テンペスト異世界転移   作:ネネカ大神

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第15話:吸血姫の屈服と、スライムの無自覚な魔王力

リ・エスティーズ王国が、魔国連邦(テンペスト)と事実上の従属条約を結んでから数ヶ月。

王都の冒険者ギルドは、かつてないほどの『閑古鳥』が鳴いていた。

無理もない。テンペストの工作部隊(ゲルドたち)によって、王都からトブの大森林へと続く広大で安全な『アスファルト舗装のハイウェイ』が完成し、街道沿いにはテンペストの魔物たちが駐留する防衛拠点(という名の豪華な宿場町)が整備されたのだ。

野盗は凄腕のゴブリンライダーたちに物理的に分からされて消滅し、森からあふれ出る魔物たちは、迷宮(ダンジョン)から漏れ出る圧倒的な魔素の気配に怯え、街道に近づくことすらなくなった。

結果として、護衛や魔物討伐を主な生業としていた冒険者たちは仕事を失い、一攫千金を夢見てテンペストの『地下迷宮』へと拠点を移す者が後を絶たなかったのである。

 

「……信じられないわ。馬車の揺れが全くないなんて。この黒い石の道(アスファルト)、一体どんな大魔法で錬成したのかしら」

 

テンペストへと向かう乗り合い馬車の中。

王国に二つしか存在しないアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは、窓の外を滑るように流れていく景色を見て感嘆の声を漏らしていた。

 

「魔法じゃないさ。あいつらは、これを『ドボクギジュツ』と呼んでいた。純粋な技術と労働力だけで、たった数日で山を切り拓き、この道を引いたんだとよ」

 

筋骨隆々の女戦士ガガーランが、呆れたように肩をすくめる。

 

「それにしても、平和すぎない? アタシたちの出番、全っ然ないんだけど」

 

「全くだな。……それに、ラキュースのその剣。今日は随分と大人しいじゃないか」

 

双子の忍者、ティアとティナがクスクスと笑う。

ラキュースの腰に差された魔剣『魔剣キリネイラム』。彼女は普段、「静まれ私の右腕……魔剣の闇が暴走しようとしている!」といった中二病的な発言を好むのだが、今日に限っては全くそれがない。

 

「……笑い事じゃないわよ」

 

ラキュースは青ざめた顔で、愛剣の柄をギュッと握りしめた。

 

「暴走するどころか……キリネイラムが、完全に『沈黙』しているのよ。まるで、この先にある途方もない闇(バケモノ)の気配に怯えて、息を潜めて震え上がっているみたいに……」

 

その言葉に、車内の空気が少しだけ引き締まった。

 

「……ふん。馬鹿馬鹿しい」

 

ただ一人、深くフードを被った小柄な少女が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

彼女の名はイビルアイ。

常に仮面で顔を隠しているが、その正体は二百五十年以上を生きる吸血鬼(ヴァンパイア)であり、『国堕とし(ランドフォール)』の異名を持つ新世界屈指の魔法詠唱者である。

 

「たかが魔物の寄せ集めが国を名乗った程度で、人間どもは過大評価しすぎなのよ。たまたま強力な魔法アイテムの遺物(アーティファクト)でも掘り当てただけでしょう。……私の魔法を見れば、そのスライムの魔王とやらも震え上がって涙を流すに決まっているわ」

 

二百五十年の長きにわたり、絶対的な強者として君臨してきた彼女のプライドは高かった。

王国が戦わずして屈したことも、冒険者たちがこぞってテンペストを称賛していることも、彼女にとっては不愉快極まりない事態だったのだ。

 

「まぁまぁ。とりあえず、その名高いテンペストの『温泉』とやらに入って、迷宮の浅層を少し冷やかして帰ろうじゃないか。イビルアイも、美味しいお菓子があるらしいぜ?」

 

「子供扱いするな! 私はお菓子なんかに釣られ……るわけがないでしょう!」

 

そうこうしているうちに、馬車はテンペストの入り口へと到着した。

 

「なっ……!?」

 

馬車を降りた瞬間、イビルアイは絶句し、その場に立ち尽くした。

 

「おいおい、なんだこの街並みは……! 王都の貴族街すら、これに比べたらスラム街じゃないか!」

 

ガガーランたちが超近代的なガラス張りの建築物や、清潔な街路樹に驚嘆の声を上げる中、イビルアイの驚愕の理由は全く別のところにあった。

 

(狂っている……!! なに、この空気中の魔力の濃さは!?)

 

彼女の持つ高位の魔力感知。それが今、警報を通り越して悲鳴を上げていた。

道を歩いているただのホブゴブリン。露店で串焼きを焼いているオーク。彼らの放つ魔力(魔素)の総量が、新世界の「ミスリル級(一流)」冒険者に匹敵している。

さらに、街の奥深くにそびえ立つ迷宮や、いくつかの巨大な館から漏れ出るオーラに至っては、彼女がかつて死闘を演じた『魔神』すらも赤子に見えるほどの、次元の違う深淵だった。

 

(駄目だ……! こんな場所で魔法を使えば、私は一瞬で消し炭にされる! ラキュースの剣が怯えていたのは、錯覚なんかじゃない!)

 

「おーい、イビルアイ! 置いていくぞー! あっ、あっちで『クレープ』ってやつを売ってる! 甘いいい匂いがするぜ!」

 

ティアの声にハッとして、イビルアイは震える足に鞭打って仲間たちの後を追った。

二百五十年の自尊心は、門をくぐった瞬間にすでに粉々に砕け散っていた。

中央広場の一角にある、パラソルが並ぶおしゃれなオープンカフェ。

蒼の薔薇の面々は、そこで提供された『生クリームと苺のクレープ』という未知の食べ物に、完全に理性を吹き飛ばされていた。

 

「あぐっ……美味しい! なにこれ、この白いフワフワした甘い雲みたいなやつ! 美味しすぎる!!」

 

ラキュースがお嬢様としての矜持を忘れ、口の周りをクリームだらけにして頬張っている。

イビルアイもまた、仮面の下で目を丸くしていた。

 

(悔しいけど……王国で食べていた高級菓子が、泥水に思えるほどの絶品……! この国は、食文化まで人間を遥かに超えているというの!?)

 

そんな時だった。

 

「おっ、シオン。こっちのクレープ屋の新作もなかなか美味いぞ」

 

「はい、リムル様! リムル様がお考えになった『チョコバナナ』の組み合わせ、まさに神の啓示かと!」

 

イビルアイたちの隣のテーブルに、二人の人影が座った。

一人は、豊満な胸と一本の角を持つ、秘書のようなスーツ姿の絶世の美女(シオン)。

そしてもう一人は――銀色に輝く青みがかった長い髪を一つに結び、ラフなパーカーのような衣服を着た、中性的な顔立ちの少年(あるいは少女)だった。

 

(……え?)

 

イビルアイは、その少年から目が離せなくなった。

魔力は全く感じない。それどころか、生命力すら感じない。ただの『無』。

しかし、その少年の顔の横顔には、なぜか不思議な文様が刻まれた『抗魔の仮面』が、斜めにずらして被られていた。

 

(あの仮面……ただのアイテムじゃない。途方もない魔力を『内側に』封じ込めている……?)

 

イビルアイがジッと見つめていると、視線に気づいた少年――魔国連邦の盟主たるリムル=テンペストが、ふとこちらを振り返った。

 

「ん? 君たち、見ない顔だな。人間の冒険者? 迷宮に挑みに来たのか?」

 

リムルが、気さくな笑顔で話しかけてくる。

 

「あ、ああ。私たちは王国の……」

 

ラキュースが答えようとした、その瞬間。

リムルが、クレープを食べるために、顔の横にずらしていた『抗魔の仮面』を、ふと外してテーブルに置いた。

――ドクンッ。

仮面が外れた瞬間。

抑え込まれていたリムルの『真なる魔王』としての神気(覇気)のほんの、ほんのわずかな一端が、微かな風と共にイビルアイの頬を撫でた。

 

「――――ッ!!!!」

 

イビルアイの心臓が、早鐘のように跳ね上がった。

時間が止まったように感じた。周囲の音がすべて消え去り、彼女の瞳には、目の前で優しく微笑む銀髪の少年の姿しか映らなくなった。

 

(あ、ああ……なんて、なんて美しく、底知れず、絶対的な力……!!)

 

二百五十年間、誰にも頼らず、孤独に生き、強者として君臨してきた吸血鬼の魂が、一瞬にして『完全な敗北』と『絶対的な庇護欲への渇望』に塗り替えられていく。

このお方の前では、私はただの非力な小娘に過ぎない。

このお方にすべてを委ねたい。この強大すぎる力の傘の下で、ただひたすらに傅きたい。

イビルアイの仮面の下の顔が、極限まで熱く紅潮していく。

呼吸が荒くなり、足の震えが止まらない。恐怖ではない。これは――。

 

「おっと。ごめんごめん、ちょっと魔素が漏れちゃったかな。人間には刺激が強かったか」

 

リムルが苦笑しながら、再び仮面を顔の横に装着すると、その圧倒的なプレッシャーは嘘のように霧散した。

 

「顔色が悪いみたいだけど、大丈夫? ほら、甘いものでも食べると落ち着くよ。これ、お近づきの印。俺のおごりだからさ」

 

リムルは立ち上がり、ニコリと笑って、イビルアイの手の中に『特製のハチミツがたっぷりかかったクレープ』を優しく握らせた。

ポンッ、と。

イビルアイの頭の中で、何かが完全に弾け飛ぶ音がした。

 

「あ……ぅ……」

 

「リムル様、そのような人間どもにリムル様から歩み寄られるなど!」

 

「いいだろシオン、お客さんなんだから。じゃあね、迷宮探索、無理しないように頑張ってなー!」

 

リムルは手を振りながら、シオンを連れて楽しそうに去っていった。

その後ろ姿を、イビルアイは呆然と見送っていた。

クレープを握る手が、小刻みに震えている。

 

「おい、イビルアイ。大丈夫か? 急に黙り込んで……」

 

ガガーランが心配そうに覗き込むが、イビルアイからの返事はない。

 

「イビルアイ……?」

 

「…………すき」

 

「え?」

 

「好きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」

 

突然、イビルアイが王都中に響き渡るような大声を上げ、クレープを胸に抱きしめながらその場に崩れ落ちた。

 

「ちょ、ちょっとイビルアイ!? どうしたのよ発作!?」

 

「あの方……! 今のあの方を見た!? あの優しさ、あの圧倒的な力、そして私の心を一瞬で奪い去るあの美貌!! 間違いないわ、あのお方こそがこの世界の真の王! 私の永遠の伴侶となるべきお方よ!!」

 

仮面をかなぐり捨て、美しい金髪を振り乱しながら、涙目で熱弁を振るう二百五十歳の吸血鬼。

普段の傲慢で冷徹な彼女からは想像もつかない、完全に「恋する乙女(重度)」の姿に、ラキュースたちは口をポカンと開けて固まるしかなかった。

 

「私、決めたわ! 蒼の薔薇は今日限りで解散よ! 私はこの国に永住して、あの方の足拭きマットからでもいいからお側でお仕えするの!! あぁ、リムル様……リムル様ぁぁっ!!」

 

「だ、誰かポーション持ってきて! イビルアイの頭がおかしくなったわ!!」

 

こうして、新世界最高峰の魔法詠唱者にして、誰も心を開かせることのできなかった孤高の吸血鬼イビルアイは、リムル=テンペストが「ただ仮面を外してクレープを奢っただけ」で、完全にその心を奪われ、史上最強の熱狂的ファン(同担拒否過激派)へとクラスチェンジを果たしたのである。

武力や恐怖だけでなく、その底知れぬ器と無自覚な優しさによって、新世界の強者たちの心を次々と「物理的・精神的」に狂わせていくスライムの魔王。

テンペストの『文化とカリスマの侵略』は、今日も絶好調であった。

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