「ほほう、三島くん見たまえ。また帝都で怪人二十面相が現れたそうだよ」
そう部下の三島刑事に新聞をわたすのは、岩手県警本部捜査一課の菅野警部です。
「ワシが警視庁に勤めとった頃から、この怪人二十面相とやらは、そりゃあもう帝都を騒がせてたものさ」
興味津々といったぐあいに新聞に目を凝らす三島刑事に、菅野警部は話しかけます。
「怪人二十面相かあ・・・こんなヤツが現れるくらい、帝都っていうところはお宝がたくさんあるんですねえ」
三島刑事は感心したふうに、お茶をすすります。
「そりゃあきみぃ、戦前戦中、そして戦後と、帝都は異国との交流や財閥の振興で国内外の珍物奇物がせいぞろいでねぇ。戦後になってより米国や独国、英国や中国といったところからいろんな宝物が流れ込んできてるものさ」
去年まで帝都警視庁につとめていた菅野警部は、それは得意になって説明します。
「はっはあ・・・それで、怪人二十面相みたいな奇怪な盗賊が跋扈するんですか。ときに警部、この、明智探偵、というのは・・・」
「ほう、きみぃ、明智小五郎を知らんのかね」
「はあ・・・自分は最近まで陸軍省におりまして、ずっと満州の内陸奥地に勤めておったものですから」
「ほう、そうかね。わたしも何度か仕事したことがあるが、ウン、警視庁のすべての刑事が束になってかかってもかなわない、そりゃあすごい名探偵なのだよ。怪人二十面相のような不届きな犯罪者との対決はもちろん、戦前から戦後、帝都を騒がせた殺人事件や奇怪な事件を、それつぎつぎと解決していってね。忸怩たるものはあるが、警視庁でも頭が上がらんのだよ」
「へええ。まるでシャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロのような名探偵が現実に存在するなんて」
「きみぃ、小説に出てくる探偵などと一緒にしちゃあいかんね。明智探偵は、そりゃあもう・・・」
菅野警部がもっと得意になって話そうとしたら、けたたましく電話が鳴りました。
「はい、県警捜査・・・え?昨日の傷害事件現場で、あやしいヤツを捕らえた?場所は・・・市内境田町・・・近いね。よし、わかった」
電話を切ると、三島刑事は忘れないようにといまの内容を鉛筆で手帳に書き残したのです。
「昨日の傷害事件・・・進展あったのかね?」
「ええ。所轄からです。付近を見回り中の警邏官が、あやしい人物を捕らえたそうです」
「よし、行ってみよう。きみ、宿直を起こして、留守番を忘れぬように伝えておくのだよ」
三島刑事は動き出しながら返事をしました。電話の内容にあった昨日の傷害事件というのは、盛岡市境田町付近で、外国人が数人集まって何やら作業をしていたのを行商の乾物屋が声をかけたところ、何度かしたたかに殴られ蹴られ、入院してしまったという事件のことなのです。
すっかり年の瀬になった盛岡市の夜は凍てつくほど冷たい風に、白い雪がびゅうびゅうと吹き荒れていました。そんな中、肩をすくめながら菅野警部は三島刑事が運転する車の助手席に乗り込みました。内務省の辞令で帝都から盛岡へ異動してきたはいいものの、どうがんばってもこの寒さにはまだ慣れなかったのです。
「もしかしたら、犯人一味かもしれんね。しかし外国人とあっちゃあ・・・きみ、満州で働いておったのだろう?」
「ええ。ですが、わたしなぞ同じ日本人相手に仕事をしておりましたから。満州の言葉すらおぼつきませんのに、外国の言葉なんていうものは・・・」
すっかり弱り切ってこたえる三島刑事ですが、満州にいただけあって、これほどの悪天候でも運転に少しの不安もありませんでした。菅野警部は安心して、この若い刑事に運転を任せることにしたのです。
しばらくして、通報のあった所轄の盛岡北警察署へ到着しました。寒そうに肩の雪を払いながら守衛の警邏官はふたりを中へ通してくれたのです。
「やあやあ、ごくろうさん」
ちょうど刑事課の机で取り調べにあたっていた刑事たちに菅野警部が声をかけると、所轄の刑事たちは立ち上がって敬礼しました。それぞれ年配の刑事が東、若手の刑事が仁見と名乗りました。
「はて、賊は外国人ときいていたのだが」
刑事たちと向かい合わせに座っているのは、いずれも日本人でした。ひとりはやや年配で、あたたかそうな半纏を着た職人風の男性、もうひとりはやや若く、長い髪のくたびれた和装姿でした。
「はあ。それがどうも、昨日の外国人による傷害事件には関係のないようでして・・・」
所轄の東刑事が答えると、半纏の男性がやんややんやと騒ぎ立てました。困ったことに、菅野警部は岩手の方言がいままだまるで理解できないのです。これは弱った、そんな顔をしていると、和装姿の被疑者がまるで通訳するように言いました。
「この旦那さんは地元の木炭商人なんですが、木炭が全部なくなってしまった、これは盗人が現れて全部盗んでいったに違いないって、ぼくのところに相談にきたんです」
ふうん、というと、菅野警部は帝都からもってきた恩賜のキセルに火をつけました。
「ほう、木炭泥棒か。じゃあ、我々が追っている件とはまるで異なる事件のようだねえ」
悠然と煙をふかすと、仁見刑事が立ち上がりました。
「それがこのヤロウ、こんな夜半にこの商人と事件現場をほっつき歩いてたもんですから、怪しいと思ってしょっぴいたんでさ。ところがすっかり嫌疑は晴れたっていうのに、オレたちの事件に根ほり葉ほり質問してきやがるんですよ」
仁見刑事は噴飯やるかたない、といったふうです。
「そうかね。まあ、ふたりとも我々の事件に関係ないのなら、もう帰してあげなさい。若い兄さん、明智探偵の真似事もほどほどにしたまえよ」
「はあ・・・それより、その外国人、ですか。まだ見当たりはついてないんですか?」
和装の男性はなおも食い下がってきます。仁見刑事はいきりたって咎めようとしますが、菅野警部はまあまあ、となだめます。
「そうだねえ。事件のあったあたりを警邏してるんだが・・・まだ手掛かりはつかめんねえ」
「外国人なら、いくらなんでもこの街の裏路地にいつまでもいないんではありませんか?」
さすがに、菅野警部も不機嫌そうにキセルをふかします。
「兄さん、なら、どこほっつき歩いているというのかね?」
「外国人といいますが、さきほどこちらの刑事さんからきいたところでは、すがたかっこうからして欧州か米国系の賊のようですね。そうしたヤツらがどこにいるかというと、たとえば東京なら、浅草や日本橋の花街や赤線にいそうなものでしょうねえ。盛岡なら・・・ええと、ぼくも岩手を離れてだいぶ経つもんですから、ピンとはきませんが・・・」
和装の男性は、もじゃもじゃとした髪の毛をガリガリとかきむしるようにします。
「中央通りか、本町通りのあたりに、キャバレーや社交倶楽部なんかがあった気がします。そこら辺をさぐってみてはどうでしょうか」
菅野警部は、大きくため息をつきました。たしかに帝都ほどではありませんが、盛岡にも女性とお酒を楽しむ歓楽街があります。ですが、そこは「厄介な地域なので、捜査といえど慎重に事を進めるべし」と県警本部から通告のある土地なのです。
「おい、もういいだろうが」
仁見刑事は男性の肩をグッとつかみました。
「い、いや、そうか。愚連隊や反抗結社を刺激してはならないと、帝都などでは官憲もおいそれと捜査に入れないのか。しかしその事情を知ってるとなると・・・警部さん、やはりここはひとつ、盛岡の花街をしらみつぶしに当たってみてはどうでしょうか。それも明日までに」
「なに、明日?」
「ええ。ぼくも明日の上野いき夜行急行で帝都へ戻るんですが、週にいっぺん、盛岡から夜行列車が走る日なんです。外国人のことです、いつまでも盛岡にいないで、さっさと外国人が珍しくない帝都へ行こうとするのが筋ってモンじゃあありませんかね?」
「おい、貴様!」
とうとう仁見刑事は声を荒く怒鳴ったのです。男性はそれに動じず、「いやそもそも、どうして外国人が盛岡くんだりまで・・・」などどブツクサ続けるものですから、とうとう年配の東刑事までも「おめえ、いいくれえにしろ!」と怒り始めました。
「兄さん、面白い話だ。幸いワシは地元の愚連隊や花街に遠慮がいらないものでね、そうした地元出身の官憲以外で捜査隊を作り、花街をあたってみるくらいはやってみよう」
菅野警部がそういうと、和装の男性は顔を明るくしてお辞儀しました。
「ささ、あとは警察に任せて。おいきみ、その、木炭盗難について、くわしくきいたかね?それでは、今夜のところはもうお帰り願いなさい。あ、兄さん、あんた名前は?」
「ええ、ぼくは金田一です。金田一耕助といいます。親族の葬儀があって、おとついから郷里に戻ってまして」
「ほう。ま、元気でおやんなさいや」
菅野警部は金田一という青年と握手を交わすと、県警ではなくて内務省の警務局へ電話をかけました。
「菅野警部、まさか本当に花街を探るんで?」
電話を切るのをいまか、いまかと待ち構えていた三島刑事が声をかけてきたのです。
「可能性があればやってみよう。ま、ここは年の瀬で地元のみんなも暮れの家内が忙しかろう。ワシら、転属組でひとつがんばってみようかと思ってね。なあに、どうせ正月も郷里へ帰ることなど叶いやせん。年末年始の暇つぶしだとおもって人肌脱ごうじゃないか」
菅野警部はうまそうにキセルの煙を吐きながら言いました。三島刑事はやや気が気でないようでしたが、それから菅野警部は本当に人手を数名集め、日があけんとする時間に雪が舞う花街へ繰り出したのです。
宿直として県警本部で蒸気暖房のそばでいびきをかいていた三島刑事でしたが、明け方、より雪が降り始めたころに刑事課がさわがしくなって目を覚ましました。
菅野警部たちは、本当に外国人の被疑者を連れてきたのです。
「警部、本当に・・・」
「おお、三島刑事。どうやら人相に当てはまりそうな連中じゃないか。五人の外国人。まあ、日本語は当然通じないがね」
あんまり地元の任侠団体が神経を遣うことはおよしになってください、と思いつつも、三島刑事は外国人たちが話していた言葉に聞き耳をたてました。
「警部、あの連中の言葉ですが・・・」
「うん?」
ついひそひそ声になり、菅野警部は耳を寄せました。
「いえ、自分は話すことはできませんが・・・あれは、ロシア語ですね」
「ロシア語・・・すると、賊の五人組はソビエトのヤツらか」
「間違いないと思います。満州にいたとき、あんな言葉を何回か聞いたことがあります」
「ふうむ・・・なんだって敵国の連中が盛岡くんだりに?」
それはわかりませんが、とにかく岩手県警にはロシア語を理解する人間がひとりもいません。菅野警部は内務省の伝手を頼って、盛岡に駐屯している陸軍第12師団からロシア語を理解する人間を遣わしてもらうことにしたのです。
雪が晴れて、すっきりと寒い中お天道さまが昇るころでした。刑事課にかかってきた電話は、陸軍からの承諾の連絡ではありません、内務省の外事局だったのです。
「ちきしょう!」
電話を切るなり、菅野警部は受話器を叩きつけるように置きました。
「どうしたんですか?」
そう三島刑事が尋ねましたが、菅野警部はまるで蒸気機関のようにキセルをふかしてばかりです。
「奴さんら、釈放だ。ソビエト連邦から圧力がかかったらしい。連中は正当なる我が国の同志であり、貴国の人民を傷つけたかどうかはわからぬが、逮捕拘留は不当。よって速やかに釈放さすべし。さもなくば、ハルビンとウラジオストクを結ぶ鉄道の来季運行計画を白紙に戻すというのだそうだ」
三島刑事はそれをきいて肩の力を落としましたが、地元の任侠団体への顔立てもかなったものだと、少し複雑な感情でした。
「せっかく旧くからの伝手を頼って賊を捕らえたというのに・・・こんなんでは、来たる昭和23年の年明けは暗澹たるものになりそうだ」
がっくりして座り込む菅野警部です。三島刑事はそんな菅野警部の言葉がお空に現れたように思いました。さきほどまですっきり晴れていたのに、急に黒い雲が盛岡の空を覆い始めたのです。
それはまるで夏の積乱雲のようであり、はたまた、黒い怪物のように、不気味に盛岡の寒空を包み込んでいきました。