トブの大森林の北方に聳え立つ、万年雪に覆われたアゼルリシア山脈。
そこは新世界のドワーフたちが築き上げた堅牢な地下都市が存在する、鉄と炎の国である。
しかし今、ドワーフ王国は国家存亡の絶対的な危機に瀕していた。
「……防衛線が破られたぞ! クアゴア(亜人・掘削獣)の群れが、第3区画まで入り込んだ!」
「竜だ!! 上空からフロスト・ドラゴンがブレスを吐いてくるぞ!! もう駄目だ、我々はここで食い殺されるんだ……!」
王都の防衛司令室で、ルーンスミス(ルーン文字を刻む武具職人)の血を引くゴンド・ファイアビヤードは、血を吐くような悲痛な叫び声を聞きながら、自身の無力さに歯を噛み締めていた。
鉱物を食らう亜人クアゴアの数万に及ぶ大群と、氷のブレスで都市を凍り付かせるフロスト・ドラゴンたち。ドワーフの戦士たちが振るう旧式の武器では、彼らの強靭な毛皮や鱗を貫くことはできない。
かつてドワーフが誇った『ルーン技術』は、長きにわたる歴史の中で衰退し、今や完全に失伝しようとしていた。ゴンドはその技術を復活させるために奔走していたが、それも今日で終わりだ。
「……ルーンの火が、ドワーフの歴史が、ここで途絶えるというのか」
ゴンドが絶望の涙を流し、目を閉じた、その時だった。
――ピピピピピーッ!!
突如、防衛司令室の水晶モニター(外部監視用のマジックアイテム)が、聞いたこともないような甲高い警告音を鳴らし始めた。
「な、なんだ!? クアゴアの増援か!?」
「ち、違います! 上空です! アゼルリシア山脈の頂上付近の空間から……巨大な『空飛ぶ船』が降下してきます!!」
「空飛ぶ……船だと!?」
ゴンドたちが慌てて外のバルコニーに飛び出すと、猛吹雪の空を引き裂くように、信じられない光景が広がっていた。
それは、金属と未知の機関で構成された、全長数百メートルに及ぶ超巨大な飛行船(テンペストの魔導列車技術を応用した調査船)だった。
さらに驚くべきことに、その飛行船の周囲には、武装した数十体の『飛竜(ワイバーン)』が護衛として優雅に空を舞っている。
「飛竜……いや、あれに乗っているのは亜人か!? バカな、飛竜を完全に乗りこなしているだと!?」
ドワーフたちが呆然と見上げる中、飛竜の群れの一際先頭を飛ぶ、青い鱗を持った龍人族(ドラゴニュート)の男――ガビルが、手にした『水渦槍(ボルテクス・スピア)』を掲げて高らかに笑った。
「ガハハハハ! 見よ我が同胞たち! リムル様より『良質な鉱石の採掘ルートを開拓してこい』と命じられ、はるばる雪山まで飛んできたが、なかなか良い景色ではないか!」
『さすがガビル様!! 雪山でもそのお姿、最高に輝いております!!』
『ガビル様! かっこいいーっ!!』
飛竜に乗る部下たちが、謎の合いの手と歓声を上げる。
しかし、その場違いな明るいテンションを許さない者がいた。
アゼルリシア山脈の真の支配者――フロスト・ドラゴンの王、オラサーダルク・ヘイリリアルである。
『グルルルルッ……! 忌まわしき羽虫どもめ! 我が領空に許可なく侵入した罪、その命で購うがいい!!』
オラサーダルクは、自らの縄張りを荒らされたことに激怒し、数頭の巨大なフロスト・ドラゴンを引き連れてガビルたちへと襲いかかった。
新世界において、竜(ドラゴン)とは最強の種族。その王の咆哮に、下で見ていたドワーフたちは恐怖に身をすくませた。
「ひぃっ!? あ、あの飛竜乗りの亜人たちも、竜王のブレスで一瞬で凍らされて……」
『消え失せろ!! 【絶対零度の凍結息(ホワイト・ブレス)】!!』
オラサーダルクの巨大な顎から、万物を凍結させる白銀のブレスが放射される。
しかし、ガビルは全く動じなかった。
むしろ、少し嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ふむ! ドラゴンとな! 我輩も名前に『竜』が入っている以上、負けるわけにはいかんな! 行くぞ! 【水渦流星槍】!!」
ガビルが水渦槍を軽く一閃する。
その瞬間、彼の槍から放たれた極限まで圧縮された『水流の波動』が、フロスト・ドラゴン王の絶対零度のブレスを正面から「物理的に」粉砕し、さらに竜王の巨体を遥か後方の氷壁へと叩きつけた。
ドッッッゴォォォォォォォォン!!!
『グ、ガハァッ……!? ば、馬鹿な!? 余のブレスが、たかが飛竜乗りの一撃で……!?』
氷壁にめり込んだオラサーダルクは、何が起きたのか理解できず白目を剥いた。
「どうだ! 我輩の特訓の成果は! これでも最近、ハクロウ殿のしごきに耐え抜いたからな!」
『おおぉぉぉっ!! 一撃でドラゴンを!』
『ガビル様! 最高! ガビル様! 最強!』
ガビルが調子に乗ってポーズを決め、部下たちがドンチャン騒ぎをしている間。
地上でその光景を見ていたゴンドたちドワーフは、完全に思考が停止していた。
新世界最強クラスのモンスターであるフロスト・ドラゴンの王が、謎の合いの手を入れる陽気な亜人たちによって、文字通り「赤子のように」あしらわれたのだから。
「おーい、ガビル。空で遊んでないで、さっさと着陸させてくれ。寒くてかなわん」
飛行船の甲板から、呆れたような声が響いた。
声の主は、立派な髭を蓄えた初老のドワーフ――テンペストの三武仙が一角にして最高峰の鍛冶師、カイジンである。その隣には、大柄で寡黙な鬼人族の刀鍛冶、クロベエが腕を組んで立っていた。
「おっと、申し訳ないカイジン殿! ただいま降下する!」
飛行船がゆっくりと、ドワーフの王都の広場へと着陸する。
同時に、広場を埋め尽くそうとしていた数万匹のクアゴア(鉱物食い)たちが、空から降りてきた得体の知れない船に警戒の声を上げた。
「ギギィッ! ヨソ者ダ! 食ッチマエ!!」
クアゴアの群れが、金属の塊である飛行船に群がろうとした、その時。
「……あー、うるせえな。リムル様とディアブロ様から『職人たちの護衛』を任されてるんだ。俺の仕事増やしてんじゃねえよ」
甲板から、赤いメッシュの入った黒髪の悪魔――ヴェノムが、だるそうに飛び降りた。
彼は地面に着地すると同時、腰の剣を抜くことすらなく、ただ自身の『闘気』をほんの少しだけ解放した。
――ズンッ!!
「ギャッ……!?」
「ギ、ギギィィィ……!!?」
ヴェノムから放たれた、原初の黒の眷属としての底なしの悪魔の覇気。
それは、野性的な本能を持つクアゴアたちにとって「自分たちがどれほどちっぽけな塵であるか」を強烈に教え込む死の信号だった。
数万匹のクアゴアが、たった一人の悪魔が放つプレッシャーの前に、一匹残らず地面に這いつくばり、白目を剥いて失禁した。
「よし、おとなしくなったな。……クロベエさん、カイジンさん。どうぞ、安全は確保しましたぜ」
ヴェノムがチンピラのような口調ながらも丁寧に案内すると、飛行船からカイジンとクロベエが降りてきた。
「……な、なんだ、あんたたちは……?」
防衛線から恐る恐る近づいてきたゴンドが、震える声で尋ねた。
亜人、悪魔、そして……自分と同じドワーフの姿をした男。
「おや、ここの住人かい? 俺はカイジン。こっちはクロベエ。魔国連邦(テンペスト)から、新しい鉱脈と技術交流の視察に来たんだ。……なんだか、取り込み中だったみたいだな?」
カイジンが気さくに笑いかける。
「ま、魔国連邦……? いや、それより……あんたたち、ただ者じゃない。その腰に差している剣、そして纏っている鎧……」
ゴンドはルーンスミスとしての生来の審美眼で、即座に見抜いた。
カイジンとクロベエが装備している武具が、新世界のいかなる国宝、いかなる伝説の武具すらも遥かに凌駕する、神々の領域で打たれた『アーティファクト(魔王級の装備)』であるということを。
「あ、あんたたち……一体どんな技術を使っているんだ!? まさか、失われた古代のルーン技術の正統後継者なのか!?」
ゴンドが血走った目でカイジンに詰め寄る。
「ルーン? ああ、魔力文字を刻むやつか。いや、俺たちの国じゃそんな古い技術はもう使ってないな」
「ふる……古い、だと?」
「ああ。今は『魔鋼塊(マジックステีル)』自体に魔素を流し込んで、素材そのものを最適化するのが主流だからな。クロベエ、ちょっと見せてやれよ」
「……うむ」
クロベエは懐から、ただの鉄の延べ棒と、小型の携帯用魔法炉を取り出した。
「お、おい、まさかここで打つ気か!?」
ゴンドたちが驚愕する中、クロベエは無造作に鉄の延べ棒を炉に入れ、取り出した赤熱する鉄を、自らのハンマーで叩き始めた。
カンッ、カンッ、カンッ……!
その一打一打が、新世界のドワーフたちにとって信じられない光景だった。
クロベエがハンマーを振るうたびに、鉄の中の不純物が完全に消え去り、代わりに周囲の空間から莫大な魔法エネルギー(魔素)が吸い込まれ、金属そのものと融合していく。
ドワーフたちが何ヶ月もかけてルーンを刻み込んで付与する魔法効果が、クロベエのたった数回の「打撃」によって、金属の分子レベルで完全に定着していくのだ。
わずか数分後。
クロベエの手には、淡い青色の光を放つ、恐ろしいほどに美しい一振りの『魔剣』が完成していた。
「……試し打ち用だ。少し冷気が宿るように打ってみた」
クロベエは完成したばかりの剣を、先ほどまで暴れていたクアゴアの群れが落とした硬い岩石の棍棒に向けて、軽く振るった。
――パキンッ。
岩石の棍棒が、豆腐のように両断された。
それだけではない。切断された断面から瞬時に絶対零度の冷気が噴き出し、棍棒の残骸が数秒で完全に氷の結晶となって砕け散ったのだ。
「あ……ぁ……」
ゴンドは、膝から崩れ落ちた。
彼の周囲にいたドワーフの長老たちも、全員が言葉を失い、クロベエの打った剣を食い入るように見つめていた。
「これが……これが真の鍛冶……。我々が数千年かけて守り抜いてきたルーン技術など……この男の前では、ただの子供の泥遊びだったというのか……!」
ドワーフの誇りが、完全に粉砕された瞬間だった。
しかし、彼らの目に宿っていたのは、絶望ではなかった。
究極の技術を目の当たりにした職人としての、純粋な『信仰心』と『歓喜』の涙だった。
「お、お願いだ!!」
ゴンドは地面に額を擦り付け、クロベエとカイジンの足元に縋り付いた。
「私の命などどうなってもいい! ドワーフの国を丸ごと差し出してもいい! だからどうか、どうか私を……我々を、貴方様の『一番下っ端の弟子』にしてはもらえないだろうか!! その神業の、ほんの欠片でも学べるのなら、悪魔に魂を売っても構わない!!」
「「「どうか!! お願いいたします!!」」」
ゴンドに続き、王都にいたすべてのドワーフの鍛冶師たちが、一斉に地面に這いつくばり、土下座の大合唱を始めた。
「えぇ……?」
クロベエが困惑して頭を掻く。
「いや、ただの試作品を打っただけなんだけどな。カイジンの旦那、どうすんだこれ?」
「まぁ、リムル様も『技術交流してこい』って言ってたし、ちょうどいいんじゃないか? テンペストの工房も手狭になってきたし、この山を第二工房として買い取ろうぜ」
こうして。
クアゴアの脅威とフロスト・ドラゴンから間一髪で救われたドワーフ王国は、国家の全権と領土をテンペストに無条件で譲渡した。
彼らは誇り高き独立国家であることを捨て、全員が嬉々としてクロベエとカイジンが立ち上げた『テンペスト第2武具開発工房』の丁稚奉公(研修生)として、朝から晩まで神業を学ぶ幸せな地獄へと飛び込んでいったのである。
ちなみに、気を失っていたクアゴアの大群と、ボコボコにされたフロスト・ドラゴンたちは、ヴェノムとガビルの手によって「テンペストの新しい鉱山掘削部隊および荷物運び用ペット」として強制労働の契約を結ばされることとなった。
新世界の技術の最高峰であったドワーフたちのプライドすらも、スライムの配下たちの「日常の延長」によって、いとも容易く、そして圧倒的なカリスマの前に塗り替えられていくのだった。