亜人種や人間、そして竜といった多様な種族が共存し、合議制によって国を治める多種族国家――アーグランド評議国。
その首都にある円形闘技場を兼ねた巨大な評議会議事堂では、現在、国家の存亡を揺るがすほどの緊急会議が開かれていた。
「……国境警備隊からの報告によると、現在、我が国の首都に向けて『神話級の災厄獣(カタストロフィ・ビースト)』が真っ直ぐに進行中とのことだ」
議長を務める獣人の長が、脂汗を拭いながら重苦しい声で告げた。
「ば、馬鹿な! あの災厄獣は数百年間、東の荒野に封印されていたはず! なぜ突然目覚め、我が国に……ッ!」
「しかも報告によれば、その災厄獣は……一人の『人間の少年』にリードで引かれ、荷物持ち(駄獣)として歩いているという!」
「「「…………は?」」」
評議員たちが一斉に顔を見合わせた。
「馬鹿を言うな! 山のように巨大なあのバケモノを、リードで散歩させる人間など存在して良いはずがない! 第一、我が国にはかの『白金の竜王(ツァインドルクス)』様がいらっしゃる! ツァインドルクス様にお出ましいただければ、災厄獣の一匹や二匹……」
「そ、それが……ツァインドルクス様とは、数ヶ月前から全く連絡が取れず……。行方不明となっておられます……」
絶望的な報告に、議事堂内はパニックに陥った。
最強の守護者たる竜王は不在。そこに、歩く自然災害が「散歩感覚」で接近している。
彼らは知る由もなかった。彼らの敬愛する白金の竜王が、現在テンペストの地下迷宮でピンク色のフリルエプロンを着て、常闇の竜王たちと一緒に「いかにモップを素早く絞るか」という技術論で熱い議論を交わしていることなど。
「ええい! このままでは首都が壊滅する! 評議員の精鋭たる我々自身が出向き、その謎の少年と災厄獣を首都の手前で迎撃するしかない!!」
こうして、アーグランド評議国の誇る最高戦力(英雄級の亜人や竜人たち)が、決死の覚悟で首都の正門前に陣取ることとなったのである。
――一方、その頃。
「いやー、アーグランド評議国たのしみだなー! 亜人とかいろんな種族が普通に歩いてると聞くし、うち(テンペスト)みたいで落ち着くよ」
銀髪に抗魔の仮面を被った少年――冒険者サトル(魔王リムル)は、のんきに伸びをしながら街道を歩いていた。
その後ろには、「うっす! 串焼き屋の屋台とかあるといいっすね!」と笑うゴブタと、星狼のランガ。
そして、彼らの後ろを「ズッ……ズゥゥゥン……」と地響きを立てながらついてきているのが、全長百メートル級の神話のバケモノ――災厄獣の『ポチ』である。
ポチの背中には、道中で狩った魔物の素材や、お土産用の巨大な果実が山のように積まれており、完全に「便利で大きなリュックサック」と化していた。
「ポチ、お前けっこう力持ちだし、荷物運びに便利で助かるよ。ご褒美にこれやるよ」
リムルが、空間収納からテンペスト特製の『魔素たっぷりの骨付き肉』を取り出して放り投げると、ポチは「ワォォォン!(歓喜)」と尻尾を千切れんばかりに振りながら、空中で器用にキャッチした。
その尻尾の風圧だけで、街道沿いの木々が暴風雨のように薙ぎ倒されていくが、リムルたちは全く気にしていなかった。
「おっ、サトル様! 首都の門が見えてきたっすよ!」
「ほんとだ。……あれ? なんだか門の前に、すごい武装した人たちが大勢集まってないか? お祭りかな?」
リムルが首を傾げながら近づいていくと。
正門の前に陣取っていた評議国の精鋭たちは、ポチの放つ絶望的なプレッシャーと、そのポチを「ただの犬」として扱っている謎の少年(サトル)の姿を目の当たりにし、全員がガクガクと膝を震わせていた。
「と、止まれぇぇぇッ!! そこまでだ!!」
評議員の一人である『竜人(ドラゴニュート)』の戦士が、恐怖で裏返った声で叫び、巨大な戦斧を構えた。
「それ以上、我が首都に近づくことは許さん! 貴様、何者だ! そのバケモノを使って、この国を滅ぼしに来たのかッ!」
「えっ? 滅ぼす? なに言ってんの?」
リムルは仮面の下で目をパチクリとさせた。
「俺はただの冒険者だよ。エ・ランテルから足を伸ばして、ちょっと観光と、この魔物の素材をギルドで売ろうかなーと思って来ただけなんだけど」
そう言って、リムルは懐から最高位の証である『アダマンタイト級』の黒い金属プレートを取り出して見せた。
「ア、アダマンタイト級冒険者……!? だが、そんな言い訳が通用するか! 冒険者が神話級の災厄獣をペットにしているなど、常識で考えてあり得ない! 貴様が何者であろうと、我が評議国はそのバケモノの侵入を――」
竜人の戦士が叫び終える前に。
ポチが、自分に武器を向けられたことに反応し、低い唸り声を上げた。
『グルルルルル……ッ』
ポチの口の中に、極大の破壊エネルギーが圧縮されていく。数百年前に一つの国を消し飛ばしたとされる、災厄のブレスだ。
その圧倒的な魔力の奔流を前に、評議員たちは死を覚悟し、目を閉じた。
(……終わった。我が国は、ここで消滅する……!)
しかし。
「――こらっ!! ポチ!!」
ペチィッ!!
リムルが、持っていた『丸めた新聞紙(テンペスト・タイムズ)』で、ポチの巨大な鼻先を軽く叩いた。
「『グルル……』じゃないだろ! 街の人の前で吠えちゃダメって言ったよね? ほら、お座り!」
「クゥ〜ン……」
たった今まで国を滅ぼすエネルギーを溜め込んでいた神話級のバケモノが、丸めた新聞紙で叩かれた瞬間にビクンと震え、シュンと耳を垂らしてその場に「お座り」をした。
そして、リムルに許しを乞うように、巨大な舌でリムルの頬をペロペロと舐め始めた。
「わっ、やめろ! 舐めるな、よだれがつく! ……もう、すいませんね皆さん。うちの犬、ちょっと人見知りなもんで。躾はちゃんとできてるんで噛みませんから、中に入ってもいいですか?」
「「「………………」」」
評議員たち、そして正門を守る兵士たちの魂が、揃って肉体から抜け出かけた。
(神話の災厄獣を……紙で叩いて、お座りさせただと……?)
(あのバケモノが、完全に『ただの怯えた子犬』になっている……!!)
竜人の戦士は、手から戦斧を取り落とし、そのままガクンと膝をついた。
もはや、戦闘などという次元ではない。この少年にとって、国を滅ぼす災厄など「よく吠える駄犬」に過ぎないのだ。もしこの少年の機嫌を損ねれば、犬を放たれるまでもなく、国が地図から消滅する。
「あ……ああ……。ど、どうぞ! 冒険者サトル様!! 歓迎いたしますゥゥッ!!」
竜人の戦士は、涙と鼻水を流しながら、五体投地で道を空けた。
それに倣って、数千人の完全武装の兵士たちが、一斉にモーセの十戒のごとく道を空け、地面に平伏した。
「おっ、歓迎してくれるのか! ありがとなー!」
リムルは呑気に手を振りながら、ポチを引き連れて堂々とアーグランド評議国の首都へと足を踏み入れたのである。
その後、評議国の冒険者ギルドは、かつてないパニック(という名の狂乱)に包まれることとなった。
「すいませーん、これ、道中でポチが拾ってきた骨とか皮なんですけど、買い取ってもらえます?」
リムルがギルドのカウンターにドサッと置いたのは、新世界では国宝指定されてもおかしくない『古代竜(エンシェント・ドラゴン)の完全な魔石』や『超特級のミスリル鉱石の原石』の山であった。
「ヒッ……!? こ、これは! 国の国家予算三年分に匹敵する素材……!?」
ギルドマスターが白目を剥いて泡を吹く中、評議員のトップたちが慌ててギルドに駆け込んできた。
「サ、サトル様! ぜひ、ぜひその素材は我が国に直接買い取らせてください! そして、サトル様のような偉大なる御方に、我が評議国の『最高名誉評議員』の座に就いていただきたく……!!」
「えっ? いや、俺ただの冒険者だし、そういう堅苦しいのはちょっと……」
リムルが苦笑いして断ろうとすると、獣人の議長が必死に食い下がってきた。
「ならばせめて! サトル様のその圧倒的なお力と、慈悲深きお心に報いるため、中央広場にサトル様(とポチ様)の『黄金の銅像』を建立させてください! 今日より我が国は、サトル様の大ファン……もとい、絶対の支援者として全力を尽くします!!」
「ど、銅像!? いやいや、恥ずかしいから絶対やめて!」
「おお……! なんという奥ゆかしさ! 英雄でありながら驕ることのない、その謙虚な御心! やはりサトル様こそ真の神に等しき存在!! 皆の者、今日から我が国の国教は『サトル教』である!!」
「「「サトル様万歳!! ポチ様万歳!!」」」
ギルド内にいた冒険者、そして評議員たちが、一斉にリムルに向かって祈りを捧げ始めた。
その熱狂的な狂信の光景に、リムルは(変装用の仮面の下で)盛大に顔を引きつらせた。
(……なんでこうなるの!? 俺、ただ素材売って、美味しいご飯食べたかっただけなのに!!)
リムルの悲痛な心の叫びは、サトル様コールにかき消されていった。
「サトル様ー! サトル様にごちそうするために、街中の料理人が広場で宴会の準備を始めたっすよ!」
ゴブタがニコニコしながら報告してくる。
「はぁ……。なんか最近やけに変な方向に勘違いされやすいんだよなぁ。ただ、銅像だけは絶対に阻止しないとだけど」
こうして、武力を行使することすらなく、ただ「非常識なペットの散歩」と「ゴミのような感覚での素材売却」を見せつけただけで、新世界でも有数の強国であるアーグランド評議国は、完全に「冒険者サトルの非公式ファンクラブ」と化してしまったのである。
――同刻。テンペスト地下迷宮、第九十階層。
「ハックション!!」
白金色の鎧を着たツァインドルクス(白金の竜王)が、モップがけの最中に豪快なクシャミをした。
「どうした、ツァインドルクス先輩。風邪ですか?」
後輩清掃員である常闇の竜王が、ほうきを使いながら気遣わしげに声をかける。
「いや……なんというか、急に『私の護るべき祖国が、誰か別の得体の知れない存在に完全に掌握された』ような、嫌な悪寒がしてな……」
ツァインドルクスは、鎧の首を傾げながら呟いた。
「アハハ! 何を馬鹿なことを言っているんですか先輩! きのせい、きのせいですよ!」
常闇の竜王が笑い飛ばす。
「……それもそうだな。私には今、祖国よりも『この階層の床をワックスがけして、ゼギオン様に褒められる』という重大な使命があるのだ! よし、常闇! 七彩! おしゃべりは終わりだ、手を動かせ!」
「「「はいっす、ツァインドルクス先輩!!」」」
かつて新世界の命運を握っていた真なる竜王たちは、遠く離れた祖国がスライムの冒険者ごっこによって陥落したことなど知る由もなく、今日も元気に地下迷宮で清掃業務に汗を流すのであった。