距離を置きたいだけなんだけど 作:ろしでれ
泡沫の夢
それは幼い頃の初恋の夢。
夕陽に照らされた金色の髪も、無邪気な笑顔も、今となっては夢の中でしか会えない思い出。なのにどうしても思い出せない。夢から覚めれば泡のように消えてなくなっていく。
とどめようとしても、手のひらから溢れていき、霧散してしまう。
あれほど、夢の中の自分はあれほど想っていたと言うのに、もう顔も名前も思い出せない。
甘酸っぱくあれど、苦く切なくもある。
ありとあらゆるものが、夢の中には確かにあって……いまは失われていると言っていいから。
けれど、そんな時間は――。
「ドーン! シリアスはそこまでだ! ねぼすけ兄者め!」
勢いよく開いたドアと共に飛び込んできた聞き慣れた声が、夢の余韻を容赦なく叩き壊した。
「有希……。いい加減お前は蹴り開けるの辞めて。せめて普通に入ってくれ……」
目を擦りながら体を起こしかけた政近は、部屋へ飛び込んできた有希を見て、小さく眉をひそめる。
「つーか……シリアスなのは、オレじゃなくて寧ろお前の方じゃなかったのか?」
寝ぼけているのは事実だが、昨日の事を完全に忘却出来るほどじゃない。
今もなお昨夜の光景が鮮明に思い出せる。
何度も脳裏をよぎる。
見たことないくらいに、顔を真っ赤にして枕へ飛び込み、奇声を上げながら悶絶していた有希。
あれだけ取り乱した姿を見るのはそうあるものではない。
だからこそ、多少なりとも引きずっているものだと思っていたが。
「失敬な!」
そうではないらしい。有希はビシッとどこぞの名探偵よろしく、人差し指を突き付けながら続けた。
「兄者は間違ってる! 何故なら、あれはシリアスではないのだ!」
「じゃあ何だってんだ?」
「そう、あれは──────」
有希は、たっぷりと間を置き、息を大きく吸い込み、そして全てを吐き出すように告げた。
「王道ラブコメによる、大型を超えたイベント────そうっ! 超弩級イベントだ!」
ババン! と効果音をつけてあげたくなるくらい、清々しく堂々と言い切った有希に、政近は呆れたようにため息をついた。
「何を誇らしげに分類してるんだ……。つーかあれでも【恋愛イベント】って、いわねーのな」
ある意味徹底してて流石だと思いたい。
ただ、いつも素の自分をふんだんに、フルオープンに、普段のキャラとは180度違う自分を、下ネタをも使い、恥ずかしげもなく曝け出してると言うのに、今更偽る必要はあるのか? と思えるが、事色恋沙汰ともなれば、そういうものなのだろう、と政近は認識した。
そして有希自身も実は一晩眠ったことで、昨夜の混乱は随分と落ち着いたのである。
無論全て見せた兄である政近の前だからこそ、平常心でいられる、とも言えるだろう。
ただ、落ち着いたと言っても、答えが見つかったわけではない。
実は有希は持ち前の勢いとテンションで、自分自身を無理やり引っ張り上げているだけだったりする裏事情がある────と、有希を見てそんな印象もあるな、と、政近もぼんやりと抱いていた。
もちろん、その笑顔の奥にある本心まで見通せる様な特殊能力は無いが。
「か〜ら〜の〜〜……! どーーん!!」
「うぼぁっ!?」
だから次の瞬間、有希のボディプレスが炸裂することまでは読めなかった。
政近の思考は見事なまでに物理的に潰され、そして消し飛んだ。
突然、腹部から胸部に掛けて凄まじい衝撃が走り、政近の僅かに残っていた眠気は消され、強制的に完全覚醒した。
「ゴハッ! がっ、かはっ!」
「グッドモーニ~ン、マイブラザ~♪」
「うぇ……たった今、お前のせいでグッドじゃなくなったわ!」
政近はなんとか呼吸を整え、未だに腹の上へ馬乗りになっている有希を睨み付けた。
当の本人は悪びれる様子など微塵もなく、してやったりと言わんばかりにニヤニヤと笑っていた。
つい数瞬前まで、「王道ラブコメによる超弩級イベント」などと胸を張っていた有希が、突如として牙を剥いてきた。正直振り回されて、有希自身も右往左往し過ぎてるように見えて、益々訳が分からなくなってきている。
──が、それこそが、有希なのかもしれない。
如何なることがあっても引きずり翌日にまで持ち越さない芯の強さというものが備わってる、とも言える。
無論、それを自分に向けてほしいとは思わないが。体のいい発散相手にさせられてる感じも拭えないから。
「おいおい、何を怒ってるんだい? 世の全男子高校生憧れの、可愛い妹による寝起きボディープレスじゃねぇか。喜べ!」
「寝起きドッキリみたいに言うんじゃねぇ。ただのDVじゃねぇか」
「ただの
「ドメスティックバイオレンスだよ! どんな斜め上の解釈だ!」
「むぅ……何がそんなに気に入らないというのかね?」
「全部だよ。全部」
頬を膨らませた有希は、「むぅ……」と唸りながら腕を組み、何やら真剣に考え始める。
やがて「あっ」と小さく声を漏らすと、何かを閃いたようにパチンと指を鳴らした。
「なるほど! 兄者はあれだ。寝起きボディープレスじゃなくて、朝起きたら隣に潜り込んでて欲しい派だ! 朝チュンか! そーゆーのは事前通知してもらわないとダメだぞ☆」
「アホか! そもそもそれ、リアルでいきなりやられたら割と恐怖だからな? 恐怖でしかないからな??」
「え? じゃあ……まさかのベッドの下に潜り込んでて欲しい人? 布団の中じゃなく!? やーん、マニアックぅ~」
「それはただの恐怖だよ!」
何処のホラー映画だ、とツッコミを入れる。
布団の中という聖域にさえ踏み込んでくる悪霊の姿が鮮明に映る。安全地帯を犯された瞬間として、かなり話題になっていた代物。
断じて臨んでいない。
「しょ~がないなぁ。じゃあ先ずは今度は寝てる兄者を起こさないように、布団に潜り込んで、タイミング見計らって足を掴んであげるね?」
「お前はどこを目指してるんだ……」
「寝起きホラー仕掛けてくる妹とか、めっちゃ新しくない?」
「新し過ぎて付いていけねぇよ……というか、いい加減どけや」
そう言っても、有希はどくどころか、楽しそうに脚をパタパタと揺らすばかりだった。
そして、悪戯っぽく小首を傾げる。
「なんで? 反応しちゃうから────ぁ」
その一言だった。
「「…………」」
有希だけでなく、政近も。2人して止まり妙な間が生まれる。
有希の中には昨日の出来事が、不意に脳裏へ蘇えったからだ。いろいろと振り払おうと、いつも通りの自分を全面に押し出していた。事実、それはハマり、上手く機能していたのだが、今の発言だけは悪手だったと言えよう。
それこそ、いつも通りの有希自身であるならば、何も問題ないいつもの下ネタだが、脳内に蘇る、雪崩込んでくる光景が止められない。
政近の腹部に跨ってる光景が、もしも……件の彼だったら? 伊織だったら??
少しでも連想してしまうと止められない。
自分でも何を言っているのか分からなくなり、枕へ顔を埋めて悶絶した昨夜の記憶まで、止まらない。一気に雪崩れ込んできた。
「~~~~っ」
ぼんっ! と擬音をつけたくなる勢いで赤く染まる有希。
流石の政近も今回ばかりは同情──────しにくい。
自業自得感が拭えないが、それでも一応有希は大切妹であることは変わらない。
兄として、フォローすべきだろう、と一息ついた後。
「まー、あれだ。……マジで降りような?」
「……せやな」
有希は引き攣った笑みを浮かべながらも、頷いた。
因みにあの硬い感触は政近からは感じられなかったりする。
──当然だろ!!
なぜ聞こえる? と言いたくなるが、取り敢えず政近は心の中で突っ込んでいたのだった。
場面は少し進み────休日の秋葉原。
駅前は、今日も人で溢れていた。
家電量販店の巨大な看板が視界へ飛び込み、その隣には新作ゲームやアニメの広告が所狭しと並ぶ。耳を澄ませば、客引きの声や信号機の電子音、遠くから聞こえる電車の走行音が絶え間なく混ざり合い、この街ならではの喧騒を作り上げていた。
行き交う人々の手には、大きな紙袋やフィギュアショップのロゴが入ったビニール袋。
外国人観光客の姿も珍しくなく、スマートフォンを片手に写真を撮る者、友人と笑い合う者、一人黙々と目的の店へ向かう者。
誰もが、それぞれの"好き"を求め、この街を歩いている。
そんな雑踏の中。
周囲の視線を一瞬で集めるほど、よく通る声が高らかに響いた。
「きーたーぞーーーー!! あーーーきばーーはらーー!!」
両腕を大きく広げ、まるで世界中へ宣言するように叫んだ女性へ、近くを歩いていた数人が思わず振り返る。
小さく吹き出す者。
何事かと目を丸くする者。
微笑ましそうに見守る者。
その反応は様々だった。
だが、叫んだ本人はそんなことなど気にも留めない。
満面の笑みを浮かべたまま、その場でくるりと一回転し、両手を空へ突き上げる。
全身で喜びを表現するその姿は、子どもがおもちゃ売り場へ飛び込んだ瞬間にも少し似ていた。
「……
他人のふりをしたいところではある、が、ここ街でテンション高い人は沢山いるし、この程度大して珍しいことではないから大丈夫………というわけでもない。
そんな彼女の隣で、小さくため息を漏らしながら訂正したのは伊織である。あまり表に出していないが、伊織自身もかなり久しぶりに来たのでテンションは上がっている。
「ちょっとー! そーんな細かいところ気にしなくていいでしょ!? 折角来たんだから、アキバを楽しまないと!! 心ゆくまで!!」
「そうだね。勿論」
間髪入れず返ってきたその一言に、思わず肩の力が抜けた。リラックスしつつ、思う存分楽しむために。
「じゃあ、現地解散、と言うことで────」
そう言って離れようとした伊織だったが、ガシッ! と掴まれてしまった。
「こらこら、伊織くん? 今日はこのルリおねーさんに付き合ってくれる、って約束したよね?? 何なら君は私との勝負に負けたよね?? 男の子に二言はない、だったよね??」
ふふん、と威圧感ある笑顔を向けてくる。
そして、力も強い。振りほどいて逃げたとしても、その持ち前の俊足で即座に追いつかれ、捕まり、連行されるように連れて行かれることだろう。
「冗談だよ冗談。ルリ姉ちゃん」
「わっかればよろしい! んじゃ、いっくよ!」
「はいはい……」
彼女の名は神坂 瑠莉乃。
伊織より三つ年上の従姉妹。
陸上では誰よりも真剣で、全国大会は最早常連。数多の記録を塗り替え、将来を期待されるスプリンター……だが、一歩オタクの街へ足を踏み入れた瞬間、この調子になる。
嬉しいことも、楽しいことも、全部そのまま表へ出す。
昔から何一つ変わらない。
だからこそ、伊織はこの人を見ていると苦笑してしまうのだ。
「さ! いっくよー!」
それに、伊織は今回の件、大分前から約束しているものだから、違えるつもりは無かった。昔から何かとお世話になってる従姉妹だし、尊敬もしている。
そんな彼女背を追うように、伊織も続くのだった。
「まずはここ!」
瑠莉乃が迷うことなく飛び込んだのは、駅前からほど近いフィギュアショップだった。
店内へ一歩足を踏み入れた瞬間、色鮮やかなパッケージが視界いっぱいに広がる。
ガラスケースの中には精巧に作り込まれたフィギュアが整然と並び、棚には最新作から懐かしの名作まで、所狭しと箱が積み上げられていた。
休日ということもあり、店内は賑わっている。
目当ての品を探す者。
真剣な表情でショーケースを覗き込む者。
仲間同士で「あった!」と歓声を上げる者。
誰もが、自分だけの宝物を探していた。
「伊織伊織!」
「お目当ての、あった?」
「ほら見れこれ! 限定版!」
目を輝かせながら箱を抱えた瑠莉乃が、こちらへ駆け寄ってくる。
「昨日探してる、って言ってたやつじゃん。……ドンピシャで見つける、とかある? 強運過ぎない?」
「や! 私もビビってる! 惹かれ合ったんだよ! そう、スタ◯ド使い同士のように!! わーわーわー! まさか残ってるなんて!」
嬉しそうに箱を抱きしめる姿へ、小さく笑みが零れる。
限定品を見つけた時の瑠莉乃は、伊織も応援に駆けつけた全国大会決勝の舞台で自己ベストを更新した時と同じくらい嬉しそうな顔をしていた。
会計を終えた瑠莉乃は、紙袋を大事そうに抱えながら鼻歌交じりに歩き始めた。
「よっしゃ次次! 幸先良いわ〜」
「お金大丈夫?」
「ある! 軍資金はバッチリ! そこは伊織に頼ったりしないから安心して!」
「頼られてもそんなにお金持ってないから大丈夫」
「またまたぁ。昨日だって、私の為にR2買ってくれたじゃん! ちゃんと貯めてるんでしょ? 狙ったりしないから安心しなさいって」
次の店へ向かいかけていた瑠莉乃が、思い出したように振り返った。
昨日、待ち合わせの前に立ち寄ったコンビニで、瑠莉乃が買おうとしていたR2。財布を鞄の奥へしまい込んでいた彼女に代わり、伊織がそのまま会計を済ませたものだった。
「流石にあれくらい買う金はあるよ? ……んでも、そのなかなかに財布がダメージを負うような、限定品を、気軽には無理ってだけで」
「ふふん♪ 今日のために頑張ってきた! と言っても過言じゃないからね〜」
「頑張った、って簡単に言ってるけど……ほんと凄かったよね」
「でしょー??」
お小遣いだけでなく、お年玉もそれなりに貯金しているが、このペースでポンポン買われたら即破産だろう。
因みに彼女はスポーツ頑張って出した結果が全国優勝。それに記録も出し続けている。
相応のご褒美を彼女の両親から貰っているらしいので、それなりに富裕層とのことだ。
秋葉原での数時間は、驚くほどあっという間だった。
フィギュアショップで限定品を見つけて喜び、ゲームショップでは新作に目を輝かせ、ガチャコーナーでは二人揃って目当てを引けず苦笑する。
気付けば両手には紙袋が増え、時計の針も昼を大きく回っていた。
「……っと!」
「どしたの?」
「そろそろ時間だ」
「もうそんな時間? あっぶな〜! ありがと!」
楽しい時間というのは本当にあっという間にすぎる。故にタイムキーパーは必要な役割だ。一日で全てを堪能するためにも。
秋葉原を後にした二人は、電車へ乗り込み、次の目的地へ向かう。
次は映画鑑賞。
もっとも、瑠莉乃にとっての目的は映画だけではない。
上映初日から数量限定で配布される入場者特典。原作者描き下ろしのミニ色紙が用意されていると知れば、足を運ばないという選択肢は最初から存在しなかった。
「それにしても、限定って言葉、ずるいよねー」
「オタクを一番簡単に釣れる魔法の言葉だから」
「否定できない! てか、伊織は勉強に、集中してる、っておばさんから聞いてたし、オタク辞めた!? って思ってたけど、そんな事なくてホッとしてるよ」
「…………まあ、勉強頑張ってるのは事実だよ」
学校ではそう認識されている、意図的にそう仕向けてる。
でも、この趣味はそうそう辞めれるものじゃない。あくまで、無理して演じているだけに過ぎない。だからこうやって発散できるときに、楽しむ。それも必要だから。
改めて思うが非常に厄介で面倒くさい性格をしているな、とつくづく思う。
でも、今日くらいは羽根を伸ばしてもきっとバチは当たらないだろう。
────と、この時の伊織は信じていた。
「なあ、兄者よ」
「なんだ? 妹よ」
バチは当たらない。だって日ごろから頑張ってきたんだから。
そう、思っていた。
────あれは、ナニだと思う?
向けられた2つの視線。
それに気付く事が出来たのは……もう少し後の事であった。