さて、お話を始める前に、本作の舞台背景を説明しておきましょう。
本作は昭和23年の日本を舞台にしておりますが、読んでくれてるみなさんが少し感じているとおり、わたしたちの知っている歴史をたどった日本ではありません。
昭和14年に始まった日中戦争、そこから戦争継続故に資源不足をひとつの要因として昭和16年の真珠湾攻撃から大東亜戦争が始まる、そこまではわたしたちが歩んだ歴史と同じです。
ですが、昭和17年、ソビエトが独国を退けて東側諸国を衛星国家とし、さらなる攻勢として早くも戦局がおぼつかなくなった伊国、そして政権基盤が不安定な仏国にも傀儡の共産主義政権を打ち立てようとしたところから、異なる世界線を歩みはじめていくのです。
欧州においては独国、そしてアジア大洋州においては日本を敵国としていた米英でしたが、ソ連による想定を上回る攻勢とそれに伴う共産主義体制の拡大こそ最大の脅威と位置付けまして、日本と独国に休戦及び講和条約を持ちかけました。
これにより、日本は大洋州戦線での戦闘こそ繰り広げましたが、早々に休戦協定からの終戦を迎え、以降は豊富な石炭資源と技術力を以てして、米国や英国といった西側陣営に多量の兵器や資材を生産する国家体制と相成ったのです。
日独伊の三国連合との戦争から、米英を中心とする西側資本主義陣営と、ソビエトを中心とする東欧陣営による激突となった第二次世界大戦でしたが、互いの戦力確保困難と、中立国家となった中華民国の仲介により、昭和20年8月に終戦を迎えます。
ですが、開発こそすれど活用しなかった核戦力を始め、互いに抑止力を前提とした戦力兵力を示威させることで争っていく、いわゆる「冷戦」に突入したのです。
ここで肝要となったのが、資本主義国家でありながら米英とは一定の距離を置き、大国間において中立の位置を得た中華民国の姿勢です。
本来であれば、自分たちの領土であった満州と、陸続きである朝鮮の権益を日本から取り戻したいところではありますが、資本主義体制維持を目的としている以上、満州国を併合してしまえば国家体制が異なるソビエトと相まみえることとなってしまいます。とはいえ清国の歴史的経緯から、米国や英国と協調路線を歩むことはさらなる国土の割譲を招きかねない、そのような背景もあり、米ソそれぞれにある程度の権益をもたらしながら、まずは現体制を維持していき、且つ戦時中に日本が提唱していた「大亜細亜主義」に則ってアジア諸国との関係構築をしていくのです。
そして日本。
戦争継続による不況から、米英へ向けた物資生産供給および販売により、国内はかつてないほどの好況を迎えました。日本円の価値も相対的に上昇しましたが、生産国の通貨価値上昇を快く思わない米英の意向もあり、通貨体制の見直しを実施しました。すなわち、「円」と「銭」といった単位から、「円」のみの通貨単位制へと変更し、1ドル480円の固定相場制として運用を昭和20年より始めたのです。
さらに、同様の立ち位置を得ている独国とは技術面で協調を続けており、世界最高水準の質を誇る兵器開発を続々と推し進めておりました。
独国は地政学的に英国と、政権の安定性をとりもどした仏国への兵器供給、そして三国のうち唯一敗戦という結果を迎えた伊国の復興を国策と進めておりました。石炭に頼る資源活用は日本と同様ですが、さらに関係性を取り戻したユダヤへも兵器供給が成功したことで、ユダヤ資本投入と中東地域における石油資源の確保を躍起になって進めておりました。
独国の姿勢に倣いまして、日本もそれまでの米英追随を基本とした政治戦略を前提とし上に、「大亜細亜主義」として理念をひとつにしている中華民国への兵器供給を新たに始めたのが昭和22年のことでした。
中華民国においては国内の反乱分子鎮圧と、ヒマラヤをはさんで一触即発の状態にある印国へ向けた日本製兵器導入は大いなる効果をあげ、日本に於いても新たな外貨獲得に成功し、さらなる好景気を迎えました。
ですがそんなことをして、米国が面白いはずはありません。背後で圧力をかけつつ、中華民国よりも高値で日本製兵器を購入することで、それ以上の中華民国への兵器流入を防ごうとしてきました。そのようなことをすれば、中華民国も黙っていませんから、より高値を提示して日本製兵器を購入するといういたちごっこが始まったのです。
さらに厄介なことに、日本製兵器を購入した中華民国は、満州国の同胞を経て、ソ連へ兵器を転売し始めたのです。
これには米国も猛烈な抗議と経済制裁をちらつかせましたが、「市場原理に則った対応である」と米国の抗議に取り合うことはしませんでした。
米国は日本へも抗議と圧力をかけてきましたが、「兵器販売後の責任は販売先にある」と、にべもありませんでした。
このような背景から、それまでソ連の影響力拡大阻止を優先してきたことへの違和感が、米国世論に拡がりました。
「もう一度日本と戦争し、今度こそ本土爆撃を敢行して日本を叩き潰してしまえ!」
そのような強硬論も現出しましたが、そのようなことをすれば米国への兵器供給先がなくなる上に、ソ連との軍拡競争にも打ち勝てなくなる懸念から、米政府は難しい舵取りを迫られていました。そしていまなお、真珠湾攻撃を恨みに持つ軍や国内タカ派政治勢力を中心に、「日本脅威論」は収まりがつかないのです。
日本国内においても、そのような国際情勢を鑑みて、「兵器製造第一の産業構造を改めるべき」「米国の脅威はいまだ健在であり、大東亜を中心とした協調路線へ舵を切るべき」「中華民国も一枚岩ではないので、満州と朝鮮の権益確保を爾後継続するため、甘い顔はせぬべき」と、さまざまな議論が交わされています。
ですが、外国へ向けて兵器を生産している国内の三井や三菱、安田や伊藤といった財閥は、お金が成る木をそう簡単に手放すはずはありません。潤沢な資金を元手に政治への献金を行い、国内で交わされる多様な意見を無視するかのように、自分たちの利益が充分に満たされる政策が続くようにしていたのです。
世界的な政治のお話はここまでにして、ここからは帝都に暮らす庶民の顔をみてみましょう。
昭和18年、大日本帝国政令により、それまでの東京市は23区に行政単位を編成し直し、「帝都」と名付けられました。
西側の羽田飛行場から品川までは、充実した鉄道網とそこへ運ばれる石炭資源を基に一大軍事工場が設けられ、そこから東進した新橋から赤坂は花街、そして永田町・霞が関は天皇陛下を中心とした政治官僚機構の中枢です。
そこからさらに東進した銀座・日本橋は、国内はおろか亜細亜最大規模の歓楽街と商業地域が広がっています。そして近年ですと北西の新宿や巣鴨といった地域も交通網の充実により街の隆盛が進んでおるのですが、いまもってなお、帝都庶民の中心は両国から浅草でありました。そう、この世界では、東京大空襲はおろか、関東大震災も起こっていないのです。
従って庶民にとっては、帝都というのはいかにもお上が決めつけた堅苦しい名称な響きがあります。年配の人々を中心に、いまだにこの街は帝都ではなく「東京」と呼ばれています。なによりも、帝都に生きる人々の生活そして性格というものは、如何に元号が変わろうとも、外国文化が多く流入するハイカラな様式に様変わりし続けていても、ずっと「江戸」なのでありました。
では、そんな江戸っ子たちが暮らす様子を見てみましょう。
昭和23年の3月も半ばを過ぎたころでした。権謀術数渦巻く国際政治や、余りある利潤をむさぼり続ける国内財閥をよそに、浅草の街はいつものように喧噪に包まれていました。
チンチン音を立てて路面電車がひっきりなしに走り、時折運転に慣れていない者や、おのぼりで帝都へやってきた自動車とぶつかることもあり、江戸の言葉と地方の方言で言い争うことは日常茶飯事。そんな喧噪も、毎日決まった時間に鳴り響く浅草寺の鐘の音が一刻静めてくれます。
今年はとりわけ身も凍るような海風吹きすさぶ冬でしたが、ようやく春の兆しが見えてきて、話題は桜の開花やお花見でやんやする段取りを話し合う若衆や、外套いらずとなり、艶やかな着物をまといきゃっきゃっと賑わううら若き婦女子が、道いっぱいに歩くようになりました。
そんな帝都の庶民が夢中になっている話題がありました。
それは毎日のように紙面を飾る、稀代の大泥棒怪人二十面相と、それを追っているうつし世の名探偵・明智小五郎の対決です。
戦前から世間を大きく騒がせていた怪人二十面相ですが、日本が大東亜戦争に巻き込まれたころからなりを潜めておりました。
ですが東京が帝都に名前を変えたあたりから、ふたたび活動を始めたのです。
大英博物館から展示のために運び込まれた古代エジプトの秘宝、国内大手財閥の令嬢が身につけている、世界にふたつとない装飾が施された腕輪。あるいは、南方でとれた美しい翡翠の岩塊を保有する帝国文化庁・・・ありとあらゆるところに忍び込んでは、まんまと財宝をせしめていく、そんな事件が多く発生していたのです。
時を同じくするように、戦争中は新嘉坡を拠点に南方にて活躍していた名探偵、明智小五郎が帰国しました。
それからは差しつ差されつ、捕らえ捕らわれ逃げ出しての鍔迫り合いを繰り広げ、国家として豊かになりつつ恩恵に預かれない不満を抱きながらも、戦時下の名残で官憲に物申せぬ空気に厭気のさしている多くの庶民は、まるでショウや観劇に熱狂するかのように両者の対決が報じられる新聞に熱中していたのです。
花見の段取りや、5月に催される浅草寺の三社まつりの話し合いに集まる浅草の若衆や婦人会の面々も、まるで当たり前のように怪人二十面相や明智小五郎の話題を侃々諤々交わすほどでした。
そんないつも賑やかしい浅草・浅草寺と仲見世通りから伝法院通りを東へ少し経て、千葉県や茨城県へ伸びる東武鉄道浅草駅の近くに、一軒の蕎麦屋があります。
「おう、あったけぇ蕎麦、一杯のっけてくんな」
陽も暮れ時の蕎麦屋の暖簾をくぐったのは、浅草で人力車の一行を率いているカシラでした。彼には力蔵という勇ましい名前がありますが、誰もその名前で呼びません。
「おう車夫。いつも通り酒もひっかけてくか?」
蕎麦屋の大将は負けじと威勢よく尋ねます。そうです、人力車のカシラは皆から「車夫」と呼ばれているのです。そして蕎麦屋の大将もしっかりと名前がありながら、誰からも「蕎麦屋」といわれるのです。
「おう、熱燗にしてくれよ。まったく、昼間はあったけぇが、この時半になるとまぁだこごえるぜ」
すっかり凍れたのでしょう、手にふうふう息をふきながら、車夫は席につきました。
「あら、これは車夫さま。本日はお日柄も良く」
そんな車夫に声をかけたのは、先に店で一杯やっていた人物でした。彼は近隣の寺に務める若住職なのですが、いつもこうしてお酒を飲んでいることから、皆からは「生臭坊主」といわれています。
「なんでぇ、おめぇさん今日も飲んでんのか!おめぇ昨日酔って言問通りに寝っ転がってんのを寺まで送ってやったのにまぁだ懲りねえのか?」
我慢ならんというふうに、車夫は生臭坊主の盃を取り上げて、熱い一杯を喉に流し込みます。
「えへへぇ、それで今朝、住職様に叱られちまいまして。ええ、こうして、ヤケ酒でござい」
もう呂律が回っていませんので、相当飲んでいるようです。
「車夫、また今日も寺まで送ってやんなよ。風邪ひいちゃかわいそうだろ」
「バカ言うなお人よしが!おい坊主、今度からしっかり運び賃もらうからな、コラ!」
蕎麦屋は穏やかに言うのですが、車夫は生臭坊主のおでこを指でパチンと叩きます。
「あいたぁ!」
そう仰け反る生臭坊主ですが、「ちったあ目ぇ覚めたか」と意にも介しません。出された熱燗をくいっと飲み干し、満足いくように息を吐きます。
「ようい、一杯ひっかけさしてくれ」
暖簾をくぐってきたのは、近くの煎餅屋の旦那でした。蕎麦屋たちとは小さいころからずっと馴染みで、いまでもこうしてよく顔を合わせます。
「はいよ!それにしても嫁さんと息子はどうしたんでぇ?」
蕎麦屋は威勢よく返事をしながら、蕎麦を湯にかけ、ツユをつぎ足しました。
「今日は千住の実家に帰っててなあ、ひさしぶりにやもめなんだわ」
「へええ、なら今日くれぇ一杯ひっかけてもカミさんに怒らんねえな!」
車夫は湯呑茶碗に自分のとっくりから熱燗を注ぎ、煎餅屋へわたします。煎餅屋は「こりゃあかなわねえ」とは言いつつも、美味しそうに熱燗をいただくのです。
「いやあ、やっぱりこいつで身体あっためねえとな」
車夫は熱燗お代わりを頼みながら、豪快に盃を飲み干します。
「でもなあ、日中はだいぶ暖かくなってきたよ。六区にある浜岡亭の冷やしコーヒーが出てくるころだろうな。ウチのカミさんと息子、あすこのパフェ―だかって甘味食べてぇってやかましくてさあ。おまえ、煎餅屋の日銭であんなの食えるかってこないだ言い争っちまったんだわ」
煎餅屋は自分でも熱燗を頼みました。そうして車夫と互いに盃を交わしながら、お酒を進めていくのです。
「へええ、あすこのパフェ―そんなに有名なのかい。いくらするんでぇ?」
蕎麦屋が最後の仕上げをしながら尋ねます。蕎麦ツユの香ばしさと熱燗の空気が、蕎麦屋の中に広がります。
「1200円だとよ」
煎餅屋が答えると、「ひええ!」と蕎麦屋と車夫が悲鳴をあげます。
「何でぇ、そいつぁいくら舶来品だからっても、ぼったくってやがんじゃねーのかい?」
文句を言いながらも、車夫は威勢よく蕎麦をすすりました。机には蕎麦ツユが飛び散りますが、こうして勢いよくすすって食べるのが粋なのです。
「ウチの蕎麦2杯分でも足りねえのか・・・煎餅屋、お前んとこの煎餅何枚売ったら食えるんだ?」
「醤油煎餅20枚でやっとひとり分だあ。そいつを2人分なんて、頭がクラクラしてくらぁ」
やれやれとばかりに、煎餅屋は盃をあおります。
「ちっきしょうめ、異人さんと財閥のおかげで妙に払い賃ばっかり上がってやがる。庶民にゃあ夢のまた夢だなあ、パフェ―なんて。おい、きいてんのか生臭坊主」
車夫は生臭坊主のツルリとした頭を手のひらで叩きつけます。すっかり出来上がった生臭坊主は目を覚ましましたが、きょとんとした顔です。
「やれやれ。オレも怪人二十面相みてぇに、金持ちからお宝盗む稼業に鞍替えすっかな」
すっかり蕎麦を平らげた車夫は、うまそうにおツユをすすりながら言いました。
「やめときなよ、あの明智探偵とタメ張るくれぇ利口でねぇとすぐにお縄になっちまうよ。おめぇさん、尋常小学校のとき成績が丙ばっかりだったじゃねぇか」
「うるせぇな煎餅屋、おめぇだっておんなこどもにパフェ―腹いっぱい食わせてやる甲斐性くれぇ見せてみやがれってんだ」
「なにを~?あ、そういや、今朝の朝刊見たかよ?怪人二十面相のヤロウ、あの前澤萬蔵が銀座に構えてる宝石屋へ盗みに入るって予告状出したんだってよ」
「へええー、そいつぁ大変だ。前澤の旦那、ガクガク震えてやがんじゃねえのかい?」
ひと息つきに蕎麦屋も台所から出てきて、手酌で一杯始めました。「手酌はご法度だぜ」と、車夫は蕎麦屋の盃に注いでやります。
「けえっ、いい気味だよ、前澤のヤロウ。地元の本所にはすっかり顔出さねえで、三菱や伊藤の親方衆と肩並べてすっかり大御所気取りの成金めぇ」
殊の外成金を嫌っている車夫は、そう毒づきます。
「そういやぁ、去年の本所まつりんときに前澤の旦那顔を出してたなあ。ほんっと、すっかり帝都の顔役気取りでエラソーにあいさつしてやがった。だけどよぉ、持病の糖尿病がいよいよ重篤って話だぜ。オレも少し話したんだけど、前澤の旦那、くせぇことくせぇこと」
蕎麦屋は言いながら、盃が止まらなくなっています。
「へええ?何でぇ、糖尿病になるとくせぇもんなのかい?」
車夫が目を丸くして尋ねます。
「ほんと~ですよ」
そう答えたのは、生臭坊主です。
「糖尿病がひどくなるとですねぇ、そりゃあもう、豆腐を腐らせたような、いや~な饐えたニオイがするもんなんですよ、ええ」
「おい坊主おめぇさん、嗅いだことあるのかい?」
蕎麦屋が尋ねます。
「ええ、ええ。正月明けに糖尿病で夭折した方の葬儀を執り行ったんですがねぇ、水飴が大好物だったそうで、そりゃあまあ、お口から妙なニオイがしたもんですよぉ、ええ。それに汗や小便なんかも、糖が含まれて変なニオイになるんだそうで」
「へえ?じゃあなんでえ、糖尿病のヤツは、砂糖水の小便するのかい?へへっ、こいつあ菓子屋が喜ぶじゃねーか。舶来品のパフェ―とかいうのも、ソイツで作れば安上がりなのになあ!」
全員がガハハと笑いました。
「しかし、前澤の旦那もそこまでひどく患ってんのかい。たしか、山梨の方にでっかい養蜂場持ってんだっけか?」
勝手に台所から熱燗を持ってきた煎餅屋が、誰にともなく尋ねます。
「ああ、そうみてぇだな。まったく、蜂蜜好きが高じて養蜂まで始めちまうとは・・・成金のやることはいちいち豪快で鼻につくわなあ。どうれ、蕎麦屋、おあいそ」
すっかり腹も酒も満たした車夫が立ち上がりました。
「おうよ。あれえ?坊主また寝ちまったじゃねーか」
そうなのです、生臭坊主はいびきをかいて、気持ちよさそうに寝ています。
「しょうがねえなあ、どれ、おぶっていってやるか。ホレ坊主、足出せおめぇ」
車夫はまた生臭坊主の頭をペチンとはたくと、ダランとした坊主の身体をおぶりました。
「オレくれぇ体力あれば、せめて二十面相の弟子くれぇにはなれっかなあ」
生臭坊主を軽々と背負いながら、「ほんじゃあな!」と車夫は蕎麦屋を後にしたのです。