トブの大森林上空。空間の亀裂から這い出たそれは、もはや生物という枠組みに収まるものではなかった。
全長数千メートル。純白の金属装甲と、脈打つ赤黒い生肉がグロテスクに融合した超巨大要塞。ユグドラシルのシステムにおいて『世界敵(ワールド・エネミー)第一軍団長』と呼称される、レイドボス級のバグ生命体である。
その巨大な質量が新世界の空に完全に顕現した瞬間、周囲の空間がギシギシと悲鳴を上げた。
重力が狂い、大気中の魔素が要塞の中心にある『巨大な黒いコア』へと竜巻のように吸い込まれていく。
『【――メインシステム・オンライン。対象エリア内のイレギュラー存在(バグ)の強制削除プロセスへ移行】』
地響きのような無機質な音声が空を震わせた直後、要塞の表面に無数の砲門が一斉に展開された。その数、ざっと数万。全ての砲身の奥で、空間そのものを抉り取る『消去の光』が青白く瞬き始める。
「へぇ……! さっきの雑魚どもとは比べ物にならないくらい、エネルギーの密度が高いね!」
空中に浮かぶウルティマは、恐怖するどころか、極上の玩具を見つけた子供のように目を輝かせた。
「ええ。とはいえ、所詮は図体が大きいだけの的(マト)ですわ。……一息に消し飛ばして差し上げましょう」
テスタロッサが優雅に真紅の扇子を振り下ろした。
それを合図に、原初の悪魔たちによる、神話級の蹂躙劇が幕を開けた。
「【破滅の炎(ルイン・フレイム)】!!」
ウルティマが両手を突き出すと同時、空を覆い尽くすほどの巨大な紫黒色の火球が幾千も生成され、超巨大要塞へと隕石の雨のごとく降り注いだ。一つ一つが山を吹き飛ばすほどの威力と、触れた物質の魔素構造を腐食させる究極の毒炎。
それが数千メートルの要塞を完全に包み込み、大爆発を引き起こす。
轟音が響き渡り、空が紫色の閃光に染まった。
しかし。
『【物理・魔法ダメージ:無効。ワールド・シールド:耐久値99%】』
爆炎が晴れた後、要塞は文字通り『無傷』であった。
その表面には六角形のハニカム構造をした黄金のバリアが幾重にも展開されており、ウルティマの毒炎すらもシステム的に『完全遮断』していたのだ。
「おや? さっきの眷属どもの紙装甲とは違って、ずいぶんと頑丈な盾を持っていますね」
テスタロッサが感心したように目を細める。
「アハハッ! いいね、一発で壊れちゃつまんないもん! なら、ぶっ壊れるまで殴り続けるだけだよ!」
ウルティマの姿が、紫色の閃光となって空から消えた。
次の瞬間、彼女は要塞の極大の装甲の目の前に空間転移で出現していた。その細腕が、恐るべき覇気と魔力を纏って黒く変色している。
「オラァッ!!」
ドンッ!! という、空気を粉砕するような凄まじい衝撃音。
ウルティマの拳が黄金のバリアに激突した瞬間、強固なハニカム構造に亀裂が走り、パキパキと音を立てて砕け散った。
『【警告。第1から第15層までのワールド・シールドの破損を確認。即時再展開――】』
「遅い遅い遅いッ!!」
ウルティマは空中で体を捻り、秒間数百発に及ぶ拳と蹴りの乱打を叩き込む。彼女の究極能力『死毒之王(サマエル)』の力を乗せた物理打撃は、システムの修復速度を遥かに上回る速度でバリアを粉砕し、要塞の生肉と金属のハイブリッド装甲を直接ボコボコに抉り取っていく。
肉片が飛び散り、金属の装甲が飴細工のように拉げた。
『【脅威度:極大。対象を最優先排除目標に再設定。迎撃シーケンス開始】』
要塞が、不気味な震動を起こした。
ウルティマの猛攻を受けながらも、要塞の表面に展開された数万の砲門が、彼女一人へ向けて一斉に火を噴いた。
放たれたのは、熱線ではない。対象を追尾し、触れた座標のデータを削除する『完全消滅の誘導レーザー』の雨だ。
「おっと!」
ウルティマは笑いながら空を蹴り、恐るべき機動でレーザーの雨を回避する。彼女がすり抜けた空間の残像を、数万の光線が次々と抉り取っていく。
一本でも掠れば肉体を削除される絶対の死の弾幕。しかし、ウルティマはそれを『三次元の弾幕シューティングゲーム』でも楽しむかのように、スレスレで躱しながら要塞の周囲を飛び回る。
「フフッ、いい身のこなしです。ですが、少しばかり手数が多すぎますわね」
後方で優雅に空に浮かんでいたテスタロッサが、空間から漆黒の鞭『死の鞭(デス・ウィップ)』を引き抜いた。
彼女が手首を軽くスナップさせた瞬間。
鞭は無限にその長さを伸ばし、空を埋め尽くす数万の追尾レーザーを『まとめて絡め取り』、力任せに明後日の方向へとへし折った。光線が物理的な鞭で弾き飛ばされるという、物理法則を無視した超常の防御。
「テスタ、援護サンキュー! よーし、どんどん剥がすよ!」
ウルティマは勢いを増し、要塞の装甲に張り付きながら、その鋭い爪で巨大な砲台や生肉の部位を次々と引き裂いていく。
『【警告。外装ダメージ30%を突破。防御機構、フェーズ2へ移行】』
要塞の中心にある巨大な黒いコアが、心臓のようにドクンと脈打った。
次の瞬間、要塞の周囲の空間そのものが『グニャリ』と歪んだ。
「ん……?」
装甲を引き裂いていたウルティマの体が、突如として見えない巨大な手で押し潰されるように、強烈な重力場に囚われた。
『【空間圧縮・事象崩壊エリア展開】』
要塞の周囲数キロメートルが、一瞬にして『無重力と超重力がランダムに入り乱れる』極限の混沌空間へと変貌したのだ。空気が圧縮されてプラズマ化し、放電が走り回る。
「うわっ、重力操作? しかも座標がメチャクチャにズレてる……!」
ウルティマの飛行軌道が乱れ、動きが鈍った。
そこを見逃す要塞ではない。装甲の一部が開き、中から巨大な金属の『触手』が数百本も飛び出し、ウルティマへと襲い掛かった。触手の先端には、全てを空間ごと切り裂く超振動ブレードが装備されている。
「チッ、鬱陶しいな!」
ウルティマは両手に紫黒の炎の剣を生成し、襲い来る数百の触手を乱切りにする。しかし、切断された端から触手は瞬時に再生し、無限の波状攻撃を仕掛けてくる。重力場の影響で思うように動けない中、徐々にウルティマの包囲網が狭まっていく。
「あら。捕まったら、ドレスが汚れてしまいますわよ、ウルティマ」
冷ややかな声と共に、テスタロッサが動いた。
彼女は重力異常の空間など全く意に介さず、空を滑るように前進する。
「【黒炎】」
テスタロッサが指先を鳴らすと、要塞の触手の根元から、漆黒の炎が突如として噴き上がった。それは通常の炎のように燃え広がるのではなく、標的の『存在そのもの』を燃料として燃え盛る地獄の業火。
「ギ、ギギギ……ッ!! 【エラー、修復プロセス阻害】」
触手は再生する間もなく黒炎に呑み込まれ、次々と灰と化していく。
「さて、少しばかり削り作業を手伝いましょうか」
テスタロッサは左手を前に突き出した。
彼女が展開したのは、究極の魔法。かつて新世界の常識を根底から破壊した、核撃魔法の真髄。
「【重力崩壊(グラビティー・コラプス)】」
ただでさえ重力異常を起こしていた要塞の周囲の空間に、テスタロッサの放つ『超高密度の疑似ブラックホール』が顕現した。
要塞の巨大な装甲が、メリメリと音を立てて中心へと吸い込まれ、拉げ、圧壊していく。システムが構築した重力場ごと、さらに上位の絶対的な力でねじ伏せたのだ。
『【エラー。装甲ダメージ70%を突破。コアの露出を確認。最終防衛フェーズへ移行】』
装甲の大部分を失い、ボロボロになった要塞の中心。
そこで脈打っていた黒いコアが、ついにその全貌を現した。それは巨大な眼球のようにも見え、周囲の光を全て吸い込むような絶対の漆黒。
『【――全エネルギーをメインカノンへ回線。次元消去砲、チャージ開始。目標:対象および、この惑星全体】』
コアの周囲に、これまでの比ではないほどの異常なエネルギーが収束し始めた。
空間が悲鳴を通り越して断末魔を上げ、空そのものに巨大な亀裂が走る。
それは、ユグドラシルのシステムにおいて、一つの世界を完全に『リセット』するために使われる、究極のシステム干渉兵器であった。
「あーあ。あれ撃たれたら、新世界ごと全部消えちゃうかもね」
重力場から解放されたウルティマが、額の汗を拭いながら笑う。
「リムル様から、被害を出さずに掃除しろと仰せつかっているのです。あのような技、撃たせるわけにはいきませんわ」
テスタロッサは極寒の笑みを浮かべ、右手に魔力を圧縮し始めた。
それは、単なる魔法ではない。彼女の持つ究極能力『死界之王(ベリアル)』の力を限界まで練り上げた、原初の白としての最大奥義。
「ウルティマ。私がアレのシステムごと貫きます。あなたは、その隙にコアの物理的な破壊を」
「了解! アタシの一撃で、チリ一つ残さず蒸発させてあげる!」
ウルティマもまた、両手にとてつもない密度の魔素を集束し始める。
『【次元消去砲、発射プロセス――】』
要塞のコアが極大の閃光を放とうとした、まさにその刹那。
「遅いですわ」
テスタロッサが放った。
「【死の祝福(デス・ストリーク)――臨界突破(オーバーロード)】!!」
漆黒の光の帯が、一直線に要塞のコアへと放たれた。
それはコアの放つ極大のエネルギー波と正面から激突する。
システムによる世界の消去光線と、原初の悪魔による絶対の死の魔力が、空の真ん中で拮抗し、凄まじい衝撃波を撒き散らす。
『【出力不足。迎撃不能。対象の魔力密度、測定不能……エラー、エ、エェェッ!?】』
システムの限界を超えたテスタロッサの漆黒の光が、次元消去砲の光線を真っ二つに引き裂きながら、要塞のコアへと直撃した。
その瞬間、要塞の全システムが完全に『停止』した。魔法やエネルギーを放つという概念すらも、死界之王の力によって強制終了させられたのだ。
「ナイス! とどめはアタシが貰うよッ!!」
完全に機能停止し、無防備となったコアの目の前に、ウルティマが肉薄した。
彼女の両手には、紫黒の炎と、空間そのものを破壊する魔力が極限まで圧縮されている。
「アタシたちの世界で、勝手なことしてんじゃねえよ!!」
ウルティマの拳が、要塞の巨大な黒いコアのど真ん中に叩き込まれた。
「【破滅の爆轟(ルイン・エクスプロージョン)】ッ!!!!」
カァァァァァァァァァァァァッ…………!!!!!
音すらも遅れて届くほどの、極大の閃光。
ウルティマの拳から放たれた絶対の破壊エネルギーは、数千メートルの要塞を内部から完全に食い破り、膨張し、一切の破片を残すことなく、文字通り『素粒子レベルで蒸発』させた。
轟音が新世界全土を揺らし、トブの大森林上空を覆っていた赤黒いノイズの空が、パリンッという乾いた音と共に完全に消滅する。
後に残ったのは、先ほどまでの絶望が嘘のように澄み渡った、美しい青空。
そして、一つ息を吐いてドレスの裾を直すテスタロッサと、満足げに拳を振り下ろして笑うウルティマの、二人の悪魔の姿だけであった。