眠る時間が早かったせいで、すずかは中々寝付けずにいた。
夜に強い体質も相まって、布団の中でただ目を瞑っているだけの時間が過ぎていく。
時折聞こえる酔っ払いの声が余計だった。その声が聞こえるたびに緊張して寝付けない。
このまま過ごすのは時間の無駄だ。そう考えて、水でも飲もうと立ち上がる。
廊下には明かりがついていた。何となく抜き足差し足で移動する。
ダイニングに向かう最中、遭遇した猫がにゃーと鳴いていた。「にゃあ」と返事を返し一撫でする。
そのまま猫と一緒にダイニングに行けば、そこにはユウがいた。
数ある椅子の一つに座っているユウは、未だに猫に囲まれたままではあったが、特に何かしているようには見えない。
ぼうっと虚空を見つめている姿に、ひょっとして寝れないのかなと思い、すずかは声をかける。
「どうしたの? こんなところで」
「特にどうしたってわけじゃないけど」
ユウは肩越しに答えた。
問いかけに対し、ほとんど間髪入れずに答えたので、すずかの存在には気づいていたらしい。
少し待って、それ以上明確な答えが返ってこなかったため、すずかはユウの隣に腰かけた。「なに?」と言う意思表示を兼ねて首を傾げる。
ユウはチラリとすずかのことを横目に見て、淡々と話し出す。
「今日のことを振り返ってた」
「振り返ってた?」
「色々あったから」
すずかは気づく。忍が滅茶苦茶やって、ユウはその犠牲者だった。
「うちの姉がごめんね」
「別にすずかが謝ることじゃない」
口ぶりからは本当に気にしていないように聞こえた。しかしユウは感情を隠すのがうまい。その本音までは見透かせない。
返事に迷うすずかを見て、ユウは少し考える素振りを見せた後に言葉を続けた。
「色々と言われたから、それを考えてた」
「……何を言われたの?」
「自分のことも知らない人間に他人を笑顔にできるわけないでしょって」
一見して、それは真理を突いているように思えた。誰かを笑顔にする前にまずは自分を笑顔にして見せろと、そう言う意味に受け取れた。
「お姉ちゃんもたまには良いこと言うんだね」
「ああ。だから、まずは自分の性癖に気づくことから始めなさいって」
前後の文脈がどのようにして繋がるのか。それはきっと永遠の謎だった。
「ごめん。私が間違ってた。全然良くない。ユウ君、それセクハラだからね? 真に受けたらダメだよ?」
「俺、脚フェチらしい」
「ユウ君……」
やめてくれとすずかは思った。
友人のフェチは知りたくない。性的な生々しさに忌避感が働いてしまう。
「……なんでそう言う話になったの?」
「分からない。ちょくちょく脚を見てるからって言われたけど」
そうかなあとすずかは釈然としない気持ちになる。
今まで、ユウの視線が脚に向けられた覚えはない。最近、二次性徴を迎えたこともあり、そう言う視線には敏感になっていた。忍のそれはただの酔っ払いの戯言ではないだろうか。
そんなことを考えていたすずかは、品定めするような視線が向けられていることに気づいた。
今、すずかが着ているのは丈の長いゆったりとしたパジャマである。成長期と言うこともあり、オーバーサイズで上下ともに丈が余っている。
「……ユウ君?」
「うーん」
納得できかねると言う顔で首を傾げるユウの姿に、すずかは自尊心が傷つけられた。
ユウのお眼鏡にかなわなかったからと言って良いも悪いもないのだが、間接的に女としての魅力に欠けていると言われている気がして、そこだけはどうしても納得できなかった。発育一つとってもそんなはずはないと言う自負がすずかの中に隠されていた。幼馴染たちの中で一番胸が大きいのは自分である。少なくとも、今のところはそうだった。
「……私って魅力ない?」
「は? ああ、うん……」
ユウは言葉を濁した。すずかが性的な話題に忌避感を抱くように、ユウもそれについては避けたい気持ちであった。なにせ互いに小学生の頃からの付き合いなのだから、妙な照れ臭さを感じてしまう。
だから適当に返事をしたのだが、図らずともそれがすずかのプライドを傷つけていた。
「うん。この服の上からじゃ良く分からないだろうから、脚見せるね」
有無を言わさず、すずかは行動を起こした。
椅子を引き、少しだけズボンの裾を上げて見せる。
くるぶしが見えるところまで上げてみれば、ユウの視線がそこに集中していた。
それを確認して、ゆっくりと裾を引っ張っていく。手の動きに応じるように、ユウの視線も徐々に上へと登っていった。
すずかは一挙手一投足を逃すまいとユウを見つめていた。
膝まで露わにした脚をわざと前後に振ってみる。ユウの視線は確実にそれを追っていた。
なんだか気分が良くなってきて、脚を持ち上げてユウに近づけてみる。
ゆっくりと勿体ぶるようにして近づけた脚を、ユウの膝の上に乗せる。妙な気分になっていた。男を翻弄する女の高揚感だった。それはすずか自身の理性すら翻弄し、普段ならば絶対にしない行動をすずかに取らせていた。
少しおかしくなっているすずかのことをユウはちらりと見やった後、「ふむ」と呟きながらくるぶしの辺りに手を置いた。
ナチュラルにおかしい行動を目の当たりにし、すずかは一瞬にして正気に戻った。しかし何を言う暇もなく、猫を撫でる時と同じような手つきで、ユウは脚を擦り始める。
びくりとすずかの身体が小さく跳ねた。
「ゆ、ユウ君?」
「……」
真剣な表情ですずかの脚を擦るユウは、それを判断材料に使いながら、本気で自分の性癖と向き合った。
その甲斐もあり「悪くはない」と言う感想に落ち着いていた。
「脚フェチか……」
呟かれた言葉に、すずかは危機感を抱く。これ以上はダメだと言う焦りがそのまま言葉に出る。
「な、撫でるのはいいけど、これ以上はダメだからね」
「これ以上って?」
純粋な疑問から生じた質問。
すずかは答えられない。言われてみれば確かに、これ以上ってなんだと自分でも思った。
ぐるぐると思考が回る。魔導士すら凌駕するほどの思考速度が発揮され、今までに培ってきた知識が総動員される。脚フェチと言うものに対してのアンサーが導き出された。
「舐める、とか……」
「……」
ユウの手つきが止まった。膝の上にあるすずかの脚を見下ろしている。舐めるのかと言う驚きが表情に現れていた。
すずかは自分の間違いを悟った。余計な知識だった。間違いなくいらなかった。この少年にだけは教えてはならなかった。
じっと脚を見続けるユウに、すずかはもう何も言えない。言えば言うほど墓穴を掘る気がした。
両手で足の甲をそっと包み込むようしたユウのことを、固唾を飲んで見守る。
その口が僅かに開くのが見えた。ダメ、と心が叫ぶ。
「捕まえたー!」
突如として聞こえてきたその声は衝撃と共に背後から襲い掛かって来た。
アルコールの匂いが漂い、覚えのある香水の匂いもした。
振り向けば忍が飛びついて来ていた。その手に日本酒の一升瓶を持ちながら、すずかのことを羽交い絞めにしている。
「おっかしいと思ったのよねー。いくらなんでも出てこなさすぎだろってね。トレイとかどうしてるんだって。まさかペットボトルにするわけないしねー。そりゃそうよね。窓から出るに決まってるわ。あはははっ!!」
何がおかしいのか、何もおかしくなどないのに笑う姿は紛うことなき酔っ払いのそれで、助かったと言う気持ちと死んだと言う気持ちの相反する思いを抱く。
半死半生の境にいたすずかは、忍の発する一言一句を判決文だと思って聞いていた。
「はい。じゃあ飲んで。あんたの性癖を露わにするわよ」
下されたのは死刑宣告だった。すずかは自分の運命を悟った。