距離を置きたいだけなんだけど 作:ろしでれ
「……あれ?」
アイスを手にアリサと戻ってきた政近は、ベンチに腰掛ける前にとある場所を凝視していた。
初夏の日差しが照りつける公園の広場。つい先ほどまで、ほんの少し離れた木陰のベンチで言い争うように涼んでいたはずの2人――有希と伊織の姿が、きれいに消え失せていたのだ。
「……どこ行ったんだ? あいつら」
政近は視線をぐるりと巡らせる。
木漏れ日の揺れるベンチ。児童が駆け回る遊具の周辺。そして、大通りへと続くメインの通路。どこを見ても、見慣れた有希や伊織のシルエットは見当たらない。
先ほどまで、あのアリサをノックアウトした【激辛地獄の釜ラーメン】は、実は伊織にも相応のダメージを与えていて、暫く休むと言っていたはず。それに有希が付き添っていた形だ。
何はともあれ、2人が連れ立ってどこかへ移動したことは確実だろう。
何処かに行くなら一声かけてからでも良いだろうに、とそんな風にぼやこうとしたその時だった。
ポケットの中で、スマホが短く、しかし妙に主張するように震えた。
「ん?」
政近はスマホを取り出して画面を確認する。
通知バッジの送り主は、嫌でも見慣れた名前。
「……有希?」
噂をすればなんとやら、とでも言うのか、見事なタイミングで届いた通知。2人がいない以上、この通知の中身に、答えがあるのだろう、と政近は画面をタップした。
『親愛なる兄者へ!』
いつも通りのテンションなのが、そのメッセージをみるだけでわかる、と言うものだが、どうやら普段のそれとは何割増しかになっている様だ。
『アーリャさんの介抱は任せました!』
『私は少々、お買い物へ行って参ります!』
『もちろん一人ではありません! いおりんも一緒だから心配しないで♡』
「…………」
政近の目が、スッと細くなる。
おおよそ間違ってはいない。瑠璃乃に発破をかけられた有希が、普段より行動力と勇気と勢いパラメーターが何割増しかになっているようだ。
そして、画面のスクロールとともに続く一文。
『超弩級イベント、再び!!!!!ヽ(`▽´)/』
「…………この期に及んでまだ
思わず、乾いた声が喉から漏れた。
伊織をデートに誘った。そして一緒に抜け出すことができた。もう、恋愛イベントで良いじゃないか、とツッコみたいが、自分の胸の内だけに留めるとした。何を言っても暖簾に腕押しだろうから。
さらに、有希のメッセージは続いている。
『ちなみに伊織くんには、もう兄者には既にお話ししてあります、とお伝えしておりますので』
『話を合わせておいてくださいませ♡』
「事後報告かよ。まあ、良いけど」
事前報告どころか、完全なる事後報告。
それでもそのくらいなら構わない。兄としての妹を応援するつもりはあるからだ。……無論、羨ましいという気持ちもある。
『ではでは!』
『兄者もアーリャさんとの時間を存分にお楽しみください!』
『こちらはこちらで、存分に楽しませていただきますので!』
『連れ込んだり送り狼になっても良いよ! だから、こっちのことも邪魔しないでね!!(๑•̀ㅂ•́)و✧ 健闘を祈る!!』
「いや誰がするか!!」
またとんでもない言い方をする有希に思わず口に出してツッコミをする政近。
メッセージ上では強気な有希でも、当の本人を前にして同じような行動をとれるのか? と問いたい。
妹である有希の情事を詮索するつもりも想像するつもりとないが。
「…………どうしたの?」
声に出てしまったがために、アリサにも聞こえていたようで、アイスを頬張りながら視線を向けてきた。
「いや、有希が伊織と買い物行ってくるから休んでてよ、だって」
「そ、そう……」
アリサは政近の答えを聞いて、少しだけ動揺する。元々は政近と有希の2人が映画館から出てくるところを偶然見掛けたことだった。
休日。
映画館。
男女2人。
しかも、その片方が政近となれば、である。
何か用事があっただけかもしれない。そう思おうとはした、したのだが――映画館という場所が場所である。
「(……それで、気になって追い掛けて……)」
結果として見つけたのが、伊織と見知らぬ女性――瑠璃乃まで加わった4人。
そこへ自分まで加わり。
瑠璃乃が去って。
残った4人で昼食を食べることになり。
散々な目に遭って。
そして今度は、有希と伊織が2人で買い物へ行ったらしい。
「…………」
今日だけで、一体何度メンバー構成が変わったのだろう。
目まぐるしい。
少なくとも、未だ激辛料理によって痛めつけられている頭で整理するには、少々情報量が多すぎた。政近と有希の関係性は? 伊織が加わり共に有希が買い物、と言うのはただの生徒会業務の一貫? それとも────。
「(と、とにかく整理!)」
甘い甘いアイスで緩和し、どうにか頭を働かせ、考えをまとめてみる。
最初、あの行動からの政近と有希の関係性は?
伊織が加わり、今度は有希と二人で買い物へ行ったというのは、ただの生徒会業務の一環?
それとも――。
「(……でも、今日は休日よね。ない、とは言わないけど……)」
学校の行事でもなければ、生徒会の活動日でもないし、聞かされていない。同じ生徒会である以上ある程度の事は共有しているから。
だから、生徒会関係とはなかなか考えにくい。
そもそも先ほど伊織は、有希とは中等部時代からの知り合いだと言っていた。
ならば、2人で出掛けること自体は珍しいことではない?
いや。
そうなると今度は、政近と有希の関係が分からなくなってくる。
政近と伊織、2人に共通して、アリサが知ってることは、中等部時代からの知り合いであること。
伊織は同じ生徒会に所属こそしていなかったが、有希が何度か勧誘し、そして伊織も手伝う事も多く、頼りにされていたとのこと。
そして今日も。
有希が誘って、伊織が一緒に行った。
「(…………仲が、良いだけ、かしら?)」
少なくとも、仲が良い、それは間違いない。
しかし、ならば。
最初に映画館から出てきた政近と有希の事も気になる。
あれは一体――。
「………リャ?」
それとも、自分が深く考えすぎているだけなのだろうか。男女が2人で出掛けているからといって、必ずしもそこに特別な意味があるわけではない。
現に伊織と瑠璃乃だってそうだった。
2人でお出かけして映画も観ていて。
従姉妹と言えども、傍から見れば、それこそ――。
「……―リャ?」
デート。
そう見えなくもなかった。
けれど実際は従姉妹。そこに恋愛感情みたいなのは無いよ、と瑠璃乃も笑っていた。
ならば政近と有希だって、何か自分の知らない事情がある――?
そして今、その伊織と有希が2人で――。
「(…………あれ?)」
考えれば考えるほど分からなくなってきている。
今日一1で突然増えた人間関係を頭の中で一本ずつ線にして結ぼうとして、その線が絡まり、さらに別の線が増えて。
気付けば、どこから解けばいいのかさえ分からない。
そして何よりアリサはまだ気付いていなかった。
先ほどから自分を呼ぶ声が、その絡まりきった思考の外側から何度も届いていたことに。
「アーリャ!?」
「っ!?」
びくっ、と肩が跳ねた。
一気に意識が現実へ引き戻される。
顔を上げれば、そこには僅かに眉を寄せながら、自分の顔を覗き込んでいる政近がいた。
「な、なに!?」
思わず身を引きながら返すと、政近は呆れ半分、心配半分といった顔をする。
「いや、何って……さっきから何回も呼んでるんだけど」
「…………え?」
全く聞こえていなかった。
正確には何か聞こえていたような気はする。
けれど、それが自分を呼ぶ政近の声だと認識するところまで、意識が回っていなかった。
「まだ辛いの残ってるのか? 大丈夫か??」
「…………」
違う。
辛さのせいではない。確かに辛さは最悪だったのは否定しないが、少なくとも、今ぼんやりしていた理由は違う。
けれど――。
「……そうね。美味しかったけど、まだ、ちょっと残ってて」
説明出来るはずもなく。
アリサは誤魔化すように、手に持ったアイスをもう一口頬張るのだった。
有希と伊織が並んで歩き始めてから、まだ数分も経っていなかった。
先ほどまで休憩していた公園を離れ、大通りへ。
休日ということもあって人通りは多い。
親子連れに、友人同士。
そして、自分たちと同じくらいの年齢に見える男女が並んで歩く姿もちらほら見受けられる。
その光景が視界へ入るたびに。
「(……デート、デート、デート)」
伊織の中でその単語が何度も何度も反芻される。有希がどこまで本気なのかは、正直読めない、が、ここまで直接的な言葉を使ったのは記憶を遡っても今回が初めてだったから。
「(デートですよ、デート! いおりん、結構、気にしてくれてる……にししっ)」
有希は横目で伊織を観察し続けていた。
自分から口にした言葉が、今更になって有希の中で妙な存在感を主張していた。
もちろん表情には出さない。
隣を歩く伊織へちらりと視線を向ければ、彼もまた先ほどより少しだけ口数が減っているような気がする。
「(ぜーったい、意識してくれている! 間違いないよ! んで、どうやって攻略したものか……ん?)」
数多の世界で数多の攻略対象を、落とし続けてきた実績を胸に、有希は思わず頬が緩みそうになった、その時だった。
有希の手にしていたスマートフォンが短く震えたのは。
「……?」
手早く最小限の動きでスマホを取り出すと画面へ視線を落とした。正直スマホを切っておくべきだった、と思わなくもないが、このタイミングで連絡してくる人物がいるとしたら、1人。
そして想像通り送り主は、先ほど盛大な事後報告を叩きつけた相手である政近だった。
『了解。アーリャはこっちで見とく』
まずは普通の返事。
それを確認して、有希は小さく笑った。
これで心置きなく伊織との時間を――と、考えた時再び通知が来た。
『ところで』
「…………」
短い文。
兄にしては珍しく勿体ぶっている様にも思えるような間を感じさせられた有希だが、少なからず気になるのも事実。
伊織とのデートに集中したいところだが、アリサを押し付けてる負い目もあるので、
いくつかこの後続くであろう政近の言葉を想像していた有希だったが。
数秒後、その予想は全て外れた。
『お前、伊織とアニメイド行くの?』
「…………」
危うく足が止まりそうになった。
止めなかった。
そこは有希である。
表情にも出さなかった。
ただし、スマホ画面だけは、それまでより僅かに自分の身体側へ傾けた。
「周防さん、どうかした?」
隣から伊織の声が届く。表情にも声色にも全くの変化を見せない。流石は有希だと言えるだろう。
「いえ。政近くんからでした」
「政近から?」
「はい。アーリャさんは任せておけ、とのことです。改めて連絡をくれたみたいで」
「ああ、そっか。なら良かった」
にこり。
完璧な笑顔で返答する。嘘は言っていない。
兄は確かにそう送ってきた。
ただ、その次に届いた文章を説明していないだけである。
「(兄者ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)」
笑顔の裏側で絶叫しながら、有希の親指が高速で動き始めた。
『おいおい兄者よ』
『それは上級者向けコースってもんだぜ?』
『着実に、地道でも一歩ずつ進まなけりゃ、見える景色も見られないんだぜー? お・に・い・ちゃ・ん?』
『アーリャさんを持ち帰りたいなら、その辺学ぶべきだな!』
送って直ぐに既読となった。
『は? 上級者?』
『てか、伊織も結構オタクだろ、オタク』
『むしろ普通の店より話合うんじゃね?』
『つーか、オタク魂呼び起こしといてくれ、とも言いたい』
「…………」
正論。
確かに正論だった。
伊織が漫画やライトノベル、ゲームを好んでいることを有希は知っている。
中学時代、生徒会室でもその手の話題で盛り上がっているのを有希も見ていたし、家でも聞いていた。
ならばアニメショップへ2人で行くのも選択肢としてありよりのあり。
何の問題があるのか。
むしろ趣味が合う2人なら、普通の買い物より盛り上がる可能性さえある。
――ただし。
それは超えるべき頂を超えた者にしかない隠し選択肢と言えるべきものだ。
『だから!!』
『おにーちゃん!!』
『私は!!!』
『伊織くんに!!!!』
『オタクだってカミングアウトしてないでしょうが!!!!!!』
一通にまとめることさえ出来ず、感情のまま分割送信。
今度は既読が付いてから少し間が空いた。
そして。
『あ』
「…………」
たった一文字。
『忘れてた』
「(兄者ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!)」
天真爛漫な笑顔を保ったまま。
有希は心の中だけで、兄へ渾身の絶叫を叩きつけた。
そんな事はつゆ知らずな伊織はというと。
「そう言えば、買い物に付き合うって話だけど、何を買いに行くの?」
デート連呼反芻させていて、多少なりとも落ち着けたのか、声色も自然になっている。裏返ったりしていない。
少し残念にも感じるが、有希はすぐさま答える。
「化粧品を少し見たいんです。それと、いくつか気になるお店があるんです」
「ん、了解。好きなところ回って、幾らでも付き合っちゃうよー」
伊織はそう言って、あっさりと頷いた。
伊織は落ち着けたのではなく、まだデート、という言葉の重みを消化しきれてないようで、半ば勢いに任せてる感が強かった。
その返事に、有希は改めて柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、伊織くん」
「このくらい全然大丈夫だよ」
伊織は気にした様子もなく、小さく肩を竦めた。
「荷物が増えたら持つし。時間もあるから、いくらでも付き合うよ」
「まあ」
有希の瞳が、ほんの少しだけ楽しそうに細められた。
いくらでも。
本人としては、何の含みもない言葉なのだろう。
ただ純粋に、買い物くらいなら気にしなくていい、と。それこそ、中等部の生徒会業務を手伝う時に何度も経験していることだから。
だからこそ。
「では――」
有希は数歩先へ進む。
そして、くるり。
身体を伊織へ向けると。
「ランジェリーショップへお付き合いしてもらえますか」
「…………へ?」
素っ頓狂な声とともに、伊織の足が止まった。
「せっかくの機会ですし、伊織くんに私に似合うものを見繕っていただくのも良いですね」
「…………」
「どんなものを選んでくださるのか、楽しみです」
ぱちん。
最後に片目を閉じ、悪戯っぽくウインクを一つ。
それだけ告げると、有希は何事もなかったかのように再び前を向き、歩き始めた。
「…………え?」
伊織だけが、その場へ取り残される。
1秒。
2秒。
そして。
「ちょ、ちょっと待って……!」
我に返った伊織が、慌てて有希の後を追った。
休日の大通り。
周囲には多くの人が行き交っている。
当然、大声で騒ぐわけにもいかない。
どうにか有希の隣へ追いつくと、伊織は声を限界まで落としながら。
「……また言ったこと撤回するみたいで申し訳ないけど、それは流石に勘弁してください……!」
顔を真っ赤にして懇願した。
「ふふっ」
そんな伊織の姿を見た瞬間、有希は堪え切れなくなったように笑う。
「冗談ですよ」
「…………」
「流石に、私も恥ずかしいですからね。本当にお願いしたりしません」
ぺろ、と舌を出して笑う有希。どことなく表情が赤く、柔らかくなっていて、それが本心だと直ぐに理解した。つまり────
「…………周防さん」
「はい?」
「からかわないでくださいよ……」
頬を僅かに膨らませる伊織。
普段ならもう少し上手く受け流すだろうに、今日はどうにも調子が狂うらしい。
――デートという二文字も、間違いなく影響しているんだろう。
「ふふふ、ごめんなさい」
そう言いながらも、有希はまた楽しそうに笑った。
「(……今は、これくらいで良いんだ)」
少しからかってみる。それは有希自身の培ってきた伊織相手の対応の1つ。そして瑠璃乃にも習ったりしている。
少し照れさせて。
意識させて。
一緒に歩いて。
笑い合う。
今は、それで十分。
「(
自分が本当に好きなもの。
漫画も。
ゲームも。
アニメも。
そして、誰にも見せていない自分自身も。
「(焦らなくていい。少しずつ、少しずつ――)」
いずれ。
隠す必要すらないくらい、自然に見せられる日が来ればいい。
そう思いながら、有希は隣でまだ少し頬を膨らませている伊織を見て。
「ふふっ。機嫌直してください、伊織くん」
「……誰のせいだと思ってるのさ」
「はい、私ですね」
「そこまではっきり言われちゃうと、毒気抜かれるよ……」
有希は、また楽しそうに笑う。
そして、目的の場所へ、共に歩を進めるのだった。