テンペスト異世界転移   作:ネネカ大神

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第4話:文化と胃袋の侵略、あるいは絶望の晩餐

「……ここは、天界か何かか?」

テンペストが誇る大浴場。

湯気で霞む広大な空間に足を踏み入れたガゼフとその部下たちは、思わず感嘆の声を漏らしていた。

大理石のように磨き上げられた滑らかな床。見上げるほど高い天井。そして、とうとうと湧き出る透き通った湯。王族ですら滅多に入ることのできない「温かい風呂」が、ここでは一般市民(魔物たち)の娯楽として解放されているというのだ。

「戦士長……俺たち、本当にこんな贅沢をしてもいいんでしょうか」

「……勧められた以上、断るわけにもいくまい。これも彼らの『外交』の一環なのだ」

ガゼフは警戒を解かぬまま、湯船に身を沈めた。

「――ぅお……ッ」

その瞬間、ガゼフの全身から力が抜け、思わずだらしない声が漏れた。

ただの湯ではない。適度な温度の湯には、微かな薬草の香りと共に、心地よい魔力(魔素)が溶け込んでいる。日々の激務と先ほどの死闘で限界を迎えていた筋肉の疲労が、嘘のように溶けていくのがわかった。

(なんという治癒効果だ。神殿の神官たちが数日がかりで施す回復魔法と同等、いやそれ以上の効果が、ただ『湯に浸かるだけ』で得られるだと……? これが平民の娯楽……狂っている。こんな国と戦争など、絶対に不可能だ!)

ガゼフは湯船の中で、固く目を閉じた。

武力による圧倒だけではない。この国は、人間の生活水準そのものを過去の遺物にしてしまう恐るべき『文化の暴力』を持っているのだ。

温泉で身も心も(強制的に)ほぐされたガゼフたちは、次に広大な宴会場へと案内された。

そこには、新世界の常識を根底から覆す光景が広がっていた。

「さぁさぁ、皆さんお疲れでしょう。遠慮なく食べてくださいね!」

リムルが上座でジュース(果汁100%の極上品)の入ったグラスを掲げると、シュナの合図で次々と料理が運ばれてきた。

「こ、これは……ッ!?」

ガゼフの部下たちが悲鳴のような歓声を上げる。

テーブルに並べられたのは、王都の最高級レストランですら見たこともない料理の数々だった。

黄金色に輝く揚げ物(天ぷら)。

香辛料がふんだんに使われた、食欲をそそる香りの肉料理(オーク肉のステーキ)。

そして、極めつけは――。

「ホッホッホ。お客様には、拙者が腕によりをかけて捌いた『刺身』とやらを召し上がっていただこう」

初老の剣士――ハクロウが、美しく飾り切りされた新鮮な魚の切り身を運んできた。

(この老人……ただの料理人ではない。歩法から一切の隙がない。私が全力で斬りかかっても、一歩も動かずに私の首を落とすだろう……!)

ガゼフはハクロウから発せられる武の極致に冷や汗を流しながらも、出された「刺身」に恐る恐る箸を伸ばした。

口に入れた瞬間。

「…………ッ!!」

言葉を失った。

森の奥深くにありながら、海でしか獲れないはずの魚が、全く臭みがなく、口の中でとろけるような甘みと共に消えていく。添えられた黒い液体(醤油)が、その旨味をさらに暴力的なまでに引き上げている。

(美味すぎる……! 塩や香辛料がどれほど貴重か、彼らは知らないのか!? いや、違う。彼らにとってこれほどの贅沢が『日常』なのだ。我々人間に、自らの絶対的な豊かさを見せつけるための盤石の布石!)

ガゼフの推測とは裏腹に、当のリムルは「ハクロウの刺身は相変わらず最高だなー」とゴブタと笑い合いながら、無邪気に食事を楽しんでいるだけだった。しかし、その「無邪気さ」こそが、ガゼフにとっては底知れぬ魔王の恐ろしさに映った。

宴もたけなわとなった頃、リムルがふと思いついたように手を打った。

「そうだ。ガゼフさんたちを助けたとはいえ、勝手に王国の領土(?)の近くに国ごと引っ越してきちゃったわけだし、ちゃんと王国に挨拶の使者を送らないとマズイよな」

「使者……でございますか?」

「うん。いきなり魔物の軍隊が行ったら驚かせちゃうだろうし、ちゃんとした外交官を送ろうと思うんだ」

ガゼフは内心で安堵した。

外交官を送るという手順を踏むのであれば、少なくとも即座に王国が滅ぼされることはない。対話の余地があるということだ。

「どなたを派遣されるおつもりで?」

「そうだなー。ここは、礼儀正しくて、人間の貴族社会にも適応できそうな……テスタロッサ、お願いできるか?」

リムルが声をかけた瞬間。

宴会場の空気が、ふわりと冷たくなった。

「はい、リムル様。喜んで」

優雅な足音と共に、ガゼフの目の前に進み出たのは、真紅の髪を美しく結い上げた、絶世の美女だった。

純白の軍服風のドレスに身を包んだ彼女は、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。

しかし、ガゼフの本能は、シオンの時以上の『破滅の警鐘』をガンガンと鳴らし始めた。

(ヒッ……!? な、なんだ、この女は……!)

テスタロッサがガゼフを一瞥しただけで、彼は自身の魂が氷漬けにされたような錯覚に陥った。

シオンが「理不尽な暴力」だとすれば、このテスタロッサという女は「美しき絶対の死」そのものだった。彼女の微笑みの裏には、人間の命など塵芥ほどにも思っていない、悪魔的な冷酷さが隠されている。

「お初にお目に掛かりますわ、戦士長様。テスタロッサと申します」

テスタロッサは優雅にスカートの裾をつまみ、完璧なカーテシー(淑女の礼)を披露した。

「リムル様の御心に従い、私が王都へ赴き、貴国の王や貴族の方々と『友好的な関係』を築いてまいりますわ。……ええ、とても仲良く、ね」

(駄目だ……! この女を王都に入れてはならない! 貴族たちが少しでもこの女の機嫌を損ねれば、王都は一夜にして『死の都』と化すぞ……!)

ガゼフの絶望をよそに、リムルは呑気に頷いている。

「うんうん、テスタロッサなら安心だな。ついでにうちの特産品とかも持っていって、商取引の交渉もしてきてよ」

「承知いたしました、我が主。王国の全てを、リムル様の足元へ――いえ、リムル様の望む通りの素晴らしい市場に整えてご覧に入れますわ」

テスタロッサの後ろで、モスが極小の分身体をパラパラと散らしながら「クヒヒ……面白くなりそうだ」と不気味に笑うのを、ガゼフは見逃さなかった。

「あ、戦士長殿」

青ざめるガゼフに、テスタロッサがふわりと顔を近づける。

甘く、死の香りがする吐息が耳元をくすぐった。

「私、人間たちの『裏の顔』を見るのが大好きなの。王国には『八本指』という面白い組織があるそうね? 王都に着いたら、まずは彼らと……『お茶会』でもしようかしら」

「…………ッ!!」

ガゼフは確信した。

リ・エスティーズ王国は終わったのだと。

武力による侵略よりもずっと恐ろしい、この美しき悪魔による「優雅な蹂躙」が、今まさに始まろうとしていた。

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