる。余計な言葉は聞かなかったことにした。
「ユウ君、お部屋用意できたから、少し早いけど私はもう寝るね」
「うん。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
猫とたわむれるユウを残して、すずかはその場を立ち去ろうとする。その耳元に、余計なことを仕出かすことに定評のあるメイドが、こっそりと耳打ちした。
「枕元にコンドームを用意したので、いざという時はお使いください」
「黙って」
十三歳に何をさせるつもりなのかと、小一時間問い詰めたかった。