テンペスト異世界転移   作:ネネカ大神

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第14話:武の果てにある絶望と、剣鬼の弟子

リ・エスティーズ王国の王都は、わずか数ヶ月で劇的な変化を遂げていた。

街の裏通りから麻薬や奴隷売買の影は完全に消え去り(八本指がテスタロッサの恐怖支配により健全な運送・商社へと鞍替えしたため)、市場には見たこともないほど高品質で安価な魔法薬(ポーション)や武具が溢れ返っている。

王立軍は事実上解体縮小され、代わりに魔国連邦(テンペスト)から派遣された少数精鋭の『警備部隊(ゴブリンやホブゴブリン)』が街の治安を維持していた。最初は亜人への恐怖から暴動の噂もあったが、彼らのあまりの強さと、それに反比例するほどの「生真面目で温厚な勤務態度」により、今や市民たちは人間の衛兵よりも彼らを信頼している有様だった。

そんな平和すぎる、しかし人間としての誇りが完全にへし折られた王都の片隅にある酒場。

 

「……ガゼフ。お前は、本当にそれでいいのか」

 

薄暗い席で、鋭い目つきの男――天才剣士ブレイン・アングラウスが、苦々しい顔でエールを呷っていた。

向かいの席に座るのは、かつて御前試合で彼に唯一の敗北を味わわせた宿命のライバルであり、王国最強の戦士、ガゼフ・ストロノフだ。

 

「仕方あるまい、ブレイン。……私はあの時、テンペストの街を見た。彼らとまともに戦えば、王国の民は一日と持たずに根絶やしにされていただろう。結果として、今は誰も血を流さずに豊かな生活を送れている。これが、王国の選んだ生存戦略だ」

 

ガゼフの言葉は重く、しかしどこか諦観に満ちていた。

彼は知っているのだ。自分たちが生涯をかけて磨き上げてきた武力など、彼ら魔物の前では「虫の羽音」にすら劣るということを。

 

「ふざけるな……ッ!」

 

ブレインはドンッ、とテーブルを叩いた。

 

「俺は、お前に勝つために! お前を超えるために、自身の血を吐くような修練を重ねてきたんだぞ! それなのに、お前は戦う前から剣を置き、亜人どもの庇護下で飼い犬になり下がったというのか!」

 

ブレインの怒りはもっともだった。彼は純粋に「最強」を求めていた。

しかし、ガゼフは怒るでもなく、ただ哀れむような目でブレインを見た。

 

「ブレインよ。お前は、本当の『絶望』を知らないだけだ。……私の部下より強いゴブリン。暴風を起こす大剣使い。そして、その全てを統べる、底の見えない盟主。彼らの前では、我々の剣術など児戯にも等しい」

 

「ならば!」

 

ブレインは立ち上がり、自身の愛剣の柄を握りしめた。

 

「俺がそのテンペストとやらに行って、彼らの『強さ』を確かめてやる。俺の剣が通じない相手など、この世にいてたまるか!」

 

ガゼフの制止を振り切り、ブレインは酒場を後にした。

彼の心には、己の剣への絶対的な自信と、ガゼフを堕落させた未知の強者への激しい対抗心が燃え上がっていた。

数日後。

トブの大森林の中央、テンペストへと通じる美しく舗装された大街道を、ブレインは一人歩いていた。

街道の脇には定期的に「休憩所」が設けられており、そこで提供される水の美味しさや設備の完璧さに内心驚愕しつつも、彼は気を張って歩き続けた。

やがて、巨大な門が見えてきた。テンペストの入り口だ。

その門の前、切り株に腰を下ろして茶を啜っている一人の老人がいた。

白髪の初老。和装のような不思議な衣服を纏い、腰には反りのある一本の刀を差している。

魔物の国だというのに、角も牙もない、ただの老いた人間の剣士のように見えた。

 

「――止まれ、若造」

 

老人が茶を啜ったまま、ふと声をかけた。

 

「その殺気立った歩様……。観光客や商人には見えんな。この国に、何用か」

 

「俺はブレイン・アングラウス。リ・エスティーズ王国から来た。この国には、俺の剣が児戯に見えるほどの化け物が揃っていると聞いてな。……強者を求めてやってきた」

 

ブレインが名乗ると、老人――ハクロウは、呆れたように小さく息を吐いた。

 

「強者を求めて、か。血の気の多いことじゃ。だが、お主のようなヒヨッコが我が国の幹部たちに挑めば、骨すら残らんぞ」

 

「ヒヨッコだと……? 老人、俺の剣を舐めるな」

 

ブレインの自尊心が傷つけられた。

彼は王国最強に並び立つ男。新世界の武技(アーツ)を極め、独自の必殺技まで編み出した天才だ。

 

「ならば、まずは貴様が俺の剣を試してみるか? 殺しはしない、抜くがいい」

 

ブレインは腰の剣を抜き放ち、ハクロウに向けた。

ハクロウはゆっくりと立ち上がった。

しかし、彼は腰の刀(白老剣)を抜かなかった。代わりに、その辺に落ちていた『手頃な木の枝』を拾い上げ、刀のように構えたのだ。

 

「……木枝、だと? 俺を愚弄するか!」

 

「いやいや。お主の刃が、この老いぼれの木枝に届くようならば、少しは相手をしてやろうと思ってな」

 

ハクロウは目を細め、静かに構えをとった。

 

「後悔するなよッ!!」

 

ブレインが地を蹴った。

彼の放つ一撃は、新世界の剣士としては最高峰のものだった。

四つの武技を同時に発動する、彼の編み出した究極の必殺技。

 

「領域(フィールド)! 神閃(神閃)!! ――『四光連斬』!!」

 

目にも留まらぬ速度で放たれる、回避不能の四連撃。

ガゼフですら直撃を避けるのが困難なこの技が、無防備な老人の体を捉えた――はずだった。

 

「……ほう。複数の武技とやらを同時に重ね掛けするか。発想は悪くない」

 

耳元で、静かな声がした。

 

「な……ッ!?」

 

ブレインの剣は、完全に空を切っていた。

老人は、ブレインが四連撃を放つ『直前』に、ほんの半歩だけ身をずらして完全に死角へと入り込んでいたのだ。

 

「だが、剣に迷いがありすぎる。太刀筋が直線的すぎて、まるで『ここに斬り込みますよ』と宣言しているようなものじゃ」

 

――パシッ。

ハクロウの持っていた木の枝が、ブレインの額を軽く叩いた。

 

「がッ!?」

 

ただの木の枝。それなのに、まるで鋼鉄のハンマーで殴られたような衝撃が脳を揺らし、ブレインは無様に地面に転がった。

 

「あ、あぁ……?」

 

何が起きたのか分からない。

魔法を使った気配はない。純粋な体術、歩法、そして剣術。

自身が絶対の自信を持っていた『最強の剣』が、ただの老人の、ただの木の枝に、文字通り赤子のようにあしらわれたのだ。

 

「……これが、ガゼフの言っていた……絶望……」

 

ブレインの目から、光が失われようとしていた。

自分は、井の中の蛙だった。この世界には、自身の剣など永遠に届かない、神の如き力を持つ者がいる。剣を握る意味など、もう――。

 

「……なんじゃ。もう終わりか?」

 

見下ろすハクロウの声が、厳しく響いた。

ブレインが虚ろな目を向けると、ハクロウは木の枝を捨て、腕を組んでいた。

 

「ふん。自惚れがへし折られた程度で剣を捨てるなら、さっさと国へ帰るがよい。……だが」

 

ハクロウの瞳の奥に、武を極めんとする者特有の『熱』が宿った。

 

「お主、少しは筋が良いな。それに、その『武技』とやらで自身の肉体の限界を強制的に引き上げる技術。練り上げれば、面白い剣になるやもしれん」

 

「……え?」

 

「どうじゃ、若造。その腐った根性と、隙だらけの剣術……。このワシが、一から基礎を叩き直してやろうか?」

 

ブレインは、雷に打たれたように固まった。

嘲笑されると思っていた。ゴミのように捨てられると思っていた。

しかし、目の前の老人は、自分を「まだ伸びしろのある剣士」として見てくれている。絶対的な強者が、自分に手を差し伸べている。

 

(……俺は、まだ強くなれるのか?)

 

ブレインの中で、一度は消えかけた炎が、爆発的な勢いで再燃した。

 

「……頼む。俺を、あんたの弟子にしてくれ! 俺に、本当の『剣』を教えてくれ!!」

 

ブレインは地面に這いつくばり、泥に額をこすりつけて叫んだ。

 

「ホッホッホ。良い返事じゃ」

 

ハクロウの目が、三日月のように笑った。

その笑顔の奥に隠された『地獄の鬼教官』の素顔に、ブレインが気づくのは数時間後のことである。

 

「ならば、さっそく特訓じゃ。まずはこの森を、魔物に食われずに百周走ってくるが良い!」

 

「ひ、百周!? この広大な大森林を!?」

 

「何をごちゃごちゃ言っておる! 遅れれば、ワシの木刀が飛ぶぞ!!」

 

それから数ヶ月後。

リ・エスティーズ王国の王城に、テンペストからの外交使節の護衛として、一人の人間の剣士が帰還した。

 

「――ブ、ブレイン? お前、なのか……?」

 

再会したガゼフ・ストロノフは、自身の目を疑った。

そこには、かつてのギラギラとした野心を内に秘めつつも、湖面のように静まり返った気迫を纏うブレイン・アングラウスが立っていた。

その立ち姿には、一切の隙がない。

彼がただ息をしているだけで、周囲の空間が刃物のように研ぎ澄まされているような錯覚すら覚える。

 

「久しぶりだな、ガゼフ」

 

ブレインは、涼やかな笑みを浮かべた。

 

「お前の言っていた通りだったよ。俺は本当に井の中の蛙だった。だが……俺の師匠(ハクロウ様)は、そんな俺を『朧神伝流』の門下生として拾ってくださった。……毎日が死の淵を歩くような地獄(しごき)だったがな」

 

ブレインが思い出したように身震いをする。彼はハクロウだけでなく、ゴブタや白老の配下たちにも揉まれ、新世界の限界を遥かに突破してしまっていたのだ。

 

「ガゼフ。俺はテンペストの末席に連なる剣士として、もう一度お前に問おう」

 

ブレインが、愛剣の柄に手をかけた。

抜いてはいない。だが、その気迫だけで、王国最強であるガゼフの首筋に、冷たい汗が線を引いた。

 

「お前も、来ないか? 俺たちの剣は、まだあんな高みへ行けるんだぜ」

 

王国最強の戦士と、人間をやめかけた天才剣士。

かつての宿命のライバルは、圧倒的な「武の極致」を前にして、全く異なる道を歩み始めていた。

テンペストの理不尽は、国家を飲み込むだけでなく、新世界の強者たちの『強さの概念』そのものを、根底から書き換えつつあったのである。

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