一、
小学六年生の頃、良太は学級委員をしていた。先生に、ハキハキと「おはようございます」と挨拶したり、常に敬語で話していたり、小学生にしては、社会で生きるための基礎は出来ていたと思う。
親は一人っ子の俺を愛し、運動会の日は、俺がどこにいても聞こえるくらい大きな声で名前を呼んでいた。こっちとしては、かなり恥ずかしいもので、顔が赤くなるのを感じた。厄介なことに、善意が故に「やめて」と言うのも憚られるのが難しい。
そんなこともありながら、卒業した。涙は出なかった。多分、中学も殆ど同じメンツだと分かったからだろう。机が腐るほど泣くかもしれないと覚悟していたので、正直拍子抜けだった。
卒業してから、俺は入学までの短い春休みを楽しんでいた。春の陽気に任せて欠伸でもして横になろうとした時、急に、骨が軋むような痛みが俺の身体を駆け巡った。釘を直接打ち込まれるような痛みが止めどなく脳を刺激して、数々の骨が内へ外へと遊び回るように体内で振る舞う。真面目なのがまた損をする。真面目なやつは痛みを一から百まで受けて抱える。そのうち、俺は痛みに任せて意識を手放した。
意識を取り戻した時、病院のベッドにいた。親が囲んで見ていたので、名前を呼んで気づいた。声が記憶よりずっと高い。腕を見れば白く細い。そして、身体に沿って手をやると、柔らかさを感じる場所が違うことに気づいた。意味が分からず、親に質問した時、顔を見てしまった。その表情は只管に曇り、雨が降りそうになっていた。そのうち、医者が来て病名を宣告した。どうやら、世にも奇妙な病気にかかったらしい。暗闇を彷徨っている間、身体は私を名乗っていた。
二、
親は色々やってくれた。いじける私を励ますだけでなく、学校や役所に行って事情を説明してくれたりした。しかし、制服屋に行って新しい制服を買う時は、手錠をかけられたような辛さがあった。気を遣う目を向けられる度に、心に来る。何度「放っといてよ」と物を投げそうになったか知らない。味方とか愛してくれる人とか知らない。とにかく、私となった存在を見られたくなかった。
私は入学前に名前を変えることになった。良太は消えた。ならば俺の気配を消そう。名前はひかりとした。せめて、名前だけは光を浴びたい。そんな理由でつけた偽名である。そして、入学式。本物の太陽の光を浴びて、周りにいる見知ったやつらの本物の笑顔の中に、ジャンパースカートを着た偽物が紛れ込んでいた。
身体が変わってから心が休まる時間は無かったが、一つだけ休まる時間があった。出席確認の時間だ。そこで私の名前を呼ばれても、誰も振り向かないのは安心出来た。自己紹介の場面は知らない。多分、私として何の当たり障りもない挨拶をしたんだろう。もっとも、何も覚えていないが。
それから、私は家に引きこもった。嘘をつくことは心を削る。名字は変えられず、また特徴的であるため、見知ったやつらから「もしかして双子か?」なんて聞かれたときは、引きつった顔で否定するしかなかった。やつらが真に受けてすぐに興味を無くす度に、真実に辿り着かれる恐怖を感じていた。
また、いつ地が出るかも分からないため、言葉遣いに気をつける余り、全く話せなくなった。普段の一人称は、見た目に配慮して私にしているが、いつ俺と口を滑らすか分からない。もし滑ったら、イジられるのは確実。下手をすれば嘘が看破されるかもしれない。これほどまでに命を懸けたキャラ変があっただろうか。全く笑えない。そんなことだから、休憩時間は机に伏せてやり過ごし、やがて、風邪を引いたと言い続けた。
三、
光から逃げ続けるある日、私は誕生日を迎えた。大好きなチョコレートケーキに年齢の数だけろうそくを刺したもの。また一つ歳を取った。そんな現実を甘さで誤魔化す。ひかりとなり、甘さが舌に染みるようになったと思うが、おそらく気のせいだろう。ただ一つ、複雑な事情を抱えてから数少ない良い事が起きたのが、とても嬉しかった。
ケーキを食べながら、ふと母の顔を見ると、妙に真剣な顔をしているように見えた。伝えたいことがあると察し「どうしたの?」と聞くと、私の方を見て母は言った。
「ひかり、貴方は私の息子であり娘よ。どんな姿であろうと大好きだし、絶対に見捨てないよ。無理に学校に行かなくて良いし、友達も作らなくて良い。だから、私たちが絶対に味方というのは忘れないでね」
次に父も言った。
「そうだ、おれも味方だ。おれは、ひかりが生きているだけで満足だ。笑いたい時に笑って、怒りたい時に怒って、泣きたい時に泣けば良い。生きている姿が一番の宝物なんだから」
ここまで真っ直ぐに言われるなんて思わなかった。親には、普段ずっと支えてくれていることを有難く思っていたが、同時に、何だかんだ慣れた日常として過ごしているだろうとどこか寂しく思っていた。まさか、こんな想いを抱えていたなんて。ここまで思わせてしまい、そして誤解していた私を恥じた。泣いて謝り、感謝した。無理をしなくていい。生きているだけでいい。他の家庭が聞いたら「甘えるな」と言われるかもしれないが、そんなことは知らない。真っ直ぐには真っ直ぐ返したい。私は無理をしないで生きる。人生最大の目標が生まれた時だった。食べ始めてから三分の一となったチョコレートケーキが私を祝福しているように見えたから、また一口食べた。ひかりとなり、甘さに塩気が染みるようになったと思うが、おそらく気のせいだろう。ただ一つ、複雑な事情を抱えてから完全に良い事が起きたのが、本当に嬉しかった。
四、
少しだけ前を向いた頃、担任の先生が家を訪ねた。やれ体調はどうだとか、学校では今こんな行事の準備をしているとか話していた。正直、ずっと横になっていたので体調は普通だが、教室には戻りたくない。今戻ったら、また嘘の仮面を着け続ける生活に戻る。おそらく、その生活のオチは年中風邪引きの身だろう。無理はしないと決めたのだ。そう思って断ったら、担任は、第二の案として別教室への登校を提案してきた。早く解決したいんだなとは思ったが「九時に行って十三時に帰られる」「五分だけでいいから」という言葉につられて首を縦に振った。
私は久々に登校した。別教室の先生と面談をするためだ。別教室というものは、学校の端にあり、普通に学校生活を送っていたら気づかないほど、存在感が無いものであった。いざ扉を開けると、そこは家のような雰囲気が漂うもので、教室というより部屋であった。長机と丸椅子が置かれ、すりガラスの窓がグラウンド側に付いている。そこに優しそうなおばさん先生がいた。私たちは、丸椅子に腰を下ろし、職員室にあるような机を挟んで面談した。話した内容は覚えていないが、先生の何となく角がない雰囲気と、ここに通うと決めたことを覚えている。
それから、私はその教室に通い、勉強しながら先生と話し、お昼になったら給食を食べる。そして、十三時になったら帰る生活を送っていた。かつて担任は五分で良いからと言っていたが、五分で帰るつもりはない。学校は五分で帰る場所ではないし、此処は五分で帰るには惜しいからだ。此処には、常に私を含めて生徒が五、六人いたと思うが、皆、以前の私を知らない人だったことも幸いした。先生と話したいから、いつも先生の机で勉強していた。私の日常は、すりガラス越しの太陽を浴びながら、先生と雑談する光景へと変わっていった。以降、卒業する日まで無理をすることはなかった。
五、
私は高校生になった。制服はブレザーとなったが、もうリボンもスカートも慣れた。ここまで等身大で適応出来るなんて、あの時の私が見たら仰天するに違いない。そんなことを考えていたら、ニュース番組が変わった。「おはようございます」の声が焦らせる。急いで忘れ物確認をして家を出た。八時の太陽が優しく笑っている気がした。
私は、依然として正体を口に出さない。そんなことを声に乗せると、間違いなく混乱を招くからだ。ただ、少し違うのは、中学生時代を経て、それは隠しているというより、言わないだけとなっていた。一人称の私もとっくに慣れた今は、普通に話すことが出来るし、少しだけ以前のような態度が出る時もある。そんな私を見て、正体に辿り着いた女子生徒がいた。始めは、遊びで平穏を邪魔する悪人だと思ったが、その目を見たら、彼女なりに私を心配しているように見えた。だから、荷物を分けた。そうしたら、彼処へ通っていた時より、更に心が軽くなった。今や、その彼女とは仲間だと思っている。
今日も私は生きている。無理に笑わず、口調も跳ねない。しかし、確かに生きている。昔は年中風邪を引いていたが、今はそんなこと勿体無い。そのうち、図書委員の仕事も任された。そして、図書室のカウンター越しに、今日も荷物を分けた仲間と話している。好きに話をする日常。いつの間にか、光にすっかり慣れていた。