距離を置きたいだけなんだけど 作:ろしでれ
政近と有希は商業施設内の通路を並んで歩いていた。
政近が「トイレ。少し席を外す」とだけ告げると、有希も「では私も」と自然な流れで付いてきたのである。
因みに伊織と途中合流したアリサは近くのベンチで待機中。
アリサは、【たまたま】見かけたから直ぐ側にまできた、とのことだった。
瑠莉乃は別行動。
瑠璃乃は、ある程度有希と話したあと、どことなく満足そうに恍惚とした顔をしていた。
それは気のせいじゃないだろう。長年付き合っていた伊織は勿論、政近も感じ取っていたのだから。
そして別れ際、彼女は軽い調子で、有希にエールを送り、お詫びなのか、この商業施設内で利用できる優待券を渡して去っていった。
エールの意味を知っているのは有希だけだ。
そして、まだやや不機嫌モードだった伊織には、一番値段の高い大きなクレープを3枚奢ってあげていた。
それで取り敢えず手打ち、と。
因みに有希だけじゃなく伊織にも去り際に「頑張って♪」とエールを送っている。
自分たちが合流したから、伊織に大丈夫なのか? 気を使わせてないか? と政近は耳打ちをしたが、自由な人だから大丈夫、と伊織はクレープを頬張るのだった。
「兄者ぁ……」
有希は大きく肩を落とし、今にもその場へしゃがみ込みそうな勢いで項垂れる。
「ひどい目に遭ったじゃんかよぉ。てか、少しくらい助け船を出してくれても良かったじゃん! 可愛い妹を放置するなんて、酷いおにーちゃんだなっ! まったくもうっ!!」
先ほどまで完璧なお嬢様を演じていた人物と同一人物とは思えないほど、気の抜けた声だった。頬を膨らませて、プンプン、と本当に言ってるように見えるから笑えてしまう。
政近は笑いつつも少しの呆れの色を浮かべて告げた。
「何を助けるんだよ。それにお前がアーリャにやってたことと大差ないだろ? 『嗜虐心が刺激される』とか言って、散々からかって遊んでたんだから、今回は立場が逆になっただけだ」
「うっ……」
確かに痛いところを突かれた。
反論したい。
けれど、出来ない。
出来ないくらいには思い当たる節があり過ぎる。し、あの瑠璃乃の姿がニヤニヤしてる自分の姿にかぶって見えてしまうから。
政近も政近で、有希が手玉に取られてる光景もかなり珍しいので、静観していた、というのもある。
「それはそれとしてさぁ……」
有希は不満そうに唇を尖らせながらも、すぐに諦めたような笑みを漏らした。
「ルリの姉御、恐るべし、だよねぇ……?」
「姉御?」
「だってそうじゃん!」
先ほどまでの落ち込みはどこへやら。
有希は興奮した様に勢いよく政近の方へ向き直って言う。姉御呼びに対しての疑問符はスルーしているようだ。
「私、初っ端から本気で隠してたんだよ? 学園じゃお兄ちゃんか綾乃以外に見せてないのに、初対面で見抜かれたことなんて一回も無かったのに、一発だよ? 一発!」
両手をぶんぶん振り回しながら熱弁する有希に、政近も「あー」と納得したように頷いた。
「確かにな。流石に俺も驚いた。素がオタクって見抜かれた時点で『何で!?』って思ったし、その後の有希の反応見てたら、最後まで完全に向こうの手のひらの上だったからな」
「でしょ!?」
「んで、伊織にバレなくて良かったな? クレープに夢中だったし」
「でしょ!??」
「伊織にバレなかったことの方が重要なんだな? 声色的に」
「当たり前だろーっ! そんなの!」
有希は大きく頷く。
ずっと隠し通すつもりはないが、それでも順をおって、と考えている。何の気構えもなくオープンフリーにするのは割とキツイのだ。伊織が偏見を持ってるとかは思ってないが。
そして瑠璃乃の事。
彼女とは何度か話をしていく内に、その端その端を掬い取られる様に、そして最後は完全に見抜かれた。重要度で言えば伊織に軍配が上がるかもしれないが、低俗なものではなく、極めて高次元の話だ、と有希は考えていた。
「お兄ちゃんもわかってたと思うけど、割と本気でお嬢様モードだったんだよ!? 特技は演技! なのに『同族の匂いがする』って何!? そんな特殊能力みたいなものあるーっ! って思っちゃうじゃん」
「格上相手だったってことだろうなぁ。経験とか洞察とか、その他諸々が」
「むむむ、あの域に私たちがいけるのか、気になるところだよな? 兄者よ!」
「行くか! つーか、行けるか!」
有希はカラカラ、と笑いながら、大袈裟なくらい天を仰ぐ。あれだけ慌てていたのが嘘のよう。何なら心底楽しそうに。
「まさか初対面でこの私の正体を見抜かれるなんて思わないじゃん……。いやぁ、だからルリの姉御、恐るべしだよ」
「まあ……。てか、いつの間にか瑠璃乃さんに懐いたよな? お前」
「んっ!」
ブイ! とピースサインを送る有希。
詳細は政近も知らない。有希と瑠璃乃の2人にしかわからないのだが、大体のきっかけはわかる。と言うよりそれが全てだと。
「まー、伊織が瑠璃乃さんは、従姉妹だってネタバレしたからだと思うけど」
「もーうっさいなー! そこは軽くスルーしてよ!」
政近は思い出したように小さく笑った。
「何処かで見たことがあると思ったら……神坂さんって、全日本インカレで優勝した神坂選手だったのね」
アリサが驚きを最小限に留めつつ、小さく呟いた。
今、伊織とアリサの2人は、有希と政近が戻るまで待っている。
その間に、アリサが答え合わせをするかのように、小さく呟いたのである。伊織に聞こえる範囲で。
先ほど瑠璃乃と別れてからも、その違和感だけはアリサの胸の奥で小さく引っ掛かったままだった。
最初こそは、政近と有希の2人の後を付けるのに集中していたのだが、伊織たちと合流して、アリサ自身も混ざり、そして楽しそうに有希と話をしている瑠璃乃をみて、何処かで見たことがある、と既視感を感じていた。
テレビだったか。
ニュースサイトだったか。
競技雑誌だったか。
ぼんやりとした記憶だけが残っていて、それがどうしても思い出せなかった。
だから待っている間、記憶を頼りにスマートフォンで名前を検索してみた。
表示された記事。
全国ニュースでも取り上げられた優勝の瞬間、スタートラインへ立つ鋭い眼差し、ゴール直後、観客席へ向かって小さく拳を握り、笑顔を見せるその、姿。
それらを見た瞬間、頭の中で散らばっていた記憶が一本の線として繋がった。
「んぐ、んぐ。ああー」
隣では伊織がクレープを一口頬張りながら頷く。その返事と同時に、小さく目を丸くした。少しだけ驚いていたのだ。
競技場で見せる瑠莉乃と、今日の瑠莉乃。
服装も違えば、髪型も違う。
纏う空気すらまるで別人だ。
何より、あれだけからかって遊んで、笑っていた姿から、テレビで見る神坂瑠璃乃を結び付けるのはそう簡単ではない。
だからこそ、初対面でしかも来たばかりのアリサがそこへ辿り着いたことに、少しだけ驚いたのである。。
「よく気付いたね、九条さん。凄いや」
「凄い? 何がかしら?」
アリサが素直に尋ねる。
伊織は苦笑しながら、小さく肩を竦めた。
「ルリ姉さん、大会の時と普段の時とじゃ、ほとんど別人だから。本気で同一人物なのに『あなた誰?』って聞いたとあるくらいだし」
「そんなに………」
伊織はそう言ってもう一口、クレープを頬張る。
「うん。競技しか知らない人は、気付かないことの方が多いよ」
アリサは伊織の言葉に納得したように頷いた。
テレビで見た神坂選手は、ただひたすら真っ直ぐ前だけを見据えていた。
笑顔を見せたのは、ゴールを駆け抜けた後。
インタビューの時でさえ、どこか凛とした雰囲気を崩さなかった。
それだけに、先ほどまで有希をからかい、伊織を振り回し、悪戯っぽく笑っていた女性と同一人物だとは、すぐには結び付かなかったのである。
「だから最初は、自分でも気のせいかなって思ったんだ」
ほんの僅かな引っ掛かりを、そのままにしなかった。だからこそアリサは気付けた。
それはある意味凄いことだったのかも? とアリサはスマホをバッグへ仕舞いながら、小さく笑う。
一方、その隣では。
「……あん」
何事もなかったかのように、伊織はクレープを頬張っていた。
一口。
また一口。
先ほどまで瑠莉乃の話をしていた人物とは思えないくらい、穏やかな表情である。
頬へクリームが付かないよう器用に角度を変えながら食べる様子からは、慣れすら感じられた。
その様子を見ていたアリサは、ふと視線を落とす。改めて見ると、そのクレープは随分と大きかった。
生クリームも果物も惜しみなく盛られ、片手で持つには少し苦労しそうなくらいのボリュームがある。
しかも、それが一つではない。
瑠莉乃が買っていった残りが、まだ袋の中に2つ。
「……ふふ」
アリサは思わず小さく吹き出した。
「真田くんって」
「ん?」
「クレープ、好きなのね」
その一言に伊織の手が、ぴたり、と止まった。
数秒だけ固まる。
それから少しだけ視線を逸らし、軽く咳払いをした。
「……普通、だと思うけどケド」
いかにも誤魔化そうとしている返事だった。
「ほら、頭を使った後は糖分が必要だし。使う機会多いし」
そう言うと、伊織は一拍置いて続けた。
「勉強した後とか、疲れた時とかは、甘い物の方が効率いいから」
脳が活動する上で、ブドウ糖は重要なエネルギー源の一つだ。
もちろん、難しい問題を解いたからといって劇的に消費量が跳ね上がるわけではない。
それでも長時間集中し続ければ、甘い物を欲する人は少なくない。
まして伊織は、瞬間記憶能力という、人並み外れた、超人と言える記憶力と思考力を持っている
本人にその自覚は薄いが、勉強や考え事の後に甘い物へ手が伸びるのは、いつしか当たり前になっていた。
もっとも。
クレープが大好物なのは、また別の話なのだが。
「ふふっ」
アリサは肩を小さく震わせた。
「無理に理由なんて付けなくてもいいじゃない」
クレープが美味しいことくらい、アリサも知っている、と言うより常識だと胸を張れる。
生クリーム。
果物。
甘い香り。
見ているだけでも少し幸せな気分になれる。女の子なら、一度くらいは惹かれる食べ物だと信じている。
いや、男の子だって例外じゃない筈だから。
「そんなに美味しそうに食べてるんだしね? 可愛いと思うわよ」
「…………可愛い、って言われて喜べると思う? 僕が」
「ふふふ、さあ?」
アリサは笑う。
そして伊織は恥ずかしくなってきたので、それを振り払うように、照れ隠しをするように小さく咳払いを一つ。
それから手にしていたクレープを少し持ち上げた。
「……九条さんも、食べる?」
「え?」
「まだ2つあるし」
アリサは一瞬だけ目を丸くすると、小さく微笑む。
「ありがとう」
そう礼を言ってから、ゆっくりと首を横へ振った。
「でも、遠慮しておくわ」
「そう?」
「今日は神坂さんが真田くんに買ってくれたものなんでしょう?」
と言うが伊織が照れ隠しをしようとしているのが手に取るようにわかったので断ったというのが正しいだろう。
確かに魅力的な話にはなるが、あれだけ幸せそうに食べていたのを、取り上げると言うのはいたたまれなくなる。
そんな時だった。
「お待たせしましたお2人とも」
いつの間に、来ていたのか。
有希と政近がそこにはいた。
4人は軽く言葉を交わし、次に向かう場所について話を聞く。
そんな中、アリサはふと政近へ視線を向けた。
少し呆れたように笑っていて、伊織と話してるときは、時折慌てたりして。
でも、どこか気の抜けた、いつもの政近。
その姿を見て、アリサは小さく口元を緩める。
そして誰にも聞こえないくらい小さな声で、ロシア語を零した。
「……Всё-таки Кудзэ-кун милее.」
──……でも、やっぱり可愛いのは久世くんの方。
そう、小さく呟くのだった。
「相変わらず辛党だね。周防さんも、政近も」
伊織は、どこか呆れを含んだ声でそう告げる。
あの後、4人は有希が瑠璃乃から譲り受けた優待券を利用するため、商業施設から少し離れた場所にある激辛専門店【地獄の釜】へ足を運んでいた。激辛好きの間では、その名を知らない者はいないほどの有名店である
目的の店を目の前にした時点で、アリサの表情は引き攣っていた。
店名からして不穏で、看板にはこれでもかと言わんばかりにドクロマークが描かれている。
外まで漂ってくる刺激的な香りも凄い。
慣れていないと息をするのも大変だ。
そして店先に掲げられた、料理名とは思えないほど物騒なメニューの数々。
どう考えても、辛い物が得意ではない人間が気軽に足を踏み入れていい店ではなかった。
それでも、アリサは帰ろうとはしなかった。
有希と政近が楽しみにしていたこともあるし、ついていくと決めたのも自分。
何より、一度行くと口にした以上、ここで引き返すことを彼女の負けず嫌いな性格が許さなかったのである。
結果。
食事を終えて店を出た頃には、アリサの顔から生気が薄れ、少し離れた公園のベンチへ腰を下ろしていた。
なんとか平静を保とうとしているものの、傍目から見ても無理をしているのは明らかだった。
そんな彼女を見かねた政近は、伊織に促されるまでもなく――いや、正確には促された後、苦笑を浮かべながらベンチの方へ向かっている。
そうして自然とその場に残ったのが、伊織と有希の2人だった。
「ええ。とても美味しかったですよ」
有希は満足そうに微笑んだ。
先ほどまで激辛料理を口にしていたとは思えないほど、涼しい顔をしている。
「伊織くんは、いかがでしたか?」
「ん……」
伊織は少しだけ考えるように視線を彷徨わせ、小さく息を吐いた。
「僕ね。よくある『どうしてこうなった?』って台詞、実はあまり好きじゃないんだよね」
「まあ。それはどうしてですか?」
有希は興味深そうに首を傾げる。
その問いに、伊織は苦笑を浮かべた。
「だって、その場にまで来たのは結局自分の意思でしょ?」
「?」
「誰かに気絶させられて運ばれたわけでも、時間を飛ばされたわけでもないのなら、途中で帰ることだって出来た筈。でも最後だけ『どうしてこうなった?』って言われても、『いや、自分で来たんじゃない』って思っちゃうんだ」
「ふむふむ、なるほど……」
有希は納得したように頷いた。
確かに、その考え方も一理ある。
どれほど予想外の展開だったとしても、そこへ辿り着くまでには、自分自身の選択が積み重なっているのだから。
「だから、そういう場面を見る度に『自業自得じゃない?』って、つい思っちゃう」
「ふふっ。それは少し厳しいですね」
「否定はしないよ」
伊織は肩を竦める。
「でも――」
そう言って、一拍だけ間を置いた。
「今日だけは、その考えを撤回してもいいかな、とも思ってる。否定してごめんなさい、って」
「と、言いますと?」
有希は柔らかな笑みを浮かべたまま尋ね返す。
瑠璃乃から譲り受けた優待券。
しかも4人まで利用出来るという、お得な一枚。
『折角ですし、皆さんで使いませんか?』
そうお願いされた。例によって乗り気にはなれない伊織にたいして、有希は察し、後には少しだけ困ったような表情で。
『……駄目、ですか?』
などと聞かれてしまえば、断れるはずもなかった。
用事という用事も、瑠璃乃に付き合うくらいで、別行動になった時点で、用事は終わっている。
昼食くらい、と、そう思って頷いた結果が、この激辛専門店である。ある程度辛いのもイケる口ではある伊織だが、流石に限度というものがある。
多大なるダメージを口の中に負ってしまった。
「だから今回は」
伊織は遠い目をしながら、小さく笑う。
滲む汗を拭い、まだまだ辛い口内を洗うように、手に持った飲料水を口に含み飲み込むと、続けた。
「ほんと、どうしてこうなったんだろうね」
「ふふっ」
有希は思わず吹き出す。
「お言葉ですが、伊織くんご自身のお話ですと、ご自分で選んだ結果、となりません?」
「……周防さん」
「はい?」
「そのお願いをした本人が、それ言っちゃう?」
有希は悪びれることなく、にこりと微笑んだ。
「私は伊織くんともお昼を一緒にお願いしただけですから。応えてくれた伊織くんに感謝です」
「……その笑顔を見る限り、応えた甲斐はあったみたいだね」