距離を置きたいだけなんだけど 作:ろしでれ
ファミリーレストランでの食事会は、予定していた時間を少しだけ過ぎた頃にお開きとなった。
窓の外はすっかり夜の景色へと変わり、店内へ差し込む光も街灯や車のヘッドライトが中心となっている。
5人で囲んだ食卓は、最初から最後まで話題に事欠くことはなかった。
アリサと有希のディベート対決。
政近と伊織の漫才?コント?
それらを苦笑交じりに見守りながら、最後は剣崎が自然と場をまとめてくれた。
剣崎がまとめず、あのまま続けていたら、下手をしたら寝食忘れて時間も忘れて、長時間コースになるだろうことは、想像に難くない。
そんな感じだったが、最後の方はどこか賑やかなやり取りだった。
相応の熱を持っていたアリサ、そして終始笑顔を絶やさないが強気姿勢、煽りスキルMAXの有希。
2人とも最後には笑顔で互いに頭を下げ、食事会は何事もなかったかのように締めくくられたのである。
少なくとも、表面上わだかまりを残している様子は見えないから。
「「「「ごちそうさまでした」」」」
「おう」
会計を終えた統也がファミレスを出たところで、後輩4人が口々に礼を告げ、剣崎が鷹揚に頷く。
そして、駐車場の方に移動しながら考え深げな顔をした。
「九条妹は歩きだったな。周防は電車だから俺と同じだが、久世と真田はどう帰る?」
「僕は歩きですね。徒歩圏内です」
「あ、俺も歩きです」
家の位置をざっくりと説明すると、剣崎は少し考えてから言った。
「なら、久世は九条妹を送ってやれ。真田は家が反対方向だから大丈夫だな。周防は俺が送ろう」
剣崎の言葉に、伊織は素直に頷く。
こういう気遣いを、ごく自然に口にできる。やはり、この人は生徒会長なのだと改めて思わされる。
「はい」
纏ったと思ったその時だった。
「あの、会長」
遠慮がちに手を挙げた有希が、一歩前へ出た。
「お気遣いは大変ありがたいのですが、迎えの車を呼んでおりますので大丈夫です」
「む、そうか?」
「ええ。こちらで待っております。どうかお気になさらず」
「……そうか。では、また来週にな」
「はい」
駅へ向かって歩き始める剣崎の背中を4人で見送る。
やがて政近がアリサへ向き直った。
「それじゃあ、俺達も行くか?」
「別に、わざわざ送ってもらわなくても大丈夫よ」
「そういうわけにもいかんだろ。ほら、行くぞ。じゃあな、有希、伊織」
「ええ。また明日」
「また学校で」
アリサも軽く会釈し、政近と並んで歩き始める。
2人の背中は、やがて夜の街並みへと溶け込んでいった。
「それじゃあ、またね周防さん」
「はい、お気をつけてくださいね。伊織くん」
有希と互いに軽く会釈を交わし、伊織は踵を返した。
有希が迎えの車へ到着予定時刻でも確認しているのだろうか、小さくスマートフォンを操作する姿が視界の端に映る。
その姿も、角を曲がれば見えなくなった。
「(……さて)」
このまま帰ってもいいが、食後ということもあり、一度コンビニへ寄ることにする。
少しだけ化粧室を借りたい。
久しぶりに沢山話をしたせいか、もう喉が乾いているようだ。徒歩圏内とは言えど、10〜20分は歩くことになる。だから缶コーヒーでも買って帰るのが良いだろう。
そう考えると伊織は視界のなかに既に存在するコンビニへと歩を進めた。
仕事帰りらしい会社員が足早に駅へ向かい、制服姿の高校生たちが笑いながら自転車で通り過ぎていく。
そんな何気ない夜の風景を眺めながら、伊織は今日一日を思い返す。
「(……想像以上に賑やかだったな)」
生徒会からの手伝いの要請。
剣崎の食事招待からの生徒会への勧誘。
アリサと有希による、まさかのディベート。
そして政近との、いつものようで少しだけ久しぶりにも感じた掛け合い。
思い返してみれば、中等部時代もこんな空気だった気がする。
放課後、生徒会室で他愛もない話をして。
時には勉強の話になり。
誰かが笑えば、また別の誰かが笑う。
そんな、ごく当たり前の日常。
「(……懐かしかった。でもなぁ)」
深くため息も吐く。
難儀な、厄介な、面倒な、と思う。
中学の最後、勉強を始め、少しずつ距離を置こうと決めたのは自分自身。酷いことしてる自覚はあるけど、これは理屈じゃない。
でも距離を置けばだんだん落ち着けると思ってたんだけど、離れようとすればするほど、近づかれてる。
そして、こうしてまた同じような時を過ごしているのだから、2度目の人生なのに、やはり思うようにはいかないらしい。
それこそが面白い、と言えるのかもしれないが、そこまで達観は出来ていないらしい。
まだまだ子供な証拠だと言えようか。
ほどなくして、伊織は目的地であるコンビニへ到着し、店内へと入る。
自動ドアが開き、涼しい冷気が少し火照った身体を優しく包み込んだ。
化粧室を借り、手を洗う。
鏡に映る自分と目が合い、また小さく息を吐いた。
飲み物の棚へ向かう。
甘いカフェオレにするか、微糖にするか、はたまた
色とりどりの缶が並ぶ中、一瞬だけ考えて一本のブラックコーヒーへ手を伸ばした。
レジへ向かい、スマートフォンを取り出す。
店員へ軽く会釈を返しながら端末へかざすと、軽快な電子音が鳴った。
「ありがとうございました」
商品を受け取り、店の外へ出る。
夜風が心地よい。
──これでようやく一息つける。
夜のブラックコーヒーをルーティンとするのはもう昔から。
たまには糖分も良いが、夜はこれ。そう思いながら、プルタブへ指を掛けた。
その時だった。
「伊織くん」
聞き慣れた穏やかな声が、静かな夜へ溶け込むように響いた。
「……ん、あれ? 周防さん?」
視線を向けると、街灯の下には、柔らかな笑みを浮かべる有希が静かに立っていた。
「どうしてここに?」
「迎えの車が少々遅れるそうなんです」
そう言って有希は、苦笑いをしながら手にしていたスマートフォンの画面を軽く掲げた。
「先ほど連絡がありまして。もう少々掛かるそうなので」
「なるほど」
伊織は納得したように頷いた。
「ですので、その……」
有希は少しだけ視線を逸らし、それから柔らかく微笑む。
「もう少しだけ、伊織くんとお話ししたいな、と」
その言葉に、伊織は一瞬だけ目を丸くした。
けれど、すぐに苦笑へ変わる。
「僕なんかで良ければ。大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
嬉しそうに笑う有希を見て、伊織は手に持っていたブラックコーヒーへ視線を落とした。
「……あ」
そういえば、自分の分しか買っていなかった。
「ちょっと待っててもらっていい?」
「はい?」
「飲み物」
短くそう言い残し、返事を聞く前に伊織は再びコンビニの自動ドアをくぐった。
店内を一通り見回す。
一瞬だけ考えた後、飲み物の棚の前で足を止めた。
手に取ったのは、茶色い缶のカフェオレ。
会計を済ませると、再び外へ出る。
「はい」
店内には他にお客さんがいなかったこともあり、直ぐに戻ってきて有希へ缶を差し出した。
「え……?」
一瞬だけ驚いた表情を浮かべ、それから缶へ視線を落とした。
「これ……」
有希は缶を両手で包むように受け取った。
「ありがとうございます、伊織くん」
その笑みは、先ほどまで見せていた勝気なものではなく、どこか年相応の柔らかな笑顔だった。
静かな夜風が二人の間を通り抜ける。
街を走る車の音だけが、遠くから小さく聞こえてきた。
有希はすぐには缶を開けず、手の中のカフェオレをじっと見つめている。
「……あれ? 違った?」
伊織が少し申し訳なさそうに尋ねる。
有希は小さく首を横へ振った。
「違いませんよ」
少しだけ目を伏せ、それから照れ隠しをするように微笑む。
「ただ、嬉しかっただけですから」
「え?」
「伊織くんが、私の好きな飲み物を覚えていてくださったことが、です」
その一言に、伊織は一瞬だけ言葉を失う。
「中等部生徒会で共に研鑽を積み上げた結果、と言うことで」
「ふふふ。確かにそうですね」
有希は缶を胸元でそっと抱える。
アリサと話していた内容はあの場でアリサを煽るため嘘ではない、ということだ。
「それでも、とても嬉しいですよ。ありがとうございます、伊織くん」
出入口から少し離れた場所に設置されたベンチへ腰を下ろすと、カフェオレを手にした有希は、小さくプルタブを開け、一口だけ口を付けた。
「やっぱり、この味が落ち着きますね。甘いものは女子の味方です」
「疲れた時とか特にね。そこは男女共通でよろしくお願いします。──まあ、僕は夜は
「まあ、伊織くんは大人なのですね」
「まさか。背伸びしようとして飲んでたら、好きになっちゃった、ってパターンですよ」
そう言って微笑む有希は、どこか嬉しそうでもあった。
伊織もブラックコーヒーを一口飲み、小さく息を吐く。
コンビニの灯りが二人を照らし、夜風がゆっくりと吹き抜けていった。
「ふふふ。学園の食堂では伊織くんは逃げようとしていましたから。私は断られるかも? と実は心配してました。なので嬉しいです」
「あ、あ────。まあ、あのときはあのときで、と言いますか……、逃げようとして、ゴメンなさい」
「いえ、良いのです。私達は目立ってしまってましたから」
あの時は
アリサ、マリヤ、有希。
学園内でも屈指の美少女たちがいた。
1年の二大美少女と2年の二大美少女が揃った形。
マリヤだけは、その後別行動となったものの、アリサや有希たちと話、その光景を目をつけられた、ともなれば、やはり後々尋問とかを想像して萎縮してしまうのも仕方ないだろう。
あと、単純に色々と巻き込まれてしまう気配が強く感じたから、という理由もある。政近とセットで。
本来なら2人きりの方が色々と葛藤がありそうと考えるのが普通な気もする。
「……伊織くん」
「うん?」
有希は缶を両手で包むように持ち直す。
「私は、やっぱり伊織くんには生徒会へ入っていただきたいと思っていますよ。わがままで申し訳ありませんが」
その言葉に、伊織は苦笑した。
「まだ言うんだ」
「もちろんです」
有希は悪戯っぽく笑う。
「1度や2度お断りされたくらいで諦めるほど、私は根気がない人間ではありませんから」
「それは頼もしいというか……」
「しつこい、ですか?」
「いや、そういう意味じゃないよ、正直そこまでかってくれてるのは光栄だと思ってるから」
でも、と伊織は肩を竦めながら続けた。
「手伝いなら、これからも喜んで協力するつもり。生徒会が困ってるなら力にもなりたい気持ちもあるよ」
そこまでは迷いなく言えた。
しかし、その先だけは少し言葉を選ぶ。
「でも、所属となるとやっぱり話は別かな」
「やはり、お勉強ですか?」
「うん。周防さんは凄く評価してくれてるけどね」
伊織は静かに頷く。
「獲ろう、合格してみよう、って決めたその時から、高校での優先順位が上がってて」
有希は返事をせず、しばらく伊織の横顔を見つめていた。
その表情は、納得したようにも、まだ諦めていないようにも見える。
やがて、小さく笑みを浮かべる。
「初志貫徹。曲がらない意思。そういうところも、伊織くんらしいですね」
「そうかな? 僕はそんな真っすぐ! とかじゃなくて、優柔不断な気もするけど」
「いえいえ、そんな卑下する事はありませんよ」
有希は迷いなく頷いた。
「自分で決めたことは、簡単には曲げない。決めたら最後までやり通す。私は見てきましたから」
「褒められてるのか、頑固だって言われてるのか分からないかな」
「どちらも、です」
くすり、と有希が笑う。
その笑顔につられるように、伊織も思わず笑みを浮かべた。
有希はその後、少し思いついたように、それでいて少しばかり真剣味を帯びた雰囲気になりながら告げる。
「あ──、先ほど、伊織くんを初志貫徹、と言いましたが、1つ、例外がありましたわね」
「ん?」
伊織は何のことだろう? と不思議そうに小首を傾げた。
そして実は有希もある意味本題をこれから話そう、と決めていたことだったりする。だから慎重に言葉を選び紡ごうとする。
中学時代の楽しそうなやり取りを、有希は知っている。
そして、見たこともある。
でも、明くる日伊織は変わったと思った。
兄である政近ほどとは言わないが、伊織が変わってしまったことに、有希も気づいたのだ。
「お聞きしたいのですが、伊織くんは
──────」
その時だった。
「……っ、ひっく……」
か細い泣き声が、夜風に乗って二人の耳へ届いた。
「……?」
伊織が反射的に顔を上げる。
有希もまた、その視線を追うように振り返った。
コンビニの明るい照明が届く駐車場の片隅。
街灯の下で、小さな女の子が俯いたまま肩を震わせていたのだ。
年齢は5〜6歳ほどだろうか。
涙を何度も袖で拭ってはいるものの、溢れてくる雫は止まらない。
「おかあさん……おとうさん、どこぉ………」
小さく漏れたその声は、泣き声に掻き消されるように夜へ消えていった。
コンビニを利用する客は、その姿に気付く者もいれば、気付かず店内へ入っていく者もいる。
気付いた人も、一瞬だけ視線を向けるだけで、そのまま歩き去っていく。
誰もが冷たいという訳ではない。
有希にも、それは分かっていた。
昨今では、善意から声を掛けたことが思わぬ誤解やトラブルへ発展することもある。
ニュースやSNSで、そのような話題を目にする機会も少なくない。
だからこそ、躊躇してしまう気持ちも理解できる。
まして相手は幼い女の子。
親御さんからすれば、見知らぬ大人が話し掛けている光景だけでも不安を覚えることがあるだろう。だから助けられた、助けようとしただけなのにあらぬ疑いを向けてしまう事に繋がる。
そして、無論本当に善意の皮をかぶった犯罪者も世の中にいるわけで、非常に難しい問題なのだ。
もっとも、自分たちはまだ高校生。
征嶺学園の制服も着ている。
必要であれば学生証を提示し、事情を説明することもできる。
どうにかして対応を──
有希がそんなことを考えていた時間は、ほんの数秒にも満たなかった。
「ごめんね、周防さん。少しだけ待ってて」
伊織はそう告げると、迷う様子もなく女の子の方へ歩き出していた。
早足ではある。
だが、決して駆け寄ることはしない。
突然近付けば、それだけで驚かせてしまうかもしれないのをわかっているのだろう。
その距離感さえも、自然と考えているようだった。
女の子から少し離れた位置で足を止めると、まずは周囲へ静かに視線を巡らせる。
慌てて子どもを探している保護者はいないか。
ファミリーレストランの入口付近。
駐車場。
道路の向こう側。
一通り確認してから、ようやく女の子へ優しく視線を合わせた。
その一連の動きを、有希は黙って見つめていた。
────やっぱり、変わっていない。伊織くんは変わらない。
その一言だけが、胸の内へ静かに落ちていく。
困っている誰かを見つければ、手をさし伸べてくれる。
けれど決して無鉄砲ではない。どう動くべきかを考える冷静さも、必要ならば相手に退かず、その意志を押し通すだけの力もある。
それを有希は、誰よりもよく知っていた。
有希は、その後ろ姿に言葉を失った。
そして、泣いている女の子を見つめる視線は、いつしか
あまりにも、あまりにも眩しい光景。夜だというのに、はっきり見える。街灯の光がまるでスポットライトのようだった。
あの頃もまた、自分へ自然と歩み寄ってくれた少年がいたことを、有希は静かに思い出していたのだった。