TS少女は野蛮な世界を塗り替えたい 作:きうりの魂
「ぅ⋯⋯」
ふわふわと漂っていた意識がゆっくりと浮き上がって現実へと着地する。よく寝た気がする。寝起きだからだるいけど。
寝る前に何か考えてた気がするんだけど、なんだったか。冷蔵庫から冷やしておいた紅茶を取り出し口に含ませながらそんなことを考える。
そうだ、何か新しいことを始めてみようという話だったはずだ。確かにここ最近は食べて寝て、起きたらダラダラという死ぬほどぐうたらな生活を送っている。
異能に関しては体が成長すればするほど強化される傾向がありそうなので放置でもいい。でも現状維持に甘んじて、ロクに働いていない状況はいい加減に改める必要があるんじゃあないだろうか。
油断とか隙を突かれて縄張りを失うとかいう不始末は起こしたくないし。何よりこの世界の人間は皆気狂いであるからして、いつ私の縄張りに宣戦布告がなされてもおかしくないのである。野蛮人は早く死んでくれ。
「はあ⋯⋯」
どうにもならないことを嘆いていても仕方がない。適当に街をぶらつきながら、私ができることを考えよう。その辺に掛けてあったパーカーを羽織り、扉を開いた。
家の中では気が付かなかったが、どうやら今は夜らしい。外に出て太陽が見えないことで夜になっていたことを理解した。時間感覚がズレまくっているのがよく分かる。少なくとも少女が出歩く時間ではない。
まあこの世界においては補導とかないし、昼だろうが深夜だろうが凶暴な人間が多い。危険度は大して変わらないんだよね。
夜かぁ⋯⋯
特に目的もなく歩いていたけれど、この時間帯だしバーに寄ってみよう。知り合いの一人や二人いるだろうし。
「さむ⋯⋯」
ビルの隙間を縫って流れてくる風は、随分と冷たくなっていた。空気が乾燥気味であるのを見るに冬の季節となっていたのだろう。最近は空調付けっぱの家に引きこもっていたから、季節の変わり目を体感できていなかった。
今の私の服装はシャツにパーカーを羽織っただけのお粗末なもので、冬の寒さには到底対抗できないへっぽこ装備。しかも、少女の身体は体温が高い癖に寒がりという謎現象を披露してくれている。私は一刻も早く暖かい建物に入りたい一心で異能を行使した。
目の前にパチパチと黒い炎が湧き出す。そのまま炎が人型を形作り、屈強な男へと姿を変えた。これが私の異能。虐げられない、強者という地位を得られたのは8割くらいこの異能のお陰だ。
ただ男を呼び出すだけの単純な能力ではない。なんとこの異能、条件を満たすだけであらゆる人間の力を模倣することが出来るのだ。あと今男を呼び出したみたいに模倣したものの具現化も容易に行える。
いくつかデメリットはあるものの、それが気にならないくらいには強力な力となっている。何より異能は私を裏切らない。寝返らない従順な可愛い駒は、私がこの世界を生きる上で大きな力となってくれた。
屈強な男もとい、ウドの大木くんをしゃがませ背中に乗り込む。世間一般的におんぶと呼ばれている運び方。なんだかこの身体にはよく馴染むのだ。ウドくんは体温を持たない変温動物のような生態をしているため、触れている部分がとても冷えるがバーまでの辛抱である。
ウドくんは夜の街を駆ける。車通りは多くない。でも、もしも走っている車があれば運転手はたいそう驚くことになるだろう。スピードを出している車と同等、あるいはそれを超える速度で男が走っているからだ。
やばい、死ぬほど寒い。早くも私はウドくんに乗ったことを後悔していた。速度を出せば風を身体で受けるのは道理であった。ウドくんが風除けとなってくれているものの、そんなことが関係ないレベルで寒い。凍死する!
異能力者が寒さに耐えきれず他界なんて恥ランキング上位に位置する死因、許容する訳にはいかない。ガタガタ揺れる腕を抑えつけウドくんを停止させ、転がり落ちるように降りる。
間髪入れずに私は再び異能を使用した。今度は人間の実体化ではなく、能力だけを拝借する。思い出すのは、何処かで出会った誰かさん。人間の血液を沸騰させてトマトハンバーグみたいとか笑っていた熱を操る異常者を。
今回は体内に熱源を作るのではなく、周囲の空気に軽く熱を放ってやる。それだけで私付近の気温が夏レベルに上昇した。ぬくもりが体を癒やしていく。
最初からこの暖房を使ってれば死にかけることもなかった気がするな⋯⋯
取り敢えず、春が来るまではこの暖房異能を常用することになりそうだ。ウドくんを消した後、目に見えない熱でお手玉をしながら私はバーを目指して再び歩き始めた。
「ますたぁ〜、大根と白滝おねがーい」
「この店おでんやってんのか? じゃあ俺はちくわとごぼう巻きが食いてえんだが、メニューにあるか?」
「あんたたちふざけてんじゃないわよ! この店はおしゃれなバーなの。その辺の飲み屋みたいなメニュー置いてる訳ないでしょ!」
馴染みのバーに入ると、「ムキーッ」という言葉が聞こえてくるかのような怒り方をする妙齢の美人さんがカウンターの向こう側で騒いでいた。バーのマスターである。日常茶飯時のことなので特に気にかけることもせず、カウンターチェアに目を向ける。
大抵の場合、マスターが怒ってる時は周囲にからかい好きの知り合いがいるんだけれど。白髮長髪の後ろ姿を見るに今回も通例から外れている訳ではないようだ。けれども今回は、その近くの席に見知らぬ背中があった。
「あら、いらっしゃいネモちゃん。今夜はどうしたのかしら?」
私が店内にいることに気づいたマスターがカウンターを離れ、面前にやって来る。なんかこのマスターは私を子供扱いする傾向にあるんだよね。現に今も私の頭を撫でながら話しかけてきている訳だし。
殴りかかってくるタイプの野蛮人じゃないから不快な訳じゃないけど、適当なところで手を握って辞めさせる。物足りないって顔してもダメなものはダメです。私は撫でられる為に来た犬ではないので。どちらかと言えば、警戒心の強い猫だと思う。
「林檎ジュースと、サンドイッチを」
「注文ね! 任せてちょうだい」
マスターはこの街有数の、仕事に熱心な常識人である。おちょくられて良く怒っているが、それもまあ彼らなりのコミュニケーションなのだろう。注文を承ると、マスターはすぐにカウンターへと戻っていった。
私は面識のない男の隣か、知人の隣のどちらの席に座るかとしばらく悩み、知人の隣へと腰掛けた。すごい酒臭いね、君。やっぱり男のほうがマシかも知れない。
「テン、飲み過ぎ」
ロックグラスをカチャカチャと揺らし、チョコレートを摘む少女に牽制攻撃を仕掛ける。別に酒を飲むのは自由だと思っているけれど、酒気を無作為にばらまくのはマナー的にどうなのというお話である。聞いてるかいテンさんや。お前に言ってるんだよ。
「うぇへへ〜〜、ひさしぶり~」
「ひさしぶり」
駄目か。酒に呑まれちゃってるよ。これでは話などできそうもない。出せる限りの筋力で、脱力して寄りかかってくる酒飲みを押し戻しながら見切りをつけた。このだらけた酒飲みよりは近くの席でサラミをついばんでいる男に話しかけたほうが、有意義な会話をできそうだし。
「こんばんはおじさん」
「おじ⋯⋯? ああどうした嬢ちゃん。俺になんか用か?」
「見ない顔だけど、何処から来たの?」
このバーは一応会員制となっている。会員の顔ぶれは基本変わらないため、この男はテンに紹介されてやって来た新入りだろう。
後ろ姿では分からなかったが、話してみると良く分かった。この男は異能に目覚めかけているらしい。この呑兵衛は暴力の原石を拾い上げ、この街の害になるか否かを測っていたというところか。
第一印象は割と悪くない。なんならかなり好印象。話しかけた時点で剣を振り上げる人間や子供の肉は柔らかいんだよなと火を起こし始める野蛮人と比べれば、この男は気のいいおじさんという評価に値するだろう。子供の身体ってナメられやすいし本当に不便だよね。
「あーそうだな、東の⋯⋯東ってわかるか? この針の右らへんのほうだ」
言葉に詰まった男は鞄を漁り、羅針盤を取り出し方位の説明を始める。それくらい分かるし舐めないでほしい。しかし、子供相手にもどうにか説明しようとする気概は伝わってくる。教養があるようだし、久々に新たな文明人と交流できそうな気がしてきた私は期待に胸を膨らませた。