魔国連邦(テンペスト)、中央指令室。
玉座から立ち上がったリムル・テンペストの全身から放たれる覇気は、先ほどまで世界を蹂躙していたバグの群れすらも、児戯に思えるほどに濃密で、そして静謐であった。
「……ディアブロ、シオン。よく戻ったな。ベニマルたちにも伝えろ、地上の残存バグの掃討と避難民の保護に当たれ。ここから先は、少しばかり規模(スケール)がでかすぎる」
空間転移を終え、指令室に帰還したばかりの幹部たちを一瞥し、リムルは静かに命を下した。
「御意に。……しかしリムル様、あのような薄汚い屑のために、我が君が直接手を下されるなど……」
「構わんさ。むしろ、俺の箱庭(テーマパーク)で勝手な真似をした落とし前は、俺自身がつけさせてやらなきゃ気が済まないんでね」
リムルは軽く首を鳴らすと、何の手印も結ばず、詠唱も行わずに虚空へと足を踏み出した。
次の瞬間、彼の姿は指令室からふっと掻き消える。
空間跳躍。行き先は――新世界の遥か上空、大気圏を越えた冷たい『宇宙空間』である。
音の存在しない真空の世界。
眼下に広がるのは、新世界の美しい青と緑の惑星。
そして目の前には――その惑星そのものを丸呑みにしようと大顎を開く、数万キロメートルにも及ぶ規格外の超巨大生命体『九耀の世界喰らい(ウロボロス・バグ)』。
宇宙の闇と赤黒いシステムノイズが融合したような、蠢く無限の大蛇。
その体表には幾千、幾万もの巨大な眼球が浮かび上がり、ギラギラと狂気の光を放ちながら星を見下ろしている。それはまさしく、一つの世界の終焉(リセット)を司るシステムの化身であった。
リムルは、重力のない宇宙空間にフワリと立ち、その神話的絶望を前にして、ひどく退屈そうにため息をついた。
「シエル。あれの強さはどんなもんだ?」
『《告。対象は『ユグドラシル』のコアシステムそのものと直結しており、世界を構成する全エネルギーを『削除・吸収』する権限を有しています。存在値(EP)は測定不能(エラー)。放っておけば、数分で背後の惑星はデータごと完全に消去されます》』
「なるほどな。星食い虫ってわけか。……で、俺が全力でぶっ飛ばしたらどうなる?」
『《マスターが究極能力『虚無之神(アザトース)』の力を解放して対象を破壊した場合、その余波だけで背後の惑星が塵になり、テンペスト側の次元境界にも深刻な亀裂が生じる確率が99.9%です》』
「……やっぱりそうなるよなぁ」
リムルはポリポリと頬を掻いた。
彼にとって、眼前の超巨大バグを『消滅』させること自体は造作もない。だが、的(マト)があまりにも巨大すぎる上、星に密着しすぎている。力任せに殴り飛ばせば、守るべき新世界ごと消し飛んでしまうのだ。
「仕方ない。少しばかり手間だが、シエルが奴のシステム構造(コア)を完全に解析し切るまで、俺が『手加減して』遊んでやるとするか。……被害を出さずに、綺麗に解体してやる」
リムルの黄金の瞳が、細められた。
その瞬間、星の消去プロセスを進行させていたウロボロス・バグの幾千の眼球が、一斉にギョロリとリムルの方を向いた。
『【警告(システムアラート)。超高密度のイレギュラー存在を検知。惑星消去シーケンスに深刻な障害。……対象を最優先排除目標に設定(ロックオン)。完全抹消(デリート)を実行シマス】』
星を震わせるほどの無機質な思念波が宇宙空間に響き渡る。
ウロボロス・バグの巨大な大蛇の体表から、無数の『黒い球体』が生成された。
それは一つ一つが、先ほどカレラが放ったような『重力崩壊(グラビティー・コラプス)』に匹敵する超重力の塊。それが数万、数百万という数で宇宙空間を埋め尽くし、一斉に極小の点であるリムルへと殺到した。
回避など不可能な、全方位からの特大核撃の嵐。
直撃すれば、星の半分が抉り取られるほどのエネルギーの奔流。
しかし、リムルは避ける素振りすら見せなかった。
ただ、右手を軽く前に突き出しただけだ。
「――【虚数空間(イマジナリースペース)】」
数百万の超重力球が、リムルに直撃する――まさにその数ミリ手前で、音もなく『消失』した。
爆発すら起こらない。相殺されたわけでもない。
ただ、リムルの周囲に展開された絶対不可侵の虚数空間へと、すべてのエネルギーが吸い込まれ、文字通り『無』へと帰したのだ。
『【エラー。攻撃データの消失を確認。命中率100%の座標計算において、ダメージログ:ゼロ。再計算……再計算……】』
「おらおら、どうした? 星を食うシステム様が、こんなちっぽけなスライム一匹に攻撃も当てられないのか?」
リムルは挑発的に笑いながら、虚空を蹴って猛烈な速度でウロボロス・バグへと肉薄した。
『【対象の接近を検知。絶対防衛機構、起動】』
バグの体表が波打ち、そこから惑星の軌道すら歪めるほどの巨大な『超振動ブレード』が数千本も生え出した。さらに、空間そのものを隔離・切断するワールドアイテム級の結界が、何重にもリムルの行く手を阻む。
「シエル、解析状況は?」
『《対象の防御コードの書き換えパターンを収集開始。……マスター、適度に装甲を剥がしてください》』
「了解!」
リムルは腰に帯びた愛刀に手をかけた。
神話級(ゴッズ)武装に、彼の究極能力『虚無之神』から引き出した『虚無崩壊』のエネルギーを一つまみだけコーティングする。漆黒のオーラを纏った刀身が、宇宙の闇よりも深く、恐ろしい光を放つ。
「【虚空斬(ボイド・スラッシュ)】」
リムルが刀を横になぎ払った。
ただそれだけ。
剣閃が飛ぶわけでもなく、派手な爆発が起きるわけでもない。
しかし、次の瞬間。
ズバババババババババッ!!!!
ウロボロス・バグの体表を覆っていた絶対切断のブレード群と、空間を隔離する無敵の結界が、数千キロメートルにわたって『綺麗に真っ二つ』に両断され、宇宙空間にパラパラと散らばった。
物理法則も、システムのルールも関係ない。リムルの剣は、触れたものの存在定義そのものを『無』に帰す絶対の破壊剣。
『【ギ、ギギ、ギギギギギギッ!? エラー! エラー!! 装甲データ、修復不能! 概念の欠損を検知!!】』
初めて、システムが『悲鳴』のようなバグ音を上げた。
ユグドラシルのシステムにとって、破壊されたデータは再構築すればいいだけの話だ。しかし、リムルの『虚無』によって斬り裂かれた部分は、システム上からも完全に消失しており、二度と修復することができないのだ。
「ほう、随分とデカい割には、案外脆いじゃないか」
リムルは宇宙空間でピタリと静止し、刀を肩に担ぎながら笑った。
だが、星を喰らうシステムも、ただ斬られるだけのサンドバッグではない。
『【システム権限、レベル5へ移行。世界法則の強制書き換えを実行(オーバーライド)。対象の生命維持機能を停止させます】』
ウロボロス・バグの幾千の眼球が、一斉に赤く発光した。
瞬間、リムルの周囲の宇宙空間そのものの『意味』が書き換えられた。
時間経過が停止し、因果律が逆転し、「存在する」という事実そのものがシステムによって「不正なデータ」として上書きされようとする。対象をデータごと強制的にゴミ箱へ送る、ユグドラシル最強の即死コマンド。
「……なるほど。これが世界の理(ルール)を弄るってやつか」
リムルは、自身の体がノイズに塗れ、存在が薄れていくのを静かに見下ろした。
普通のプレイヤーや、新世界の竜王であれば、この時点で完全に消滅(ロスト)していただろう。
「だがな――」
リムルの黄金の瞳が、残酷なまでに美しく輝いた。
「俺の魂(データ)は、そんなチャチな容量(システム)じゃ、到底書き換えられないぜ?」
神智核(シエル)が、リムルの内側で冷笑する。
『《告。下位システムによる干渉を検知。……全アクセスを遮断し、対象の干渉法則を『捕食・最適化』します》』
リムルの体が薄れていたノイズが、一瞬にして晴れた。
それどころか、ウロボロス・バグが放っていた『法則書き換えの力』そのものが、リムルの究極能力『豊穣之王(シュブ・ニグラス)』の権能によって、そのままリムルの中へと取り込まれてしまったのだ。
『【エ、エラー!? 書き換え不能! 逆に、システム権限の一部が……奪取サレテイマス……!?】』
「お前が作ったルールなら、俺が上書き(アップデート)してやるよ」
リムルはニヤリと笑うと、刀を構え直し、さらなる猛スピードでウロボロス・バグの巨大な頭部へと突撃した。
その頃。
地上の新世界、各国の避難所に設置された巨大モニターでは、宇宙空間で繰り広げられる『神と世界の死闘』が、完全な高画質で中継されていた。
ディアブロが、わざわざ新世界の民衆にも見えるように映像を配信しているのだ。
「お、おおお……」
バハルス帝国の皇帝ジルクニフは、あまりのスケールの大きさに、完全に腰を抜かしてへたり込んでいた。
先ほどまで、原初の悪魔たちが見せた圧倒的な力に感嘆していた彼らだが、今モニターに映っている光景は、もはや理解の範疇を超えすぎていた。
「星より巨大なバグの化身……。神話の神々ですら逃げ出すような終末の怪物を相手に……あの方(リムル)は、たった一人で……しかも、笑いながら戦っておられる……!」
フールーダは、もはや祈ることすら忘れ、食い入るようにモニターを見つめている。
白金の竜王は、絶望と安堵がないまぜになったような複雑な表情で呟いた。
「システムが構築した世界そのものを、力で、いや、存在そのもので捻じ伏せている……。テンペストの主。あれこそが真の『絶対者』。我々がかつて怯えていたユグドラシルなど、あの御方の前ではただの出来損ないの箱庭に過ぎないのだ……」
宇宙空間の死闘は、さらに激化していく。
リムルの猛攻を受け、修復不能のダメージを蓄積していくウロボロス・バグは、ついに星の消去を後回しにし、全エネルギーをリムル一人へと向け始めた。
『【脅威度:神話級突破。プロトコル・オメガを起動。自壊を前提とした、事象崩壊光線をチャージ】』
バグの巨大な顎の奥に、宇宙空間の闇すらも吸い込むような『真の虚無の光』が集束し始める。それは星一つどころか、この銀河系の一部すらも消し飛ばしかねない、システム崩壊に伴う自爆攻撃。
「……おいおい、破れかぶれかよ。アレを撃たれたら、俺は無事でも後ろの星が消滅しちまうぞ」
リムルは刀を下げ、僅かに眉をひそめた。
『《マスター。対象のコア・システムの完全解析、および解体手順(ルート)の構築が完了しました》』
シエルの声が、脳内に響く。
「よし、待ってました。それじゃあ……そろそろ、終わらせてやるか」
リムルは深く息を吸い込み、刀を鞘に収めた。
武器すら必要ない。
彼がこれから放つのは、剣術でも魔法でもない。万物を統べる魔王としての、絶対の『捕食』。
宇宙を揺るがす光線が放たれようとするその刹那。
リムルの背後に、銀河すらも飲み込むほどの、巨大な巨大な『スライムの影』が実体化した。
神の遊戯は終わりを告げ、真なる蹂躙が始まろうとしていた。