距離を置きたいだけなんだけど 作:ろしでれ
それからも、2人は何軒かの店を回る。
有希が気になっていた化粧品を見て、少しばかり衣類を眺めて、その途中で伊織には違いがよく分からない商品を有希は2つ並べて、どちらが良いと思うか、どちらが自分に似合うと思うかと聞いてみたりもした。
当然のように返ってきたのは、随分と悩んだ末の。
「……ごめん。僕には違いが分からないや」
という、何とも正直な答えだった。
適当にこちらが似合う、と言っておけばいいのに、と。
──分からないものを分かったふりして選んで、もし気に入らなかったら嫌だから。
と、いうのが伊織の言い分らしい。
それがおかしくて、有希は随分と笑わせてもらった。伊織が選んでくれたのならそれでも嬉しいし、嫌にならないと有希は告げたが、それでもその場しのぎのてきとうなのは誠実じゃない気がするから、と頑なだった。
そうして。
気付けば、有希の買い物袋も3つに増えていた。
もっとも。
現在、そのどれ一つとして有希の手にはない。
全て伊織が持っている。荷物が増えたら持つ。言われるまでもなく、頼まれるのを待つまでもなく、極自然に。流れるように。
最初に本人がそう言っていたのだから、それ自体は何も不思議なことではない。
だから有希も、最初の1つを渡す時には素直に礼を言って任せた。
2つ目も。
3つ目も。
だが――。
「…………」
有希は、ちらりと隣を見る。
伊織は何食わぬ顔で歩いている。
右手に2つ。
左手に1つ。
流石に両手が塞がってしまっている。
それでも重そうな様子は見せていないし、歩調も変わっていない。
「伊織くん」
有希が呼び掛けると。
「ん?」
すぐに伊織がこちらを見る。
「やっぱり1つくらい、私も持ちますよ?」
買い物に付き合って欲しい、と伊織を誘い、そして了承してもらったのは事実。
でも、その後有希はデートだと告げて、その上で伊織も赤面しながら了解、と言ってくれた。
だからこそ、ただの荷物持ちのような扱いをしている気がして、有希としては少し複雑になってしまったのだ。
でも、伊織は笑顔で首を横に振る。
「大丈夫だよ」
「ですが、両手が塞がっていますし」
「このくらい平気平気。そもそも重たいものじゃないしね」
「でも……」
有希は、ほんの少しだけ言い淀む。
自分の買い物なのだから、自分で持つ。デートと言えども。それ自体は当然のことだ。
けれど。
伊織は少し考えるように、有希の手元へ視線を落とした。
「まだ他にも色々見たいんでしょ?」
「はい」
「なら、尚更このままの方がいいよ」
「…………?」
伊織の言葉の真意がいまひとつ分からず、有希は小首を傾げる。
「手が空いてた方が、見たいものも見やすいでしょ?」
「…………」
「それに僕も楽しんでる。だから、周防さんも気にせず、ね?」
あまりにも自然な言葉だった。
『買い物に付き合っている』
でも。
『荷物持ちを頼まれたから』
でもない。
ただ、一緒にいる時間を、有希にも楽しんでほしい、それだけを伝えてくれたんだと思えた。
有希は一瞬だけ、伊織の横顔を見つめる。
「……そうですか、では、お言葉に甘えますね」
「どうぞどうぞ」
「でも、荷物持ちの為だけに付き合って欲しかったんだ、などとは決して思わないでくださいね、伊織くん」
ずいっ、と有希は伊織に近づく。
鼻先にまで迫ろうかと言う勢いで。両手が塞がってるからこそ、伊織はなかなか身動きが取れず、少し圧倒された。
「私は、伊織くんと一緒に来たかった。それにこれはデートです。そこは忘れないでくださいね」
「ッッ! りょ、了解です!」
至近距離から小さく微笑む有希。
顔を逸らすこともせずに、真正面から受け止めて、顔を赤くさせる伊織。
それを見た有希は「なら良かったです」と言い、離れた。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。
伊織は自分を『買い物に付き添う相手』としてだけ見ているわけではない。デートなのだと、再認識してもらえた。
そう思えたから。
そうして再び、2人は並んで歩き始める。
もっとも、有希が改めてデートだと宣言したのだが、先ほどまでと比べて何かが劇的に変わったわけではない。少なからず影響はあったようだが、極めて自然体でいけている。有希も、伊織も。
伊織の両手には相変わらず有希の買い物袋が提げられているし、有希はその隣を歩いている。
会話だって他愛のないものだ。
次はどこへ行くのか。 何を見るのか。 さっきのお店の商品はどうだったのか。
そんな、ごく普通の会話。
けれど有希にとっては、それで良かった。
デートだからといって、何か特別なことをしなければならないわけではない。
2人で歩いて。 2人で話して。 同じものを見て。
その時間を楽しいと思えれば、それで十分なのだろう。
少なくとも今の有希は、そう思えていた。
「次はどこ行く?」
「そうですね……」
有希は歩きながらスマホを取り出し、事前に調べておいた店を確認する。
候補はいくつかある。
その中から現在地に近いものを探そうとして――。
「あっ」
前方から歩いてきた数人組と、危うく肩がぶつかりそうになった。
画面へ意識を向けすぎていた。
有希自身もすぐに気付いて足を止めようとしたが、それより僅かに早く。
「っとと、危ないよ」
伊織が有希の前へ半歩出た。
ぶつかるようなことはない。
ただ、それだけだった。
大袈裟に庇ったわけでもなければ、有希の身体を引き寄せたわけでもない。
伊織が少しだけ進路を変えたことで、向かってきた人たちは自然と彼の側を避けて通り過ぎていく。
そして。
「……すみません。伊織くん。助かりました」
「いやいや。店探してた?」
「はい。次に行こうと思っている場所を」
「なら、端に寄ろっか。急いでるわけでもないし」
伊織はそう言って、人通りの邪魔にならない場所へ移動する。
有希もその後へ続いた。
ほんの数秒。
それだけの出来事だった。
何か特別なことをされたわけではない。
それでも。
「…………」
有希は、スマホへ視線を落としたまま僅かに目を細めた。
こういうところなのだろうか。
先ほどの荷物の件もそうだった。
頼んでから動くのではない。
何かをしてあげようと考えてから、わざわざ大袈裟に行動するのでもない。本人にとっては、それが当たり前であるかのように。
気付いた時には、既にやってくれているんだ。
「見つかった?」
「はい。ここから5分くらいですね」
「じゃあ、そこ行こっか」
「はい」
再び歩き始める。
今度は有希もスマホを鞄へしまった。
有希が歩き出し、そして伊織もその隣へ並んだ。
横断歩道の白線を踏みながら、有希はちらりと隣を見る。
「(……なんだろ)」
不思議だった。
1つ1つは、本当に大したことではない。
荷物を持ってくれた。
人とぶつかりそうになれば、自然に前へ出てくれた。
それだけ。
漫画やゲームなら、もっと分かりやすいイベントがある。
雨が降れば傘を差し出して。
転びそうになれば抱き止めて。
偶然手と手が触れて。
夕暮れの中、いい雰囲気になって――。
そんな、イベントCGの2〜4枚くらい用意されていそうな出来事。
けれど現実には、そんな都合よくイベントなど起きてくれないが、1つ1つの積み重ねが、気遣いがとても嬉しいと感じている。
「(……相手を気遣うのが物凄く上手いね、いおりんって)」
有希は、嬉しい気持ちが表情に極端に現れる前に、まるでごまかす様に頭の中で感想を大にして言う。
「周防さん? 疲れたかな?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「そう? 少しぼーっとしてるように見えたから」
視野も広い。少し頭の中で色々やり取りをしていたため、ややおざなりになっていたのは否定できないが、そんなに簡単に分かるようなものなのだろうか?
演じる事を特技とする有希には少なからず疑問だった。
「そうですか?」
「うん」
「なら、気のせいですね。この瞬間も楽しめてますよ」
「ならいいけど」
誤魔化すように笑ってみせる。
しかし。
そこで有希の頭に、ふと。
別の疑問が浮かんだ。
「…………」
もう1度、有希は隣を見る。
伊織は何も気付いていない。
いつも通りの顔で前を見ている。
荷物を持つことも。
歩調を合わせることも。
人混みの中で自然に有希を気遣うことも。
全部、あまりにも自然だった。
自然すぎる。
それはつまり――。
「伊織くん、1つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「え? うん、いいよ。何でも聞いて」
そこで1度、有希は言葉を切る。
少しだけ考えてから。
「伊織くんは、女の子とお出掛けすることに、慣れていらっしゃるんですか?」
「…………へ?」
伊織の顔が、僅かに引き攣った。
予想していなかった質問だったらしい。
「えっと……何? その質問」
「いえ。少し気になりまして。お気遣いの一挙一動全てが自然ですから」
有希は敢えて具体的には説明しなかった。
店内でのやり取りもそう。
荷物もそう。
歩く位置もそう。
歩調だってそう。
どれも、いちいち考えて行動しているようには見えない。
だからこそ。
「もしかして、私以外にもこうしてお出掛けする女の子が、たくさんいらっしゃるのかなぁ、と」
「いないよ?」
有希の疑問に対して、即答で返ってきた。見事なまでの、清々しいまでのカウンターであり、少し呆気に取られる。
「「…………」」
そのカウンターは2人の間に奇妙な間を作った。
「んんん? 何かな、僕変なこと言った?」
「いえ。あまりにも返答が早かったもので」
「だっていないからね、それ以上返しようが無いから」
今更ながら考える仕草を見せる伊織。確かにその様子から本心であることは窺えるが念を押す。
「本当の本当に、ですか?」
「んー、なんでそんなに疑われてるのかな僕」
「だって、伊織くんがあまりにも手慣れているからです」
少なくとも、有希にはこれが初めてだとは到底思えなかったのである。だからこその念の入れようだ。
「え? 手慣れてる?」
その後、有希は説明をした。
伊織の行動の1つ1つが完璧なエスコートに近いという事を。様々な漫画やアニメ、ラノベで学習出来たとしても、それを行動に移せるかどうかは別の話。ましてや、極自然に振る舞えるなんて、相応の経験を積まなければ動けないと思うから。
有希の言葉を聞いて、そして伊織は少し考え込んだあと。
「あー……でも、それなら心当たりあるかも」
「…………!」
有希の足が、一瞬だけ止まりかけた。
「あるんですか?」
「うん」
「…………そう、ですか」
思ったよりも、自分の声が平坦になった。
いや。
平坦にした、と言うべきだろうか。
別におかしなことではない。
伊織に女友達がいたって何もおかしくない。
有希自身、伊織の交友関係を全て把握しているわけではないのだから。
ましてや自分たちは、まだ付き合っているわけでもない。
今日だって有希がデートと呼んでいるだけで、伊織もわかってくれているとはいえ――。
そこまで考えたところで。
「ルリ姉さんだよ」
「…………はい?」
「うん。だからルリ姉さん。姉さんに散々言われてきたから。────あ、ごめん。ルリ姉さんも女の子と言えば女の子。だから、嘘になっちゃったね……」
「…………」
有希は、数秒ほど何も言わなかった。
ルリ姉さん。
つまり、先ほどまで一緒にいた瑠璃乃のことだ。 散々イジメてくれた挙句、素までバレて。それでも何だかんだ仲良くなり、今や有希が心の中で『姉御』と呼ぶに至った彼女である。
「(……あー)」
そして、妙に納得した。
その後、有希は「瑠璃乃さんに対して『女の子と言えば女の子』というのは失言だと思いますよ」と笑うのだった。……伊織は別に気にした様子は無いようだが。
そして、暫く歩いている時に有希の頭の中で整理されていく。
「(なるほどなるほど。ルリの姉御の仕込みだったのかー)」
荷物を持つことも。 歩調を合わせることも。 人混みで自然にこちらを気遣うことも。
そういう立ち回りなら、長年瑠璃乃と出掛けてきた中で自然と身についたのだろう。
「(でもまあ、女の子に何が似合うかまで仕込めなかったみたいだけど)」
それは先ほど化粧品を前にして本気で頭を抱えていた伊織のこと。
わからないのに、てきとうに選ぶのは不誠実、と選べなかった時のことだ。
「(そこまで完璧だったら、逆に女慣れ疑惑が再燃してたところだよ。危ない危ない。でもま、それ以外はマジで完璧だったなぁ〜)」
思い返してみれば、確かに。
先ほど会った時の2人の距離感からして、伊織と瑠璃乃の付き合いが長いことは十分に伝わってきた。
瑠璃乃は従姉妹で伊織にとっては姉のような存在とのこと。
そして瑠璃乃にとっても、伊織は可愛がっている弟のような存在なのだろう。
だからこそ遠慮なく弄っていたのだろう。
ならば、色々と買い物に付き合わされる中で、荷物の持ち方や女の子との歩き方、気遣い方などを教え込まれていた可能性は高い。 同じオタクである瑠璃乃なら、その手の知識も交えながら、伊織を理想的な男性へと仕込んでいても不思議ではなかった。
そして回数を重ねていく内に、自然体となり、伊織にとっては知らず知らずのうちに、女性と出掛けた際の立ち回りを叩き込まれていたとしても不思議ではない。
「(むしろ、ルリの姉御なら嬉々としてやりそう)」
非常に。
とても。
物凄く。
想像出来た。
『伊織ー、こっちこっち! ほらほらそうじゃないって!』
『んじゃ、次あっちね!』
『あ、それ持ってー!』
『女の子と歩く時は、もうちょっとこっち歩いた方がいいよー』
『ほらほら、ちゃんとエスコートするー!』
そんな調子で伊織を連れ回し。
伊織自身も地雷を踏まれたら大分辛辣になるようだが、幼少期より世話を焼いてくれた従姉妹ということもあって、信頼はしているし、素直に尊敬の念も持っている。
本人に教育しているという意識すらないまま、結果として今の伊織を作り上げていった。
ありそうだ。
物凄く、ありそうだ。
「(…………ルリの姉御。まさかこんなところでもファインプレーを)」
有希の中で、瑠璃乃に対する評価がまた上がった。
伊織のこの自然な気遣い。
自分が心地良いと感じた距離感。
さりげないエスコート。
その根っこの一部に瑠璃乃がいるのなら。
今日の自分は、知らず知らずのうちに彼女から恩恵を受けていたことになる。
「(ありがたや、ありがたや……)」
心の中で両手を合わせておく。
もっとも。
それはそれとして。
「(…………でも)」
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけ。
有希の胸の奥に引っ掛かるものがあった。
「(ルリの姉御相手に培ったものを、今、私が体験してるってことなんだよねぇ……)」
別に嫌ではない、むしろありがたい。
先ほどまで疑っていた『他にも女の子がたくさんいるのでは疑惑』だって、ほとんど解消されたのだから。
安心したと言ってもいい。
なのに、何故だろう。
ほんのちょっぴりだけ面白くない。
「(……いやいや。相手はルリの姉御だよ? お姉ちゃん枠だよ? ここで張り合ってどうする、私! つーか、ルリの姉御も否定してたし!)」
自分自身へツッコミを入れる。
そもそも瑠璃乃には、つい先ほど盛大に背中を押してもらったばかりなのだ。
感謝こそすれ、対抗心を抱くような相手ではない。
分かっている、分かっているのだが。
「(…………むぅ)」
理屈と感情が、完全に同じ方向を向いてくれるとは限らないらしい。そもそもだ、この素晴らし過ぎる能力? が他の女子に向かわないとも限らないのだ。
「(早々にもっと唾つけとく必要ある、とか……?)」
でも、もしも伊織がハーレムプレイを望むようなキャラだったとしたら?
「(あれ? いや確か昔いおりんとお兄ちゃんがオタ談義盛り上がってた時────)」
かつての記憶、中学時代の記憶を揺り起こそうとした時だ。確か好みのタイプや苦手な属性を言い合っていて────。
と言う有希の思考は、信号が青になって進み始めると同時に止まってしまうのだった。
そして。
そんな2人の姿を、少し離れた場所から見つめる人物がいた。
「…………」
休日の街中。
多くの人が行き交う中で、その少女の視線だけが、ある一点へ向けられている。
見覚えのある姿、真田伊織の姿を見て、歩を止めた。
その両手には、いくつもの買い物袋。
そして。
その隣を歩いている少女にも、当然見覚えがあった。
「…………へぇ」
口元が、僅かに持ち上がる。
楽しそうに。
何か、ちょっとした面白いものでも見つけたように。
「ふーん……」
伊織、そして有希。
2人を交互に見て、何を思ったのか、それを口にすることはなかった。
「────乃々亜、行くわよ?」
少し先から声が掛かる。
数歩進んだところで乃々亜がついて来ていないことに気付いたらしく、足を止めて振り返っている。
「……どうかしたの?」
問い掛けに対して、もう1度だけ、伊織たちの方へ視線を向ける。 そしてすぐに、何事もなかったかのように視線を戻すと。
「んーん、なんでもないよ、さやっち。行こ行こ!」
そう言って、駆け寄っていった。