『人間こそが正義であり、亜人や魔物は等しく浄化されるべき悪である』。
それこそが、ローブル聖王国という国家を支える根幹の教義であった。
聖王女カルカ・ベサーレスが治めるその国に、恐るべき報告がもたらされたのは、竜王国がテンペストの傘下に入ってすぐのことだった。
「――北の大森林に現れた『魔国連邦(テンペスト)』なる魔物の国が、帝国、王国、法国、そして竜王国までもを実質的な支配下に置いたと!?」
「はい! 奴らは各国の王族を誑かし、悪魔のような物資と文化で人間の精神を堕落させております! もはや、人間の国家で独立を保っているのは我が聖王国のみ!」
報告を受けた聖騎士団長、レメディオス・カストディオは、怒りに顔を真っ赤にして卓を叩き割った。
「許せない……! 魔物の分際で人間を支配するなど! 奴らは必ず、我々人間を家畜として扱うための邪悪な計画を進めているに違いない!!」
レメディオスは狂信的なまでに「魔物は悪、人間は善」という価値観に染まっていた。彼女にとって、テンペストがどれほど平和的な交易を提案してこようと、それはすべて悪魔の罠でしかなかった。
「カルカ様! 私に聖騎士団を率いて出撃する許可を! あの忌まわしきスライムの魔王とやらを、私の聖剣で両断してご覧に入れます!」
「待って、レメディオス。相手の戦力が未知数すぎるわ。各国が戦わずして降伏したのには、何か――」
カルカの静止も聞かず、レメディオスは「正義は必ず勝つ!」と叫び、自身の副官たち(その中には、鋭い三白眼を持つ従者、ネイア・バラハの姿もあった)を引き連れて、猛然と国境へ向けて進軍を開始した。
聖王国とトブの大森林の国境付近。
レメディオス率いる一万の聖騎士団が陣を構えて待ち受けていると、街道の向こうから、一台の豪奢な馬車が、護衛もつけずにゆっくりと近づいてきた。
「来たぞ……! 魔王の尖兵め! 弓兵、構え!!」
レメディオスが剣を抜いて号令をかける。
馬車が止まり、扉が開いた。
降りてきたのは――桜色の髪をした、息を呑むほど美しい巫女服の少女(シュナ)と、その背後に控える、真っ白な神官服を纏った骸骨のアンデッド(アダルマン)だった。
「お初にお目に掛かります。私はテンペストの外交特使、シュナと申します。こちらは護衛の――」
「問答無用!! 喋るな穢らわしい魔物め! アンデッドまで連れ歩くとは、やはりお前たちは世界の敵だ!!」
レメディオスはシュナの挨拶を途中で遮り、聖剣を振りかざして単騎で突撃した。
彼女の放つ一撃は、聖王国の最高戦力の名に恥じない、強烈な光属性の武技。
「死ねぇぇぇっ!! 【聖なる一撃(ホーリー・ストライク)】!!」
光り輝く剣刃が、無防備なシュナの脳天へと振り下ろされる。
副官のネイアは、思わず目を背けそうになった。(いくら魔物とはいえ、対話の使者にいきなり斬りかかるなんて……!)
――キィィンッ。
「……え?」
澄んだ金属音が響いた。
レメディオスの全力の聖剣は、シュナの頭上数センチのところで、白骨の指『たった二本』によって、ピタリと受け止められていた。
「……我が主(リムル様)の愛しき妹君に対して、刃を向けるか。聖騎士と名乗りながら、対話の意志すらないとは。……哀れな、知性を失った獣以下の存在よ」
アダルマンが、眼窩の奥の紅い炎を揺らめかせながら、冷酷に宣告した。
「ば、バカな!? 私の神聖武技が、たかがアンデッドの骨に防がれただと!? 浄化されろォォ!!」
レメディオスがさらに魔力を込めるが、アダルマンはピクリとも動かない。
「浄化、だと? 笑わせるな」
アダルマンが、空いている方の手で自身の杖を天に掲げた。
「貴様らが縋る『正義』や『神』など、我が神リムル様の威光に比べれば、泥沼の底の淀みにも劣る!! 刮目せよ! これが真の光! これが真の『奇跡』である!!」
【霊子聖魔光(ディスインテグレーション)】――の、出力を極限まで抑え、治癒と浄化の祈りへと変換した『超絶広範囲神聖魔法』。
アダルマンの杖から、太陽が地上に降り注いだかのような、圧倒的で絶対的な『純白の光』が爆発的に広がった。
「ギャァァァァッ!!」
レメディオスは、アンデッドから放たれるはずのない超高位の神聖魔法を間近で浴び、恐怖でその場にへたり込んだ。
しかし、その光は誰も傷つけなかった。
光が聖騎士たちを包み込んだ瞬間、彼らの長旅の疲労、古傷、病魔、そして心の中の『どす黒い偏見と憎悪』までもが、温かいお湯に溶けるように綺麗に浄化されていったのである。
それだけではない。
光が国境の荒れ地に降り注ぐと、枯れ果てていた大地から一瞬にして緑の草花が芽吹き、花を咲かせ、荒野が文字通り『エデンの園』へと変貌を遂げたのだ。
「あ……あぁ……」
聖騎士団の兵士たちが、次々と武器を取り落とし、地面に膝をついて涙を流し始めた。
彼らは聖王国の教えで「魔物は悪、光の魔法は神の奇跡」と教え込まれてきた。
しかし今、目の前にいる『アンデッド』と『魔物(鬼人)』が、彼らの最高教皇ですら到底及ばない、文字通りの『神の奇跡』を体現して見せたのだ。
「そんな……バカな……! 魔物が、神聖魔法を……! 騙されるな! これは幻覚だ! 悪魔のまやかしだ!!」
レメディオスだけが、己のアイデンティティを保つために発狂したように叫んでいる。
しかし、その後ろで。
副官の少女、ネイア・バラハの瞳には、一切の迷いがなくなっていた。
(魔物が悪? 人間が善? 違う……! 圧倒的な力で私たちを包み込み、傷を癒やし、花を咲かせるこのお方たちこそが、本当の『正義』なんだわ……!!)
ネイアは、自身の弓を地面に置き、シュナとアダルマンに向かって、誰よりも深く、そして敬虔な祈りを捧げるように平伏した。
「……素晴らしい……。貴方様たちの信じる『リムル様』とは、どれほど偉大で、どれほど正義に満ちたお方なのでしょうか……! どうか、どうかこの未熟な私を、その教えでお導きください!!」
「ネイア!? 貴様、魔物に魂を売る気か!!」
「団長は黙っていてください!! あなたの偏狭な正義より、あの方たちの力と優しさのほうが、ずっと人類を救っているではありませんか!!」
ネイアの叫びに呼応するように、一万の聖騎士たちのほぼ全員が、レメディオスを見限ってシュナたちの前に平伏した。
「……まぁ。皆さん、とても素直でよろしいですね。我が国は争いを望みません。リムル様は、美味しい食事と温かい寝床を、種族を問わず分かち合うことを望んでおられます」
シュナが慈愛に満ちた女神の微笑みを浮かべる。
「さぁ、我が国から持参した『テンペスト特製・炊き出し(オーク肉のシチューと焼きたての白パン)』を振る舞いましょう。お腹がいっぱいになれば、皆さんの国との交易の話も、きっとスムーズに進みますわ」
「「「おおぉぉぉ……!! 女神様ぁぁぁ!!」」」
聖王国が誇る一万の聖騎士団は、シュナの炊き出し(新世界ではあり得ないレベルの極上グルメ)を一口食べた瞬間、完全にテンペストの『胃袋の虜』となり、彼らの信仰対象は六大神から「スライムの魔王リムル」へと完全に書き換えられた。
レメディオス一人が「認めない! 私は絶対に認めないぞぉぉ!」と叫び続けていたが、ネイアを筆頭とする新たな『リムル正義教団(仮)』の信者たちによって物理的に拘束され、聖王国へ強制送還されることとなった。
後日、聖王女カルカは、自国の精鋭たちが「リムル様こそが正義!」と目を輝かせて帰還してきたのを見て、抵抗の無意味さを悟り、平和的にテンペストとの国交(事実上の同化)を受け入れた。
ネイア・バラハはその後、テンペストの伝道師として、新世界中に「魔王リムル様の素晴らしさ」を説いて回る、最強の狂信者(スポークスマン)として名を馳せることになるのである。