距離を置きたいだけなんだけど 作:ろしでれ
転生するなら、異世界がよかった。
剣とか魔法とか。 ドラゴンとか魔王とか。
……いや、別に本気で望んでいたわけじゃない。
ラノベを読みすぎた高校生なら、一度くらいは考える程度の妄想だろう。そしてそんな事あるわけがない、と普通ならば考える。死のその先に広大な物語があるなんて………と。
だけど。
どうやら考えを改めなければならないらしい。
転生は、存在したんだから。
でもその先はファンタジー溢れる異世界じゃない。
慣れ親しんだ祖国、日本だったんだから。
もっとも。
この世界が、本当にただの日本だと思っていたのは、中学三年の春までだったんだけど。既視感は確かにあった。でも、確信したのは彼女を見た瞬間からだった。
私立征嶺学園。
政財界をはじめ、各界に多くの著名人を送り出してきた、中高大一貫の名門校だ。日本でも指折りの偏差値を誇り、かつては貴族や華族の子女も通っていたという。
そんな由緒正しい学園へ続く並木道を、僕――真田伊織は歩いていた。
今日から、僕も高等部の一年生になる。
転生してもう十数年。
二度目となる高校生活に、今さら胸を躍らせるような初々しさはないつもりだ。ましてや、ここが僕の知る物語の舞台だと分かっているのだから、尚更だった。
歩を進めていると目にはいるのは新たな高校生活への期待を胸にした生徒達。想像以上に賑わっているように思える、が、その理由は間もなく判明。
ひときわ多くの視線を集める少女がいたからだと。
春の日差しを受けて幻想的に輝く銀色の長髪。透き通るような白い肌と、澄み切った蒼い瞳。均整の取れた長身に、洗練された所作。その姿は、まるで一枚の絵画から抜け出してきたかのようだった。
アリサ・ミハイロヴナ・九条。
それが彼女の名である。
中等部三年の春、この征嶺学園へ転入してきた彼女は、瞬く間に学園中の注目を集めた。
学業は転入してきた時から1位。運動能力も申し分なく、高等部進学と同時に生徒会会計へ就任。
その才色兼備ぶりから、今では"孤高のお姫様"という呼び名が、誰からともなく定着していた。
もっとも、その呼び名は容姿だけが理由ではない。
朝の登校時間ともなれば、彼女へ声を掛けようとする生徒は後を絶たない。ある者は笑顔で話し掛け、ある者は勇気を振り絞って食事へ誘い、ある者は連絡先だけでもと願う。
しかし、その結末は毎回変わらなかった。
礼節こそ失わないものの、その返答はどこまでも簡潔で、曖昧な期待を抱かせる余地すら残さない。
時には相手の制服の乱れや校則違反まで淡々と指摘し、その場を後にする。
取り残された生徒は苦笑し、それを見守っていた周囲もまた、どこか納得したように肩を竦める。
それがアリサなのだ、と。
美しい。
だからこそ近寄り難い。
高嶺の花という言葉を体現したような彼女へ向けられる感情は、恋心というより憧憬に近い。
誰かが振られる度、その事実だけが改めて学園中へ浸透していく。
今日もまた、朝の小さな騒ぎを背に受けながら、アリサは何事もなかったかのように校舎へ向かって歩き続けていた。
そんな朝の小さな騒ぎを少し離れた場所から横目に眺めながら、僕は人の流れに合わせて並木道を歩いていた。そして頭に浮かぶのはこれだ。
【また始まった】
そんな感想しか浮かばないのだ。
丁度アリサの方へと女子から黄色い声を浴びるほどの人気を誇る上級生が、堂々と歩み寄っている光景が視界に入る。
その姿は自信に満ちた笑みがあり、慣れた身のこなしで、周囲の黄色い声を纏いながらまさに威風堂々とアリサの前に立つ。
きっと今までなら、その笑顔一つで多くの女子を虜にしてきたのだろう。
けれど、今回ばかりはその相手が悪かったと言わざるを得ない。
結果は見るまでもない。
「うん、やっぱり玉砕……。おやくそく」
思わず小さく呟き、苦笑いをしてしまう。
本当にお約束通りの結果。
案の定、数十秒もしないうちに勝負は終わった。
表情一つ変えず、淡々と応対したアリサは、最後に何か一言だけ告げると、そのまま歩き去っていく。
取り残された先輩は苦笑いを浮かべるしかなく、その様子を見守っていた周囲からは、納得したような空気が静かに広がっていく。
彼女を中等部、中学から趣味とすれば、もはやこれは風物詩のひとつになるかもしれない。一番しっくりくる。
転入してから一年。
この光景は何度も見たことがあるから。
そんな朝の喧騒を背に、僕は校舎へ向かって歩き始めた。
背後では、先ほどの一幕がどんどんと周りへ伝播していってる。へ広がり始めている。
人気上級生の挑戦は、またしても実らず終わったこと。
"孤高のお姫様"は今日も健在だったこと。
もはや朝の風物詩とも言えるその出来事を、生徒達は半ば笑い話のように語り合っていた。
もっとも、当の本人にとっては、そんな評価など知ったことではないのだろう。
僕もまた、その日常の一コマを横目に見送るだけだった。
「相変わらずだったなぁ……」
思わず小さく漏れる。
中等部三年の春に彼女がこの学園へ転入してきた時から度々目撃する光景。それはある意味僕にとっても特別な場面でもあった。
転生してきて、どこか違和感があるように感じていた。ずっと前から、何かにひっかかっていた。
そして、彼女が来たあの日にこの世界の正体を、僕はようやく思い出すことになったのだ。
この光景も見慣れている。
毎朝のように誰かが挑み。
毎朝のように玉砕する。
そして翌日には、また新たな挑戦者が現れる。
あまりもの対応と孤高のお姫様、と呼ばれてからは少し頻度が下がったかもしれないが。
この征嶺学園では、それは珍しくもない日常の一コマになっていた。
だから僕は、それ以上気に留めることなく歩き続ける。
高校生活初日。
新しい一年の始まり。
『……もっとも、僕にとっては、それほど特別な一日というわけでもないか』
そんなことを考えていると、不意に背後から規則正しい足音が近付いてきた。
最初は気のせいかと思った。
けれど、その足音は迷いなく僕との距離を縮めてくる。
やがて隣を通り過ぎたかと思うと、その人物は数歩先で足を止め、静かに振り返った。
朝日に照らされ、銀色の髪がさらりと揺れる。
やっぱり。
追い掛けてきたのは、アリサだった。
「おはようございます、真田君」
「え……おは、よう?」
日常の一コマだったはずなのに、いきなり非日常へと引きずり込まれた場面となった。
これは、僕にとってあまりにも想定外だったから思わず声が裏返ってしまった自覚がある。
確かに彼女の存在から、思い出すことが出来たのは事実だし、クラスメートでもあった。
でも、それだけでそこまで彼女との交流はなかったから。
兎も角、驚きもそこそこに、互いに短く挨拶を交わした後の展開が読めない。
ただの朝の挨拶で終わり……とはならないだろうことは理解できるが。
アリサ自身から近づき、挨拶をする、なんて周囲からすればなかなかの事件だ。ちらほらと、声が聞こえ漏れる。
けれど、彼女はそんなことは気にもとめず、ただ真っ直ぐに見てくる。その場を動かない。
真っ直ぐ僕を見つめる青い瞳。
そこに宿るのは敵意ではない。
悔しさと、負けず嫌いな性格がそのまま表れたような強い意志だった。
そんなアリサの中で、思い返されるのは中等部最後の定期試験。
一年近く守り続けてきた学年一位の座を、最後の最後で明け渡してしまったという事実。
その事実を、彼女はまだ少しも忘れていない。
「真田くん。高校では、負けないから」
言葉は短い。
けれど、その一言だけで十分だった。
新しい高校生活が始まって最初に交わす言葉が、それなのだから。
僕は小さく肩を竦め、周囲へ視線を向けた。
確かにそうだった。周囲が言うように、アリサは常に1位を独占している、と言う印象だったが、確かに最後の最後で僕が抜いた。それなりに、騒がれた記憶はあったが、それまではずっとアリサが1位だったから、印象的に定着していたのも無理はない。そして色んな意味でやっぱり目立つ。
案の定、登校していた生徒達の足が少しずつ緩み始めている。
学園中の注目を集める少女が、自分から男子生徒を追い掛け、立ち止まって話している。
その光景だけで、人目を引くには十分すぎた。
「……あの、えと、九条さん」
「はい?」
「宣戦布告は受け取るけど、その前に一つだけ」
彼女は小さく首を傾げる。
僕は苦笑しながら、周囲へもう一度だけ視線を送った。
「少しは、キミの人気を考えてもらいたいなぁ、なんて…。周囲の視線が痛い」
その言葉に、アリサもようやく周囲の視線へ気付いたようだった。
だが、何が問題?と言わんばかりに彼女は小さく首を傾ける。
僕は苦笑しながら周囲へ視線を向けた。
「僕は、そんなに慣れてないからさ。九条さんと違って」
「……」
登校していた生徒達は足を緩め、こちらを見ていた。
誰もが遠慮がちではあるものの、その視線は隠しきれていない。
孤高のお姫様と呼ばれる少女が、自ら男子生徒へ歩み寄り、立ち止まって会話をしている。
それだけで十分すぎるほど珍しい光景なのだ。
アリサは周囲を見回し、小さく目を瞬かせたあと、数秒の沈黙。
やがて彼女は僕へ向き直ると、ほんの少しだけ申し訳なさそうに頭を下げる。
「……すみません。そこまで考えていませんでした」
やはり悪気はなかったらしい。
まあ、それもそうか。
彼女にとって、人から注目されることは日常そのものだ。
今さら意識しろという方が難しい。
「うん。よろしく頼むね?」
そう言って肩を竦めると、僕は小さく息を整えた。今更何を言おうと、周囲の反応は変わらない。起きてしまったものは仕方がない。その事をネチネチというつもりは毛頭ないし、怒ってる訳でもないから。
苦手、と言えどアリサを抜き去り、1位を取ったときはそれなりには注目されている経験はあるからだ。
そしてアリサは先ほどと変わらない真っ直ぐな眼差しで、もう一度僕を見る。
「ですが、それはそれとして、高校では、絶対に負けません。それだけは伝えておきます」
その瞳には迷いがない。
中等部の時のこと、プライドが高く負けず嫌いな彼女は今のままを是とはしないのだろう。
一年近く守り続けた学年一位の座を最後に明け渡した悔しさは、今もなお彼女の中で燃え続けているのだろう。
僕は思わず苦笑する。
「……はい、承りました」
それだけ返すと、アリサは満足したように小さく頷いた。
「それでは」
踵を返し、再び校舎へ向かって歩き始める。
数歩進んだところで、彼女は誰にも聞こえないほど小さな声で何かを呟いた。
「Первое место не моё……」
──一位じゃないもの。
悔しさを押し隠せなかった、その一言である。
確かにアリサは常に1位で、最後の最後で負けただけ。でも、皆はそれを知らない。アリサの超人的な能力の高さだけにスポットを当てすぎたがために、最後2位を甘んじた部分は浸透されなかったようだ。
だからこそ、悔しそうにロシア語で呟く。
1位じゃないんだと。
誰にも聞き取れないだろうが、それだけは告げておきたかったのだ。
その背中を見送りながら、僕もまたゆっくりと歩き出した。